足の動かない私
私は下半身がない。――実際にはあるのだが、動かないのでないと同意義である。
原因は、交通事故だ。私は車に轢かれそうになった子供を助けた。その代償として、私は足を失った。その子の親が泣きながら謝りに来てくれたりしてくれた。高校生でありながら下半身を動かせなくなった私に対して申し訳ないと何度も謝ってきた。
――別にいいのに。
私は、謝罪や感謝など求めずに助けた。
私は自分なんてどうでもよかったのだ。ただひたすらそこに存在して、生きる意味などない私は傷ついても構わない。そう思っているから、助けることができた。
あるいは、助けることで私という存在が必要だったということを証明したかっただけなのかもしれない。下半身不随になり、それを証明できたかは曖昧なところだが。
そして、私は二十歳になった。
助けた男の子は中学校二年生になった。あれから子供っぽい性格だったのが大人になり、私の元にいつも通うようになった。時には友達を連れ、親を連れて。
「奏多さん。本当に、ごめんなさい」
「……会いに来るたびに謝らないでよ。私は気にしてないんだからさ」
私だって何もできない自分が嫌いだった。
こうして人の命を救えたからこそ好きになれるってものもある。
「僕、車いす押すよ。たまには外に出ないとね」
「いいの? 私運動出来てないから太ってるよ?」
ずっと寝たきりだから筋肉もろくに動かせておらず腕以外は動かせる自信はない。
もう慣れたけどね。歩けない生活にも。
「大丈夫だよ。僕柔道部に入って毎日筋トレしてるから」
「そうか。なら安心だ」
「ちゃんと医師の人にも許可取って病院外に行けるようにしたから……僕の中学校来てよ。僕が部活しているところを見てほしい」
「柔道しているところ?」
「うん。奏多さんに見てもらいたい」
そう言われながら車いすを押され、病院の外に出ていく。
数週間ぶりの外。新鮮な空気が肺の中に入り込んでくる。たまには外に出るのも心地よいものだ。自分一人では外に行けないから、新鮮なものだったりする。
私がこうなってから早五年。高校一年生だった私は高校を中退し、ずっと病院生活を続けることになった今、友達は助けた男の子とその母親だけ。中学の知り合いもたまに顔出しに来る程度だ。
私の生きる意味は、もう、ない。社会の役に立てることも、誰かの役に立つことも、できやしない。私の親や病院側にとってはたんなる穀潰し。無駄に病室を使い、無駄にお金を使うだけの存在。
こんな私に、生きる意味なんてあるのかは、甚だ疑問である。
懐かしい母校。
私は、数年ぶりに訪れたような気もする。五年も経ったから知っている先生などいないんじゃないだろうか。それともしっている先生が教頭や校長になっていたりするのだろうか。
私は押されて中に入ると、知っている先生の顔が見えた。少し、嬉しい気分になれた。
知っている先生だけではなく、初恋の男子も来ていた。
「あの人が気になる? あの人は校長だよ。今年来たばかりなんだ」
「そうなんだ」
私の時は教頭だった人だ。偉くなったものだなあ。
すると、校長先生がこちらを見る。目があったような気がした。
「校長先生と話すの?」
「うん。ちょっと話したい」
「わかった。向かおうか」
玄関のスロープを車いすで登り、職員室まで向かうと、初恋の男の人が私に近づく。
「代わるよ」
と、男の子に行って車いすの操作を代わっていた。
「校長。こいつが奏多ですよ」
「奏多くん……! 話には聞いていたけど、もう、下半身は動かないのかい?」
「はい。もう、永久的に動かないんです」
私は笑ってみせた。そんな深刻な問題じゃないと、言い聞かせるために。
私にとっては問題はない。周りに問題があるから、動けないのは嫌だ。なにもできないから、何もなせないから。周りは障碍者である私に厳しく接するだろう。働くことなんて無理だろう。
何もできない自分がますます嫌いになる一方だ。
「…………」
「……校長。何か言ってくださいよ」
「…………」
教頭…もとい、校長は言葉を失っているようだった。昔から生徒想いの先生だから、私の境遇を憐れんでいるのだろう。私にとっては笑い話にでもできるくらい気にしてはいないのに。
「…………」
「校長」
「あ、ああ……。残念、というべきなのか、災難だったというべきなのか。私にはかけるべき言葉が見つからない。できることなら、代わってあげたいものだよ……」
