第十四話 よもぎの特技
「……?」
呆気に取られていると狸の蓬さんは、すぐに部屋から出てきて、両手に何かを持って、こっちに戻ってきた。
必然的に俺の視線は、その何かに集中する。
いや、正確に言えば、それは間違いで。
本当は、その何かに乗っかっている、蓬さんの、大きな胸に釘付けになってしまっている。
……別に、御珠様の様に、はだけているという訳では無い。だけど着物越しからも、その大きさははっきりと分かる。しかも歩く振動で遠慮なく、たゆたゆと揺れていて……。
目のやり場に困ると同時に、自分のしょうもなさに悲しくなる。
「はい、どうぞ」
そんな馬鹿なことを考えていると、蓬さんは持ってきた物を俺に手渡した。
「これは……」
紺色の着物と、黒い帯?
「よかったら、着替えとして使ってみて」
蓬さんにそう言われて、俺は改めて自分の服装を意識する。
学校の制服のワイシャツと黒いズボンは、かなりしわくちゃになり、小さなホコリや塵があちこちにくっついていて。昨日の朝から一日中、寝る間さえも着ていたから仕方がないとはいえ、お世辞にも綺麗とは言い難い状態だった。
「ありがとうございます」
感謝の気持ちを込めて蓬さんに礼をして、一旦自分の部屋に、着物を置きに戻ろうとする。
掃除が一段落ついたら着替えてみよう。折角着替えたのに、ホコリとかですぐに汚しちゃったら悪いし……。
なんて考えていると、むんず、と後ろから手首を掴まれる。
「ごめん、というかむしろ、今ちょっと着替えてみて!」
振り向けば、蓬さんはきらきらと目を輝かせていて……。
興奮気味の強い口調で、明らかにテンションが上がっている。
「は、はい。いいですけど……」
蓬さんの豹変に戸惑いながら、俺はこくこくと頷く。
「ありがとう! 着換えにはこの部屋を使ってね!」
ガラッと、蓬さんは近くの部屋のふすまを勢いよく開ける。
気圧されつつも、素直に従ってその部屋に入れば、後ろからふすまの閉まる音がする。
広さは俺の部屋と同じぐらいだったので、縦長の鏡――姿見はすぐに見つけることが出来た。
早速鏡の前に立ち着換えを畳の上に置いて、ズボンのベルトを緩め、ワイシャツのボタンを一つ一つ外していく。
「……って」
急にある大問題に気が付き、ズボンを下ろそうとする手が止まる。
下着は、一体、どうするんだろう……?
異世界に来てしまった時に備えて代えを持ってきているとか、そんなことは、有るはずもなく。
……。
ずっと、このパンツ一枚で過さなきゃいけないのは、流石にキツいぞ?
だからと言って、何も履かないのは論外中の論外だ。それは絶対ない。最悪だ。
「えっと……」
窮地に立たさると、人はかえって自分を客観的に見ることができ、冷静になる。
落ち着いて渡された着物を探ってみれば、着物と帯の間に、薄い布の手触りが。
良かった。どうやらちゃんと用意されていたらしい。
ほっと息をついて、その布を引き抜いてみる。
すると、ひらりと宙を舞う一枚の、白い、ふんどし……。
普段着が着物なんだから、下着だってそりゃあそうなるかもしれないけど。
ふんどし。……ふんどし。
まあ、何もないよりは遥かにマシだ……そう割り切ることに決め、気を取り直して履いてみようとする。
「?」
だけど、これ、一体どうつければいいんだろう。
一見すると、というか本当に、太めの紐に、一枚の長めの布をつなぎ合わせただけの構造だ。
これ、本当に、下着としての機能を果たすのか?
