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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第二部
45/52

拓也と言う生き物




「これは…一体なんですか…?」



「…………」



9月終盤のとある休日。


場所は王都内の小高い丘の上に位置するログハウス風の一軒家。


その家の2階の一室…拓也の私室で…史上最悪とも思われる事件は起こってしまった。



眼前で正座する拓也を非常に冷たいで見下ろしながら小さく…しかし威圧するようにそう尋ねたのは、この家の家主…ミシェル。


本日も美しい銀髪を揺らしている彼女だが………この状況下に置かれている拓也には、自分を射抜かんばかりに見つめる蒼い瞳と相まって、鬣を逆立ててガチギレな竜族的なモノにしか見えない。



「もう一度聞きます……これは一体なんですか?」



再度そう尋ねるミシェルが指をさすのは、拓也のベッドの上。


キレイに重ねておかれた雑誌のようなものが、およそ数十。


怖い顔をして拓也を威圧しているミシェルだったが、その顔には羞恥の色にも似た朱が浮かんでもいた。



「えっと…その………アレです……有害図書…的な…?」



まぁ簡潔に説明するならば、拓也の所有物である大量のエロ本がミシェルによって発掘されたというのがこの事件の発端である。



「どうしてこんなものがあるんですか?」



「……」



「…黙っていないで答えてください」



答えなければ…間違いなく焼かれる。又は氷で串刺し。


だが正直に答えられるほど拓也が潔白でなどあるわけがない。



となれば正直に答えたとしても……結果は変わらず。



もちろんだが、ふざけても THE END。



ナイアガラ状態の拓也は、少しでも自分が延命できる道を探りながら……震える声で言葉を紡いだ。



「私めの……趣味でございます……」



彼が選んだのは、全力で自分を卑下しながら正直に事実を語って行くという手段だった。





「なるほど……その点は理解しました。


じゃあもう一つ質問しますね」



第一関門はとりあえず突破。


予想外に、ちゃんと彼女が理解してくれたことに内心でガッツポーズをする拓也だったが……。


彼は次の瞬間の彼女の問いに逃げ道をすべて塞がれ、地獄のどん底に叩き落されるのだった。



「どうして映っている女性の方が………皆さん銀髪で……おまけに髪型がミディアムボブなんですか?」



そう。拓也が収集していた有害図書は、三次元から二次元に至るまで、描かれている者や被写体はすべてミシェルが言った特徴に当てはまっている。


よく見れば、瞳の色も蒼に近いモノばかり。



ベッドの上に積み上げられている本すべてがその特徴に当てはまっているのを考えると……到底偶然という説明では彼女は納得しないだろう。




「……」



「……早く答えてください」



「……」



今しがた、正直に語ることを決意したはずの拓也だったが……その考えは鈍り始めた。



それには彼女に申し訳ないという感情も若干は含まれていたのだろうが、大部分を占めるのは…知られたくないという感情。


端的に言うならば羞恥心。



しかし拓也のそんな思いとは裏腹に、彼女は有害図書の被写体や描かれた絵の特徴たちが何を意味するのか……既に感づいてしまっている。



故に……謀ろうとしたところで無駄。バレて焼かれるか貫かれるのがオチ。


そして彼女の表情や、纏う覇気を見る限り……正直に話しても許されはしないのだろう。




だが彼には未来を見通す眼(笑)があった。



ー……どうせ辿る結末は同じ。それならば……俺はその先に賭ける…ッ!!…ー



「ミシェルたんと照らし合わせてニヤニヤしてましたァァァァ!!!!



スンマセンシタアアアアアアアアアアアアァァァァァァァァァァァァ!!!!!」




正座の状態のまま手を前に。そして額を床に叩きつけ、謝罪の言葉を述べた。



高まるミシェルの魔力。構築される魔法陣。



「ニギィィィィィィィィィィィィィィィッ!!!!」



次の瞬間、彼が……焼かれ、貫かれ…さんざんな目に遭ったのは最早言うまでもないだろう。




・・・・・



「ラファエルさんの言った通りベッドの裏の二重扉の奥にありました」



「うっふふ~やっぱりですか~。拓也さんも男の子ですからねぇ……絶対にあると踏んでたんですよ~!!」



「でもアイツのことだから魔法で偽装でもしてたんじゃない?よくミシェルちゃんがそれを解けたわね」



エロ本を隠し持っていた罪でボッコボコにされた拓也と、主にそれらを彼に流していたという罪でボッコボコにされたセラフィムは、お互いに背中を預けあう形で縛り上げられ、リビングのカーペットの上に捨てられていた。



一方ダイニングでは、拓也とセラフィムを除き、忙しいという理由で来られなかったミカエル以外の四大天使とミシェルが紅茶と茶菓子に舌鼓を打っている。



「ラファエルさんがこんな物を貸してくれたんです」



ミシェルが掌に乗せながらガブリエルに見えるように差し出したのは、小さな金色の鍵。



「…なに、コレ?」



「魔力による術式をすべて解除する道具です」



「またえげつないモノ持ってるわねアンタ……」



「必須アイテムです」



一体普段この道具がどういう目的で使われていのか非常に気になるガブリエルだったが……同僚の満面の笑顔の裏に隠れているヤバいモノに気が付いたのか、結局、普段の用途を問うような問いをすることはせず、自身の疑問は紅茶と共に流し込むのだった。



