第16話 望み
シータシアが『陸』へ上がったのは、単純にそうしなければ『空』へ到達できなかったからだ。シータシアの性能の限界だった。直線距離にして尤も短い距離を選ばざるを得なかった。
シータシアは、『海』では、否、『陸』ですら滅多に見られない程の技術の塊である。
ヴァルが古代の書物を読み解き、メカニカの欠片を集めて、長い時間と執念めいた情熱とを注ぎ込んで作った、世界最高峰のメカニカであった。
だが、今、海の底に眠っている古代のメカニカは、そんなシータシアの性能をあっさりと超えていくらしい。
海を飛ぶように泳ぎ、果ては空まで自由に泳ぐらしい、古代のメカニカ。
自分の想像を遥かに超えていたメカニカの性能に、ヴァルは気づけば呼吸を忘れていた。
「直接、『海』から『空』へ?そんなこと、できるのか?」
ヴァルの問いにも、少女はさも当然、と言わんばかりに頷くだけだった。
あっさりとした回答に、ヴァルは安堵と悔しさをその内に同時に渦巻かせ、ふと、どこへ向けたとも分からないまま、呟いた。
「そんなすごいメカニカがあったってのに、どうして古代文明は滅びたんだろうな」
それは自分の努力を簡単に超えていく古代文明への僻みであり、単純な興味でもあり……どこか、哀れみでもあったかもしれない。
だが少なくとも、誰かに宛てた言葉ではなかった。強いて言うならば、ヴァル自身へ宛てた言葉であった。
『そう望んだから』
だが少女はそう答えた。
第16話~望み~
「そう……『望んだ』?」
確認するようにヴァルが言うと、少女は確かに頷いた。
ヴァルは少女の瞳に何の感情も見られないことに慄く。薄暗い部屋の中、ターコイズブルーの瞳だけが、海底から見上げた水面の如く、強く明るく輝いているように思えた。
「ちょ、ちょっと待ってくれよ。望んだって、いったい誰が。どういうことだ」
瞳の引力に飲まれないように。或いは、明らかになっていく事実に気圧されないように。ヴァルは言い募る。
「この状況を、望んだのか?古代人が?今、『海』がこうなのも、そう、望んだからなのか?一体何で、こんな」
『人は確かにそう望んだ』
少女の声は、静かだった。
凪いだ海のような声に、ヴァルは言い募る言葉を失う。
「……じゃあ、今、俺達が。『海』が、こんな暮らししかできないのは、古代の人間が、そうなれって、思ったからなのか」
だから、ただ1つだけ、それだけを、問う。
ヴァルを『空』へと駆り立てる原因となった、希望も何も無い『海』での生活。
それは誰かが、そうなれ、と。悪意を以てして決めたものだったのか。
『そう』
はっきりと、あっさりと。肯定した少女の言葉の意味に。少女の無感動な様子に。ヴァルは瞬間、自らの内で何かが壊れたような、何かが生まれたような、そんな感覚を覚えた。
少女のたった一言が、ヴァルの内に無数の思いを波立たせた。疑問であり、不安であり、怒りでもあるそれは、激昂という形をとって表出する。
「なんでだ!?どうしてこんな生活を望んだ!?」
ヴァルが詰め寄っても、少女は顔色一つ変えないまま、じっと、ヴァルの瞳を見つめ続けた。
「こんな、ただ生まれて死ぬだけの、何が」
『幸福を求めたから』
脳裏に届く少女の声は酷く平坦で穏やかな調子であるのに、それが却って、ヴァルの神経を波立たせた。
「……幸福?これが?古代の人間達にとって、この『海』みたいなのが幸せだったのか?」
少女は何も答えない。
「古代の人間は一体何を考えてた?今の俺達の状況を知ってるのか?古代の人間は、今の俺達を見ても、これが幸福だって、自分達が望んだことが正しかったって、言えるのか?」
詰め寄っても、少女は何も答えなかった。
少女の様子を見て、ヴァルは、答えろよ、と、言いかけ……口を噤んだ。
思う所が無いわけではない。
古代の人間の選択の結果が現状なのだとしたら。『海』の現状を憂い、半ば自暴自棄にすらなっているヴァルからしてみれば、古代の人間は憎しみの対象にすらなり得る。
しかし、ヴァルは凪いだ少女の瞳に映る自分自身を見て、怒りの矛先をどこに向ければいいのか、分からなくなった。
……そして少なくとも、怒りの対象は少女ではない。
1人、海の底で眠り続けていた少女に、何を言っても仕方がない。ヴァルは俯き、少女から半歩、離れた。
『人は幸福を求めて運命を『神』にゆだねた』
そんなヴァルの様子を見てか、少女は声を発した。
声の調子は何も変わらず、冷静とも平坦ともとれる。
『でも』
だがヴァルは、俯いた顔を上げ、少女を見て……目を見開いた。
