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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第二部
50/52

新境地

ミシェルたちの作戦が失敗に終わって……その翌日。


朝食をとる拓也とミシェルの二人の間には、何とも言えない微妙な空気が漂っていた。



ミシェルは、酒が入っても記憶は残るタイプ…。


もっとも昨晩は酔ったフリをしているだけだったが、彼女にはそういった性質が存在するという事実が拓也の言動の幅を減らしていた。



また……ミシェルも自身は記憶が残るタイプだと分かっている為、彼女もまた気まずい…。


だが…彼と過ごす時間が長いが故に、このまま黙っていてもどうしようもないというのが事実。



「……昨日はすみませんでした」



先に切り出したのはミシェルの方だった。


こんなはずじゃなかった、今頃は……。


ミシェルが酒に酔った時は発言や行動が彼に対してだけかなり大胆になる。別に彼に抱く想いが増大するわけではなく、ただ普段は羞恥心などで押しとどめている感情が、ストッパーを失って流れ出すだけ。


つまり……もし彼女が本当に酔っぱらっていて、彼を誘ったとしても、それは今回シラフなミシェルが下した決断と何ら変わらない。勢いのせいで……ということではないのだ。


だが……拓也は、酒のせいで自分が勢い任せにとでも思ったのだろうと思考するミシェル。それが正しいかどうかは別として……勇気を出したのにもかかわらず、結果として作戦は失敗に終わってしまった。



彼らしいと言えば彼らしい。その理性だけは流石と言えるが……女としては、自信や諸々を粉々にされた気分である……端的に言えば非常に屈辱的であった。



そんな思いが頭の中に存在するからか、彼女のその発言には不平そうな色が滲み出す。


そっぽを向きながら若干頬を膨らませる彼女を前に……拓也も彼女の心境を読み取ったのか、バツの悪そうに苦笑する。



「いやぁ…俺の方こそ色々とごめん」



そう謝罪する拓也だ。色々という言葉を使って詳しくは言わないようにしているのだろう。


ミシェルは思う。あそこまでして自分に手を出さなかった彼の中に、その点に関しての反省はあるのだろうかと。そして、今口にした謝罪文句にそれは含まれているのかと。


とどのつまり……一応上っ面だけの謝罪をしておいただけで、内心ではまだ結構怒っていた。



それは……理不尽な怒りかもしれないと自分でも分かっていた……

が、勇気を振り絞って行動を起こしたのにもかかわらず……結果はあのザマ。


目の前でへらへらとしている彼からは昨晩感じたような何かイヤな感じもせず、ミシェルの怒りはさらに沸々と湧き上がる。



すると、二人がお互いの思いを胸に抱きながらも口にせず、黙ったまま食事を続けるという非常にギスギスした空間に、足を踏み入れる幼女が現れた。



「ん~…おはようなのじゃ~……」



「あ、リディアさんおはようございます」



「お、リディアじゃんおはよう」



「朝ごはん出来てますよ……というか随分久しぶりに姿を見た気がしますが……」



「少し研究に熱が入っての。うっかり数週間部屋に籠ってしもうた」



神なので別に食事を取ったりしなければ生きていけないというわけではない故のうっかり。


もし人間ならば餓死必至である。



「研究って……今度は一体何を作ってたんだよお前…」



「見たいか見たいか!?」



「そんなテンションで来られたら見ないわけにはいかないな」



「今回作っていたのはこれじゃ」



うっきうきでリディアがポケットから取り出したのは、テニスボールサイズの透明な玉。


赤い文字で大きく【危険】と表面に描かれたそれ。パッと見ただけでは全く用途の分からないそれに、ミシェルと拓也は首を傾げるしかなかった。



「…中に何か入れるんですか?」



キラキラと輝く表情でコメントを待つリディアに押し負けて、苦笑いのミシェルがそう呟く。


しかしその透明な球体の表面にはどこにも穴のようなモノはなく、ガチャガチャの玉のように二つに割れる構造でもなさそうだ。



「何それしょっぼ」


「なんじゃと!!?」



拓也に至っては嘲笑する始末である。


一度は牙をむき出しにして拓也を睨み付けたリディアだったが、ハッと我に返り逆に拓也を小バカにするような笑みを浮かべた。



「ハンっ!拓也よ、ヌシは物の価値の分からん奴だな!」



「透明なプラスチックのゴミなんて誰が欲しがるんですか?」



「ゴミじゃないわい!!歴とした魔道具じゃ!!」



しかしニヤケ面の拓也に煽られ、すぐさま激情に駆られる。実年齢ならば恐らくこの中の誰よりも上なのだろうが……科学者や発明家としてのプライドを踏みにじるような拓也のその発言によってすぐさま激情に駆られるリディア。


拓也がウィークポイントをワザと突いたからではあるが、外見に釣り合った精神年齢に、先程からずっと噤まれていたミシェルの口から、笑いが零れた。



「聞いて驚くがイイ!!なんとこの魔道具は…」



大きく身振り手振りを交えて、高々とプラスチックのゴミを掲げたリディアは、拓也とミシェル両者の注目がしっかりと自分に集まっていることを確認すると、ニヤリと口角を釣り上げて、主に拓也にゴミを向けながら自信満々に言葉を放った。



「使用者の魔力を吸い取り、爆発する最強の破壊兵器なのじゃ!!」



「何をしてたかと思えば……なに?王国でも消し飛ばすつもりなの?」



頬杖をついて呆れ顔の拓也。ミシェルも大体彼と同じような表情を浮かべていた。



「王国どころではないぞ!限界値まで魔力を送ればこの宇宙……いや、上手くいけば次元ごと消し飛ばせる代物だ!!