「ッち……余計なことしやがって………」



「全くだ、どうして俺まで……」



仲良く拘束されたバカ二名は口々にそうボヤいている。


そんな彼らすら、あの悪魔たちの前では紅茶にあう茶菓子程度にしか考えられていないという事実。


恐ろしいことこの上ない。




「大体お前だろ、この前あんなもの置いてった奴は。


あれのせいで俺がどれだけ罪悪感に苛まれて胃に穴が空きそうになったか………」



「え、なんかあったの?」



「………」



思い出したくもない忌々しい記憶。


苦虫を?み潰したような表情を浮かべた拓也はそのまま黙り込んでしまった。


向こうが賑やかに談笑しているおかげか、静かに喋っているおかげかこちらの発言は一言すら彼女らには届いていない。


喋り相手を失ったセラフィムは、笑いながら悪かったと軽い謝罪を繰り返す。



「まぁ俺なりにお前のこと気遣ったんだぜ?だってミシェルちゃんとまだ…」


「止めろ、皆まで言うな………」


「………おう、すまんな」



表情にさらに暗い色が滲んでいく様子から、拓也が纏う暗いオーラを感じ取りセラフィムはそう言葉を終わらせるのだった。



一方…お茶を楽しんでいる天使たちとミシェル。


そろそろ頃合いだろうと目をキラリと光り輝かせたラファエルは、少しだけ突っ込んだ質問を口にした。



「それで……ミシェルさんは拓也さんの蔵書を見つけてどう思いましたか?」



「最低です」



「……そうですか」



拓也がすぐ傍に居るからなのか……まったく躊躇なくそう言い放ったミシェル。


ラファエルは微笑んでこそいたが、何故だかその表情にはどこか残念さを感じさせる色が宿っていた。


更に彼女が拓也をチラと一瞥した視線にも、彼を憐れむようなものが含まれている。



「それにしてもさ~。そのエロ本の内容って全部ミシェルちゃんの特徴と一緒だったんでしょ~ホント笑えるよね~!!」



「わ、笑い事じゃないです!!!」



「そんなことするくらいなら……とっととおいしく頂いちゃえばいいのにね~」



「なッ///」



ミシェルの顔をニヤニヤと見つめながらガブリエルは、背後にいる拓也を煽ると同時に、ミシェルを真っ赤に赤面させるのだった。



ミシェルが女性天使二名に弄られている傍ら、背中合わせに縛られているバカ二名の内の羽がある方…セラフィムが、からかうように拓也に尋ねる。



「そうだよな~。なんで手ェださないんだよ」



「俺っちマジ紳士」



「いやいや。大事にしてあげるのも大切だがな……考えてみろ」



指をピンと立てる彼の方へ頑張って振りむこうとする拓也だが、角度的に不可能だった。


ちなみに何故腕を拘束していた縄が外れているのかは非常に謎である。




拓也は仕方なく表情を窺うことは諦めて、背中を預けたまま沈黙して彼のか発言を催促する。


すると…やはり沈黙に耐え切れなくなったセラフィムは、自ずから勝手に語りだした。



「ミシェルちゃんだって女だ。男と同棲していて且つその男が自分の恋人。

邪魔するものが何もない。お前らの年齢なら……もう行く先は一つってのは分かるよな?」



「単刀直入に言え。それとこの家には保護者こそいないが健全な児童であるリディアは居るんだぞ」



「あ、そうだった」




研究し始めるとほとんど部屋から出てこなくなるリディアの存在が、セラフィムにあまり理解されていないのは多分仕方のないことなのだろう。


というか彼女のどこが健全だというのだろうか……。





しばらく手と手を打ち付けて理解したという動作を継続していたセラフィムだったが、数秒後に拓也に上手く話を逸らされかけているということに気が付くと…ワザとらしく咳払いをし、その顔に若干の真剣味を映す。



そしてしばらくの沈黙の後……他の天使たちの注意がミシェルに向いていることを確認すると、拓也にだけ聞こえる程度の声量で呟いた。



「お前が紳士ぶっていつまでも手ぇ出さないと……



ミシェルちゃん、女としての自信を無くしちゃうんじゃね?」



刹那…拓也が文字通り固まった。




ミシェルに手を出さないのは、彼女が恥ずかしがるからだなどと勝手に理由付けをしていた拓也にとって、セラフィムのその発言は意外であり…そして彼の心を深く抉った。


突き付けられたその真実に、拓也は呆然とした様子で目を伏せる。



「大事にするのも確かに大切だけどさ……それじゃあいけねぇよ、流石に。ミシェルちゃんが自分に魅力がないって落ち込むだろ、普通」



さらに追い打ちを掛けるセラフィム。


何も言い返せず、拓也は黙り込んでしまった。



「分かってる…分かってるけどさ………」



本当は分かっていた。自分は紳士などではない。


彼女のための配慮ではなく……自分自身がただチキンなだけ。



普段からふざけた雰囲気や態度で羞恥心などないように装って入るが、彼も一人の人間だ。それがなくなるわけがない。



むしろ彼は、人一倍羞恥心が強い方だともいえるだろう。


故に彼は、それを隠すためにワザとふざけた人物を装っているのだ。



「だってさ……」



本心は……ただ恥ずかしく、同時に怖くもあった。


ミシェルは何かよっぽどのことがあって吹っ切れない限り、彼と同様にあまり積極的ではない。


これまでも何度かミシェルとそういう雰囲気に持っていこうと試みたことは何度かあった。


しかし……どうしても羞恥心が邪魔をして、ふざけてしまい…彼女に焼かれてしまうのだ。


そして同時に彼を縛るのが……彼女に拒絶されるかもしれないという恐怖。




考えずに行動すればいいのかもしれない……。



しかしそんなことをすれば……大好きな彼女に嫌われてしまうかもしれない。



それらの二つの要素に雁字搦めに縛り上げられ、彼は身動きが取れなくなってしまうのだった。




「悪い悪い、言い過ぎたよ。お前らにはお前らのペースってもんがあるもんな、余計なお世話だった」



彼をこんな状態に追い込んだ張本人であるセラフィムも、背中越しの彼がどんどん元気がなくなって行く様は流石に見るに堪えなかったのか謝罪の言葉を軽く述べる。


だが……拓也はまるで地獄を見てきたかのような表情のままピクリとも動かず、黙り込んだまま固まってしまうのだった。



それにしても彼のメンタルはミシェル関係のことに限っては本当に豆腐である。



ブルーになり始めた彼は、もう誰にも止められない。


セラフィムも既にそれは悟ったのか、余計なことは何も言わずに再び物言わぬ囚われ人に戻った。


一方その頃お茶会の方では……未だにミシェルは女性天使2名のおもちゃになっている。


真っ赤に赤面しながら取り乱す彼女を一目見れば……きっと拓也も元気を取り戻して他の場所も元気になるのだろうが……悲しいことに拓也が向いているのは掃き出し窓の方だった……。



「ミシェルちゃんももっと誘ってみなよ~!


