3ー7 「[殺す/壊す]という事」
開発都市から外された如月町は、60年以上前の景観から大して変わっていないのにも関わらず、その中の旧市街はさらに荒廃が進んでいる。
その中心にかかる橋には、最近妙な人影が見えると噂されており、行方不明事件が多発していた。
出久はその橋の手前まで来た所で足を止めた。
「よう。また来たぞ………?」
5月6日の夜、再びその人影は姿を現した。
「……………。」
その人影は、黙って目の前の男、出久に視線を送る。すると、出久は突然、自身の頬を両手でパシンッと叩いた。
「坂田 翠…………。」
「……………っ!?」
出久の口から出たその名前に、その人影の女はビクッと反応を示した。
出久は懐からあるノートを取り出すと、開かずにそのまま話し始める。
「その刃物かなんかで切り開かれた口、やったの「あいつら」だろ………?」
「……………。」
「学生時代からずっと、お前はあいつらにいいように使わされてた。窃盗、詐欺、違法取引…………。その内、あいつらはお前にも手を出すようになった。暴力、拷問………遂には強姦までも………。」
「……………っ!」
女は何かを思い出したのか、頭を押さえた。
「そして相手も分からない子供を産まされた。それが利則だ………。でも、その後も変わらず、お前はずっとあいつらに虐げられて、挙句の果てには命を落とす事になった………。」
「ぁ………あ…………っ!?」
「その後どうやったかは知らないが………お前は現世に魂を残し、自分を虐げてきた奴らを殺してきた。その死体がどこにあるのかなんて何も知らないけど…………。」
「ぅああああっ!!」
女は頭を抱えて叫んだ後、1本のハサミを構え、出久を睨みつけた。そして、彼を殺そうと体制を低くした時だった。
「………良いんじゃねぇのか…………?」
「っ!?」
出久の意外な言葉に体を止めた。
「利則を見てれば分かる。お前は多分………性格も優しくて、面倒見が良かった。だからきっと、明るい人生が待っているはずだったんだ。………それを、お前はあいつらに滅茶苦茶にされた………。正直、それを知っただけの俺でも腹が立った。………いや。腹が立ったなんてもんじゃない。俺もきっと、お前と同じようにする。だって………これから続くはずだった、長い長い人生を奪われたんだ。そんなの当然の権利だろ………って俺は思う。」
「…………。」
女は体の力を緩め、元の体制に戻った。
出久は静かに上を向く。彼も昔、人を貶し、虐げ、罪を犯した人々を幾人か殺して来た。だから、彼女の心の傷は痛い程分かった。共感出来てしまったのだ。
数時間前、出久と利則は阿嘉音の家に帰って来た。
阿嘉音は2人を出迎えると、2人分のコーヒーを注いでくれた。
「それで………どうだった?」
「どうだったと言われても………えっと、街の人に聞いたら、最初に死んだ3人はなんか、3年前に死んだ俺の母ちゃん………母の友達……?だったみたいでした。それから2人で俺の家に行って母の事を調べたんです。そしたら………」
「こんなノートがあった…………。」
出久はテーブルの上に、先程見つけたノートを置いた。
それを阿嘉音は手に取って、中を開いて読み始めた。
しばらくすると、阿嘉音はノートを閉じて、机の上に置いた。
「ふーん………成る程ね〜?これは2人共読んだのか?」
「いや、俺は途中までです。続きを読もうとしても、なんか出久が見せてくれなくって…………。」
利則は、1人不満そうに手を挙げた。
阿嘉音は出久を見る。彼は、静かにコーヒーを飲んでいるだけで、何も喋らなかった。
「…………まっ、もう今日は遅いし、冷蔵庫に食べ物が適当に入ってるから適当に食べて、後はゆっくりしてくれ。」
利則が1階にある部屋に戻った後、出久もすぐに2階に行って部屋に戻ったかと思いきや、再び1階に降りて来た。
「なんだ、もう行くのか?」
「……早い方が良いだろ…………?」
出久は阿嘉音の前に手を出す。すると、彼女はポケットから紫色の水晶を出し、出久の手に置いた。
出久はそれを自身のポケットにしまい、リビングを出ようとした。
「なあ………?」
