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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第二部
46/52

学園祭



10月某日。


時刻はすっかり日が沈んでしまった夕方なのか夜なのか…微妙な6時半。



「おめでとうございます~。おめでたですよ~」



「ほ、ホントかい!!?」


「本当なの!!?」



黒いローブを纏った男に対面する男女、ヘイムとユナが彼に詰め寄りながらそう声を荒げる。


驚いて椅子から転がり落ちた拓也は、強打した後頭部を痛そうに摩りながら涙目で口を開く。



「俺が嘘つくメリットがないっていうね…」



「や、やった!ありがとうユナ!!」


「ようやく……あぁ…なんて嬉しい…あぁ!!」



「おじいちゃんだぁ~ッ!!」


「おばあちゃんよぉッ~!!」



歓喜のあまり抱き合う二人。そして背後の未来のおじいちゃんとおばあちゃん。そして自分がどちらに混ざって喜び合うべきかときょろきょろ視線をその2ペアの間で往復させるメル。


どちらのペアもあまりに嬉しいのか、秒間3000回転というドリルも真っ青な速度で回転しているため入るのには相当の覚悟が必要になってくるだろう。


仕方ないので彼女は、いつの間にか目の前にいたニヤニヤしている拓也とハイタッチをするのだった。


しばらくすると夫婦チームの回転が終了する。


ヘイムとユナは何度も何度も繰り返し頭を下げながら感謝の言葉を口にした。


すると少しからかってやろうと思った拓也は、目の前のそんな二人にだけ聞こえるような声量で呟く。



「実は昨晩もお楽しみだったりして~」



「えぇッ!!?」


「な、なんでそのことをッ!!?」



「……人の性事情にあまり口出しするつもりはないが……医療人の観点から言っておくよ……妊娠初期の段階だから安定期に入るまではそういうことは控えてね………」



「は、はい…」


「うん…ちゃんと我慢するよ……」



なんだか申し訳ない気持ちになる拓也だった。



歓喜に沸き、どうしようもなくなった部屋に、それではと一言残して逃げるようにその場を去った拓也は、脱いでいたフードを目深に被ると、王城の無駄に長く少し油断すると迷子になりそうな廊下を出口へ向かって進んだ。


するとそんなさなか……拓也が視界の端…廊下のところどころに置かれているテーブルのような家具に身を隠す何者かの気配を感じ取る。



「お、結構久しぶりじゃん。元気してた?」



その拓也の呼びかけに反応して、テーブルの向こう側。彼の死角から姿を現したのは、拓也と同じ黒髪と黒目の少年。


少し前のマフィア事件の時に家を吹き飛ばされて、ここ王城で保護することになった少年…名を『カレナ=ブローズ』。


すると彼自身は拓也の存在に気が付いていなかったのか、驚いたような表情を浮かべて黒い眼をパチパチと開閉させて拓也を見つめた。



「今日は俺を狙ってるわけじゃないみたいだったけど…またどうしてそんなとこに?」



「お、お前はたkッ!!?」



「その呼び方は止めような。この格好の時は普通に剣帝さんにしなさい」



周りにはメイドや執事を始めとした使用人たちの姿がチラホラ。


一応帝という地位を与えられているため、むやみやたらに正体を明かすことを避けたい彼は、カレナの口をそっと手で覆ってそう諭す。


するとカレナは拓也の言葉をちゃんと理解してくれたのか、口をふさがれながら数回首を縦に振った。



「その後どうよ、カミラちゃんの調子とか」



「あぁ……おかげですっかり良くなって毎日はしゃいでるぜ………そのせいで遊び相手になるこっちの身が持たねぇ…」



「それは何よりだ」



拓也とは一悶着あったカレナ。そんな過去からか、その言葉や仕草、態度には若干の硬さが残ってこそいるが、やはり心の中には拓也への感謝があるのだろう。


それが妹の話題が出たことも相まって、不愛想な表情の中にも、笑顔になって表れていた。





しばらくは妹の事やお互いの近況について談笑していた拓也とカレナ。



「…ところで……さっきは何でそんなとこに隠れてたんだ?」



しかし……ふと拓也が問い掛けたそんな質問に、彼は顔を真っ青に染め上げた。


表現するならば、かき氷のブルーハワイのような鮮やかな青。


一瞬にして何かただ事ではない予感を感じ取った拓也は、辺りをきょろきょろと見まわし、人がいないことを確認してから彼にまた質問をする。



「何か……あったみたいだな。俺に協力できることか…?」



「いや……そんなに大したことじゃねぇんだけどよ………少し”厄介なの”が居て…」



カレナがそこまで言葉を紡いだその刹那……彼の頭頂部に、ちょこんと触れるように軽く拳が置かれた。


頭の上のその感覚を感じ取った瞬間、ゾクッと背筋を震わせて前のめりに倒れるようにその場を飛び退いたカレナ。


がくがくと震える彼の視線の先には、新緑の髪を揺らすエルフの女性が少し怒ったような表情を浮かべ、人差し指をピンと立てていた。



「こら、なんですかその言葉遣いは!」



「ゆ、ユナさん…?」



「あ、剣帝さん。さっきぶりですね」



自分を盾にして背後に隠れたカレナの様子を見れば……彼が言っていたヤバい奴というのは、彼女…ユナなのではないかという拓也が頭の中で勝手に立てた仮説は恐らく間違いではないのだろう。


それを裏付けるかのように、彼の心拍数は徐々に高まり、顔に浮かぶ汗の量も増えている。



「な、なんだよ……」



「なんだよ…じゃありません!


さぁ、部屋に戻って勉強の続きです!!」



「ひぃ…!」



拓也に対してあれだけやってくれた元クソガキ君も…どうやら彼女には逆らえないようである。


拓也を柱のように扱って逃げ続けるも、結局手首を掴まれ連行されて行くのであった。



「おい剣帝ッ!助けろッ!!助けろよぉぉぉッ!!!」



「剣帝”さん”ですよッ!!」



最終コーナーを回る直前にそんなやり取り。



苦笑いしか零すことのできなかった拓也だが、ユナにとってはプレ子育て。そしてカレナにとっては知識と教養を与えてもらえるというwin-winな関係になっていると閃き、口出ししようとはせずにそのまま帰路につくのだった。




・・・・・



相変わらず門番に不審者扱いを受けてブルーな気持ちになった拓也だったが、何とか家まで無事にたどり着き、ポーチの中からスペアキーを取り出して鍵穴に差し込んむ。


カチャリという音と共に解錠され開く玄関。すると既に帰宅しているミシェルも彼が帰ってきたことに気が付いていたのか、エプロン姿で出迎えてくれる。



「うっす~ただいまー」



「おかえりなさい。晩御飯できてますよ。それとも先にお風呂にしますか?」



「選択肢の中にミシェルをおいしく頂くが入ってないのでやり直し」



「……ふざけたこと言ってると晩御飯抜きですよ」



非常にクールな対応に、流石の拓也も苦笑である。


一つ溜息を吐いた拓也は、ローブの懐に手を突っ込んで一枚の手紙のようなものを取り出した。



「晩御飯…と言いたいところなんだけど、これをミーリタリア王国の国王に届けてこないとなんだよね~」



「…なんで一回帰って来たんですか?」



「ミシェルちゃんの顔が見たくてさ!」



「あーはいはい。分かったので早く済ませてきてください」



「……うっす」



適当にあしらわれ、悲しみと共に空間移動で消え去った拓也。


彼が飛んだ数秒後……彼女が赤面してキッチンの方へ戻って行ったのは言うまでもないだろう。




・・・・・



「返事が遅れてしまって申し訳ございません…」



「構わんさ。それより今年も…我が国で課外学習をしてくれるって?」



「はい、毎年学園の生徒がお世話になってしまって申し訳ない…」



「いやいや。こちらも商業効果があって実際のところ嬉しいよ。あ、これはローデウスに内緒ね?」



「ハハハ、かしこまりました」



国王とは思えぬフランクさで剣帝と語らうのは、海洋国家、ミーリタリア王国現国王。


エルサイド王国とは非常に仲のいい国で、なんだかんだ毎年エルサイド国立学園の三年生が修学旅行的なモノでお世話になっている国でもある。



その後はしばらく続く世間話。


やはりこの国王も話好きなのだろう。数分間続く他愛もない会話に付き合わされる拓也は、早く帰ってご飯を食べたいという感情を表に出さないように気を付けながら相槌を打ち続けた。


そしてようやく話題も尽きたのか、会話の方向が帰宅へと向き始めたころ……国王がポツリと呟く。



「いや~、エリミリアも久しぶりに君に会いたがってたんだけど…今ちょっと外出してるんだよ。君が来たと聞いたらきっと残念がるだろうね~」



「以前お会いしたのは確か課外学習の打ち合わせの時、大体3か月前でしたか……」



「君には随分懐いているみたいでね~」



謁見の間の王座に腰かけたままケタケタと愉快そうに笑った彼は、手をチョイチョイと動かして拓也にこちらへ歩み寄るように促す。


疑問符を浮かべながらもとりあえず彼の言う通りに彼の下へ歩み寄る拓也。


すると国王は周りの大臣たちや騎士たちをチラチラと気にした様子を見せながら、拓也の耳元でこそこそと語りかけた。



「娘からよく聞いてるよ。エリミリアをよく外へ連れ出してくれてるみたいだね


うちの大臣たちは少し厳しすぎるからさぁ……やっぱり羽を休めることも必要だね、感謝してるよ」



ちょうど二年位前だろうか。


厳しい大臣たちに王城に縛られて箱入り娘状態になっていたエリミリアを外へ連れ出した拓也。


あれ以降も、この国に来るたびに何度か彼女を遊びに連れ出すこともあり、すっかり仲良くなった二人。


拓也が彼女を信頼している証としては、彼女も剣帝の正体を知る数少ない人物の一人であるという事実があれば十分で、エリミリアが彼を信頼している証としては……彼女の笑顔があれば十分だ。



「そうだね…たまには剣帝としてじゃなくて、鬼灯拓也くんとして遊びに来てくれてもいいんだよ?」



「今年は私も一応生徒としてもこちらへ伺います。剣帝としての護衛任務もありますが……」



ちなみにこの国王も剣帝の正体を知る人物の一人である。





「気が向いたら娘とも遊んでやってくれ、きっと喜ぶはずだからさ」



「任せておいてください」



目深に被ったフードで彼の表情は掴めないが、きっと穏やかに微笑んでいることは間違いないと確信して、自身も笑みで返す国王だった。



「大臣たちに目をつけられていないといいんですがね……」



「そこは…まぁ……気を付けて…」



・・・・・



翌日、エルサイド国立学園。



「はいハーイ!学園祭についてのビッグなニュースをお届けするよ~!!」



教室の前方。その巨体のせいで恐ろしい威圧感を放つ3‐Sクラスの担任、金髪の巨漢テリーが教卓の前に立ち、笑顔で両手を広げてクラス全体に響く声で呼びかけた。


しかし時刻は帰りのショートホームルームを行っている時間。つまり生徒たちは一日の日程を終えて憔悴しきっている。故に誰も……いや、ジェシカを除いてアクティブな返答はしてくれない。


何だかすこし悲しい気持ちになるテリーだった。



「おやおや!なんだか元気がないねッ!!



でも安心さ!このニュースを聞けばきっとみんな元気になっちゃうよ!!」



しかしジェシカを除いt(ry



この時は誰も想像だにしていなかった。




「なんと!!今年から魔闘大会の参加者はSクラスの人間に限らずどのクラスの人間でも参加できることになりましたッ!!」



一瞬完全な静寂が訪れたクラス内。


しかしそれは一瞬で、次の瞬間にはざわざわとクラス中がどよめきだす。



「他のクラスもって…例えば?」



「うん!今回からは出場を希望する生徒たちで事前に選考会が開かれることになったんだ!!


