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第1話『鯨』

 今日も『空』はそこにあった。

 遥か上空に浮かぶメカニカ(機械仕掛け)の島。あそこに神がおわすのだと、『陸』の人間達は言った。


 今日も『陸』は幸福であった。

『神』によって幸福を約束された日々が穏やかに流れていた。


 そして今日も『海』は、世界の掃き溜めであった。

 生きる為だけに生きている日々。足掻いても何も変わらない世界。先細る未来。

 そういった理不尽だけが『海』の人間達の全てだった。




『海』に暮らすヴァルは『陸』の生活を垣間見る度、疑問に思うのだ。

 この世界の不平等を。

 この世界を創り給い、この世界を見守っておられるという、『空』の……『神』を。




 第1話~『鯨』~




 ヴァルは手足のメカニカ・フィンを起動させ、水の中を進む。

 暗く冷たい海の中に生命の気配は無い。海の水の中では生き物は生きられないのだ。

 恐ろしく透き通った水の底に鋼が沈み、沈んだ時のまま、そこに在り続けるだけ。

 生命無き海の底では、海の外でのようにバクテリアがものを分解することもない。海の底に沈んだものは消えもせず、朽ちもせず、ただ、永遠に沈んだままなのだ。

 ……ヴァルが引き上げない限りは。

 ヴァル達、『海』に押しやられた者達は、こうして死の海の底へ潜って、古代の遺物であるメカニカの欠片、或いは破片ですらない鋼の破片を拾い上げることを生業としている。

『陸』で穏やかに、日々の食事や寝床の心配をせずとも生きられる階級の者達には『魚』と蔑まれるが、ヴァルはこの仕事が嫌いではなかった。

 海は生命の生きられない死の海ではあったが、可能性の塊でもあった。

 古代のメカニカは現代では再現できない技術の結晶である。もし『大物』を引き当てられれば、『陸』に上がることも夢ではない。『海』の『魚』達はその可能性を夢見て、死の海に潜っていた。

