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第6話 鳴動

 ヴァルは目を覚ました。

 そこは海の底であった。

 透明な水に差し込む光が薄青く、遠い海面に陰影をつけて揺れている。

 ぼんやりとそれを眺めていたヴァルは、ふと、異常に気付いた。

 海の底で呼吸をしている。




 第6話~鳴動~




 吐いた息は泡となって浮かぶのではなく、辺りに溶けて消えた。

 体を動かせばあちこちが痛んだが、それよりもまず、水の抵抗が感じられなかった。

 そして自身が半ば上体を起こす形で寝ていた場所は、海底の砂の上でも、鋼の欠片の上でもなかった。

 柔らかな素材で作られたそれの名前をヴァルは知らなかったが、『陸』でリクライニング・ソファとして知られるものとよく似ている。

 見上げれば海面が遥か遠くにあり、そして、ヴァルが居る空間と海は、小さな透明なドームによって隔てられていた。

 つまりヴァルは小さな透明のドームの中にある、ソファめいた物に寝かされていたのである。

 ヴァルは自分自身の体を見る。

 骨が折れ、内臓を傷つけ、腱が切れて潰れたであろうそれらは、ヴァルが予想していたよりも遥かにきちんとした形でそこにあった。体には布ともプラスチックシートともつかない素材の包帯が巻き付けられ、棒のようなものが添えてある箇所もある。

 また、体のあちこちから無数の管が伸び、横に置かれたメカニカや、そのメカニカに取り付けられているビニール・パックの液体へと繋がっていた。

 唖然とするヴァルの耳に、ぴこん、ぴこん、と静かな電子音だけが届く。なんとか首を動かして音の出処を見ると、そこには規則正しく波形を示すモニタがあった。

 ヴァルは唯一まともに動きそうな右腕をモニタに伸ばす。


 なんとか伸ばした腕が、途中で止められた。

「……え」

 ヴァルの腕を横から握って制したのは、細く小さく白い手だった。

 視線をそちらへやると、ヴァルの頭の方から、ひょこり、と顔が覗く。

 凪いだ朝の海のようなターコイズ・ブルーの双眸がヴァルを見つめていた。




「……人?」

 ヴァルの呟きに、答えは無い。

 ヴァルはただ自分をじっと見つめてくる瞳に戸惑いながらも、尋ねる。

 それは、ヴァルと同じくらいの年頃の少女に見えた。

 整った造形は表情に乏しい事もあり、作り物だと言われた方が納得できる、とヴァルは内心で思う。

 しかし、作り物だと言うには、余りにも出来過ぎていた。

 傷一つなく滑らかな白い肌も、長く生え揃う睫毛も、淡い金色をした柔らかそうな髪も、ひたすらにヴァルを覗き込んでくるターコイズ・ブルーの瞳も、微かな呼吸に合わせて動くその全てが、作り物だと言うにはあまりにも精巧であったのだ。

「君、は……一体」

 ヴァルは痛む喉から掠れた声を発して少女に問うた。しかし、少女は瞬きしながらやや、首を傾げただけで、やはり答えることは無い。


 ヴァルは、思う。

 ここが海の底であることはまず間違いない。透明なドーム越しに見えるものは、ヴァルが幾度となく見てきた海そのものである。

 だが、目の前に居る少女は、『海』の人間ではない。

 少女の服装は美しく、非実用的な印象を受けるものだ。『海』の『魚』達が着ているものとは違う。かといって、『陸』の人間達が着ているどんな服とも違った、見慣れないものであった。

