1945.本音と涙
「王琳様、少しだけお時間を頂けないでしょうか」
決意を秘めた表情を浮かべた耶王美は、王琳の顔をしっかりと見てそう告げるのだった。
「分かった、いいだろう」
王琳はそう言葉を返すと、ちらりと七耶咫の方を一瞥する。
直ぐに王琳の意図を汲み取り、一度だけ頭を下げた七耶咫はそのまま踵を返して退室していった。
「感謝しますわ」
「構わん。そろそろ来るだろうと考えていたしな」
その王琳の言葉に耶王美は少しだけ驚いた様子を見せる。
「分かっておいででしたか……」
「この俺がいったいどれだけ長く、お前と一緒に過ごしてきたと思っている」
小さく溜息を吐いてそう告げる王琳を見て、耶王美も過去に思い耽るのだった。
「貴方に仕えようと考えてからもう何年経つでしょうか。本当に色々な事がございましたわね……」
「ああ……」
執務を行う為に用意された部屋の中、王琳と耶王美は互いに互いの表情を見ているが、実際には両者共にここに居る相手の表情を見ていない。
互いに過去にあった出来事を思い返して笑みを浮かべるのだった。
「お前にはこれまで多大な迷惑を掛けた。こんな俺をここまで支え続けてくれた事を本当に感謝している」
まだ耶王美は何も本題を口にしてはいなかったのだが、すでに耶王美がこの後に何を話したかったかを長い付き合いで感じ取っていたのだろう。
王琳は少しでも耶王美が言い難いであろう本題を言いやすくしてやろうと、慮ってそういう言葉を口にしたのだった。
当然そんな王琳の本心や気持ちを理解出来てしまう耶王美は、笑顔のままで涙がぽたりと零れ落ちてしまうのだった。
「ふっ!」
耶王美は直ぐに自分がこの後に泣き崩れてしまうと理解して、思いきり息を吐くと同時に一気に『力』を開放してみせてこれ以上の涙を堪えるのだった。
ぱんっ! という乾いた『魔力』が弾ける音と共に部屋に静寂が戻る。
この場にまだ七耶咫が居れば、今の耶王美の一瞬の力の開放でさえ、その膨大な力に当てられて意識を失い昏倒する程であった。
もちろん王琳はそんな耶王美の力に屈する筈もなく、机に肩肘をつきながら自分の眷属の心構えに小さく声を出して笑ってみせた。
「どんな言葉であったとしても、俺はお前の事を受け入れる覚悟が出来ている。気持ちと覚悟が定まったタイミングでいいから、焦らずに大事な話を俺に聞かせてくれ」
それはかつて耶王美がエヴィに見せたような慈しむ表情だった。どうやらあの時の耶王美と同じ気持ちを持って王琳はこの場に臨んでいるのだろう。
きっと自分の主はどんな内容の話であっても、本当に受け止めてくれるのだろうと耶王美は理解し、意を決して本音を言葉にする。
「王琳様。私は数日後に行われる貴方とソフィ殿の決闘こそが、これまで貴方が長年抱いてきた願望であると判断しました。この日の為にこれまで私は貴方に仕えてきました。自分では叶えてあげられなかった貴方の願望を一番近くで数千年、いや万に届くかもしれない年月見てきた私が、どんな気持ちを抱いていたかは貴方は分かっていた事でしょう。しかしようやくです。勝敗がどうであれ、私より長く生きた妖狐の本懐を遂げる瞬間を見届けたと判断した時、私は貴方の元を離れます。どうかそれを許して頂きたい!」
一度は気合を入れ直して堪えた涙が、耶王美の両目からとめどなく流れていく。しかし言い切るまでしっかりと声を震わせる事なく、彼女は堂々とした態度で本当の気持ちを言葉に変えて見せたのだった。
「思えばお前と初めて会った時、お前は今からは考えられない程に強気で人の話を聞かない女だったな」
「……」
「ふふっ、俺に何度負けても決して認めなかったな。しかし次に戦う時は必ず強くなって戻ってきて、それでも俺に負けそうになると今みたいに悔しそうに涙を流していた。お前は俺が認めた本当に気高く崇高な妖狐だ。本音を言えば今でもお前を手放したくはない。だが、お前があのソフィの忠臣を見る目や、優しい声音を聞けばどういう気持ちで居るかは理解が出来る。だから耶王美、これからお前はお前の為に生きろ。自分が信じた道を胸を張って歩いていくんだ」
せっかく気合を入れ直したというのに、その王琳の言葉に耶王美の視界はもう涙でぐしゃぐしゃに歪んでしまった。
――しかし彼女の心はこれ以上ない程に満たされていた。
「耶王美、幸せになれ」
「はいっ……! 必ずなります……!」
……
……
……
王琳の執務室の前で七耶咫もまた、泣き崩れて両手で顔を覆ったまま執務室のドアを背にして、その場に座り込んでしまうのだった。
(姉様……! どうかお幸せに! ぜ、絶対に幸せになって頂かないと駄目ですからねっ!!)
涙を流す七耶咫は必死に声を押し殺しながら、自分の大事な姉の新たな門出を祈るのであった。
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