第七十一話 お出掛け日和
「景君」
凛さんと御珠様がお屋敷で話し合ってから、大体十日ぐらい経った頃。
今日も空気がカラッとしてて、いい天気だな……なんて思いながら、のんびりと縁側を歩いていると。
後ろから誰かに引き留められる。
「どうしました?」
振り返れば、そこに居たのは――蓬さんだ。
「今ちょっと時間有るかい?」
「はい、大丈夫ですよ」
今丁度、洗濯物を庭に干し終わったところで、蓬さんに次の仕事を訊きに行こうと思っていたんだ。
次はどんな家事をすればいいんだろう?
「実は、今からお買い物に行くつもりなんだけど――」
あ、もしかして、留守番のお願いかな?
だけど、よく見ると蓬さんは右手に、手提げ袋を二つ持っていて、どことなく嬉しそうな表情を浮かべていて……。
「それと一緒に景君に、街をちょっと案内しようと思って」
それから蓬さんは、こう付け加えたのだった。
言われて改めて気が付く。そうか、よくよく考えると俺……この世界に来た日と、あの丘に登った日ぐらいだ、このお屋敷の外に出たのって。
「本当ですか? 勿論です!」
すぐに頷く。外……お屋敷の外、か。
正直、まだちょっと気が引けてしまう気持ちもあるけれど。
でも……出掛けてみたい。もっともっと、この世界の色んな所に行ってみたい……!
「うんうん! それじゃあ、はいどうぞ」
即答すると蓬さんは、紺色の手提げかばんを手渡してくれる。受け取ると、両手にずしっとした重み。
「それは、よそ行きの着物だよ」
それもそのはず、蓬さんの言う通り鞄の中には、綺麗に畳まれた着物が一着入っていた。
「ぴしっとしていて、かっこいいですね!」
その着物の黒色の布地には、流れる様な銀色の模様があしらわれている。
混じり気のの無い黒の色合いはどこまでも深く、美しくて。銀色の模様も仰々しくないからこそ、シュッとしていてかえって涼しげだ。帯の色も濃い青緑で、全体が落ち着いたクールな印象でまとまっている。
「そりゃあもう、とっておきの自信作だからね」
そういう蓬さんは少し照れているみたいで、指先で軽く頬を掻く。
「十日もかけたんだから」
「流石ですね……」
十日、と、蓬さんは謙遜して言うけれど……。ほつれも模様のズレも一つもない、こんなにしっかりとした着物を十日で仕立てられるなんて、裁縫が滅茶苦茶下手な俺からしたら驚異的な早さだ……!
「ありがとうございます、こんなに素敵な着物を……」
「良いの良いの。お出掛けなんだから、ちゃんとおめかししないとね」
お礼を言うと蓬さんはぽん、と俺の肩を叩いて、パチッとウインクをして。
「私もちょっと着替えてくるから、玄関で待っててね」
それから、廊下を小走りで進んで行った。
さて、俺も支度をしなきゃな。手提げ鞄を抱えたまますぐに踵を返して、自分の部屋に戻る。
姿見の前に立つと俺は寝間着を脱いで、貰った着物へと着替えていく。
この世界に来てから大体一か月。着物に着替えるのにも手間取らなくなってきたのが、嬉しい。
しゅるっ、と帯が滑る子気味良い音がする。
障子の隙間から見える景色はやっぱり良い陽気で。まさに絶好のお出掛け日和だ。
◆ ◆ ◆
「さて、と……」
無事に着換えが済んだので俺は再び手提げ鞄を持って、玄関へと向かっている。
鼓動がいつもよりも、早くなっているのを感じる。
だって、この世界に来てから、ちゃんと出掛けようと思って出掛けるのは初めてなんだから。
でもまあ……おつかいはおつかいだ。どこか見知らぬ秘境に探検に行くのとは訳が違う。
それに、あの日と比べて気分は全然落ち着いているし、蓬さんだって居てくれる。
リラックス、リラックス、っと。
そんなことを考えながら玄関に着くと。
「あれ」
蓬さんはどうやらまだ支度中らしく、姿は見えなくて。
「あれ? どこに行くのですか? 景?」
「お出かけ……?」
その代わりに、腰を下ろして下駄を掃こうとしていた白狐の子狐達――灯詠と都季と目が合った。
二人のそばにはお揃いの、花柄のワッペンが縫い付けられた黄色の鞄が置かれていて。今まさに、出掛けようとしていたところらしい。
「お買い物だよ」
「おお!」
「おお……」
俺が自分の鞄を持ち上げて見せてあげると子狐達は歓声を上げて、きらきらと目を輝かせる。
「ということは、食べ物を買ってくるのですか?」
と、最初に灯詠の質問。
「まあ、そんなところだと思う」
蓬さんは近所にふらっと、という感じの口調だったから、多分遠出じゃないだろう。
「どんな食べ物」
と、今度は都季の質問。
「いや、そこまでは――」
そこまでは分からない、と、言い切るよりも早く。
「ふむふむ、なのです」
「なるほど」
何故か子狐達は目を合わせて、不敵に笑って――。
