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第9話 希望に囚われ

「ひとまず、これでいいんじゃない?」

ミラの住居である小屋の中、仕切りのカーテンの向こうから現れた少女を見て、ヴァルは、やはりミラに任せて正解だった、と思った。

少女の体は丈の長い上着に包まれ、艶やかな髪は少々サイズが大きい帽子とフードで隠されている。

あまり他人に興味を持たない、或いは他人を観察している余裕などない『海』の人間達なら、これで十分少女を見逃すだろう。

少女は物珍しげに、しげしげと自らの格好を眺めている。少女の生きていた時代とは服のデザインも素材も異なるのだろう。

「……よし、じゃ、飯でも食いに行こうぜ。腹減った。ミラだって最近ロクに食ってねえだろ。ここはひとつ、『鯨』様の奢りってことでどうだ」

トーレムの提案を聞いて、ヴァルは空腹感を思い出した。

よくよく考えれば『空』から落ちた時以来、半分眠り続けて過ごしていたが、その間、何も口にしていない。

自らの異常な状態に気づいたヴァルであったが、同時に、生きているのだから問題ないだろう、と片付けることにした。

ヴァルには点滴を始めとした医療の知識は無かったし、無口な少女に説明を求める気にもならなかった。そして、分からなくてもいいことを考え続ける気力も、空腹感の前には消えていた。

「俺も腹減った。けど金が無いんだ」

ヴァルは、視点を目の前の問題、現在のヴァルがほぼ無一文だということに戻す。

自分の居住地としていた部屋に戻れば、多少の工具がある。あれらを売れば多少は金になるだろうか、などと考え始めたヴァルに、トーレムは大きなため息を吐いた。

「そういやそうだったな。あーあ、仕方ねえなあ。俺が出してやるよ」

「あら、今日は天気が崩れるのかしら」

「んなこと言ってると、お前の分出さねえぞ、ミラ!」

ミラのように言葉に出しはしなかったが、ヴァルもトーレムの言葉に驚いていた。トーレムはあまり、他人のためには財布を出さない。

そんなヴァルの視線に何か思うところがあったのか、トーレムはどこか気まずげに、取り繕うように言葉を発した。

「ほら、なんだ、ヴァルにはこの間奢ってもらってるしよ。……これで貸し借り無しだからな、『鯨』!」

トーレムの態度を照れ隠しと解釈したヴァルは、溢れる笑みを抑えることもせずにトーレムに了承の意を伝えた。

そんなヴァルを少々苦い顔で見やったトーレムだったが、ミラに促され、半ば押し出されるように外に出ると、いよいよ盛大なため息を吐きつつ肩を竦めるのだった。




第9話~希望に囚われ~




「ほらよ」

「悪いな」

「おう。これで貸し借り無し、だからな。忘れんなよ?」

ヴァルはトーレムから食事を受け取る。

受け取ったのは、『海』で一般的に食されているジャンクフードだ。『陸』から払い下げられた古い小麦粉で焼いた薄いパンに、合成肉の切れ端や安い工業野菜を挟んだ、文字通りの『ジャンク』フードであるが、『海』の食事としては十分な代物だと言わざるを得ない。

「君も。どうぞ」

食事をヴァルから受け取った少女は、物珍しげにジャンクフードを見つめる。目を瞬かせながらも見つめるばかりで、食べようとはしない。そんな少女を見て、ヴァルは少々不安に思った。

古代の人間がどのような生活をしていたのかは分からないが、少女の格好や健康状態を見る限り、そう悪い生活はしていなかっただろうと推察できる。

この少女にこのジャンクフードは、粗食に過ぎるのかもしれない、と。

「ん?食わねえなら俺が食っちまうぞ」

だが少女にトーレムが声をかけると、少女はトーレムを見、トーレムが半ば食べ終えているジャンクフードを見て、それから少女自身もジャンクフードに齧り付いた。

一口一口が小さく、どこか小動物めいた仕草で、しかしひたすらに食べる。

脇目も振らず、只々ジャンクフードを齧り続ける少女の様子を見て、ヴァルは安堵する。

「美味しい?」

ミラが少女に尋ねると、少女はこくり、と1つ頷いた。




食事を終えた後、バラック街の中ほどで、ヴァル達はトーレムと別れた。

「忙しそうだな」

「また『陸』に行くのかもね。とんだ命知らずだわ。どこかの『鯨』よりはましだけれど」

悠々と歩き、廃材の陰に消えていくトーレムの後ろ姿を見送って、ふ、とミラは息を吐いた。

「ねえ、ヴァル。あなた、『陸』に行ったのよね」

「え?ああ」

ミラは目を伏せて、逡巡するような素振りをちらり、と見せた。だが一瞬後には努めて明るい声で話す。

「『陸』って、どんな所だった?綺麗な所?便利な所?人は?皆、この子みたいに綺麗なの?」

伏せられていた目は、至極当たり前にヴァルを捉えていた。いつものように。或いは、昔のように。ヴァルの好奇心を受け止めて、ミラの瞳もまた、好奇心に似た色を浮かべていた。

