1813.時空の概念領域を用いた、疑似的な四次元の観測法
現在、シギンと煌阿は『妖魔山』の中に居るのは間違いないが、神斗がやろうとしたように『魔力感知』を行う事や、その両目だけで彼らの姿を視界に捉える事は非常に困難である。
というよりも、そもそもがソフィ達が呼んでいるような『時魔法』や『空間魔法』の『理』を知っていなければ、彼らの居る『次元の狭間』をそもそも認識が出来ない為、どれだけ『魔力』が高かろうが、彼らの姿を追う事は出来ないだろう。
そしてこの『次元の狭間』へと相手を任意に送り込む事が出来る事こそが、シギンという妖魔召士の真に恐ろしいところであった。
シギンが煌阿に対してやってみせた事は、単なる『移止境界』という『捉術』だけではない。
本来、この『移止境界』という『捉術』は、使用者が相手の身体の一部に触れる事で自身の『魔力』を相手に連動させるように伝えた後に、別の場所へ転送させる『魔』の技法である。
その捉術の『移止境界』の効力では、任意に相手を自分の指定する位置へ飛ばすという事は出来ない。
分かりやすく言葉にするのならば、相手を掴んだ後に腕力ではなく『魔力』を用いて、限りなく遠くへ放り投げるという表現が正しいだろう。
しかしそこにシギンが『空間魔法』を同時に展開すれば、その『次元の狭間』を経由する事で、放り投げる位置をある程度絞る事が出来るのだ。
つまりかつてシギンが説明を行った通り、ただの人間であるシギンには飛ばした先にある景色や、背景などが目視出来るわけでもなく、直接イメージした場所にそのまま転送させるという事は出来ない。
――が、しかし。
この『次元の狭間』を用いる事で実際の飛ばす先の観測が行えなくとも、その『魔』の技法で作り出した本来は在る筈のないシギンの手によって生み出された『次元の狭間』という道を利用して、飛ばす先の指向性を操る事で任意の場所に飛ばせるという結果に限りなく近づけるのだ。
更に長年の『魔』に対しての疑問と解答を繰り返してきたシギンは、その『次元の狭間』と『空間魔法』の関係性に加えた『捉術』という新たな『魔』の技法と『魔』の概念の連立的な思考に基づく事で、不可逆的な『魔』の連続性がある事を発見して大いに悩む事となったのだが、法則の成立を確定させる前に、その『次元の狭間』という『魔』の概念で出来た道自体の距離を狭めるという事に思いつき、無事にこの問題を解消させた。
この用意された『次元の狭間』に距離を狭める事を目的とした『空間魔法』を差し込む事によって、距離を強引に狭めて、この場合の時間と距離を同一視する事で、一つに置き換えてしまえると考えたのである。
捉術である『移止境界』を発動する最初の地点をaとし、次元の狭間というトンネルのスタート地点からゴール地点までの距離をbとする。
そしてトンネルの先にある終着点をxとする事で、三つの地点が出来上がるわけだが、b地点の長さを更にこの『空間魔法』でシギンが任意に変更させる事が出来れば、a地点から直接x地点の景色の観測が出来るようになるという話である。
冒頭にも述べたが、この『次元の狭間』の観測を行える者は『時魔法』、及び『空間魔法』の『魔』の概念領域に達している者のみとなる為、シギンがb地点の距離を任意に狭めたり、伸ばしたりしてもそもそも『移止境界』の対象者に認識されることがない為に、その『次元の狭間』のb地点に居る間の知覚が出来ずにいる事となる。
結論だが、a地点となる『移止境界』発動場所から、b地点となる『次元の狭間』で時間と距離を操り、x地点となる飛ばす先の場所をシギンが認識する事で、他者からは三次元空間内から疑似的に四次元空間の観測が行えるように見えるというわけである。
(実際にこれは『距離』を狭める事を可能とするシギンだからこそ、距離を移動する時間に付随して、終着点となるx地点に放り投げる際、その地形の高さや周囲の状況を認識出来るのであって、単に『移止境界』という捉術を使える妖魔召士では、飛ばす先のx地点となる場所の周囲が高いところにあるのか、低いところなのか、その場所というもの自体が観測出来ず、そもそも『次元の狭間』の距離を操れない為に、任意に狭めて移動する時間を操る事及び把握が出来ず叶わない)。
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