アイツのことだし少し色っぽい下着チラつかせるだけで襲ってくるでしょ」



「な、なぁ…ッ///」



2人と言っても主にガブリエルが率先してミシェルを追い込んでいた。


またミシェルもミシェルで可愛らしい反応を見せるせいで、ガブリエルが面白がり……内容がどんどんエスカレートしてしまっているのであった。



「え~何ミシェルちゃんその指輪~。誰かに貰ったの~?」



「こ、これは拓也さんから貰って…」



「婚約指輪?」



「ち、違いますッ///」



ミシェルの身を護り、拓也が迅速に彼女の位置を悟って飛ぶための指輪を指さしたガブリエルは言葉巧みにミシェルを誘導し…望んだワードを引き出すと、その顔にニヤァと笑みを浮かべてワザとミシェルを突っついて遊ぶ。


ミシェルが取り乱して机をたたきながらそう声を荒げると、ガブリエルは楽しそうに笑い声を上げ腹を抱えた。



非常に楽しそうである。




「でもアイツも一応プレゼントとかするんだね~」



意外だと続けて笑うガブリエルに、ミシェルはほんの少しだけ対抗するような口調で返す。



「た、拓也さんはそういうところ結構細かいです。


この前も素敵なモノを頂きましたし……」



「へ~何貰ったの~?苗字とか?」



「だ、だから違いますってばぁ///」



分かりやすく取り乱して赤面し、手を顔の前でぶんぶんと振りながら否定するミシェルを眺めながら紅茶のカップに口をつけ、傾けるガブリエルとラファエル、それにウリエル。



自分をおちょくるだけおちょくってそんな態度の彼女らにムスッとしたような可愛らしい表情を向けたミシェルだったが、自分が何か言っても彼女たちは面白がるだけだと察し、気にせずに話を続けることにしたのだった。


そこで彼女が指さしたのは……花が綺麗に飾られている…………”アレ”。



「この前、あの花瓶をもらいました。結構おしゃれで気に入ってるんです」



どれどれ…とミシェルの指先が向いている方へ視線を這わせる天使三名。


彼女らの視界に映ったのは、色とりどりながらも上品な組み合わせで飾られた花と……赤と銀の花瓶だった。



彼女らは一瞬、気が付かなかった。


パッと見ても花と花瓶。部屋に溶け込んでいるそれ。


言ってみるならば……擬態。



しかし……ミシェルと違って”それ”に対しての正しい情報を持っていた彼女らの中に、拭いきれない僅かな違和感が渦巻き…膨張する。



「「「……」」」



無言のままそれを凝視する天使三人は、各々の中で自分が今見ている光景の処理を開始した。


もし”それ”を単体で見つけたとしたのならば、簡単にこれはTE○GAだと……すぐにオ○ホだと理解できたのだろうが……今自分が見ているのは、なぜか花がセットになり、おまけにそれらが突き刺さっている。


長年生きてきた四大天使たちでも……”これ”のこんな用途は見たことも聞いたこともなかった。




そしてそれが何なのかを理解したその次の瞬間。



「「「ブフォッ!!!!」」」



「きゃあ!」



「うぉなんだ!?」


「どうしたどうした!?」



三人の口から紅茶が勢いよく噴き出された。


間一髪襲い来る飛沫を交わしたミシェルの蒼い目は驚愕に見開かれ、黙り込んでいた拓也とセラフィムも何事かと咄嗟に縄から抜けて身構えた。



しかしガブリエルたちが噴き出すのも無理もない。考えても見てほしい。性○具に花が突っ込んであるのだ。まともな感性を持っていて笑わない方がおかしいだろう。



「ゲホッゲホッ…み、ミシェ…ルちゃん…これは…ズルいわ……」



「な、何がですか!?というか大丈夫ですか…あぁタオルタオル…!!」



慌ててタオルを取りに走ったミシェル。



彼女の先程の口ぶりから予測するに、元々”コレ”を持っていたのは拓也だろう。


だとするならば、どういう経緯でこうなったのか…。想像するだけで腹筋がよじれそうになる三人だった。



ミシェルがいなくなったことで…必然的に全員の視線が拓也へと集まる。


ガブリエルはむせながらも、何か面白いことの匂いを嗅ぎつけたのか……天使がしてはいけないような表情をその顔に浮かべると、花瓶……もとい花の刺さったオ○ホを指さしながら拓也に問いかけた。



