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第19話 星

 ヴァルがこの椅子に座るのは2度目だ。1度目は半ば、病院のベッドとして使われていた操縦席だったが、2度目は正当に、古代のメカニカの操縦席としてヴァルを迎え入れた。

 メカニカのモニタに灯る光が、操縦者を歓迎するかのように小さく瞬いている。

 ヴァルは再びこの椅子に座れた幸運を噛み締め、そして、操縦席の後ろから顔を出す少女が共に居ることに力強い安堵を感じた。

 一呼吸の間、ヴァルは頭上の風防を通して、海面を見上げた。そろそろ夜明けも近いのだろうが、海面は未だ暗く、ましてやその先など何も見えなかった。海底から見える景色など、元よりたかが知れている。


 ずっとそうだった。

 ヴァルが居た『海』は、さながら海底のようであった。

 先は見えず暗いばかりで、どんなに水を掻いても泳ぎ進んでも、周囲は延々と続く水ばかり。

 何も変わらない水の底で、しかし死の海は確実に命を削り取っていく。何もできないまま、何も無い水の底で、生きる為だけに生き、足掻けるだけ足掻いたら、あとは死ぬだけ。

 こんなことのために生まれてきたんじゃない。

 海の底で死んでいくのは御免だった。だから憧れと憎しみを込めて空を睨む。

 ヴァルは様々な思いを振り切るように、古代のメカニカを起動した。


 瞬間、暗い海は一面、淡い金色の光に染め上げられた。

 海も空も染め上げんとするばかりの力強い光に、ヴァルは夜明けを思う。さながら、海の果てと空の境から現れる太陽か、或いは……黎明の空に輝く明星のようであった。尤も、ヴァルは宵と夜明けに見える、かの星の名前を知りはしなかったが。

 ヴァルは少女と目を合わせる。少女は何も言わず、1つ、頷いた。

 ヴァルは操縦桿を引いた。


 長い時を海底で過ごした古代のメカニカは、一度、震え、ゆったりと海底を離れる。

 海底から僅か、少女の身の丈程の高さまで浮くと、ごく緩慢な動きで方向を変え、そして。

 自らの光に染まる夜の海を、切り裂くように飛んだ。




 第19話~星~




「あの野郎!」

 トーレムは薄暗い部屋の中、モニタの前で舌打ちしていた。

 あの野郎、ゲートなんて使いもしねえじゃねえか。

 トーレムの視線の先では、光る地図の上に点が明滅している。

 明滅する点は、ヴァルにミラが取り付けた発信用メカニカだ。高価な品だが、『陸』の人間がぽいと放るように寄越してきた代物である。

 部屋のモニタもそうだ。『陸』の人間の物だ。おかげでトーレムは、ヴァルの位置や、『陸』の定点観測メカニカが撮影している映像をリアルタイムで見ることができる。そしてそもそも、この部屋自体が『陸』の物である。

 何故トーレムがこの部屋を使えているかといえば、非常に高く売れる『売り物』を手にしたからに他ならない。

 しかしトーレムはこのような部屋に居ながら、不愉快そうにモニタを見つめていた。

 トーレムの目の前、モニタの中で明滅する『売り物』の点は、トーレムが知る『ヴァルの移動ルート』とは異なる道を辿っている。


 ヴァルはゲートを通るものだと思っていたトーレムは、既に『陸』の人間達にそう伝えている。そして現在、『陸』の人間達がゲートを強固に守っているはずだ。

 ……『空』を侵す人間は犯罪者だ。ましてや、『空』へ向かう技術と装備を持った者など、放っておけばいずれ『陸』へ悪影響を及ぼすに違いない。だから『陸』の人間達は、トーレムの情報を買い、トーレムの情報を元に動いている。

 なのにこのザマだ。トーレムは苛立ちを隠しもせず、乱暴に脚を組み直すとモニタをもう一度見直す。

 明滅する点は、道をまるで無視した軌道で進んでいる。

「俺だ」

 トーレムは通信用のメカニカを起動させ、『陸』と連絡を取ることにした。

「ああ。やられた。……どうやら野郎、ゲートなんざ通る気なんざ無いらしい。真っ直ぐ進んでるから多分、上水道だ。スカイ・センターの方へ向かってる。そっちに手を回した方がいい」

 トーレムはモニタの点を見て、『海』の上水道を壊して水道管へ侵入したのだろうと推測した。水を逆流して進んでいるからか、速度はそこまで速くはない。だが、ゲートを張っている『陸』の人間達が追いつき、先回りするのは難しいだろう。

 それが分かっていてもトーレムは、『陸』の人間に情報を回した。自分が提供した情報が裏切られた以上、フォローはしておくに越したことはない。

 それから数度、『陸』の人間とやりとりをしたトーレムはようやく通信用メカニカを置くと、ため息を吐いて、椅子の背もたれに深く身を預けた。

 相変わらず、明滅する点は真っ直ぐに進んでいる。

 トーレム側の予想を外れた、『なりふり構わぬ』と評してもいいだろう行動に、トーレムは再び舌打ちし、それからふと、眉を顰めた。

「……らしくねえな」

 呟いて、トーレムは思う。

 どうも、あの甘っちょろい『鯨』らしくねえ。『陸』の下水道をぶち壊すなら分かる。だが、あいつが『海』の上水道をぶち壊していくか?らしくねえ。

 これじゃあまるで、『陸』の連中の所業か……。

 ……或いは、俺のやりそうなことじゃねえか。

 そう思って、トーレムは乾いた笑い声を上げた。

 他人を食い物にして生きてきた自覚はある。それに後ろめたさが無いわけでもない。

 今回、ヴァルを『陸』へ売ったことについても、トーレムなりの罪悪感はあった。

 だから彼なりのけじめとして、『貸し借りは無し』にしてから事に及んだ。ヴァルの事を名前で呼ぶこともしなくなった。

 今までもそうだ。そうやって自分自身の良心と折り合いをつけて、生きてきた。

 だから今日も、そうする。そうしなければマシな生など、望めないのだ。例え、『陸』に行ったとしても。


『陸』の生活は、『海』で思われているほど幸福ではない。トーレムはそれを知っていた。

『陸』の人間達は生活を管理され、管理下から外れる行いをすれば、即座に排除の対象となる。

 また、至極真っ当に生きていたとしても、『殺した方が他の幸福になり得る』と判断された人間は排除の対象となるのだ。トーレムが取引した『陸』の人間もまた、その理屈で部下を射殺させられたと言っていた。