そこで実力さえ証明できれば…誰でも出場できるんだよ!!」




「ちなみに3年生の選考会は明日の放課後にあるから出場希望者は放課後に闘技場へレッツゴーだよ!!」



随分急に報告しやがったなとクラスの全員が思う中、テリーはホームルームの終了を告げるチャイムと共に逃げるように教室から飛び出して行ってしまった。



「たっくんは今年も出ないの~?」



「出ない」



淡々とジェシカに返答する拓也。


彼女はぶーっと不満そうに頬を膨らませると、ぷんすかという擬音がピッタリな動作で拓也に声を掛ける。



「え~なんでさー。たっくんが出れば3年が優勝確実なのに~」



「ミシェルが出場する時点でお察しだろ。むしろ戦力過多なくらいだ」



「あ、そっか」



ミシェルの実力をよく知るジェシカは拓也のその言葉に非常に納得したように頷いた。


何故ならば……彼女は天性のセンスと普段の努力が相まって本当に手の施しようがないレベルで凶悪な使い手になってしまっているからである。


それこそ純粋な戦闘力だけならば、帝にも匹敵するレベル。



恐らく……前もって相当手段を講じておかない限り、ミシェルを相手にしてまともにやり合うことは不可能に近い。



「……」



そんな時、拓也の頭の中に夏休み前の帝の飲み会での、炎帝の発言が過った。



「いや……今回は1年から手強いのが出てくるかもな」



「へぇ~!どんな子なの!?」



「言えませーん」



「むぅーたっくんのけちー」



帝の息子が出てくるなんて口が裂けても言えない拓也だった。



・・・・・



「というわけでビリー。選考会で勝ち抜いて3年生代表で魔闘大会に出て来い」



「は、はぁぁぁ!!?」



ヴァロア家、庭。


いつも通りの筋力トレーニングのメニューをこなすビリーに突如として拓也がそんな言葉を投げつけた。


いきなりのそんな命令に動揺したビリーは、うっかり手を滑らせて巻き藁から転がり落ちる。



「ど、どうしていきなり…!!?」



「いきなりなのはいつものことだろ。俺だぞ?」



「イヤそんな自信満々なドヤ顔で言っても全然カッコ良くないからね?」



次の瞬間彼の体が理不尽な運動エネルギーを体感したのは言うまでもない。




ニヤニヤと不気味な笑みを浮かべる拓也。その笑みは果たして何を考えてのモノなのか……それは彼のみぞ知る。


しかし彼も長い間彼の弟子をやってきて、得たモノはある。


それは……彼の笑みにはその時々の応じて様々な意味が含まれているという事。


そして今回彼が拓也の表情から読み取ったのは……



「拓也君…一体何を」



「おっと、勘ぐるなよ……あとメンバー入りできなかったら罰ゲームな」



この件に関しては何かしらの計画性があるということ。


だがビリーは拓也のその表情とセリフから、何かヤバい力が働いていると敏感に感じ取り、追撃しかけた口を噤むのだった。


冷たい汗がビリーの頬を伝う中、拓也はウッドデッキで魔法に関係する書物を読み漁るミシェルに声を掛ける。



「ミシェルも出るだろ~?」



「はい」



恐らく彼女ならば選考会も難なく突破することができるだろう。


となると残った枠は4つ。そこには入れないと……彼は本当に何かしらの罰ゲームを課してくる。



その内容を想像するだけで……背筋が凍るビリーだった。



・・・・・



翌日、放課後。


闘技場に集まった3年生の生徒たち。



ミシェル、アルス、アシュバル。そして一応メルも含んだSクラス組が6名。


そしてビリーを始めとしたそれ以外のクラスの生徒が4名の合計10名が集まった。



いずれも腕に自信があるものばかり。


周りの空気に呑まれて一人ビクビクしているビリーは完全に場違いの人間のようになっている。



しばらくすると、数名いる教師の内の一人が声を張った。



「じゃあこれから選考会始めるぞ~。


ちょうど10人だから……一人ずつこのくじ引いてけ」




隣の教師が抱える穴の開いたボックスに、選手候補たちが1人づつ手を突っ込み、中のボールを取り出して行く。


緊張と不安と、失敗した場合に待っている罰ゲームにビクビクしているビリーも列に並び……自分の手先の感覚を頼りに、厳選した一つを握りしめて恐る恐る取り出した。




恐る恐る開いた目に映ったボール。ゆっくりとピントが合うボールに記載されていた番号は……3。



「今引いてもらったボールに同じ番号同士で戦って勝った方が代表メンバーな」



どうか知り合いと当たりませんように……。内心で願うビリー。



自分の周りには曲者しかいないのだ。


アルスは尋常ではないレベルの精神攻撃を仕掛けてくる。


メルはそもそも認知できない。



そしてミシェルは言わずもがな。



当たれば確実に無事では済まないメンツ。




「あ、俺3だ」



そんな時、隣から聞こえてきたそんな呟き。


自分の知る声ではないと分かった瞬間に、ビリーは何だか救われたような気持ちになるのだった。



「……」



何の抵抗か……自分のボールの番号を隠すようにしながら、ビリーは自分の対戦相手となった男子生徒へチラと視線を送る。


視界に入ってきたのは……見るからにいかついゴリラのような男。


一瞬安堵した自分がバカだったと悔いた後……圧倒的な体格差に絶望しかけるのであった。



一方観客席。



「おーヤバイヤバイ。アイツの悪い癖だな……」



「ビリー君ぶるっぶるじゃん!大丈夫なの!!?」



まばらに人がいる中に、拓也とジェシカの姿もあった。


二人の手にはポップコーン、ジュース、チュロス。楽しむ気満々である。


見下ろす先では順調に準備が進み、刻一刻と選考会の開始が近づく。


すると……観客席にもう一人、三つ編みにした茶髪を揺らす女の子が現れた。



「ま、間に合ったぁ!!」



「お、セリーいらっしゃい。ポップコーン食べる?」



「ジュースもあるよ!」



「あ、ありがとう…?」



とりあえずジェシカの隣に腰かけたセリーは、差し出されたポップコーンとジュースを受け取って礼を述べると、闘技場へと視線を向ける。



「び、ビリー君大丈夫かな……?」



「……なんでアイツは一回死戦乗り越えてるはずなのにこの程度で緊張してんだ………ホント」





そんなこんなでフィールドの準備は整い、1戦目。


銀髪を揺らすミシェルと相対するのは…Sクラスの男子生徒。



「始め!」



審判の開始の合図と共に手を前にかざしたミシェル。瞬く間に構築された光の魔方陣から放たれた光線は、一瞬にして相手に何をさせる暇もなく呑み込み……勝負がついた。


電光石火とはまさにこのことだろう。



「勝者、ミシェル=ヴァロア!」



「うわぁ…流石ミシェルちゃんだね……」



「ふむ……普段俺を的にして練習しているだけあって流石に速いな」



爆笑するジェシカの隣で、こいつ何してんだといった視線をセリーが拓也に向けていたのは最早言うまでもない。



次にフィールドに出てきたのは……深い青髪のイケメンフェイス。腹黒貴族アルス君と、Aクラスの生徒。


ミシェルの時と同じく審判の開始の合図で、Aクラスの生徒が動く……魔武器である剣を呼び出した彼は、身体強化を施した体をバネのように使って地を蹴り加速。



「ハァァッ!!」



渾身の力を込めて振り下ろした剣だったが……こちらも魔武器を呼び出していたアルスによって軽々と止められた。


更に彼の足に巻き付く闇の触手。


体を縄で縛り上げるように徐々に下半身…上半身と侵食していくそれらにやがて剣を握る右腕も強く締め上げられ、あろうことか彼は自分の得物を放してしまう。


カランと乾いた音が闘技場内に響く中……アルスは槍の切っ先で、彼の方に一つ、切り傷を付けた。



「アルスの魔武器の能力マジでえげつないよな」



ポツリとこぼす拓也。無理もない。彼の魔武器の能力は、付けた傷を水で濡らして湿らせ続けるという能力。


つまりあの槍で斬りつけられると……出血が止まらなくなってしまうのだ。



身動きが取れない上に、出血が止まらない……。


最早負けを認めざるを得なかった……。




「勝者、アルス=クランバニア!」






そして遂にやってきた。



「ビリー君の番だ……」



心配そうに見守るセリーの視線の先には、生まれたての小鹿よろしく震えるビリーがフィールドに上がって行く光景。


吹けば飛んで行ってしまいそうな彼の前に立ちはだかるのは、非常にいかついゴリラのような大男。



「よろしく頼むよ!」



「ひょ、よろしく……」



握手を求めて差し出された大男の手を握り返そうとするビリーだが…あまりの緊張と恐怖のせいかうまく狙いが定まらない。結局、何度も何度も空を切った末にようやく握手をすることができた。


そんな無様なビリーの姿を真正面で目の当たりにしても、少しも笑ったりしない彼は中々の人格者だと、嘲笑混じりの観客たちは思う。



するとセリーは、友達である彼の実力を知りもしない奴らが彼をい指さし笑ったことに腹を立てたのか……珍しく睨むような眼差しを嘲笑する者たちに向けると、未だマナーモード状態でフィールド上に突っ立っているビリーに向かって声を張り上げた。



「ビリー君頑張って~っ!!」



クスクス。そんな擬音がピッタリなくらいに嘲笑で溢れかえっていた観客席が一瞬だけ静まり返ったかと思うと、次の瞬間にはビリーに注がれていた視線が、今しがた選考会には不釣り合いなほどの全力な彼への声援を送ったセリーへと注がれることになる。



「あ、あぁぁ……」



分かりやすい程に赤面したセリーは、今にも顔から煙を吹き出しそうになりながら自分の太ももに顔を埋めるようにして縮こまってしまうのだった。


しかし……彼女が掻いた恥は無駄にはなっていない…。



「お、見ろよ。ビリーの震えが心なしか収まってきている気がする」



「やっるじゃ~んセリーちゃん!!」



「や、やめてよぉ……」



表情は、まだ拭いきれていない緊張で強張ってこそいるが……それでもさっきよりは明らかに幾分かマシになっていた。



そして……戦いのゴングが闘技場に響く。



「始め!」




先に動き出したのは…やはり敵の方だった。


魔武器と思われるセスタスを拳に装着し、依然として固まるビリーに向かって駆けだした。



「ッ!!?」



男子生徒の渾身の右。


しかし間一髪、魂が戻ったような反応を見せたビリーは慌てて上半身を仰け反らせすんでのところで回避した……が…。


彼も一応魔闘大会に出場したいと思い、こうして選考会に出てくるまでの行動力がある男。実力は……



「ッな!!」



平均以上。



ビリーが仰け反った反動で離れた距離をすぐさまダッキングで埋めるが速いか、ビリーより体格で勝る彼は、左の拳でチョッピングを叩き込もうと左を握り……引き絞る。


ウェイトでは恐らく彼に軍配が上がる。それなのに打ち下ろす形のストレートなんて喰らえば……大ダメージは必至。



目で追うことはできていたビリーは瞬時に頭の中でそんなことを考えることはできたが、やはり体は緊張で思ったように動かない。



「くっそッ!!」



思考と行動の不一致。痺れる情報回線の中を無理やりに指示を押し流し…ギリギリのタイミングで右腕を防御に差し出した。


ゴッ!という音と共に肉を抜け、骨まで伝わる衝撃。もろに受ければ腕はへし折れる。

普段の拓也との組手の感覚と照らし合わせ直感的にそう感じ取ったビリーは、うまい具合に体を捻り、さらには相手の力も利用して自身の体の軸をずらし、その回転の力と共に地面を蹴って左方向へ弾き飛ばされるように一旦距離を置いた。



「……」



攻撃をうまくいなされ、射程から逃げられてしまった男子生徒はゆらりと顔を上げ壁を背に冷汗を流すビリーをまるで獲物を狙う肉食動物のようにギロリと睨み付けた。



ヤバい…ヤバい……。


そんな声にならない声がビリーの中で反響し、更に冷静さが失われていく。



「あの子Bクラスの生徒なんだってー」



「へぇー、よく出ようなんて思ったよね~」



しかし何故かそんな言葉だけは鮮明に聞こえてきた。


過去に経験してきた、嘲笑や後ろ指。


こんな時に限って悪いことばかり思い出す…と、戦闘中だというのにビリーは目を伏せた。



「ちょいちょい、お前いくらなんでも緊張しすぎだって」



そんな時に背後の観客席から声を掛けてきたのは……拓也だった。




「とりあえずグローブ付けろ、話はそれからだ」


「う、うん」



少し驚いて思わずそちらへ振り向くビリーの視界に映ったのは、いつも通りのニヤケ面の拓也とジェシカとセリー。


どうやら皆、ビリーを心配してここまで下りてきてくれたようだ。



彼の言う通り魔武器のグローブを装着し……拓也を見つめる。まるで指示を待っているかのように。


すると拓也も弟子のそんな視線に気が付いたのか、優しく微笑み返すと……棘が全然隠れていない言葉を投げつける。



「安心しろ今のところ誰もお前に期待してねーから」



「…えぇ……」



もちろんのことだが拓也のその言葉は暴言ではない。


しかしやはりそんなことを言われては心に来るモノがあったのだろう。微妙そうな表情のビリーからそれはジェシカやセリーでも容易に読み取ることができた。


緊張に加え、彼が吐いた毒。


だが拓也も、その言葉を単体で放てば彼が落ち込むことは分かっていたのだろうが…彼にもちゃんと考えはあるのだ。



「だから失敗しても大してバカにされることはないだろ?」



先程の言葉を毒と例えるならば、さしずめこれは解毒薬。



「…………あ、そっか!」



そして不思議なことに……どうやら毒と一緒に緊張やら諸々も流れて行ってしまったようだ。


きっと拓也といつも通りの会話をしたことで、解れてしまったのだろう。



しかし緊張が解けたことにも気が付かない……というか緊張そのものがあったということを忘れてしまっている様子のビリーは、ケタケタと笑い声を上げる拓也に背を向けると……一つ深く深呼吸をして拳を握る。


ギュッという子気味の良い音と感触が手に伝わった。



「シンプルに考えろ、お前が今できるのは近づいてぶん殴ることだけだ。上手くやれよ?」



「うん!」



弟子のメンタルケアも出来てしまうとは……流石師匠といったところだろう。



威勢よくそう返事したビリーは両手を後ろに…少しだけ前傾姿勢を作って腰を落とした。




ようやく戦闘態勢を取ったビリーを遠くから睨むように見つめる男子生徒の顔に……僅かに笑みが宿った。


ビリーが拓也と言葉を交わしている間も、空気を読んで待ってくれていた彼の性格から察するに…ようやく戦う意欲を見せて闘志を燃やす対戦相手を目の当たりにして、やっと対等に戦えるといったようなことを考えているのだろう。


真剣勝負なら、手を抜くのは相手に対して失礼。男子生徒は、何やら行動を起こそうとしているビリーをじっと見据えて腰を落とし、迎撃する体勢を取った。


彼のその体勢が何を意味するのか……それはビリーも分かっている。


このままフェイントも掛けずに真っ直ぐ突っ込み、もしスピードが足りなかったら……攻撃をかわされ、さらにはカウンターの餌食になるかもしれないのだ。



「……行くよッ!!」



ビリーがそう宣言したその刹那、噴射というより爆発のようなバックファイアーがビリーのグローブから発生し、闘技場の高い壁に衝突。


壁の表面を僅かに溶かしながら、それでも勢いが収まらない炎は壁を這うようにして上って行った。



「アッツイ!」



拓也が覗き込むようにフィールドの方へ視線を落としていた両脇の二人の肩を押さなければ、きっと今頃彼女らはこんがりいい具合に焼けていたことだろう。


そしてこの炎によって爆発的な推進力を得たビリーは、弾丸の如き速度で男子生徒へと飛来する。



それこそ……



「ッ!!!?」



反応すら許さず、そのまま右の拳を彼の顔面に叩き込むことができる程のスピードで。




爆発が起こったかと思えば……次の瞬間には顔面を襲う衝撃と痛み。


自分の身に何が起こったかわからないままグルグルと回る景色をボーっと眺めながら、男子生徒は後方へ弾き飛ばされ、自身の体に蓄積されていた膨大な運動エネルギーごと強固な壁に叩き付けられた。




人体が衝突したとはとても思えないほどの衝撃音が闘技場に響き渡った。



決して男子生徒は油断などしていたわけではない。むしろ、迎え撃つ姿勢を完璧にとっていたはず。


それなのに……ビリーの動きを目で追うことができなかったのだ。



ビリーの顔に浮かぶ真剣ながらも嬉しそうなその表情。きっと彼自身も、真正面からでも倒せるのではないかと思っていたのだろう。


そして相手もまさか真正面から来るとは思っていなかった。



お互いに巡らせ合った思考が複雑に絡み……結果的に相手の虚をつく形になったビリーの一撃が決まったのだ。



「……」



徐々に晴れていく砂煙。拓也を始めとした観客たちの目に映ったのは、壁にめり込むようにしてすっかり動かなくなってしまった男子生徒の姿。


先程ビリーを悪く言っていた生徒たちも……さらには、審判でさえも……一瞬目の前で起こった出来事が信じられないとでも言うように目を見開き、瞬く間に無力化された男子生徒を見つめるが、彼が再び動き出すことはなかった。



「しょ、勝者、ビリー=ラミルス!」



若干上擦っている審判の勝利宣言から一間隔開けて……観客席がザワザワと騒がしくなり始める。



「ビリー君やっるぅ~!!