「へ~……ねぇチェリーボーイの拓也君。一体どうしてこんなものがあるの~?」



「ぐっ…そ、それは……」



「それになんで花なんてぶっ刺してあるのさ~?」



「………」



「おや、あれは以前拓也を不憫に思った俺がお取り寄せしてデリバリーしたオ○ホじゃないか。なんで花瓶なんかになってんだ?」



「よりにもよってお前があんな見えやすいところに置いておくからだよバカ野郎」



こんな状況でもセラフィムへのツッコミは怠らない拓也。実に勤勉である。





「これの正体をミシェルちゃんにバラしたら……面白いことになりそうねぇ……ククク……」



「ま、待ってくれ!交渉をしようじゃないか!!」



悪魔の如く凶悪な笑みと甲高い声を押し殺したような笑い方のガブリエルを手で制すようにしながら蒼い顔をして冷や汗をダラダラと流す拓也。


そんな二人を遠巻きに眺めるセラフィムはポツリと一言。



「なんか大変そうだな拓也…ご愁傷様」



「何自分は関係ないみたいな感じになってるんですか?もちろんあなたにはそれ相応の罰を下すので覚悟しておいてください」



「おうふ……」



彼の背後に現れた天使…もとい悪魔ラファエルが肩にそっと手を置くと……人体からしてはいけないような崩壊音が彼の肩から発生し部屋中に響いた。



「ほう、アンタはいったい私に何をくれるというの?」



「……」



「ちっぽけなアンタが…私を満足させるものを持っているとでも?」



「……」



彼女の言う通りだった。拓也がいくら考えようとも…何もない。



花瓶と偽っていたものが実は…オ○ホだとバラした時のミシェルのリアクションを超えるような面白いモノを提示するなど……難題過ぎたのだ。



「これ使って下さい!」



そんなことをしているうちに大量のタオルと雑巾を抱えてミシェルが戻ってきてしまった。


彼女は紅茶を吹き出した天使三名にそれぞれタオルを渡すと、紅茶が零れた床に雑巾を投げてそのうちの一つを手に取って水気をふき取る。



そちらへ視線を向けているミシェルの瞳に……今世紀最大の悪い笑みを浮かべたガブリエルと、今世紀最大の窮地に追い込まれた拓也は映らない……。



「さぁ、どうするんだ童○」



理不尽な煽られ方をしている拓也だが、反論することはできない…。



彼女を怒らせてはいけない。自分はできるだけ下手に出て…機嫌を取りつつ……ミシェルの耳に真実が伝わるという最悪の状況だけは避けなくてはいけない…。



最悪を想定して最善を尽くす…。この状況下でも彼はそれを忘れてはいなかったのだ。




「分かった、ガブリエルこうしよう。


俺が何でも一つ言うことを聞いてやる。それで手を打たないか?」



「……ミシェルちゃんちょっといい?」



「はい、なんですか?」



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおい!!!!!!!」



交渉しようとしたが……ガブリエルにその気はないようで、彼女は掃除に没頭するミシェルの背を突く。


慌てて彼女の両肩に手を置いて暴露されることを制止した拓也は、半ば強引に彼女を壁際へと押し込む。



「ちょっとーなにすんのよ~」



「いやホントお願いします……どうか…どうか……」



「……」



涙を流しながらそう懇願する拓也相手に何を思ったのか……今まで迷うことなく悪魔の所業を選択しようとしていたガブリエルが、顎に指を当てながら何かを考えるような仕草を見せる。


彼女が一体何を考えているかは分からないが……これ以上の手段は持ちえない拓也は、ただ涙を流しながらガブリエルの判断が自分の望む方向へ傾く事を祈っているしかなかった。



そして……彼女が下した決断は……。



「分かったわ。



じゃあ……ミシェルちゃんに土下座して、パンツを貰ってきなさい」



「…ッ!!?」



彼を救いながらも……殺すという悲惨なモノだった……。



「もちろんふざけることは許さない。


誠心誠意。本気でパンツを貰えるように尽力するのよ。もしそれでミシェルちゃんのパンツを回収できたなら……黙っていてあげるわ」



「なん……だと…?」



変態活動のくせに誠心誠意とは笑わせてくれる。



「イヤならいいのよ?私は私が面白いと思う方を…」



「わ、わかった!やればいいんだろやれば!!」




かくして……漢、拓也の闘いは幕を開けた。




「ミシェル……」



生気のない顔つきで彼女の傍に現れた拓也。


声を掛けられたミシェルは、作業をする手は止めずに顔だけを横へ向け、彼の呼びかけに対して疑問符を浮かべるように首を傾げた。



刹那……拓也は床に額を勢い良く叩きつけると、ミシェルが驚く間も与えずに自身の魂を渾身の叫びに乗せてぶつけた。



「お願いします!!パンツをください!!!!!」



「………………は、はぁッ!!?」



一瞬彼が何を言ったのかを理解できずに沈黙していたミシェルだったが、数秒の硬直の後に彼の遠慮のないその発言と謎の堂々とした態度に何故か自分が恥ずかしくなって羞恥に顔を染めながら困惑の叫びを漏らす。


そして同時に取り出される彼女の魔武器の杖。



その気配を鋭く察知した彼の背筋が凍る。



「お願いします…何卒………何卒ッ!!!!」



「い、いきなりなんなんですか!!?ぶっ飛ばしますよ!!!!?」



「なにとぞおおおおおおぉぉぉぉぉ!!!!!!!」



高まるミシェルの魔力。更に床に額を擦りつける拓也。


熱意だけは伝わってくる彼の土下座だが……懇願している内容は最低である。



しかしいくら熱意が伝わったとしても……内容のせいでミシェルは当然ブレてくれない。


それならば……彼女の精神を動かすような”理由”を提示するしかない。



拓也が動く。



「俺は……本当はエロ本なんかで興奮したくない……。



俺は……俺はミシェルで興奮したいんだッ!!!」



「……は、はぁ!!!??にゃ、にゃにを言って///」



「俺が集めてたエロ本……見ただろ?


ミシェルとの共通点が多いってこと……俺は……本当はミシェル以外でなんか興奮したくないんだッ!!!」



顔を上げて目をカッと見開き……涙目で見下ろす眼前のミシェルを射殺さんばかりの眼力で見つめる拓也の心の叫び。



彼のそんな想いを目の当たりにし……ミシェルの中で高まる魔力の勢いが少しばかり衰えた。


それを見逃さない拓也はさらに続ける。



「もしミシェルがパンツをくれるなら……俺はもう二度とエロ本なんかには手を出さない!!約束しよう!!!!」



クズである。




「そ、そんなこと…言われても///」



案外ミシェルが拓也の提案に揺らいでいるのは非常に以外。


その証拠にラファエルとガブリエルが信じられないといった表情を見せている。



やはりミシェルからすると、拓也が自分以外の女性で興奮するというのは嫌なのだろう。


赤面して口元を隠しながらもじもじとした様子で狼狽える彼女は普段の拓也からすれば眼福と言って笑っていられるのだろうが……この状況下の彼にはチャンス到来程度にしか感じないのだった。



