最終話 ERROR
古代のメカニカから降りたヴァルは、楽園の地を踏んだ。柔らかな下草の感触はヴァルが知るどんなカーペットよりも心地よく、風はヴァルの知らない花の香りを乗せて吹き抜けていく。
知らない世界だった。
こんなに美しく整えられた世界があるなんて、想像すらできなかった。
そしてこの楽園は、目の前の彼らの為に在る。
並ぶ椅子に座る人々は皆、作り物めいて美しい。
ヴァルは少女がここの住人であることを確信した。
あり得ないまでの美しさを持つ少女は『海』において、そして恐らくは『陸』においても、ひどく場違いな存在に感じられた。だが、この完成された楽園であるならば、少女は何ら違和感なく溶け込んでいくだろう。
彼らは皆、『神』の名に相応しい美しさであった。
最終話~ERROR~
「Venus、着席しなさい」
再び、金色の瞳の青年が声を発する。
だが少女は動かない。
金色の瞳の青年の声が聞こえていないわけはないだろうに、一歩も動かない。
「Venus、応答しなさい」
再度の呼びかけにも応じず、立ち尽くす少女を見て、ヴァルは代わりに前へ進み出た。
少女を庇うように立って、『神』達に向かい合う。
ヴァルの登場に、神達は少したりとも不審げな素振りも不快な素振りも見せなかった。
ただ、無感情。
ヴァルは『神』達と対峙しながら、対峙していない……否、対峙『されていない』ように感じた。
『神』にとって、ヴァルは不審者ですらない。ヴァルが『神』を害するなどあり得ない。およそ、彼らにとってヴァルは……言うなれば、路傍の石、そこらの塵芥、或いは海を揺蕩うだけの藻屑にすぎない存在なのだ。
圧倒的な立場の差に、ヴァルは目眩がする思いだった。これが『人間』と『神』の差なのか。
「聞きたいことが、ある」
だが、それでもヴァルは果敢に声を発した。
「……それから、言いたいことも」
『神』達は表情一つ変えず、ヴァルの言葉を聞いていた。
「質問および発言を許可します」
金色の瞳の青年が如何にも事務的にそう言う。ヴァルの発言を可とも不可とも思っていないのであろう無機的な声に、ヴァルはいささか反感を覚えた。矮小でありながらも意思ある1人の生き物として。
「あんた達が『神』か」
半ば喧嘩腰にそう言えば、青年は頷いた。
「そうだと言えます。私達は『神』です」
ずらり、と並んだ宝石の如き美しい瞳が、全てヴァルを見ている。
あっさりと返ってきた返答。『神』という言葉の重み。瞬くこともなくヴァルを見つめ続ける幾対もの瞳。
それら全てが現実離れしていて、ヴァルは少しばかり、尻込みする。
「この世界を創ったのは、あんた達なのか」
だがそれでも、ヴァルは意図的に攻撃的な姿勢を保った。そうしなければ、目の前の強大な存在に負けてしまいそうだった。恐らく、指先一本を動かすだけでヴァルの知らない未知のテクノロジーがヴァルを殺すだろう。だからその瞬間までは、『鯨』らしく居たかった。
「『世界』を『社会構造』と定義するならば答えは是です。私達がこの『世界』を造りました」
『神』の返答は事務的で、無機的だ。ヴァルがどう思おうが、どう感じようが、全く関係無いらしい。
雪原に杭を打ち込むような、乏しすぎる感覚にヴァルは、やり場のない苛立ちを空回らせた。
こんなにも無関心でこんなにも無機的であるならば、尚更、どうして。
「ならどうして、『海』なんて創った!」
「『海』とはエリアBのことであると理解します」
やや間を置いて、『神』が答えた。聞き慣れない言葉にヴァルは虚をつかれたが。
「エリアBとエリアAを分けてあるのは、それが人間の幸福を最大限に維持する最適解であるからです」
足下から世界が崩れていくような気がした。
「エリアAでは我々の管理の元、創造と理性に重点をおいた幸福がより多く生産されることを目的としています」
「エリアAとエリアBを分けることにより共同体としての幸福が強まります。また、エリアAではより学術を高め、エリアBではあえて学力レベルを低く保つことにより、常に無からの発見の幸福を実現できます」
「エリアBの生活レベルを低く保つことは生殖の幸福を増加させています」