どーだ見たかー!!」



何故か立ち上がって ない胸を張るジェシカ。


そして彼女はなぜ自分の事ではないのに、こうして自分の事のように

胸を張れるのだろうか……それは彼女しかわからないところである。


しかし……セリーの笑顔の中にも、心なしかジェシカに似たようなものが含まれていたのは、彼女の顔を覗き見た拓也しか分からない。



「当然の結果ですね」



「お、ミシェルお疲れ」



そこへ現れたのは、先に戦闘を終えて代表入りを決めていたミシェル。


空いていた拓也の隣に腰かけた彼女は、フィールドのビリーへ視線を注ぎながら、一言。



「ビリーさん、やっぱり強いですね…」



「じゃあミシェルが戦ったらどっちが勝つと思う?」



「………意地悪な質問ですよ、それ」



「アハハ~ワザとだしね~」



ミシェルが少しだけむくれたのは言うまでもない。





「にしても……確かにビリーは強くなったよな~」



退場していく彼の背を眺めながら、感慨深そうにそう呟く拓也。


いつもは自らの弟子を誉めることは滅多にない彼がそんなことを口にしたからか、意外そうな表情のミシェルが隣の彼に語りかける。



「それをビリーさんに直接言ってあげたら喜ぶんじゃないですか?」



「ダメだね、それで慢心しやがったらどうすんだ。中途半端な実力で慢心するのは恐ろしいぞ。by天界時代の俺」



笑いながら言っている彼だが、返答の内容自体はふざけていない。


何となくだが、何か確信するようにそんなことを感じ取ったミシェルだった。



・・・・・



その後、メルとアシュバルも順調に勝ち残り、代表入りを掴み取った。


代表となったメンバーは、アシュバル、ビリー、アルス、メル、ミシェルの5人。


ボンヤリと夕焼け色の空を眺める拓也は、この面子だと組み合わせはどうなるのだろうかなどと勝手に考えながら帰路を行く。


視線を少し落とせば…少し鬱陶しがっているミシェルに絡み付いてじゃれるジェシカの姿。


内心で彼女が羨ましいと思ったのは言うまでもないだろう。



「たっくんたっくん!ミシェルの今日のブラ滅茶苦茶セクシーだよ!!」



「なんだとけしからん!!俺がチェックしてやる!!」



「気持ち悪いですそれ以上近づかないでください」



「ふっ……俺のハートがガラス細工の如く脆いと知っての発言か……?」



「はい、それ以上近づいたら撃ちます……」



拒絶。



涙を流しながら天を仰ぎ、黄昏る拓也だった。



「ねぇ拓也く」



「うるせぇ、代表入りしたからって調子乗ってんじゃねぇだろうな!!?まだお前なんかより天界のミジンコの方が強いんだからなバーカ!!!」



「そ、そんなことないよ…」



「え、イヤ、ホントに天界のミジンコの方がお前より強いけど……」



「いやそっちじゃなくて調子に乗ってないってことね」





とりあえず天界という場所がとんでもない魔境だと発覚したことはさておき。


何やらカバンの中を漁る拓也は、しばらく何かを探した後に1枚の紙を取り出してそれをビリーに見せる。



「今年からは魔闘大会の仕組みが微妙に変わる。


前回までは3チームの総当たり戦。勝てば3点、、負ければ1点。これで決まらなければ同点のチームの大将がバトルロワイヤルすることになってた。


だけど今回からは……抽選で1チームだけがシード枠に選ばれる」



「シード……1回戦免除ってこと?」



「そういうことになるな。そして運の良いことにシード枠を勝ち取ったのは3年」



「や、やった!じゃあ戦うのは1回だけでいいんだね?」



「戦意を喪失してるみたいなので今日の基礎トレは2倍な」



迂闊だった発言を後悔するビリーであった。



・・・・・



「うわああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!


まあああああああああああつううううううううううううううううううりいいいいいいいいいいいいいいいいだああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!」



「うるさいです、迷惑なので静かにしてください」



そして……学園祭当日。


いつものように、拓也の顔面に遠心力を利用したカバンを叩き込んだミシェルは今日も今日とてやかましい彼に呆れたように溜息を吐く。


石畳の上を数回バウンドした後にようやく運動を停止した拓也は、首がもげそうな衝撃に驚いていた。



「ミシェルちゃん今日は随分と重い一撃ですよ……」



「あ、すみませんうっかり身体強化を……」



「……そんなドジっ子はいらない……」



やはり流石の彼女と言えども、魔闘大会が近づいてきていて緊張はしているのだろう。


しかし拓也の跳ね方からして明らかにうっかりなんてレベルではないのだが……そこにツッコんだら多分負けである。



とりあえず彼女の緊張をほぐしてあげようと心優しい拓也はとりあえずミシェルのスカートを捲っておく。


その刹那……某パン職人助手の如く正確無比なコントロールで投擲された巨大な岩が、彼の頭部をもぎ取らんとしたのは言うまでもないだろう。





「まぁ3年が出場するのは3日目だし……ミシェルは十分強いからそんな緊張する必要なはいと思うぞ」



顔面がぼっこぼこに腫れあがっていなければ結構まともなことを言っていると頷けるのだが……。


しかしそこにツッコむとまためんどくさいことになると確信したミシェルはとりあえずそこはスルーして、彼の話題に乗っかる。



「でも拓也さん言ってたじゃないですか。1年に凄いのがいるって」



「あぁ、そうだな」



「…そうだな…って…」



相変わらずのニヤケ面で適当そうに呟いた拓也に、なんだか不満そうなミシェル。


チラチラと横目でそんな彼女のむくれた様子を観察する拓也は、彼女がへそを曲げてしまうギリギリ前までその表情を堪能すると、脳内フォルダのフィルムに焼きつけながら口を開く。



「ミシェルが絶対に勝つって信じてるってことだよ」



「……バカですか」



そんな言葉を呟くミシェル。しかしその顔に浮かぶのは、決して不機嫌なモノではない。


拓也は隣を行く彼女が少し自分の方へ寄ってきたことを袖が擦れる感触で感じ取ると、何も発言することはせずにただ穏やかな笑みを浮かべるのだった。



しばらく心地よい無言の空間が続く。


流れる人、心地よい風と日差し。それらをぼーっと眺めていると、なんだか平和というモノを噛みしめることができた。


だが、その表情は次の瞬間、僅かに曇る。



それを悟らせまいと拓也は沈黙を破ってミシェルに問いかけた。



「ミシェル何か気になってる出店とかある?学園祭で色々出てるけど」



「…いいえ、特にないですね」



「んじゃあとりあえず二人で片っ端から回るか~。ミシェルは3日目まで暇だろ?」



「……………クラスの喫茶店の手伝いはありますけどね」



二人で。含まれていたそんな言葉に思わず頬を染めそうになったミシェルだったが、努めて冷静に自分を演じてそう返す。



「まぁミシェルと俺は全部シフト被ってるから予定調整する必要なんてないんですけどね!!」



「無駄に用意周到ですね……」



明らかに何らかの圧力が働いている……そう確信するミシェルだった。




一度ホールに集められた生徒たち。そこで学園長の学園祭開催の短い挨拶があった後、生徒たちはそれぞれ成すことを成すために各自行動を始めた。


あるものはクラス展示、あるものは出店、またある者はそれらを巡る客。



1人1人に、良くも悪くもストーリーができる。それが学園祭である。




「うぅ~…」



すると早速、悲しい物語が3年Sの教室で生まれそうになっていた。


部屋の隅の椅子に腰かけて机に伏せて呻いているのは、少しだけ癖のある赤髪をショートカットにした少女、ジェシカ。


態度、声のトーンなど、太陽の権化のような彼女にしては珍しく、異様にテンションが低い。


周り者も彼女のその様子には気が付いているようだが……やはりその普段との変わりようがあまりにも激しいためか、誰も声を掛けることすらしない。


ただ一人を除いては……。



「ジェシカさん、どうしたんだい?」



「あ、アルスぅ~!」



今日も今日とてスマイル100パーセント。アルス君である。



声を掛けられ、その人物がアルスだと確認したジェシカは、彼の名前を呼びながら目尻に涙を浮かべると、いじけたような拗ねたような様子で、口をへの字にギュッと瞑る。



「君がそんな風になるなんて珍しいね」



「だってさー……」



机に頬をピッタリとくっ付けて、アルスに目を合わせることなく机のつツンツンと突き、言葉をそう詰まらせたジェシカ。


アルスはそれに対して何も追及することはせずに、視界の端に偶然見つけた椅子を引いてきて彼女の正面に腰かけると、優しく微笑みながら口を開いた。



「僕でよかったら相談に乗るよ?」



「……」



しばらくの間無言のジェシカだったが、やがて顔を起こして微笑んでいるアルスをじっと見つめると……ふっと目を伏せて閉ざしていた口を開く。



「ミシェルはたっくんと一緒だし…メルちゃんとセリーちゃんは当番で離れられないし……ビリー君はたっくんに修行を言い渡されたみたいだし……」



「あぁ、なるほどね。理解したよ。


一緒に回る人がいないってことだね」



アルスにしては無遠慮な言葉だな…そんなことを思ったジェシカは、無言で首を一つ縦に振った。




アルスはそんなジェシカを見てまた面白そうに笑みを深めると、右の手をつまらなさそうにしている彼女に差し出した。



「じゃあ僕と回ろうよ、ちょうど暇してたんだ」



「…えっ!アルスも暇なの!!?去年とかは実行委員とかやってたのに!!」



自分も暇である。アルスのそんな言葉を聞いたジェシカの瞳は一瞬の間隔を開けてから爛々と輝き始める。


その姿はまるで無邪気な子供。



アルスはそんな彼女の様子がおかしかったのか、口から少し笑いを漏らす。



「結構めんどくさかったから今年はパスしたんだ」



「やった~!じゃあ早速行こ行こ!なんか一年生のあるクラスでパフェの専門店やってるんだって!!」



「あ、ちょっとジェシカさん……ハハハ」



ぐいぐいと腕を引っ張られ教室から引きずり出されたアルスは、全力で自分の腕を掴んで前を駆けて行くジェシカの背中を微笑ましというような表情で眺めながら笑い声を漏らす。



「でも…このできた暇のおかげでジェシカさんと遊ぶ時間ができたんだ。結果オーライってヤツかな?」



「んも~アルス君ったらお上手~!!惚れちゃうよ~?」



「ハハハ、それは更に好都合だね」



「キャーアルス大好き~!!!」



ジェシカも遊び相手が見つかってうれしいのだろう。廊下を飛び跳ねながら駆け回る彼女のテンションの高さがそれを物語っている。


しかし、学園関係者以外でも客として来場することはできるこの学園祭。

言わずもがな中々の込み合い具合。


二人が疾走する廊下もそこそこ人が見て取れた。


するとアルスは周りに配慮したのか、馬車を引く馬の如く全力で走るジェシカの腕を軽く引っ張って彼女に語りかけた。



「まぁとりあえず落ち着いてゆっくり歩こうか。パフェは逃げないからさ」



「あ、そうだね……じゃあ近いから先にもう一つ気になってるとこ行ってもいい!?」



「うん、全然構わないよ」



彼女をうまくコントロールできる数少ない人物。


その中にアルスがノミネートされても誰も文句は言わないだろう。



「なんか2年のクラスでバルーンアート展示してるみたいなんだよね!」



「それが気になるんだね。よし、行こうか」



ジェシカがアルスの手を引っ張るような形になっているせいで、はたから見れば手をつないでいるように見えているこの二人。


周りの生徒たちの嬉々とした視線が二人へ向いているが…当の本人たちは全く気にしていない様子で自分たちの目的地へと歩を進めている。



・・・・・



一方ミシェルと拓也。


出店もなく、ステージもない。そんな人通りの少ない静かな場所のベンチに腰かけた二人は、特に何も喋ることなく沈黙が続いている。



「……」



拓也に対して左側に腰かけて小説を開いて活字と辿るミシェルは、隣の拓也に若干もたれかかるような感じでページを捲る。


隣の拓也は、出店で買って来た紅茶を片手にボーっと空を見上げる。



若干肌寒く感じられるようになってきた今日この頃、二人は寄り添い合い、互いの温もりを感じながら二人だけの時間を堪能していた。


ここが日陰というせいもあってか……吹き抜ける風で体が冷える。


ミシェルは肩を竦めて目を細めた。



「寒い?」



「……少しだけ」



今日は少し冷えますと続けたミシェルは、鼻をすすりながらもう1枚ページを捲る。


声を掛けたのに一瞥すらくれなかったミシェルに苦笑いを浮かべた拓也だったが、別段不機嫌になる様子も見せず、余程本の世界に入り込んでいるのだろうとい自分の中で適当にそう完結させると……



