妻にバレた
『私も、和博のこと、好きだよ』
――俺は小説を書き上げると、ひとり満足してニヤついた。
『ラプソディノベルズ』というR18の小説サイトで日々投稿している、「イカれ豚カレー」というアカウントの正体が俺だ。
現在投稿している小説『あの時、ああしていたならば』が佳境に入り、物語の中でいよいよ主人公とヒロインが付き合うかも、といったシーンだ。
連載している期間はそう長くはないが、俺にとっては非常に感慨深いものだった。
――
小説を書き始めようと思ったきっかけは単純だ。
新年を迎え、俺は何か新しいことを始めたいと考えた。
『継続は力なり』という言葉が好きな俺は、『何かコツコツと続けていけることが良い』と思い、物語を作ってみることにした。頭の中で考えた物語を文字に起こし、小説にするのだ。
『善は急げ』ということで、早速俺は小説投稿サイト『小説家になれる』に登録してみる。普段web小説を読むのに利用しているため、何となく勝手は分かる。まずはアカウント名だ。
妻から「トンちゃん」と呼ばれている俺は、『トン』の言葉から『豚』を連想した。
また、普段の生活とのギャップを出すため、『イカれた』という表現を用い、『イカれた豚』というアカウント名を思いついた。
しかしながら、狂気は感じるものの、センスは感じなかったため、好物の『カレー』を加えて『イカれ豚カレー』をアカウント名とした。この名前には輝くセンスとインテリジェンスを感じる。
その勢いで執筆を開始する。考えたストーリーはこうだ。
『何か後悔しているおっさんが、過去に戻って後悔していることをやり直す。後悔しているところは恋愛』という、web小説を読んでいけば必ず見つかるようなものではあるが、考え付いた俺の胸は年甲斐もなく高鳴った。
続いてキャラクターを考える。異世界だと設定がややこしいため、考えてから書かないと確実に破綻する。しかし、俺はすぐに書きたかった。結果、現代日本を舞台にして、過去も自分の過ごした時期に合わせて執筆を開始した。
勢いのまま書いたところ、一時間もしないうちに第一話が書き上がる。
『意外と書けるものだ』と思いながら、投稿の設定をする。どうやらタグの設定をしなければいけないらしいが、何も考えていなかったので手当たり次第設定してみる。とりあえずハッピーエンドにしておけば後々やりやすい。同じように、青春時代に付き物の下品なトークをふんだんに盛り込みたかったため、投稿はR18指定とした。恋愛を中心に進行させるが、エロシーンはあまり書く気がなかった。また、ここでR18指定を設定することで、通常の小説サイト『小説家になれる』ではなく、『ラプソディノベルズ』の方に投稿される仕組みだ。
『10人くらいに読んでもらえたら嬉しい』と思いつつ、勢いに乗った俺は第二話の制作に取り掛かる。第一話で主人公の現在の思いを書いたので、第二話はとりあえず過去に戻すことにする。あっという間に完成し、そのまま投稿する。小説情報を確認すると、まだ誰も読んでいない様子だったが、それでも俺は『自分が小説を書いた』という事実に興奮しながら床に就いた。
――
深夜に布団に入ったにも関わらず、朝五時に目を覚ます。どうやらまだ興奮が覚めていないらしい。たまらずに自分が書いた小説を読み返す。一晩経った冷静な目で見れば、修正すべきところはたくさん見つかり、誤字を報告する通知も来ていた。ただ、文字を間違えた事実よりも、どこかの誰かが俺の作品を読んで、反応してくれた事実が俺は嬉しかった。
小説情報に目を通すと、何と一晩で100人近くが閲覧しており、ブックマークも数件入っていた。
その喜びで完璧に目が覚めた俺は、第三話、第四話と書き続ける。
時間はもう午前七時を過ぎ、第五話に取り掛かろうとした時、ドアが開く音がする。
「トンちゃん、もう起きてたの?」
「あ、ああ。仕事で使う資料の確認をしておきたくて」
妻が俺の部屋に入ってくる。お互い人がいると眠れないため、普段は別々の部屋で寝ているのだ。
俺は妻に小説を書き始めることを内緒にしており、咄嗟に嘘をついた。R18の小説を書く夫。普段が真面目な分だけ、知られる訳にはいかなかった。
「あんまり無理しないでね」
「ありがとう」
妻はそう言って、部屋を出て行く。これから朝食の用意だろう。俺は途中まで書いた小説を保存し、キッチンへと向かった。
――
その日は休日で、一日中ソワソワとした気分でいたものの、妻が隣にいたため、R18の小説サイトを開くことはなかった。
午後十時になり、お互いの部屋に行く。俺は早速パソコンを立ち上げると、『ラプソディノベルズ』にログインする。なんと、閲覧数は1,000件を超えており、ブックマークも30件以上入っていた。