「ははは、そんな深刻にしなくても大丈夫ですよ。これは名誉の傷ですからね。人を助けた証です。人の命のためなら足の二本は軽いものじゃないですかねははは」
命を失うことより足を失うほうがまだましなはずだ。
たとえ生きていると言えなくても、存在自体はできるのだから。この世に存在したという証を少なくとも一人には残せているのだから。
「……いつ、足を動かせなくなったんだい?」
「中学を卒業して、高校生になってすぐの時事故に遭って」
「……そうかい。高校の友達も、できなかったことだろう」
「中退しましたからね。親には申し訳ないですよ。入学費を払ってもらっているのに結局やめてしまって。治療費は運転手さんが払ってくれていて入院費もそこにいる男の子の親と私の親で出してくれていて……私のせいで結構迷惑かけてますから、私のほうがちょっと申し訳ないですよ」
「そ、そんなことない! 僕が悪かったから……!」
「うんうん。わかってるって。校長の教育がいいのか優しく育ってますね。いいことです」
「何を偉そうにいうか」
校長は苦笑いを浮かべ私のおでこを小突く。
今のこの空間は、大事にしたいものであった。
「……奏多。無理してないか?」
「無理って?」
「……してないならいいんだ」
と、初恋の男の子はまた黙ってしまった。
結局、何が言いたかったのか、何を聞こうとしているのかはわからなかった。いや、わかろうとはしなかった。わかりたくもなかったのか、本能がわかることをやめさせたのかもしれない。
私の中の本音が、隠そうと画策しているのだろう。
強がりの部分か勝っているのかもしれない。本当は辛いはずなのに、自分でもその部分を見せたくない。プライドの問題……かもしれない。
「奏多くん。この学校を見て回るといいよ。エレベーターもあるから、移動が楽だろう。部活とか顔出すといいさ」
「はい。そうさせてもらいますよ」
「私は、校長室にいるから、いつでもおいで。歓迎するよ」
「はい」
エレベーターに乗りまず向かったのは校舎の三階。私たちがともに学んだ教室がある。
3-Cと書かれたプレート。黒板にチョークで書く音が響いていた。補習だろうか。ひょっこ理顔を出してみると、なんだかまた、知った顔の人。
親友だった。私の中学の親友が教壇に立っていた。胸には教育実習生と、つけて。
「で、ここの発音は……って、お客さん? どうぞー。そこで見てないで中に入ってきても大丈夫ですよ」
そう言われたのでドアを開ける。
私は、初恋の人に押されながら、教室に入ると、補習を受けていた生徒と教えていた先生がこちらを向いた。
カンっ!
固い音が、聞こえた。チョークが床に落ちた音だった。
「……奏多?」
「うん。そうだよ。奏多だよ」
「か、か、奏多あああああ!」
生徒の目を気にせずに抱きついてくる親友。
泣きじゃくり、私を抱いて離さない。そういえばしばらく会っていなかった。高校も別で、私のお見舞いにも血度も来なかったから、五年ぶり、ということかな。
「お久しぶり! 元気にしてた!? 私は寂しかったよ! うわああああん!」
「こらこら。先生がそんなに泣いてちゃ先生としての手本になれないでしょ。ほら、ピシッとする」
「う、うん」
親友は泣き虫で弱虫だった。いつも私が元気づけていたような気もする。昔みたいなやり取りに、少し笑ってしまった自分がいる。
懐かしい。親友とは、今でも仲良しだと思えた。
「奏多は……変わらないね。身長が縮んだくらいか、な?」
「違うよ。縮んでないよ」
「え、じゃあなんで私の胸くらいまでしか高さがないの?」
「相変わらず鈍いねえ。私の足を見てよ」
「足?」
親友は私の足に視線を向けると、口をあんぐりと開けていた。
驚いて声も出ないようなのか「こ、ここここ」と何を言っているかわからない口調でまくしたてる。言葉にならないというものなのだろう。
初恋の人が落ち着けとなだめ、すーはーと深呼吸をしていた。
「すー、はー……。ふう。落ち着いた。で、でさ、こ、ここ、これ、なに? な、なんで車いすに……?」
「私ね、下半身が動かなくなったの」
「ええ!? な、なんで!?」
「事故だよ。五年前、事故に遭ってそれから足は永遠に動かなくなりました」
「じ、じじ、事故……?」
「うん」
慌てている彼女。
