第六十七話 乙女の部屋の怪
「凛! こっちに来るが好い! 景がお菓子を持ってきてくれたぞ!」
と、俺が持ってきた、お盆の上のお菓子とお茶とお酒を見て浮き浮きとした様子の御珠様が、部屋の中に声を掛ける。
御珠様と話し合いをするために今、このお屋敷にやって来ている『凛』さん。だけど、その姿を俺は未まだ、見れていなくて……。
一体、どんな人なんだろう? と、内心、かなり期待と想像を膨らませていた。
息を呑んで、凛さんを待つ。緊張が高まっていく。
……。
……だけど、いつまで経っても凛さんの返事は聞こえてこない。?
「どうしたのじゃ、凛? おぬしの好きな芋菓子だぞ?」
と、御珠様がもう一度呼び掛ける。
………………。
けれど、やっぱり返事は無い。障子の隙間から見える暗い室内は、しんと静まり返っていた。
「? ちゃんと居るはずなのだが……おかしいのう」
御珠様も首を傾げている。ぴくっと動く、御珠様の大きな狐耳。だけど、不思議そうな御珠様の表情は変わらなかった。どうやら、凛さんの音すらも、聞こえないらしい。
凛さんが、居ない? 予想外の事態に戸惑っていると。
「くふふ、もしかしたら、話に疲れて眠ってしまったのかもしれん」
御珠様がにやっと笑って。……また、何か企んでいるんだろうな。
すると御珠様は案の定、部屋の敷居を跨いだかと思うと、くるっと振り返って。
「……ちょっと、寝顔を見てやろうぞ」
悪戯っぽい表情でこっちに手招きをするのだった。
「えっ……?」
「? おぬしは凛と会いたくはないのか?」
唐突な誘いにすぐに返事をできずにいると、御珠様に突っ込まれる。
「い、いえ、別に、寝顔じゃなくても良いのでは……?」
親しい仲ですら躊躇するのに、凛さんと俺は初対面なのだ。流石にそれは駄目だろ……。
「凛の寝顔は、とてもかわいらしいぞ? 恐らく、この街で一番じゃな」
「…………」
い、いや、それでも寝顔を覗くのはちょっと……と、断ろうとしたけれど。
「さあさあ、遠慮はせずに」
「え、あっ、ちょっと!」
いつの間にか御珠様が、俺の背後に回っていて。
わ、わわわっ! 無理やり背中を押されて、半ば強制的に部屋に押し込められてしまう。
ぴしゃり。背後で障子の閉まる音。広い部屋の中は真っ暗で、行燈一つだけがぼんやりと照らしていて。足元も覚束ないし、距離感も良く掴めない。
「懐かしいのう、景」
と、背後から御珠様の声がする。黄金の瞳に、行燈の灯りが映っている。
「そうですね……」
二階の御珠様の部屋の、この感じ。この世界に、このお屋敷に来た日のことを思い出すな……。
部屋の奥に飾られた龍の屏風も同じだ。あの時は、何にも分からない状態で慌ていて、その上、……えっと、二人きりになった後で、御珠様と――。
マズい、鮮烈な記憶が蘇ってきて、急速に体温が上がって顔が熱くなってくる……!
「くふふ、あの時の選択が惜しかったなら、今夜にでも続きをしてやろうぞ?」
そんな気配を御珠様は見逃さず、茶化される。続き、続きっていうのは、つまり、あの続きってことだよな……。
「……間に合ってます」
いや、確かに、御珠様がこの世界に俺を呼んだ理由は、あれを一緒にすることなんだけど……。
でも、当然、そんな勇気が今の俺に出来上がっているはずもない。だからこそ今日まで、これと言ってその件については何にも、一つも進展していないと言っても良い。
「まあまあ、そう遠慮するでないぞ。おぬしは恥ずかしがり屋なのだから……」
と、煮え切らない俺の心の中を見透かした御珠様が笑う。……きっと俺は、この人には一生敵わないんだろう。
なんて思っている内に、次第に目が慣れてきて。徐々に、御珠様の部屋の中が見えてくる。
……今日は、片付いてるんだな。見回しても、畳敷きの、何十畳も有る広大な部屋に、ゴミどころか塵一つ落ちていないという整頓振りだ。
普段は散らかり放題で、迂闊に足を踏み入れると帰って来れなくなるほどだって、蓬さんは言ってたけど……一体、どんな手を使ったんだろう?
