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第三十一話 コンよく! 下

 ……まぐわう。

 何の脈略もない御珠(みたま)様のセリフに、一昨日の夜の記憶がすぐに蘇ってくる。

 まぐわう、まぐわう、まぐわう……。


「ど、どうしてそうなるんですか!」


 かき乱される頭の中。とにかく何か言わなければ、このまま御珠様のペースに巻き込まれてしまう。


「そうは言ってもおぬし、例の本はちゃんと読んだのではないか?」

「読んでませんって!」

「それじゃあ、見つけはしたのだな?」


 御珠様がにやっとする。


「わらわは別に、どの本とは言っておらんぞ?」

「あっ……」


 ……かまをかけられた。あの本を発見したことは絶対に秘密にしておこうと思っていたのに、我ながら見事な自滅っぷりだった。


「よいよい。わらわは全く気にせんぞ」


 ちゃぽん……と、風呂に張ったお湯が小さく音を立てる。御珠様が、するりと俺の背中に手を当てた。

 ふわっとした毛が触れて、く、くすぐったい……!


「こればっかりは本だけでは学べぬからのう。実際に試してみるのが肝要じゃな」

「な、何を言っているんですか……」

「まあまあ、良いではないか。わらわに任せておけば」


 そして御珠様は、その手をゆっくりと、俺の上半身から下半身へと近づけていく。

 な、何をするつもりだ? 分からないけど、危機が迫っていることだけは確かだ。身じろぎをして、その魔の手から逃れようとした。

 けれど。


「あ、あれ……?」


 体が思うように動かない?! まるで体が浴槽に固定されてしまった様に。

 も、もしかして、金縛りとか……? 


「そ、その、ちょっと待って下さい!」


 いずれにせよ、この状況、一昨日の夜よりもずっと危険なんじゃないか……?! 


「焦らす方が好きなのじゃな。それなら、付き合おうぞ?」


 必死の訴えが通じたのか、御珠様が動きを止めてくれた。

 何を言っているのかはやっぱりよく分からないけれど……とにかく、猶予が与えられる。


「おぬしが二階でまぐわうのが嫌そうだから、ここまでやって来たのだからのう」


 何食わぬ顔で言ってのける御珠様。

 ……うん、凄まじい見当違いだ。冗談で言ってる訳でもなさそうだし……。


「いや、場所の問題じゃないんですけど……」 

「ならば、どこならおぬしは満足なのじゃ?」


 俺の突っ込みを全く意に介せず御珠様は、口元に指を当てて風呂場の格子窓の外を見つめた。


「星空というのも、浪漫が有るのう?」


 そんな、意味深な発言。どういう意味なのかは、あえて知ろうとはしないぞ……。


「と、とにかく、駄目ですよ、駄目ですって」


 手の平で踊らされている気分になりながらも、俺は首を横に振る。あまりにも、あまりにも唐突過ぎる。こんなこといきなり言われたって、困る。非常に、とても、困る。


「うむ……」


 すると今度は、御珠様は腕を組んで、湯気の立つお湯の表面を見つめた。


「……確かに、景の言う通りじゃな」


 冷静になって、落ち着きを取り戻した御珠様の声に、ほっとする。どうやら、思い留まってくれたらしい。いや、それでも狭い風呂で混浴しているこの状況は、かなりおかしいんだけど……。


「そうですよ、というかそもそもですね、」


 御珠様が分かってくれたことに安堵して、俺は話を続けようとした。


「おぬしが正しいぞ。これは場所の問題じゃない」


 だけど、すぐに御珠様の声に遮られる。しかも、その表情は心無しか嬉しそうにも見えて……あれ?


「どこであれ……」


 じゅるり。

 何故か、舌なめずりをする、御珠様。


「することは一緒だからのう」


 御珠様は、明るい口調でそう言い放ち、再び体を密着させて手を伸ばした。


「いや、意味分かりませんって!」


 俺の抵抗もお構いなしに、近付いてくる御珠様の手。まずい、まずいまずいまずい……!

 ど、どうにか、どうにかしないと!


「あ!」


 俺は咄嗟に大声を出して、ある物を指差した。風呂場の格子窓。


「? どうかしたのか?」


 御珠様の視線が俺から逸れる。その時、体の拘束が少しだけ緩んだ。

 今だ! 俺は湯船から脱出して、風呂場の出口へと駆ける!


「いけない! 洗濯物が夜風に吹かれて飛んでいます!」


 勿論、こんなの嘘だけど……。無理やり説明口調でそう言うと、風呂の扉を思いっ切り開けた。

 そして超高速で浴衣に着替えて自分の名前が書かれた板を裏返して、脱衣所を後にする。


「取ってきます!」


 半分叫ぶように御珠様にそう言い残して、俺は脱衣所から出て、自分の部屋に向かって廊下を走る。というか逃げる。


「景は本当に、恥ずかしがり屋だのう」


 ……風呂場からは、からかう様な声が聞こえてくる。



 ◆ ◆ ◆




「………」


 廊下を走って自分の部屋に戻り、ぴしゃりとふすまを閉める。

 背中をタンスに預けて、体育座りをした。危機は去ったけれど、気持ちはあまり落ち着いていない。

 これだと昨日と同じじゃないか。我ながら、大したビビり精神だ……。

 さっきまでは、御珠様の拘束から逃れることしか考えてなかったのに。

 いつの間にか後悔している自分がいた。いや、まあ、あんな形でいきなり乱入されたら、誰だって驚くに決まってるんだけど……。


 一昨日の夜は、どうして誘惑を断ったんだ、とか今まで密かに後悔していた分、余計に自分が恥ずかしい。それに、御珠様とまぐわうかどうかが、俺が元の世界に戻れるかどうかの鍵だとしたら、今回の俺の行動はかなり致命的な気がする。

 結果的に、自分で自分の首を絞めてしまったんじゃないか……?


