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第五十一話 雪鏡 下

「……一つ、訊きたいことが有る」


 板敷の隠し部屋に座る大柄のカモシカの男性、十徹(とうてつ)さんが、木刀と紙やすりと床に置き、まっすぐにこっちを見た。

 空気が、ピシッと張り詰めるのを感じる。

 十徹さんが、訊きたいこと……想像もつかなかった。一体、どんな質問なんだろう……?

 俺も紙やすりと木刀を床に置き、背筋を伸ばしてただじっと、緊張しながら待っていると……。


「……日本、という(ところ)には――」


 十徹さんは視線を逸らさずに、そっと口を開く。

 ――『日本』。似てはいるものの、この場所は日本じゃなくて、そもそもこの世界には日本は存在しない。そんなことを改めて意識する。


「剣は有ったか」


 そして十徹さんは、真剣な表情で尋ねる。

 一瞬混乱して、即答はできなかった。『日本に剣は有ったか』。それは、物質としての『剣』が有ったかどうかっていう意味じゃないはずだ。


「……はい。真剣はもう使ってはいけないんですけれど……竹刀を使う剣道や、剣の技を磨く流派は、今も残っています」


 日本の剣について、どうにかしどろもどろに話す。あまり詳しくないから、上手く説明することができないのがもどかしい。多分、間違ったことは言っていないと思うけど……。


「……そうか」


 十徹さんは頷いて、目を閉じる。……今、十徹さんは何を思っているんだろう。表情から読み取ることはできなかった。


「……剣の、覚えは有るか」


 十徹さんが再び目を開いて、次の質問をする。これは、そのままの意味だろう。


「すみません……未経験です」


 まだ少しだけ緊張しながら、正直に答えた。

 俺は剣士が登場する漫画を読んでカッコいいと思うことは有ったけれど、今日になるまで木刀に触れたことすら無かったし、そもそも剣を始めようという発想を持ったことも無かった。


「……そうか」


 そして十徹さんは再び、短く答えた。

 その表情は、変わらないけれど……十徹さんはきっと、日本の剣の話を楽しみにしていたんだろうな……。知らないことを説明することはできないにしても……十分とは言えない情報しか伝えられなかったことを、申し訳なく感じてしまう。


「あの……十徹さんは……」


 それなら……今度は、俺の方から訊いてみよう。それにこれは、前から俺が密かに気になっていたことでもあった。

 頷いてくれた十徹さんに尋ねる。


「どの様な流派で、修行をしているんですか?」


 十徹さんは、どこでどうやって己を鍛えているんだろう。

 町の道場で修業をしていると蓬さんは言っていたし、木刀を差してどこかに出掛けているところも見たことが有るけれど……。


「――」


 すると十徹さんは、少しだけ意外そうに瞬きをして。


「――――雪鏡(ゆきかがみ)流」


 はっきりと、そう答えた。

 雪鏡、流。どんな流派なのか、名前からは想像がつかない。


「――『剣は心を映す』」


 そして十徹さんの凛とした声がする。


「……心を、映す……」


 それはきっと、雪鏡流の教え。俺も思わず、ぽつりと繰り返していた。

 剣は、自分の心を映し出す、鏡の様なもので。慢心や驕りを持っていては、それが己の剣にも表れてしまう。反対に、正しき心を持っていれば、折れない剣の道を歩める。

 恐らく、そんな意味を表している言葉なのだろう。変に凝り過ぎて無く洗練されていて、格好良い教えだと思った。


「――ユウ、ハン、シン、ケン、キュウ」


 次いで十徹さんは、そんな短い単語を連ねて、上を向く。その視線の先には、さっきも目に留まった横長の大きな額縁、その中には崩した豪快な筆文字の書が入れられている。

 つまりあれには今の、ユウ、ハン、シン、ケン、キュウ、という言葉が書かれている様だ。


「それは、どういう意味ですか……?」


 心・技・体の様なものなのかな。教えであることは間違いなさそうだけど……想像してみても、今度は深い意味までは掴めなかった。


「――人に」


 十徹さんがこっちを見据える。……密かに俺は、息を呑んだ。 


「人に優しく」


 そして十徹さんは、残りの教えを淡々と述べていく。


「ご飯は残さず、お昼寝たっぷり、健康第一、無理せず休む」


 ……。

 ……あれ、何だか、一気に柔らかい教えになった様な……。いや、言っていること自体は良いことなんだけど……。

 けれど、目を凝らせば確かに、飾られている書にも、『優飯寝健休』と書かれてある様に見えてきて。

 それでも内心、戸惑っていると……。


「最初の一つが、雪路雪丸(ゆきみちゆきまる)師範の教え」


 雪路雪丸さん。その名前から、真っ白い獣人が刀を差して、雪景色の中に佇んでいる光景が頭の中に浮かぶ。


「そして、後の五つは――」


 十徹さんが書を見つめたまま、目を細めた。


「――御珠(みたま)様の教えだ」

「えっ……御珠様も、剣術をされるんですか?」


 予想外の十徹さんの言葉に、思わず訊き返す。 

 『優飯寝健休』は確かに言われてみれば、御珠様らしいな……。って、妙に納得できてしまうけれど。

 御珠様も剣を鍛えているなんて。正直、ちょっと意外だった。


「……。御珠様は……剣は持たない」


 だけど十徹さんは首を横に振って、こっちを見る。


「稽古や試合の時。掛け声や踊りで皆を励ましてくれる――」


 今まで場に漂っていた、どこか張り詰めた様な空気が次第に解けていく様で――。


「――応援団長、だ」


 そして十徹さんは、そう告げたのだった。


「そう、なんですか……」


 真面目な印象の有る剣術の流派には、何となくふさわしくなさそうな役職の登場に戸惑った。

 ……応援団長。踊って応援って……御珠様は何をしているんだ……?


