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第13話 海底の花

 特に物音がしたでもなく、しかしヴァルは目を覚ました。

 朝か、と思い部屋のドアを開けたが、その先にあったのは紺碧の薄闇に包まれた、静かな『海』の風景。

 まだ、夜は明けきっていないらしかった。

 もう一眠りしようかとも思ったヴァルだったが、ひんやりとした未明の風を浴びて、目が冴えてしまった。どうせ、あと2時間もすれば夜明けがやってくる。ヴァルは未だ眠っているらしい少女を起こさないように気を遣いながら身支度を始めた。




 第13話~海底の花~




 備蓄してある水を一口飲み、大きく伸びをしたヴァルは、外へ散歩にでも出ようか、と思い、それから思い直した。昨日の今日だ、不要の外出は避けるべきだろう。

 仕方無しにヴァルは、作業机の椅子に腰を下ろす。

 机の上には昨日、少女とヴァルが組み立てたメカニカのパーツがある。

 作業に携わったとは言え、ヴァルはその仕組みを半分も理解していなかった。それでも、そのパーツの機能や、そのパーツの性能の高さは分かっている。そして何より、この時代においては、少女以外誰の手でも作り出せないであろうということも。

 偉大なるメカニカ技師でもある少女は静かに眠っている。生きているのか不安になる程、あまりにも動かず、あまりにも音を立てない。ふとして見れば人形のようにも見える。

 もしかしたら古代にはとても精巧な人形を作る技術があり、少女はそれなのではないか、と思ってしまう程に。


 ヴァルは少女について、知らないことばかりであった。

 何処から来たのか、何時生まれたのか。どのような文化で育ち、何をしていたのか。何が好きなのか。何が嫌いなのか。名前すら知らず、ここにいる理由も分かりかねる部分があった。

 考えれば考えるほど、不可思議な少女だった。しかしヴァルは、それを不快とは思わなかった。

 未知であっても、隠すことがあっても、ヴァルにとって少女は同士であった。

 ヴァルが『空』を求めても嘲笑いも蔑みもせず、むしろ積極的にその道程を手伝ってくれる少女に対して、親しみを、連帯感を、尊敬を、信頼を、そしてそれらによく似て、しかしどこか異なる感情を抱いていた。


 少女が身じろぎすることもなく、静かに目を開いた。ターコイズブルーの瞳がゆっくりと現れる様子が夜明けの空を思わせる。

「おはよう」

 少女は少々驚いたように目を瞬かせ、そして、ヴァルの挨拶に応えた。

『おはよう』




 少々早い時間ではあったが、2人は起きて活動を始めた。

 朝食には小麦粉と油脂と控えめな砂糖とを混ぜて焼き固めたカロリー・バー……『海』でもエネルギーが高い割に安く手に入るそれを食べ、水を飲む。

『海』での食事は食べることを楽しむための食事ではなく、栄養の摂取、カロリーの摂取のための、いわば生きるための食事だ。生きるために行わなければならない一種の作業であり、時には苦痛すら伴うこともある。そんな『海』での食事としては、このカロリー・バーは優秀な方だった。甘いし、それほど不味くもない。

 カロリー・バーを抱えて端から齧っていく少女の一方、ヴァルは作業をさっさと終わらせんとするが如く、すぐにカロリー・バーを食べ終えた。

「足りない材料とか、工具ってあるか?」

 先に食事を終えたヴァルは手持ち無沙汰になって、少女に問いかけ、それから少女がまだ食事中だったことを思い出した。

『ヒート・カッター』

 だが少女はカロリー・バーを齧りながら、言葉をいつものように発した。

 そういえばこの子は口を開かなくても会話ができるんだな、とヴァルは感心するような、呆れるような気持ちになる。

「ヒート・カッターは一応あるけど」

『エッジが細いものがいい。出力が高いとより良い』

 どうやら少女はここにある工具の性能が若干不満らしい。

 ここにある工具はヴァルが知人から譲り受けたり、廃材の中から拾ったりしたものだが、中でもヒート・カッターは内部にメカニカの機構を持つ珍しい工具だ。

『海』ではかなりの貴重品なのだが、少女は更にこの上を知っているのだろう。

「そうか、ちょっと難しいかもな。『陸』ならどうか分からないけど『海』では結構貴重品なんだぜ、それ」

 少女は少し考えて、それから頷いた。

『なら、海へ。必要なものを取りに行きたい』

 どうやらこの少女は工具を一から作るつもりらしい。

「分かった。海なら『陸』の連中も来られないだろうし」

 少女が必要だと言うのならば、より性能の良いヒート・カッターが必要なのだろう。

 昨日の夜、少し話を聞いた限りでは、これから作らなくてはいけないパーツは昨日作ったパーツよりも更に細やかで複雑なもののようだった。

 それを作るのならば、より細やかで複雑な工具が必要になりもするだろう。

 昨日の今日であるから、『陸』の人間達がヴァルを探している可能性はある。だが、『陸』の人間達の手も、深い海の底までは届かないだろう。

 ヴァルは誰よりも遠く深く潜る『鯨』なのだから。




 未だ薄く紺碧の闇がかかった風景の中を、ヴァルと少女は歩く。

 できれば朝日が登る頃にはまた部屋の中に篭ってしまっていたいが、都合よくヒート・カッター用のメカニカの欠片が見つかるかは分からない。賭けと言えば賭けだが、この少女の事だから、すぐに必要な欠片を見つけ出して拾い集めてしまうのだろう、とヴァルは漠然と思った。