しかし限界まで魔力を送るとなると拓也、ヌシの魔力を限界まで使っても足りるかどうか」



熱が入って商品紹介を続けるリディア。


ミシェルは苦笑いを浮かべながらだったが、律儀にその話を聞いてあげているが……拓也は既に食事を再開。


そんな彼に、もうちょっと相手をしてやれよという視線を向けたミシェルの蒼い瞳に映ったのは、何か深い思考をするときの拓也だった。



視線を低く落とし、ニヤケを顔から消し去って……。



彼が何を考えているのか、分からないミシェルであったが……いつもの光のようなモノが消え失せた彼の黒い瞳を見ていると……何故か昨晩のような胸騒ぎがした。



「…はい、そんな危ないモノは没収な~」



「ちょ、返せぇ~!!」



しかし次の瞬間には、いつも通りの拓也であった。



ギャーギャーと騒ぐリディアを片手で制しながら空間魔法でゲートを開き、もう片方の手に持っていた破壊兵器を放り込む。



「まぁまぁ飯でも食って落ち着けよ。うまいぞ」



「ふんッ………まぁ戦いは腹ごしらえが済んでからじゃ…」



危うく無益な争いが勃発しかけたが、拓也が上手くいなして椅子に座らせて食事を開始させることでそれは回避された。



・・・・・



「でも拓也君、どうして買い物なんだい?」



「ん~、まぁお前の修行関連で必要なモノもあるし……それに何よりミシェルにお使いも頼まれたし仕方ないだろ」



「そうなのかぁ…」



ミシェルから受け取ったメモをぺらぺらと振ってそう口を開いた拓也は、そこそこ人通りの多い道を行き、ビリーも彼の後を追う。



「まずは鋼鉄製の鎖だろ~…そんで釘バットだろ~……」



「一体何に使うつもりだい…?」



「お前の修行に使うにきまってんだろ」



何言ってんだコイツといった表情の拓也だが、ビリーもそう返してやりたいのは言うまでもない。



「あとはミシェルに頼まれた食材やら生活用品諸々だな」



「先にミシェルさんのお使いから行こうよ、鎖とか釘バットとか持って普通の人が多いお店に入るのなんて嫌だし」



「無論そのつもりだ。ご婦人方に奇異な目で見られたくはないからな。俺も快くない。周りも快くない。何の生産性もない、むしろマイナスだ」



「どうして拓也にはそういう倫理観がたまにしか発現しないのかな?」



聞こえないようにと小さい声でしみじみとそう呟くビリーであった。


…が、もちろん拓也のスーパーイヤーは彼の発言を聞き逃しはしない。



今日の日程が若干厳しいモノになることを、ビリーはまだ知る由もないだろう。



順調に目的のモノを買い揃え、一時間程度経過したころにはすでにメモの大半のモノにはチェックが打たれていた。


荷物持ちは主にビリー。涼しい顔でメモへ視線をやる拓也。一見辛そうなビリーも、日々のトレーニングのおかげか全くその顔に疲れを浮かばせてはいない。



「よ~し、あとは鎖だけだな。



……どうしたビリー?」



ビリーの視線が、目的の店とは別の場所に向いていることに気が付いた拓也はそう声を上げて尋ねたが、彼の視線を辿って行けば、彼が何に注視しているのかは容易く分かった。



「本屋…?お前って文学系男子だったっけ?」



「ち、違うよ…。


帰った後にできることが読書くらいしかないって最近気が付いたんだ。


拓也君との修行で体力は使い果たしちゃうから……」



「ふ~ん、じゃあ残りの買い物俺がやっておくからなんか買って来いよ」



「いいの!?」



「なんでそんな驚くんだよ……流石に趣味とかの娯楽を規制するほど鬼じゃねぇから俺……」



ビリーの手の中から大量の荷物を受け取ると、彼のケツを蹴って本屋の方へ押し出して、自身は別の店の中へと消えていった。


土曜日の昼下がりに、僅かだができた自分の時間。



「面白そうな本あるかな……?」



若干ウキウキしながら本屋に足を運んだビリーは、紙とインクの独特の匂いに更に心躍らせながら辺りを見回す。


迷路のように並んだ本棚に、所狭しと敷き詰められた無数の本たち。


過酷な修行から、一時ながら解放されたからか、そこまで好きではなかった本屋という場所も、憩いの場所だと思えてしまう。


ビリーは内心で自嘲気味に笑った。




しかしそんな時間も限られている。せめて何か一冊買っていこうと、本棚に詰め込まれている一冊のハードカバーの本に手を伸ばす。



「あっ」



本の背にビリーの指が触れたその瞬間。彼のその手に、別の誰かの指が触れた。


白く細い指。恐らく女性のモノだろう。


少女漫画的な展開に一瞬フリーズしたビリーだったが、すぐに本から手を離し、精一杯照れを隠しながら半歩引いて、右へ体を向けて口を開いた。



「ご、ごめんなさ……ぃ……?」



…が、取り繕った笑顔もすぐさま曇る。



「………」



同じように謝罪をしようとしたのだろうか、彼女も大きな目をパチパチとしながら丁寧に体の前面をビリーへと向き直っていた。


しかし…彼女のその頭が下げられることはなかった。



燃えるような縦ロールのオレンジ色の髪と、ビリーを認識してから明らかな敵意でキッと鋭くなる眼光。



マズい…。ビリーの中で警鐘が鳴り響く…。



「しゃ、シャルロットさん……こんにちは…」



「…………こんにちは…」



シャルロット=カルソーラ。魔闘大会でビリーと激戦を繰り広げた一年生側の副将である。


一応挨拶は返した彼女だが、明らかに不機嫌そうだ。


ビリーもそれは敏感に感じ取ったようで、必死に逃げるタイミングを窺っている。


睨み合いが続くこと数秒……依然として強さを増して行くシャルロットの眼光を前にしたビリーはガクガクと小刻みに震えて既に小動物のようになっていたが……それでも先に切り出したのはビリーの方だった。