「飲む?熱々じゃないけど……あぁ大丈夫、変な薬とか入ってないから」



「……はぁ……そういうの無かったら素直にお礼だけ言って断るのに……」



「断るんかい!」



「いただきます」



拓也から差し出された紙コップを両手で受け取ったミシェルは、若干ぬるくなった紅茶を啜って、ふぅ…と感嘆の息を空を仰ぎながら吐くのだった。





「……拓也さんが淹れてくれた方がおいしいです」



「そりゃそうだ」



冗談交じりにそんなことを呟いたミシェルに、拓也はケタケタ楽しそうに笑いながら返された紙コップを受け取った。


彼女がそういうのはただの冗談という部分もあるだろうが、一応正解でもある。何故なら……ミシェルが管理している茶葉以外はすべて拓也の自家栽培。そして全ての工程を拓也が自分で行っているのだ。


それが美味しくないわけがない。



だが…紅茶がぬるかったせいか、それとも別の理由があったのか……ミシェルはまた鼻を啜った。



すると拓也はやはりそれを見逃さない。



隣の彼女の体が震えていることも加えて感知した彼は、しばらく顔からいつもの鬱陶しい笑みを消して…至って真面目な表情で何かを思考したかと思うと……



「もうちょっと寄ったらどうよ?」



左腕を彼女の肩に回して、彼女の体を自分の方へ引き寄せた。


いきなりのことでぽかんとするミシェル。小説の存在すら忘れて、呆然とした表情でさっきより幾分か近くなった拓也の顔を見上げる……が、先程の表情はどこへやら。


拓也の顔に浮かんでいるのは、いつも通りの呑気なニヤケ面。



「俺って体温調節も自由自在だし。暖かいだろ?」



「え……あ…はい。とても」



「それは良かった……」



何が面白いのかへらへら笑った拓也。


空を仰ぎ見るように顔を上げる拓也の表情は、座高の関係からミシェルには一片程度しか伺えない。


だから…微妙に上気した拓也の表情をミシェルが目にすることはないのだろう。



先程とは違ってピッタリと密着するようになった体と体。接する面積が広ければ広い程……温もりをより一層共有できるようになる。


確かに暖かい。確かに暖かいのだが……。



「……っ///」



なんだか熱くさえ感じてしまうミシェルは、自分の荒ぶる鼓動が彼に聞こえませんようにと内心祈りながら……そっと彼の肩に頭を預けるようにして少しだけ甘えて見せるのだった。






・・・・・



「んふふ~!おいしぃ~!!」



結局バルーンアートなんてすぐに見飽きてしまったジェシカは、アルスと共に最初に話していた1年生のとあるクラスに足を運び、パフェを頬張っていた。


アイス、生クリームがバランスよく盛り付けられ、その上を様々なフルーツと、鮮やかな色のソースがふんだんに使われた一品。



「学園祭の出店だからってちょっとナメてたね~!!」



夢中で目の前のパフェを解体して口に運ぶジェシカの視界には、きっとその向こう側で微笑んでいるアルスの顔は映り込んでいないのだろう。


微笑む彼が見つめているのは、おいしそうにパフェを食べるジェシカの姿。



「本当においしそうに食べるね」



「だっておいしいんだも~ん!」



「ジェシカさんのそういうとこ素敵だと思うよ」



「やだ~口説いてるの~!!?」



さらりとそんなことをいえてしまう辺り、やはりアルスはフツメンの拓也とは違って、容姿も行動もイケメンである。


しかしそんな一見口説いているようなことを言われても、ジェシカもやはり通常運転。ワザと照れたような仕草を大げさにとって、気まずい空気を生ますどころか笑いに変えてしまった。


ひとしきり笑った二人。するとアルスが机に頬杖を付いてスプーンをひと先ず置いたかと思うと……少しだけ目を見開いて彼女に尋ねた。



「だったらどうする?」



「…え~どうしよっかな~!!」



ほんの一瞬だけスプーンを加えながらフリーズしたジェシカだったが、すぐに復帰し、その顔にいつもの太陽のような笑顔を再燃させると、ワザとアルスを煽るようにそう返答する。


対するアルスも同じように僅かな間沈黙していたが、やがて頬杖を止めてスプーンを持ち直してパフェを一口。



「…ハハ、冗談だよ」



「パフェおかわり!!」



「速いね…」



突然二人で回ることになってしまったが、楽しそうな二人であった。


・・・・・


その頃……。



「80……81……82……」



拓也たちがいた場所よりも人気のない後者の裏で、明らかに学園側のモノではない巻き藁の上で片手逆立ちをして腕立てをする人物が一人。


この肌寒い中でも流れる汗は、ポタポタと地面や巻き藁を濡らしている。


やがて100まで数え終わったところで……彼、ビリーは何者かの気配を感じ取り、巻き藁から手を放して飛び降りると、3倍だァァ!!Tシャツの胸元を手繰り寄せて汗を拭いながら、ちょうど校舎の影になっている彼からすると死角の方へ視線を向けて、そちらへ声をかけた。



「セリーさん?」



「わ、わぁ!凄いね、私隠れてたのに!!」



普段…拓也というキチガイが、一体どこから奇襲をかけてくるか分からないという恐怖に常に晒されているビリーが、そんな感知能力を得るのは最早必然と言っても過言ではないだろう。


ビリーに駆け寄ったセリーは、手に提げたバッグの中から白いタオルを取り出して、彼に差し出す。



「すごい汗だね。これ使って」



「え、でも………」



「気にしないで。持ってきたタオルも全部汗でベチャベチャになっちゃってるんでしょ?そのままじゃ風邪ひいちゃうよ」



「……ありがとう。洗って返すね」



彼女にそうズバリと言い当てられたビリーは面食らったような表情を浮かべ、何故バレたと言わんばかりに目を少し見開いたが……ハッと思い出して、斜め後方のベンチに視線を向けた。


その上に散乱しているのは持参した使用済みのタオルたち。そのすべてが例外なく水気を吸い取り過ぎて飽和状態。


セリーがアレを見て親切でそう言ったのだと察した彼は、彼女の厚意に素直に礼を言って大人しくタオルを受け取ると、それを広げてから頭に掛け、髪のように垂れる端で頬を拭った。


ふわりと香る、彼女の家の柔軟剤の匂い。



「………」



僅かでも興奮してしまった自分を嫌悪するビリーだった。



彼のそんな心境は露知らず……もう一方の手に提げていたバスケットを彼に差し出して微笑みながら口を開く。



「お昼も作ってきたの!拓也君におにぎりって軽食の作り方教えてもらったんだぁ~。一緒に食べよ」



先に小走りで二つあるベンチのうちのタオルが散乱していない方に腰かけたセリーは、ちょいちょいと手を振ってビリーにもこちらへ来るように促した。


女神。形容するならばこの言葉が適切だろうと内心で呟いたビリーは、彼女のそんな優しさに、目尻に涙を浮かべながら小走りで彼女の下へ向かう。



「はい、おいしいく作れたか分からないけど」



差し出されたラップに包まれたおにぎり。


彼女の小さい手で握ったからか、大切そうに両手受け取ったビリーの手の上のそれは何だか小さく見えてしまう。



とりあえず包装を半分程度剥がして、一口。



米の塊が口の中でホロホロと解け、少し遅れて舌の上で踊る塩味の利いた焼き鮭。


気が付いたら飲み込んでしまっていたほどに……美味であった。



「おいしい…」



そんな率直な感想がポロリと口から自然に零れる。


セリーは…よかった。とだけ返し、目の前で懸命に咀嚼するビリーを微笑みながら眺めていた。



ビリーは考える。拓也の家で同じものが出てきたこともあるが…どうしてだろうか。その時に出てきたおにぎりよりも……彼女が作ってきてくれたこのおにぎりの方が数段美味しく感じるのは何故だろうか?…と。


トレーニングの直後だからだろうか…?いや、それは前も一緒だ。そんな原因究明のための思考してみるが…昼時も近かったため、お腹が空いていたということもあり、もっと食べたいという食欲がそれらを覆い尽くして思考は半ばで中断されてしまうのだった。



気が付けば、手の中からコメの塊は消え失せ、残ったのはラップだけ。



「す、すごいお腹空いてたんだね…!」



嬉しそうではあるが若干その食べっぷりの良さに驚いたような表所のセリーは、思い出したようにバスケットを開けると、中から水筒を取り出した後に…少しだけバスケットを傾けて中身をビリーに見えるようにして、胸を張ってビリーに語る。



「まだたくさんあるからいくらでも食べてね!」



「う、うん…ありがとう」



ビリーの視界に飛び込んできたのは、所狭しと並べられたおにぎりたち。


思わず苦笑いのビリーだった。


きっと拓也がこのバスケットの中の光景を見たならば、始皇帝陵兵馬俑乙とでもこの世界の人間には分かるはずもないツッコミをするに違いない。


・・・・・



一方その頃。


賑わう下界を一望できるこの場所には、いつもの如く人気がない。



ただ……よくよく目を凝らして屋上をくまなく探していれば、きっと数分後には一人の金髪の女の子を発見することができるだろう。



「どうして……誰も私の存在に気が付きませんの……」



落下防止の鉄製の柵にもたれ掛かりながら肩を落としたのは、この国の王女。メル。


発言から察するに、今日も今日とて絶賛ステルス中のようだ。



「ハァ……」



出店で何か買おうとしても存在を認識されず……。喫茶店をやっているクラスに入って席についていても水すら出てこない。


深い悲しみを背負った彼女は、俗世と関わるのを止めてここへやって来たと言っても過言ではないだろう。



結局いつもと同じ。集団で行動していないと、存在すら認識されない。


自分でも何となく影が薄いことは分かっていた。だがやはり……ここまで現実を突きつけられると辛いのだ。



確かに自分から声を掛ければ何かが変わるかもしれない。しかし……それでは何故か負けた気がして……。



そんな時だった。突如として彼女の目の前の空間がパックリと裂ける。



「おっすおっす、学園祭楽しんでる?」



中から現れたのは……一応形的には彼女たち王家に仕えている帝の一人。剣帝拓也。


やっと周りから人がこちらへ歩み寄ってきた。そんな嬉しさが込み上げたが……メルはわざと不機嫌そうに表情を歪めていつものように少々強い口調で言葉を発した。



「何の用ですの?」



「用が無ければ来てはいかんのかね?」



「……まぁ、別に構いませんわ…」



プライドにも似たそれが、素直に感情を表に出すことを妨げる。


自分で分かっていながらも、彼に接するときは昔からこうだったため今更修正するのも恥ずかしいのだ。



あからさまに不機嫌そうなメルを目の前に、一体何がおかしいのかひとしきり笑った拓也は体をゲートの中から完全に出すと、開いたままのゲートの中に手を突っ込んでとあるモノを取り出した。



「ほれ、ポップコーン買って来たけど食べる?」



それは先程出店に並んでいたが、結局買えなかった商品。


一瞬目を輝かせたメルだったが、慌てて平然を装った。



「なんで…」



「お前が悲しみを背負った瞬間を偶然目にしたからさ」



「見てたんですの!?」



「しっかりと。空間魔法って超便利だよね」



親指と人差し指で輪っかを作った拓也。


その輪の中をじっと見つめるメルは、その輪の中だけが異空間につながっていることに気が付いた。


見たこともないそんな魔法に絶句……とまではいかないにしても少々驚く彼女。


ちなみに驚きが半減以上に消し飛んだ理由としては、彼が色々と規格外すぎるという点が大きいだろう。



「それで?なんでお前はボッチ決め込んでるんよ?」



「う、うるさいですわ!あなたには関係ないことです!!」



「関係ないことないだろ、友人だし」



「うっ……」



流れで思わず噛みつきそうになったメルだったが、彼のその言葉を聞いて危ないところで踏み止まった。


そして…彼から目を逸らして、手渡されたポップコーンの紙袋の中から一粒摘まんで口に運び、今にも消え入りそうな声で呟いた。



「当番の時間終わったら知ってる人が周りに誰もいなくて……」



「あぁ、ジェシカはアルスと。ビリーはセリーと。そして俺はミシェルと一緒に居たからな」



「それで一人で楽しもうとしたんですけれど……誰にも気づいてもらえなくて……」



「ブフォっ!!」



「な、何がおかしいんですのッ!!?」



「いやお前の影の薄さが面白いんだよ。極まってきたな、流石容易に帝の背後を取れるだけのステルスの能力……お前もう戦闘機に生まれ変わった方がいいんじゃね?」



キレイに足払いからの顔面に踵落としが決まりました☆






「あなたはいいんですの?