『失敗だったのかもしれない』
その時、確かに少女の瞳には感情らしいものが見えた。
暗く深い海の底めいて沈む少女の瞳に、ヴァルは、救われたような気がした。
「ごめん、君に色々言ったってしょうがないよな」
やがて頭が冷えたヴァルは、少女の方を向くことなく、手元のメカニカの欠片に向き合いながらそう言う。
少女もまた、ちら、とヴァルを見たきり、パーツを組み立てる手元に集中し始める。
「でも多分、君は俺が知らないことも、俺が知りたいことも、色々知ってるんだよな」
少女からの返事は無い。ヴァルも少女に答えを求める気は無かった。
「喋りたくない事は喋らなくていい。……でもそれ、ちょっと狡いって、思ってるからな。俺」
その時、少女の手が止まった。少女は目をゆっくりと瞬かせ、そして、頷いた。それら一連の動作をヴァルは見ていなかったが。
「……なんか、何も変わらねえんだな、って思った」
向かい合うことなく発する言葉は、相手に向けられたものではない。あくまで、宙に放られた言葉を、相手が気まぐれに拾うだけだ。だからこそヴァルは、思った事を零すことができた。
「古代人が何考えてたとしても、今は何も変わらないし、俺がやりたいことも、やることも変わらない。……それで、俺が何かしたとしても、きっと何も変わらないんだ。何も」
ヴァルの指先に、力がこもる。
メカニカの欠片をへし折ってしまいそうで、ヴァルは、そっと、静かにメカニカの欠片を机に戻した。
「こんなに何にも変わらない世界でさ。何やっても、何知っても、どうせ変わらなくて……なのに、それでも、何か知りたい、何かしたいって、思うのは……なんでだろうな」
諦めが悪いんだろうか、と、ヴァルは思う。
それとも自分は、何かできると思っているんだろうか。何かが変わるとでも。それとも。
『おまえが人間だから』
少女の声が、ヴァルの思考を遮った。
「人間、だから」
確認するように呟き、ヴァルは思う。
人間だから。人間だから、何か知りたいと思い、何かしたいと思う。
人間だから、何かを求めずにはいられない。
『此処には無い何か』を求めてしまうのが、人間の性なのかもしれない。
「……ああ、そうだ。俺、やっぱり『空』に行かないといけない」
ヴァルは努めて明るく、少女に向けて言う。
或いは、少女ではなく、自分自身に対して言いたかったことなのかもしれない。
「文句言う相手がもしまだ『空』に居るなら、文句の1つや2つは言って来なきゃ、な」
ヴァルはそう言葉に出すことで、『空』へ行く、確かな動機が生まれたような気がした。
『私はおまえを連れていこう。『空』へ』
そんなヴァルを真っ直ぐ見据えて、少女は変わらない調子で、言った。
『おまえがそう望むのならば』
その日は1日、ひたすらにメカニカの制作に励んだ。そうすることでヴァルは様々な考えを廃し、ただ変わることのない目標に向かっていることができた。
おかげで作業ははかどり、翌日には古代のメカニカから欠損したパーツを補うパーツが全て完成したのだった。
『明日から、海に潜って作業する』
「いよいよ組み立て、か」
少女は頷き、出来上がったパーツや接続用の細かな部品を手に取る。
少女の手がパーツを選り分け、動かしていき、やがてパーツはいくつかの山に分けられた。
海に潜って組み立てを行うなら、作業工程を分割する必要がある。人間は永遠に水の中に潜ってなどいられないのだから。
「これ、あと2日で完成するのかな」
パーツの領から予想される作業量は相当なものだ。海中で行う作業ならば、尚更時間がかかるだろう。
不安になってヴァルは尋ねたが、少女は変わらず頷くだけだった。
「でもこれ、確実に規定時間はオーバーしちまうな」
苦笑しながら言うヴァルに、少女は首を傾げた。そこでヴァルは、少女が『海』の決まり事など何一つ知らないということを思い出した。
古代の海には生き物が住んでいたのだ。死の海と化した現在の海とは、様々な事が違っただろう。
「人間が海に長く浸かってると、寿命が縮むんだ。海の水は体に悪い。だから潜る時間に制限を掛けてる」
ヴァルが少女に規定時間の説明をすると、少女は目を瞬かせ、首を傾げる。
「ま、尤も、律儀に守るのなんて、遠くまで泳げない子供かミラぐらいなもんだけどな。……そうでもしなきゃ、『海』じゃ生きられない」
少女は頷くが、特に何を言うでも無い。
「……ま、『空』に行こうって奴が気にすることでもないか」
どうやらこのまま2日間は、海に潜り通しになりそうだ。
そう思いつつ、ヴァルは苦笑いを浮かべた。