「できれば脱ぎたてを…」



「調子に乗らないでください!!!」



結構強めの打撃が拓也の頭に叩き込まれるが、この一撃で分かるようにミシェルは彼を叩き潰しには来ていない。


つまりこの一撃は、今の発言を咎める一撃だったのだ。



故に……拓也のパンツをくれという要求を否定したわけではないのである。



「頼むッ!!俺を助けると思って…ッ!!!」



「な、なぁ~…ッ///」



鮮やかな朱色を顔に宿し、たじろぐミシェルの前で土下座を継続する拓也は……ある一つの結論に辿り着く。



ー……前々から思ってはいたが……やはりミシェルは……




押しに弱いッ!!……ー



それは普段ツンケンしている奴ほどア○ルが弱いという世の理と同じように……。



「お願いしますッ!!お願いしますッ!!!」



「ッ!!」



繰り返し繰り返しそう叫び、額をフローリングに叩き付ける。


すると彼がそんな非常に気持ち悪い動作を繰り返しているのに比例して……彼女の気持ちが彼を助ける…即ち、自身のパンツを渡すという方へと揺らぎ始めるのだった。


誠意を込めて目の前で土下座する彼。


彼女としても……有害図書なんかにハアハアされるのは何だか癪だった。



「……しょ、ショーツはちょっと……。



で、でも……上…なら………まぁ…///」



「いやパンツじゃないとダメです」



「な、何様のつもりですか!!!


少しは妥協というモノを覚えてくださいッ!!」



拓也には…ブラで妥協できない理由があった…。


しかし…ミシェルがここまで譲歩したのだ。もしかしたら彼女もこれで許してくれるかもしれない。


そんな淡い期待は……



「…ッ!!」



彼女がニコニコと微笑んだまま首を横へ振ることで儚く砕け散ったのだった。


ギリリッ!…と、凄まじい歯ぎしりをしながら額を床に付けた拓也。


今は…憎悪をひた隠し、従うしかなかった…。



「ダメです…パンツがいいんです!!」



「ど、どうしてですかッ!!ぶ…ブラならって……これでもかなり譲歩したんですよッ!!?」



なおも土下座を続ける拓也にそう言葉を投げつけるミシェルの言い分はご尤も。


普通ならば殴り倒されて警察に突き出されるという2連コンボを喰らっても文句は言えないことをしている拓也に、これでもかというほど歩み寄って好条件を提示しているのだ。



しかし……先程も言っている通り…………彼はブラでは譲歩できない。



「パンツがいい………いや………パンツじゃなきゃダメなんですッ!!!!」



「あぁッもう///」



彼の全く揺るぐ様子のないその要求。う~!と低く唸りながら頭を抱え、絹のように綺麗な銀髪をクシャクシャと乱暴に指で弄るミシェルの精神的ダメージは見たところ相当のモノだろう。



そのまま沈黙する彼女。拓也は顔だけをゆっくりと上げて俯き加減の彼女の顔……蒼い瞳を自身の黒い眼でじっと射貫くように見つめ続ける。



「……」



「……」




両者見つめ合ったまま沈黙が続き……その時間遂に1分。



「こ、こうしましょう…」



意外なことに、長く続いたこの沈黙を破ったのはミシェルだった。


唇を僅かに震わせながらだったが…眼前の拓也にとある提案を提示する。



「まだ……一度も使ってないショーツがあります…。



それで………それで手を打ちましょう」



「……」



理性的にその提案に返答するのならば答えはYES。最低限やらなければいけないことはミシェルのパンツを入手することであり、別に使用済みを入手しなければいけないわけではない。


何故なら…ガブリエルはそこの細かい条件までは提示していないからだ。



だが彼も男。本能的にその提案に返答するならば答えはNO。



彼の中で現在進行形で本能的な欲求とそれを押さえつけようとする理性が鎬を削り合っているのは言うまでもない。


そしてしばらくの沈黙の後に彼が出した答えは……。



「…分かった」



自身の中で猛る欲求を理性で捻じ伏せ……未使用のパンツで我慢するという、紳士としては何とも苦い決断だった。



逃げるようにその場を後にしたミシェル。


彼女のその後姿を見送った後……拓也はゆっくりと正座まで姿勢を戻すと………閉じられた眼から……ツーっと液体を流す。



「そんな血の涙流さなくたっていいじゃな~い。ミシェルちゃんのパンツがゲットできるんだよ?


…未使用だけど」



ちなみにこの場合の血涙は比喩表現ではなく、リアルな血液を流しているということだけは明記しておこう。



「確かにミシェルのパンツはゲットできる。大きな収穫かもしれないな……。



だが考えてみて欲しいんだ……俺が……己の保身とミシェルの精神的な貞操の死守、そして未使用のパンツに払った対価を」



「……どういう意味よ…?」



訳が分からないと言いたげな様子で首を傾げるガブリエル相手に、目を瞑ったまま血涙を流し続ける拓也は、彼女の方を向くことなく……正座をしたまま続けた。



「未来永劫……俺はエロ本を手にすることができなくなった。


等価交換とはいえ……あんまりじゃないかぁ…」



健全な男子高校生ともあろう者が、エロ本という希望を絶たれた。



つまりこれは……事実上の死刑宣告なのである。




そうこうしているうちにミシェルが二階から戻ってきた。


彼女のその手の中には……黒を基調にした、大人の香りを漂わせるセクシーなショーツ。



恥ずかしさのあまり拓也を直視できないのか、真っ赤に赤面したままそっぽを向いたままのミシェルは、間接視野から得られる僅かな視覚情報だけを頼りにたどたどしい動きで拓也へ近づくと…。


叩き付けるようにして手の中のショーツを拓也に投げつけると、自身のその行為によって発生した羞恥心を掻き消すため……しかし彼にはそれを悟られないように、真正面から頑張って睨み付けるように見つめながら叫んだ。



