2028.乗り越えられたからこその流す涙
ヌーの『概念跳躍』で元の世界に戻るのを明日に備えた前日の夕方、ソフィの部屋にノックの音が響いた。
「む? 入ってよいぞ」
ソフィの部屋に訪れたのは、組織の副総長であるミスズであった。
「お休みのところ、申し訳ありません。先程部下から報告がありまして、イバキ殿がソフィ殿に会わせて欲しいと一の門前に現れました。私も一度鬼人たちの集落でイバキ殿の姿を拝見しておりますし、ソフィ殿に会う為に『妖魔山』からお越しになられたのは間違いないだろうと判断した為、こうして一度ソフィ殿に確認を取らせて頂きに部屋に参りました」
「イバキ殿が……? 知らせてくれて感謝する。直ぐに向かうと伝えてくれ」
「畏まりました。よろしければ、イバキ殿をこちらへ案内致しましょうか?」
ソフィが一の門まで出向こうと椅子から腰を上げかけたが、それを制止するようにミスズがそう提案してくれるのだった。
「構わぬのか? この町は住人以外の者が入るのには少々許可取りの問題で、色々と手続きが必要だったようだと記憶にあるが……」
「私が直接通しますので、大丈夫ですよ。それでは迎えに行きますので、また後ほど」
「分かった。よろしく頼む、ミスズ殿」
ソフィの返事を最後まで聞き届けた後、律儀に一礼を行いながら部屋を出ていくミスズであった。
…………
そして直ぐに再度部屋の扉を叩くノックの音が響き、ソフィが扉を開けるとそこにはイバキと呼びに行ってくれたミスズの姿があった。
「ソフィ殿……!」
「おお、イバキ殿。鬼人たちの集落で別れて以来だな」
ソフィが笑顔で出迎えると、ミスズは空気を読んでソフィ達に一礼を行った後にその場から離れて行った。
ここが妖魔退魔師本部という事もあり、彼女も見張りの必要はないと判断したようでここに彼女は誰も残していかなかった。
当然に建物を出た後は外までの間の案内を立てられるだろうが、その案内人を含めたこの町の人間は、ソフィの信頼を損ねるような、無礼な態度をイバキにも取らないだろう。
「さぁ、中へ入ってくれ」
「突然の来訪申し訳ない。ソフィ殿が明日ここを発つと聞いたものだから慌てて来たんだ。明日になれば、もっと多くの者達が詰め掛けてくるだろうから、先に挨拶を済ませておこうと思ってね。本当は動忍鬼も連れて来たかったんだけど、鬼人族の近くの警備を行っている王琳殿の直属の眷属だという妖狐に事情を説明しても許可をくれなくてさ、仕方ないから俺だけ来たってわけなんだ」
「なるほど……。それは王琳とミスズ殿の取り決めのせいだろうな。王琳の配下である妖狐だけは別のようだが、
現在は『妖魔山』の妖魔達が人里へ近づくのを禁止されておるからな」
「そうだろうね。僕はもう動忍鬼達と離れるつもりはないから、これからは『妖魔山』で本格的に生活する事になりそうだ」
「ふむ。そう言えばお主は、こちらに家族などは残しておらぬのか?」
何気なく気になった事を口にしたソフィだが、その瞬間のイバキの表情を見て直ぐに失言だったと判断するソフィであった。
この世界はかつての『アレルバレル』程に殺伐とした世界というわけではないが、それでも妖魔と人間の関係性を考えれば、他者に話したくない話の一つや二つは誰もが抱えている筈である。
直ぐに何か取り繕うと口を開きかけたソフィだったが、その前にイバキが言葉を出すのだった。
「実はもう……、俺には誰も家族は残されていないんだ。幼少期の頃に鬼人の妖魔に家族を襲われてしまってね……。その時にゲンロク様に拾われて『退魔組』の退魔士として生きていく事は出来たけど、もう俺には人里の何処にも居場所はないんだよね」
「それはすまぬ……。お主には辛い過去を思い出させてしまったようだ……、ん? 待て、お主いま鬼人に家族を襲われたと言ったか?」
現在イバキが『鬼人族』の集落で暮らしているという事に思い至り、今の話で思わず置かれているイバキの現状が、とても複雑なものだと悟るソフィであった。
「ああいや、大丈夫だよ。家族を襲ったその鬼人は顔に大きな火傷跡がある奴だったんだけど、動忍鬼や百鬼殿に居場所を聞いたら、そいつはもう『妖魔団の乱』が起こる前に集落を出ていったみたいなんだ。今も生きているかどうかは定かではないけれど、この話を動忍鬼にした時に玉稿殿の耳にも入ってしまってね。その時にその家族を襲った鬼人の代わりに、彼が謝罪を行ってくれたんだ……。別に謝罪をされたところで妹たちが戻って来る事はないんだけど……さ、何故かは分からないんだけど謝罪をされた時、そしてその時の動忍鬼の顔を見た時に、本当に何故かは今でも分からないんだけど、その時に決して忘れられなかった気持ちに、区切りをつけられたんだよね。もう今更どうしようもないっていう感情とはまた少し異なるんだけど、立ち止まっていた俺が何かに背中を押されて前を向く事が出来たっていうか……。言葉にすると上手く伝えられないんだけど、これまで生きてきた中で間違いなく、気持ちが救われたのは間違いなくて……」
イバキはソフィに上手く説明を行えず、戸惑った様子を見せていたが、ソフィはイバキの言葉の端々から負の感情ではないモノを感じ取る事が出来ていたのだった。
「そのように焦らずとも良いぞ。お主が言いたい事は、我にはしっかりと伝わっておる。だから一言だけ言わせて欲しい。お主は本当によく頑張ったな。お主が辿り着いた結論は、決して感情に圧し潰されていては辿り着けなかった筈だ。最後まで諦めずにお主なりに足掻いて見せたからこそ、お主は自分の気持ちを救えたのだ。それは間違いなく誇れるモノだ。誰もお主にそれを伝えられぬというのであれば、この我が伝えてやる」
――イバキよ、よく頑張ったな。
ソフィの慈しむような表情から発せられた言葉に、無意識にイバキの目から涙がこぼれ落ちていくのだった。
「あ、あれ……? 別に悲しくないのに……。ご、ごめんね……」
自分が涙を流しているという事に気づいたイバキは、慌てて自分の手で涙を拭い始めるのだった。
「構わぬ。決して泣く事は恥ずべき事ではない。今お主が流している涙は、気持ちを新たにする上で必要なモノだと考えれば良い。ここには我以外には誰も居らぬ。我慢する必要はないぞ」
そう言ってソフィは、優しくイバキの頭を撫でてやるのだった。
「くっ、ひぅっ……!」
そうしてイバキは、ソフィに頭を撫でられながら嗚咽を漏らし始めるのだった。
やがて大粒の涙がとめどなく流れ始めると、イバキは遂に声を押し殺す事が出来ずに大声で泣き始めたが、ソフィの『魔法』によって、イバキの泣いている声が、最後まで少しも部屋の外に漏れ出る事はなかった。
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