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第五十七話 雨夜の儀 一

「――ささやかながら、梅雨入りを歓迎しよう! つまりお祝い、お祝いだな!」


 中心に井戸が有る、お屋敷の広い裏庭には沢山の和傘が上下さかさまに置かれていて。

 その傘に張られた水面から立ち上っているのは、手の平で包み込めるほどの大きさの光の玉。

 優しくきらめく光の玉が、夜空を満たしている。

 そしてお屋敷に暮らす全員が注目する中、九尾の御珠(みたま)様は、袂から一枚のお札を取り出して。

 はらり……と、水面の上にゆっくりと落とした。

 すると――。


「あっ……!」


 信じられないことに。傘から立ち上る光の玉が、一瞬で、紅色に変わった……??

 それに、たったほんの一瞬で、傘自体の色も、同じ様な鮮やかな紅に染まっていて……?!

 俺はただ目を見張って、その様子を眺めているしかない。これも、御珠様の、術……?


「す、凄いのです……!」

「なんて、幻想的……」


 子狐達、灯詠(ひよみ)都季(とき)がしっぽをぱたぱたぱたぱた振りながら、光の玉と色の付いた傘を交互に、せわしなく見つめる。


「わあ……!」


 ちよさんは感激した様に目を丸くして、紅色の光の玉をじっと眺めていた。


「ふふ、驚いか? この沢山の傘は、街の傘屋から頼まれた物でのう」


 そして御珠様が、語り始める。


「水神様の力の宿るこの井戸の周りに、沢山の傘をさかさまにして立て、梅雨入り初めての雨を貯めると……水面から、光が沸いて来る。すると傘に、何十年も長持ちする力が宿るのだよ」


 御珠様が目を細めて、愛おしそうに光の玉にそっと触れる。


「そして、全ての傘に水が貯まれば――この庭の上空だけ、雨が止まってくれる。大層便利じゃのう」


 庭の外では、まだ雨が降り続いているらしい。だけど、そんなことを感じさせないぐらいにこの裏庭の上空だけは、からっと晴れている。


「そして更に、わらわの術を込めた札を浸せば――鮮やかな色が付くということ。ふふ、凄かろう?」


 そして御珠様が胸を張って、鼻を高くした。

 凄い……どころか、そんなの完全に俺の常識に無い発想だ。傘に水を張ると光が生まれて、お札で色付けをするなんて……それはまさに、術。

 もう、笑ってしまうぐらいに、ただただ驚嘆するしかなかった。


「み、御珠様、えっと……」

「…………その……」


 と、そこで子狐達がもじもじとして、御珠様のことをじーっと見上げる。


「ふふ、勿論、おぬしたちの分も有るぞ?」


 御珠様は愉快そうに袂から新しい札を取り出して、都季と灯詠にもそれぞれ一枚ずつ手渡してあげた。


「あ……ありがとう、ございます、なのです……!」

「……か、感激、嬉しいです…………!」


 ぴょんぴょんと飛び跳ねて、子狐達は満面の笑みはしゃいでいる。そんな微笑ましい様子に、更に場が和んだ。


「どの色になるかは運任せ。好きな傘を選ぶと良いぞ」


 言われてみれば確かに、庭に配置された傘はどれも全て、色や柄が付いていなかった。

 どの傘がどの色に染まるかのヒントもどうやら無いらしい。


「わたしはこの傘にするのです!」


 灯詠は即決して、裏庭の中心――井戸の近くに置かれてあった傘のそばで手を上げる。


「わたしは…………これを」


 それから少しして、悩んでいた灯詠は、井戸から離れた壁際の傘を選んだ。


「「……」」


 そして二人は目線を交わして、そっと傘の上にお札をかざして……。


「「……えいっ!」」


 同時に手を離して、水面へとお札をひらひらと落とす。

 すると。


「わあっ……!」

「…………!!」


 灯詠の傘の水面からは金色、都季の傘の水面からは銀色の光の玉に変わって……。

 御珠様の紅と相まって、更にカラフルに夜空を染め上げていく。


「流石は、わたしたちなのです!」

「実力相応の、豪華絢爛な色」


 自信満々に誇ってはいるものの、子狐達も実はちょっと照れくさそうだった。

 こうして素直にしている時は、灯詠も都季もかわいいもんだな……と、しみじみと思っていると。


「さて」


 次に御珠様は、ちよさん、それから俺の方を見た。


「おぬしたちも、やってみたいだろう?」


 勿論、答えは決まっている。

 期待でしっぽをゆらゆらと揺らしながらちよさんは、お札を受け取って。

 俺もそろっと、丁重に御珠様から受け取った。

 表に書かれている筆文字は崩し文字で、読み取ることはできなかった。裏はシンプルで、ふわっとした狐のしっぽが筆で一気に描かれている。これはきっと、御珠様の遊び心だな。