「この間は…ごめんなさい…。



手を抜くようなマネをして……悪気はなかったんだ」



結局あの後姿を見つけることはできずに、すぐにはできなかった謝罪。


こうして偶然出会う形になってしまったが、折角のこの機会を逃すわけにはいかない。


魔闘歳での出来事を掘り起こすようで悪い気もしたが、自分が悪いのは明白。拓也にもそういわれていたため、ビリーはその場でシャルロットに頭を下げた。



自分も彼女の気持ちは分かる。


彼は自分よりも圧倒的に強い。もし手加減してくれなければ、1秒と経たずに自分が消滅することは目に見えている。


それだけ実力が開いていると分かっていても、拓也におちょくられるのは腹が立つ。


手加減と手抜きは違う。前者が圧倒的な強者が自分よりも弱い者に技術などを教えるために、敢えて自身の能力を抑えて合わせるものとするのなら、後者は…言ってしまえばただの煽り。敬意もクソも無い、ただの挑発行為ととられても何らおかしくないのだ。


拓也がしてくれている手加減ですら、その絶望的な差を前にしてイライラすることもあるビリーには、自分に手を抜かれた彼女の気持ちがちゃんと分かっていた。


そして、武人として自分がやったことの罪の重さも分かっていた。



だから…



「本当に…ごめんなさい」



謝る以外、彼にすることはない。


今、冷静になって考えてみれば…魔力の操作に長けた魔法主体タイプ且つ身体強化を掛けていた彼女が、今後の生活にかかわる程甚大なダメージを受けるとは考えにくい。



今更悔いても仕方がないが……せめて誠意を込めて謝ろうと、ビリーはさらに深く頭を下げた。



「……」



頭を下げるビリーを無言で見下ろすシャルロット。


相変わらず目つきは鋭く、その目から漏れる眼光も鈍く光っていたが……先程と比べて幾分か柔らかくなっている。



「頭を上げてください。この間は…私も少し言い過ぎましたので」



そう発言したシャルロットは、頭だけをもたげて意外そうに見上げてくるビリーからふいと視線を外して、肩から胸に垂れるオレンジ色のロールパンのような髪を背中へ弾くと、彼の顔にピンと人差し指を突き立てた。



「ただし条件がありますの」



・・・・・



「んふ~ふ~今日は良い鎖が手に入っちゃったな~!」



上機嫌で店を後にした拓也。


いい鎖とは一体何なのか非常に気になるところではあるが、生憎現在彼にツッコミを入れてくれる人物は周囲に存在していない。


すると、そんな上機嫌な彼の視界に、自分の弟子と…もう一人。オレンジ色の髪の女の子が映り込んだ。



「おやおや、あれはいつぞやの魔法少女ロールパンじゃないか」



彼の記憶にも結構新しいシャルロット。


彼女に追従するビリーを見た彼は…何か面白い匂いがすると言わんばかりに口角をニヤリと釣り上げる。


それは、ビリーの表情があまり明るいモノではなかったこともあるのだろう。



一先ず今すぐに声をかけることは愚策だと判断した拓也は、こっそりと二人の後をつけることにした。



「で、でも…闘技場とかの手配とかって時間が掛かるんじゃ…」



「私の家が所有する場所を使いますので問題はありませんの」



「…そ、そう……」




「ほうほう…にゃるほどにゃるほど……」



数メートルの感覚を開けて二人を追跡する彼の耳には、二人の会話がしっかりと聞こえていた。



ー……さしずめリベンジマッチってところか…ー



これは楽しそうだとさらに口角を釣り上げてにやける拓也。抱えている荷物も相まって、周りから見たら完全に不審者である。



しばらく人ごみの中を行き、十数分後。


彼女の言う、彼女の家が所有している闘技場とやらに到着した。



「へぇ~立派だねぇ…」



城壁に囲まれた王都を出てすぐ近く。店や民家が立ち並ぶ街の中枢から切り離された場所にそびえるこの場所ならば、多少派手にドンパチしようとも誰の迷惑にもならないだろう。


