第四十六話 読み聞かせ作戦! 下
双子の子狐――都季と灯詠が今、俺の膝の上に座っている。左側の都季も、右側の灯詠も夢中になって見つめているのは……俺が手にしている本、『咲ちゃんと空のこぎつね』だ。
突然居なくなった水色の子狐――空の子を探すために、主人公の狐の咲ちゃんが夜の山へと入っていくシーンから、読み聞かせを再開する。
「――けれど、いくら歩いても空の子は見つかりません。『どこに行ったんだろう……』だんだんとつかれてきた咲ちゃんが、泣いてしまいそうになった、その時――」
最初はわざと途中で読むのを止めて、部屋の外で騒いでいた子狐達に軽く仕返しするつもりだったのに。
気付けば、声の調子や速さなんかをちゃんと考えながら読み上げている自分が居て、内心で驚く。
「大きな大きな木のかげから、誰かが泣いている声が聞こえました。びっくりした咲ちゃんが、そっと近付いてみると……」
そして、ゆっくりとページをめくってみると……。
「あっ! いたのです!」
「……見つかった……」
都季と灯詠が挿絵を指差して、同時に声を上げた。描かれているのは、木の陰に隠れる水色の子狐――空の子だ。膝を抱えて、寂しそうに泣いている。
「『良かった、良かった……!』咲ちゃんがぎゅっと空の子をだきしめます。だけど空の子は、悲しそうな顔をしたまま、小さな声で、言いました。『誰からから、よばれた、気がしたの……。とっても、なつかしくて、やさしい、声で……。とっても遠くの場所、こっちの方角から……』」
「「……」」
ぱたんと小さく揺らした子狐達のしっぽが、頬を撫でる。挿絵の中の咲ちゃんと同じ様に、空の子を心配する様な表情を都季と灯詠も浮かべている。
「ですが、悲しそうな空の子に、咲ちゃんは明るくこう言いました。『――それなら、こうしようよ! 会いに行こう、その声の人に!』びっくりしてぱちぱちとまばたきをする空の子に、咲ちゃんは笑い掛けました。『大丈夫、わたしも一緒に行くよ!』」
次のページ一杯に描かれていたのは、太陽の様に明るい咲ちゃんの笑顔。
「流石は、咲ちゃん。立派なのです!」
「大冒険の、始まり始まり――」
夢中になっている子狐達も、また元の明るい調子に戻って。ちらっとこっちを振り返って、早く続きを! と無言でねだって来る。
肩の力が抜けるのを感じながら俺は、そっとページをめくった。
◆ ◆ ◆
――狐の里を離れ、声の正体を探す旅に出た、空の子と咲ちゃん。黄金に輝く不思議なお菓子を食べたり、門番となぞなぞ対決をすることになったり、長雨で困っている村のピンチを救ったり、様々な経験をしながら、西へ西へと進んでいく。
「あはは! 咲はやっぱりドジなのです!」
「だけど、やる時はやる、できる子……」
「む~これはかなりの難問ですね」
「何だか、お腹が減ってきた……」
子狐達の反応を参考にしながら、どういうシーンでどういう読み方をすればいいのかを考える。面白いシーンは陽気に、怖いシーンはおどろおどろしく、少しずつだけど、抑揚の有る声で読める様になってきている……気がした。そんな風に工夫して読み進めていくのは勿論初めてで……思ったよりもずっと、面白く思えた。
◆ ◆ ◆
そして、咲ちゃんと空の子がとうとう、広い広い国の端っこ、一面の水平線が見える岬へと辿り着いた時……空からふわりと、背中に翼の生えた水色の狐が沢山舞い降りて来る。
「『君は、もしかして……』」
彼らの正体は、普通の人には普段は見えない島に暮らしている『空の民』。
そして実は、空の子もその一員で、「凪」という名前だと伝えられる。七年前、生まれたばかりの時に、島を襲った台風によって飛ばされてしまった凪のことを空の民はずっと探し続けていたのだった。
仲間と再会できたことによって、凪にも不思議な力が宿り、背中に翼が生える。
それから咲ちゃんも島に招待されて、みんなでパーティーをして、夜になって。
島の長――とても大きな狐の背中に乗せて貰って咲ちゃんと凪は、あっという間に狐の里まで着いて。
そして二人に、別れが訪れる。
「『……また、会えるよね。きっと』『もちろんだよ! それまで、元気で、ね!』咲ちゃんは、お見送りに来てくれた凪君を心配させない様に、どうにかなみだをがまんしようとしました。『ぼくが大きくなったら、空を飛んで会いに来る。咲ちゃんに』『う、ん。うん。ありがとう、ありがとう……!』――そして、ばさり、と長が羽ばたいて、ゆっくりと、空へと、まい上がっていきます。背中に、のせた凪の、すがたも、遠く、遠く、なって、いきました……。………………」