 だけど、あの状況だと、誰だって逃げるって。狩りをする獣の様な御珠様の気配に、半分本能で逃げ出したんだから……。


 ……とにかく。御珠様の意図はさっぱり分からないけれど、ずっと悩んで引きずるのが一番良くないということだけは、はっきりしている。

 俺は腰を上げて、布団を敷いた。それから、机の上にキープしていたライトノベル、『もっふるさん、風に舞う』を枕元に置く。


「よっと」


 加えて本棚から分厚い一冊の本を抜いて、ホコリを被った箱から中身を出してみた。

 薄い紙の一ページごとにびっしりと詰め込まれた、三段組みの文字。並んでいるのは言葉の意味や、文字の成り立ちだ。外見から思った通り、これはこの世界の辞書だ。


 俺はそれをもっふるさんと一緒に用意して、うつ伏せに寝っ転がって背中に布団をかけた。

 悩んでいても仕方ない。それよりも今は、楽しみにしていた本をじっくりと読もう。きっと良い気分転換になるはずだ。

 高まる期待を胸に、早速俺はもっふるさんの表紙を開いてみる。


『――ここは、名も無き雪山の奥深くの、ひっそりとした洞窟の中。』『山犬の女の子が一人、凍てつく吹雪にも関わらず、すやすやと呑気に眠っていた。』『長く伸びた淡い茶色の髪の毛には、雪のかけらがくっついていて――』


 見開きの左側のページは文章で、右側のページは腕を枕代わりにして、幸せそうな顔で寝ている女の子のイラストだった。表紙や裏表紙以外にも挿絵が多く入っているみたいで、それだけでも嬉しい。


 そのまま流れる様にページをめくろうとしたけれど……いけない。

 俺は一旦辞書を開いて、今読んだページの中で見たことの無い文字について調べてみる。

 御珠様の術のお陰で問題なく読めはするんだけど、自分のものにするには、ちゃんと成り立ちや用例を知っておいた方が絶対に良いだろう。


 例えば『洞』の字はこの世界だと、門構えに『伏』という漢字が囲われた様な奇妙な形をしていて、一見すると『どう』とは読めない。

 だけど辞書を引いてみれば、『入口から進んだ場所に何かが潜んでいる様子から』と書いてあって、自然と納得できる。確かに洞窟の奥には、何かが伏せて待ち構えていそうな感じするもんな……。


 こんな風に一文字一文字、自分の知らない文字の成り立ちを調べていくのは新鮮で、不思議と飽きたりしなかった。

 しかも、ただ単純に一つの文字の読みや成り立ちについて学べるだけじゃなくて、他の文字も一緒に知れるから効率も良さそうだった。門構えや『伏』の字はこの世界でも変わらない形だとか。

 疑問に思った場所を、調べ終わったら次のページへ。これなら、読書と同時にこの世界の文字について学べるから、一石二鳥だ。


 一つ欠点を挙げるとすれば、本の内容が面白かった場合、すぐに読み進められないのが非常にもどかしくなることだけど……。

 困ったことに、まさに今、そんな感じで。気が付けば、調べるのを忘れて数ページ分を読んでしまっていた自分がいた。もっふるさんが洞窟の中で吹雪の日々を乗り越え、山に緑が芽吹いてきたある日、当てもなく旅立とうとするところまで話は進んでしまっていた。


 調べるのが楽しいのは本当だけど、本文の面白さには敵わないなあ……なんて思いながら遡って辞書を引く。そんなことを繰り返していると当然時間がかかる。だけどこの方がかえって、作品の世界の中に没頭できるような気もしてくる。


 読書というよりも、RPGをしている時の感覚に近いかも。少しずつヒントを拾って、山犬の女の子(多分この子がもっふるさんだ)の冒険を、紐解いていく……。


『――決心した目つきで洞窟の出口を見た。』『わたしは何処かに、行かなきゃいけない。いや、行きたい。色んな所に行ってみたい!』『心の中で誓うと、自然に勇気とやる気が沸いてきた。何でもできそうな気分だ!』『だけど、威勢良く洞窟から一歩踏み出したところで。くああ……と、大きな欠伸。』『「もうちょっと眠っていましょう……むにゃ」』『結局彼女は眠気には勝てず、ぺたんと彼女は床に腰を下ろすと、再び何も考えずに眠り始めて――』



 ◆ ◆ ◆



「………」


 ハッとして目を開ければ、行燈の灯りは薄らいで部屋の中は暗くなっていた。

 手元にある二冊の本、もっふるさんと辞書は、開きっぱなしで。だけど、何処まで読んでいたのかが今一つ思い出せない。

 俺はもっふるさんと同じ様に欠伸をして、ぱちぱちと瞬きをする。 

 読み進めている途中で寝落ちしたんだな……。


 今、何時だろう。とにかく続きは明日にして、このまま眠った方が良さそうだ。

 ……眠い。

 俺は手を伸ばして二冊の本を机の上に置いて、布団に入ったまま転がって、うつ伏せから仰向けへと姿勢を変えた。

 その時、こつん、と、布団の中で右脚が何かに当たる感覚。

 ? 何だろう?

 疑問に思って、布団をめくってみれば……。


「――!!」


 鳥肌が立った。

 布団の中、暗闇で、潜んでいた誰かの目が光る。

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