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第三十二話 真夜中と謎と理由

「……」


 本当に驚いた時、人間は声が出なくなる。身をもって実感した。


「わっ……うぐっ」


 ふ、布団の中に、誰かが、隠れて……。ようやく事態を把握して冷静になって体を起こして、叫びそうになった。だけど今度はすぐに口を手で覆い隠されてしまう。


「しっ」


 と、俺の布団の中に潜んでいたその誰かは、人差し指を立てて幽かに息を漏らす。

 夜中で視界は暗く、隠れているのが誰かは、はっきりと分からない。御珠様が風呂に乱入してきた時よりも、一層唐突だ。冗談じゃなくて、心臓が本当に一瞬止まったぞ……。


「だ、誰だ?」


 布団に隠れていたその誰かに、狼狽えながら言う。頭の中はこんがらったままだ。


「……」


 俺の質問には答えてくれなかったけれど、布団からはもぞもぞと這い出てくれた。


「……」


 ――『都季(とき)』。

 布団に隠れていた白狐の都季は、ただ無言で、じっとこっちを見つめている。 

 その表情は、俺や灯詠(ひよみ)をからかっている時とは違って、真剣そのもので。


「だ、大丈夫か? やっぱり、具合悪いのか……?」


 心配になって尋ねていた。ただごとではない気配が、都季の様子から自然と伝わってきたからだ。

 今日一日子狐達はやけに大人しかったことが、不安を更に掻き立てる。


「……違う」


 だけど、都季はふるふると首を横に振った。はっきりと否定されてしまった以上、これ以上訊くことはできそうにない。


「……」


 そうこうしている内に都季は、すとん、と俺の隣に腰を下ろした。


「「……」」


 ……だけど都季は、決して目を合わせたりはしなかった。

 そのまま俺達は何も話さないまま、ただ時間だけが過ぎていく。いや、俺が話しかけるべきなんだろうけど、とっかかりが見つからないというか……。


 ちらっと、横顔を伺ってみる。だけど、元から表情をあまり出さない都季が、何を考えているかを読み取ることはできなかった。

 感情を映すしっぽも今は、揺れてもないし垂れてもいない。本当にノーヒントだ。

 それに、何よりも一番奇妙なのが、白狐の灯詠(ひよみ)が今、いないことだ。

 双子の姉妹の都季と灯詠は、いつも一緒に行動している。少なくとも、二人が別々に行動しているところを、俺は見たこと無かったのに。


「………」


 都季は何も話さないので、より一層謎は深まるばかりだ。

 灯詠が居れば都季ももっと騒がしいはずなんだけど、一人だと心細いのだろう。

 都季と灯詠は、まだ七歳か八歳ぐらい。一人きりで、それも夜中に行動するのは、まだ怖い年だ。


「一人で来たのか?」


 都季を怯えさせない様に、俺はなるべく静かな声で尋ねる。

 どうして、俺の布団の中に入っていたのか。そもそも、どうして、今日一日中俺のことを後ろから覗いていたのか……。

 単刀直入に聞きたいのが本当だったけれど、あえて遠回りをする。何となく、都季が自分から話せそうな雰囲気ができるまで待ってあげた方が良い気がした。


「……うん」


 こくり、と、都季は小さく頷く。その声はいつもよりも、少し弱く聞こえてしまう。

 夜の闇が怖いのかもしれない。灯詠もいないし……。

 それでも、一人で俺の部屋まで来るってことは、本当に何か事情が有るんだろう。


「灯詠はまだ、寝ているのか?」

「……うん」


 今度の返事は、少し上機嫌だった。ぱたん、と白いしっぽも一回だけ揺れる。

 都季の表情もほんの少し、柔らかくなったように見える。灯詠の話題が出て、嬉しいのかもしれない。


「そっか」


 それじゃあ都季は自分の判断で灯詠を起こさずに、ここまで一人でやって来たってことになるんだろう。

 ……それにしても。


「お前たち、本当に仲が良いよな」


 普段から一緒に行動している都季と灯詠。外見ほど性格はそっくりじゃないけれど、それでも二人がとても仲が良いということは、ここ数日過ごしただけでもはっきりと伝わってきた。

