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第二十九話 もっふるさん、風に舞う

 夕食後の皿洗いが終わって自分の部屋に戻った俺は畳の上に寝っ転がって、しばらくの間眠ってしまっていた。


「う、ん……」


 不意にぱちっと目を覚まして、体を起こす。


「えーっと」


 指折り数えて確認する。大大吉、大吉、中吉、小吉。俺が引いたクジは『末吉』だから、風呂の順番は五番目か。

 部屋に戻ってどれぐらい眠っていたかは分からないけど、多分呼ばれるのにはまだ時間が有るはずだ。


 さて、何をしようかな。ちゃんと寝るのなら、布団を敷いた方が良いけれど……。立ち上がって伸びをすれば、不思議なことに眠気はすっと引いてしまった。

 それに、子狐達から嫌われた訳じゃなかったことが分かって、気分はかなり軽くなっている。悩んでいて、何も手につきそうになかった今朝とは大違いだ。寝る以外のことを、何かしてみようかな。


 そうだ、散歩とかはどうだろう? 思い立って、障子を開けてみる。

 ……暗い。いや、夜なんだから当たり前なんだけど、それでも暗いと思ってしまう。

 日が沈んでも街灯やネオンサインで明るく照らされている街並みしか、今まで知らなかったから……。


 この世界の静かで灯りの少ない夜には、まだ慣れてはいなかった。

 まあ、余計な照明が無い分、月明かりは元の世界よりもくっきりとしていて綺麗だけど、部屋から眺めているならまだしも、外を出歩くとなると、かなり心もとない。

 ……迷子になったら嫌だし。俺は、この世界に連れて来られた日のことを思い出す。あんなに心細く、恐ろしい思いをするのはもうこりごりだった。


「あ」


 そうだ、すっかり忘れていた。散歩よりも先に、もっとやりたいことが有った。

 俺は本棚に近寄って、そこから数冊の本を引っ張り出す。


「有った有った」


 それらの本の表紙は全てカラフルなイラストで、ポップで明るい雰囲気が漂っている。

 昨日この本棚を探っている時に偶然見つけた、この世界の、ライトノベルの様なもの。

 朝から気になってはいたんだけど、落ち着ける時間が今まで無かった。けれど、これでようやく、じっくりと読み始めることができる。

 俺は一冊づつパラパラとめくって、中身を確かめてみる。見た感じ一冊完結と、シリーズものの両方が有るみたいだ。ジャンルもファンタジー・日常・戦記と、一通り揃っているらしい。


 俺はその中から、一冊を選び出す。

 実を言えば、どれを最初に読み始めるかは既に決まっていた。

 『もっふるさん、風に舞う』。いかにもライトノベルって感じの、少し変わった軽めのタイトルの本。

 表紙は勿論、背中に翼の生えた明るい毛並みの犬獣人の女の子が、楽しそうに空を飛んでいるイラスト。

 昨日、最初に手に取った本だ。結局これが一番、印象に残っていた。

 一枚めくってみれば中表紙では、犬獣人の女の子は翼を小さく畳んで、草原に寝転んでいた。繊細で柔らかでカラフルなタッチで、とにかくかわいらしい絵柄は、本当に素晴らしかった。

 背表紙には『文:筆壱 絵:いにいに』と書かれている。『いにいに』さん。

 一体どんな人なのだろう……想像もつかない。


「よっと」


 俺は『もっふるさん』をちゃぶ台の上に置いて、本棚に残りの本を差し込んだ。

 その拍子に本棚の奥に隠された一冊の本が、ちらっと垣間見えてしまう。


「………」


 そして俺はそれを無視できず、再び引っ張り出してしまう。昨日、本棚に頭をぶつけて懲りたはずなのに。

 表紙に書かれている色んな種族の女の子の着物はギリギリまではだけていて、全体的に装丁がピンク色っぽい本。……改めて見てみても、やっぱりエロ本としか思えない。 


 ……読みたい。正直こっちの方も、非常に読みたいが……。

 すぐに思い浮かぶのは、にやにやと楽しそうに笑う御珠(みたま)様。

 ……絶対これは罠だ、決まってる。爆発したりはしないものの、読んでしまったら最後、御珠様に永劫冷やかされるんだろう。簡単に想像できる。

 だけど良いじゃないか、誰も見ていないなら、とか、昨日と同じ様な発想に至りかけるけれど、俺はそこまで馬鹿じゃない。

 今回はすぐに本を本棚の奥底に戻して、息をつく。


 流石にもう、学んだ。……この本の読み時は、今じゃない。

 もっと、誰かが部屋に入ってきそうもないタイミング。寝る前の落ち着いた時間とかに、ゆっくりと読むべきだろう。さて、そうと決まれば、健全なライトノベルの方を読むとするか。

