1ー2 「夜中の散歩」
出久達、東間家は代々医学系の名家だ。
親は戦時中とも関わらず、子供2人をドイツに留学させた。少しでも早く家業を継がせたかったのだ。
午前は感染病の勉強をして、今は昼休憩だった。
出久と和泉は外のベンチに腰掛けた。
出久はバッグからパンを2つ取り出し、1つを和泉に渡した。
「ごめん、昼はこれで我慢してくれ。」
2人はその小さなパンにかじりついた。
小麦粉不足のせいだろう。パンは固く、食べると顎が痛い。
隣のベンチでは、女子の3人組が固まって話していた。出久はその会話に耳を傾ける。
「ねえねえ、昨日また河原でバラバラの死体が見つかったんだって。」
「また!?ちょっと怖いね………。」
「でもさ、その死んだ人って、あんたのストーカーだったんでしょう、レミリア?」
「そう……みたいね。」
「良かったじゃん!」
「う、うん……!」
「その殺人鬼ってさ、なんか変だよね?」
「確かに、今回死んだ男達は実は麻薬の売人で、その前は強盗犯だったし。」
出久は聞いていると、横から肩を叩かれた。
「おい、出久。」
振り返ると、友達の【ゲダン】だった、
「なんだ?」
「なんだって、俺何回も読んだぞー?それより、もうそろそろ休憩終わりだぞ。」
そう言われて、出久は腕時計を確認する。
「本当だ。」
「お前、なんで隣の女子の事ばっか見てたんだよ。…………お前さては、あん中に気になってる子でも………」
出久はベンチから腰を離して立ち上がった。和泉も立ち上がる。
「ちげーよ。ほっといてくれ。」
「またまた〜。まあ、お前にはこんな美人なお姉さんもいるしな。」
「それより、急がなくて良いのか?」
ああそうだったと手を叩いて、ゲダンは出久について行った。
長い廊下を通る。出久の隣にはゲダンが肩を置いてくる。
前には、早足で歩く和泉がいた。
「それにしても、本当に和泉さんは美人だよなぁ。」
ゲダンがひそりと言った。
「そうか?」
「ああ。ドイツ人の俺でも分かる。彼女に人種の壁なんて無いぜ?」
「ふーん。」
出久は受け流した。
確かに和泉は綺麗だ。通る人全てが和泉を見ている。日本でも、旧制中学の頃、和泉は沢山の男子から告白を受けていた。
だが、彼女は全てをシカトという残酷加減で、よく男子達を狼狽させていた。
それが両親の耳に入っていたのだろうか。彼女の縁談という話題は一度も聞いた事がなかった。
出久は、彼女に他人を好きになるという感情が皆無であるように見えた。
「お前には良いなあ、姉がいて。」
「なんでだよ。お前には兄がいるんだろ?」
「まあな。軍に志願して家を出て、今はどこで戦ってるんだか………。」
午後はネズミの手術だった。手術と言っても、比較的大きく取りやすい、意図的に植え付けられた腫瘍である。
それでも、学生達はみんな悪戦苦闘していた。
ゲダンは中々上手くいかず、唸りながらも奮闘していた。
その中、みんなを「おーっ!!」と言わせたのが和泉の手術だった。手際良く、最小限の時間で正確に終わらせた。
みんなの注目を浴びる中、一切の顔色を変えずに席に戻った。
「やっぱりすげぇな!………あ、次お前だぞ出久?」
「ああ、そうか……。」
出久は手術台の前に立って、メスを握る。
麻酔をかけられ、腹を裂かれているネズミは、僅かに動いていた。
それを見た出久は、急に息を荒くし始める。
メスを握る手が細かく震えていた。
(くそ…っ!これだから手術は嫌いだ………!)
彼がこんなになるのには、ちゃんとした理由がある。
出久の目には他人には見えないものが見えていた。
ネズミの体の隅々に流れる線。その線の中には、微かに何かが流れている。
それを切らないようにと意識しながらメスを近づける。しかし意識する程、より鮮明に見えてくる。
すると今度は、ネズミの後ろの手術台の表面にも線が見えて来た。
(出た………!)
