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第六十四話 夕暮れの歌 四

「……しっぽ……」


 そして、ちよさんは消え入りそうな声で。


「…………しっぽが……見たかったんです……」


 こう言ったのだった。


「……??」


 ……? しっぽ……しっぽ?


「しっぽって……あの、しっぽですか……?」

「は、はい。この、しっぽです……」


 ちよさんが長くふわふわした猫のしっぽを、くいっと動かす。

 ……どうやら、そのままの意味で当たっているらしい。

 しっぽ……ちよさんが俺を後ろから観察していたことや、忍者だと思っていたことは、どう繋がっているんだろう……?


「……そ、その……わたし、最初は……景さんに、しっぽが生えていないことを知らなくて……少し不思議だったんです。それで…………」


 まだ混乱していると、ちよさんは恥ずかしさを我慢する様に……ゆっくりと話し出す。


「……最初は妖術を使って、必要になった時にだけ、しっぽが姿を現す様にしているのかな……と、思っていたんです」「……でも、御珠(みたま)様からその様な術の話は聞いたことはなくて…………」「妖術じゃないなら……どんな方法を使っているんだろう……? そう、不思議に、思ったんです。それで、色々と考えて……」「……もしかしたら、妖術じゃなくて…………忍術、誰も知らないような、忍術を使っているのかなって……思ったんです……」


 ちよさんの大きな耳が、ぴくっと動く。その先っぽに生えている細やかな毛がわずかに揺れた。


「忍者って、本当に居たんだ……すごいなって、かっこいいなって、わくわくして……そして……」「景さんが忍術でしっぽを隠すところを……見たく、なったんです……」「で、でも、忍びの人は正体を見られるといけないなと思って、き、気付かれない様に、こっそりと……その、……のぞき、見を………………。……。……………………」


 そこまで言うとちよさんは、再び両耳をそれぞれの手で押さえて俯いてしまった。蒸気が出てしまいそうなほどに、その大きな耳のさきっぽは赤く染まっていて……。

 ――かわいい。そんな様子を見てまた、どきっとする。

 ……。


 つまり、ちよさんが俺のことを後ろから観察していたのは、俺がしっぽを隠す忍術を使うところを期待しながら見ていたから……と、いうことらしい。

 そして、気配や足音を極力消して尾行を気付かれない様にしていたのは……忍者ということを隠している俺が、こっそりと術を使う場面を見るのは、リスクの有ることだと、ちよさんは思っていたから……。

 だからこそ俺に、忍者かどうかを尋ねることもできなかったのだろう……。


「……そ、……そう、なんです…………」


 俯いたまま目を閉じている、ちよさんの声が幽かに聞こえてくる。長いしっぽはぱたぱたと、激しく揺れていて……。

 ……ちよさんが嘘をついている様には見えない。

 だって、本当のことじゃなければ、ここまで照れることも、ないだろうし……。

 何だか腰骨の辺りがくすぐったくなって、ちらっと確認してみる。

 うん、しっぽは生えてはいないよな……。


 ……。

 ――忍者。そして、しっぽを隠す忍術。

 ……ちよさんも俺と同じで、勘違いをしていた。

 相手が忍者で、何か不思議な忍術を使っているんじゃないかって。

 その上、「忍者は誰かに正体を悟られてはいけない」ってお互いに考えてもいたから、今日まで相手に「忍者ですか?」と、直接尋ねられないままで。

 それから、相手に忍者だと思われていることを、二人とも全く気が付いていなくて。


「……」


 ……忍者。忍び。忍者忍者忍者……。


「……ふふっ」


 あれっ……おかしいな。


「あ、あれっ、す、すみませんっ……くすっ……」


 ちよさんに謝りながらも、何だろう、何だか、可笑しい。

 どうしてだろう、なんか、笑いが収まらない。止まれっていうのに!

 笑いそうに鳴るのを必死にこらえていると。


「………………くすっ」


 ちよさんも、それにつられて、表情を緩めて。


「「……」」


 お互いに目線が合って、一回くすっと笑ったら。


「……ふふ」

「ふふふっ……!」


 だ、駄目だ、そこからは何故か、俺も、ちよさんも、笑いが止まらなくて。

 な、何にも考えられないぐらいに、理由がないのに面白くなってきて……!