 俺はちゃぶ台の上に置いた『もっふるさん』を取って、畳の上に腰を下ろした。


「……景」


 突然、後ろから声。

 止まりそうになる呼吸。


「!!!」


 デジャヴを感じながら振り向けば、部屋の入口に立っていたのは……十徹さん。

 ふすまの高さと同じぐらいの身長の十徹さんが、じっとこっちを見つめている。


「ど、どう、しました???」

「風呂……」


 途切れ途切れの俺の質問に、十徹さんはぽつりと答えてくれた。 

 確かに十徹さんはタオルを首から掛けていて、普段着ている袴から渋い黒色の着物へと着替えていた。

 そう言えば、十徹さんのおみくじは『小吉』で、俺の一つ前。

 なるほど、俺を呼びに来てくれたんだ……とそんな単純なことに、ようやく思い至る。


「あ、ありがとうございます」

「………」


 お礼を言うと、十徹さんは会釈を返してくれた。濡れた長めの前髪が目にかかって、表情はやっぱりよく読み取れない。

 エロ本を引っ張り出した所、見られていたのか……? 気になりはしたけれど、そんなことわざわざ尋ねる奴はいない。

 大丈夫、大丈夫なはずだ、きっと……と、適当に自分をごまかしていると、


「………」


 十徹さんはもう一回軽く会釈をして、廊下の向こうへと去ってしまった。

 遠ざかっていく静かな足音。緊張がようやくほぐれてくる。

 ……明らかに、昨日と同じミスをしてしまっていた。

 歴史は繰り返す。こんな下らないことから実感しながら、俺はタンスから着換えを取り出して部屋を後にするのだった。



 ◆ ◆ ◆



「ふう……」


 熱い風呂が、疲れの溜まった体に良く浸みる。

 目を閉じると思い出すのは、一冊の本。エロ本……じゃなくて、『もっふるさん』の方だ。

 ライトノベル。こっちの世界に来る前も結構読んだっけ。まさかこの世界にもあるなんて、本当の本当にラッキーだ。

 風呂から出たら布団に寝転んで、早速読み始めよう。それが良いな。


「……ん?」


 そんな風に思いながら湯船に浸かっている内に、妙なことに気が付いた。

 あれ? 今まで全く気にしていなかったけれど……俺、普通に獣人たちの言葉を話せたり、本を読むことができているぞ? 

 だって、俺はこの世界のことを何も知らずに、突然連れて来られたはずなのに。

 よくよく考えればこれって、かなりおかしいことなんじゃないか? 

 今になるまでこんな重要なことを見落としていっていうことは、そんなことを気になる必要が無いぐらい自然に、この世界の言語を使えていたということになる。


 俺は、本に印刷されていた文字を思い返してみる。

 これが、そっくりそのまま日本語と同じだったら、何も問題ないんだけど……そう都合良くはならない。

 確かに、この獣人の世界の、少なくともこの和風の国の文字は、日本語に似ていたような気はする。

 主語や述語の位置とか、修飾の方法の様な文法の規則とか。

 文字にしたって、俺の知っている平仮名や漢字と、線の本数や点の位置が違うだけの物も有った。

 数は少ないけれど、完全にそっくりそのまま同じ文字だって、無い訳ではなかったはずだ。旧字体が多めだった気はするけれど……。

 それなら、別の世界から来た俺がいきなり読めるのだって、全く不可能なことだとは言い切れない。書き殴ったメモ書きを読み解いていくのと、そんなに変わりはない気もする。


 だけど、話はここで終わってくれない。

 一層不可解なのは、完全に知らない、見当もつかない文字が、それでも全体の3~4割を占めていたこと。それらの文字すらもつっかえることなく、すらすらと読めてしまっていたことだ……。


「う~ん……??」


 天井を仰いで、考えを巡らす。

 習ったことも無い文字を突然読めるようになるなんて、一体どんなからくりだ?

 気のせいとか、勘違いじゃなさそうだし。でも、それならどうやって……?


「――それも術、だな」


 思い悩む俺に、御珠様が助け舟を出してくれる。

 ――術。

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