2129.言葉の応酬と大きな覚悟
夕食後にヒノエの部屋に訪れた六阿狐だったが、部屋に入るなり二人は煽りを交えた売り言葉に買い言葉の応酬を行うのだった。
元々は一方的に六阿狐がヒノエを敵視していたのだが、その感情を直接ぶつけられた事で、これまでは相手にしていなかったヒノエも同じ土俵に立って相手にする事にした様子である。
「昔の貴方は妖魔山でも名が挙がる程の人間でした。私はこれまで直接は貴方と戦場で対峙した事はありませんでしたが、山に伝わってくる話から妖魔退魔師の中では、絶対に警戒を怠ってはならない人間の一人だと認識を持っていました」
「……へぇ? 総長や副総長を除けば組長格の中では、キョウカ組長やスオウ組長の方が目立った活躍を行っていたと思うがな? せいぜい私が戦場で暴れ出したのは、一組組長に就任した後だったわけだしよ」
部屋のベッドの上で胡坐をかいて、腕を組みながらそう口にするヒノエだが、常に視線は鋭く六阿狐に向けられ続けている。いつ六阿狐が襲ってきても対処が行えるだけの間を測り続けているのだろう。
六阿狐もそんなヒノエの言葉を聞きながら、当然にその視線に気づいており、口では臆病者と軽口を言ってはいたが、内心では流石だとヒノエを認めていた。
「もちろん貴方が口にしたスオウという人間や、キョウカといった人間達も知っています。ですが印象の差ですかね? 貴方が本気で我々妖魔達を殺すつもりで戦場に姿を見せれば、四肢を切断されて五体満足で戻って来る事はないと評判に上がる程でしたから……。そう言えばこんな話も耳にしましたよ? 貴方が腕力に任せて思いきり地面に刀を叩きつけた時、同胞達が居た場所の地面が割れて崖が出来上がった……とかね」
後から『何処までが本当の事なのかは分かりませんが』という言葉を付け足しながら、妖魔山でのヒノエの評判を語って聞かせる六阿狐であった。
「ああ……。確かにそんな事もあったな。あんたらの総本山からだいぶ離れた場所だが、我々妖魔退魔師組織がケイノトの町で護衛任務を生業としていた頃、加護の森近くで実際に崖を作ったのは私だ。妖魔団の乱のせいで高ランクの妖魔共が一斉に姿を見せちまったからな、これ以上好き勝手に町の近くに集まられて跋扈されても困るって話が上から来たからよ、当時は三組組長だった私が駆り出されて見せしめで全員斬ってやったのよ。その時に出来ちまった崖は、確かに今も残っているぜ?」
こうして言葉にすれば自慢話をしているように思えるが、ヒノエは自然体のまま、ただ刀を振って妖魔を斬ったら地面が割れちまったと淡々と口にしただけであった。
もちろん王琳の為に情報を集める事が仕事である『妖狐』の六阿狐にも、加護の森近くの平地にここ最近に崖が出来上がっていた事は知っている。
出回っている噂から、もしかすると目の前のヒノエが行ったのかもしれないという勝手な憶測を六阿狐もしていたが、実際にこうして本人から口にされるまでは真実と結び付けてはいなかった。
「そんな細い腕の何処にそれだけの『力』が隠されているのかは甚だ疑問ですが……、まぁそれは今はいいでしょう。確かに貴方はこれまでの実績を含めても大した人間だと思えますが、そんな大層な一角の人物である他でもない貴方が、何故奥方様の居るソフィさんに対して不義理を貫こうとしているのかの方が疑問です。それとも奥方様がおられる殿方を寝取るのが貴方の本性で、持たれているご趣味の一つだったというわけでしょうか?」
「て、てめぇ……!」
これまで余裕を持って六阿狐の言葉を聞いていたヒノエだったが、寝取るのが趣味でそれが本性なのかと六阿狐に問われた瞬間、刀を手に取ってその場で立ち上がるのだった。
その瞬間、六阿狐も恐るべき魔力コントロールを見せるとノータイムで『青』を纏い、前傾姿勢を取りながら『妖狐』としての彼女の独自の構えを取り始める。
「私に本性を暴かれて気分を害しましたか? 存外に余裕がないのですね、妖魔退魔師ヒノエ!」
「勝手な手前の尺度で私を推し量ろうとしてんじゃねぇっ! そんなつもりでソフィ殿に近づいたわけでも、こうして付いてきたわけでもねぇよっ!!」