 は、腹が痛い、よじれてしまいそうだ……!!

 ようやく収まってきても、またお互いの顔を見たら同じことの繰り返しで。

 い、いつ止まるんだろう? このままちよさんも俺も、ずっと笑いっぱなしなんじゃないか……??

 そんな馬鹿なことを考えるとまた、理由もなく可笑しくなってきてしまって。

 ほころんだ口元からこぼれた小さな牙。ぴこぴこと揺れる耳。

 ちよさんの緊張が解けて、本当に心から笑っているのが伝わる。

 楽しそうに笑っているちよさんが、一番、輝いている様に見えた。

 それでとても暖かい気持ちになって、同時に爽やかで……嬉しかった。

 肩の力がようやく、ふっと抜けて、また笑う。気持ちが急に軽くなって、希望が湧いてくるようだった。

 今まで自分が悩んでいたのが嘘みたいだ。ただ、今のこの時がかけがえのない時間だということを実感しながら……ああ、また駄目だ、笑いが込み上げてきて……!

 夕暮れ時の丘に、二人の笑い声が響いていく。

 それは街中に、そしてお屋敷にも伝わっているのかもしれない。


 

 ◆ ◆ ◆



「す、すみません……何だか、笑いすぎちゃって……」


 俺は涙をこすりながら言う。

 何分ぐらい経ったんだろう。ようやく、笑いが収まってきて……まだ息が苦しいけど、まともに話ができる状態に戻れた……。


「い、いえ、わたしの方こそ……ごめんなさい」


 ちよさんは、お腹の辺りを撫でて、まっすぐこっちを見た。


「小さい頃から、ずっと人見知りで……」


 そして、ちよさんが申し訳なさそうに言う。……もしかして、俺がこのお屋敷にやって来て本当に間もない時のことを、思い出してしまっているのかもしれない。

 その表情は寂しそうで、悲しそうにも見えて。俺がお屋敷に来る前も、ずっと悩んできたんだって、伝わってきて。ちよさんは、とっても大切なことを、打ち明けてくれるんだ……そう思うと、更に、きゅっと胸が締め付けられる。

 ……と、同時に気が付いた。

 そうか……ちよさんは、俺が人間だから、怯えていたんじゃなくて……。

 ただ、不安だったんだ。いきなりお屋敷にやって来た俺が、どんな人なのかについて……。

 人間自体が怖かったんじゃなくて……ただ、俺が何者か分からなくて、不安なだけだったんだ。

 そして、時間が経った今……ちよさんは、安心してくれているんだ。

 自然と、緊張をほどいて、くれているんだ……。

 ようやく、そんなことに気が付いて。すっと、気持ちが軽くなる。

 ……だけど。そんなことよりも。

 今は、感慨に浸るよりも。

 もっともっと強い、気持ちが込み上げてくる。

 だから俺はすぐに。


「ちよさんは、素敵ですよ」


 本心から、ちよさんに伝えた。


「……えっ……」

「ちよさんには沢山、沢山、数えきれないぐらいに良いところが有ります。だからもっと、もっと、自信を持って、良いんですよ」


 確かに、一時はちよさんに怖がられたことを悩んだりはしたけれど……それはもう、とっくに終わった話だ。今更、全く気にしてなんかいない。

 それに、ちよさんは優しくて、人のことを本当の気持ちで思いやることができて、いざとなったらそのために行動できる……とても、素敵な人だ。まだ年下なのに、お屋敷の皆のために家事に取り組むちよさんの姿を見てきて、そう思わない人は居ない。

 早朝から朝ご飯を作るのを手伝ったり、真夜中でも雨戸を閉めに縁側に出たり、子狐達に布団を掛けてあげたり……他にも、沢山、沢山……。

 そして……。


「……最初の日に、ちよさんが助けてくれたことを……今でもずっと、覚えています。怖いと思っている人のことを助けるなんて……普通は、できないですよ。あの時は本当に、本当に、ありがとうございました」


 ようやく、初めて、ちゃんとしたお礼が伝えることができた。

 この世界に来て最初の日。

 人だかりから俺の手を引いて、助けてくれたのもちよさんだった。

 あの時のちよさんは、不安な気持ちを我慢して、俺の手を引いてお屋敷まで必死に走ってくれたんだ……。それが、優しさじゃなくて、何だというのだろう。思い出すたびに、感謝で心がいっぱいになる。