 海の底に居る、『海』の人間ではない少女。

 目の前に居るのは、そういう人物であった。

 更に、ヴァルが寝かされている場所。

 透明なドームは、古代の本に記された、飛行機という乗り物の一部……風防、というパーツに近しい。

 そしてその『風防』めいた透明なドームの中にある、座席めいたもの。

 ヴァルが唯一なんとか動く右腕を少しばかり動かせば、近くに何か、メカニカの操作部のようなものが触れた。

 ……ヴァルが今、寝かされている場所。ここは、機能が生きたまま残る、大型のメカニカなのだ。


 海に沈み、機能が生きたまま残るメカニカ。そこに居る、風変りな少女。

 ヴァルはその可能性に思い当たり、恐る恐る、尋ねた。

「もしかして君は……古代の……生き残り、か?」




 だが少女の反応は芳しくなかった。

 ヴァルの問いかけに少女は答えることなく、僅かに微笑むばかりである。

 聴覚が衰えているのか、或いはそもそも、言葉が通じないのか。

 もし彼女が本当に『古代の生き残り』だったならば、言葉が通じないこともやむを得ないか。ヴァルが落胆する中、少女はじっとヴァルの瞳を覗き込む。

 そして少女は数度瞬きした後、唐突にヴァルの目を覆うように手を翳した。

「え、あの」

 唐突な少女の行動によってヴァルは視界を失った。少女の手に遮られ、少女の瞳も、海の底の風景も、何も見えなくなる。

 ヴァルは戸惑い、咄嗟に身じろぎする。だがその直後、ヴァルは硬直することとなった。

『おやすみ』

 ヴァルの耳に、いや、脳裏に直接送りこまれたように、声が聞こえた。

「……今の、は、君の……?」

 甘やかに住んだ、どこか幼さの残るような声。

 ヴァルはこの声が、今自分の目を隠している少女のものだと悟った。

 それと同時に、あらゆる疑問が湧く。少女は何者なのか。何故ここに居るのか。今の言葉の発し方は一体。

 だが、それらの疑問が質問となるより先に、ヴァルの意識は深海の如き眠りの中に落ちていった。

 元よりヴァルの体には休眠が必要であったが、それ以上に。

 少女の言葉に従わなければならない、と思ったため。




 ヴァルはそれから、浅い覚醒と深い眠りとを繰り返した。さながら、時折水面に顔を覗かせながらも、深い海に抱かれて揺られる鯨のように。

 ヴァルが目覚める度にヴァルの体を覆う包帯は減り、体に繋がれた管の数も減っていった。

 そしてそれらを確認し、それ以上意識が覚醒する前にいつも決まって少女の手がヴァルの目を隠し、『おやすみ』とだけ言い……再びヴァルは眠りの海に沈んでいくのだった。


 そんな曖昧な日々を送るある日、ヴァルははっきりと目を覚ました。




 ふと目を覚ました時、ヴァルの耳元でずっと鳴り続けていた音が止んでいた。

 特に労せず動くようになった首を動かして横を見ると、ヴァルに繋がれていたメカニカのモニタの出力が切られていた。ぴこん、ぴこん、と音を立てていたそれが沈黙している代わりに、ヴァルの周りで例の少女が動いては、静かに音を立てていた。

 ヴァルの体には今や、1本も管が繋がっていない。どうやら少女が片付けたらしい。

「俺の治療をしてくれたのは君だよな」

 ヴァルは上体を起こして少女を見る。体は難なく動いた。微かに痛んだり、体の表面が引き攣れたりする感覚はあったが、一度『空』から追われた体としてはあり得ない程の回復ぶりだった。これも古代の失われた技術によるものなのだろう、とヴァルは結論付ける。

「助けてくれてありがとうな」

 礼を言うと、少女は片付けの手を止めて、目を数度瞬かせた。そして、微かに微笑みながら、確かに一度、頷いたのだった。




 やがて、ヴァルの周りにあった治療用メカニカが全て奥の方へ片付けられてしまうと、改めて、ヴァルは自分が居る場所がどんな所かを知ることになる。

 操縦席だ。

 透明なドームに覆われたそこは、大きなメカニカの操縦席であった。

 そして座席の後方には若干の空間がある。人1人は乗り込んでいられるだろうか。

 奥の方には先程までヴァルの体に繋がれていた医療用メカニカが収納されている他、食料らしいものや寝具など、一通りの生活用品も備えてあるらしい。

「すごいな……」

 ヴァルは遠慮がちにそれらを見回して、ふと、最奥に見慣れない物が在ることに気付いた。

 それは、人1人が立った状態で丁度収まる程度の大きさの、ガラスケースめいたものだった。内部には液体が満たされており、ケースには何かのメカニカが接続されている。

 そのケースの形状とサイズを見て、ふと、ヴァルは閃いた。

「もしかして、君はあの中に?」

 ヴァルが今まで読んできた古代の本の中には、生きた人間を眠らせて長期保存するメカニカの存在が書かれているものもあった。あのケースが人を眠らせておくためのものなのだとしたら、海の底のメカニカの中で少女が1人、生きていることにも説明がつく。