「や、約束通りあげますから!!……これからは…え、エッチな本とかはダメですから!!いいですねッ!!?」



本人は睨んでいるつもりなのだろうが……上気した頬と、宝石のような瞳に溜まった涙のせいで御馳走様としか言えない状況になっている。



「…あぁ。約束は約束だ……言う通りにしよう…」



パンツを握りしめる拓也は……歓喜と悲愴の混じった涙を流しながらそう呟くように誓うのだった。


その光景を眺めるガブリエルは……心底楽しそうにニコニコと微笑んでいる。


すると突然、微笑んでいた彼女がミシェルの肩をトントンと軽く叩くと……”アレ”を指さしながら語りだした。



「ミシェルちゃん、その花瓶ね。実は花瓶じゃないの」



「…え?」



「それね、向こうの世界で市販されている性○具なの。


内部の構造が『自主規制☆』そっくりに作られてて、男がそこに『自主規制☆』を突っ込んで快楽を貪るってわけ。


言ってしまえばより質の高い『自主規制☆』をするための道具ね」



「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおいいいいいいッ!!!!!!!!!」



約束が違うじゃないか……。ガブリエルに向けらえれた強く訴えかけるような拓也の視線と、魂からの咆哮。


しかし……一度紡いでしまった言葉はもう口の中へは戻らない。



耳にしてしまったミシェルに……それらを忘れさせることは………できない。



「え、えぇ………ど、どういう……」



なんとなく彼女の言いたいことは理解できたミシェルだったが……同時に理解したくないのだろう。


困惑したような表情は、即ち自分自身を騙す為のモノ。もし理解してしまったら……自分でも自分がどうなるかわからなかったのだ。



「そのままの意味よ。コイツはミシェルちゃんに似てる被写体もしくは絵を見てハアハアしながらそれをミシェルちゃんの『自主規制☆』に見立てて『自主規制☆』突っ込んで疑似『自主規制☆』をするつもりだったのよ」



「……ぉ……ぉぉ?……」



そんな気持ち悪い言葉とも取れない音を口から零す拓也がブルーベリーも真っ青なレベルで顔面蒼白になりながら電動マッサージ機よろしく震えているのは最早言うまでもないだろう。



それにしても……精一杯醜態を晒しながらも頑張った拓也との約束を簡単に破棄しネタバラシした挙句、傷口にデスソースを塗りたくるようなまったくもって容赦のないガブリエルの追い打ち。


きっと彼女は天使から悪魔にジョブチェンジしたほうがいいのだろうと思う外野の天使たちだった。



すると……無邪気な笑顔の仮面を張り付けながら拓也に歩み寄った悪魔は、正座のまま小刻みに振動を続ける拓也の肩にそっと手を置き、一言。



「ねぇ、今どんな気持ち?」



「……」



彼は……こう見えても、明確な敵以外には嘘を吐かない男。


それが彼の信条だった。


信条。つまりそれは自分が固く信じ、決め、守る事柄。


間違っても他人に強要していいものではない。



だが……恋人に頭を下げて下着を貰うという恥を掻き、今後一切エロ本を手にできないという大きな代償を払い……入場券を得たと思った楽園が……足を踏み入れる一歩手前でいきなり崩壊したのだ……。


それも悪意を持った者の手で…意図的に。


おまけにリアルでやられたNDK。



「……サ…ン………る…さん………許さん…ッ!!」



長い付き合いで……自分が信頼していただけあって……。



彼は激しく憤った。





「ヌオォ!!?」



するとその刹那……一応100キロ超はあるはずの彼の体がモノの見事に吹き飛んだ。見えない衝撃波に弾かれて浮かび上がった彼の体は、物理法則に従って放物線を描くことはせず、まるで何かに叩き付けられるかのようにフローリングにキスをする。



変な声を漏らして地面に叩き付けられた拓也は、甚大なダメージを体に負いながらも……自身に向けられた尋常ではないレベルのプレッシャーを、肌がピリピリとするほどに感じ取っていた……。



それの発信者はもちろんこの風魔法を放った人物と同一人物……。


覇王の如きオーラを纏った彼女は、怒りに杖を握る手をワナワナと震わせながら、拓也を眼前に見据えて悠然と歩み寄った。



「花瓶って……言ってたじゃないですか……」



血走った目。溢れ出る魔力。それらは拓也を恐怖のどん底へ叩き落すには十分すぎる。


後退りしながら必死に言い訳を考えようとするが……恐怖に全身を鷲?みされた状態では、思考することはできやしなかった。



「ち、違うミシェル…お、俺は……俺はただ……」



「ただなんですか?」



「……」



淡々とした言葉遣い拓也を追い込むミシェル。


その顔に浮かぶ表情の大半を占めているのが怒りだったが、その内容が内容だけに僅かな羞恥も含まれているのだった。



その圧倒的な剣幕に押されて、言葉を喉に詰まらせたかのように押し黙る拓也は、カタカタと面白いくらいに震えてナイアガラの如く冷や汗を零す。



このまま黙っていればまず間違いなく断罪される。


しかし弁解しようともまず間違いなく断罪される。



簡潔に説明すれば確実に断罪されるということ。



「……」



そして何より……彼が精神に追ったダメージは甚大だった。



恐怖、羞恥。そしてよからぬグッズで彼女の透き通った水のような精神衛生に墨汁のような穢れを落としてしまったという申し訳なさ。


それらの感情が内でせめぎ合い、氾濫し……



「あ、逃げた」



許容値を大きくオーバーしてしまった彼は、その場から姿を消してしまうのだった。


別に彼は殴られるのがイヤで逃げたわけではない。というか彼の周りにはメル、リリー、大天使etcのように、容易く致命傷になり得る攻撃をしてくるような連中に囲まれているため、不本意ではありながらも彼はそういったことは慣れているのだ。