「『陸』は……うーん」

ヴァルはミラの瞳に応えるように、言葉を探して、当て嵌めていく。

「綺麗な所、だった、な。確かに。壊れても汚れてもいない。ありあわせでもない。建物にガラスが使われてた。それから、植物が生えてた。たくさん。食う目的じゃなくて、見る目的の奴」

ミラは、言葉を尽くしても伝えられないのであろう光景を、ヴァルの言葉から手繰り寄せる。

整って美しい世界。自分が見たことのない世界は、きっとあまりにも美しい。『陸』の様子を語るヴァルを通して、ミラは『ここではないどこか』を幻視した。あまりにもヴァルが、楽しそうに語るので。

「でも、人は……綺麗、っていうか、まあ、綺麗は綺麗だけど。この子みたいな人は、他に居なかったな。ああ、でもトーレムが入ったら少し浮くだろうな、っては思ったか」

「……そう」

ミラは少女を見る。

少女もまた、ミラを見返す。ターコイズブルーの瞳がミラを真っ直ぐに捉える。

「『陸』って、そういう所、なの」

『陸』の中でも特別なのだというこの少女の瞳があまりにも真っ直ぐ見つめてくるので、ミラは少女から視線を外した。


「……行ってみたいか?」

代わりにどこか遠い場所、ここではないどこかを見つめるようなミラに、ヴァルは問う。

問いに対し、ミラはやや緩慢な動作で首を横に振った。

「生憎だけど。私、どこかの誰かみたいな命知らずじゃないのよ」

ミラの言うどこかの誰かことヴァルは、むしろ生きているのが不思議な自分自身を思い出した。そして、堅実なミラの性格も。

ミラなら、どんなに『陸』の生活に憧れたとしても、危険を冒すような真似はしないだろう、とヴァルは納得する。

「あー……そうか」

「ええ。そうよ、『鯨』。私、あなたみたいに馬鹿じゃないの」

どこか突き放すようなミラの言葉に苦笑しつつ、ヴァルはふと、思い出すように、一番強く感じたことを伝えるための言葉を思いついた。

「あのさ、多分俺、憧れてたんだ。『陸』に」

発した言葉は、すとん、とヴァル自身の胸に収まった。ヴァル自身、言葉に納得して、そして、言葉によってはっきりしていく自分自身の思いを辿っていく。

「『海』じゃない場所には何かがあるんだろうって思ってた。それで、実際に見た『陸』には、『海』に無いものがいくらでもあった。でも、俺は『陸』に行きたかったわけじゃなかったんだな、って、分かった。『陸』見たら、益々『空』に行きたくなった」

ミラは黙ってヴァルを見つめ、言葉に耳を傾けていた。

「いや、行かなきゃならないって、思った。こんなきれいな世界が作れるなら、どうして『海』は『海』なんだ、って、神に、聞かなきゃいけない、って」

ヴァルは空を見上げ、『空』を見た。陽光に煌めいて遠いそれは、以前見上げた時よりも、実体を持って感じられた。しかし、現実のものと知った『空』は、益々遠くも見えるのだ。

そこに神が居るならば、さぞいけ好かない奴なのだろう、とヴァルは思う。ヴァルが今思う神の姿は、以前漠然と思い描いていたよりも人間に近かった。

「……でも、なんだろうな。トーレムが言ってたこと、今ならなんとなく分かるよ。俺が『空』に行っても、多分、何も変わらないんだろう。今回たまたま死ななかっただけで、犬死したっておかしくない」