「エリアを分けることにより、互いの攻撃性を互いに向け、競争の幸福を得ることができます。また、エリアが分かれているため攻撃性が実際の攻撃となるケースは低く保つことができます」
「エリアAでは保護の幸福や道徳の幸福、組織に所属する幸福をより多く得られます」
「エリアBにおいては死と生の幸福が繰り返されるスパンが短く、効率的な幸福の増加に繋がっています」
「エリアAは旧体制を破壊して作られた理想の幸福実現空間です」
「エリアAにおいて増加すると考えられていた慈善の幸福はむしろエリアBに多い傾向にあります」
たて続けに『神』達が口を開く。
それらの多くの意味をヴァルは理解できなかったが、1つ、確実に分かった事があった。
「そうか。あんた達は、良かれと思って、『海』と『陸』を分けたんだな」
ヴァルの言葉に頷きもせず、金の瞳の青年が答える。
「私達の目的は人間の幸福を最大限に維持する事です」
「そうか」
何の感情も見えない金の瞳を見つめるヴァルの瞳もまた、感情をなくしたように凪いでいた。
「こんなのが幸福に見えるんだな、あんた達には」
ただ、ちらり、と瞳の奥に過ったものは……海の如き深く暗い絶望と。
明けの空に光る明星が如き、鋭く眩い、憎しみ。
或いは、人であることの、誇り。
「余計に、性質が悪い」
ヴァルは懐から取り出した爆弾を、『神』に向かって放った。
爆風と共に飛び散ったのは血や肉ではなかった。もっと乾いて硬質な音が、楽園に響く。
ノイズめいた音。火花が弾けるような音が続き、そして爆風が収まった時。
剥がれ落ちた顔。半ばで折れ飛んだ腕。
千切れたコード。ひしゃげた金属片。
そこに居たのは、人間ではなかった。
「……メカニカ」
『神』ですらなかったと、思った。
呟いたヴァルの胸を、機械仕掛けの『神』の放った光線が貫いた。
空が青い。
仰向けに倒れたヴァルは、浅く激しく呼吸を繰り返しながら、己の生が長くないことを悟った。
傷は大きくない。だが、的確に貫かれた心臓は、もう二度と元には戻らないだろう。狂った脈動の度、胸から血が吹き上がる。
「何も、変えられなかった、な」
呟くヴァルの声は空に向けられている。『空』ではなく、空。
『空』から見る空は、やはり『海』から見るものと同等に青く、ひたすらに遠かった。
『神』すら到達できない空を眺めて、霞む意識の中で、ヴァルは、空以外のものを視界に入れる。
それはターコイズブルーの瞳。ヴァルを覗き込む、1体の『神』のものだった。
ヴァルは、少女がまた『神』であることを悟っていた。つまるところ、彼女自身もまた、古代の人間によって生み出されたであろうメカニカなのだ、ということを。
だが、それでもよかった。
少女が『神』であっても、メカニカであっても、よかった。
死に瀕したヴァルは、否、例え死に瀕していなかったとしても、きっとそう思っただろう。
「『空』も『陸』も『海』も、何も、変わらなかった、けど」
ヴァルが途切れ途切れに、絞り出すように声を発すれば、ターコイズブルーの瞳が見開かれ、揺れた。
「俺は、変わった、と、思う」
……人を人と思わない『神』でも。血の通わないメカニカでも。ヴァルの前に居たこの存在は、ヴァルを、変えてくれた。夢を叶えてくれた。導いてくれた。その先にある世界を見せてくれた。
何より、『空』を目指す『鯨』と、共に在ってくれた。馬鹿げた夢に、付き合ってくれた。
2人、共に在った時間が無駄だったとは、思わなかった。例えその結果、自分以外何も変わらないまま、死ぬことになろうとも。
「君、は」
だからヴァルは望む。
「変わって、くれたか?……ナギサ」
目の前の少女が、『神』でも、『Venus』でもない、『ナギサ』であることを。
ターコイズブルーの瞳は、一連の様子を見ていた。
彼女にとって、『神』の主張はごく当たり前の事だった。彼女自身もまた『神』なのだから。
だが、ヴァルを見て。楽園の地に沈み、二度と動かなくなった人間を見て、今まで彼女自身がエラーとして処理していたものが膨張した。
このエラーは何か。
自身に問うても答えは無い。
もしかしたら。
「……ヴァル」
この人間になら、答えられたのかもしれない。
Venusに……否、『ナギサ』に、このエラーを与えた、この人間になら。
「こちらMercury。外装に損傷。緊急性F。」