 ……さて。

 俺もちよさんも、どの傘にするか迷って庭を歩き出す。

 しばらくしてちよさんは井戸から三歩ほど離れた傘に。

 俺はもう一度、庭を一周してみた。どれが良いかな……どれも一見すると同じ傘に見えるからな……。

 だけどそんな中、とある傘の前で、ぴたりと足が止まった。

 それは、台所の勝手口に一番近い位置に有った傘。

 これは……何か、有るかもしれない。見た目も普通だし根拠は全く無いけれど、何か惹かれるものを感じたのだ。


 よし。 

 そして俺とちよさんも目線を交わして、はらりと、お札を水面に落とす。


「これは……!」


 湧き上がってくるのは、水色の……三日月。

 小さな三日月の形をした光が、いくつも夜空へと昇っていく。見れば、お札を落とした傘にも、水色の三日月の大きな模様があしらわれている。まさか、柄が生まれるなんて……。

 そして更に、三日月の光と共に空を飾り始めたのは。


「何と、二人とも形つきとは……!」


 御珠様の感嘆の声がする。


「わあ……!」


 ちよさんは、きらきらと目を輝かせながら空を見上げている。小さな子供の様な、純真なかわいらしい笑顔で。

 俺は夜空に目を奪われていた。……何て、何て、美しいんだろう。

 ちよさんの傘から出る光は……ピンク色の、桜の花びらの形をしていて。傘にも同じ模様が現れていた。

 咲き誇る夜桜を、三日月が照らしているみたいだ……。


「何かの形が現れるのは、千人に一人ぐらいなんだよ。凄いね二人とも!」

「……めでたい」


 そして、(よもぎ)さんと十徹(とうてつ)さんもそれぞれ、はらりとお札を傘の水面に落とす。

 すると蓬さんの傘からは若草色の、十徹さんの傘からは藍色の光が、それぞれ夜空に放たれて。

 元々の一色に加えて、夜空を新たな七色の光の玉が染め上げていく。こんなに綺麗な風景、今まで見たことがない、断言できる。

 それはまるで、キャンパスの上に描かれたカラフルな絵。昨日読んだ本の挿絵の様な、パステル調の世界にやって来たみたいだ。どこか懐かしい様な、暖かい様な、優しい気持ちに満たされていく……。


「ふむふむ、良い眺めじゃのう……」


 するといつの間にか御珠様は隣に立って、うっとりとして空を見つめていた。

 ……そうか。今更になって、気が付いた。

 今日、御珠様と蓬さんと十徹さんが出掛けていたのは、街の傘屋に傘を取りに行くためだったのか……。

 そして、そのことを俺や、恐らく他の人達――ちよさんと、灯詠と、都季にも伝えて無かったのは……。

 こんな幻想的な景色を、サプライズで見せたかったから。

 なんて、なんて粋なんだろう……!


「あの、本当にありがとうござい――」

「ふふ、礼はいらぬぞ? そう固くならんで良い」


 すぐにお礼を言おうとすると、御珠様に制される。

 ……って、あれ、よく見ると御珠様の九本のしっぽはゆらりゆらりと、どれもこれも所在なさげに揺らめいて。そして、御珠様が右手に持っているのは……漆で塗られた、盃だった。