高い外壁のてっぺんを眺めてそんな感嘆の声を漏らすビリー。シャルロットはそんな彼を特に気に留めることはせず、闘技場の中へと歩を進めた。



「管理人に話は通しました。どうぞこちらへ」



案内されるままに彼女の背を追って闘技場の中へ足を踏み入れたビリー。


すると、シャルロットから袋に入った何かが投げ渡される。



「…これは?」



「運動用の服です。私服を汚してもらっても困りますので使って下さいまし」



「凄いね!こんな物も準備してあるんだ!ありがとう!」



準備の良さに、彼女との仲は中々険悪だったということも忘れて素直にそう口を開くビリー。


シャルロットは振り向きもせずにフンっと一つ息を吐き、オレンジの髪を指でピンと弾くと、小さく胸を張って口を開いた。



「これくらい当然ですの」



なんだかんだでビリーも天然おだて上手なのかもしれない。




「さぁ~て…俺はここで見物としけこみますか~」



闘技場の外壁の上に腰を下ろした拓也は、荷物をゲートの中にしまってそのうち両者が出てくるであろうフィールドを見下ろし、その顔に楽しそうな笑みを浮かべていた。



・・・・・




「ミ~シェル~!遊びに来たよぉ~!!」



同刻、ヴァロア宅。


玄関を叩きながら元気な声を響かせる赤髪の少女が一人。


しばらくすると、ゆっくりと玄関が開いた。



「ジェシカですか、いらっしゃい」



「ミシェルおっはよ~!」



「もうお昼ですが……とりあえず上がってください」



今日も今日とて元気純度100%のスマイルは、見るモノ全てを幸せな気分にさせる……多分。


するとミシェルの顔をマジマジと見つめたジェシカは、その純度100%の笑顔の中に、墨汁のような黒い何かを一滴垂らし、自身の身を抱きながら口を開いた。



「あぁその表情……遂にミシェルは大人の階段を上ってしまったのねぇ…。


ハァ~全身から醸し出されるこの大人の雰囲気…即ちエロス…!」



「ジェシカ、少し黙ってもらっていいですか?」



悲しい程に通常運転である。




彼女のその言葉に若干不機嫌そうなミシェルは、ジェシカの分のスリッパを床に並べてツカツカとリビングの方へ向かう。


そんな彼女の後姿を見たジェシカは何かがおかしいと既に感づいたようだ。


リビングへ姿を消したミシェルを追ってリビングに踏み入り、彼女の向かい側のソファーに腰を下ろしたジェシカは……浮かない表情のミシェルの様子をしばらくジッと伺う。


そしてミシェルが小さく溜息を吐いたタイミングで口を開いた。



「もしかして……なんかトラブルでもあった…?」



ジェシカにしては珍しく、いきなり確信を突くことはしないその尋ね方。


顔に浮かぶのも、非常に珍しいことに笑顔ではなくミシェルを気遣う色のモノ。



「……」



図星を突かれたミシェルは、俯き加減で押し黙った。


彼女のそんな表情からジェシカは何を思ったのか……膝の上の手をぎゅっと握りしめ、申し訳なさそうに顔を歪めると、静かに口を開く。



「私たちのせいで何かマズいことになったんだったら……本当にごめん…」



「い、いえ、そういうわけじゃないですよ!」



勘違いして落ち込んでしまっているジェシカに、そうではないと伝えようと手を顔の前でブンブンと振ってアピールすると、ジェシカは安堵したように息を吐いた。


しかしすぐにその安どの表情も顔から抜け落ちる。


次にジェシカの顔に浮かぶのは、気遣わし気な表情。



「私でよかったら…相談に乗ろうか?」



「……じゃあ」



ミシェルはゆっくりと語りだす。昨晩、拓也との間に何があったのかを……。



・・・・・




炎を撒き散らしながら宙を舞い、回避行動をとりつつ様子を窺うビリー。


間隙開けずに飛来する無数の魔法で形成された壁のような弾幕の隙間を縫い……徐々に接近する。



管理人を審判として闘技が開始されてからおよそ5分程度だろうか…。



「【岩塊】【火球】ッ!!」



まだビリーはシャルロット相手に一撃も叩き込めていないまま、ただ時間が経過していた。


しかし小威力の弾幕の一部が掠ったとはいえシャルロットもまた、ビリーに対して有効打は一撃もない。



つまり膠着状態が続いていた。



シャルロットは知っている。この程度の魔法では、彼にダメージを与えることは叶わないと。


しかしながら……どういうわけか、彼女の瞳には何かを企んでいるような光が浮かんでいた。



「……ほぉ、何か仕込んであるな」



この遠距離からでも彼女のその眼の光からそれを悟った辺り、流石は拓也か。


棒付きの飴を舌の上で転がした彼は、キャンディーの甘い風味を一通り堪能すると……一度口から取り出して自身の弟子のビリーを眺める。


最早学生とは思えない動きで回避し続けるビリーの表情。



「気が付いてない…か。


まぁ経験浅いし仕方ないかね~」



パタパタと足をバタつかせ、顔に浮かべるのはいつも通りのニヤケ面


また飴を口の中に放り込むと、勝負の行く末を見守るようにじっと二人へ視線を向けた。



「(やっぱり簡単には近づかせてくれない……。


でも一発一発のダメージはそこまで大したことはないし……一気に距離を詰めて一撃で……)」



回避しながら、これからどうすればよいのか……思考するビリー。


咄嗟に頭の中に流れたのは、魔闘大会でシャルロットと戦った時に、彼女の張った弾幕を一気に突き抜けた時の映像。


自身の高速移動のせいでさらに加速する彼女の弾幕の中を瞳への被弾だけを避けた最小限の動きで、魔法の壁を抜け出た時……自分の真価を見た気がした。



「(なら……途中であの技を溜めて抜けた瞬間……)」



一瞬だけ炎を強く吹かし上空へ。そして数十メートル昇った辺りで身を翻し体の上下を入れ替えると、そこから炎の推進力に加えて重力の加速も加えた超高速の一直線の移動を開始した。


爆発のようなバックファイアが宙に色濃く残る。


優雅にすら見えるビリーのその立ち回りに、思わずコンマ数秒見惚れてしまったシャルロットであったが、すぐさま弾幕の中の彼に意識を戻した。


「(…もし魔闘大会の時みたいに罠があったとしても……そのまま突っ切れば先に勝負を付けられる…!


