第七十八話 そっと手を繋いで
「それで、どこに行くんですか?」
門を潜り、お屋敷の前の道を歩きながら、二人に話しかける。
すると、右隣を歩いていたちよさんが朗らかに顔を明るくして。
「はい! 実は――――んむっ?」
だけど、答えかけた口の前に、俺達の真後ろを歩く御珠様が人差し指を立てる。
「秘密じゃ。皆まで知っていたら面白くあるまい?」
今度は狐の形を指で作って、自分の口元に持っていく御珠様は悪戯っぽく口角を上げる。
「はい! そうですね、内緒です!」
ちよさんもこくとくと頷いて、御珠様に合わせて、くいっと曲げた招き猫の様な手を口元に当てる。
良い陽気だし、御珠様も一緒でちよさんも楽しいみたいだ。
昨日はお出かけで色々有ったけど、つられて俺の気分も上がってくるな――!
◆ ◆ ◆
……でもまあ、やっぱり一波乱は有るわけで。
「あれっ、今日も……」
目の前に立ちはだかるのは昨日と同じ、大通り。
もちろん、昨日と同じく大勢の人でごった返している。
今日もここ通るんですか……と、思わず言いかけて、思いとどまる。
そうだ。きっとこれは御珠様から課された試練なのだ。
確かに昨日は少し嫌な思いをして、御珠様はとても心配してくれて、慰めてくれたけど。
でも。それは、それとして。
対象を怖れずに、少しずつでも克服せよ――きっとそんな想いで、今日も俺を連れ出したんだ。
「なるほど。頑張りますね、御珠さ……」
納得がいった俺は顔を上げて、御珠様に頷き掛ける――。
「……ど、どうするか、景? 回り道でも、よ、良いぞ……?」
……あれ???
なんか御珠様、めっちゃうろたえてないか……???
目は泳いでるし、立派な耳もぱたんと寝ちゃってるし、しっぽもせわしなくばっさばっさ動いてるし……。
もしかして、外出を決めたのは完全に見切り発車で、目的地までの経路に大通りが有るのを忘れてたんじゃ……。
いや、正直俺も、回り道できるならしたいところではあるけれど……。
ごほん、と咳払いをして。
「……いや、大丈夫です」
もう一度、覚悟を決める。
どのみち、ここで逃げてたって仕方無いんだから。
昨日だって、大通りに入った時と帰ってくる時じゃ随分気持ちが違ったじゃないか。
少しずつ、少しずつ平気になれば良いんだ。
「? どうかしましたか?」
昨日の出来事を知らないちよさんが、不思議そうに首を傾げると、
「何でもないぞ」
御珠様はポンと俺の背中を軽く叩いた。
そして、俺達はいよいよ大通りを歩き始める。
やっぱり昨日と同じく、視線を浴びてしまうけど――。
「あっ、御珠様だ――って、昨日の人間と一緒!?」「そりゃそうだろ、御珠様のお屋敷に住んでるんだから」「御珠様とちよちゃんは怖くないのかな……」
でも、でも……うん。
やっぱり。昨日よりは、平気だ。
少しずつだけど、向こうも人間に慣れてきている様な気もするし……ただの願望なのかもしれないけど。
とにかく、前を見て歩こう。
しばらく歩いた後、落ち着いてきて、静かに息を吸って、前をまっすぐ向こうとすると――。
ふわっ。
やわらかくて。あたたかくて。
ぷにぷにした感触が、右手に。
御珠様??? と、思いつつチラ見すると。
目を見張った。
俺と、そっと手をつないでいたのは……ちよさん。
どうしてだろう。ドキッ、と鼓動が急に加速して、顔が熱くなる。
ちよさんが、今、俺の、手を――。
それだけじゃなくて。
よく見れば、ちよさんの表情は……。
ちょっと、むっとしていて。でも、そんな表情をするのに慣れてないのか、どこかぎこちなくて。
そんなちよさんを見るのは、もちろん初めてで……。
「……景さんは、怖くなんてないです」
小さい声で、だけど芯の通っていて、透き通った声が聞こえてきて。
「ちよさん……」
あれ、あれ、どうしてだろう。
今度は全身が、ぽーっと暖かくなって、不安な気分なんて飛んで行って……。
「ありがとうございます。もう大丈夫ですよ。だって……」
だって? だって、だって、何なのだろう?