「ずばり、今日の献立はそうめんなのですね!」
「流しそうめん」
何故か強い口調で、こう断言した。そりゃあもう、これしか有り得ないというぐらいの自信満々な表情で。
「いや、違うけど」
どこから出てきたんだよ、その推理……。
「「……!?」」
さらっと否定すると子狐達はショックを受けたらしく、目を丸くしてしっぽをぴんと立てる。
「そうめんは、とっても体に良いのですよ?」
「体の温度を十ぐらい冷やすことができる」
「それに、食べると体の毛の色も変えることができるのです」
「買わない手は、ない」
「……単にお前らが食べたいだけだろ」
確かに、この時期に涼しげなそうめんはぴったりだけどさ……。
それにしたって医学効果の捏造もいいところだった。体温が十度下がったり体の毛の色が変わったりって……どう考えても体に良くないだろ、それ。
もしかして、というか、もしかしなくともおねだりをされているんだよな……。
「う~ん……」
そうめん……そうめんか。正直言って、言われてみれば俺も食べたくなってきたけど……。
だけど、あんまりねだられた物をほいほい買ってあげるのも、どうかと思うし。どのみちまずは、お財布を持っている蓬さんに尋ねなきゃいけない。
「……どうしても駄目なのですか?」
「……流しそうめん」
すると二人はしおらしくなって、すがるような目をして俺のことをじっと見つめて来る。
尻尾も耳も、しゅんと垂らしながら……。
「うっ……」
その反則的な純粋な視線が、心の弱い部分を容赦なく突いてくる。
こ、この状況で断ったら、なんか俺の方が悪人みたいだぞ? ど、どうなんだろう。そうめんぐらいなら、お金が余ったら買って来てやってもいいのか? そうめんぐらいなら、それほど高くもないだろうし……。
「えーっと、そうだな、じゃあ……」
子狐達の熱意に押されて、お願いを承諾しようとした。
その時。
「景君、ちょっとお願いが――」
と、そんな声が、聞こえてきて。
「あれ? そっか、二人もお出掛けの時間だったっけ?」
部屋着からよそ行きの、薄い緋色の着物に着替えた蓬さんが玄関にやって来た。
「「あっ……」」
すると子狐達は一瞬固まって……。
「は、はい! そうなのです! い、今私達は、出掛ける景を励ましていたところなのです!」
「……景ならできる、絶対」
それからぽんぽんと、俺の背中をせわしなく叩くのだった。
さっきまでのおねだりはどこへやら……一体、どうしたんだ?
「もしかしてなんだけど、景君――」
それに蓬さんも、どこか慌てているように見える。
あっ、もしかして……。
何となく俺は直感で、自分の鞄を探ってみた。すると、かさり、という感触が指先に走って。一枚の小さな紙が鞄の中から出てきた。
「あっ、その紙だよ、景君!」
すると蓬さんは目を丸くして、嬉しそうな声を上げた。
「良かった良かった、こっちに入ってたんだね!」
その白い紙の片面には、小さな筆文字で食材の名前やらが書き付けられていた。
財布、鞄に次ぐ重要アイテム――買い物メモだ。
「それを探していたんですか?」
「そうそう。道理で私の部屋じゃ見つからない訳だよ」
メモを渡すと蓬さんは困った様に笑ってから、狸の太い尻尾をもふんと一回揺らした。
「ありがとう、もうちょっとだけ、玄関で待っててね」
「あの、そうめ――」
そうだついでに、そうめんを買って欲しいって蓬さんに伝えておこう。
俺が部屋に戻ろうとする蓬さんの背中を引き留めようとすると――。
「んっ、むぐっ……?!」
何故か突然都季と灯詠に口を塞がれて。い、息が、苦しいっ……!
「? どうしたのかな、三人とも?」
振り返った蓬さんは、そんな俺達の様子に首を傾げる。
「えっと、そうめ、そうめ……聡明、なのですね、景は!」
「紙が鞄に入ってると気が付くなんて……偉い」
「景はとってもそうめいなのです! それだけなのですよ、蓬!」
「いいこいいこ」
「? 確かに、景君はとても良い子だね」
明らかにおかしな二人の様子に蓬さんは、不思議そうに笑って、
「ごめんね、すぐに戻るからね!」
と言って準備を再開しに、廊下の向こうへと走っていったのだった。
「……ぷはあっ……!」
ようやく子狐達の手から解放されて、荒っぽく息をつく。
「何だよ、蓬さんにおねだりするつもりじゃなかったのか……?!」
さっきまで二人ともあんなにそうめんを推してきたのに、明らかに不審だ。
「「……」」
すると子狐達は、恐る恐る、という様子でお互いの顔を見合わせて。
「あれは、今日の様な良く晴れた日……」
「……丁度、三か月前のことだったのです」
それから神妙な表情で、小さな声で語り始めたのだった……。