昔そのままだ。よく昔は慌てていた。先ほどまでは立派な教師に見えたのだけれど勘違いだったみたいだ。親友は昔のまま。何も変わらない。本質は同じ、ということなんだろうな。
心の奥底にあるものは変わったりしない。それを見抜けるから変わらないななんて笑える。
だけれども、それ以上に大きな衝撃があったら変わったりしていないというのは見抜けない。集中が衝撃のほうに向いてしまうから。
私は、気づいてもらいたい。変わっていない、ということに。
だから、この足が嫌いだ。動かない足が嫌いだ。
親友にも出会い、柔道部の部活にも顔を出し、下校する時間が迫っていた。
私は夕日に染まる後者の屋上で、一人にさせてもらっていた。今日、気づいたことや思うことがたくさんあったから。
私は変わらないということに気づいてもらえず、また、まだ、心のどこかでは諦められない自分がいる。
足が動いたら、今ごろせっせと働いているのだろう。社会貢献のために、親のために、自分のために。親は厳しかった。自分のことは自分でやれと育てられてきた。
でも、今はその育てに背いている。
働くこともろくにできない。自分のことを自分でやれていない。それが悔しい。
ましてや、社会貢献なんて出来てはいない。私はたんなる穀潰し。
――私という存在は、もういらない
昔からそう思っていた。
私自身が下す主観的評価だ。私という存在は、役に立てない不必要な物体はもう、この世に入らない。金も稼げずに、ただ、ただ、無駄に浪費させていく。人の足かせとなっていく。
――そんなのはごめんだ。
「死のうかな」
私が死ねば入院費も払う必要はない。
たくさんの人が悲しむだろうが、私という存在に気付いてくれないから、それほど傷つかない。私という存在を見抜くことができない人間と私は、分かり合える気がしない。親友も、初恋の男子も、校長も、みーんな私に気づかない。
気づけば、私は屋上の檻につかまっていた。
腕の力だけで自分の体を持ち上げる。
ちょっと風が気持ちいい。そう思えるほど心はちょっと余裕はあった。これから死ぬ、ということなのに、怖くもないのはなぜだろう。割り切れているのだろうか。未練は本当にないのだろうか。
いや、ないから、清々しいのかもしれない。結局、本当の私を見つけられなかったからこそ清々しいのだろう。
私は、檻から身を乗り出した――
「バカかよ……! やっぱこうすると思ったぜ……! お前なあ……!」
私の足を掴んでいたのは、初恋の男の子。
両手で私の足を掴んでいる。その後ろには助けた男の子、親友、校長がいた。
私は、四人の手によって引き上げられた。
「バカ! なんで……なんで自殺なんか――!」と親友。
「初恋の人だから、考えも読めるっていうのか。すごい、な」と校長。息を切らしている。
「そ、そこまで、お、追い詰められていた、の?」と男の子。
私のことを心配してくれているようだった。
「バカ! お前なあ……! 勝手に死ぬなよ!」
と、頭にゲンコツをくらわされ、私は地面に倒れこんだ。
初恋の人の目には、涙が溜まっている。
「お前、何考えていたか話せ! 拒否権はねえ!」
と、肩を揺さぶってきた。
それに安心した自分がいるのか、すんなりと口から、本音が湧き出ていた。
「私という存在に、誰も気づかない。私は、人の足かせとなるだけの存在。その存在は、もう、いらない。この世には、いらない」
私の頬に、涙が伝っていった。
一粒、また一粒と止まらずに、あふれ出してくる。助けてくれて、ありがたいのだろうか、それとも、気づいてもらえたと、思ったからだろうか。
――多分、両方だ。
「でも、もうしない。気づいてくれた。足かせとなっている私でも生きていることを認めてくれた」
私は、励まされたような気がした。
あれからというもの、私は病院でパソコンを使って働いている。
ネットの広告を作る仕事。独学で学び、パソコンを購入してもらい、仕事を始めた。もちろん、入院費として払っていて、そして、余ったお金は親と助けた男の子の親に返済していっている。最初は男の子の親は頑なに受け取ろうとしなかったけど、無理やり押し付ける感じに毎回渡している。
……少しは社会貢献できているのかな。
不安にも思う。けど、やるしかない。
これを提案してくれた初恋の人に感謝しないとね。
「さて、やりますか」
私はパソコンを起動した。