第七十六話 行商の思い出
「お疲れ様!」
と、嬉しそうに手を振ってくれる狸の蓬さんのもとに、俺は野菜の入った手提げかばんを持って向かった。
「おつかいはどうだった? 景君」
「八百屋さん、とても良い人ですね……!!!」
「あはは、玄之丞さん、最初はちょっと怖いけど親切だったろう?」
どうやらあのハチマキと前掛けをした筋骨隆々の茶色の犬の八百屋さんは、玄之丞さん、という名前らしい。
正直最初は怖かったけど、凄く丁寧に野菜について教えてくれて、まさかおまけまで付けてくれるなんて……!
「おお! ちゃんと新鮮な野菜を選べてるね! おまけもこんなに! でかした景くん!」
鞄の中身を確認した蓬さんが、わしゃわしゃと俺の頭を撫でてくれる。喜んでくれたことがたまらなく嬉しくて、緊張はあっという間にほどけていた。
「『ツルカクシ』が三つも有れば酢の物が豪華になるね! 上手くいけば、もう一品余計に作れるかな?」
つるに包まれて中身の見えない野菜の名前は『ツルカクシ』。もしかしたらこれまでも知らず知らずに食べていたかもしれないけど、どんな味がするんだろうと、夕飯がもっと楽しみになった。
「それじゃ、お屋敷に帰ろうか!」
「はい!」
そして俺達は同じ量の荷物を担いだり背負ったり肩に掛けたりして、大通りを歩いていく。
魚屋さん、お豆腐屋さん、乾物屋さん、それから沢山の屋台――さっき買い物をしたお店が傍目に見える。
歩いていると、恐らく俺に向けられたひそひそ話が聞こえてくるけど、今は来た時ほど気にならなかった。
代わりに気付く。そう言えば人間がいきなり入店したのに、どのお店でも大きな騒ぎは起こらなかったし、店員の人達は皆、玄之丞さんの様に俺のことを避けたり嫌がったりせずに、自然に接してくれたな……。
凄く有難かったけど、どうしてだろう? 理由が思い付けないで、ちらちらと通りに連なるお店のほうをそれとなく伺ってしまっていると、俺の顔を覗き込んだ蓬さんが助け舟を出してくれる。
「どこか気になるお店があるのかい?」
「あ、いえ、そういう訳じゃないんですが……」
「……。ふふっ」
野生の勘だろうか、鋭く察した様子の蓬さんが軽く笑みをこぼした。
「商いは、良いものなんだよ」
そしてお店の並びを見て、目を細めて、しみじみとした口調で語りだす。
「商売をしている人達は、売れるものは誰にでも売ってくれるんだ。お客さんを選んでいたら、全然儲からないからねえ」
確かにそうだ、と俺はハッとする。
「さっぱりしてて、良いですね」
「そうだよねえ。実は、私の家は行商人でね。一家で色んなところを巡っていたんだ」
行商人。商店街を見てみれば、陣笠を被って背中に大きな荷物を背負った人が茶屋に座ったり、屋台と並んで物を売ったり、通行人から呼び止められたりしていた。
「朝に背負っていた大きな荷物が、夕方にはすっかりなくなっちゃったりしてね。凄い速さで荷物をさばいていくんだよ。お客さんから感謝されたりもしてね……」
蓬さんの口調は誇らしげだった。
「そんな両親が格好よくてね、よくそばで見ながら手伝っていたんだ」
もしかして蓬さんが力が強いのは、行商人の大きな荷物を手伝いでよく持ってたからなのかも。
俺は小さい頃の蓬さんを想像する。荷物を背負いながら両親の着物をちょこんとつかむ小さな狸の女の子が思い浮かんだ。多分、看板娘になっていたんだろう。
「私の両親は長く滞在する方でね。気に入った街があればそこで数年腰を下ろすことも有って。だから、この街の人とも長い付き合いなんだよ」
蓬さんは懐かしそうに商店街を振り返って、それから鼻先を右斜め上に向けた。
「今は西の方に行商をしに行っているんだよ。お客さんにこの街のお話をしているかもしれないね」
そう語る蓬さんは不安そうでもなかったし、寂しそうでもなかった。
だけど本当は、家族を心配していない訳じゃないし寂しくない訳でもないだろう。
それでも家族を信頼しているから、絆があるから不安に苛まれていないんだろう。
離れ離れで寂しい……寂しい、寂しい、か……。……。
「蓬さんは行商人を継ぐことは、考えていないんですか?」
色々考えてしまいそうになる前に、俺は会話を続けて気を紛らわすことにした。
すると蓬さんは「うーん……」と宙を見上げていたけれど。
「行商人にも憧れてるんだけどねえ。今は、御珠様のお手伝いの方が楽しいかな」
その返事はとても清々しかった。
「それに、色んな意味でまだまだ御珠様を一人にするわけにいかないしねえ」
「それは……はい」
冗談っぽく話す蓬さんに、俺は苦笑する。
御珠様の散らかり切った部屋に、寝起きの乱れまくった服と髪に、その他にも沢山の御珠様を思い出しながら……。
「……やっぱり、そばにいないと不安ですか?」
「たまちゃんとはもう十五年以上一緒だけど、昔からずっとあんな感じだから」
『たまちゃん』とは御珠様のことだ。どうやら御珠様的には『たまちゃん』と呼んでほしいらしいんだけど、もっと威厳を出して欲しいと、蓬さんと十徹さんは皆の前では『御珠様』と呼んでいるのだ。
「えっ、そんなに昔から知り合いだったんですか?」
「うん。長い付き合いだよねえ」
十五年以上というと、二人が都季や灯詠と同じぐらいの頃から? 『たまちゃん』という呼び方は子供の頃にできたのかな?