額から汗が止まらない。
メスを腫瘍に入れ、それからゆっくりと腫瘍を剥がし始める。
「慎重に……慎重に……………あっ!?」
その時、出久の頭の中に昨日の出来事が蘇る。
それで動揺したのか。腫瘍をなんとか剥がしきったものの、不覚にもメスの刃が見えていた"線"に触れてしまった。
するとその瞬間、ネズミの身体中から血が滲み出してきかたと思えば、その身体は一瞬の内に血しぶきをあげ、身体ごと一斉に辺りに飛び散った。
その場にいた生徒は顔や体にそれが付着してから数秒後、これまた一斉に騒ぎ始める。それから数分間、部屋はパニックルームへと変貌した。
「………終わった。」
そんな事は気にせずにメスを置いて自分の席に戻った出久は下を向き、痙攣するまぶたを静かに押さえた。
その様子を、和泉は遠目で見つめていた。
帰り
出久と和泉は、小さな市場で野菜などを買った。
ついでに新聞も買った。帰る途中、出久は、ずっと読み続けている。
「窃盗、同時に殺人か…………。」
犯人の男は、今日の朝、店から品物を盗んだ。それを見つけた店の人が止めたが、銃で頭を貫かれて店の人は即死した。狂った犯人は、他の店員や客も皆殺しにした後に逃走したようだった。
出久が新聞を眺めていると、和泉がこちらを見ていた。
「っ?なんだよ?」
「出久はそういう事件が好きね。」
「なっ、そんな事ないさ。ただ…………、」
「……ただ?」
「このご時世、みんなが生きる為に必死になってるってのに、平気でこういう事出来る奴がカンに触るだけだ。」
2人はそのまま会話する事なく家に帰った。
出久は夕食の準備をしようと思ったが、「朝食を作ってくれたから」、と和泉は言い、彼女が夕食の準備を始めた。
「どう?」
和泉は出久に聞く。
「うん、美味しい。また腕を上げたな。」
「そう、それは良かった。」
確かに料理は美味しい。しかし、いつも通り全く会話が弾まない。
夕食が終わると、その後はシャワーを浴びるくらいで、他には何もしない。
和泉はベッドに横になった。
「おやすみ。」
出久が言うと、和泉は「おやすみ」と返してくれた。
数分後、出久は外に出る準備をした。そしていつも通り、隠れ棚からナイフを取り出す。それを後ろのポケットに隠すと、コートを着て、部屋を出ようとした。しかし………
「どこに行くの?」
不意に後ろから声をかけられた。声の主は和泉である。
「どこって………散歩だよ。」
出久は部屋を出た。そして玄関の扉を開けようとした時、左手を掴まれた。
「なんだよ、和泉?」
「散歩に行くのにナイフが必要なの?」
「…………護身用だよ。」
和泉は怒っていた。顔はいつも通り落ち着いているが、長年共に過ごして来た出久には分かる。今は怒っている時の目だった。
「また、人を殺しに行くんでしょう?」
その和泉の言葉を聞いた時、出久は少しドキッとした。
「3週間前から続いてる死体のバラバラ事件。あれ、あなたでしょう?」
「あんなの、イギリスかどっかの殺人鬼の真似事だろう?あのジャックなんとかっていう………」
「……答えて出久。」
声はひそめているが口調が少し強い。
「……ああ、そうだよ……………。」
「理由は?」
「………………。」
「もしかして、昔の私みたいに…………。」
「違う。あいつらが無関係な人を巻き込んだからだ。」
2人は目を合わせない。
「本当に、その眼のせいじゃない?」
「 ああ、違うよ。」
「分かった。でも…………」
和泉は出久の手を離し、彼の腰にかけてあるナイフを取り、それを両手で握りしめて言った。
「もう、これからは誰も殺さないで。夜はどこにも行かないで。」
「……………」
「もし次また誰かを殺したら、私は、あなたを………」
和泉はいつもの真剣な眼差しを出久に向けた。窓から通る月明かりが彼女の横顔を照らしている。
出久は、握っていたドアノブからゆっくりと手を離した。
「分かった。ごめん、和泉…………。」
出久は俯いた。
「別に…………。」
そう言って、和泉は寝室に戻った。
(初めて怒られた。)
出久もすぐに寝室に戻り、ベッドに横になった。
筆者です。まだ謎が深い2人。少しずつ明らかにしていきます。
誤字・脱字がありましたら教えてください。よろしくお願いします!