「だから言っておるじゃろう? わらわは普段から片付けなどばっちりだと」
俺の考えていたことを読み取ったのか、しれっとすまし顔で言い放つ御珠様。
「蓬の言うことなど、信じるでないぞ?」
「……普段から片付いてるなら、どうして蓬さんや俺を部屋に入れようとしないんですか?」
「乙女の部屋の詮索をしたいのか? おぬしは?」
「そういう問題じゃなくてですね……」
きっと今のこの綺麗な状態も、妖術か何かで誤魔化してるんだよな……。
分かってはいるけれど、追及しても絶対、御珠様にかわされるに決まってる。俺は早々に諦めて、畳の上に置かれている背の低い小さくて四角いちゃぶ台の上にお盆を置いた。
「菓子も有るとは、蓬も分かっているのう」
喜々とした声で、しっぽをゆらゆらと揺らしながらお猪口をうっとりと見つめる御珠様。
お酒と甘い物のタッグは滅茶苦茶太るらしいけど、まあ、自分の身の安全に言わないでおこう。
そんなことよりも。
俺が御珠様の部屋に入ったのは、ただお茶菓子を置きに来ただけじゃなかった。
「あの……」
部屋の中を改めて、ぐるりと見回す。
「どうやら、凛は寝ぼすけではなかったらしい」
と、御珠様は調子を変えずに言う。確かに、凛さんはうたた寝をしている訳ではなさそうだ。
だってそもそも、部屋の中には御珠様と俺以外、誰も居なかったのだから……。
「この部屋にちゃんと居るぞ?」
けれど、御珠様は可笑しそうに言う。凛さんが今、ここに居る??? 影も形も、気配すらも見つけることができないのに……??
「気になるなら、好きな所を探してみるがよい」
そう言って御珠様が扇を広げ、どこかに向かって問いかける。
「構わぬか? 凛」
……返事は無い。
「構わない、と言っておるぞ」
だけど御珠様は凛さんからメッセージを受け取った様で、うんうんと頷いている。
奇妙な感じはするものの、俺は素直にお言葉に甘えて、凛さんを探してみることにした。
「……」
だけど、端から端まで歩いてみても、じっと目を凝らして耳を澄ましてみても……見つからない。
押し入れの中にも、屏風の後ろにも、棚の裏にも居ない……よな。
「見つかりませんでした……」
なすすべもなく戻ってくると、御珠様は扇を畳んで朗らかに笑う。
「まあ、まだまだ難しいかもしれん」
「は、はあ……」
……もしかして俺は、御珠様の手の平で踊らされているんじゃないか? だって相変わらず、部屋の中には凛さんの姿や影や物音は勿論、気配すら感じなかったのだ。
「凛、ちょっと出てきてくれんかのう」
そして御珠様は、もう一度話し掛ける。
それでも、やっぱり……返事は、無い。
「あの……」
気が気でなくなって、御珠様に尋ねる。本当に、凛さんはこの部屋に――。
「――こんにちは」
「うわっ!!!」
突然、背後からの声。思わず大声で反応してしまう。
い、今の声は?! いつの間に???
心臓が早鐘を打つのを感じながら、恐る恐る、ゆっくりと、振り向けば――。
「驚かせてしまい申し訳ありません」
闇の中に輝く金色の瞳に見つめられて。更に、一気に鼓動が加速する。
「改めまして、ご挨拶をさせていただきます」
けれど、そんな落ち着いた声が聞こえてくると不思議なことに、たった今までの緊張が、ゆっくりと引いていく……。
丁寧にお辞儀をする獣人のしっぽはすらっと長くしなやかで、頭の上に生える耳は大きめの綺麗な三角形だ。
そして。
結んでいない長めの髪の色、それから全身を覆う毛並みの色は――夜の様に深い深い、黒。
「わたくしは泉澄神社にお仕えする巫女で、御珠様の妹の――凛、と申します」
――凛さんは、黒猫の獣人だった。
……。
…………。
……って、妹!? 御珠様の……?!