ミシェルさんを放っておいて…」



「案ずるな。肩に手を回したついでにおっぱい触ろうとしたらいいパンチを3発ももらったから」



チキンなのか大胆なのか全くわからない拓也は、とりあえず強打を受けた顔面を摩りながら起き上がり何故かドヤ顔でグッドサイン。



「まぁというわけで今はミシェルをクールダウン中で暇なんだ。というか逃げてきたから見つかったら大変なことになる」



「…はぁ……あなたって人は……」



「それに多分もうそろそろ……」



拓也が意味ありげにそんなことを呟いたその次の瞬間、屋上と構内をつなぐドアが蹴破られるように勢いよく開いた。



「やっほー!お、やっぱメルちゃんここにいたよ!!あそぼーぜ!!」



「あまり走ると危ないよ」



現れたのは、太陽の権化として学園中に名を馳せているジェシカが颯爽と登場。


続いて数少ない彼女ストッパーとして機能できるアルスも登場。



流石に普段からメルと接しているだけあって、二人は比較的早く……数秒という好タイムでメルを見つけ出す。



「とりあえずメルちゃんにもあのパフェ食べてほしいからもう一回行くよ~!!!」



そして…メルの腕に絡み付いたジェシカは、まるで巣穴に獲物を引きずり込もうとするウツボのようにメルを強く引っ張り…あっという間に屋上を後にしてしまうのであった。


形容するならば……突如として訪れ、去って行ったハリケーン。



これには残された男子2人組も苦笑いである。



「とりあえず僕はジェシカさんたちと一緒に居るよ」



「あぁ、頼んだ。くれぐれも問題を起こさないようにしっかり見張っていてくれ……」



「心得てるよ」



緊張した面持ちで喉を鳴らし、そう頼んだ拓也にアルスは頷いてそう静かに返すと、先に行った彼女たちの後を追って屋上を後にした。






「さって…じゃあ俺は~戻りますかね」



3人の背中を見送った拓也は、ふう…と小さく一息吐くと、空間魔法を発動させて屋上から消える。


彼が向かった先は……先程のベンチ。



「あ、拓也さん。もう用事はいいんですか?」



「うん、大丈夫」



小説のページを捲りながら目の前に現れた拓也に声をかけたミシェル。


先程の彼の言葉ではミシェルはブチギレているはずなのだが……彼女は怒ってなどいなかった。


それどころか…その顔には微笑が浮かんでいる。


彼女の隣に腰かけ直した拓也は、またボンヤリと空を見上げて体を彼女に密着させる。



「ミシェルいい匂いする」



「うわ……なんですかいきなり」



開く二人の距離。20センチ。



「仕方ないじゃん。脚フェチ、脇フェチetc…に加えて、匂いフェチも併発してるんだから」



「……」



更に開く二人の距離。40センチ。



「というわけでもうちょっと匂い嗅がせてくれない?」



「は、はぁ?イヤですけど…」



またまた開いていく二人の距離。60センチ。



「いいじゃん、うなじとか一番匂いするんだし」



「き、気持ち悪いです!!」



ミシェルは跳ねるようにベンチから飛び上がり、逃げ出した!



当然追いかける拓也。そして当然の如く彼女を捕獲する。傍から見たら確実に不審者だ。



「は、離してくださいッ!!」



「ミシェル……匂い嗅がれるの…嫌?」



「あ、当たり前でしょう!!


そんな風に言っても嫌ですから!!」



「どうして…?僕たち恋人同士でしょ?」



「そ、そうですけど……それとこれとは話が別です!!」



必死に抵抗するミシェルと、懇願する拓也。


拓也がこのような少々乱暴な手段に出るのは珍しく、ミシェルはいつになく取り乱していた。


そして彼女のその慌てた表情が、拓也のニヤケを増加させてより不審者レベルを増幅させる。



これ以上は…色々と厳しい。


真っ赤になったミシェルはギュッと目を瞑りながら背後のまとわりつく彼をどう引き?がそうかとあれこれ考える。


しかし結局名案が思いつく前に羞恥の感情が限界に達した。



「は、離しッてッ!!!」



「ふぐっ!!?」



膝を曲げ、思い切り伸ばす。


それだけの簡単な動作で得られた運動エネルギーは……その身長差と体勢のせいも相まって、拓也の顎にクリーンヒット。


一瞬ぐらりと視界が揺れ、その次の瞬間に彼は片膝を地面についていた。



偶然にも頭突きがヒットし、拘束を解除されたミシェルは数歩全力で逃げ去るようにダッシュしていたが、数メートル進んだ辺りの場所で、まだ警戒を表情に残しながらも拓也の方を振り向く。



「い、いいじゃん……少し…くらい……」



瞳に飛び込んできたのは……片膝を付いて、いじけた表情を浮かべる拓也の姿。


目には心なしか雫が浮かんでいるようにも見える。



ミシェルの心に、小さな棘が刺さった。


彼は色々と我慢してくれている。自分もゆっくりでも歩み寄ると決めた。


それなのに……匂いを嗅がれるくらいのことでどうしてここまで拒絶するのだろうか。



いや、それに対しての答えは、羞恥心という点ですぐに説明ができた。


しかしそんなことを言っていたらいつまで経っても進展がない……それが事実。



そして彼女がしばらく迷って出した答えは……。



「も、もうすぐ私たちの当番の時間ですよ!!先に行ってますから!!」



とりあえず”今”は逃げるという決断だった。



・・・・・



学園祭一日目の晩。



ヴァロア家。拓也はリビングのソファーで悲しみに打ちひしがれていた。


あの後……なんだか少し自分を避けるように動いていたミシェル。


もしかしたら嫌われたのではないか……そんなことを考えるだけで、今にも暗黒面に墜ちそうになる。



「はぁぁぁぁ~~」



ミシェルが風呂に入っているからか、結構大きめに溜息を吐く拓也であった。



するとそんなタイミングで脱衣所のドアが開く音が聞こえた。


慌てて平然を顔に宿す拓也は、視線が彼女へ向いてしまわないようにテーブルの下から小説を取り出して開くと、羅列されている活字に視線を固定する。


ミシェルの足音は、徐々にリビングへ近づいていた。



「お風呂、お先でした」



「お、おう」



脳天から突き抜けるような冷たい声色。


がちがちに緊張した体から絞り出すように一言そう返した拓也はそれっきり黙り込み、ただただ文章をなぞっていた。


もちろん内容なんて頭に入ってくるわけがない。早くこの気まずい空間が終わることをただ祈り、ひたすらに沈黙を貫き通す。



これほどまでに辛い沈黙は、付き合い始めて以来初めてだった。



「……」



視界の端の端、間接視野でミシェルの動向を探る。


すると……彼女は何故か自分の方へ近づいてくるのがハッキリと分かった。


一時は冷静さを取り戻した表情にも、また焦りと恐怖が浮かび上がる。



一体何をされるのか。刺されるのか、焼かれるのか、はたまた氷漬けにされて外に放り出されるのか。


運命の様々な分岐の先を予想した拓也は、どうしても助かるビジョンが見えてこないことに絶望し……目を瞑るのだった。



「もうちょっと……深く腰掛けてください」



凍り付いた体に掛かる、ミシェルのそんな声。


先程までの冷たい声と比較すると……拓也の中で何となく違和感が生まれた。


何となく今の彼女の声には……恥じらいが含まれていたのだ。



自分の想定していた未来と違うことが起き、少々驚いて顔を上げた拓也の瞳に映ったのは、声から推測した通り、珍しく真っ直ぐこちらを見れずに視線を逸らし、頬を染める彼女の顔。



「はい?」



「だ、だから…もうちょっと深く腰掛けてください」



「は、はい……」



とりあえず彼女に言われた通りに背もたれに腰まで付くようソファーに深く腰掛けた拓也の顔に浮かぶのは、困惑。


するとミシェルは、彼が奥まで腰かけたことでできた彼の股の間のスペースに……腰を下ろした。




さらに……ゆっくりと上半身を倒すと、彼に背中を預けるようにしてもたれ掛かる。



ー……え、ちょ、まっ……ミシェル!!?


おかしい!絶対におかしい!!酒なんて飲んでないはずだろッ!!?……ー



以前、彼女が程々に酔っぱらっていた時に、同じようなことを自分からしてきたことはあった。


彼女はアルコールが入ると、拓也に対しては甘えるというとんでもなく可愛い性質を持っている。



しかし……今日、彼女は一滴たりともアルコールを摂取していない。


ならばどうして……今日は彼女を怒らせこそしなかったものの、自分の発言で不機嫌にさせてしまったはずなのに……。



「ッ!!」



刹那、思考する拓也の鼻腔を……彼女の匂いがくすぐった。


思わず根こそぎ持っていかれそうになる理性。すんでのところで堪えた拓也は、とにかく原因究明を急いだ……が……。



「好きなだけ……嗅げばいいじゃないですか……」



この行動の理由と思わしき部分は、ミシェルの口から直接語られた。



今にも消え入りそうな…そんな小さな声量で。


もしも場所が室内でなく屋外だったとしたら、きっと聞き取れていなかったことだろう。



「は、はい?」



理解はした。理解はできた。



しかし……彼女がこんなことを言い出す意味が一瞬分からず、拓也はそう返す。


その次の瞬間、あぁ自分が嗅がせてなんて言ったからだな。と納得した。



「だ、だから……」



「あ、あぁごめん理解した」



密着している部分から伝わる彼女の体温。


何だか異様に高く感じるのは、お風呂上がりのせいだからだろうか……?


しかしそんなことは拓也にとってどうでもいい。


彼女がこうして…自分のわがままな要求に対して、以前の言葉通り……前向きに向き合ってくれた。


それが何よりも嬉しかったのだ。



「昼は……その……ちょっと恥ずかしくて……汗かいてたかもしれませんし……。


わ、私だって準備がいるんですからね!?」



恥ずかしそうに拓也に背中を預けて喚くようにそう言ったミシェルだったが、拓也はいつものように小ばかにして煽るようなことはせず、ただただ穏やかに微笑んで彼女の腹部に腕を回して……ぎゅーっと強く抱きしめる。



「ミシェルっとホント……あぁ…もうさ~……」



言葉が出ないというのはまさにこういうことを言うのだろう。


彼女のうなじ辺りにゆったりと顔を埋めた拓也は、微笑をその顔に浮かべたまま心地よい感触と香りに全身を委ねる。


拓也に抱きしめられ、高鳴る鼓動…上昇する体温。


今にも融解してしまいそうに高揚しているミシェルは、まるで人形になってしまったかのようにカチカチに固まってしまうのだった。



「ミシェルってホントいい匂いする」



「……気持ち悪いです」



口では彼をそう罵倒するミシェルだが……口調にいつもの冷たさや迫力はなく、むしろそれは拓也の加虐心を煽るような可愛らしい抵抗。


続々と背筋をくすぐるような彼女のそんな発言に、危うくS心に火が付きそうになってしまう拓也であった。



しかし彼はそんな気持ちを理性によって押さえつけ、何とかいつも通りの自分を演じることに成功した。


が……同時に、理性によって押さえつけていても湧き上がる……生物の根本的な欲求が、彼女とこうして日々過ごしていく中でどうしても日に日に大きくなっていくことを、拓也は自覚しているのであった。




・・・・・




学園祭二日目。


天気は晴れ、気温は昨日よりかは暖かくなったかもしれないといったとこだろう。



「今日は何する?」



「そうですね……明日は魔闘大会ですから、クラスの当番が終わったら闘技場で調整でもしてます」



「なるほど~、じゃあ俺も同行するわ」



昨日の夜、あんなにイチャイチャしていても一晩明ければこの通り。



しかし……表情に出さないだけであって、二人ともが内心では結構ドキドキしているのは最早言うまでもない。



学園祭二日目は、魔闘大会がないため闘技場が開放される。


ミシェルはそこを利用しようというのだろう。



しかし……拓也から強者が出てくると聞いたからだろうか、彼女の表情は若干固い。


恐らく緊張してしまっているのだろう。



拓也はそんな彼女の変化を見逃していなかった。



「……なにするんですか?」



彼女の頬に人差し指をピンと立て、少しだけ押し込んでニコリと笑う。


白いフニフニしたほっぺが窪み、ミシェルは少しだけ眉を潜めてそう口を開いた。



「笑って笑って~。そんな緊張しちゃダメ~」



「べ、別に緊張なんて……」



「ダウト!ミシェルのことは結構分かってるつもりだからね~……パンツの隠し場所とか」



「最後なんて言ったんですか?」



「おっと……まぁそんなことはどうでもいいんだ」



「いや良くないんですけど」



尋常ではない眼力で隣から見上げてくるミシェルから必死に目を逸らしながら言い逃れようとする拓也。


彼女の緊張をほぐす為に、ちょっとしたジョーク……ではないが、場が和みそうなことをしたつもりだったのだが……予想以上に彼女のヘイトを稼いでしまったようだ。



「♪~~♪~~~」



とりあえず口笛を吹いて誤魔化そうとしている拓也に、ミシェルは呆れたような諦めたような…その二つの感情が入り交ざったような表情と共に、大きな溜息を零す。



「まぁ……とりあえずその話は後にしましょう」



「ちゅす、感謝っす」



結果……刑の執行が先送りされただけであった。




・・・・・



拓也たちのクラスでは、学園祭の出し物として喫茶店を経営している。


妙に凝った料理に制服。


それらが生徒たちのやる気と費やした時間を物語っていた。




「おい鬼灯全然間に合ってないって!!」



「いやお前らも働けよッ!!俺が何人分作ってると思ってんだッ!!!」




阿修羅のように腕が分裂しているかのように見える程高速で作業している拓也に、パイプ椅子に腰かけながら料理の完成をそう急かすクラスメイト達。


全く手は緩めないまま首だけをそちらへ向けてそう喚いた拓也だったが……生憎彼らは聞く耳を持っていなかった。


数人で楽しく談笑しながら、時折フロア担当から伝票を受け取って拓也に投げ渡すだけ。


料理の鉄人でもこれには憤慨である。



「完成ッ!!いい加減テメェらも作り始めろ!!」



「お、これ上手そうじゃん食っていい?」


「うわー鬼灯君料理上手~」



「それ客のだからぁぁぁ!!!!」



どうしてボケキャラであるはずの自分がツッコミに回っているのだろうか……しかしそんなことを考えている時間があるわけもなく、ただひたすらオーダーをこなし続ける拓也であった。