「御珠様って、昔はどんな子だったんですか? どんな風に出会ったんですか?」
気になってきたのでつい気持ちが先走ってしまう。何となく、こういう時なら話してくれそうな気がしたのだ。
「ふふ、それはね――」
蓬さんも待ってましたとばかりに喋りかけるけれど――。
「おお、ついに来たぞ!!」
という大声にかき消された。来た? 来たって、もしかして俺のことか……? と、身構えてしまったけど、それは杞憂だったらしく。
蓬さんと俺の前方に人だかりができていて、ひときわ立派な建物の壁に貼られた一枚のポスターを眺めていたのだった。
「おっと」
と、蓬さんは特に動じずに人込みを迂回する。どうやらこの光景は日常茶飯事みたいだ。
「新作か! こりゃあ公開日に見に行かなきゃな!」「今回の着物は水色だってさ。初めてなんじゃないか?」「回を重ねるごとに艶やかになって、ほんと惚れちまうよなあ……」
そばを通りかかっていると、そんな声が聞こえてくる。集まっているのは男の人達ばかりで、みんな熱くなってポスターの前に殺到している。
よく見ればその建物には『芝居小屋』という立派な看板が掲げられていた。
と、いうことは新作の芝居の告知か何かなんだろうな。と思いながら目を凝らしてみても、人込みに隠されて、恐らくポスターの真ん中に配置されている出演者の耳しか見えなかった。
少し銀色がかった、丸と三角の中間ぐらいの形の耳。
う~ん、それだけだとどの種族かは分からないな……。ということは逆に、俺があんまり知らない種族っていうことなのかもしれない。
気になりはしたけれど、ごった返す中を割って入る根性も無かったのでそのまま通り過ぎたのだった。
◆ ◆ ◆
「御珠様は、今頃どうしているんでしょう」
それからしばらく歩いて、もうすぐお屋敷に着くというところだ。
「お腹が空いていれば、尻尾を振りながら出迎えてくれるかもねえ」
そんな蓬さんの言葉に、玄関を開けた瞬間に尻尾を振って上機嫌で出迎えてくれる御珠様が容易に想像できてしまう。
両手にずっしりと響く手提げ鞄やらの重み。でも、それで喜んでくれる様子を思い浮かべると決して苦ではなかった。
そしてお屋敷の門を潜ると、ふと気が付いた。玄関の扉の下から明かりが漏れていて、しかもちらちらと黒い影が動いていることに。
もしかして、あれは……。
「……尻尾ですか?」
こそっと蓬さんに耳打ちをすると、蓬さんは嬉しそうにうんうんと頷いた。
その反応から、誰の尻尾かは言わずとも分かる。
御珠様だ。
玄関の向こうで待つ御珠様の方も俺達が帰ってきたことに気付いているんだろう。それでも、蓬さんと俺はいたずら心を起こして、ゆっくりとそろっと、玄関の扉に近づいて行って――。
「ただいま帰りまし――」
ガラッと思いっきりドアを開けて、元気よく挨拶しようとして――。
「――っ!」
それよりも早く、御珠様は目を見開いて。
明らかにいつもと違うその表情に戸惑う暇もなく。
「景っ!!!」
御珠様は声を上げて、猛烈な勢いでこっちに突進してきて――。
俺は思いっきり、ぎゅっと抱きしめられたのだった。
「……えっ?」




