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第3話 出発、逆流

 翌日、ヴァルは部屋の整理をした。

 もし万が一……いや、ヴァルはその可能性が『万が一』より遥かに大きなものだと知っていたが……自分が死んだ時。或いは、死ぬより酷い状況になった時。

 その時のため、一応の死に支度はしてから出発しようと思ったのだ。

 尤も、ヴァルの部屋の荷物はそう多くない。

 シータシアを組み立てるためにメカニカのパーツは粗方使ってしまったし、それ以外はスペアを除いて全て換金してきた。

『魚』達は物をあまり多く持たないものが多い。何故ならば、何時『海』の毒が回って死ぬか分からないのだ。だからトーレムを初めとして刹那主義の者が多いし、そういった者達は物を貯めこむよりは、消費、浪費の日々、その日限りの暮らしを選ぶことが多い。

 ある意味、食料やメカニカの欠片を貯蓄しているヴァルは『魚』達の中では異端であったし、ヴァルもそれは自覚していた。

「『空』に行く前に死ぬわけにはいかないもんな、『陸』如きが何だってんだ」

 誰にともなくそう言ったヴァルは、散らばった工具の類を箱にしまい終えて立ち上がった。

 元々、物が多い訳でもなかった部屋が、更にがらんと広くなっていた。

 しかし寂しさよりも清々しさの勝る光景である。

「……よし、行くか」

 ヴァルは意を決するように、それでいてごく明るく軽く言葉を発すると、二度と戻らないかもしれない部屋をもう一度見まわしてから、部屋を出た。




 第3話~出発、逆流~




 部屋を出ると、朝日が水平線を金色に縁どっていた。眩い光に目が眩み、ヴァルは二呼吸程、立ち止まる。

 穏やかな風が海を波立たせ、ヴァルの髪を靡かせていく。心地よい朝の空気を感じながら、ヴァルは早めの足取りで海辺の一画へと向かっていった。


『海』は墓場であり、掃き溜めである。『陸』で不要になった物が『海』へ流れつく。

『海』はいわば、『陸』の浄化施設としての一面も持っている。

 廃棄物の処理施設、排水の処理施設も『海』にあり、『陸』で不要になった物が『海』へ流れつくようにできているのだ。

『海』で幸運にも『魚』の仕事をしなくても済む者達がそういった施設で労働して、浄化した物を『陸』へ返しているのである。

 下水処理施設もその1つだ。

『陸』から流れ着く汚水を浄化し、海へ流す。その一連の処理施設が『海』にはある。

 要は、『陸』から汚水を流すためのパイプが、『海』へと繋がっているということである。

 そのパイプを通って、汚水の中を逆流して行く。

 それが、今回、ヴァルが通るルートであった。


 ヴァルはやがて、気に入っている小さな入り江に到着した。そこにシータシアを準備してある。

 義肢とも鎧ともつかない、体より大きなメカニカ。ヴァルはシータシアを着るように、或いはシータシアに乗り込むように、メカニカと一体となった。

 手を握れば、メカニカの指先が自分の指先より遠い場所で動く。

 大きく腕を動かせばその通りにメカニカの腕が動き、歩こうとすればメカニカの脚がその通りに動いた。

 体全体が二回りほど大きくなったような、奇妙な感覚を覚えつつ、ヴァルは海へと向かう。

 下水処理施設は海に張り出すような形で存在している。侵入するならば海から入るのが手っ取り早い。ましてや、海を泳ぐことに関しては他の追随を許さぬ腕前のヴァルである。陸路より海路を取るのはごく自然な事だった。


