第三十話 コンよく! 上
「――それも術、だな」
そんな御珠様の言葉にハッとして、湯船に半分浸かっていた顔を上げる。
「やっぱり、そうだったんですか」
どうして俺は、習ったこともないこの世界の文字をすんなりと操ることが出来ていたのか。
それこそ、御珠様の術ぐらいしか説明がつかないとは思っていたけれど……その予想は当たっていたらしい。
「言葉が通じないというのは、色々と不便だからのう」
「御珠様のお陰だったんですね……ありがとうございます」
御珠様の計らいに、ただただ感謝するしかなかった。
もしも、この世界の人たちと話すことさえもできなかったとしたら。俺はきっと、こんな風にのんびりと風呂に入ってなんかいられなかっただろう。
もっと、ずっと、大変な状況になっていたということは、想像に難くない。
「結構上等な術なのだぞ? 対価は高くつくからのう?」
御珠様はあっさりと、洒落にならないことを言ってのける。
「た、対価とは……?」
そりゃあ、こんなに凄そうな術をタダで使ってくれることは無いんだろうけど。
まさか、魂とかじゃないよな……?
「くふふ、冗談じゃ。おぬしを呼んだ身として、このぐらいのことはして当然だからの」
御珠様は可笑しそうに頬を緩めて首を振って、謙遜するけれど……。
「い、いえ、そんなことないですって」
確かに、こっちの世界に俺を連れてきたのは御珠様なんだけど……それはそれ、これはこれ、だ。
言葉を自在に操れるようにしてくれて、有り難いことには変わりはない。
、それにしても、便利な術が有るんだなあ……なんて、ぼんやりと考えていると、
「……しかし、景。こう言ってしまっては何だが」
不意に御珠様が声を落とした。見ればその表情も真剣味を帯びていて、緩んでいた気分が、一瞬で引き締まる。
「おぬしは今、本当に自分の力でわれらの言葉を操れている訳ではない」
御珠様に言われて、ハッとする。実際、その通りだったからだ。
術が無かったら、この世界の人と話すことができないという前提は少しも変わってない。
それよりも重要なのは、このまま御珠様の術に頼りっぱなしだと……。
「まあ、焦るほどでもない、些細なことではあるがのう。それでも、」
御珠様はすっと息をすって、どこか嬉しそうに、まっすぐ俺を見つめた。
「やはり言葉は、自分で覚えてのもの。自らの言葉で人と心を通わせたときの喜びは、」
「ひとしお、ですか」
俺が言葉を繋ぐと、御珠様はにこっと笑う。
「その通り。部屋に色んな本が置いてあったろう。少しずつ読んでいけば、自然と身に付いていくはず」
なるほど。御珠様は、ただ何となく、沢山の本を俺の部屋に持ってきた訳じゃなかったのか。
「難しいところが有れば、誰にでも遠慮なく訊くと好い。いずれにせよ、努力を続けるのが肝心だぞ」
そして御珠様は俺の背中をぽん、と軽く押してこう締めくくったのだった。
「はい!」
そんなアドバイスに俺は、はっきりと頷いた。
――別に、自分で言葉の勉強をしなくたって、その点で俺が不自由することは無いんだろう。だって、この世界の言葉が操れるっていう事実には、変わりはないのだから。
だけど。
このまま御珠様の術に頼りっぱなしだと、この世界の人と本当の意味で意思疎通ができているとは、言えないのかもしれない。
普段の自分だったら、別にそれで構わない、何も問題無い、って思っていたはずなのに。不思議なことに、この世界の言葉を覚えたいっていう気持ちが、確かに自分の心の中に芽生えている。
それは御珠様が、俺のことを励ましてくれているってことが、伝わってきたからかもしれない。
御珠様、最初はわがままな人だと思っていたけれど。結構、親切なところもあるんだな……。
………。
いや、それでもやっぱり、こっちの世界に俺が来た原因はそもそも、御珠様なんだけどね……。
うーん……。
「……あれ?」
そんな風にしみじみと考えていると、ふと、とある違和感に気付く。
あれ? でも、ちょっと待てよ……?
