化物
私は化物が見える。
さらに言えば、人間は化物が見える。他人には見えない自分だけの化物が。
昼下がりの公園に、バス停のベンチに、家の庭に、学校の廊下に、マンションの屋上で。
一つ目、二つ目、三つ目、四つ目。一度だけサイコロの目のような六つ目を見たことがある。異形の化物は、いない。いるのかもしれないけど、見たことがない。あるいは他の人は頻繁に見ているかもしれない。一様に人型で、目や腕が多かったり、毛深かったりするだけであまり『化物』らしくはない。
化物たちには口がある。だから話そうと思えば話せるのだが、そもそも化物たちに話す気はないらしく、話しかけても適当な返事しかかけてくれない。お母さんによると色仕掛けも大した意味はないらしい。したのだろうか。
この日、私は空き地で仰向けに寝転んでいる化物の顔に落書きをしていた。
ニコニコマークがたくましい顔の頬に書き添えられているのを確認すると油性ペンを筆箱にしまって立ち上がる。化物が飽きもせずに見続ける空を見上げると、綺麗に澄んだ青空が見えた。
「またね」
化物は返事をしなかった。
授業が終わるのと同時にチャイムが鳴った。
終われば帰る。それは道理で、当たり前のことで、いつも通りの日常だ。けれどその日の私は帰れなかった。化物が教室にいて、私はその化物から目が離せなかったのだ。
私は美しい化物というものを初めて見た。
右肩から生えた腕は二本で、足も関節の形や筋肉の具合が人間とまるで違っていて、当然服なんてものは着てなくて、その上美しい化物は体毛も薄かった。いや、ないと言った方が正確だ。美しい化物に体毛なんて余計なものはなかった。
私は教卓に座るその美しい化物に一人で見惚れていた。
そのあいだずっと、人間の声も姿も意識の向こうにあった。音も気温も地球という環境から突然飛び出したような、突然目の前の美しい化物と二人きりの空間に閉じ込められてしまったような錯覚に囚われた。
金縛りに近いかもしれない。言葉も、触れたり嗅いだりすることも必要ないとばかりに、ただ、今見ていられるということに深く感動しているというばかりに。それはまるで少し身体を動かしてしまえば今、目の前にいる美しい化物が消えてしまうという強迫観念に取りつかれているようなものだった。
その化物は他の化物と違うところは、美しいというそれだけのことだった。
言葉も喋らず、微動だにせず何かをジッと見続ける一種の置物のような他の化物たちと何も変わらない。たまたまその化物が美しく、かつ机に座っている私を見ているというだけのことだ。
けれど私は動けなかった。
見惚れて、あるいは金縛りにあって、あるいは強迫観念に取りつかれて、あるいは、あるいは動きたくなかったのかもしれない。美というものを体現したような化物を目の前にして決して美しいとは言えないような日常に戻ることを忌避したのかもしれない。
私はあの瞬間、あの美しい化物を見続けて死んでしまいたかったのかもしれない。
結局、私は教室の机で一人座り続けて餓死なんてことにはならず、仲の良い友達に話しかけられ、現実に舞い戻った。少し冗談を言い合った後、ふと教卓に座る化物に目をやると、ついさっきまで見惚れていた美しい化物は、他の化物と変わらず一点を眺めつづけているだけだった。翌日、学校に来るといつものように美しい化物は他の化物と同じく姿を消していた。
日常に帰ってきたのだ。
あるいは日常に帰ってきてしまったのだ。
頭をわずかによぎった考えはそれきりで、美しい化物を見たのも結局それきりだった。