「ヴァル」

 いよいよ海へ入る、という時、ヴァルの後ろから声が掛けられた。

 シータシアに乗り込み、顔が隠れた状態でもヴァルの名前を呼べる者はそう多くない。

「ミラ、なんでここに」

 ヴァルは振り返り、シータシアのゴーグル越しに少女の姿を認めた。

「トーレムに聞いた。……やっぱり行くの?」

「ああ。『空』に行って……神に、会ってくる」

 ヴァルの揺るぎない声に、ミラは力なく首を横に振った。

「神に会って、それで、どうするの?何かが変わるって、本当に思ってる?」

「さあね。『空』も『陸』も『海』も、何も変わらないかもしれないな」

「なら、どうして」

 言いかけて、ミラは口を噤んだ。

 幾度となく繰り返したやり取りだ。この次にヴァルが何を言うかも、ミラには分かっている。

「俺が行きたいと思うから。『空』も『陸』も『海』も変わらなくたって、俺を変える何かが、『空』にはあるって、俺は信じてる」


 ミラはやがて、諦めに似た、しかし別の何かを表情に滲ませながらヴァルに近づいた。

「……いいよ。行ってきなよ。どうせヴァルは『空』の神様に振られるから。それも、すっごく手酷く」

 ミラはシータシアの手に自分の手を添えて、いつもより更に高い位置にあるヴァルの顔を見上げる。

「……だから、帰って来たら慰めてあげる。よしよしー、って」

 そして意地悪気な笑みを浮かべると、ヴァルの胸をシータシア越しにやや強く叩いて離れる。

「だから、私に慰められに。帰ってくるのよ。絶対」

 ミラの強い視線を受け止めて、ヴァルはシータシアの内側で笑う。

「お前の事だから傷口に塩塗り込みそうだよな」

「ちょっと、人が折角親切心で言ってやってるのに!」

「はは、ありがとうな、ミラ。緊張がほぐれた」

 ヴァルはミラの頭にシータシアの手を乗せると、そのまま海へ向かっていく。

「絶対に!帰ってくるのよ!ヴァル!」

 ミラの言葉にヴァルは答えることなく、ただ、シータシアの片腕を軽く上げて応えただけだった。

 そして、ヴァルは海へと潜っていった。




 海の中、恐ろしく透明な水に囲まれ、その静寂と冷たさを味わう。ヴァルはこの海の冷たさと静けさが好きだった。寿命が縮むことはまた別の話だが。

 ヴァルはより静かな、冷たく暗い方……海の底を目指し、より深く潜っていく。

 一度海底近くまで潜ってしまえば、他の『魚』の仲間に万一にも出くわす心配は無い。

 ヴァルは海底を這うようにしながら泳ぎ、下水処理施設を目指した。


 シータシアの性能は確かだった。

 ヴァルは元々、海へ潜る時には手足にメカニカ・フィンを装備して潜っていた。ヴァルの『魚』としての腕と、メカニカ技師としての腕との両方があってこそ、ヴァルは海の深く遠くまで潜る事が出来たのである。

 だが、シータシアはそのメカニカ・フィンの比では無かった。

 腕の一掻きが大きく水を動かす。水を蹴れば、一気に前へ進む。余りにも意のままに泳げる。

 ヴァルは、古代の生物『鯨』もこんな感覚で泳いでいたのだろうか、などと思う。

 現代の『鯨』であるヴァルは、その腕の一掻きでまた大きく前進しながら、下水処理施設から海へ水を流す為のパイプの中へと入っていった。




 下水処理施設は大きく分けて3つのエリアに分けられている。

 第一エリアは、『陸』から流れてきた下水を集めて貯めておくエリア。

 第二エリアは、下水を浄化するエリア。

 そして第三エリアは、浄化した下水を貯め、適宜海へと流す為のエリア。

 ヴァルはこの水の流れを逆流し、海から下水処理場の第三エリアへと侵入したのだった。

 貯水槽に入った、と感じたヴァルは、水面の先もよく見えない状況から、恐れずに加速した。

 一気に迫る水面。水面を突き破る衝撃。

 そしてヴァルは、古代の鯨がそうしていたように、水面から飛び出て宙に舞う。

 派手に水飛沫を上げて宙へ飛んだヴァルは、水面の先の風景を見たその次の一瞬で動いた。

 貯水槽の上、作業員が点検作業をするために使うキャット・ウォークに向かて腕を伸ばし……掴む。

 曲芸じみた技であったが、ヴァルは難なくこれをやり遂げる。

 キャット・ウォークにぶら下がったヴァルは、そのままシータシアの腕を動かして、キャット・ウォークによじ登る。

 キャットウォークの上で体勢を整えたところで、ヴァルの耳に警報音が突き刺さる。

「第三エリアにて侵入者を確認。直ちに排除してください。第三エリアにて侵入者を確認。直ちに排除してください」

 抑揚の無い女性の声のアナウンスが添えられた警報は、言わずもがな、ヴァルを対象にしたものである。

 若干、予定よりも早い警報に舌打ちしつつ、ヴァルはキャット・ウォークを駆けて次のエリアへと向かった。




 第二エリアに入るや否や、下水処理施設の従業員達が光線銃片手に駆けつけてきた。

『陸』から支給されている光線銃は『陸』の人間を害することが無いように設定されているものだ。だが、『海』の人間には当然のように牙を剥く。

 シータシアの装甲を掠めて、光線が飛ぶ。

 恐らく、彼らも初めて光線銃を発砲したのだろう。下水処理施設の従業員は慣れない様子で、どこか引き金を引くことを恐れるように……しかしそれでもヴァルを狙って数度、光線を飛ばしてきた。

