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第六十二話 夕暮れの歌 二

「あっ……」


 街中にある長い階段を登り切った先に有る丘。その真ん中の木陰で歌っていたのは……。


「……ちよさんが、歌っていたんですね」


 緊張をどうにか抑えながら尋ねる。そう、心を癒す様な、夕暮れ時のあの歌を歌っていたのは、ちよさんだったんだ……。


「………………はい」


 ちよさんは頷いて、それから恥ずかしそうに俯いた。

 そんな姿を見て、やっぱり余計なことをしてしまったのか……と、自分の行動が軽率に思えてくる。いきなり尋ねても、ちよさんを怖がらせてしまうだったんじゃないか……?

 そもそも歌っていることを俺に知られるのも、嫌だったんじゃ……。


「……」


 だけど。

 しばらくして、ちよさんが芝生の上にゆっくりと腰を下して。

 前を向いて。


「~~~」


 再び、歌い出した。

 高らかに澄んだ、あの歌を。

 何故だろう。少し聞いただけでも、じわりと心の奥から、暖かい感情が込み上げてきて……。


「……」


 俺は、その場にそっと腰を下ろす。

 ただじっと、耳を澄ませる。ちよさんの優しい歌声に。


「~~♪ ~」


 思っていた様に、その歌で歌われているのは……この街では使われていない言語の様だ。

 だから、どんな意味なのかは、分からなかった。

 だけど。

 目を閉じれば、伝わってくる。知らない街角の景色が浮かんでくる。

 それはこの街かもしれないし、もっと別の街……もしかしたら、空想の中だけの街なのかもしれない。人によって、違う……きっと。

 そして、その街の中で小さな子供たちが、夕日に抱かれながら、手を繋いで、道を歩いている。

 そんなイメージが浮かんできて……あれ、どうしてだろう……どこか、懐かしくて。

 うっかりすると、泣いてしまうになっていて……。慌てて俺は、目元を拭った。

 街の景色は変わらない。二階建てほどの建物がどこまでも沢山立ち並んでいる、賑やかな街。そんな景色がどこまでも、地平線の向こうまで続いている様に思える。

 それこそ、どこまでも、どこまでも……。

 これが……この街、なんだ。


 「~~~」


 歌声が、少し上がる。ちらっと隣を覗いてみれば。ちよさんはとても、生き生きと歌っていて。

 その楽しそうな横顔がとてもかわいくて……惹かれて、胸が熱くなってくる。


「~。」


 そして二曲目はすぐに終わってしまって。


「「……」」


 街を見下ろす丘の上には、歌の余韻が響き渡っている。

 そんな貴重な時間に、ただ身を任せていると……。


「…………景さん」


 ちよさんが、そっと話し掛けた。


「――お屋敷のお仕事には、慣れましたか……?」

「はい。できないことはまだまだ多いですけれど……」


 できる仕事は……これから増やしていきたい。このお屋敷の家事を支えていきたい。


「もっともっと、頑張っていきたいです」


 はっきりとした声で、ちよさんに伝える。それは本当の気持ちだ。


「……」


 だけど、ちよさんは心配そうな表情を浮かべていて……。


「ずっと頑張っていると、お体を壊してしまいますから……お休みも、大切にして下さいね」


 そんなもっともな言葉がちくっと刺さる。た、確かに……もっともだ。何だろう、力の入れどころと抜きどころががまだ俺は上手く分かっていないのかもしれない……。

 倒れてしまいそうなほど縁側の掃除をした時、蓬さんにもそんなことを言われたっけ……。


「そ、そうですね。ほどほどに頑張る様に、気を付けます」


 そんなちよさんの心遣いが、本当に嬉しくて、有り難かった。

 ちよさんもこくりと頷いて、ほっとした表情を浮かべていた。


「「……」」


 そしてまた、静かな時間が訪れる。

 まだ、緊張はしているけれど……それでも。

 もう、気まずくない。胸が苦しくもない。今日は、はっきりとそう思えた。


「……」


 ちよさんはじっと夕暮れの街を見つめている。

 しっぽも、耳も動さずに。それはきっと、ちよさんが今、何かについて考えているからだ。

 それも、かなり大切なことについて。

 そんな気配が、何となく伝わってくる。


「……」


 そして俺も、考える――というよりも、思い出した。

 ――そうだ。ちよさんに一つ、訊きたいことが有ったんだ。

 それは昨日思い浮かんだ手掛かりだ。ここ数日のちよさんの行動の理由について、今までの色んな記憶を辿って見つけた、唯一の手掛かり。

 ちよさんは、実は……。

 ……でも、これをちよさん本人に直接尋ねるのは、あまりにもリスキーなんじゃないかと思って、躊躇してしまっていたのだ。やっぱり、自分の胸の内に秘めておいた方が遥かに安全なんじゃないか?

