第二十一話 いけないふんいき!
「景!」
「景」
勢い良く扉を開けて部屋の中に入ってきたのは、双子の白狐、灯詠と都季だった。
「うわっっ!」
完全に不意を突かれて、手を滑らしてエロ本を床に落としそうになる。慌ててすぐに拾い上げて、無理やり本棚に押し込んだ拍子に。
ガン! と、棚に頭を強打した。
「――っ!!」
頭を抱えて、うずくまる。超、痛い。割れそうなぐらいに……!
「だ、大丈夫ですか!?」
「痛そう……」
子狐達が心配そうな顔をして、がそばに駆け寄って来る。
「だ、大丈夫、こんなの平気だ……」
正直まだかなり痛かったけれど、無理して俺は言った。
「ご、ごめんなさいです」
「ごめん……」
顔を上げれば、怒られると思っているのか、二人は目を潤ませて小さく震えていた。ついでに俺も痛みで泣きそうになっていた。
「いや、別にお前らは悪くないって」
そう。今回こいつらは、本当に何もしていないのだ。責めるべきは、男の哀しい煩悩。それしかない。
「それなら、良いんですけど……」
「……重傷じゃなくて、良かった」
二人はようやく安心してくれたみたいで、ほっと胸をなで下ろす。だけどまだ少し、心配してくれているようにも見える。
……今までは、ちょこざいな奴らだとばっかり思っていたけれど。
こんなに気遣ってくれるなんて、実は良い子たちじゃないか。
「ところで、景」
そんな風にしみじみと実感していると、灯詠が話しかけてきた。
「ん、どうした?」
これは俺も反省して、態度を改めないといけないな……。
そう思うとできるだけ優しい声で、二人に返事をした。
「何か有ったのか? 言ってごらん?」
「風呂を代わってあげるから、ありがたく思うのです!」
「褒めて」
一瞬で元の調子に戻った子狐達に、ずっこけて再び本棚にぶつかりそうになる。
こ、こいつら……。
「場所は、縁側の廊下の突き当りを曲がった先なのです」
「案内してあげる」
風呂、か。
確かに、都季と灯詠の着物は紺色が下地の物から、小さな花の柄が付いた白い着物に変わっている。
それに、真っ黒い髪の毛はつやつやとして湯気が立っていて、まさに風呂上がりの至福の時といった感じだ。
「ありがとよ」
どうやら、風呂の場所を教えに来てくれたらしい。俺は素直にお礼を言って立ち上がって、二人の頭を撫でてあげる。右手で灯詠を、左手で都季を。
「「あ……」」
大きくて真っ白な狐の耳は、とってももふもふとしていて、撫でられている二人も、気持ち良さそうに目を閉じている。
「ん、んん……!」
「……ん…………」
……というか、子狐達は、神妙な顔つきをして、口を固くきゅっと結んで声を出ないようにしていた。
しっぽもぱたぱた激しく揺れてるし、耳も動いている。
何だろう、これ、凄まじく犯罪の気配が……。
慌てて手を引っ込めると二人は、はっと我に返ったかのように目を開けた。
心なしか、髪の毛から立ち上る湯気が、さっきよりもずっと増えたように見える。
動揺していると、子狐達に、キッと睨らまれる。
「い、いたいけな乙女に、な、なんてことを?! もう、お嫁さんに、い、行けないのです……!!」
「へ、変態……」
そして二人は、あっかんべーもせずに、そのまま廊下の向こうへと走り去ってしまった。灯詠に至っては、目に涙を浮かべながら。
ぽつん、と部屋に取り残されて、ただ呆気に取られる。
風呂場に案内してくれるって、言っていたのに……。
い、いや、それよりもまず、今のは何だったんだ? ただ頭を撫でただけなのに、何かとんでもないことをしでかしてしまった気がしてならないぞ?
まさかとは思うけどこの世界では、人の頭を撫でたり耳を触ることに、何か特別な意味が有ったりするんじゃないか? 二人の反応を見るに、そうじゃないとは言い切れない。
でも、その特別な意味って? 不安に駆られるけれど、そんなの知る由もない。
ま、まあ、大丈夫だ。頭を撫でただけで、そんなにすぐに何かが変わってしまっては困る。
そうだ。まずは風呂に、行こう。お湯を浴びて気持ちを落ち着けるのが良い。
俺はタンスから適当な着換えとタオルを取り出して、部屋を出る。
とにかく今は、あの二人にエロ本を見られなかっただけでも、良しとしよう。そうしよう。
無理やりプラスの方に考えることにして、俺は風呂場を探すことにした……。
◆ ◆ ◆
脱衣所は意外とあっさりと見つかった。早速着物を脱いで風呂場の扉を開け、目を見張る。
流石は、お屋敷。
充満する湯気の向こうに現れたのは、何十人も一気に入浴できそうなぐらいの大きさの、黒い石で出来た丸い風呂。
それに合わせて浴槽以外の部分にもかなり広々とスペースが取られていて、まるで温泉旅館の大浴場の様に立派だ。
広い脱衣所を見て期待はしていたけれど、まさか、これほどとは……。
意気揚々と俺は湯気の中を進み、早速湯船に片足を入れてみる。
「???」
だけど、有って然るべきものが無くて、拍子抜けする。お湯が、張られていない?
不審に思っているとすぐに、浴槽の壁に一枚の張り紙を発見する。
『故障中』。
原因はすぐに判明した。
その張り紙の真下から、浴槽の床に地割れの様な大きなヒビができてしまっていたのだ。これだと、いくらお湯を足しても絶対に足りなさそうだ。
でもそれなら、都季と灯詠はどうやって風呂に入ったんだ?
石鹸とか小さな桶は有っても、シャワーみたいなのは見た感じ無かったのに。
俺は、湯気の立ち昇る風呂場の中を見回してみる。すると遠く隅っこに、小さな木製の浴槽がぼんやりと見えた。
もしかして、あれか……?
近寄ってみれば、その水槽からはちゃんと湯気が出ていた。
形は長方形で、大きさは大体一畳より一周り大きいぐらい、普通の家庭に置いてある風呂と同じぐらいだろう。作られたばかりなのか、木の板はまだ白みが残っている。
どうやら故障した大きい風呂の代わりに、一時的にこっちを使っているらしい。
手を入れてみると、ちゃんと暖かい。今度こそお湯に浸かることが出来そうだ。
俺は流し湯をして、浴槽に入った。
「ふう」
思わず声が出る。……だけど、気持ち良かったのは一瞬だけで。
「寒っ」
窓からの夜風に、体が震える。確かにお湯は入っていた。入ってはいたけど、湯船の半分の高さ、腰が浸かるぐらいまでしか、ない。
よく見てみれば水底には、竹で出来た水鉄砲やおもちゃの船が沈んでいて。
都季と灯詠が風呂でおもちゃで遊んでいる光景が、すぐに思い浮かぶ。あいつら、はしゃぎ過ぎてお湯を減らしたな……。
原因が分かっても、温まらなきゃ意味が無い。このままだと、凍えてしまう。なるべく姿勢を低くして、できるだけ暖を取ろうとした。
すると、お湯が体に染み込んでいく様な感覚がして、徐々に体がぽかぽかと暖まっていった。
これも、水神様の力なのかな……?
柔らかで、少しくすぐったい浴槽の木の香りが漂う。よく考えると、昨日は風呂にも入れなかったのだ。
溜まっていた疲れが次第にほぐれて、少しずつ消えていくような気がする。
今日も色々、大変な一日だったなあ……と、ぼんやり考える。
目を閉じればそのまま眠ってしまいそうなぐらいに、癒されるひとときだった。