前は止まったのがいけなかったんだッ!)」



以前は土魔法のカウンターの餌食になってしまった……が、それは動きを止めたのがミスであった。


それが彼が自分の試合を振り返った時の反省点。


自分の武器はこのスピードと一撃必殺のパワー。警戒することは大切だが、自分の特色を殺すような立ち回りをしたことで以前は痛い一撃を喰らってしまったのだと、ビリーはちゃんと理解していた。


だから今度はミスはしない。確実に仕留める。


その意志と共に……右の拳が紅蓮に燃え上がった。



「(来なさい……その速さと硬さを生かして…)」



しかしシャルロットもまた理解していた。


魔闘大会の時と同じ。


少し気を抜けば見失ってしまうほどのスピードで視界の中で大きくなるビリーを目の前にしたシャルロット。


大会の時には……正直言ってそれを見て焦った。先に仕込んでいたあの魔法も、彼が止まらなかったら捕まえることはできなかった。


だから……今度はミスはしない。



「なッ!!?」



ビリーの進行方向1メートル先程度の地面に浮かび上がる…光の魔法陣。


放たれるであろう魔法は……光速である可能性が高い。


そうなれば………現在の空中姿勢から考えて、彼にかわす術はない。



「(光ッ!?威力はッ!?猶予はあと何秒残されてるんだッ!!?)」



目測を誤った。これは以前も使った手。それならば対抗策を講じられていて当然だ。



対して自分はどうだ?特に考えもなく、以前も出来たからという理由で突っ込んだ。


自分の単純さと愚かしさに思わず笑いそうになったが、そんな場合じゃないとすぐに思考を開始する。


現実世界との時間の流れに比べて数倍早く感じる脳内の時間の流れ。


そのせいか……目の前の光景がゆっくりとスローモーションで流れた。



「(クソ…ッ!


魔法の発動を妨害するには術者の集中を切らすしか…でもここから攻撃する手段なんて僕には)」



そんな時にふと視界に入る自分の右の拳。


膨大なエネルギーが纏わり付いた破壊力抜群の拳。


ビリーはそれを見て考える。



「(もしこれを”飛ばせたら”)」



それは自分にとってとてつもなく強力な一手になるのではないだろうか…と。


しかし同時に頭に過るのは、新しいことに……それもこの状況で手を出す不安


だが、このままでは間違いなく超火力の一撃を喰らってしまう。


情報の濁流で混雑するビリーの脳内。


するとそんな脳内に、突如として以前拓也が修行中に零したとあるセリフが流れた。



『軌道を制御したりする魔法ってのはどういう原理で動いてるかってのは知ってる?』


唐突に投げかけられたその問いに、そんなこと知るかと返したのはよく覚えていた



『冷たいなぁ。


仕組みは単純。例えば炎の槍を撃ったとしよう。追尾とかしないならそれは放った時点で術者の制御下から抜け出てる。つまり追尾とかしてくる魔法ってのは、まだ術者がその魔法を制御下に置いているってことだな』



巻き藁に腰を下ろしながら得意げに指を立てる拓也。


この状況で何を思い出しているのだろうと自分でも不思議な気分なビリーだったが、彼のそんな意思とは裏腹に脳内での映像の再生は止まらない。



『ちょっと話したと思うけど、魔法ってのは『精霊語(エレメントワード)』ってので構築、制御されている。イメージってので連想されるのがこれな。

詠唱ってのは精霊語を連想させるためのモノってわけ。

まぁ応用できることがあるかもだし、その辺の知識も頭の片隅にでも置いときな』



その時は、魔法をあまり扱わない自分には全く関係がないと思い、気にも留めていなかった。


しかし今になって思う。


自分のグローブから発現される炎も、魔力を源とした歴とした魔法。


拓也から聞いたところによれば、手の甲側にある水晶体の中の五芒星の魔法陣のおかげで、何の処理もなくただ魔力を送るだけで炎を出せているのだと。つまりグローブから炎を出すというのも魔法。