「ん………?」
出久はドアノブに手をかけた所で立ち止まると、阿嘉音の方に振り返った。
「今回の奴さ………なんか俺、すっげえ殺しづらいんだ…………。」
「……………………。」
「奴と最初に会った時さ、なんか、昔の俺を見てるみたいだったんだよ…………。」
「………お前をか?」
出久は無言で肯定する。
「阿嘉音もあのノート見ただろ?あいつがどんだけ酷い事されて来たのかを…………。」
「ああ………見た。」
「なら…………」
「それは違うぞ?」
阿嘉音は出久の考えをあっさりと否定した。
「……は…………?」
「あいつは、今倒しておかないと駄目だ。今のお前の手で………な…………。」
「………何でだよ?」
「それは、私じゃなくて、自分自身が教えてくれると私は思う………。」
「自分自身が…………?」
「そうだ。」
阿嘉音はコクリと頷いた。
それから、出久は何も言わずに家を出て行ったのだった。
「(でも…………どうすれば………………?)」
出久は考えたが、一向に答えは浮かばない。
そんな時だった。ふと、利則の顔が頭に浮かんだ。
「 俺が13歳の時にビルから飛び降りて死んじまったんだ………。」
彼は死んでしまった母親の写真を見続けていた。その時の顔は、今でもちゃんと覚えている。
怒っていた訳でもない…………。
泣いていた訳でもない…………。
なのに、あの時の顔は鮮明だ。
そう。
彼は、坂田 利則という1人の人間は、「ある事」を、その事だけを目だけで一生懸命、写真に向かって訴えていた。
今の自分だってそう。いつも一緒だった姉が、和泉が眠ったままずっと目覚めない。それは、いないも同然だった。きっと、今の俺も、彼と同じ目をしているのだろう。
もう誰も殺さないで
この言葉の意味が、ようやく分かった気がした。
出久は、フッと顔を綻ばせた。
「…そうだな………。多分きっと、今までの俺だったらそう考えてたと思う。」
「…………っ!?」
出久は、女を見た。すると、鋭い眼差しで話し出した。
「坂田 翠。お前のやっている事は間違ってるっ!」
「な…………?」
「確かにお前は奴らに虐げられてきた。だが、その事で奴らを殺しても良いという理由にはならない!」
「な…………に…………!?」
「奴らは最低だった。でもな………?それでも、奴らには奴らなりの人生ってもんがあったんだよ。それを、お前は奴らと同じように、他人の人生を滅茶苦茶にしたんだ!」
「だま……………れ…………!」
「お前はあいつらと同じ………いいや、それ以下だ………!!」
「黙れ!!」
女は出久をギロリと睨みつけて爪を噛んだ。
「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れっ!!!貴様に私の何が分かる!?」
「なんだ?結構喋れんじゃんか………?………あ!そう言えば、お前。利則を殺そうとしてただろ?その時点でお前はタチの悪い悪霊と同類だ!ノーサンキューだよ………っ!!」
「貴様ーーーーっ!!」
女が出久に向かって走り出した瞬間、彼はポケットから先程受け取った小さな水晶を取り出した。
それを片手で握りつぶすとその水晶の屑が宙で別の形を作り始め、最終的に刀へと変わった。
出久は刀を鞘から抜くと、片方の手に持つノートを前に投げる。
「うぁっ!!」
それを女はハサミで縦に真っ二つに切り裂くと、目の前の出久も、横に真っ二つに斬り裂いた。
「………………っ!?」
その時、女は気づいた。
十字に切れたノートとノートの間から見える出久の目は三日月型に………いや、それを超えて半月型になっていたという事に。
「さあ。成仏の時間だぜ………!」
出久は女のハサミを紙一重でかわすと、胸に向かって刀を突きつける。しかしその瞬間、女は透明になって姿を消したため、刀は当たらなかった。
「…………。」
出久は前後左右を隈なく見回すが、女の姿はどこに無かった。
「(敵が消えた………っ!どこから来る!?右か?左か?それとも後ろ…………!?)」
女は出久が慌てている様を見ながら、上空からハサミを振り落とした。