 海まではそう遠くない。瓦礫の山を突っ切って進めばすぐに海が見える。

 海水に足首が浸かる位置まで来た2人は、メカニカ・フィンを装備して調整を行う。

 カシャ、と軽い起動音を確認したヴァルはいつも通り、満足げに頷いた。

「よし、じゃあ行くか」

 少女を伴って海の中へと進む。空と海のあわいに現れた太陽が、水平線を鮮やかに彩る。

 水に一度潜ってしまえば眩い金色の光も届かず、ヴァル達は夜の色をした冷たい水の中に2人、取り残されたように浮かぶのみとなった。


 ヴァルはライトを点け、緩やかに泳ぎ始める。少女を先導しようとして、しかし、むしろ少女自身が先を行くのを見て、苦笑しながら後をついていくことになった。

 一緒に泳ぐのは3度目、潜るのは2度目だ。それなのに少女は、今やあまりにも滑らかに泳ぐ。昔からずっと泳いできたのだと言わんばかりの泳ぎぶり、その上達の速さには、流石のヴァルも舌を巻く思いであった。

 ヴァルは思う。

 古代の海には生き物が居たという。鯨然り、魚も然り。少女は実際に鯨を見たことがあるというし、恐らくは海を泳ぐ魚もまた、見たことがあるのだろう。

 少女が見たであろう魚を、ヴァルは知識上ですら断片的にしか知らない。

 だが、ヴァルは少女の泳ぐ姿に、半ば空想上の産物でしかない、魚という生き物を重ねる。

 きっと魚は遠い昔、この少女のように美しくしなやかに泳いだのだろう、と。




 ヴァルがすべきことはあまり無かった。

 少女は自分で進むべき方向を決め、自分で泳ぎ、そして何の苦労も無く、砂に埋もれたり廃材の下に隠れたりしているメカニカの欠片を見つけ出していった。

 ヴァルも浜辺に落ちているメカニカの欠片を拾いはしたが、少女のように見えないメカニカの欠片を見つけ出す能力に長けている訳ではない。近辺の欠片を集め終わってしまえば手持無沙汰にもなる。

 鞄がいっぱいになってしまってからはより一層ぼんやりと、海底ではなく海面でもなく、ただ海中を眺め続けた。

 遠出していることもあり、それなりに時間が経っていた。太陽の光が徐々に海水に染み渡り、視界は泳ぎ始めた時よりもかなり広がっていた。

 だから、ヴァルはそれを見つけた。

 海の中を泳ぐ人影が居る。

 長い髪が海中の花のように揺れ、ただ延々と海水があるだけの風景を彩っている。

 海水を通して僅か、細く弱くかそけく届く光が、彼女の姿を浮かび上がらせていた。

 こんな朝の早い時間から、海に潜り……そして、ヴァルならまだしも、こんなに遠出する『魚』はそうは居ない。

 相当に腕が立ち、かつ自信がある者か、或いは、規定時間を端から守る気の無い無謀な者か。そのどちらかしか居ないはずの海域に、居るはずのない人物が居た。

 ヴァルは泳ぎ寄り、口の動きだけで相手の名を呼んだ。

 ミラ、と。


 ミラが驚いたようにヴァルの方を向くと、長い髪が海水に緩慢に翻る。ヴァル、とミラの口が動き、泡が零れる。

 ヴァルはミラが十分に驚いたことに満足し、それから、ミラを見て違和感を覚えた。

 真っ先に、痩せたな、と、感じた。

 ミラは元々、細い躰をしている少女だった。だが、その元々から更に細くなった。

 そして、元々規定時間をきっちりと守り、堅実な潜り方しかしてこなかったミラが、こんな海域に居る。それはヴァルにとって、違和感でしかない。

 どうしたんだよ、と尋ねようとしたヴァルの口からは泡しか漏れない。海中で人は言葉を発することはできないのだから。

『必要なものが揃った』

 だが、ヴァルの脳裏に少女の声が響く。この少女はどこまでも例外中の例外らしい、とヴァルは苦笑する。

 少女が淡い金髪を海水に揺らめかせながらヴァルに泳ぎ寄ってくるのを見て、ヴァルはミラの手首を掴んだ。

 海中の青く弱い光に照らされて、ミラの手は益々細く、あまりにも冷たく感じられる。

 急に手首を掴まれ、驚くミラに、ヴァルは目を合わせて、空いている手で海面を指さす。

 上がるぞ、と口の動きで伝えれば、ミラはどこか困惑したような様子で、しかしはっきり頷いた。




 海から出る頃には、すっかり空は青く晴れ渡り、海面に陽光が煌めくようになっていた。

 体を真水で流し、メカニカ・フィンを外し、身支度を終えても、ミラは特に口を開くでもなく、時折何か言いかけては口を噤んでいた。

「とりあえず人目につかない所に移動してもいいか」

 このままでは埒が明かない、と判断して、ヴァルはミラに声を掛けた。

「ちょっと、あまり外に出ていたくないんだ」

 言葉を重ねたヴァルを、ミラは緩慢に見て、それからふと、目を伏せた。

「『陸』の連中に追われているからね?」

 ゆるり、とヴァルへ向けられたミラの緑の瞳は、怒りとも呆れともつかない感情を悲しみに溶かし込んで湛えていた。


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