 知られてはいけない類の秘密に関わる様な質問なのだから。そんなことには触れないで安全に過ごしていた方が、良いんじゃないか……?


 ……だけど。

 心の中でもやもやを抱えているだけじゃ、いつまで経っても前に進めない。

 ここまで来たらもう……尋ねてしまおう。きっと、その方が良い。絶対に良い。


「あの、もしかして、ちよさんは――」


 ちよさんは、実は――。

 俺は勇気を振り絞って、ちよさんにまっすぐ向き直る。

 そして何とか声を出そうとした。

 けれど。


「ご、ごめんなさい……!」


 それより先にちよさんは、こう言った。


「えっ……」


 突然のちよさんの行動に、不意を突かれる。一体、どうしたんだ……?


「わ、わたし、その……数日間」


 言い淀むちよさんの表情は、とっても恥ずかしそうで……。


「ずっと、景さんのことをずっと、後ろから覗いていて……」


 それからちよさんは、しっぽを激しく左右に振って、耳もぱたりと動いていて。

 ……かわいい。と、ちょっと場違いなことを思ってしまう。


「その……実は……」


 ……一瞬迷ったけれど。


「実は……気付いていました」


 正直に、言った方が良いな。俺は申し訳なさそうなちよさんを励ます様に、笑って答えた。

 これは本当で昨日の夜のパーティーの時には既に、はっきりと分かっていた。俺のことを気付かれない様に後ろから観察していた、あの謎の気配。

 その正体が、ちよさんだということに。


「えっ…………」


 するとちよさんは、灰色と白の全身の毛を逆立てて驚いて、目を見張って。しっぽもぴんと立つ。


「ご、ご、ごめんなさい…………!! 本当に、本当に、失礼なことを……!」

「い、いえ! 俺は全然、気にしてないですよ……!」


 地面に頭がついてしまいそうなぐらいの勢いで謝るちよさんを、慌ててなだめる。


「で、でも…………。……」


 ようやくちよさんは顔を上げてくれけれど、今度はしっぽも耳も、しゅん、と垂れてしまっていて、ちょっと泣きそうな顔になっていて……。

 どうしよう……。混乱して、どう声を掛けてあげたらいいか悩んでしまう。

 元々ちよさんを責める気なんて最初から、全く無かった。

 だって、あの気配から敵意のようなものは感じたことは、一度も無かったのだ。

 ただ後ろからじっと見ているだけで、決して俺を陥れてやろうとか、酷い目に遭わせようとかいう意思を感じることも、決して無かった。

 だからこそかえって俺は最初、水神様とか幽霊の様な、目的が不明な存在だと、気配の正体について勘違いしてしまったんだろう……。


「……あの……一つだけ、良いですか?」


 再び俯いてしまったちよさんに、俺はそっと話し掛ける。

 今はその時じゃないかもしれないけれど……。正体がちよさんだとはっきりした今、これだけは、どうしても、気になってしまっていた。


「……」


 ちよさんが小さく頷いた。

 そして俺は、意を決して尋ねてみる。


「どうして、俺のことを見ていたんですか……?」


 どうしてちよさんは、面白くもなんともない俺の挙動を観察していたんだろう……? 


「そ、それは…、……」


 申し訳なさそうに目を伏せるちよさん。しっぽの先だけが、ひくひくと、戸惑う様に細かく動いている。


「い、いえ、無理に言わなくても、大丈夫ですよ……!」


 ただ純粋に気になっていただけで、ちよさんを問いただしたりするつもりは全く無かったんだけど……。

 やっぱり、怖がらせちゃったかな……。

 ……。…………。

 ……一昨日の夕方。

 読み聞かせをしている間に、俺の膝の上で眠ってしまった双子の白狐達――都季(とき)灯詠(ひよみ)

 俺が自分の部屋から出て少し目を離していた間に、眠っている二人にはいつの間には布団が掛けられていた。……俺の様子をずっと観察していないと、あの時子狐達が眠っていたことにも気付けないはずだ。

 水神様や幽霊の様に実体の無い存在だったら、布団を掛けることは不可能。

 つまりあの時に、気配の正体はこのお屋敷に居る誰かなのだということがはっきりした。

 そして、都季と灯詠でもない。と、なると残されているのは御珠(みたま)様と、(よもぎ)さんと、十徹(とうてつ)さんと、ちよさんの四人になる。そこから先は、まだ今一つ分からなかったけれど……。