 ……だが、ヴァルは例え金にならなくても海に潜り続けただろう。

 ヴァルは好きだったのだ。この海が。

 命の生きられない水の底、遥か昔の鋼達が時を止めて眠りにつき……目覚めの時を待っている、この海が。

 そして何より。

 ヴァルがメカニカの破片を集めるのは、あるものを作るためであった。

 ……『空』へ至る為に。




 ヴァルはメカニカの破片を鞄にたっぷりと詰めて海から出る。

 気に入っている入り江に向かって泳ぎ、やがてなだらかに浅くなっていく水の底に足をつき、細かくさらりとした砂を踏みしめて歩き、水から出る。

 海から出たヴァルは、壊れかけのタンクに溜まっている雨水を使って体を流した。

 海を出た『魚』は、真っ先に真水で体を洗う。寿命が惜しいならばそうした方が賢明だ。海の水は生き物が生きられない水なのだから。

 ヴァルはそうして一通り身支度を終えると、廃材の破片に気を付けながら砂浜の上に腰を下ろし、海を眺めた。

 海から出て、海を見る。これがヴァルの倣いだった。

 特に、この小さな入り江は、昔からヴァルが物思いに耽ったり、休憩したり……或いは『幼馴染』と話したりする時に使われてきた場所である。


 ちょうどそこに少女が1人、やってきた。

「ミラ、今からか?」

 ミラ、と呼びかけられた少女はヴァルに気づくと、手をひらひらさせて応えた。

「ハァイ、ヴァル」

 大人びた表情を浮かべる少女。名前はミラ。ヴァルとは幼い頃から知る仲である。

 同じ年頃の少年少女はあまり多くない。生き残れずに死んでしまった者が多いためだ。そういう意味でも、2人にとってお互いは貴重な存在であった。

「そっちの収穫はどう?」

「こんなもん」

 カバンを開けてみせると、ミラは中を覗き込んで笑顔になった。

「さすがね、『鯨』のヴァル。こんなに引き上げてくるなんて」


『鯨』。

 遠い昔、海に住んでいた大きな生き物。

 最早伝説の上でしか残っていないその名前は、ヴァルに与えられた称号だ。

 仲間内でずば抜けて深く潜れて、一番多くの鋼、そしてオーパーツを持ち帰ってくるから、『鯨』。この二つ名はヴァルの誇りであった。

 それは『鯨』という生き物が居たという伝説上の世界に、ヴァルが惹かれているからなのだろう。

 自分達が碌に知ることもできない、失われた伝説の世界。

 娯楽に乏しいどころか日々の暮らしすら危ういこの『海』において、美しい伝説は心を支える大切なものだった。

『鯨』という称号は、その伝説と自分を繋ぐよすがであるのだ。ヴァルにとって。或いは、ヴァルの仲間達にとっても。


「ねえ、これ、東の方でとってきたの?私も行ってみようかな」

「ああ。東。沈んでるでっかい骨、あるだろ。あの先」

「えっ、骨?何それ、見たことないわ」

「じゃあミラはやめとけ。お前じゃ、規定時間内に行って戻ってくるのは無理だ」

 ヴァルがそう言って笑うと、ミラは如何にも残念、といった表情で肩を竦めた。

 ミラの『魚』としての腕はヴァル程ではないものの、けして悪くない。だが、ミラはヴァルよりも堅実な性質であったから、行かなくて済むならあまり遠出しない。

 あくまでも規定時間……死の海に長く浸かることは確実に寿命を縮めるとして、『陸』の人間が定めた、『一日あたりの海に潜っていい時間』……それを確実に守って生活している。

 一方のヴァルは、時折、規定時間をほんの少しばかりオーバーすることもあるが、やはり基本的には規定時間を守るようにしていた。

「いいなぁ。これだけあれば当面は海に入らなくても食いつなげるんじゃない?」

「かもな。ま、明日も潜るけど」

 ヴァルが答えると、ミラは明らかに表情を蔭らせた。

「入らなくて済むなら、海になんて入らないほうがいいわよ、ヴァル。この間ベリルが死んだの、忘れたわけじゃないでしょう?」

「ああ、分かってる」

 規定時間を超えて海に潜り続けていた仲間がついこの間死んだ。まだ20か21かの、若い女だった。

 ……死んだ仲間、ベリルは、まだ幼い子供達……孤児や、『陸』から流れてきた不幸な子供達皆の為に海に潜り続けていた。

 幼い子供たちが拙い技術で潜れるくらいの深さ、距離にはもう、メカニカの欠片は残っていない。ほんの僅かに、鋼の小さな欠片が落ちているくらいで……それもそう遠くない未来には一切無くなるのだろう。

 だからベリルは、海に潜っても収穫を碌に得られない子供達を生かすため、海に長く潜り続け……死んだ。

 海に入ることは確実に寿命を縮める。規定時間を守っていても、海に入っている以上『魚』は短命である。

 近い海で鋼が採れなくなり、益々『魚』が生きていくのは難しくなっていく。

 だが、その中でも上手くやれば、そこそこには長生きできるということも、分からないヴァルではない。

 それでも、ヴァルにはどうしても譲れないものがあった。

「……『シータシア』?」

 ミラの言葉に、ヴァルは1つ、強く頷いた。

「ああ。……もうじき、完成するんだ。そうしたら、『空』へ行ける」


 海から吹く風が、ヴァルとミラの髪を煽って靡かせた。

「それで神に会って……何も変えられなかったとしてもいい。せめて知りたい。どうして『海』と『陸』を分けたのか。どうして俺達ばっかり腹空かせて、寒い思いして、死んでいくのか」

 やや傾きかけた太陽の光が海に反射して煌めく。

 ヴァルはそんな海を見ながら……或いは、海の果てと混じり合う空を見ながら、確認するように言った。

「もう俺達には『空』にしか望みが無い。……違うか、ミラ」

 ミラは風に弄ばれる髪を押さえ、海へと目を伏せた。

「……そうかもね」

 その時、一層強く風が吹いた。

 びゅう、と唸る風は、ミラの唇から零れ落ちた「でも」という言葉を掻き消して過ぎ去っていった。




 ミラが海へ潜りに行ったのを見送って、ヴァルは海添いに歩き始めた。

 海から上がった体は重く感じる。こういう時ヴァルは、自分には空気よりも水の方が合ってるんじゃないか、なんて思う。

 それでも足取りは軽かった。ズシリと重い鞄が、自然とヴァルの歩調を速めた。


 海沿いをずっと進むと、やがて地形が変わってくる。

 ごく細かな鉄屑や廃プラスチック、そして大昔の生物の骨が粉々になったもので埋め尽くされたなだらかな海岸はやがて、大きな廃材で形作られゴツゴツとしたものへと変わっていく。