零れた言葉は本心だった。

何も変わらない。今の生活も、世界も、何も変わらない。自分1人で変えられる事など、碌に無い。ヴァルは確かに、そう思い、思ったことを受け入れていた。

ヴァル自身、そう受け入れられた自分に驚いたが、それ以上に驚いたのはミラだった。

「なら」

縋るように上擦ったミラの声は、しかし、その先へ続かない。

「でもやっぱり俺はもう一度『空』を目指すよ」

ミラの視線の先には、絶望など欠片も持ち合わせていないように、笑みを浮かべたヴァルが居た。

ヴァルの視線の先には、例の少女が居る。

空を眺めていた少女は、視線に気づいてヴァルへと顔を向けた。

「どうせ『海』に居たって死ぬし、何も変わらないんだ。だったら『空』を拝んでから死んでやる」

少女のターコイズブルーの瞳の中に『空』の煌めきに似た光を見たような気がして、ヴァルはそんな自分を笑う。

「それにやっぱり、『空』に憧れるんだ。何かあるんじゃないかって、思いたい。……こんな世界なんだ、夢見たって、いいだろ」




『それしか無いから』。

ヴァルは以前、ミラにそう言った。その気持ちは変わらず、むしろ『空』へ近づいて、海へ落ちて、そして少女と出会って……より強くなった。

何かが『空』にあるような気がする。そんな曖昧な希望だけが、ヴァルの生きる意味だった。

道程の険しさを知って、希望の儚さを思って、それでもヴァルにはそれしか無い。生きる為に生きたくはない。面白くもない人生だったと振り返りたくない。

惨めな生活に命を溶かしていくのなら、希望を手繰って、一瞬で燃え上がって消えてしまいたい。

そう強く思うのは、希望を手に入れてしまったからだ。

古代のメカニカ。古代の少女。

『空』を目指して落ちた海の底に、『空』への希望を見つけてしまった。

だから『鯨』は古代の希望に絡めとられて、『空』を目指してしまうのだ。

不運にも。幸運なことに。そして本人にとっては極めて幸福なことに。


「……そう」

眩い陽光に目を伏せて、海風に煽られて乱れた髪を掻き上げながら、ミラは思う。

もし『陸』へ自由に行けたとしても、何なら、もし『空』へ行けたとしても、きっと自分は『海』に居るだろう、と。

だって鯨は空を飛ぶ生き物ではないから。




海辺でミラと別れ、ヴァルは少女と歩く。

「『海』はどうだった?」

一応問いつつも、これは喋らないかな、と、内心ヴァルは苦笑する。

少女は海中を出てから一度も喋っていない。いや、脳裏に直接声を送り込むようなあれを『喋る』としてよいのかはヴァルにも分かりかねるところであったが、とにかく、少女が一度も自分の意思を言葉で発していないということを、ヴァルはずっと気にしていた。

『海』に着いてから、誰が話しかけても少女からは視線や頷きが返ってくるばかりだった。

単に人見知りなのか、あの不思議な『喋り』方は、特定の条件下でなければできないことなのか。

考えていたヴァルの前に、ひらり、と少女が立ち塞がった。『海』に着いてから今までずっと後をついてくるだけだった少女の、意思が感じられる行動にヴァルは少々驚く。

『人が居た』

更に、少女の声が脳裏に響いたことにまた驚く。内容はともかく、少女の声が聞けたことをヴァルは喜んだ。

「ああ。こんな場所だけど、人は居る。でも『陸』の方がいい暮らしをしてるから……ここはあんまり、見て楽しくはないよな。ガッカリしたか?」

ヴァルの問いかけに、少女は首を横に振る。

明確に示された否定の意思に、ヴァルはどこか安堵し、そして嬉しく思う。

『海』に如何に希望が無かったとしても、ここがヴァルの故郷であることに変わりはない。例え気遣ってそう答えてくれたにせよ、古代の少女が今の『海』を見てがっかりしないでくれた、ということは、ヴァルにとって素直に喜ばしかった。

『私は人を見にきた。生きている人を見たかった。だからこれでよかった』

「そうか。……ならむしろ、『陸』の人間よりもこっちの方が、『生きてる』かもしれないな」

少女はヴァルの言葉に得心したように頷く。

『そう。生きている。人は意思によって生きるのだから』


そして少女はゆっくりと、瞑目し、それから目を開く。

再び開かれた少女の瞳は漫然とではなく、強い意志を伴ってヴァルを見据えていた。

『おまえは私の望みを叶えた。だから私もおまえを連れていこう』

ヴァルは驚いた。

少女の言葉と……少女が真っ直ぐに掲げた腕、その指先が示すものに。

「……『空』、に?」

指先は真っ直ぐ、遥か上空の『空』を指している。

『おまえがそう望むなら』

少女は微笑んだ。

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