第8話 再会
海を臨む『海』の一角。
1人の少女が海へ潜ろうとしていた。
しかしその長い髪からは水が滴り落ち、少女……ミラが既に海に入っていることを語っている。
「おい、ミラ!いい加減にしろ!」
海を見つめ、海へ向かうミラに、トーレムが声を張り上げた。
「いっくらヴァルのメカニカのパーツ拾ったからって、ヴァルが見つかる訳じゃねえんだぞ!それにもし見つかったって……もうヴァルが消えてから何日になる?な、諦めろ、ミラ……」
ミラは何も言わず、黙って海へ潜る準備を続けた。この日何度目になるか分からない潜水に向けてメカニカ・フィンの確認を行う。
「なあ、ミラ。お前、一体何時間海に潜ってる?規定時間の意味ぐらい、知ってんだろ」
カシャカシャ、とメカニカ・フィンが音を立てて起動した。正常に動くそれを見て、ミラは黙って、海へと歩き始めた。
「ミラ!待てよ!」
遂にトーレムは言葉に留まらず、行動に出た。ミラの細い腕を掴み、海へ向かう彼女を止めようとする。しかしミラは、するり、とトーレムの手を振りほどく。それでもトーレムはミラに追い縋ろうと、更に手を伸ばした。
「っ!」
そのトーレムに、ミラの中段蹴りが入った。
振り向きざま、滑らかな挙動で突くように放たれた中段蹴りは、ミラの十八番であった。ミラはこういった手合いの対処によく慣れている。この程度の事が出来ずに若い女が1人で生きていける『海』ではないのだから。
「……ってめ、え……おい、ミラ……!」
蹴られた鳩尾と胸骨の間あたりを押さえ、トーレムは立ち上がる。しかしその間にもうミラは、海へと向かっていた。
ミラは廃材と屑鉄の崖に立つと、何の躊躇も、何の予備動作も無く海へと飛ぶ。
まるで身を投げるような挙動でミラは海へと沈んだ。
第8話~再会~
ミラがシータシアの一部を海の中で発見したのはつい昨日のことだ。
ヴァルが己を削るようにして組み立て、作り上げた珠玉のメカニカ。彼が『空』に焦がれて旅立った時、彼を助け、守っていたはずの。
それが残骸となって、海の中で見つかった。
見つかったのがごく僅かなパーツであれば、ミラも楽観的で居られたかもしれない。飛行に支障の無い範囲での破損があったか、或いはそもそもの勘違い、これはシータシアのパーツではない、と。
だが、幸か不幸かミラが見つけたのは、シータシアの頭部パーツであったのだ。それは確かに、シータシアのものであった。確かにあの日、このゴーグル越しにヴァルの目がミラを見て、ミラもまたヴァルの目を見ていた。
シータシアの頭部パーツが海の底で見つかる。これがどういうことなのか、分からないミラではなかった。
ヴァルが『空』へ向かった日から一週間が経つが、それでもミラは海へと潜り続けた。
あれだけ律儀に規定時間を守っていたミラが、規定時間を大幅に超過した。体力の続く限り海へ潜り続け、そしてその度にシータシアだったものの一部を持ち帰る。
しかし、シータシアの残骸がいくつ見つかってもヴァルを見つけることはなく、それ故にミラは海へ潜ることをやめなかった。
ミラは透明な水の中を泳ぎながら、内心でトーレムに謝る。得意の蹴りを見舞ってしまったが、加減はしたつもりだ。トーレムだって、伊達に『陸』と『海』で生きている訳ではない。なのにミラの蹴りを避けられなかったのは彼の落ち度であり……それだけ動転していたということだろうか。
そう思い当たって、ミラは自嘲気味に笑い、口元から酸素の泡を零した。そしてふと表情を無くす。
動転しているのは自分も同じだ。いや、ミラの方が余程、どうかしている。
しかしミラは、自身の異常さに気づいていながらも、海へ潜り続けるつもりだった。
異常だというならそれでもいい。
寿命が縮むとしても構わない。
ヴァルが死んだというならいっそ、一緒に死にたかった。
同じ海で。
ミラは息継ぎのため、水面へ顔を出した。
またすぐに水の中へ潜るつもりで、ごく浅く、ほんの一瞬だけ。
だがその一瞬の間に、ミラの目はありえないものを捉えた。
水面に浮かんでいる、否、自らの意思で浮いている、その姿を。
ミラは沈みかけた顔を再び水面に出し、大きく息を吸う。ひゅ、と空気を吸って鳴った喉が、震えるのを抑えて、叫ぶ。