『試合中は無礼講だぞ! 頑張るが善い!』


 静謐な空気が流れる試合の途中で。いつも通り豪華絢爛な着物を纏った御珠様が唐突に道場に入ってきて、ノリノリで声を掛けたり、チアリーディングの様に踊っている姿が、勝手に想像してしまって……。

 ま、マズい。何だか、不意に、可笑しくなってきて……。


「……くすっ」


 思わず、笑ってしまった。


「…………」


 当然、十徹さんはそんな俺のことをじーっと見ていて……。

 ――あっ……。


「ご、ごめんなさい!」


 今のは失礼だった……! 慌てて頭を下げて、必死に謝っていると……。


「……いや。それで良い」

「えっ……?」


 意外な言葉が返ってきて、顔を上げる。


「今の様に、御珠様が緊張をほぐしてくれるお陰で……しなやかな太刀が打てる。」


 十徹さんの短めのしっぽが一回、ぱたりと揺れる。


「…………。……御珠様は……」


 そして十徹さんは、一瞬。


「……本当に、素敵なお方だ」


 ふっと表情を緩めたのだった。

 その口調には実感がこもっていて。御珠様の狙いは確かに、試合の時に功を奏している様に思えてきて……。やっぱり、御珠様らしいな。つられて何故か俺も、和やかな気持ちになってくる。


「貸してくれ」

「どうぞ」


 俺は磨き終わった木刀を、十徹さんに丁寧に手渡した。

 十徹さんは、刃や切先にあたる部分を更に紙やすりで丸く削り始める。万が一の時に、相手が傷付くことの無い様に。

 それから十徹さんは、仕上げとして白い布で木刀を拭って、細かい粉を落とした。


「……仕舞いだ」


 十徹さんが俺に、再び木刀を渡す。慎重に受け取って……目を見張った。


「これは……」


 最初とは見違えるほどに磨かれた木刀が、部屋の明かりをくっきりと映し出していて。凹凸や傷の消えて、一層しなやかで美しい曲線を描いている。

 俺が磨いていた時には木刀は、決してこうはならなかった。剣の傷は減ったけれど、光を映し出してはいなかったのだ。十徹さんは今のわずかな時間で、剣をここまで仕上げたんだ……。

 感嘆しながら、ただじっと木刀を眺める。

 その刃は決して尖っていたり、鋭い印象は無くて……あくまで、素材の木本来の静けさ、優しさを保っている。手にしていると、むしろ心が穏やかになっていくようだ……。

 しばらくの間、そんな不思議な気持ちに包まれて。

 そして、俺は再びそっと木刀を両手で持って、十徹さんに返した。


「必要な時に、使うと良い」


 十徹さんが頷いて立ち上がり、木刀を再び元の収納場所へと立てかけた。そして、自分が磨いていた方の木刀一本を腰に差して、その場に腰を下ろす。


「――某も昔、故郷を遠く離れ、ここに行き着いた」


 十徹さんは、どこか懐かしそうに言って、前を向く。


「困った時は、いつでも言うと良い」

 そんな、芯の通った十徹さんの声は、とても心強かった。

 十徹さんも、俺と同じか、それよりも若い時に、遠い故郷からこのお屋敷に……。自分も同じ境遇だと、十徹さんは俺を励ましてくれているんだ……。


「ありがとうございます!」


 しっかりと頭を下げて、大きな声でお礼を言う。

 十徹さんの励ましが……本当に、本当に、ありがたかった。

 トントン。

 と、そこで。部屋の扉がノックされる音。振り返れば、隠し扉は回転する壁から、しっかりとした襖へと姿を変えていた。


「十徹君、それじゃあそろそろ――」


 ガラリと開けられる襖。そこに立っていたのは……。


「あ、あれ? 景君?」


 狸の蓬さんが、ちょっと驚いた顔をする。


「そっか、景君もそろそろ、ここが見える様になる年頃なんだね」


 蓬さんはそう言って、ひょっこりと部屋に入ってきた。見れば蓬さんは、普段着ている様な着物の上に一枚、若草色の薄いコートの様な着物を羽織っている。


「最初見つけた時は、本当に驚きましたよ……」

「あはは、そうだよねえ。いきなり現れるんだもん、この部屋」

 やっぱりそうだった! と、いう風に、蓬さんはちょっとはしゃいだ様子でしっぽを振った。

「――行くか」


 そして十徹さんも立ち上がって、床に敷いていた紙の上に溜まった木の粉をゴミ箱に捨ててから、同じ様に藍色のコートの様な着物を羽織る。


「どこに出掛けるんですか?」


 確か御珠様も、先にどこかに向かっているって言っていたっけ。多分、蓬さんと十徹さんも、同じ場所に向かうんだろうけど……。


「街に色々と用事が有ってね」


 蓬さんは笑って答える。街に用事……ただ買い物に行くとかじゃなくて、他にも誰かに会ったりとかするのかもしれない。

 気になるけれど、御珠様の仕事に関わることなら、詳しく言えないことも有るんだろうな。

 俺も立ち上がり、蓬さんと十徹さんに続いて隠し部屋から出る。

 最初ここに入った時の緊張と動揺が嘘の様に心は爽やかで、暖かかった。

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