・・・・・



「もう…だめ………」



「疲れてるんだったら休んでていいですよ?」



「……いや、せめて観客席から見てる……」



社畜の如く働かされたおよそ2時間。現在時刻は11時手前。


ようやく魔の厨房から解放された拓也は、少し前を行くミシェルの後を追っていた。


実働は短かったはずなのに、その仕事の濃度たるや……実に数日分の仕事を一度にこなしたかのようなレベル。


纏った倦怠的なオーラを見れば、彼が疲れていることは一目瞭然だった。


ミシェルはそんな拓也を気遣ってそう発言したが、拓也は首を横に振ってそう返す。


そんな彼のムスッとしたようなダラダラしたような仕草が、なんだか新鮮で、ミシェルは彼に気が疲れないように口元を隠して笑みを浮かべた。



廊下を抜ければ、途端に少なくなる人通り。


しばらくすると、目的地である闘技場が見えてきた。



学園には不釣り合いに大きい建造物。一番上まで見上げれば少し首を痛めそうなほどである。





分岐点で立ち止まって2.3言交わした後に、ミシェルは闘技場内へ、拓也は観客席へ上った。


昨日の大盛況ぶりとは打って変わり、今日は魔闘大会がなく、トレーニングをしている選手や自主トレーニングをしている者しかいない為、観客席にはほとんど人の影がない。


拓也は適当な椅子に腰を下ろすと、入場口の方から闘技場内へ入ってきたミシェルを眼下に収めると、固い背もたれに背中を預けた。



「ん~…疲れた…」



グーッと手を上にあげて伸びをすれば、体から力が抜けて筋肉や筋が伸びる心地よい感覚が全身を駆け、自然と欠伸が口から漏れる。


目尻に浮かぶ涙。思わずそのまま瞼を閉じてしまいそうになるが、危ないところで自制心が働き、一度ワザとキッと目を見開く。


眠気が消えることはなかったが……回復した気力によって何とか覚醒状態を維持することができるのだった。



「お~ミシェル……また魔力練るの速くなってね……おまけに効率もいい……。


夏ごろにはもう自分の所有属性以外も使えるようになってたし、ホント底なしだな……」



光、風、水、土。色とりどりの魔方陣がミシェルを中心に次々と展開され、その範囲を拡大していく。


その一つ一つが全て違う魔法。


彼女の頭脳とセンス。そして何より、積み上げてきた努力が可能にするそんな超人染みた技。



「流石…」



感心したように何度か頷いた拓也は、また一つ欠伸をしては目尻に浮かんだ滴を指で拭った。


こうして魔法の修行をしている光景を見ていると、昔の自分を思い出すのか、彼は胸の前で腕を組んで、ぼんやりとミシェルの方を眺めていた。



死に物狂いで魔力増加と魔力コントロールを習得し、魔法として放つために必要な精霊語を解して、既存の魔法を全て覚え、更にオリジナルの魔法も作成。



「俺がミシェルに教えることもいつかなくなるのかなぁ……」



そんな先の先のことを考えて、なんだか悲しくなる拓也だった。




そんな時だった。


一人そんな感傷に浸る拓也の視界の端に、きょろきょろと辺りを見回して何かを探している様子の人物が映る。


炎のようにオレンジにも似た赤い髪。体格は拓也よりも大柄。


そしてしばらくそんな動作を続けた彼は、ようやく目的のモノを発見したのか、視界の中心にとある人物を見据えながらそちらへ歩を進める。



「アンタが鬼灯拓也って人か!!」



「ん、おぉいきなりだな。そうだけど」



彼が探していた人物は、拓也だった。



片手を高々と掲げながら確認をしてきた何となく豪快さを感じさせる赤髪の彼に思わず委縮してしまった拓也はちょっぴりたじろぎながらそう返す。


赤髪の彼は、やっと見つけた…と言葉を続けると、ニコッと無邪気な笑みを見せ、拓也の隣の席に腰かけた。



「いや~探したぜ~!


クラスに行ってもいなかったから特徴だけ聞いて探してたんだ!」



「ほ~やっぱり初めましてみたいだな。結構迷ってたみたいだけどその特徴とやらは誰に聞いたんだ?」



「ん~っと……3年のSクラスの赤い髪の女に聞いた!


黒髪で常にニヤニヤしてる普通っぽい奴探せって!」



「なるほど、だけど思いのほか俺がイケメンだったから中々見つけられなかったってわけか」



「え、いや全然!


ただ学園中探し回ってて時間かかっただけだぜ!!」



前髪を掻き揚げながら渾身のキメ顔でそう口にした拓也だったが、赤髪の彼の純粋さの前に、僅かに抱いていた幻想は粉々に打ち砕かれるのであった。


深刻なダメージをメンタルに負った拓也だったが……何とか持ち直し、会話を再開。


若干唇が震えているのはこの際目を瞑ってやってほしい。



「それで?


君みたいなムキムキマッチョメンが動物界・脊索動物門・脊椎動物亜門・哺乳網・サル目・直鼻猿亜目・ヒト上科・ヒト科・ヒト亜科・ヒト族・ヒト亜族・ヒト属・普通になんか用か?」



「なんだそれ呪文か!!?」



彼への単なる嫌がらせである。



「呪文、まぁ……半分正解だな」



何が半分正解なのかを問いただしてやりたいが、現在は生憎彼の傍にツッコみ用の人材はいない。


拓也のその発言を嘘だと認識していない赤髪は、適当に遊ばれているとも知らずに羨望の眼差しを拓也に送る。


ツッコミ不在とは実に恐ろしいものだ。



「どんな効力があるんだ!!?」



「ふふふ、それは術者にもわからない。


これは『何が起こるかわからない』という魔法の詠唱なのだ」



「すげぇぇl!!!」



「とまぁそんな嘘は置いといて……何の用なのよ?」



「え、どういうこと?」



「何の用があって俺を探してたんだ?」



驚いたような表情で固まる赤髪。拓也は早く要件を言えと催促するが、どうやら彼の頭の中では現在情報が渋滞を起こしているようである。


しばらく待つこと…十数秒。



彼は手をポンと打ち付けてニカッと笑うと、納得がいったと言うように首を縦に振って口を開く。



「つまり……そんな呪文は存在しないってことか!!」



「一人時間差止めてくれない!?」



従来のボケキャラを凌駕するボケキャラ。それが従来のボケキャラががツッコミキャラへと転職する瞬間である。



思わずツッコんでしまった……、ボケキャラとしてのプライドにダイレクトアタックを喰らって少々堪えた様子の拓也は、額に手を当てて目を瞑り、もう一方の手でそれ以上喋るなと彼を制す。



「あ、あぁ分かった。そうそれは嘘。


それでどうして俺を探してたんだ。それを教え…」



「うわ~あれが三年生の選手か!!!



なんか凄そうな奴らばっか揃ってるって感じだな!!!!」



「人の話を聞けェェェェェェェ!!!!!!」





ペースを乱されて取り乱す拓也をしり目に、身を乗り出して闘技場でトレーニングする数名の選手を眺めながら、純粋無垢な少年のようにルビーのように赤く瞳をキラキラと輝かせる彼は、精神的に参っている拓也に詰め寄ると、ハイテンションのまま彼に問い詰めた。



「なぁなぁ!この中で誰が一番強いんだ!!?」



「…ハァ……。



物理タイプや魔法タイプで種類は分かれるが、総合的に見て最も強いのはあの銀髪の魔法使いだろうな」



疲れ切った表情で、闘技場内のミシェルに視線を向ける拓也。


すると彼も、拓也の視線を追ってミシェルを注視した。



別に拓也は自分の恋人だからと言って、贔屓でミシェルが最も強いと言ったわけではない。


公平な目で見て能力を数値化すると、どうしてもミシェルが頭一つ以上飛び抜けてしまうのだ。



現に今も彼女は、水の壁に炎の魔法をぶち込み、発生させた霧に光属性のレーザを照射して無効化するという攻防を同時に練習中。



別段赤髪の彼を注視していなかった拓也にも、隣の彼の瞳がキラキラと好奇心によって輝いたのが容易に分かった。



「明日がすっげぇ楽しみだなぁ!!あんなスゲェのと戦えるなんて…ワクワクするぜ!!!」



「戦う…?あぁ、魔闘大会の一年生チームの選手だったのか」



「あ、そうだ名乗るのが遅れたな、わりぃ!


俺はマルコ=フォーリバーってんだ!よろしくな!!」



「……」



どこかで聞いたようなファミリーネーム。


どこかで見たことのある赤髪と赤い瞳。


どこかで遭遇したことのあるこの暑苦しさと子供のようなはしゃぎっぷり。



脳内に蓄積した情報を漁ると……答えは案外簡単に見つかった。




ー……あぁ、こいつが炎帝の息子か……ー



「ほぉ、そっかそっか」



血は争えんな、と一人内心でニヤニヤして噴き出すのを必死に堪える。


多分傍から見たらいつもよりニヤケが5割増しになっている気持ち悪いフツメンと言ったとこだろう。



「明日戦うかもってことは昨日は勝てたんだ。おめでとー」



「おう!サンキューな!!まぁ俺は出られなかったけどな!!!」



仮に彼を大将と仮定するならば、最長でも副将までで試合が終わっているということ。


一年先にこの学園で学んでいる、言ってしまえば格上の相手に余力を残して勝利を収めているという辺り……どうやら今年の一年生には優秀な人材が豊富なようである。



ー……そんで結局こいつは俺に何の用事があってやって来たんだ……ー



いきなり自分を探していたと目の前に現れたと思ったら、興味はすぐにミシェルたち三年生の選手の方へ。


若干憔悴している拓也は椅子に腰かけ直す。



「あ、そうだ本題を思い出した!!」



するとそんな様子の拓也を見てマルコの中で一体どんな化学反応が起こったのか……遂に彼は当初の目的を思い出して両の手を打ち付ける。


今更彼がどうして自分を探していたのかは最早どうでもいい拓也だったが、折角なのでとりあえず聞いておくことにした。



「やっとか~。で、その本題って何よ?」



「アンタってめっちゃ強いんだろ?俺と戦ってみてくれよ!!」



「なるほど断る」



「即答かよ!!」



一体彼がどこからそんな情報を手に入れてきたのか。


もしかするとあの炎帝の事だ。正体がバレているということがあるかもしれない。


そうでないとすると彼が自分について得られる情報は、学生としての鬼灯拓也のみ。



「だって一年生の時は大将で出てたんだろ!!?いいじゃんちょっとぐらい!!!」



「ちょっとも先っぽもダメ。めんどくさい」



どうやら後者だったようで、内心ほっとする拓也だった。




若干言葉遣いが気持ち悪いのはこの際黙っていてあげてほしい。


それにしてもあの親あってのこの子なのだろう。マルコと名乗った赤髪の大柄な少年は、最早、炎帝の生き写しである。



おまけに戦ってみたいと親父と同じことを言い出すとは……なんだかおもしろくてニヤニヤしてしまう拓也だった。



「明日魔闘大会だろ?なら体は休めとけって」



「大丈夫!体の回復は早い方だから!!」



彼の体を気遣うようにそう言った拓也。


しかし実のところは、ただ決闘はめんどくさいので、何となく察して遠慮してほしいという意味を込めてその言葉を放ったのだが……。


彼は拓也の言葉の裏に隠された意味に気づくこともないまま心配ないと胸を叩いて見せた。



ー……あれだ、コイツ酒臭くない炎帝だわ……ー



悲しいことに、父親そっくり。


母親の遺伝子はどこへサヨナラバイバイしてしまったのか……彼の母親がどんな人物なのか非常に気になる拓也だったが、別段深くかかわる気にもなれなかったのでそんな感情は心の奥底に、いつか機会があればという思いと共にしまい込んだ。



「分かった正直に言おう。俺が良くない、めんどくさい。


おまけに徹底した平和主義者で天地がひっくり返る程のイケメンフェイスの俺にとっては、いくら試合と言っても争いなんてしたくないんだよ」



「そこを何とか頼むよ~!!!