俺は自分が書いた作品が認められたような気分になり、読んでくれた一人ひとりに感謝をした。ポイントを確認すると、朝の10ポイントから100ポイント近くまで上がっており、その数字に釘付けになっていた。
作品の中ではヒロインは出ておらず、当然行為のシーンもない。更に言えば、主人公が独り言を言っているだけなので、期待を煽っているだけ煽っている状況とも言えた。
俺はいても立ってもいられなくなり、第五話、第六話を一気に書き上げた。十二時を過ぎた頃、朝と同じようにドアが開く。
「トンちゃん。まだ起きてたの?」
「あ、あぁ、やることが多くて」
朝と同じような言い訳をするが、上手い理由が出てこない。それだけ夢中で小説のことばかり考えていた。
「早く寝なね」
「わ、分かった」
そう言って妻はすぐに去っていく。俺は妻に悪いと思いつつも、また小説の世界に戻っていった。
――
また朝五時に目が覚める。すぐにパソコンを立ち上げ、小説情報を確認する。
「感想が書かれている……」
ついに、自分の作品に感想を書いてもらうことが出来た。しかも、好意的な意見だ。
俺は嬉しさのあまりすぐに返信を行い、知らない誰かの書いた感想の文章に、何度も何度も目を通した。
その日、閲覧数は10,000件を超え、ブックマークも100件を超えていた。
誰かに自慢したくて仕方なかったが、中身を人に見せることも出来なかったので、喜びは自分の胸の奥にしまった。
――
俺の生活は小説中心に回るようになった。朝起きて小説を書き、日中は内容を考え、夜はまた書く、といった作業を続けていた。閲覧数が100,000件を越える頃、『あの時、ああしていたならば』は日間ランキングの三位まで浮上してきていた。
同じ頃、感想の中に不満の声が混じるようになった。『エロがない』『展開が遅い』といった声を受けて、俺は自分の考えていた内容に自信が持てなくなり、物語の展開を当初考えていたものより早めることにした。
もともと考えていた展開は(学園生活の中で前世のアドバンテージを活かして主人公が活躍し、前世では手が届かなかったヒロインとの距離を少しずつ縮めていく。最終的にはかなり距離が近付くものの、やはり運命の相手ではないとお互いが気付き、それぞれの道を歩く。最後まで行為はしない)というものだったが、俺は小説情報の数字と一部の不満の声に影響され、(主人公とヒロインが急激に距離を縮め、行為を行う。その後すれ違いかけるが、告白によって二人の仲が戻っていく)というストーリーに変更した。
そして、ストーリーを変えた瞬間、キャラクターが意志を持ったかのように自分で動き始め、気付けば俺の考えていたものと全く違う展開に進んでいた。
気付けばブックマークは1,000件を超え、日間ランキングでは2位まで浮上していた。
――
「トンちゃん、最近疲れてる顔してるけど、大丈夫?」
「ああ……」
小説を書き始めてから二週間が経過した。夜遅く寝て、朝早く起きるスケジュールを続けた、俺の疲労はついに外側に漏れ始めていたのだ。
とは言え、やっていることはR18小説の執筆。妻には何をしているのか、言えるはずもない。
昨日はついに主人公とヒロインが行為に及んだ。今までなら言い訳も出来たが、これでいよいよ人には言えなくなった。
更に、行為の後に、ヒロインが俺の思惑を超えて行動を始め、『ちょっとしたすれ違い』どころか完璧にすれ違っていってしまう。この後の展開は俺の頭にはない。キャラクターに任せるのみだ。
――
俺の小説を書くスピードはどんどん落ちていった。執筆当初のスピードで物語を完成させることが出来ない。それに伴い、ランキングの順位もどんどん落ちていき、結局一位を取ることは出来なかった。
それでも俺は、楽しく小説を書いていた。
展開を曲げたことにより、物語の筋を通すのに大分苦戦したが、何とか綺麗な形に持ってくることが出来た。
『俺、彩子のことが好きだ』
『私も、和博のこと、好きだよ』
書き上げた小説を投稿し、『俺も現実でこんなこと言われてみたい』なんて妄想をしていると、凄い勢いで妻がドアを開けて俺の部屋に入ってきた。
「――やっぱりね。最近おかしいと思ってたんだ」
「な、なんだよ!急に入ってくるなよ!」
「いいから。そのパソコン見せなさい」
「い、いや、仕事だから」
「仕事じゃないでしょ?隠し事する気なの?」
「違う、見せるようなものじゃないから――」
「『ラプソディノベルズ』?投稿?……トンちゃん、もしかして、小説書いてたの?」
俺の秘密は、あっさりと妻にバレた。
――
「これ、読むからそこで正座してて」
「あの……。勘弁してもらえませんか」
「無理。コソコソやってたそっちが悪い」