 昨日。

 縁側でちよさんが雨戸を閉めようとしていた時。

 部屋の中に居た俺は、雨戸の音や雨音は聞こえたものの、縁側を移動するちよさんの音や気配をすぐに感じることができなかった。

 縁側に出た後も、しばらくちよさんの存在に気付かなかったことから、よっぽど俺が鈍感なのか……それとも、ちよさんが気配を消すのがとても上手なのか、どちらかだ。

 次に、蓬さんと十徹さんが傘屋に出掛けた後。

 お茶の間に向かう時にも一瞬だけ、後ろから例の気配を感じた。つまりこのことから、気配の正体が蓬さんと十徹さんでもないことが分かる。

 そして最後に、夜中に御珠様に起こされた俺とちよさんが、暗闇の中を裏庭に向かって歩いていた時。

 あの時はまるで俺だけが歩いている様に、誰の足音がしなかった。

 特に、背後のちよさんからは、気配すらも感じなくて……。


 ……よくよく考えてみると。一昨日、御珠様と俺が鰻について話している時にも、俺は謎の気配を感じた。それに、昨日も蓬さんと十徹さんと一緒に、御珠様も傘屋に出掛けていたはずだ。

 つまり、一番怪しいと思っていた御珠様も……除外される。

 と、いうことは。俺のことを観察する謎の気配の正体は……ちよさんということになる。

 そして実際に、その通りだったのだ。

 ここまでは良いんだけれど……。


 それでもやっぱり、ちよさんの行動の理由が分からない。掃除ばっかりしている俺を見ていたって楽しくなんてないだろうし……。

 それに数日前まで俺は、ちよさんに怖がられていたはずなのだ。それならわざわざ、怖い人の行動を観察せずに、避けようとする気がするけれど……。

 まあ、怖いからこそ警戒して観察したいというのも分からなくもない。

 だけど、一番不可解なのが……あの気配からは「敵意」や「悪意」は勿論だけど、「怯え」の感情すらも伝わってこなかったことだ。

 それなら、何故……? 何の手掛かりも無い状態で考えるしかなかった。


 だけど。

 この世界に来てからの記憶を丁寧に手繰ってみて……一つだけ見つけたのだ。

 ちよさんの行動の手掛かりを。それは一昨日、つまり雨が降る前の日の会話。都季と灯詠との何気ない、本当に本当に何気ない会話の中に有った。何気ないからこそ、今まで見落としてしまったんだ。

 でも、この世界では俺の常識は通用しないことだって沢山有るのに。だから、本来有り得ないはずの可能性だって、頭を柔らかくして考えなきゃいけなかったのに。

 そんな大切なことをすっかり忘れていたから、こんなにも気付くのが遅れてしまったんだ。

 ……。


「……」


 小さな風が、ちよさんの頬の毛を揺らす。ちよさんは今、思い悩んでいる様に見えた。

 銀色がかったグレーと白の二色の少し長めの毛。エメラルド色の瞳を持ったぱっちりとした目に、ピンク色の鼻。髪の毛はグレーがかった黒髪、結んでいないセミロング。

 体つきは華奢で、年は15、16ぐらい。幼さを残した、優しそうな顔立ちで……どうしても、あの気配が正体がちよさんだったとは信じがたい。


 そして、ちよさんの正体が、まさか……。


 だけど、その『まさか』が有り得てしまうんだ、この世界では。

 ――ちよさんは、気配を隠して姿を見られずに音を立てずに、後ろからじっと俺を観察していた。

 そんなことができるのは……限られている。

 流石にちよさんが水神様や、幽霊という可能性は無い。

 だけど、水神様や妖術が存在する世界なら、きっと――。


「……もしかして、なんですけど……。ちよさんは……」


 本当はこんなこと聞かない方が、己の身の為なのかもしれない。

 でも、口を開いてしまっている。もう、止められない。

 心臓が跳ねている。

 全身が熱くなって、緊張で倒れてしまいそうだった。

 体が震えそうになっているのを、どうにかこらえている。

 ……よしっ。

 まっすぐ前を向く。ちよさんと、ぱちっと目が合った。

 そして。俺は意を決して、口を開いた。


「……ちよさんは……」

「…………あの……、景さん、は……」

「「忍者、なんですか……?」」


 ……。


「「……」」


 ………………。


「「……えっ?」」

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