 海岸というよりは廃材の山のようなそこを進み、山の一画まで到達したヴァルは、コンクリート塊にしか見えないそれに手を掛けた。

 すると、音もたてずにするり、と、コンクリート塊が横に滑る。その先にはぽっかりと空洞があったのだった。




 空洞の先は古い施設の一室だった。恐らくは昔、海の研究をしようとした人間達が造り、そして早々にうち捨てていったものだろう。廃材に埋もれた故に壊されることもなく残り、そして、ヴァルに見つけられて使われている。

 部屋自体が古びている上、元々施設内にあったのであろう雑多な物を壁際に押しやってなんとか場所を作ったような有様ではあったが、ヴァルの手によってそこそこ環境が整えられてもいた。

 雑で簡素な作りの照明が室内を暖かく照らしている。少し眠りたい時には眠れるよう、プラスチック・パフと貴重な布を使った寝床も用意してある。寝床の横にはスチールのデスクと棚。棚の中にはメカニカの扱いについて書かれた古代の本が数冊納められていた。これらの本は、ヴァルが海から引き揚げた貴重なものだ。そして、こつこつ貯めてきた食料……エネルギーバーやレプリカ・ミートの缶詰、濾過水のボトル、といったものが部屋の隅にしまってあった。

 ヴァルは早速、貯蔵してある食べ物の中からエネルギーバーをとり、食べた。

 味はさておき、腹を満たし、動くことだけを考えれば文句のつけどころの無い食べ物だ。

 濾過水のボトルも空けて、ヴァルはいよいよ、作業を始めることにした。


 ヴァルはデスクの上に今日の収穫を並べる。

 鋼の欠片に混じって並べられていくのはメカニカの欠片。確かに古代の失われた技術が宿ったそれが、シータシアの材料となる。




 シータシア。

 部屋の中央に佇む、乗り物とも義肢とも鎧ともつかないメカニカの塊。

 失われた技術の粋を集めたそれは、ヴァルが2年あまりをかけて、ジャンクパーツから組み立てているものだ。

 メカニカを組み立てることは容易な事ではない。何せ、その技術は遠い昔に失われてしまったのだから。

 精々、ヴァル達『魚』が海に潜るために使うメカニカ・フィンなどの、比較的小さな、かつ単純な作りをしたものが使われている程度である。

 ……だが、ヴァルが組み立てているシータシアは、人間の体を包み込む大きさであり……『空』へ行くためのメカニカである。

 ヴァルはずっと昔、まだ幼い頃からメカニカの欠片を分解して中を調べ、古代の技術書を海から引き揚げては解読し、試行錯誤を繰り返してようやく、シータシアを組み立て始めるに至ったのだ。ヴァルは『鯨』の名の通りの優秀な『魚』でありながら、有数のメカニカ技師でもあったのだ。

 容易な事ではなかった。

 時には食事を棄ててでもメカニカの仕組みを探求し続けた。沈んだ技術書を引き揚げるために規定時間を超えて海へ潜った。

 それは『空』へ行くため。全ては、『空』へ行くためであった。

 ヴァルがこうまで『空』にこだわるのは、それしか無いからだ。夢も、希望も、『海』には無い。

 井戸の中の蛙が狭い空だけを見て、空に焦がれるように。他に何も無いから、『空』に焦がれる。

 ある種の幸福だ。理不尽な現実と反した何かを夢見ることができる。その夢を追いかけることができる。それは、ある種の幸福である。例え、中身が伴っていなくとも。

 ……そして、それ故にヴァルは一途であった。

『空』へ。『神』へ。ここではない、どこかへ。何かを変えてくれる、誰かへ。

 その思いは誰よりも強かった。




 そして。

「……で、きた……」

 ヴァルが部屋の中央で、静かな歓声を上げた。

 そこには、完成したシータシアの姿があった。

 決して美しい外観ではない。無骨な、ありあわせのメカニカの塊だ。

 だが、このメカニカが、ヴァルを……そして世界を変える、第一歩となる。


 この物語は、『空』を目指した1人の男の物語である。


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