――御珠様???
「わーっ!!!?」
思いっ切り叫んで、湯船に後頭部をぶつけてしまった。
「どうした? そんなにいきなり驚いて」
御珠様はしれっと言うけれど、どうしたもこうしたもない。
「み、御珠様、なんでっ、ふ、風呂場にっ」
だって、俺まだ入浴中、入浴中なのだ。なのに、御珠様は普通に入ってきてるんだ?
しかも、あろうことか、小さな浴槽のそばに立つ御珠様は、タオル一枚だけで体の全面を隠していて。
湯気で湿ったタオルが大きなおっぱいに貼りついていて、透けてしまっている様に見えてしまう。
正直言って、かなり危険だ……!
「何故って、男と女が風呂場ですることといえば、一つじゃろう?」
むしろ俺の方が常識知らずと言いたげな御珠様は、浴槽の縁に手を掛ける。
「混浴、しようぞ」
混、浴。
確かに、確かに御珠様と俺は一昨日、本当ならまぐわうはずだったし、そもそも俺をこの世界に連れて来たのもそういうことが理由だったんだから、混浴なんてそれと比べたら、それほど恥ずかしい行為じゃないのかもしれないけど……!!
「では」
混乱している内に、御珠様が左脚を湯船につける。
「いや、入っちゃ駄目ですって!」
俺はすぐに湯船から上がろうとするけれど、がっちりと御珠様に肩を押さえられ、固定される。体勢的に、腰が上げられない……!
「まあまあ、そう急くでない。風呂ぐらいは、のんびり浸かろうぞ?」
そして御珠様は湯船に右脚も入れて、ゆっくりと姿勢を低くした。
九本の尻尾をお風呂に全部入れるのは大変だ。増してや狭い風呂だと必然的に、俺の体にかぶさるような体勢になってしまう訳で……。
「ふふふ、まるで、にらめっこじゃな?」
……御珠様の、顔が、近い。額と額がくっついてしまいそうなぐらいの至近距離。
それに、これだと、逃げようにも全く身動きが取れない……!
「流石に二人だと、ちょっとばかし狭いのう」
「み、御珠様、マズいですって……」
マズい。この状況は非常にマズい。色々マズ過ぎて、何がマズいのかすらよく分からないけれど、とにかくマズい……!
「くくく、その割には嬉しそうだが?」
間髪入れずに御珠様は、両手を俺の背中に回して、更に体を密着させたのだった。
俺の胸板に、御珠様の、おっぱいが、ふわっと、あ、当たって、やわらかい……!
「どうだ? 気持ちよいか?」
「い、いえ、何のことですか……?」
「おぬし、誤魔化すのが下手じゃな?」
狼狽える俺の頭を、御珠様は抱き寄せる。
そして。
ぎゅむっ。
そのまま御珠様は自分の胸に、俺の顔を押し当てたのだった。
視界を埋め尽くす、御珠様のおっぱいの、真っ白な毛。
こ、こんなに、こんなに近くに、み、御珠様の、おっぱいが……!
「ほれ、今度は気持ちいいか?」
からかうように御珠様は訊く。
「~~~!!!」
だけど、おっぱいに圧迫されて返事が、というか呼吸ができない……!
「おっと、これはすまぬ」
必死に水面を叩いてもがいていると、ようやく気付いた御珠様が、手を離してくれる。
「……大丈夫か? 景」
「へ、平気です……」
風呂のお湯を飲んでしまった訳じゃないし、御珠様が背中をさすってくれたので、呼吸はすぐに落ち着いた。一瞬、色んな意味で楽園が見えたけれど……。
「それなら良かった」
すると、安心した様子の御珠様は、今度はじゅるりと舌なめずりをする。
「では、気を取り直して、」
その目に宿る輝きはまさに、肉食獣が狩りをする時のそれで……。
全身に、戦慄が走る。非常に、嫌な予感。
「み、御珠様……?」
「まぐわいでもするかの」
「?!!!」
沸騰するぐらい急上昇する体温、ショートする思考回路……。