この通り!!!一生のお願いだから!!!!」



「そんな先っぽだけだからみたいな頼み方されてもめんどくさいからいや」



頭を下げて手を合わせて拓也を拝むように仰ぎ見るマルコだったが、拓也はそんな彼を足蹴りにするように相手にしない。


すると、このままではいくら頼み込んでも彼は自分の願いを呑んではくれないと察したのか……彼は少し方法を変えてみた。



先程までの無邪気な笑顔はどこへ消し去ったのか……一見、アルスのような何を考えているのか分からない、そんな不気味な笑顔をその顔に浮かべて見せると……マルコは拓也に尋ねた。



「もしかして負けるのが怖いとか?」



「クックック…その程度の挑発に乗ってやるほどチャイルドじゃないんだよな~。俺っちアダルトだし」



それでもなおしつこく食いついてどうにか決闘へもっていこうとするマルコを相手に、拓也はヒラヒラと身を翻しながら上手いこと言い逃れ続ける。


しかし……両者あまりの譲らなさに、いたちごっこが続くだけ。




「あぁもうめんどくせぇなぁ!!!」



先に痺れを切らしたのは拓也の方だった。


粘りに粘った末、一筋の希望が見えてきたと瞳を爛々と輝かせるマルコ。



「じゃあ戦ってくれんのか!!」



「あぁ、いいだろう。




ただし条件付きだ」



怪しく微笑んだ拓也は、人差し指をピンと立てる。


急に彼の雰囲気が変化したことに驚愕するマルコだったが……そんな部分は悟らせまいと、取り繕った平然そうな表情を顔に張り付けた。


ゴクリとマルコの喉が鳴る…。



「明日。一年生のチームが三年生に勝てたなら……お前と戦ってやる」



提示された条件は……非常に厳しいものだった。



ミシェルを除いたとしても、三年生のメンバーに組み込まれているのはとりあえず戦闘力ならばSクラスの生徒を凌ぐビリーに、戦闘力はもとより、精神攻撃や少々ダーティーな手段を使ってくるアルス。


アシュバルもメルも別に戦闘力が低いわけではない。



しかし予め入念な下調べをしていなかったのだろう。マルコの顔に浮かんだのは、歓喜と自信だった。



「よっしゃぁぁ頑張るぞぉぉ!!!!」



「……まぁ頑張って~」



はしゃぐ彼に何も語ることなく、椅子から腰を持ち上げた拓也はまだ喜び、はしゃいでいるマルコの脇を通り抜ける際にそんなセリフを残して観客席から外へ出る階段を下りて行った。


そしてそのまましばらく学園の敷地内を歩きながら、思い出したようにポツリと呟く。




「……慢心してる……って感じじゃなかったな」




・・・・・



学園祭当日。魔闘大会…決勝の日。


選手控室に入った先鋒から大将の五名と、なぜか付き添ってやって来た拓也とジェシカ。そこそこ広い部屋の中にはそんな七名が存在していた。


緊張した面持ちのメルとビリー。普段と全く変わった様子を見せないアルス。一人になって集中力を高めるミシェルにアシュバル。



最期の二人に喋りかけるのは無粋というヤツだろう。そう判断した拓也は、初の出場でかなり緊張しているであろうビリーの肩を軽く叩いた。



「た、拓也君!!!」



軽く叩いただけなのに大げさにビクッと震え、引きつった表情で振り返る自分の弟子を見て一抹の不安を覚えた拓也であった。



「観客がいるけど、やることは一昨日と変わんねぇぞ。


お前にできるのは近接攻撃だけなんだから近づいてぶん殴れ。それだけで勝てるようにしてきたんだから」



「う、うん……頑張って……みるよ」



口では平気そうなことを言っている彼だったが、誰がどう見てもその表情から緊張していることは火を見るより明らか。


弟子のそんな絹ごし豆腐並みのメンタルの弱さに若干イライラすらしてきた拓也は……彼の肩に左手を置いてニッコリと微笑むと………。



「痛いッ!!何すんのさ!!!」



彼の頬を鞭のように撓りスナップの効いた右の掌で叩いた。


『スパァァン!!』というM諸君にはたまらないスパンキング音にも似た音が控室に響く。



「何も考えるなとは言わないが、間違ってもカッコよく戦おうなんて考えるな。


どれだけ泥臭くて地べたを這いずり回っても……最後にフィールドに立ってたヤツが勝ちで、勝ったヤツが最高にカッコイイんだ」



謎のドヤ顔。いつものようにふざけているような表情だったが……ビリーはそうは思わない。


少なくともこの言葉だけは彼の本心なのだろう。


そう察するビリーは、少しは緊張がほぐれたようだ。



「そしてお前はイケメンじゃないからカッコなんてつかない。ドゥーユーアンダースタン?」



そして間隙開けずに放たれるジョーク。


その刹那、拓也の顔面が光に?まれた。



「まったく……あなたはいつも一言余計なんですよ」



「人をサンドバッグ君みたいに扱わないで!!」




容赦なく拓也の顔を焼いたのはもちろんミシェル。


毎度のことだがレーザーの出力も拓也の耐久力と再生力もキチガイ染みている。


だがそれも二人の間ではコミュニケーションとして成立しているというのが驚くべき点だ。



「ミシェルはもう準備できたみたいだな」



「はい、最高のコンディションです」



「そんなこと言ってると負けた時の言い訳が無くなるぞ~」



「大丈夫です、勝ちますから」



ー……こっちも慢心じゃないって感じ……ー



昨日のマルコの発言と、今のミシェルの発言を脳内で照らし合わせながらニヤニヤする拓也。


そんな彼の表情を見たミシェルが非常に残念なモノを見るような目をしたのは言うまでもない。



「というわけだビリー、これぐらい言えるようになっとけ。難しく考えずに全員殴り飛ばしてこい」



「うん!」



「お前は一回あんな厳ついのを二人相手に戦って勝利を収めてんだ、固くならなくていい」



部屋に備え付けられたスピーカーから、選手の招集を呼びかける放送が流れる。


各々の思いを胸に闘技場へと向かっていく選手たち。


拓也はそんな彼らの背中を一人づつ叩き、送り出す。アシュバルに睨まれたのは多分気のせいだろう。




・・・・・



『レディィィスェンジェントルメェェン!!!!



お ま た せ 致しましたァァァァ!!!!!!!本日は魔闘大会決勝!!チーム一年生と三年生の頂上決戦!!!!


果たしてどちらに勝利の女神が微笑むのか!!目が離せません!!!!』



「うん、毎年のことだがこの実況うるせぇわ。


何?魔闘大会の実況者には先代の意識が脈々と受け継がれているとでもいうのか?」



「確かに毎年面白いよねぇ~!!」



「………ビリー君大丈夫かな」



観客席に戻った拓也とジェシカは、セリーと共に三人並んで観客席の最前列に座っていた。


少し声を張らなければ、隣の人物の声ですら掻き消されてしまうような熱狂ぶり。


それもこれも、異様な強さを誇る両チームによるものだろう。





「そ れ で は早速始めていきましょう!!


両チームの先鋒はフィールドにお願いします!!!!」



三年生のベンチから歩み出てきたのは……光帝弟、白髪高慢イケメンのアシュバル。


どうやら三年連続で先鋒を務めるのは彼のようである。



『三年生からはアシュバル=ライアロック選手の登場です!!


三年連続出場の実力を見せてもらいたいですね!!



対して一年生からはマリエール=ムシュタ選手が姿を現しました!!


戦闘力には評判のある選手です!!



さてここで改めてルールを確認しておきましょう!!


5-5の勝ち残りで行われるこの魔闘大会では、魔武器の使用は認められますが、使い魔の使用は禁止になっています!!


また事前審査を通していない武具、アイテムの使用も禁止となっています!!


さぁでは第一戦……早速いってみましょう!!!』



フィールドである程度の距離を開けて睨み合う両者。


審判が魔法弾を上空へ向けて放ち……それが炸裂すると同時に、両者が動き出す。



アシュバルの武器はガントレット。対するマリエールの武器は銃剣が取り付けられたフリントロック銃。



身体強化を施し、接近を試みるアシュバルだったが……チャーリーは思い切りバックステップを踏んで、銃口を接近してくる敵に向けた。



「集中して……落ち着いて当てればいい」



これだけの大声援の中、それらに全くプレッシャーを感じていない様子で彼女はそう静かに呟くと、銃の先端に一つ。中央辺りに二つ。合計で三本並んだ鉄の突起を直線状に覗く。