 だが、この程度の対策をしていないヴァルではない。

 この時の為に購入した防護フィルムは、存分にその役割を発揮した。防護フィルムがある以上、少々は光線銃のダメージを受けるに至らない。

 ……ならば、一気に突っ込んだ方がいい。

 ヴァルはそう考え、光線を避けることもせず、一気に突っ込んでいった。


 概ね、ヴァルの判断は正しかった。

 見知らぬメカニカの塊が突進してくるのを見て、従業員達は引き金を引くことよりも先に、自らの避難を優先させた。

 その隙にヴァルは包囲網を突破し、第二エリアの半ばまで一気に突き進む。

 そこから先でまたしても光線が幾筋も飛んできたので、今度は咄嗟に貯水槽の中へと飛び込む。

 浄化され切っていない汚水の中では視界が利かなかった。海の透き通った水とは大きく異なるそこに、ヴァルは一瞬、怯む。

 それでもヴァルはさっきまで見ていた水上の風景の記憶と自らの感覚を頼りに、貯水槽の中を泳ぐ。

 水中はヴァルのテリトリーだ。陸の上よりも水の中の方が余程速く動ける。

 その速さを生かして、一気に貯水槽の中を突っ切ると、先ほど同様、水面に向けて加速し、宙へ飛び出る。

 そして飛び出た勢いをそのままに、貯水槽の外側へ転がるように着陸。

 水に入ってからほんの一瞬の移動。追いつける人間などそうは居ない。

 ヴァルはそのまま走り、下水処理施設の第一エリアへと進んでいった。




「警告。この先は管制塔です。侵入者は警備プログラムに基づき排除します。警告。この先は管制塔です。侵入者は警備プログラムに基づき排除します」

 無機的な女性の声のアナウンスと警報音が響く中をヴァルは走る。

 シータシアの機体は水の中でこそ真価が発揮されるが、陸の上だからといって劣る訳ではない。

 人間がただ走るより遥かに速い速度で進み、ヴァルは遂に、第一エリアへの侵入を果たした。

「警告。この先は管制塔です。侵入者は警備プログラムに基づき排除します。警告。この先は管制塔です。侵入者は警備プログラムに基づき排除します」

 より強くなる警報音と点滅するランプ、語調も何も変わらないアナウンス。それらを振り切るように、ヴァルは突き進む。

 やがて、ヴァルに向けて光線銃が発砲され始める。

 処理施設に組み込まれているメカニカによって制御されている光線銃だ。人間が狙うより余程正確なそれを、しかしヴァルは振りきって進んだ。

 古代の物はいざ知らず、現代において復活させたメカニカの類は、総じて融通が利かない。

『メカニカが想定する人間の速度』を遥かに上回るヴァルは、メカニカの光線銃で捉えることができないのであった。

 一歩。更に一歩。

 ヴァルは走り、そして。

「管制塔ゲートをブロックします。管制塔ゲートをブロックします」

 無機的なアナウンスと共に管制塔へのゲートが閉じ、ゲートから覗く無数の銃口が、真正面からヴァルを捉える。

 だが、光線がヴァルを撃ち抜く事はなかった。


 管制塔に用は無い。

 始めから目的は『汚水の溜まった貯水槽』にあったヴァルは、管制塔ゲートの目前で方向転換し、飛び込む。

 汚水の中に消えていったヴァルは、もうそれ以上追跡されなかった。追跡のしようが無い。濁って中の見えない汚水に向かって闇雲に発砲しようものなら、貯水槽を傷つけかねない。

 それに、どうして思えるだろうか。……管制塔間近で、正面から銃口を向けられた者が方向転換し、汚水に飛び込んだ。

 この様子を見て、『管制塔ではなく汚水の貯水槽および貯水槽の先のパイプが目的だった』などと気づく者がどれだけ居るだろう。

 そしてこの汚水は『陸』のあらゆる毒を流した結果である。人間が入って無事で済むものではない。海同様に、或いはそれ以上に人体に害である代物なのだ。

「管制塔ゲートをブロックします。管制塔ゲートをブロック」

 であるからして、無機的なアナウンスは途切れた。『侵入者は劇薬のプールである汚水の中に落ちた。』汚水処理施設で働く者達にはそれだけの理由があれば十分だったのだ。

 彼らは事なかれ主義であるが故に、『陸』の人間達に事が発覚することを恐れた。侵入者の存在をそれ以上追及して、もし何か責任を問われるようなことがあれば、『海』の特権階級である下水処理施設から追放されかねないのだから。


 閉じたゲートはそのままに、しかし、ゲートに備え付けられた光線銃が動くことも無く、静かになっていく汚水の水面だけがそこに残る。

 やがて、汚水処理施設は平常通りに稼働を始めた。

 いずれ、汚水の底に侵入者の死体が無いと発覚するのであろうが、それは未来の話である。


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