女は、「獲った………!」と思い切れた口角を無理矢理につり上げる。
「………なーんて、考えると思ったか?」
実は、笑っているのは彼女だけではない。彼もまたそうだった。出久は刀の刃を上に向けて女のハサミを防ぐと、そのまま女の襟を掴んで投げ倒す。
「がは………っ!」
「飛んでけ………!」
出久は追い討ちとして、倒れた女の腹目掛けて思いっきり蹴りを放った。蹴り飛ばされた女はすぐに立ち上がると、距離を取る為に数メートル、先程のノートが斬り裂かれた場所まで後退した。
やはりそうだ、と女は思う。最初戦った時もそうだったが、出久は霊体である自分の位置を正確に分かっていて、さらに効かないはずの物理攻撃が効いている。
何者なんだろうか…………。
それは全く分からなかったが、彼に相応しい呼び名があるとすれば、そう…………。
「あ………くま…………っ!」
「悪魔だ?お前に悪魔呼ばわりされる程のもんじゃねえよ。俺は只の………「元」大量殺人鬼だ。」
なんだ、悪魔じゃないか。言った本人でも、実際言うと本当に悪魔だと思った出久である。
「…………………っ!!」
もっと距離を取らなきゃ。
女が動こうと右足を後ろにやった瞬間、何かが彼女の腹を斬り裂いた。
「………読み通り……………。」
「な………にを…………?」
彼女の腹部からブラッドオーブが出ると、すぐに宙を飛び、そのまま出久の刀の中へと吸い込まれていった。
本体のブラッドオーブを失って力が抜けた女は、その場で膝をついた。
「それはな、さっき俺がノートを斬り裂いたろ?その時に出来た刀で斬り裂いた空間を、その場所にそのまま残留させてみたんだよ。言っちゃえば、地雷みたいなもんだ。」
刀の衝撃をそのまま残留させる?そんな事が可能なのか?
「とにかく、お前のブラッドオーブはこの刀に封印させてもらったぞ?お前の負けだ。すぐにお前は消える。」
出久は勝利を確信して刀を鞘に収める。すると、再び刀は小さな水晶へと戻った。
「そうだ……?何かあいつに伝えて欲しい事はあるか?もしあるなら、俺が憶えられる限り伝えるけど………?」
その言葉を聞いた女は、最初に浮かんだ言葉を言おうと口を開いた。その時だった。
「母ちゃん!!」
どこからか聞こえた息子の声に、女は顔を上げた。
すると、出久の後ろから利則が走って来た。
「お前……来てたのかよ………!?」
出久の言葉には何も答えず、利則は母親、翠の元に駆け寄った。
「俺だ!俺だよ母ちゃん………!」
「………利則…………!」
翠の声を聞いた利則は彼女を抱き締めようとするも、感触は無く、唯々空気を掴むだけだった。
「くそ………何でだよ…………っ!」
「利則……利則…………聞いて…………!」
「母ちゃん………?」
母の言葉を聞いた利則は体を止めた。
「勝手に死んでしまって……貴方を1人にしてしまって………貴方を殺そうとして…………ごめんなさい………。」
「…………っ!?」
「母さんね……死のうと思ってから今まで、何かに取り憑かれたみたいに体が上手く抑えられなくなって…………気付いたら………何人も…………」
「………い、いいんだよもうっ!そんな事はもういいんだよ…………!」
「利則…………!」
翠は目から涙を零すと、利則も目が潤み始めた。
利則は目の涙を無理矢理に拭う。
「そ、そうだ………!早く家に帰ろう………っ!俺、クビになってばっかだけど、色んなアルバイトして、苦手だった料理も少しは出来るようになったからさ!?今度は俺が母ちゃんに何か作ってやるよ…………!」
「……ぅ……………っ!」
「他にもさ、俺、話したい事が沢山あって…………!………………っ!?」
利則が夢中で話していた時、翠は彼の両頬に手を添えた。
「な、何だよ…………!?」
「…………利則は……いい子……ね…………!」
戸惑う利則にそう微笑んで伝えると、両頬をトントンと優しく叩いた。
そのすぐ後、フワッと浮き上がる様に翠の身体は消滅すると、地面には彼が母に贈ったハサミだけが残った。
「………ぅっ…………ぅっ…………!」
利則は涙で一杯の顔を上に向けて夜空を見た。しかし、空には星はおろか、月1つ見えなかった。