それなら…



「(もし『強打(スマッシュ)』に……何か遠距離攻撃に関係する精霊語を入れられれば……)」



その考えに辿りついた瞬間、ビリーの脳内は水を打ったように冷静さを取り戻した。




まるで何をすればいいのか分かっているかのように…自然に体が動く。


精霊語なんて習っていないことは詳しく知らない。しかし…拓也はイメージだと言っていた。


それならばと……ビリーは脳内で、右拳に纏わり付いた膨大なエネルギーの膨張を抑え、射出するイメージを浮かび上がらせる。


そしてそのイメージの通りに体を……右の拳を振りかぶった。



思考に費やした時間……僅か一秒足らず。


弓の弦を引くように背後へ引かれた右腕は、次の瞬間……一気に動き出す。



常人の”眼”ならば、ビリーの拳を突き出すというその動作を1フレームに収めることすら難しいだろう。



だがシャルロットは”視えて”いた。


ビリーが拳を引いて、突き出すまでのその動作が。



「(あの技は……あんな距離からは使えないはずじゃッ!?)」



眼を見開くシャルロットは、思わず身構えた。


しかし事前の調査や、実際に試合を見てあの技は超近接のレンジでしか使用できないことは分かっている。


それならば何も臆することはないと、彼女は強気に光属性の魔法の発動を急いだ。



そして……遂にビリーの腕が、物理的な射程の限界まで伸びる。


その刹那…。



「飛ばしたッ!!?」



纏わり付いた紅蓮の炎が……剥がれるようにビリーの拳からするりと離れ、一直線にシャルロットへと飛んだ。


一発の炎弾と化した『強打(スマッシュ)』。


外壁の上でその光景を見守っていた拓也は、クックックと不気味ながらも嬉しそうな笑い声を漏らした。



「やればできるじゃんビリー君~。


アレはもう『強打』とは別物だな…」




「いっけぇぇッ!!!!」



「ッく!!」



苦虫を噛み潰したように表情を歪めたシャルロットはすぐさま光魔法を放棄し、土の魔力を練り上げて薄いながらも岩の防壁を形成。


衝撃に備えて身体強化も掛け直す。



咄嗟の判断と思い切ったその行動は、流石と言えるだろう。



その次の瞬間……。


岩の防壁への着弾を待たずして炎弾が炸裂した。



耳を劈くような轟音と共に拡大して行く爆炎と熱波。


フィールドの上はあっという間に爆心地のような状態に変化していた。



「おぉ~…威力は若干落ちたみたいだけど、それでも尚この破壊力か…。末恐ろしいなオイ」



ケタケタと愉快そうな笑い声を上げる外壁の上の拓也は、爆風に吹き飛ばされないように前傾姿勢になりながら爆炎の中をよく目を凝らして”視た”。


意味ありげにまた笑った拓也は、ゆったりとした動作で腰を上げると、ジーンズについた砂などの汚れを軽く手で払いながら静かに呟く。



「決まったな」



どういう意味なのか……それは本人のみぞ知るところだ。


すると…一しきり笑った拓也は、軽く後ろに飛んで外壁の上から姿を消した。



「そ、それまで!!」



審判をしていた管理者が声を上げる。


砂埃や煙がようやく晴れたフィールドの上には、ほぼ無傷のビリーと……闘技場の壁に背中から激突したのか、蜘蛛の巣のように割れたコンクリートの壁に背を預け、肩で息をするボロボロのシャルロット。


どちらが勝者なのか……それは火を見るより明らかだった。


慌てて彼女に駆け寄ったビリー。彼の顔に浮かぶのは、彼女の容態を危惧する表情。


しかし……心配には及ばなかった。



「……私の……負けですわね」



悔しさに歪みながらも…清々しいと言わんばかりの声色ではっきりとそう口にしたシャルロットは、背後の壁に背を押し付けるようにしてズルズルと立ち上がる。



「ご、ごめん……僕も必死だったから…その……」



「これでいいんですの」



申し訳なさそうなビリーのその言葉を遮るように、シャルロットは力強くそう発した。


すると、歪ませていた顔に笑みすら浮ばせ始めたシャルロット。


何故笑っているのだろうと首を傾げるビリー。彼のそんな顔が面白かったのか彼女はクスリと笑いを零すと、おどおどした様子の彼の眼を見て口を開く。



「あなたはやっぱり強かった……。


でも…魔闘大会の時は意図的に”あの技”を外した。


結果……私が勝ってしまった」



「ほ、本当にごめん……」



「ふふ、言い方が意地悪でしたわ。謝罪もしていただきましたし、もう怒っていませんの」



笑みを見せてその言葉の証拠を示すと同時に、壁から背を離して歩を進める。


ビリーの目の前まで歩いたシャルロットは、少しの間沈黙すると……



「あなたに対しての数々の不遜な態度を謝罪します。本当に申し訳ありませんでした」



彼に対しての誠心誠意の謝罪を口にした。


一瞬呆気にとられてフリーズしたビリーは、次の瞬間に脳内に流れ込む情報を処理できずに、何のアピールなのかとりあえず慌てて顔の前で手をぶんぶんと横に振る。



「しゃ、シャルロットさんが謝ることなんて何も…!!


実際僕が悪いんだし!!」



「いえ、私の非礼はちゃんとお詫び申し上げます。そうでなければ私の気もすみませんので」



「わ、分かったから!別に気にしてないから頭上げて!!」



「……私程度取るに足らない存在だ…ということですの…?」



「いや気にしてないってそういう意味じゃないから」



いつも全自動ボケ生産マシンのような拓也に付き合っているせいで冷静にツッコんでしまったビリー。


シャルロットもシャルロットでどうやら本当に勘違いしていたのだろう。若干の怒りが見て取れた表情をすぐに解いてハッと口元を隠すと、照れなのか視線を逸らしてほんの僅かに頬を染めた。