自分でも分からない言葉を続けようとしている。
ちよさんが、こっちを見る。
むっとはしてなくて、代わりにきゅっと、口を結んで。
大きな目をぱちくりとしていて。ゆらり、と長いしっぽが揺れる。
心臓が爆発しそうだ。身体の底から熱いものがこみ上げて来るような、ふらつく様な感覚で。
俺はゆっくりと口を開いて――。
「だって……ちよさんが、いてくれる――」
「御珠様だ!!!」
……そんな俺のセリフをかき消す、黄色い声援。
「……」
「……」
急激に気恥ずかしくなって、目線を逸らしてしまうちよさんと俺。
「今日も華やかでとっても素敵……!」
声の主は、お茶屋さんで店番をしていたリスの女の子。
いや……それだけじゃない。
「御珠様がこっちを向いた! きゃっ!」「今日はどちらにお出掛けかしら……!?」「あっ、今こっちに微笑んでくれた……!!!」
洗濯物を干していた二階、新しい着物を選んでいた店先、大きな荷物を背負っていた道端、色んな場所にいた、色んな種族の女の子達がみんな用事をほっぽり出してぞろぞろと通りに出てきて、御珠様を惚けた様に眺めてる。
どうやら御珠様は大人気……特に若い女の子達から人気らしく。
「ふふふ、照れてしまうのう」
まんざらでもない口調でケロッと言いながら、黄金の髪をさらりと撫でる御珠様に、特大の黄色い声援。
お屋敷ではそんな優雅な所作してないでしょ……とツッコみたいのは山々だったけど、ファンの子達から何をされるか分からないから黙っておこう。
この子達に、御珠様の寝起きのぼさぼさ髪で着物をはだけさせた姿や、散らかしっぱなしの部屋でぐーたらする姿を見せたらどうなるか……。
……あれっ?
ふと気付いた。通りに出てきた女の子達の明るい話声で、いつの間にか俺に対するひそひそ話はかき消されていることに。
「あ、あのっ、御珠様、御朱印下さい……!」「私も私もっ、お願いします!」「その次はわ、私も良いですか……?」
って、いつの間に! ふと気付けば御珠様は、沢山の女の子達に囲まれてて――。
「もちろん。話しかけてくれて嬉しいのう」
どこから取り出したのか、筆を使ってさらさらと渡された手帳や色紙とかに赤い墨で名前のサインと、それからその横に狐面の絵を添える御珠様。
御朱印って、神社とかで貰える物なんじゃ……? と思ったけど、きっとこっちの世界では勝手が違うんだろう。まあ、御珠様なら神社レベルでご利益有りそうだし……。
貰った女の子たちはみんな嬉しそうに手帳や色紙を抱きしめて、にこにこ笑ってる。
「御珠様、御珠様、こんにちは」
そして、女の子たちの波がひと段落したら、話しかけてきたのは――小柄なネズミのおばあさん。
「おお、リツさんか。この間頂いた手ぬぐい、さらりとしててとても重宝しておるよ。ありがとう」
「いえいえ、いつも御珠様にお世話になっている、ほんのお礼です」
「いやいや、謙遜せずとも本当に嬉しいのだよ。それで、リツさんは近頃は元気かのう?」
「ええ、お陰様でハツラツと――」
「……いや、よく見たら。足、包帯巻いてるではないか……!」
すると、御珠様が一瞬で真剣な顔になって。
その視線の先には……リツさんの右の足首に巻かれた、包帯。
「ああ、これは、ただの捻挫だから大したことはありゃせんよ」
なんてリツさんは言うけれど、御珠様は首を横に振って否定する。
「そんなことはない。どこで怪我をしたのだ?」
「ええと、確か橋の前の道でつまづいて……」
「恐らく、近くに看板を建てた時に軽い地割れが起こったのだな。すぐに調査を行おう」
「こんなに気にかけて下さって……ありがとう」
「いやいや、これも当然の仕事じゃから」
感激して目元をこするリツさんに、御珠様は優しく微笑んで。
「ちょうど良いところに! 鐘五郎!」
「どうしたんです、御珠様!!」
それから御珠様は通りを歩いていた、頭に鉢巻を巻いて法被を着た屈強そうな熊の獣人や、他にもどんどんと集まってきた男達を呼び寄せて真剣に話し始める。……きっと、大工さん達だ。
「それでは、くれぐれもよろしく頼むぞ」
「御珠様の頼みだ!」「「「合点っ!!!」」」
そして御珠様は、恐らく橋がある方へと急いで走っていく大工さんたちを見送った。
……こんなに早く話をまとめるなんて、流石は御珠様……。
その後も御珠様は沢山の人に話しかけられて、相談事に乗ったり、あるいはおすそ分けを貰ったり、ただただ楽しそうに言葉を交わしたり。
色んなケースが有ったけど、どの人も御珠様を慕っているというのだけは同じだった。
だって、テキパキ仕事をこなしたり、穏やかに微笑みかける姿はカッコ良くて、そりゃあ女の子達が憧れて、皆に慕われる気持ちも分かる……。
そんな御珠様の様子を、一緒に眺めていたちよさんと、ふと目が合って。
ちよさんは何にも言わずに、嬉しそうににこっと笑って。
その拍子に、繋いでいる手がぎゅっと少し強くなって。
ちらっとこぼれた牙を見ると……どうしよう、また鼓動が早くなってくる……。