彼女の魔武器の形状からその攻撃手段を察したアシュバルは、彼女のその動きを見て咄嗟に横方向へ回避行動をとる。


しかし彼女は落ち着き払った様子で、高速で移動するアシュバルがその三つの内の中央の一つに重なるように捉え……指をそっと掛けていた引き金を引いた。



「なッ!!」



痛みと驚きで歪むアシュバルの顔。


攻撃は成功。しかしマリエールの表情は崩れていない。



拓也は内心でミシェルみたいだなと呟くのだった。



「遠距離…僕の嫌いな相手だ……」



自信の武器はガントレット。どうしても近接戦に長けた武器。


確かに相性は最悪である。


複雑な心境から……拳を握る彼だったが、金属が擦れるような耳障りな音が鳴るだけだった。


しかし何かがおかしいことにも同時に気が付いていた。



「貫通はしていない…」



自分の痛覚が狂っていなければ、痛みが走ったのは左の太ももの部分。


だがそこに視線を落としてみても、支給されたライトな戦闘服が破けているもののその下の皮膚には打撲と切り傷のようなものがあるだけで、貫通はしていなかった。



「確かめる必要があるな……【フラッシュ】!」



「ッ!!」



十数メートル先の相手をしっかりと視界の中心に捉えたアシュバルが、一瞬だけ左手でその視界を隠すように覆い、発動したのは目くらましの魔法。


流石はSクラスといったところか、その発動速度はマリエールに視界を覆わせる隙を与えなかった。



白に包まれる視界。


小賢しい相手の手段に一瞬その表情に苛立ちを浮かべた彼女の腹部に…次の瞬間、強力な一撃が叩き込まれる。



「ッう!!」



思わず嘔吐してしまいそうな威力。


視界が奪われた時点で被弾することは分かっていた為、全力で身体強化を施していたにもかかわらず……ダメージが体に刻み込まれた。


これ以上貰うわけにはいかない……。



まだ冷静を保っている思考回路と……そして今しがたダメージと共に刻まれた恐怖が弾き出した次の案。


彼女は視覚が奪われる前の自分の立ち位置を思い出し、空いていそうな場所に逃げるように一足飛びでアシュバルと一旦距離を取ることを選んだ。



「……」



視界が塞がれた以上…他の部分で補うしかない。


全身に先程よりも厳重に身体強化を施し、聴覚と第六感だけで敵の接近を悟れるように……。



時間にして十秒未満。微かに回復した視界から得られた情報は、正面から接近してくるアシュバルの姿だった。



「見つけた…ッ!!」



先程の射撃の後に、既に次弾は装填済み。


マリエールは迫ってくる敵に銃口を向けた。



引かれた引き金。


乾いた発砲音と共に銃口から勢いよく飛び出した銃弾は、迫るアシュバルに向かって一直線に飛来する。



「……」



身体強化とは、魔力で体の能力を向上させることを指す。


戦闘を行う上で最も重要な技術の一つだ。



身体機能の向上……それは、体の耐久力の強化であったり、動体視力の向上であったり。


とにかくすべてのステータスを一段階…またはさらに上へと引き上げるのが身体強化。



「視させてもらうぞ」



迫りくる弾丸を見据えたアシュバルは突然地面に突っ張るように足でブレーキをかけ、運動を止めると……自分の胸部に弾丸が着弾するまで、それを目で”追っていた”。


身体強化をしていようともやはり痛い。


苦痛に表情を歪ませたアシュバルだった…が、その表情も束の間。


次の瞬間には、すべてを把握したと言わんばかりの凶悪な笑みが浮かび上がる。



「なるほど、君の魔力属性は土と火。弾丸は土属性の魔法で火薬は火属性というわけか……」



「……その通り」



「どうりで威力が低いと思ったよ。鉄で作った弾丸に比べれば劣るわけだ」



「……それが分かったところでどうなるというの?」



「なに、結構簡単だったってわけだよ」



つらつらと得意げに喋るアシュバルに、クールな声色のマリエールは

銃口を突きつけることで返答とした。


既に次弾は装填済み。引き金を引けば回避も難しい速度で飛び出す弾丸が、着実にダメージを与えて行く。


一撃の威力は低くても、積み重ね、蓄積させれば……相手に膝を付かせることぐらい造作もない。


そんな自信が彼女にはあった。



だが……アシュバルにもまた自信があった。



「数発貰っても僕が倒れる前に、君を殴り倒せばいいだけだ」



一瞬深く腰を落とし、地を蹴って一気に加速。


慌てて迎撃態勢に入ったマリエールは、あっという間に視界の中心で大きくなって行くアシュバルに狙いを定める。


火を噴く銃口。アシュバル自身も前進しているため、若干威力の増した弾丸が着弾した左肩から血が流れた。



しかしそんな負傷はものともせずに突き進むアシュバルはあっという間にマリエールの眼前へ。



「行くぞッ!!」



「ッ!!」



振り上げたガントレットで殴りつけた…が、間一髪のところで銃身を使って防がれる。


だが、ガントレットの方が彼女のフリントロックよりも重い。おまけにアシュバルは助走をつけて、尚且つ体重を乗せた一撃を放った。


おまけに、当然だが彼の方が体重が重い。


つまり……エネルギー量はアシュバルの方が上。



「くッ!!」



まるでシールドバッシュでも喰らったかのように銃ごと弾かれ、重心が後ろへ…体勢が崩れる。


吊り上がるアシュバルの口角。彼はこれを狙っていた。



「喰らえッ!!」



「しまッ!!」



渾身の左のフックが彼女の脇腹に深々と突き刺さる。


武器の特性も相まって異常なまでに重い一撃。彼女の体はピンポン玉のように弾き飛び、何度もバウンドしながら土の上を転がった。



「なんて…力………」



左手で右の脇腹を抑えながら膝を付いてアシュバルを睨むマリエール。


咄嗟に身体強化を強めていなかったら危なかった…と、冷たい汗が流れるのを感じる。


現に…あの一撃だけで骨にヒビが入ったようだ。キリキリと痛む肋骨。


おまけに内臓にもダメージが入っているようで……脚が思うように言うことを聞いてくれなかった。



「……」



しかし……アシュバルもまた動くことができなかった。


左の肩口に着弾した土属性の魔法で作られた弾丸。当たった直後はそれほどでもなかったのだが……どうやら弾丸はまだ体内に残っている。


今の一撃でそれを確信したアシュバルは、悟られないように苦痛をポーカーフェイスで覆い尽くし、平然を装った。


銃弾が関節部分に入っているため、少し左腕を動かすだけで肩に激痛が走る。


果たして偶然なのか…それとも狙ってやったのか。それはマリエールのみが知るところだ。



「……マズいな…」



湧き上がる苛立ちを必死に理性で押さえつけ、小さくそう呟く。





もう長い時間は戦えない。それならば…短期決戦しかない。


アシュバルは地を思いきり蹴った。



その接近を皮切りに始まる格闘戦。


左腕を満足に使えなくとも、やはりこの距離の戦闘ではアシュバルに軍配が上がるようだ。


クリーンヒットこそしていないものの、少しずつ……マリエールにダメージを蓄積させている。


しかし彼女も彼女で銃身をうまく使い、不完全ではあるものの何とか回避はしていた。



するとその刹那……偶然か必然か………アシュバルの顎を強打する彼女の魔武器の銃床。


一瞬グラつく視界に、力が抜け落ちる膝。


ハッとした表情の彼女はその一瞬のスキを見逃さなかった。



「ハァッ!!」



取り付けられている銃剣で彼の腹部を薙ぎ、銃口を額に向ける。



次の瞬間、突き付けられた銃口が火を噴き、勝負は決した。



『勝者!一年先鋒マリエール=ムシュタ選手です!!!』



いくら威力が低いとはいえあの至近距離で…しかも急所に食らえば、意識が刈り取られるのも仕方がない。


担架で運び出されて行くアシュバルは、相性が悪いながらもよく戦った方だろう。



三年生が一年生に倒されたせいか…一気に沸く観客席。



『続いてフィールドに現れたのは…三年生の次鋒!!我が国の王女でもあるハイメルシューラルム=エム=エルサイド選手です!!』



「おぉ聞いたか!メルが一般人に認識されてるぞ!!」



「たっくん超失礼だよ!!」



「メルちゃんだ~。頑張れ~!!!」



『あれ……ハイメルシューラルムさん~?あれ…いない』



「ちょっとまてやっぱ認識できてねぇじゃねぇか!!」



「とりあえず台本読んだだけみたいだね!!」



「極まってるな、あいつのステルス能力」



一部の観客…主に二名は別の話題で盛り上がっているのだった。




若干フィールドの方からさっきにも似た威圧感が飛んできた気がした拓也だったが、多分気のせいだろうと適当に流し席を立つ。



「ちょっと外すわ」



「ん、なんか用事~?」



「ちょっとな」



尋ねてくるジェシカに適当にそう返した拓也は、観客席から出るための会談へ歩みを進めながら背後の彼女にヒラヒラと手を振る。


一体どうしたのか。少し理由が知りたかったジェシカだったが、まぁいいかと自分を納得させて視線をフィールドの方へ戻すのだった。



・・・・・



「ふぃ~」



一人、観客席の喧騒の中から逃れた拓也は…誰もいない闘技場内の廊下を進んでいた。


人がいないばかりか、寒色系の灯りが不気味に廊下を照らしているせいか、心なしか寒くすら感じてくる。



無言のまま歩を進めていた拓也が足を止めたのは、とある一つのドアの前。


ノブに手を掛け、ゆっくりと開くと……またもや喧騒の中に身を投じることとなった。


すると、ドアが開く音に気が付いて振り向いたミシェルは拓也の姿を確認して首を傾げる。



「拓也さん。何しに来たんですか?」



「た、拓也君!!」



「いや、ちょっとアジフライが食べたくなって」



「……今日のお弁当にアジフライは入ってません」



「まぁそんなキレッキレなジョークはさておき…」



ミシェルの発言でようやく拓也の存在に気が付いたビリーは、まるで背後から驚かされたかのように面白い程ビクつくと、噛みそうになりながら拓也の名を呼んだ。


それにしても試合前だというのにもかかわらずミシェルとアルスの落ち着きっぷりは凄まじいものである。



「お前だよお前、ビリーちょっと来いや」



ジト目で見つめてくるミシェルをとりあえずやり過ごし、拓也はビリーそう言うと、踵を返して廊下へ出て行った。


目に見えて緊張しているビリーは、戸惑いながらも彼の後を追う。



実際より幾分か重く感じる金属の重い扉を閉じれば、静寂が訪れた。


冷たいコンクロートの壁にもたれかかる拓也は、ビリーの姿をその視界に収めるとちょいちょいとこちらへ来るようにと手を振った。



ビリーはビクビクしながらも……彼の言う通り彼に歩み寄り、彼の向かいに恐る恐る立つ。



「観客席からお前の真っ青な顔が見えたからこうやって来てやったわけだが……また緊張してんの?」



「だ、だって……人がたくさん見てるから………それだけで緊張しちゃって……」



青い顔、泳いでいる目。


彼はきっと、カッコつけようと思っているわけではない。今はただ単純に、大勢の人に見られることに緊張しているようだ。



ー…こればかりは慣れるしかないな……ー



面白そうにニヤリと笑みを浮かべた拓也は、ワザとらしく溜息を吐いて口を開く。



「あーもう分かった。お前は緊張するなって言っても無理だからやってるうちに慣れろ。


流石に敵にボコボコにされながらならその余裕もなくなる」



「よ、余裕ってわけじゃ…」



「分かってる、ただもう慣れるしかないんだ。


だけどな……相手はあの面子だ。緊張でガタガタになったお前じゃ危ない。だから油断は絶対にするな。


重傷を負わせても問題ない。俺が何とかするから…全力でやってこい」



真剣味を孕んだ表情と声色でそう言葉を紡いだ拓也に少々気圧されながらも、ビリーはコクリと首を縦に一度だけ振った。


やはり拭えない緊張。それが前面に押し出された様子の弟子の姿を見てまた楽しそうに笑った拓也は、何も言葉を返すことなく壁から背を離し、観客席の方へ戻って行くのだった。



「僕は……」



ポツリとそう呟いたきり俯き加減で沈黙していたビリーだったが、重厚な金属の扉を突き破って聞こえてきた歓声によって我に返り、悩みは消せないままベンチの方へ戻って行く。




・・・・・



「あ~たっくん遅いよ~!!メルちゃんの試合終わっちゃったじゃんか~!!」



「なにーしまったー残念だなー」



「全然残念そうじゃないよ!!!」



ジェシカが拓也の席を保守していてくれたのだろう。椅子の上に置いていた上着を羽織り直しながらジェシカはぷんすかといった擬音が似合うようにわかりやすく怒って見せた…が、拓也はいつものように軽く流し、とりあえず彼女に礼だけ言って椅子に腰かける。


フィールドに視線を落としてみると……視界には、倒れている一年生の選手しか映らない。



「あれ、メルは?」



「ほら!!!あそこにいるじゃん!!!」



「……………………………………あ、ホントだ居た。


背景と同化してて気が付かなかったわ」



一度視界から外れると、再認識するまでには数十秒を要する最強のステルス能力を持っている彼女であった。



『え~……勝利した三年生次鋒のハイメルシューラルム選手ですが、ダメージが深刻な為ここで交代するそうです!!』



確かに、拓也の視界に映るメルの姿からは、疲労とダメージが見て取れた。


所々破け、ボロボロになった戦闘服。


激しい運動からか、肩で息をし、白い肌にはじっとりと汗が浮かぶ。


心なしか頬も赤い。



「なるほど、エロイな…………ッ!!!?」




ー……なッ…殺気ッ!!?……ー



次の瞬間…三年生のベンチの方から、尋常ではないレベルの殺気に似た威圧感が拓也の全身を襲った。


思わずチビりそうになった彼であったが、何とかパンツは湿らせずに済む。



「ミシェルめ……いつの間にあれほどの……」



「たっくんがそんなこと言うからだよ~」



拓也の隣にいたジェシカも少しはミシェルから飛んできた威圧感を感じ取ったのか、拓也を小バカにするようにぷぷぷ~と笑いながらそんなことを言うのだった。





『続いて三年生のベンチから現れたのは…彼もまた三年連続出場!!


アルス=クランバニア選手です!!


ダークな笑みの裏には一体どんな勝利へのイメージが浮かんでいるのでしょうか!!?


対する一年生からは、バーフル=ケミルティ選手!彼もまた戦闘力には定評のある選手です!!』




「お~アルスが出てきた~!!!頑張れ~!!!!」



「アルス君頑張って~!!」



そんな煽りと共に登場したのは、黒寄りの青髪イケメンのアルス。


今日も今日とて張りぼて100%の笑みは、全くのほつれも見せていない。



『それでは……始めッ!!!』



試合開始の合図と共に、両者とも自身の魔武器を取り出した。


アルスは槍。対する一年生は剣。


それだけで判断するならば、両者ともに近距離~中距離に掛けた戦いが得意なのだろう。



まず先に動き出したのは、一年生の次鋒バーフル。


駆け出すと同時に複数の火の魔方陣を展開し、射出される炎の魔法と共にアルスへと詰め寄った。


しかし……アルスは笑顔を崩さないまま落ち着き払った様子で魔力を練り上げ、魔法を展開。



「アクアウォール」



アルスの眼前に現れた水の障壁。そのまま突っ切るわけにもいかないバーフルは動きを止めるが…止まらない炎はそのまま直進し、水の壁に直撃。


凄まじい水蒸気を辺り一面に放ちながら、お互いの魔法は完全に打ち消し合った。



『おぉっと!!水が蒸発して発生した水蒸気で何も見えなくなってしまいました!!!』



「これじゃ何にも見えないよ~」



「アルス絶対狙ってやったな……一体中で何が行われているのやら……」



何となく不満そうなジェシカの隣で、楽しそうな笑みを浮かべる拓也。


そしてアルスに対する恐怖からか、カタカタと小刻みに震えるセリー。



徐々に晴れる視界。


観客席の熱狂のボルテージが高まっていく中……霧が完全に晴れた。



クリアになったフィールドの中の二名を探そうと一斉に向けられる視線。程なくして二人は見つかった。



『おぉっとこれはどういうことでしょうか!!両者倒れています!!!』



両者とも、開始地点とは別の場所で地に伏せていた。


これには実況を含めた観客全員が驚きを隠せない。もれなく全員の顔に驚愕や困惑の表情が浮かんでいる。


拓也の隣の二人も例外なくそれに当てはまっている。



「えぇ!何があったの!!?」



「あの一年生やるな、視覚を使わなくてもアルスの動きに対応してやがった」



しかし一人だけ例外がいた。どうやら拓也は普通に見えていたようで、困惑するジェシカにそう説明すると、興味深そうに顎に指を当て、何か施行するような様子を見せながらさらに説明を欲している様子のジェシカと、無言だが彼女と同じ様子のセリーに向けて解説した。



「あの霧じゃ余程近づかれない限り姿を視認することは難しい。それをあの一年は聴覚と僅かな霧の動きだけでアルスの位置を捉えてたんだ」



「で、でもそれはアルス君だって同じなんじゃ…!」



「いや、アルスは闇属性の『捕捉する闇絨毯(ディテクションカーペット)』って魔法使って相手の位置を把握してた。


まぁこの魔法もかなり難易度が高いはずなんだけどな……。



それで少し油断してたアルスが迂闊に近づいて先制攻撃受けて、それでも敵の位置の把握では優位なアルスがやり返して今に至るってわけだ」



「う~ん…一分足らずの間にそんな攻防があったなんて……」



不思議そうに頷きながら唸るジェシカを見た拓也は、難しいことばかり考えると熱が出るぞと挑発してやろうかと思ったが……。



「両方ともかなり攻撃力が高いってことでいいのかな?


たった一分であれだけ傷ついてるし……」



「……お、そうだな」



いつものようにすぐに複雑な思考を投げ出さない彼女を目の当たりにし、なんだか悪いと思った拓也は、そんな挑発は止めてとりあえずそう返して笑っておいた。



「だけど……負ったダメージの量だけだったら、どうやらアルスの方が上みたいだな」



「え!?」



倒れるアルスに視線を向ける拓也がそうポツリと呟くと、間隙開けずにジェシカがそう声を上げて、焦ったような様子で拓也の視線の先で倒れている青髪の青年を注視する。


膝を付き、もうすぐ立ち上がりそうな一年に対して……アルスはまだ地面に体を投げ出したまま起き上がれていなかった。



「恐らくヤツの魔武器の能力は痛覚に直接作用して、痛みを増幅させるようなもんなんだろう」



「な、なんだ鬼灯君はそんなことまでわかるの!?」



「アルスの表情から推測しただけ」



何故そんな砂漠の中での一握りの砂程度の情報量で……相変わらずの観察眼に驚愕したセリーは内心でそんなことを呟くと、ジェシカと同じようにフィールドの彼に視線を向ける。


震える手を地に突っ張るようにして、何とか起き上がろうとするアルス。その姿には明らかに余裕がない。



「なるほど……これは中々効くね………」



一応微笑こそ浮かんでいるものの…体に刻まれたダメージはかなり深刻。


それは傷を負わせた彼が一番分かっているのだろう。


先に立ち上がったバーフルは、猛る荒々しい武人としての性が止めの一撃を刺さんとその切っ先を向けさせるが、同じく武人としての礼儀が手にブレーキをかけ……アルスに向けて宣告させる。



「降参してください、無駄に傷つけるつもりはありません」



「…じゃあそうさせてもらおうかな。生憎これ以上戦えるほど頑丈な体はしてないんだ」



ハハハといつもの調子で一しきり笑ったアルスは、安全圏で勝敗の行く末を見守っている審判にチラリと目配せをした。



『アルス選手の戦闘続行不可能の申告で…勝者はバーフル=ケミルティ選手です!!!』



会場全体にアルスの敗北が告げられた。



するとバーフルは……倒れたままのアルスに手を差し伸べる。



「ありがとう」



「いえ、当然のことです」



何も気を悪くすることなくその手を握ったアルス。試合が終われば、対戦相手ではなくただの生徒同士。


アルスを引っ張り上げたバーフルは、戦闘中は見せることのなかった笑顔をその顔に浮かべて見せた。



彼らのそんな模範的な行動に、観客席から拍手が沸き起こった。


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