「べ、別にただのジョークですのよ……」



「あ、そうなの……なんかごめん」



ビリーもビリーで人の言葉を信じすぎるのは問題である。



「何やら大きな音がしたと思って来てみれば……どうやら君たちがじゃれ合っていただけのようだね」



ビリーの背後から掛かるそんな声。


シャルロットも、ビリーが視界に入っている為その声の主を視認できていない。


低く落ち着いた声色。


慌てて振り向いたビリーは…音で表すならば『げっ』といった表情を分かりやすい程に顔に浮かべた。



「け、剣帝様…!!?」



「ぅゎ…」



『うわってなんだうわって』



「音魔法止めてよ!!……おっと…」



シャルロットにとっては、何言ってんだコイツ状態である。


ビリーも傍から見た時の自分の異常さに気が付いたのか、しまったと口を噤んで俯いた。



剣帝……拓也は、目深に被ったローブの端を掴んでさらにギュッとずり下ろすと、ゆっくりと歩を進めてビリーの脇を抜け……シャルロットの前に跪いた。



「君、怪我をしているみたいだね。見せてごらん」



「ど、どど、どうして剣帝様が…!?」



「さっきも言っただろう?大きな音が聞こえたから何事かと思ってね。


さて、そんなことより君の治療が優先だ『お前はその程度ツバでもつけてろ』」



「…ッ!!」



シャルロットに見せる紳士的な態度とは対照的なビリーへの態度。


しかしまたこの発言へ返答すれば、また彼女に冷ややかな視線を向けられることは必至である。


故に…ビリーは歯を食いしばった後、俯いて黙り込んだ。



「火傷に打撲……これはひどい。


少しの間じっとしてて。痛くはしないから」



緊張でがちがちのシャルロットの手を取り、右手に展開した光の魔法陣から発する柔らかな光を患部に当てて行く。


まるで時間を巻き戻しているかのようにみるみる治って行く火傷で爛れたたり、打ち付けて青く変色した肌。



「す、すごいですの……」



感嘆の声を小さく漏らすシャルロット。


1分と経たないうちに、彼女に蓄積されたダメージはすっかり抜け落ちた。



「はい、これで元通りだ。


じゃあ僕は帰る。突然失礼したね」



手を離して立ち上がり、回れ右をして足早にこの場を去ろうとする拓也。


しばらく完璧に治った右の腕をボーっと眺めていたシャルロットだったが、ハッと我に返ると視界の中心に剣帝を捉え、声を張り上げた。



「け、剣帝様!教えてくださいですの!!


どうすればあなた方帝のように…強くなれますか!!?」



彼女のその発言で歩みを止めた拓也は、しばらく突っ立ったまま沈黙する。


そして数秒立った後にユラリと半身を見せるように振り返ると、僅かに口角を釣り上げて…静かに語った。



「”愛”を知り、そして”正義”を持て」



それだけ言い残し、剣帝は高く跳躍し空の彼方へと姿を消した。


笑いながらも絶対的な説得力のあるその言葉。シャルロットは剣帝のその言葉を噛みしめ……ようとしてはいるようだったが、その発言の意味が分からないのか、首を傾げて悩ましげな表情を浮かべている。



「は、ハハハ……い、行っちゃったね。


じゃあ僕はもう帰るね……」



乾いた笑いを漏らしたビリーは、逃げるようにその場を後にしようとした……が、前へ進もうとした足は止まる。



「待ってくださいビリーさん」



ビリーの服の裾を掴むシャルロット。


振り返るビリーは驚いた様子で振り返った。



「な、なに…?」



「………これで1勝1敗ですの。次は負けませんので」



「つ、次…!?」



「はい。次は負けません…」



負けず嫌いなんだなぁ…と思うと同時に、なんだかめんどくさいことに巻き込まれたと確信するビリーであった。




・・・・・


「ふんふん、なるほど、そういうことね」



「リリーお姉さんどう思う~?」



「まぁアイツって何考えてるか分かんないとこあるし……一概にヘタレが発動したとは言えないわね…」



あの後、こういった相談をするならばリリーだということになりギルドへ赴いたミシェルとジェシカ。


リリーが半休だったということもあり、彼女の行きつけのバーのような店『しまうま』で、昼間だというのにもかかわらず酒を酌み交わしながら談笑していた。


ミシェルもチビチビとだがリリーに勧められたジントニックを飲んでいる。



「それにしても……まさかミシェルちゃんがそんなこと考えるようになってたとはねぇ~」



「わ、私だってもう大人ですよ!」



「アハハ~!ミシェルちゃんのことはこ~んなちっちゃい時から知ってるのよ?そりゃ子ども扱いもするって~」



「4歳くらいしか違わないじゃないですか……」



「あれ、ミシェル早くも酔っぱらってきてない?相変わらずお酒弱いねぇ~」



「……うっさいです…」



ほんのりと上気した頬を隠すように俯いたミシェルは、酒の肴に出された生ハムを口の中に放り込んで拗ねてしまったのか黙り込んだ。



「でもまぁ…もうガンガン押すしかないんじゃない?


アイツがヘタレだった場合でも、押してりゃそのうち折れるでしょうに。


逆に何か考えてるとするなら話は別かもだけどね」



ミシェルとは正反対の酒豪っぷりを見せ付けるようにジントニックを一気に呷って、自身の思ったことをそう口に出す。


見るからにショボンと落ち込んだ様子のミシェル。ジェシカも彼女の心境を察してか、あまり明るい表情ではない。



少し失言だっただろうか。二人に気が付かれないように苦笑いを浮かべたリリーは、両隣の二人の背中をパンパンと軽く叩くと、ニコッと笑みを浮かべて見せた。



「さぁ飲んで飲んで食べなさい!今日は私の奢りよ!!」



「え、ホントに!!?わーい!!」



すぐさま通常運転に戻るジェシカであった。




・・・・・


日も完全に落ち、時刻は午後8時。


あれからビリーと帰宅した後、どこにも見当たらなかったミシェルの姿。


仕方なく今日の鍛錬を終えたビリーを見送った後に自室のトレーニングルームの中に閉じこもっていた拓也は、自分の鍛錬を終えた後、疲れた様子で髪を掻きながらリビングに顔を出す。