 俺をからかう時なんか、まさに息ぴったりだし。

 まあ、そのついでに灯詠も都季にからかわれている場合も多いけど……それは置いといて。


「……そんなの、当たり前」


 だけど都季は今度の質問には呆れ気味に答えて、これ以上答える必要は無いという風に再びそっぽを向いてしまう。だけどその仕草がむしろ、都季と灯詠の絆の深さを伺わせた。

 ……そりゃあそうだ。当たり前だよな。わざわざ訊くまでもない、自分でも馬鹿な質問だった。

 仮に仲が良くなければ、一緒に行動したりなんてしないのだから……。


「「……」」


 再び会話は途切れてしまう。けれど、今まで都季を覆っていた緊張した雰囲気が少しだけ解けたのが伝わってきた。

 それと同時に分かったことがもう一つ。

 都季は今、何か大切なことを、俺に話そうかどうか迷っている。

 はっきりとした証拠は無いけれど、確かだった。隣に座っているだけでも、都季の抱える切実な気配が、ひしひしと感じ取れるから。

 それは恐らく、今日一日の都季と灯詠の行動に関係が有ることだ。一体都季は、何について悩んでいるんだろう……?

 後ろから俺を観察していた事情。一日中、気まずそうにしていた事情。都季一人だけ、ここにやって来た事情……。


 ……!

 色々考えていく内に、ハッとする。 

 まさか、子狐達は俺を見張ろうとしていたんじゃなくて……。俺に何かを、伝えようとしていたんじゃないか? そのタイミングを物陰からずっと、伺っていたんじゃないか? 

 思い返してみれば、今朝も二人は俺に何かを言い掛けていた。あの時の二人の表情も、どこか深刻だった。まるで、今の都季と同じ様に。


 迂闊だった。こんな大切なことを今まで忘れていたなんて。

 子狐達は、何を知らせようとしているんだ? 

 思い当たる節は無い。でも、それは多分、いや絶対、俺に直接関わってくることだ。そうじゃなければわざわざ夜中に俺のところに来ないで、このお屋敷の他の人たちに、とっくに相談しているはずだろう。

 目に見えない危険が、俺や子狐達に迫っているとか? いや、それとも、俺がこの世界に呼ばれた秘密に関係することか?


 詳しいことはまだ分からないけれど、心につっかえていたものがすっと消えていくのが不思議だった。代わりに込み上げてくるのは……自分に対する、ふがいなさだ。

 俺は、自分が嫌われているかどうかということばっかりに囚われて、もっと大切な子狐達のサインを見落としてしまっていた。

 もっと早く、気が付いて声を掛けてあげられることもできたはずだ。

 まだ子供だから、上手く伝えられないことだってあるだろうに……こうして向こうの方から行動させてしまうなんて、いくらなんでも遅すぎだ。


「都季――ごめん」

「……??」

「お前たちが悩んでいることに、すぐに気付いてあげられなくて、本当に悪かった」


 はっきりとそう言うと、都季は首を傾げる。


「困っていることが有ったら、何でも言ってくれ。俺にできることなら、何でもするから……」


 誰だって、人に相談する時は不安になる。都季を安心させるような口調で話せているかどうか、自分では確かめ様が無い。ただ、思っていることをそのまま口に出す。

 とにかく、都季の心の中に在るもやもやを取り払ってあげるのが、第一だった。それが最優先だ。


「……け、い」


 すると都季はぽつりと囁いて、俺をじっと見つめる。驚いた様に、目をぱちくりとさせながら。

 都季の赤い瞳は今、一層強く輝いている。

 それから都季は、きゅっと口をむすんで、悩むように俯いて……。

 俺は邪魔をしないで、静かに返事を待つ。動揺してないと言えば嘘になる。でも、それが都季に伝播しない様に極力、平静を装った。


「……うん」


 しばらくすると都季は、自分自身に確かめる様に小さく頷いて。


「……実は、その……。……み」


 何かを決意したように、ぽつりぽつりと話し出した。耳を澄ませて、俺はその声に集中する。


「み、……ま、……」


 途切れ途切れに、音が聞こえてくる。『み』、『ま』、って、つまり。


「……御珠様か?」


 予想していなかった展開に、思わず口をはさんでしまう。

 御珠様がどうしたんだ……? まさか、御珠様に何か有ったのか? 何かが、起こるのか?


「ううん。そうじゃなくて……」


 だけど、それは俺の早合点だったみたいで、都季はもどかしそうに首を横に振る。


「み……」


 そして都季はゆっくりと顔を上げて、もう一度こっちを見て。

 み……?


「……耳、また、撫でて、欲しい……」


 恥ずかしそうに、ぽつりとそう囁いたのだった。

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