挿絵には空を見つめて、手を振る咲ちゃんの後ろ姿が描かれていて。クレヨンをぼかした様な、ふわっとした絵柄が、何故か余計に寂しさを誘って……。
「――き、狐の里に、朝がやって、来ます」
あ、あれ? どうしてだろう。目頭が、熱くなっている自分が居る。
「ま……眩しい、日差しに照らされた、咲ちゃんは、凪君と長の姿が見えなくなっても、ずっとずっと、手を振り続けて……そして、にこっと、爽やかに笑ったのでした。――おしまい」
……どうにか、泣かないで読み終えることができた。ほっと息をつくと、子狐達に気付かれない様に目元をさっと拭う。
子供向けの『よみもの』を読むのはそれこそ小学校以来で……暖かさと懐かしさと、それから少し、胸を締め付ける様な切なさが混じった、不思議な気分で……。
「……良い話だったな」
感動しているのか、都季も灯詠もさっきからずっと静かで、返事は無い。そっと、その様子を伺ってみると……。
「すー、すー……」
「……すー……」
「あれっ」
子狐達は俺の膝の上で、互いに寄り添ったまま、寝息を立てていて。どうやら、いつの間にか眠っていたみたいだった。
見れば、外はとっくに夕方になっていて。開けっ放しになった障子の隙間から、橙色の日差しが部屋に差し込んでいる。
すやすやと、気持ち良さそうな二人の寝顔。
ずっと、何時間もお話に集中していて、疲れちゃったんだろうな。
「……」
物語の余韻がゆったりと、俺の部屋に流れている様に感じる。目を閉じれば俺もすぐに眠ってしまいそうなほど、穏やかで優しい時間だった。
……こんな休日も、良いものだな。
俺はそっと、子狐達を起こさない様に慎重に畳に寝かせてあげる。
思い返せば、自分が幼稚園に通っていた時も、昼ごはんの後に先生が皆に読み聞かせをしてあげていた。声に乗って届けられる物語は、一人で読んでいる時よりも遥かに面白くて……毎日、その時間が楽しみだったな……。確か、その後のお昼寝の時間になっても、続きが気になって眠れなかったことまで思い出して、懐かしさでいっぱいになる。
「おっと」
立ち上がると、足がびりっと痺れてよろめいてしまう。長時間座っていたからだろう。
なので俺は一旦本を机の上に置いて縁側に出て、痺れを無くすために、ゆっくりと歩いてみることにした。からっと乾いた空気に、いつもよりも高く見える空。休日の天気だった。
広々としたお屋敷の庭の更に奥、隣の家々の向こう側に太陽が沈んでいく風景が、挿絵で描かれていた岬や水平線と重なって見える。いや、それとも、咲ちゃんと凪君が別れた時の、朝焼けの空に似ているのかもしれない。
それにしても、ライトベルだけじゃなくて、小さい子供も楽しめる本も書けるなんて……。
まだ一冊しか読み終えてなくても、筆壱さんといにいにさんのファンになり始めている自分に気が付いた。きっと、この世界でも、有名な人達なんだろう。
他にも色んなジャンルの本を手掛けているのかもしれない。もしも本屋に行く機会が有ったら、もっと探してみたいな……。
なんて考えていると、冷たい風が吹き抜けて頬を撫でた。夕日に照らされた庭の草木が揺れる。
多分今、五月の下旬ぐらいで、この時間はまだまだ寒く感じる。
――そうだ。晩御飯はもう少し先だろうから、風を引かない様に子狐達に布団をかけてあげよう。
縁側の途中で立ち止まると、俺は再び踵を返して、痺れの引いた足で自分の部屋へと歩いていった。
だけど。
「あれ?」
見れば、自分のしっぽを抱きしめる様にして眠る灯詠も都季もいつの間にか、薄い布団をかぶっていた。
目を離している少しの間に、押し入れから引っ張り出して被ったのかな?
だけど、すーすーと寝息を立てている子狐達の眠りは深そうで、そう簡単に起きてこなさそうだし……。
これって……?
「う、ん……」
考えていると、灯詠が寝返りを打って、少し布団をずらしてしまった。
「おっと……」
起こさない様に布団を、元の位置に掛けてあげていると……。
「なぞなぞ……なの、です……」
そんな灯詠の寝言が聞こえてきて。どうやら夢の中で、本の内容と同じ体験をしているらしい。
「……翼が……生えて……」
都季も気持ち良さそうに眠りながら、ぽつりと呟いて……。
……どうやら、楽しんでくれたみたいで、良かった……。
ほっとする様な、嬉しい気持ちで俺は机の上に置いてあった「咲ちゃんと風のこぎつね」を手に取って、本棚にそっと戻したのだった。




