第12話 人間
しばらくは後方からの射撃や追手もあったが、バラック街に逃げ込んでからはそれも止んだ。
入り組み、迷路のようになったバラック街は、『海』に暮らす者でも道に迷うことが珍しくない。『陸』の人間なら、まず間違いなくヴァルたちを見つけられないだろう。
ヴァルは追手を撒いてからも、しばらくはバラック街に居るべきだと判断した。下手に外に出たら、それこそ見つかる可能性がある。
2人はバラック街で食料品などを買いつつ、長居することになった。
第12話~人間~
2人は喫茶店に入って時間を潰すことにした。
喫茶店とは言うが、結局はバラック街の商店である。薄暗く、あまりにも殺風景な印象を受ける廃材の建物は、しかし『海』の数少ない娯楽の提供場所の1つでもある。
元々、このような場所には縁が無かったヴァルだったが、以前、ミラに連れてこられたことがあったため、店の存在は知っていた。
2人分の飲み物を注文し、カウンターで受け取ったヴァルは、少女の向かい側に座って飲み物を飲んだ。
『海』において、生きるために必要のない嗜好飲料の類は総じて価格が高い。何故ならば、貴重だからだ。生活必需品はともかく、それ以外の嗜好品はそもそも『陸』から入ってこない。
尤も、嗜好飲料の最たる物と言えるであろう酒類については却って密造が盛んである分、非正規品なら『陸』より出回ってさえいる。だがそれも結局は酔うことによって『海』での鬱屈とした日々を忘れるためのものであり……『海』においては、ある種の生活必需品とすら言えるのかもしれなかった。
「口に合えばいいけど」
カップをしげしげと覗き込む少女に勧めると、少女はヴァルの様子を見て、それからちびり、とカップの中身を飲んだ。
勿論、ヴァルが注文したのは酒ではない。濃縮された果汁を水で希釈したものだ。希釈倍率が高い故に味が薄く、また、原液が元々古いものなのだろう、少々日向臭いような独特の風味があったが、ヴァルはそれなりに美味いと感じた。
少女も一口飲んで目を瞬かせた後は、ごく普通の様子で飲み物を飲んでいた。
そしてふと、ヴァルの脳裏に少女の声が響いた。
『何故、彼らはすぐに撃たなかったのだろう』
「え?」
突然の言葉にヴァルは素っ頓狂な声を上げ、喫茶店の店主が不審気にこちらを見るのを察して少々体を竦めた。
「さっきの『陸』の連中のことか?」
ヴァルが声を潜めて確認すると、少女は頷く。
『結局は、撃った。なら最初から撃つべきだった』
少女の表情は、不可解そうというよりは、どこか、靄を抱えたような、悩むようなものだった。
ヴァルは少女の言い方に、どことなく棘を感じた。そしてそれが恐らく、行き場の無い怒りめいた感情から来るものであろう、とも感じた。
「『陸』の人間が撃ったのは、指示があったからだと思う。通信用のメカニカ、1人着けてる奴が居たから」
少女はヴァルの小さな声に耳を傾けながら、頷いた。それは分かっている、というように。
「……君が言ってるのは多分、それより前に、『陸』の連中が撃つべきだった、ってことだよな。多分あいつらだって、上司……なのかは分からないけれど、とにかく指示が出るだろう、ってことは予想できてもおかしくなかったし……」
ヴァルはそこで、何を言うべきか迷って言い淀んだ。
『陸』の人間達は人質を取られても、気にせず人質ごとヴァルを撃ち殺すべきだった。そうすればヴァルを逃がす心配も無く、上司の評価を悪くする心配も無かった。……それくらいはヴァルにもすぐ思いつく。
だが、恐らく、『撃つべきだった理由』は少女の方が分かっている。
なら、少女がヴァルに求めているのは、『撃たなかった理由』だ。
……ヴァルは、少女の瞳の奥に揺れる感情を見た。名前の付けられないそれを、少女自身もどうしていいか分からないような、そんな様子を感じ取った。
だからヴァルは、思った。
少女が欲しいのは答えではない。答えは少女の中できっともう、出ているのだ。
「『陸』の奴らも、人間、なんだって、ことなんじゃないかな」
少女が真に欲しているのは自分ではない誰かの……ヴァルの、言葉なのだろう、と。
少女はヴァルの言葉に、目をゆっくり瞬かせ、それから、瞑目した。
『にんげん』
「あいつらが俺達の事を人間だと思ってなくても、俺達があいつらの事を人間だと思えなくても。あいつら同士は互いに人間なんだ」
ヴァル自身、思うところが無いわけではない。