「そのつもりがなくとも、結果的に貴方が行っている事は私の言っている通りの事ですよ! ソフィさんの奥方様の……リーネ様のお気持ちを考えて物事を捉えなさいよ! 誰がどう見ても貴方は、不義理をかまして寝取ろうとする悪女でしょうがっ!!」
「う、うるせぇっ!! 私だってそれはここに来るまで何度も考えたよ……っ!! でも! ソフィ殿の傍を離れたくないって気持ちが私にも、どうにも出来なかったんだよっ!!」
これは言い訳ではなく、ソフィの元から離れるなとばかりにヒノエという生物の本能が、本当に彼女に行動を取らせようと突き動かしたモノであり、偽りのない事実なのであった。
それが証拠に怒号を発したばかりの彼女の目から、ぽろぽろと涙が流れていた。
ヒノエは本当に自分でも不義理をしていると自覚していたようで、本来の彼女の性格であれば、ここまで一人の男に想いを寄せる事はこれまでもなかったのだ。過去に酷い失恋を経験して尚、彼女は直ぐに気持ちを切り替えて前を見据えて歩いてこれたのは事実であり、六阿狐が先程口にしたような悪女とはまるっきり正反対のサバサバした性格なのが本当の彼女であった。
だからこそ、ヒノエ自身も自分の行いに疑問視していたが、先程口にした通りにどうにもソフィの元から離れられないと感じて、こうして全てを投げ打ってまで、ソフィと共に別世界に来てしまったのであった。
「……分かりません。どう見ても今の貴方が嘘を言っているようには……思えない」
これまで六阿狐はこの場で口にしたように、ヒノエがリーネからソフィを寝取るつもりでやってきて、今は上手く行かなくてもソフィの組織する『魔王軍』に席を置きながら、いつかはとばかりに機会を待とうとしているのだと考えていた。
妖狐の中でも特に純粋な六阿狐にしてみれば、ヒノエは許しがたい程の悪女なのだと、これだから人間は信用ならないのだと決めつけてしまっていて、そういう目でしかヒノエの事を見ていなかった。
だが、今のヒノエの言葉には少しも欺瞞に満ちた様子はなく、ただ自分でもよく分からずにソフィから離れたくないという一心で、まさに本能に従って動いているように六阿狐にも見えたのだった。
それはこうして本気で殺意を向け合っている者同士だからこそ、相手の気持ちに少しも嘘が交っていないと気づける事でもあった。
「リーネ殿には申し訳なく思っているし、ソフィ殿にも迷惑を掛けている事は承知の上だ……。でもどうしてもノックスの世界から離れるソフィ殿を見送る事が最後まで出来なかったんだ……。でもよ、リーネ殿に言われたんだ。今夜一日だけ待ってくれと。だから私は今日一日だけ待ってみて、もし明日にでも断られたら、今度こそ私はソフィ殿の事をすっぱりと諦めて、本当に一人の剣客としてソフィ殿の配下に加わるつもりだ。この言葉に嘘偽りはないとアンタに断言する! もし、それを破ってこれ以後に私がソフィ殿に言い寄るようなところを目にしたら、いつでも私の命を取りに来い! そんときゃ抵抗せずにこの命を差し出すと誓うからよっ!」
そう言ってヒノエは再びベッドの上に胡坐をかいて座り、刀を横に置いて無防備の状態で六阿狐を睨みつけるのだった。
「言いましたね……? 分かりました、今一度だけ貴方の言葉を信用するとしましょう。但し、明日にリーネ様から諦めるように告げられて尚、貴方がそれを守らずにソフィさんに言い寄ろうとしているところを見かけたら、本当に貴方を殺しますから」
「ああ! 私はそこまで自分の言葉を軽視しちゃいねぇっ! こうして命を懸けると一度口にしておいて、後から反故にするくらいなら、自決してやる!」
――再び六阿狐とヒノエの目が交差する。
決して短くない時間、二人は視線を交わし合っていたが、やがて――。
「良いでしょう……。夜分遅くに失礼しました」
そう言って六阿狐は扉の前でヒノエに向けて一礼した後、静かに扉を閉めて部屋から離れて行った。
一人部屋に残されたヒノエは唇をぎゅっと噛みしめながら、いつまでも六阿狐が出ていった扉を睨みつけていた。
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