俺はふすまの方を見る。その向こう側には、蓬さんがいるけれど。
下着の付け方なんて誰にも、ましてや女性に聞けるわけがない。恥ずかし過ぎて死んでしまう……。
◆ ◆ ◆
結局、少しの間悪戦苦闘した後、何とかそれらしき付け方を自力で発見することができ、ようやく安心。
それから、一緒に挟まっていた白くて薄いシャツのような物を着て、その上に着物を羽織る。
さらさらとした布地が、ひんやりとしていて心地良い。紺一色で染め上げられたシンプルな柄も、涼やかだった。黒の帯をそれっぽく巻いて、後ろで固く結んで、鏡を覗いてみる。
……よし、見よう見真似だけれど、それほどおかしくは無いはずだ。
制服とワイシャツと下着を畳んで、俺は部屋を出た。
「お待たせしました」
「おお!」
こっちを見て、蓬さんは嬉しそうな声を上げたのだった。
「うん、とっても似合ってるよ!」
「そ、そうですかね」
馬子にも衣装だとは分かってはいるけど、何だか照れるな……。
「どれどれ」
そう言うと蓬さんは今度は、横から、そして後ろから眺め始める。
「大きさもぴったりみたいだね。あ、帯を直してもいいかな?」
「は、はい。お願いします」
純粋な視線で見つめられて、何故だか顔が熱くなってくる……。
「急ごしらえで作ったから、ちょっと不安だったんだけど、良かった」
少しほどけ気味だった帯を、蓬さんが結び直してくれる。
確かにこの着物は、想像以上に、軽くて動きやすそうだ。慣れない感じがしないというか。
でも、あれ? 作ったって。
「もしかして、この着物……蓬さんが?」
「うん。私、裁縫好きなんだ。趣味で色んな服を作ってみたり」
何とはなしに蓬さんは言うけれど、それって……。
「い、いや、これ、趣味の域、遥かに超えてますよ! 凄いです!」
着物にはあまり詳しくない俺でも、この着物が、プロの仕立て屋さんが作った物と同じぐらいハイレベルだということは、はっきりと分かる。
細かい縫い目には乱れが一切無いし、黒一色だと思っていた帯には、よく見たらきめ細かい刺繍がされているし。
しかも、急ごしらえっていうことは、まさか、一晩で、これを……?
「あはは。上手にできてれば良いんだけどねえ」
蓬さんは謙遜するけれど、そんな必要全く無いと思う。
後ろからは、ぱたぱた……と、しっぽが小さく動く音がした。
「よし、これで大丈夫!」
蓬さんが、ぽん、と帯の結び目を軽く叩く。
ぴしっと、身が引き締まったかのような思いがする。
「それじゃ、そっちの服は洗濯しておくね」
「ありがとうございます!」
蓬さんは、本当に親切な人だなあ……。
畳んだ制服を手渡しながら、俺は重ね重ね蓬さんにお礼をする。
「そ、その……」
だけど、ふと顔を上げれば。蓬さんは目を逸らして、もじもじとしていて。
「け、景君。こんな事、ちょっと、言いにくいんだけど。もし良かったら……」
心辺りは全くなく、ただ蓬さんの次の言葉を、少し緊張しながら待つしかなかった。
一体、どうしたんだろう?
「君のこの服、洗った後で、詳しく研究させてもらっても、良いかな……?」
研究? 聞き慣れない単語に、内心驚いて見てみれば。
蓬さんは、うっとりとした目で、俺の制服を眺めていて……。
「こんなに斬新なデザインの服、今まで見たことが無いよ!!」
感嘆、そして興奮した様子でそう言ったのだった。
そうか、この世界の、少なくともこの街が存在する国では、洋服はまだ存在しないのかもしれない。
それなら確かに、裁縫が好きな人にとって、学校の制服はかなり斬新なデザインに映るはずだ。
「どうかな、景君。少しの間貸してもらっても……」
「勿論ですよ。いくらでもどうぞ!」
蓬さんの役に立てるなら、何よりだし、断る理由なんて無い。
すると蓬さんは、晴れやかな表情を浮かべて、いきなり
「ありがとう、景君!」
ぎゅっ!ともの凄い勢いで抱きついてきて……そのまま廊下の壁にゴン、と俺の背中は叩きつけられる。
「ご、ごめん! 大丈夫?」
「だ、大丈夫、です……」
慌てた様子の蓬さんを安心させるように、俺は言う。
それよりも。
蓬さんの、おっぱいが、ぎゅむ、と思いっきり体に当たっていて、やわらかくて、痛みどころじゃない!
痛みとはまた別の要因で、気を失ってしまいそうだ……!
「ごめん、つい熱くなっちゃって!」
蓬さんはぱっと体を離し、ぺこりと頭を下げる。
「い、いえいえ」
むしろ今のはプラスでした……と俺は心の中で、そう思ったのだった。