自分を見下す目も、自分を蔑む言葉も、自分を苦しめる制度も、全てが『陸』の人間達から与えられてきたものだ。
『陸』の人間はそういう生き物なのだと、ヴァルは思って生きてきた。
人間じゃない、と。
『陸』に蔑まれた以上に『陸』を蔑み、ヴァルは彼らを同じ人とは思わずに生きてきた。
だが、ヴァルはついさっき、見てしまったのだ。
人質を取った事に後悔は全く無いが、人質を取った時の、『陸』の人間達が向けてきた視線。
通信を受けた時の『陸』の人間の表情。
銃を構えた時の、泣きそうな瞳。
それから、仲間に撃たれて血を噴いた人質の、絶望。
「仲間だから……互いに人間だから、殺したくなかった、んだろ」
『人間、だから、殺したくなかった』
「……ああ」
人間ではないと思っていた生き物が、人間らしい姿を見せた。彼らもまた、人間であるのかもしれない。『海』と『陸』の間に、途方もない壁があるだけで。
『人間、は』
少女の声がヴァルの脳裏に聞こえて、そこで途切れた。
少女は目を伏せ、カップを手の中に収めたまま、じっと、飲み物の水面を見つめていた。
夕闇がバラック街に長く暗い影を落とす頃、ヴァル達は喫茶店を出た。
長居しすぎたが、店主からは文句を言われることも無かった。元々閑古鳥が鳴いているような店だ。ヴァル達が居座ったところで、客の入りに変化があるわけでもない。
それでもなんとなく申し訳なく思ったヴァルは、少々チップを弾んでおいた。
警戒しながらバラック街を歩き、やがてバラック街を抜け、ヴァルの部屋へとたどり着く。
どうやら『陸』の人間達は早々に捜索を諦めたらしい。全く危なげなく帰ることができた。
「よいしょ、と」
部屋の片隅に荷物を置いて、ヴァルは大きく背伸びした。
食料を買いこんできたから、最悪の場合でもこの部屋の中に籠城することができる。
『陸』の人間達も、そうそうここを見つけることはできないだろう。この部屋は『海』の人間達からも2年間シータシアを守り続けてきた部屋だ。実績は十分と言える。
「何か食うか?」
ヴァルは荷物の中から缶詰の食料を取り出して少女に尋ねる。
だが、少女はヴァルの問いに対して首を横に振った。
少女の手には既に工具が握られている。早くメカニカの作成作業をしたいらしい。
そんな少女の様子にどこか自分自身を見るような気がして、ヴァルは苦笑しつつ缶詰を机の端に置いた。
「作業もいいけど、食う物もちゃんと食わないとな。……ま、後でもいいか。手伝うよ。やらせてほしい。俺は何をすればいい?」
そしてヴァル自身も工具を手にすると、少女は目を瞬かせ、それから、微かに微笑んだ。
ヴァルは少女に指示された通り、作業に従事した。指示を理解できないこともあったが、その度に少女は言葉を変え、図を描き、説明してくれた。少女との作業は、ヴァルにとって人生で最良の学びの場だったと言える。
少女は今までのどの時間よりも、ヴァルと会話している時よりも、遥かに多く言葉を発した。
それを微笑ましく、嬉しく思いながら、ヴァルは少女の授業に懸命に取り組んだ。
「よし、これでよし、と……今のところ、全体の完成度の何割ぐらいだ?」
『欠損した主要パーツ5つの内2つが完成した。完成度としては40%近い』
ヴァルは少女と作業する内に、作業の全貌をなんとなく把握していた。
少女はやはり、あの海の底に残してきた古代のメカニカを修理するつもりらしい。
そしてやはり、あの古代のメカニカには欠損箇所が複数あり、それらの修復のためにパーツが必要、とのことだった。
「今日はここまでにしよう。このまま君をほっとくと眠らずに作業しそうだ」
少女に食料の缶詰を開けて手渡しながら、ヴァルは考える。
パーツが欠損した、ということは、あの古代のメカニカは何かのトラブルに巻き込まれた、ということなのではないだろうか。それも、欠損したパーツを回収できないような。
それがどれぐらい昔の出来事なのかも分からないし、ヴァルの理解が及ぶ話ではないのかもしれない。
だが、古代のメカニカに搭乗していた少女自身がトラブルに巻き込まれているのなら、何か手助けをしたいと、ヴァルは思った。
『パーツが揃ったら、海へ行く。修理が終わったら、『空』へ』
少女はヴァルの胸中を知ってか知らずか、そう言葉を発して真っ直ぐにヴァルの瞳を覗き込む。
「……ああ。そうだな」
ターコイズブルーの瞳に笑いかけて、ヴァルも缶詰を開ける。
味気ない保存食料も、今日ばかりは美味く感じられた。