「ヴァル!」
ミラの声に気づいたヴァルは、振り向いた。
そして、何もなかったかのように。本当に何も……死にかけたことも、海へ墜落したことも、そもそも『空』へ向かったことすら無かったかのように。ミラの記憶どおりの笑顔で手を振って応えた。
ミラはヴァルへと近づくべく、泳ぐ。そのまま平泳ぎしても良かったが、ミラは敢えて、再び海の中へと顔を沈めた。
涙が海に溶けて、都合が良かったので。
「ヴァル!」
ミラは海の中へヴァルを引きずり込まんとするかのように、ヴァルに勢いよく抱き着いた。
「うわっ、お、おい、ミラ!」
体勢を崩したヴァルは、飛びついてきたミラ共々、派手に水飛沫を上げて海へ沈む。
それでもヴァルはすぐに体勢を立て直し、ミラを引っ張り上げながら自分も海上へ頭を出した。
「おい、ミラ、どうし……」
ヴァルは少々水を飲んで咳き込みながら、ミラに文句の一つでも言おうと思って、しかし、口を噤んだ。
ミラはヴァルの胸に顔を埋めたまま、一言も発さなかった。
声を上げるでもなく、震えるでもなく。幼い頃からミラはこうやって泣く。ヴァルはそれを知っていた。
「……悪い、心配かけたな」
自分の胸に縋りついてくるミラの頭に手を乗せて、ヴァルはそれだけ言うことにした。
ミラは顔を上げることなく頷いて、しばらくそのまま、動かなかった。
不意にミラが海の中に沈む。
ぎょっとしたヴァルだったが、水面下でしなやかに泳ぐミラの姿を認めて、助けは必要無いと判断する。
数秒の後、やや離れた位置に顔を出したミラは、いつも通りの笑みを浮かべていた。
「おかえり。ヴァル。『空』には行けた?」
「いや……振られた。それも、割と手酷く」
「あは、やっぱり!」
旅立つ前の会話を思い出しながらヴァルが答えると、ミラはころころと面白そうに笑った。
「……でもその様子じゃ、私が慰めてあげなくてもよさそうね?」
笑いを収めたミラは、意地悪気なような、困惑したような、曖昧な笑みを口元に浮かべた。
ミラの視線の先には、例の少女が居る。
「ああ、この子は……」
ヴァルは一瞬、考えた。
ミラは信用できる相手だ。幼い頃から一緒に生きてきたのだから。
だが……だからこそ、ヴァルは真実を告げることをやめた。知ってしまったら、ミラまで巻き込まれることになる。
何かあった時、ミラには無関係でいて欲しいとヴァルは思った。
「この子は『陸』の子だ。ちょっと訳ありで」
よってヴァルは、そんな嘘を吐くことにした。
嘘とは言っても、信憑性は高いだろう。少女は『海』のものではない恰好をしているのだし、ミラは『陸』に詳しい訳でもない。それに、どんな嘘よりも、『海の底で目覚めた古代人』だと言う方が余程、夢物語じみているのだから。
「へえ。誘拐して身代金でも要求するの?」
「いや、そういう訳じゃ……」
戸惑うヴァルを見て、ミラは噴き出した。
「分かってるわよ。ヴァルがそんなことできる訳ないじゃない!」
明るく笑いながらミラはそう言うと、『海』の方へ向かって泳ぎ始めた。
「ほら、ヴァル、いつまで海に浸かってるつもり?あなたはまだしも、『陸』の子をいつまでも浸けとくもんじゃないわ」
ミラに言われて、ようやくヴァルは気づく。海に入っていることは体に悪影響しか及ぼさない。少女をあまり長く海の中に入れておくべきではない。それにここが死の海ではなかったとしても、泳いで疲労した体を冷やし続けるのは得策ではないのだから。
「……じゃ、行くか」
ヴァルは傍らの少女に言う。少女は一つ頷いて、ヴァルの後に続いて泳ぎ始めた。
「お前……ヴァル!?生きてやがったのか!」
瓦礫の岸に辿り着いたヴァルは、海から出るなりトーレムの歓迎を受けることになった。
バシリ、と強く背中を叩かれてヴァルはよろめきつつ、にやり、と笑って返す。
「おいおい、勝手に殺してくれるなよ」
「ははっ、中々しぶといじゃねえか、『鯨』!」
トーレムは至極嬉しそうに笑いながらヴァルを小突く。
そして手近な廃材に腰を下ろすと、笑いの残滓を残したまま大きく息を吐いた。
「……悪いけどよ、ヴァル。俺は本当にお前が死んだと思ったぜ」
「ああ、正直、俺もそう思った」