『海』に自由など無いが、『陸』にだって自由は無い。

 ヴァルが感じていた絶望は、トーレムから見れば世界のほんの一欠片だった。そしてトーレムが見ていた世界は、全てが絶望に覆われていたのだ。

 何もできやしない。何処へだって行けやしない。誰にだって。

 その思いは、ヴァルよりも強く暗かったのかもしれない。


 トーレムは視線を前方へと向け、その時をじっと待った。

『陸』の監視システムの一環であるそのモニタには、『空』に一番近い『陸』の中心、スカイ・センター付近の様子が映し出されている。




 夜明けの光が差し込み始めたスカイ・センター前の広場は、静まり返っていながらも物々しい様相であった。

 トーレムの連絡を受けて尚、大半の戦力は間に合わなかったのだろう。近場から動員されてきたと思しき戦闘員がぱらぱらと配備され、スカイ・センターの警護にあたっている。

 だがそれも無駄だった。


 突如、静寂が破られる。

 割れ砕けた舗装と共に吹き上がる水が夜明けの光に煌めく。

 水の奔流に任せ、メカニカの体が躍り出た。

 シータシアが、地に降り立った。




「やっぱりな!」

 トーレムは即座に『陸』の人間へと連絡を取る。『鯨』が『陸』に上がったぞ、と。

 連絡に応え、『陸』の人間達は即座に対応を始めたようだ。無論、ここから先、トーレムにできることはほぼ何も無い。後は結果を見るだけだ。

 モニタの向こうでは、シータシアが戦闘員と交戦を始めていた。

 実弾銃で実弾を贅沢にばらまき、当たるを幸いに戦闘員を殺害していく。更には小型爆弾を使って光学兵器の自走砲台を爆破していく。

『空』へ飛ぶことを見越してか、戦闘員より光学兵器の類を優先しているように見えた。

 更に、弾も爆弾も尽きれば肉弾戦にもつれ込む。

 ……この時点でトーレムは、一瞬もモニタから目を離せなくなった。

 おかしい。

 何故こいつは、『空』へ行くのに『陸』で戦っている?

 トーレムの視線の先、モニタ越しの広場で、シータシアが舞うように動いた。

 戦闘員の光線銃を装甲で弾いて、戦闘員に肉薄し、そして。


 鋭く突くような、蹴り。


「……はは」

 乾いた笑い声が部屋に響いた。

 モニタの向こう側では、戦闘員が鳩尾を押さえて蹲ったところだった。

「そう、かよ」

 この蹴りには覚えがあった。自ら体験しもした。

 そして何より覚えているのは、蹴りを放つときの彼女の、鋭い緑の瞳。

「お前も、そっち側なのかよ」

 胸に穴が開いたような、何かが崩れていくような、そんな気持ちを抱き、そんな気持ちを抱く自分自身に愕然とする。

 咄嗟に、『陸』への連絡用のメカニカを取りかけて、気づいた。

 今更、何を、何故連絡しようとしたのかに気付いてしまった。そしてトーレムは絶望する。

 行き場を失った手が、テーブルを叩いた。

「……ミラ、っ!」

 声はどうしようもなく震えていた。


 モニタには、『陸』の援軍がやってくる様子が映し出されている。

 もう、止められない。

 気づくのが遅すぎた。

 色々な事に。




 粗方の兵士が片付いてようやく、ミラは初めて降り立った『陸』を見渡した。

 遠くには援軍らしき武装集団が見えていたが、そんなものはどうでもいい。自分……否、『鯨』を殺そうとする武力になど、目もくれなかった。

 美しい景観もどうでもよかった。倒れた『陸』の人間も、爆破された光学兵器も、壊れた水道管も、吹き上がる水も、既に傷を負った自身の体も、シータシアの頭部パーツのスピーカーから聞こえてくる雑音も、全て、全てがどうでもよかった。

 ただ黙って、空を見上げた。

 きっとヴァルが見上げたであろう空を見上げて、ミラは思った。

『海』から見たって『陸』から見たって、『空』なんて、大して変わらないじゃない。

「ねえ、ヴァル」

 声がシータシアの外に漏れることはない。だからミラは思うがまま、呟いた。

「『空』なんてちっぽけね」

 遠く小さくしか見えない『空』へ、光が流れていく。

 黎明の空に輝く明星めいたそれが、たまらなく美しく憎らしく見えた。

「ね」

 ミラは手を伸ばし、微笑んだ。

 同時に、シータシアに向けて一斉に光線銃が撃たれた。




 空を飛ぶ内に、夜が明ける。白む空の端が、海と空の境が、光に染め上げられる。

 そして輝く明星より明るく、古代のメカニカは輝いて飛んだ。

 ヴァルの眼下、『陸』では騒動が起きている様子が微かに見て取れた。騒動を起こしているであろうトーレムの事をちらり、と考え、ヴァルは再び視線を前へと戻した。

『空』はすぐそこにあった。


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