「う~疲れたぁ~……って、ミシェル帰ってたのか」



すると視界に入って来たのは、ソファーに横たわり目を瞑るミシェルの姿。


思わず顔が綻んだ拓也は静かに彼女の元まで足を運んだ。



「寝てるのか…」



ゆっくりと上下する肩……静かに寝息を立てるミシェルに、自然と手が伸びる。


絹のように美しい彼女の髪をひと撫ですると、ミシェルは気持ちよさそうに口元を綻ばせ、猫のように小さく声を漏らした。



「酒の匂い……珍しい、飲んだのか」



更に彼女の頭を優しく撫でる拓也は、誰に言うでもなく一人でに呟くと、名残惜しそうな表情を浮かべながらも彼女から手を離す。


心なしかミシェルの顔にも、物寂しそうな表情が浮かんだ。



そんな彼女の表情を見た拓也は、何を思うのか……。


しばらくその場で立ち尽くした後に、含みありげな表情を浮かべて踵を返して廊下へと出た。


頬にできた縦に斬られた生傷にふと指を触れ……視線を落とす。



「まだまだだ……」



そうこうしている間に脱衣所に到着した拓也は、廊下側のドアを閉め、鍵を閉めると……上着に手を掛けて、上半身を露出させる。



「……足りないな……まだ……まだ足りない……。


もっと……強く……」



鏡に映る……傷だらけの身体。


青痣、切り傷、擦り傷……刻まれた無数の傷。



医療に精通していないものが見ても、これが命に係わる重傷だということは明白だろう。



しかし拓也は、痛みに顔を顰めるどころか……その顔には一切の恐怖などの感情すら浮かんでいない。


ただ一つその表情から読み取ることができるのは…納得がいっていないという不満足気な感情。


普段の彼からは想像も出来ない程に冷たく重苦しいその表情は、きっと普段の彼しか見ていない者が見たとしたら……一体誰なのか一瞬判別できないだろう。


一つ溜息を吐いた拓也は首を曲げて後ろを振り返り、廊下へ続くドアを見つめながら呟く。



「……で、何の用よ?」



「……やっぱり気が付いていましたか」



遠慮気味にドアを引いて開けて現れたのは、背中に4枚2対の白い翼を生やした金髪ロングの美女…大天使ラファエル。


彼女は視界に映る拓也の身体をじっと見つめると、非常に整った顔を悲しそうに歪めた。



「……な、なんだよ…」



天界時代を思い出し焦る拓也。


彼女の目の前で筋肉を晒すということがどれだけ危険か……というか彼女の目の前でなくても筋肉を晒すだけでどこからともなく表れて主に精神的に危害を加えてくる彼女は、拓也にとって天敵以外の何物でもない。


故に彼の頬を冷や汗が伝うのは仕方のないことなのである。



十数秒じっと拓也の身体を見つめ続けたラファエルは……ポツリと呟くように言葉を紡いだ。



「無理……しすぎじゃありませんか?」



無言の拓也はラファエルからそっと目を逸らした拓也は風呂のドアのノブに手を掛けた……が…。



「焦り過ぎじゃないですか?


今敵が攻めてきたらどうするんですか?」



ラファエルは矢継ぎ早にそう攻め立てる。


拓也の体の状態を認識したラファエルのその口調には若干の苛立ちすら感じ取れた。


天界時代、常に拓也の体調管理をしていた彼女だから……今の彼の惨状を見て、何か思う所があるのだろう。


彼女のその問いに……沈黙で返す拓也。


するとラファエルは追い打ちを掛けるように…静かに呟いた。



「そんな状態で……もし今オーディンが攻めてきたとして勝てるんですか…!?」




僅かに口調を乱したラファエル。



「じゃあ教えてくれよ」



拓也はそんな彼女を鋭く睨むように見つめると…ひどく低く冷たい声色でそう口にした。


彼から滲み出るオーラのような雰囲気に、ラファエルはビクッと肩を震わせて、先程とは別の意味で表情を曇らせた。



「教えてくれ、俺はどうすればいい?


次にやってくる戦力は前回より遥かに大きいことは分かりきってる。オーディンと戦って勝機があるのは俺だけ。前回は他の神二体とオーディンを倒すことしかできなかった。


次は当然戦力を増強してくる、なら強くなるしかないだろ?


確かに今現在体にダメージが蓄積されてる。今攻められれば確かに不利になる。


けどそれくらいのリスクは覚悟しないといずれやって来る奴らに対抗できない。


他に手段があるって言うなら教えてくれよ。もっと効率良く強くなれる方法を知ってるのか?それなら……」



そこまで言って…拓也はハッと我に返った。


怒りと不甲斐なさで真っ赤になったり真っ白になったりしていた視界が回復し……真っ先に映るのは、俯き加減で暗い表情のラファエル。



「ごめん、言い過ぎた」



目を逸らしながらそう謝罪を口にした拓也の表情は、苦汁を舐めたように歪んでいる。


それほどまでに……事実は彼を追い詰めていた。



「わ、私も…すみませんでした……」



ラファエルもそう口にして、軽く頭を下げてからドアを閉め…踵を返す。


冷たく感じるフローリング。ラファエルは俯いたまましばらくその場から動かなかった。



「なに当たってんだ……」



低く舌打ちを漏らした拓也は、ドアノブを捻って湯煙が立ち込める浴室の中へ足を踏み入れた。


向かいの鏡に手を付き、熱いシャワーを頭から浴びる拓也。


彼の身体には……浴室の中に入るまで生々しく刻まれていたはずの切り傷や諸々の外傷が、幻だったかのように消え失せていた。


ノブを捻って湯を止めると、束になった黒い髪を伝って……床に落ちて弾けた。



相変わらず浮かない表情の拓也は、唯一顔に残っていた切り傷にそっと指を触れる。


すると……時間を巻き戻しているかのように、あっという間にその傷は塞がった。



「もっと……」



拓也の静かなその呟きが、浴室に木霊した。


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