故に……明らかに自分が悪い場合は、その報復は必ずと言っていいほどちゃんと受ける。



そんな自分のポリシーとも取れるモノを投げ捨ててまで逃げ出したということは……。



「やり過ぎですよ、ガブリエル」



「痛ッ……まぁ…確かにそうね……面白すぎてちょっとやり過ぎたわ」



ゴンッ!とガブリエルの脳天に落とされたラファエルのげんこつ。


頭から白い煙を立ち昇らせながら患部を抑えて涙目のガブリエルは、自分の行き過ぎた行いを冷静になって省みたのか、消え入るような声でそう呟くのだった。



「……」



怒りを向ける対象が居なくなってしまったミシェルは無言のまま魔武器を収める。


流石に周りに八つ当たりをするほど彼女は子供ではない。



「汗掻いちゃったので、ちょっとお風呂入ってきますね…」



行き場のない怒りを笑顔の仮面の内に押し込めて、彼女はリビングを後にした。



「うぅ~……ミシェルちゃん怒っちゃったかな…?」



「いえ、多分それはないと思いますけど……マズいのは拓也さんの方です。


早急に解決しないと……」



「俺も……手伝う……」



「えーしょうがないな~。じゃあ俺も手伝ってやるよ~」



「本来なら天界へ強制送還して仕事をしてもらうところですけど……まぁ今回は大目に見ましょう……」



「ではまず役割分担をします」



ラファエルが仕切る中、全員が静かに頷いた。


するとそんな時、家の玄関が何者かに数回ノックされる。



「ごめんくださ~い!」



響いてきたのは拓也の弟子であるビリーの声。


全員が顔を見合わせ……作戦を練る。



「よし、彼の相手は俺がしよう」



ビリーの相手を買って出たのはセラフィム。


他の面々は彼のその判断に反対の意を呈することはせず、無言のまま頷いた。



まずは一人…役割が決まる。



「おっすおっす~。諸事情で拓也が外してるから今日は俺が相手してやんぜ~」



残った三人は、レースカーテン越しに見える二人の姿を確認し、それらが離れて行ったことを確認すると、次にラファエルが口を開く。



「私はミシェルさんのケアをします。二人は…」



「分かってるわ」



「拓也の……ケア……」



「大丈夫そうですね。では行動に移りましょう」




・・・・・



場面は移りギルド『漆黒の終焉』。


見るからに幼女な受付嬢の真正面のカウンター席に腰掛けるフツメンが一人。



「酒…」



「酒って……まだ朝の9時過ぎよ?」



「ッチ……せーな…」



「あ゛?」



「すみません何でもないっす」



とりあえず出された水をチビチビと飲んでいるのは黒髪のフツメンフェイス拓也。


そして彼の正面で何やら書類の整理をしているのは……極小さい声で悪態をついた彼に対して、愛想が重要な受付嬢とはとても思えないような鋭い眼光で睨み付け、ドスの利いた声で嚇したのは、ロリーこと…セリーの姉のリリー。



様々なトラウマが蘇り、彼女も前では牙の抜かれたライオンのようになる拓也であった。



「それで……普段酒なんか飲まないアンタがこんな朝早くから何しに来たわけ?


まぁどうせミシェルちゃん関連でしょ?さっさと話しなさい」



「オブラートなんて贅沢なこと言わないからせめて金箔くらいでもいいからもうちょっと言葉を包んでくれよ……」



「イヤよ、回りくどいのやめんどくさいのは嫌いなの」



「……だからロイドさんと進展が無いんじゃねーの…」



小声でそう零した拓也の額に万年筆が深々と突き刺さったのは言うまでもない。




「で?話、聞いて欲しかったから来たんでしょ?早く話しなさい私も忙しいの」



「酒飲んでる奴しかいないのに忙しいと?」



「そうよ」



一通り整理し終わった書類の束を、一纏めにしてカウンターの上へ放り、どこからともなくパフェを取り出すと、それを頬張りながら視線で拓也に早く話せと催促した。


これ以上グダグダと意味もないやり取りをしていても時間の無駄。おまけせっかく彼女が珍しく好意的に接してきているのに、これ以上発言を渋っているとその彼女の機嫌を悪くしかねない。


あまり人様においそれと話せる内容ではなかったが……この世界に来た初日からの付き合いで、色々と世話になっている彼女にならば……話せると思った拓也。それに彼女の言った通り、彼は彼女に相談をするために来たのだ。



「ちょっと長い話になるんだけど……」



「ハァ…まぁいいわ、話してみなさい」



・・・・・



一方、ヴァロア家。


場所は浴室……熱いシャワーを浴びる銀髪の美少女が一人。




白磁のように白く透き通る美しい肌に水が跳ねる。



「はぁ……」



深く疲れた溜息は、いったいどういった意味が込められているのか。


それは彼女のみぞ知るところである。



「私も入っていいですか?」



すると脱衣所の方から聞こえてくるラファエルの声。


なぜ彼女が…と首を傾げたミシェルだったが、特に断る理由もなかったので承諾の意を込めた適当な言葉を擦りガラス越しのラファエルに聞こえるように返す。


ミシェルのその返答を受けたラファエルは、バスタオルでその抜群のプロポーションを覆い隠しながら浴室へと足を踏み入れた。


「やっぱりいいですね、ここのお風呂」



「…そうですか?」



「お風呂は好きなんです。ミシェルさんは好きですか?」



「私も好きですよ」



どうやらラファエルは……当たり障りのない話から入り、徐々に本題に切り替えていくつもりのようだ。




その後は他愛もない話がしばらく続き、髪も体も洗い終えた彼女らは内風呂のヒノキ造りの浴槽に張られた湯に体を沈める。


質の良い湯が体の疲れを取ってほぐし、二人の口からリラックスしているということを窺わせる息が漏れた。



「やっぱりお風呂はいいですねぇ~」



「はい。今じゃこれ無しの生活は考えられません」



温かみのある材質のヒノキに背中を預け、じっくりと雰囲気と湯の温かみを堪能しながら返答するミシェル。


すると彼女の隣に腰かけて同じように入浴を楽しんでいたラファエルは、チラを横目で彼女の様子を一瞥すると……遂に本題へ切り込んだ。



「さっきはガブリエルがすみませんでした……明らかにやり過ぎだったのに見過ごした私の責任です…」



「い、いえ…ラファエルさんやガブリエルさんに問題なんて……!


