第十六話 澄んだ声
? 誰かいるのか? 気になって周りを見渡すけれど、誰の姿も見当たらない。
ただの聞き間違えか。気を取り直して俺は掃き掃除を再開する。
「―――」
だけど、箒が地面に擦れる音に隠れて、やっぱり誰かの声が聞こえてくる。
一体、何を言っているんだ?
ぴたりと手を止めて、もう一度耳を澄ましてみた。
「――~♪」
これは、歌……? 聞こえてきたのは、ゆっくりとしたリズムに乗せた声。
どうやら遠くから歌っているらしく、歌詞ははっきりとは良く分からない。穏やかで、ゆっくりとした曲調から考えるに、童謡のようだけど。
少なくとも御珠様の声じゃないな、と昨日のことを思い出してちょっと苦笑い。あの時の無人の道は、本気で怖かったなあ……。
「~~」
見知らぬ歌は、止まない。高く澄んだ、素直な歌声だ。縁側から見える庭が、まるで夕焼けに照らされる海に変わって、それを眺めている様な、不思議な気分に包まれている。
聞いているだけで、心が、癒されてくる。
「~……」
しばらくぼーっと聞いていると、歌は次第に遠ざかっていき……最後には消えてしまった。
一体誰が、どこで歌っていたんだろう。
分からない。だけど。
あと少し、頑張ろう。
見知らぬ歌に励まされた俺は、仕上げの雑巾がけに取り掛かったのだった。
◆ ◆ ◆
「景君、ごはんだよ~」
蓬さんが呼びに来てくれた時には、空はとっくに暗くなっていた。
「いないのかな――わっ!」
廊下を曲がって縁側に出た蓬さんは、すぐに驚きの声を上げ、太いしっぽをぴんと立てた。その視線の先には、まるでボロ雑巾の様に廊下の端に横たわる俺の姿が……。
「景君! 大丈夫?! しっかりして!」
駆けよって来た蓬さんに肩を掴まれて思い切り揺さぶられる。
「だ、大丈夫、です……」
全身筋肉痛で、死にそうになっていますけど、一応……。
だけど、もう、一歩も動けそうにない。まるで、体が床に貼りついているみたいだ……。
「世話が焼けるのです」
「全く……」
双子の白狐、灯詠と都季が、床に仰向けに倒れていた俺の顔を覗き込む。
清々しいほどの野次馬っぷりだった。
「凄い。縁側が、ぴかぴかだよ! 塵一つ無い……!!」
蓬さんが縁側を眺めて、目を丸くする。喜んでくれると、やっぱり、嬉しい。
「ど、どうですか、蓬さん」
死ぬ気で、頑張った、甲斐が、有った……。息も絶え絶えに返事をする。
「う、うん。本当に、本当に立派なんだけど、その、」
すると蓬さんは俺のそばにかがんで、言い淀んだ。
「私が言わなかったのが悪いんだけど、あんまり頑張り過ぎるのも、良くないかな……」
見れば蓬さんは、称賛と不安の混じったような複雑な表情をしていて。
「体を壊したりしちゃったら、大変だよ……?」
……心配を、されてしまった。た、確かにそうかもしれない。現に今、起き上がれない位に全身筋肉痛だ……。
「加減を知らないのです」
「無鉄砲」
灯詠と都季も、呆れた様にため息をつく。
「お前らには、言われ、たく、ない……」
少なくとも、家事を手伝ったりしている気配が全く無さそうな、お前らには。
反論しようにもどうにも力が出ない。それぐらいに疲れていた。
「でもまあ、よく頑張った! 本当に偉いぞ、景君!」
蓬さんがそんな俺に、右手を差し伸べてくれる。励ましの言葉が、本当に嬉しい。
「さあ、ご飯の時間だよ」
「ありがとうございます……」
俺は蓬さんの手を取って、体を起こした。
というか、体が持ち上げられた。
「えっ?!」
「しっかり掴まっててね」
突然の事態に混乱する。蓬さんが、いとも軽々と俺のことを背中に担いだのだ。
「足、地面に着いてないよね?」
「は、はい、大丈夫です、けど……」
蓬さんは俺よりも少し背が高いから、その点は心配いらない。
それに無理をして持ち上げているという訳でも無さそうだけど。
「で、でも、あの、もう、自分で歩けますよ。大丈夫ですから……」
まさか、高二にもなって背負れる日が来るなんて。これは、流石に、かなり、恥ずかしい……!
「無理しちゃ駄目だよ。しっかり掴まっててね」
蓬さんは自信有り気にそう言うと、返事を待たずして、
「それじゃあ、お茶の間に行こう!」
俺を背負ったまま、廊下を歩き出したのだった。
「わわっ……!」
普通に歩くのと同じペースで、蓬さんは進んでいく。振り落とされないように、言われたとおりにしっかりと掴まった。
「あはは! 男なのにおんぶされているのです!」
「へんてこ」
後ろからついてきた子狐達が、楽しそうに茶化してくる。
「まあまあ。二人にもまた今度やってあげるからね」
「わっ、私は、別に、羨ましくなんて……」
「……蓬は、ずるい」
けれど、蓬さんの言葉にほだされて、子狐達は照れている様にばたばたとしっぽを振って大人しくなった。流石だ。
「どうかな? 景君」
と、蓬さんが歩きながら話しかけてくれる。
「ごめんなさい、迷惑をかけてしまって」
蓬さんを手伝うつもりだったのに、これじゃあ、まるであべこべだ。自分の情けなさに、顔から火が出てしまいそうだ……!
「ううん。良いの良いの」
蓬さんはそう言うと、ちらっとこっちを振り返って。
「お礼を言うのは私の方だよ! 手伝ってくれて、本当にありがとう!」
明るい口調で、こう言ったのだった。
だって、俺の仕事だから当然です、と一瞬言い掛けて、止める。
そんなことを言っても、蓬さんの言葉に水を差すだけだ。
今はただ、蓬さんの優しさに、感謝しよう……。
◆ ◆ ◆
「到着だよ~」
俺が倒れていたのと同じ縁側沿いに有ったので、お茶の間にはすぐに辿り着いた。
「本当に、ありがとうございます、蓬さん」
背中から下ろしてもらった俺は蓬さんに深々とお礼をする。疲れ切っていたはずなのに……蓬さんのお陰で、俺の体は、しっかり立てるぐらいには気力を取り戻していた。
「くふふ、それではまるであべこべではないか、景?」
当然、御珠様には大笑いされたけれど……。