「こちらLuna。頭部パーツの大部分を欠損。緊急性C。」
「こちらMars。腕部パーツを欠損。緊急性D。」
『神』が互いに損傷を報告し合う。緊急性はそれほど高くない。修繕プログラムによって何事も無く元通りになる範囲の損傷でしかないということだ。
「ではVenusの報告を優先しましょう。報告後、修繕プログラムを起動します」
Sunがそう言うと、他の『神』達もそれぞれ、了承の意を示した。それぞれの体が欠損していても、彼らにとっては何の支障も無いのだ。
「確認します。今回のVenusの視察は人間の様子を直に観察することにより、人間の幸福度をより効率よく上昇させる方法を探し、人間の幸福を最大限に維持するためのシステムに欠陥が無いかを確認する為のものです。結果は我々『神』全体にフィードバックされ、システムはアップデートされていきます」
視線の先で、Sunが2つ隣の空席を示した。示すその手は消え失せ、切断面から火花を散らしていたが。
「ではVenus。報告を」
何事も無く、戻っていく。1人の人間が成したことも、1人の人間が死んだことも、『神』にとっては些末な出来事でしかない。何ら、意味を成さない。
実際、そうだった。ヴァル自身が感じた通り、何も変わらなかった。
『海』も『陸』も『空』も。今日の動乱によって多少乱れこそすれ、明日にはもう何もかも忘れ去られ、何事も無く変わらない毎日が始まるのだろう。
だが。
ならば。
この胸の内に在るエラーは。
「報告します」
彼女は着席しなかった。
ただ、1人。倒れた人間の隣に立ち、『神』達と相対した。
つい先ほど、1人の人間がそうしていたように。
一身に機械仕掛けの視線を受け、ナギサは発言した。
「人間に『神』は必要ありません」
Venusは『神』である。『空』のセキュリティシステムに干渉する能力を有していた。
そしてVenusの一部たる古代のメカニカは『空』を破壊し尽す能力を十分に有していた。
そして深海に沈んでいたそれは今、役目を終え、二度と動かなくなった。やがて『空』自体の崩壊に合わせて、これも崩壊していくだろう。
『神』は今や皆、機能を永遠に停止させ、『空』自体の崩壊に合わせて崩れ、落ちていくだけのジャンク・パーツでしかない。この光景を眺める彼女自身もまた、そう遠くなく同じ状態になるのだろう。
終わっていく世界を見て、ターコイズブルーの瞳が細められた。
「おまえは、こう望んだの」
答えは無い。
死んだ人間はもう一言も発さない。彼女の言葉を聞いてもいない。
それでも彼女は、エラーを起こしていた。だから、ヴァルに、ヴァルだけに、呼びかけた。
『私は、変わった。おまえがそう望まなくても』
ナギサはそう言って、瞳を閉じた。永遠に。『鯨』と共に在るように。
海からは『空』の様子がよく見えた。
淡い金色の光が膨れ上がり、轟音を立てて『空』が崩壊する様子が。
「……はは、やりやがった」
朝日に照らされる中、『空』は爆発し、火に包まれ、砕け散って『陸』へと降り注ぐ。
世界が死んでいく瞬間を眺めて、トーレムは1人、笑い声を上げた。
全員裏切りやがった。『鯨』もミラも裏切りやがった。それで、俺の信頼も予想も、全部裏切りやがった。それで、このザマだ。
ああ、なんて気分が良いんだろう。
ふと、笑い声を収めたトーレムは海の遥か彼方、彼がこれから進もうとしていた方を見やる。
それから、もう一度振り返り、崩れていく『空』を。
「……あーあ、やってらんねえ」
トーレムはそのまま体の方向を変え、『海』に向かって歩く。
体は酒のせいもあって酷く重く感じられた。
だが、先ほどまで海へ沈んでいこうとしていた者とは思えない程に確固たる足取りで歩いた。
「あーあ、良い眺めだなァ」
『海』の向こう、『陸』の向こう、更には崩壊し逝く『空』の向こうかもしれない何所かに向かって、トーレムは呟いた。
夢も希望も棄てたような口を叩いて生きてきた癖に、今なら、この世界の終わりが新たな世界の始まりであるはずだと、信じられた。
まるで何処かの馬鹿な『鯨』みたいに。
「見ろよ。お前が変えた世界だぜ、ヴァル」
明けの明星は昇った太陽に掻き消され、もう見えなかった。
完結しました。後書きは活動報告をご覧ください。