 果たして少女はヴァルの問いを受け、頷いた。


 ヴァルは自らが希少な邂逅に恵まれた事を知り、畏怖とも感嘆ともつかない溜息を吐いた。

 あり得ない技術。あり得ない存在。それが目の前にある。

 胸が震える、とはこういうことか、とヴァルはどこか他人事のように思う。

 そしてそんなヴァルを、少女は首を傾げつつ見ていた。

「君にとってこのメカニカは当たり前なのかもな」

 今一つ意思の疎通ができない少女に、ヴァルは苦笑しながらそう言う。

 少女の正体は結局、あやふやなままだ。しかし、ヴァルにとって彼女は命の恩人であり……ヴァルが『空』に求めたものの一部であることは確かだった。

 ヴァルが『空』に求めたものの一部、未知への憧れが、少女の内に内包されている。

 そして、少女だけではない。

「このメカニカ、まだ動くのかな……動くと、いいな」

 今、ヴァルが搭乗しているメカニカ。

 海の底で眠っていたらしいこのメカニカに、ヴァルは微かな希望を抱いていた。




 目覚めてすぐ、或いは夢と現のあわいを漂っていた時から既に、ヴァルは自身の記憶と置かれた現状を繋ぎ合わせて、何が起きたかをぼんやり悟っていた。

『空』に触れた瞬間、弾かれた。その後、『陸』だけでない、『空』の猛攻をも受けて、シータシアは操縦不能に陥った。そして……『海』へ逃げようとしたヴァルは、途中で意識を失い、恐らく、シータシアはそのまま海の中へと墜落したのだろう。

 ヴァルが目覚めた時、既にシータシアは欠片たりとも残っていなかった。そもそも現在ヴァルが搭乗しているメカニカへは例の少女が引きこんでくれたのだろうから、その時には既にシータシアが失われていたと考えられる。

 ……ヴァルは一度、『空』から拒絶されたものの、『空』へ至る事を諦めた訳ではなかった。むしろ、より一層、強く『空』を求めていた。

 そんなヴァルにとって、シータシアの喪失は大きな痛手である。

 ヴァルは2年あまりかけてなんとか作り上げた、『空』へ至るための唯一の手段を失ったのだ。

 再び『空』を目指すのであれば、再びシータシア同様のメカニカを作り上げなければならない。だが、一度『陸』への不当な侵入を果たし、果ては実弾銃で街中を薙いだヴァルに、『海』においてさえも自由な時間が残されているのかは怪しい。果たして、再び『空』へ至るための手段を作り上げる事はできるのか。

 しかし、今は事情が違う。

 ヴァルが搭乗している、このメカニカがある。




 少女が1つ、頷いた。

「え」

 ヴァルは一瞬、何のことか、と思ったが、すぐに『このメカニカは動くのか』という問いへの回答だと思い至った。

「動くのか」

 確認するようにもう一度問えば、少女はもう一度、確かに頷く。

 少女の瞳が強くヴァルの瞳を捉えた。

 そしてヴァルの脳裏に声が響く。

『おまえがそう望むなら』

 少女はヴァルの手に自らの手を添え、メカニカの操縦席の傍らにある操作盤へ、触れた。


 その瞬間、海底が重く静かに震える。

 一度、大きく震えたメカニカは静かに起動して、淡い金色の光で以てして海底を染めた。長い眠りから目覚めた生き物がその生命を誇示するかのように。

 呆気にとられたヴァルの手が、少女の手によって動かされる。

 操作盤を離れた手は、操縦桿へと置かれた。

「……いいんだな?」

 ヴァルは少女に問う。少女からは微笑みと頷きが返ってきた。

 ヴァルは操縦桿を握る。操作の仕方も分からないまま、しかしヴァルは、少女の手によってではなく……自分自身の意思によって、操縦桿を引いた。


 太古のメカニカが長い時を隔て、目覚めた。


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