妻は『あの時、ああしていたならば』を読み始めた。
「この和博って主人公、トンちゃんのことなの?」
「違う……」
「そうだよね、エリートじゃないもんね」
「……」
「でも、途中で口調が変わってる。最初のエリートの時と性格が完全に違ってるけど、この性格変わった時の言動は完全にトンちゃん」
知らない人の感想に喜んでいた俺は、一番近い人間の素直な感想に怯えている。
「ヒロインの彩子は私がモデル?」
「それも違う……」
「へぇ~、私以外の女のこと考えて書いたんだ。別にいいけど」
「ゴメンなさい……」
「このエッチなシーンは何をもとに書いたの?私であっても、私でなくても、怒るけど」
「勘弁してください……」
「ふ~ん……。最近は私の相手しないと思ったら、小説では一日五回も?」
「読者が喜ぶかと思って……」
「中学生のはずの友人が、中身がおっさんのはずの主人公を説教してるけど?」
「そいつには年上の兄と姉がいる設定で……その影響で、小さい頃からヤングマ○ジンやヤングア○マルを読んでてマセている設定なんだ……」
「そんなのどこにも書いてないよね?どっちが転生者?」
「主人公です……」
「はぁ~~」
妻は大きなため息を吐いた。
「あのね、まず言いたいことはいっぱいあるんだけど」
妻は続ける。
「この小説、テーマは何?何を読者に伝えたくて、どんなゴールに持って行きたいの?まずR18のサイトに投稿してるのに、読者が期待しているエッチなシーン全然出してないでしょ?ニーズに応えられてないってことは、作品か届ける先が間違ってるよね?」
「そ、それは……」
「それに、キャラがブレすぎ。性格変わりすぎ。プロットはあるの?」
「頭の中には……」
「それ、ないのと同じだよ。忘れちゃったらどうするの?都合良く設定変えてたら、辻褄合わなくなるよ?」
「き、決まったこと書いても面白くないし……」
「それは完結させる力のある人が言う言葉だよね?大体、設定は他の人が使ってるテンプレものだし。あと、感想の声に左右されすぎ。耳を傾けるのは間違いじゃないけど、自分の作りたいものを曲げるのは違うよ。自分が面白いかどうかも分からないもの書いてどうするの?トンちゃんの作品が好きで読んでる人の感想は?そもそも感想書かない人の思いは?いくらショックだからって、自分を悪く言う人の意見ばかり受け入れてたら、そのうち誰も読んでくれなくなるよ」
「う、うるさい!一体何が分かるって言うんだ!!」
妻は俺を見ると、無言で自分の携帯を取り出す。
「……?『小説家になれる』?このサイトがどうしたんだ?」
妻は無言でログイン操作する。
「えっ……。まさかこのアカウントは」
妻が見せてきたのは、ランキング上位を獲得している恋愛小説の作者アカウントだ。無論、俺も読んでいる。
「これ、私のアカウント。私も書いているから、さっき言ったことくらいは私にも分かるよ」
「!!」
「ちなみに、異世界転生もタイムリープもしてないよ」
オリジナリティでも負けている。R18でテンプレをなぞっていた俺は死にたくなる。
「あと、この主人公のモデルは、トンちゃんね。ヒロインは私」
「え?」
非常に甘酸っぱい恋愛ストーリーだ。まさか主人公が俺だったとは。
でも言われてみると、主人公の言動や行動は俺が昔やってきたことのような気がする。
「小説書いてるとね、キャラクターがどんなこと考えて、どんな行動するかばっかり考えるんだ」
「……それは分かるかも」
「だからね、トンちゃんが何考えて、何やってたかも何となく予想は付いてたんだ」
「!」
「でも、楽しそうだったし、私に言ってくれれば良かったから、しばらく様子を見てたんだ。でも、どんどん疲れてくし、書いてたのは普通の小説じゃなくてエッチなやつだし」
「……」
「私、毎日トンちゃんのこと考えてたんだよ」
「~~」
「私も『小説書いてる』なんて言ってなかったから、お互いで秘密にしちゃってたみたいだけど」
妻は笑顔で言った。
「これで、二人に秘密、なくなっちゃったね?」
そう、妻の小説のヒロインは、主人公にベタ惚れなのだ。
普段はそっけない妻だが、こんなことを考えているなんて。
確かに俺には言えないだろう。こんなに俺のことが好きだなんて、恥ずかしくてとても本人には言えない。
「ねぇ、ヒロインのモデル、本当に私じゃない?」
「……ゴメン、さっきは嘘ついた」
「この主人公、彩子のこと大好きだもんね」
小説の中のヒロインのイメージと同じく、小悪魔のような顔をして笑う妻。
俺も自分の作品の主人公のように、顔を赤くして妻を見る。
「私も、トンちゃんのこと、好きだよ?」
俺の書いた小説のセリフをイタズラっぽく言う妻。
妻の秘密は俺に、俺の秘密は妻にバレた。