ヴァルは冗談でも誇張でもなく、素直にそう答えた。
トーレムはヴァルの返答を聞いて、肩を竦める。
「そうかよ。ならお前、一体どうやって生き延びたんだ」
「さあ。俺もよく分からないんだ。分かることは上手い事逃げ切れた、ってぐらいか」
「へえ。……で、あの子は?」
ヴァルははぐらかして答えるが、トーレムの視線はヴァルを外れて、例の少女を見ていた。
白い肌が陽光を眩しく反射する。淡く艶やかな金髪が水を滴らせて煌めく。『海』ではおよそ見られぬ美しい生き物。諸々の事情が無かったとしても、この少女の容貌だけでトーレムの追及は免れないだろうな、と、ヴァルは内心溜息を吐いた。
「『陸』の子だ」
「……どういうことだ?『陸』の?」
トーレムは眉を顰めて、真偽を問うようにヴァルを見るが、ヴァルの返答はもう決まっている。
「詳しくは言えない。訳ありだ、ってことで勘弁してくれよ。お前を巻き込みたくないんだ」
言い訳でもなんでもなく、紛れも無いヴァルの本心だった。
ミラもトーレムも、これから起こるであろう諍いに巻き込みたくはない。もしかしたらこの少女を中心とした渦は、『陸』や、果ては『空』まで巻き込みかねないのだから。
「……ミラにも言ってねえのか」
「ああ。言ってない」
ヴァルの返答に、トーレムは小さくため息を吐いた。ヴァルが嘘を吐いていないことはこのやりとりで分かっている。
トーレムは人の嘘を見抜くのが得意だった。否、人の心を覗くのが上手いのだ。そうでもなければ、『陸』と『海』を行き来するような危険な真似はできない。
そうして上手く『陸』の人間に媚びて、『海』の人間をあしらって、時には人の心を踏み躙るような真似をして生きていたトーレムだからこそ、ヴァルの言葉が本心であることを容易に察した。
そして、ヴァルに何をしても、ヴァルはこれ以上何も言わないだろう、ということも。
「そうかよ。なら仕方ねえな、聞かねえよ。俺だって危ない橋は渡りたくねえからな」
トーレムはそう言うと、これ以上の追及はしない、とばかりに両手を広げて見せた。
「そうしてくれると助かるよ」
ヴァルのほっとしたような笑顔を見て、トーレムは内心毒づく。……こいつはちょっとばかり『眩し』すぎる。
この『海』に居ながら汚れを知らないようなヴァルに侮蔑とも羨望ともつかない感情を抱きながら、トーレムは肩を竦めた。
「だが気を付けろよ?紳士なトーレム様はこれで済ましてやるが、他の連中が俺みたいにお上品だとは限らないからな」
「そうね。その通りだわ。だってこの子、とても綺麗なんだもの」
トーレムの言葉にミラも乗ってきた。見れば、ミラは少女と自分の体を真水で流し終えているらしい。ヴァルがトーレムと話している間に手早く済ませてしまったようだ。真水で体を流された少女は、きょとん、とした顔をしている。
その様子を見てヴァルは、益々不安になった。何せこの少女はあまりにも無垢に見えるのだ。
「少なくとも……この服じゃ、駄目。『陸』の人間だって言ってるようなものだもの。あとは、髪も帽子か何かで隠した方がいいんじゃない?」
ミラはそう言うが、ヴァルは自分の過ちに気付いていた。
男であるヴァルが、小柄でほっそりとした少女の体躯に合う服など持っている訳がない。
更に、ヴァルは『空』へ旅立つ前に、ほとんど全ての財産を使い切ってきたのだ。メカニカの欠片は全て売り払い、実弾銃やその他諸々の装備を調達するのに使ってしまった。
これでは少女を匿うのも難しい。ヴァルは自分の考えが浅かったことを悔いた。
だが、そんなヴァルを見て、ミラは少々大げさにため息を吐きながら申し出た。
「とりあえず、私の家に行きましょう。私のお古で良ければ貸してあげられるから」
「いいのか?」
「しょうがないでしょ。この子をいつまでも濡れ鼠にしておく訳にもいかないし」
ミラの申し出はヴァルにとって至極ありがたいものだった。
少女の世話を男の自分1人で担うのは難しい。女性であるミラが居てくれれば心強い。
「助かるよ。ありがとう、ミラ」
「貸しにしとくわ。後でご飯奢ってね?」
ヴァルが心から礼を言うと、ミラはウインクを1つ飛ばして明るく笑った。