「ちよさんは、とても素敵な人です。だから、絶対に、大丈夫です」


 俺はまっすぐちよさんの方を向いて、はっきりとそう伝えた。

 人見知りは本当の最初の頃の問題でしかなくて……ちよさんはそんなこと関係なく、どんな場所でも大切にされる人なのだから。


「……」


 ちよさんはぱちくりと瞬きをして。

 きょとん……と、している。

 上手く、伝えられていたかな……。自分の言葉に全く自身が持てないでいると……。


「…………あ……」


 ちよさんが、ゆっくりと口を開いて……。


「…………ありがとうございます…………!」


 表情を緩めた。

 そしてすぐに、再びうつむいてしまうちよさんの目元はちょっと潤んでいる様にも見える。

 だけどもう、悲しそうでも、寂しそうでもなかった。

 嬉しそうに、ほっとしている様に、見えた。

 ……ああ、やっぱり、そうだ。なんて、なんて、素敵な人なんだろう、ちよさんは……。

 ……かわいい。

 見とれて、鼓動が早くなっている。そして同時に……ほっとする。ちよさんには、ずっと笑っていて欲しかったのだ。

 すると、不意にちよさんは。


「――景さんは、やっぱり……」


 顔を上げて、まっすぐこっちを向いて。

 エメラルド色の瞳が夕日を映して、きらきらと輝いている。

 ……? 俺は息を呑んで、そんなちよさんを見る。

 ぱっちりと目線が合うと、お互いまだちょっと恥ずかしくて、少しだけ逸らすしてしまって……。

 だけど、再び前を向いて、また、目が合って。


「とても、とっても……」


 そしてちよさんは嬉しそうにしっぽを揺らして。


「優しいんですね」


 にっこりとほころんだ。

 口元からこぼれる小さな牙。かすかな風に揺れる頬のグレーの毛。

 その純粋な笑顔は、闇を打ち払って、心を癒やす力を持っている様に思えて……。

 胸の奥でつっかえていたもやもやとが次第に溶けていって……その代わりに、暖かい感情が込み上げてきて……。


「あ、あれ……」


 頬に一筋水滴が流れる。あ、あれ、どうしてだろう。どうして、……視界が、涙で、ゆがんで……。溢れてくる感情を中々こらえることができなくて。きっと、今、顔が真っ赤になっているんだろうな……。


「け、景さん……? どうしましたか……?」


 不思議そうに、心配そうに瞬きをするちよさん。


「い、いえ、何でもないんです。おかしいな……」


 慌てて目元を拭った。

 その時。

 視界が一段と眩しくなって。


「わあ……!」


 俺達は思わず、街を見下ろす景色に視線を映した。

 丘の上から見下ろす街の向こうに、とうとう夕日が沈んでいく。

 オレンジ色のきらめきが、立ち並ぶ家々の屋根に溜まった雨粒に、反射して輝いていて……。

 しずくを葉っぱに残す丘の上の草原も、一面がきらきらと瞬いている。

 そんな景色はお屋敷の庭から見るよりも、もっと、もっと、壮大で。まるで、夕日まで届くほどに街並みが続いていて……。


「「……」」


 ちよさんと隣に座って、じっと眺めていた。

 こんなに素敵な場所が、お屋敷のすぐ近くに有ったなんて。

 それに、ちよさんと一緒に、こんな景色を見られるなんて……。

 ……。


「ちよさん」

「景さん」


 自然に出てきた言葉は、自然に重なった。

 ちよさんの瞳が、爛々と輝いている。ふわふわした頬の灰色の毛が今は、夕日のオレンジを映している。

 しっぽが元気を取り戻して、ゆらりゆらりと揺らめいている。

 また、体が熱くなってくるけれど……。すっと、静かに息を吸いて、落ち着いて。


「これから、どうかよろしくお願いします」


 ちよさんに一礼をする。


「こちらこそ、よろしくお願いします」


 それに合わせてちよさんも、ぺこりとお礼をした。

 顔を上げると、ぱっちりと目線が合って。

 そして俺達は、微笑み合った。

 鮮やかな夕日が街を、そして丘の上の草原を、優しく包み込んでいく。

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