 中身は多分……酒、だな。


「い、いつの間に……?」

「ふふ、これ、この竹筒じゃよ」


 御珠様がしゃがん、ちゃぷん――と、水面に入れられていた竹筒を傘から取り出して、蓋を外してその中身を盃に継ぎ足す。


「ふふふ……札を傘に張った水面に落とすとのう……竹筒の中身が変わってのう……美味しい美味しい酒に……」


 くいっと盃を傾けて、とても美味しそうに飲み干す御珠様。


「やっぱりこの儀式で作った酒は格別じゃな。どれ、もう一杯――」

 既に酔っ払い始めているらしい御珠様が上機嫌に、再び竹筒に手を伸ばした。

「で、でも、その水って……」


 俺はちらっと空と、地面の傘を見る。もしも雨水を使ってるなら、色々と問題が……。


「竹筒の中は全て、井戸の水じゃよ。流石に雨は飲まぬよー」


 御珠様が頬を膨らませて、じーっとこっちを見つめた。

 ……とにかく。井戸の水なら一安心だ。


「さながらこれは、果実酒というところかのう」


 注がれた液体は、傘の様には特に色が付いているとかは無くて、透明のままで。

 だけど、味はしっかりと変化しているらしい。どうやら、御珠様が札を落とした紅の傘に浸していたものらしかった。


「と、まあ、こんな風に、竹筒の中身は好きに飲んで良いぞ! ただし、蓋に丸印が書いてある物は酒だから、それは気を付けるのじゃ!」


 御珠様は俺の肩をぽんぽんと叩くと、皆に呼び掛けた。


「さて、お次はどんな酒が……」


 そしてすぐに、また新しい竹筒を求めていそいそと歩き出していく。

 薄々勘付いていた通り、御珠様はかなりの酒豪らしい。多分、これぐらいの酒ならへっちゃらなんだろうな……。


「おまたせ~」


 すると今度は、蓬さんが台所の勝手口から出て来る。その両腕に大きなお盆を四つほど乗せて、巧みにバランスを取りながら。


「……」


 その後ろに続く十徹さんが運んでいるのは、背の高いテーブルの様な台で。


「さあさあ、沢山作ったからね!」


 十徹さんが庭の中心近くにテーブルをセットすると、蓬さんがその上に沢山の料理を並べていく。

 海苔や納豆などの具材を挟んだ揚げ餅や、こんがりと焼いた大きな海老や、いくらのたっぷり入った五目寿司や、カツオのたたきの入ったサラダや、きなこや黒蜜がたっぷりかかった寒天。

 どれもこれも、よだれが出てしまいそうなぐらいに、おいしそうだ……!

 それ以外にも、食欲をそそる料理が数えきれないぐらいに沢山。どれから食べようかな? と、まだ始まっていないのに悩む。

 そして何と言っても、目を引くのは――。


「おお! 流石蓬、分かっておるのう! 早速――」

「もう、たまちゃんってば」

「あ、何をする!!」


 とある料理を早速つまみ食いしようとした御珠様を、素早く蓬さんが制する。


「わらわがこれが大好きなのを、知っておるだろう?! どうして止めるのじゃ!!」

「まだお皿を並べ終ってないよ? 食いしん坊なんだから」

「うう……その仕打ちはむごいぞ蓬……! 早く食わせてくれ……」


 泣きそうにまでなりながら、御珠様が見つめているのは――ずらっと並んだ稲荷寿司。

 その数はざっと、五十個以上は有りそうだ。

 確かに、狐って油揚げとか、稲荷寿司が大好きなイメージが有るし、蓬さんの作った稲荷寿司はしっとりとしていて、つやつやしていて、とっても美味しそうだけど……。

 まさか、ここまで狐を突き動かす物なのか?? それほどまでの魔力が、稲荷寿司には秘められているのか……?!


「なあ、お前らも稲荷寿司が――」


 好きなのか? と、そばに立っていた都季と灯詠に話し掛けようとする。


「「……」」


 が、危険な予感を察して留まる。

 都季も灯詠も、普段からは考えられないほどぎらりと目を輝かせて稲荷寿司をじーっと見ていて、軽くよだれを垂らしてしまっているぐらいで……。


「……わたしは二十個頂くので、都季は十九個食べると良いのです」

「…………わたしが二十一個の間違い……」

「分かったのです。それならわたしが二十二個食べるので、都季が十七個でどうですか?」

「………………わたしの分が二十三個で、灯詠は十六個が良さそう……」


 ……取り敢えず稲荷寿司は後回しにして、他の料理を食べよう。自分の身の安全のためにも。

 俺はそう心の中に固く誓った。

 ……それにしても、都季と灯詠よりも先につまみ食いをしようとするなんて……御珠様、何と大人気ない……。


「丁度お腹も空いてきた頃だと思うし、一杯食べてね!」


 全てのお皿を並べ終わった蓬さんが、明るくそう呼び掛ける。

 確かに、夕食もしっかり食べたのにも関わらず、かなり空腹になっている。

 体が夜食を欲していると言ってもいい。ああ、意識するとさらに腹が減る……!


「――と、その前に。皆、飲み物を選んでね!」


 そんな蓬さんの声に御珠様も子狐達も、一旦休戦、という風にいそいそと飲み物を選びに行く。

 俺もテーブルの上に置いてあったコップを手に取って、竹筒に入った飲み物を探す。

 そうだなあ、まずは、やっぱり……。

 俺はさっき自分が選んで札を浸した、水色の三日月の光が出ている傘の水面から、竹筒を取り出して、コップに注ぐ。筒に丸印が付いてなかったから、多分安心だろう。

 そして皆それぞれ、竹筒から飲み物を持ってきて。七人でテーブルを囲んだ。 


「えー、それでは、だな」


 うずうずとした期待の視線で見つめられた御珠様が、コンと咳ばらいをして。


「今年も無事に、梅雨が訪れたことを祝って――」


 高らかに盃を掲げる。


「乾杯!」

「「「かんぱーい!」」」


 皆の賑やかな声が、裏庭にこだました。

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