第二十四話 お屋敷の庭と御珠様
「は、はい」
どぎまぎしながら言われた通り、俺は縁側の、御珠様の左隣に腰掛けた。
でも、いきなり現れるなんて、一体何の狙いが?
さっぱり見当がつかない。一昨日の夜、御珠様に質問をしてしまった後の気まずい沈黙を思い出す。
流石に、あの夜の様なことは起こらないと思うけれど……。
御珠様の横顔は、機嫌が良さそうだ。鼻歌を歌いだしそうな表情で、何も話さずにただ前を見つめている。
だけどそれは昨日も一昨日もそうだったので、あまり参考にならない。
結局、俺の方も待つしかないのか。これ以上探ることを心の中で諦めて、俺は前を向いた。
目の前に広がる景色は……庭。
……よく考えたら、俺はこのお屋敷の庭を、初めてちゃんと見る。今まで、そんな余裕無かったから。
お屋敷の庭は、日本庭園に有るような松の木や池や大きな石が配置されていて、一見すると格式の高く思える。
だけど……決してそれだけじゃなかった。広々とした庭には他にも、色んな草花、雑草までもが瑞々しく生えているし、洗濯物の沢山掛った大きな物干し竿や、子狐達の遊び道具の竹馬や、バケツや箒の様な掃除道具――沢山の物が置かれている。
だけど色んなものに溢れていても、決して雑な感じがしない。
一見すると庭園には不要な雑草や、おもちゃ何かも……全てが一体になって、庭を作り上げている。そんな気がした。
お屋敷を囲っているのは壁じゃなくて、竹で組まれた編目が大きくて、背が低めの垣根だ。
そのお陰でいっぱいに朝日を浴びた庭は、きらきらと外に向かって輝いている様に見えた。
決して奥まった、狭まった印象はしない。開放的な空気に溢れた庭は、全体が生き生きとしていて……。
「……きれいだ」
思わず、そう呟いてしまっている。俺は庭のことなんてよく分からない。だけど……きれいだ。
このお屋敷の庭には、不自然じゃない、自然な美しさが有る……。
「そうじゃろう?」
御珠様は俺の顔を覗き込んで、えへんと胸を張る。よく見るとその足元には桶と柄杓が置かれている。
植物に水をあげていたんだ、御珠様は。草木の葉っぱに小さなしずくが乗っていることからも、分かった。
「御珠様が手入れをしているんですか?」
適当な人だとばかり思っていたから、正直言って意外だ。
「そんなに大したことはしておらん。好きで水をあげているだけじゃ」
ちょっと照れたように、御珠様がぱたりとしっぽを振る。
「以前は熱心に手入れをしたり余分な植物は刈ったりして、この庭ももう少し趣向を凝らしていてのう」
「そうだったんですか?」
想像する。今でさえもこんなに立派なのだから、昔はさぞかし豪華な庭だったんだろう。
「ああ。だがある日、物干し竿の場所を庭の真ん中、つまり今の場所に移したいと蓬が言ってな。その方がずっと乾きが早いと、わらわも知ってはいたものの……つい喧嘩になってしまったことが有る」
「喧嘩、ですか」
「ああ。蓬は実は中々頑固なのじゃよ」
てっきり、御珠様はこの屋敷で一番偉いのだとばかり思っていたけれど、蓬さんと喧嘩をするということは、どうもそうでもないらしい。しかもこの分だと、御珠様は負けたみたいだし……。
「しかし移して、しばらく経つと……物干し竿がいつの間にか庭と調和していたのじゃよ。もしかして、あんまり手を加えなくても庭は自然と美しく育つんじゃないか? とその時気が付いてのう」
御珠様は柄杓で水を掬って、足元の地面に生えた白い花に水を与える。
「試しにその後は成り行きに任せてみたところ、まさしくその通りじゃった」
懐かしむように御珠様は目を細める。
「奥深いものなのだよ、庭は」
「なるほど……」
確かに目の前の庭は色々なものが上手く溶け込んでいて、物干し竿や、洗濯物でさえも、まるで最初からそこに有ったかのようで違和感は無い。素直に納得する。
あえて手を加え過ぎない方が良いことも有るなんて、思いも寄らなかった。
「景君ー」
すると遠くの廊下から、俺を呼ぶ声が聞こえてくる。この声は……蓬さんだ。
「ほらほら、蓬が呼んでおるぞ」
御珠様は茶化すようにそう言ってから、ぽんと手の平で俺の背中を叩いて腰を上げた。
「は、はい」
急かされるようにして俺も立ち上がる。
「そろそろ疲れも取れたじゃろう? 今日からはめいっぱい、おぬしをこきつかわなければいけないのう?」
ししし、と御珠様が口元に袖を当てて笑う。まるで、無邪気な子供の様に。
「……流石に、下僕は嫌ですからね」
「まあ、適当に頑張るがよいぞ」
そう言うと御珠様は、廊下の向こうへと歩いて行ってしまった。
そして俺も、蓬さんの呼ぶ方へと歩き出そうとする。
「あっ……」
ようやく、気が付いた。
もしかして御珠様は今……俺を、励まそうとしてくれていたんじゃないか?
ちよさんや子狐達のことで悩んで、沈んでいた俺のことを……。
振り返っても、御珠様の姿はもう無い。確かめることはできなかった。
俺は頭の中で、御珠様の言葉を思い返す。
もし本当にそうだとしたら、庭はこのお屋敷で、俺は物干し竿とか、洗濯物とか、その辺に例えられていたのだろうか。
どんな物でも時間が経てば庭にちゃんと溶け込むから、気に病み過ぎる必要は無い。御珠様はそう言いたかったのだ。
直接伝えるのが、恥ずかしかったのかな、御珠様……。だとすると、ちょっとだけ可笑しい。
「………」
だけど、本当に有り難かった。さっきまで本当にどん底の様だった気分が、少しだけ軽くなっている。
……成り行きに任せていても、意外と上手くいく、か。確かに、そういうものかもしれないな……。
「あ、いたいた! 景君!」
俺のことを見つけた蓬さんが、縁側の向こうから歩いてくる。
俺も明るく返事をして、蓬さんの方へと駆け寄ったのだった。