悪いのは……アレの正体を私に隠してた拓也さんです……」



まずはジャブ。謝罪を口にして少しでも彼女が話しやすい空気を作り出す…のつもりだったのだが……。


予想外にミシェルが非難の対象を拓也にシフトし、拗ねたように口元を湯につけてしまった。


彼女の性格を完ぺきに把握できていなかったと唇を噛むラファエルだったが、それを悟られないようにすぐさま自分の失言のフォローに入る。



「実は……アレは拓也さんが自分の意志で持っていたものではなくてですね」



「……どういうことですか?」



「セラフィムさんですよ。余計な世話を焼いて拓也さんにこっそりプレゼントしたみたいです」



「……じゃ、じゃあ拓也さんが望んで持っていたわけじゃないってことですか…?」



「そういうことになりますね」




ラファエルの口から真実を聞き、今までは微笑みながらも冷たいような落ち込んだような色が浮かんでいたミシェルの表情に、心なしか優しいモノが混ざり始めた。


とりあえず第一段階は成功と、ラファエルは内心でガッツポーズ。



しかし……ミシェルのそんな表情の長くは続かなかった。


彼女の脳内で再生されるのは、赤と銀の縞々の筒たちを見つけた時の記憶。


長い沈黙の後の激しい動揺した様子の彼の表情から自分なりに当時の彼の心境を読み解いて行くと……何故か良くない方にばかり思考が傾いて行ってしまうのだった。



「でもあの時……私が先にアレを見つけてなかったら………拓也さんはどうしたんでしょうか……」



二人の体の僅かな動きによってユラユラと揺れる水面へ視線を落としたミシェルは、表情にあまり変化はないものの、普段から彼女と接している者が見れば一目でわかる程に落ち込んでいた。


それはそうだ。もし彼が使うという方を選んだとしたら……それは彼の恋人として悲しい。


入り混じる悲しさと、自分の不甲斐なさ。そして…彼に対しての申し訳なさ。



浅く溜息を吐いた彼女は、今度は大体の人ならば気が付く程度にその表情に暗い色を落とす。



拓也が最も恐れていた事態……彼女は自分自身を責めてしまっていた。



「拓也さんには……数えきれないほどたくさんのモノを貰ってるのに……私は何も……」



「それは違うと思いますよ」



暗い表情のまま自虐し始めたミシェルの言葉をやや強めの口調で半ば強引に止めたラファエル。


その声量は浴室ということも相まって中々な騒音となりミシェルの鼓膜を激しく揺らし、彼女を驚かせるには十分だった。



「あ、大きな声でごめんなさい。


でも……これだけは分かっておいて欲しいんです」



驚きによって若干目を見開いているミシェルは、隣のラファエルのその言葉にゆっくりと一度だけ頷く。


ラファエルもそれに答えるように首を縦に振ると、アドバイスをするように右手の人差し指をピンと天井へ立てた。



「ミシェルさん。あなただって知らず知らずのうちに拓也さんにたくさんのモノをあげているんですよ?」



「……え?…わ、私がですか?」



「そうです。気が付いていないだけですよ?」



ラファエルは、キョトンとするミシェルにふわりと……まるで天使であるかのように柔らかく笑いかける。



「毎日のご飯、お弁当。数え出すとキリがありません。


拓也さんは……ミシェルさんが隣にいて笑っていてくれるだけで幸せなんですよ。


一体どれだけ惚気話を聞かせられたか……」



やれやれと頭に手をやるラファエル。


そんな彼女が視界に入っていることを今の彼女の話を聞いたミシェルはすっかり忘れてしまっており分かりやすい程に頬を朱色に染める。


数秒後、ハッとラファエルの存在を思い出したミシェルは、羞恥の象徴を両手で隠すように覆うのだった。


ミシェルのそんな仕草をラファエルは可愛らしいというようにクスクスと笑うと、湯気の漂う浴室のどこか……虚空を見上げて言葉を続ける。



「唯一の親友から離れて……この世界に来て一人ぼっちになった拓也さんを救ったのは………ミシェルさん。他でもないあなたです。


実は少し心配だったんです。拓也さんがまた孤独になるんじゃないかって……」



「そ、そんな…私は……別に何も……拓也さんは私と違って話が上手ですし、誰とでも仲良くなれたと思いますよ…」



「天界にいた時の拓也さんは……なんて言うんでしょう……今よりもっとギラギラしていたんです。


確かにあの飄々とした性格は天界に来る以前からのモノでしたが、今の拓也さんと比べると……やっぱり違うんですよ」



当時の事を思い出しながらそう語るラファエル。


その時の拓也がどのようだったかを知らないミシェルは、もしかすると共通点があるかもしれないと考え、出会った当時の拓也を頭の中に思い浮かべる。



「昔の拓也さんの交友関係は、親友ただ一人。そして……他人からの評価や目なんてどうでもいいという考えを持っていました。


拓也さんの過去は聞いていますか?」



彼女のその問いにミシェルは無言で頷いた。


忘れるわけがない。


彼は両親と生まれてくるはずだった家族を事故で亡くし、引き取られた先の祖父母も、山の事故で亡くしている。



「拓也さんは家族を目の前で二度も失っています。それだけでも精神に多大なダメージを負ったはずなのに……それ以後の彼を取り巻く環境は最悪と言っても過言ではありませんでした」






あの時にふと覗き見た彼の表情は……未だに忘れることができないミシェルは、彼の経験してきた壮絶な十数年を想像するだけで胸が激しく痛む。



「血の繋がっている親族からは邪魔者扱い。学校ではいじめ。何度も転校した先でも同じように…。確かに周りの人たちは拓也さんの詳しい事情を知っているわけではなかったので、冷めた態度の拓也さんが面白くなかったのかもしれませんけどね…」



それでも……やって良いことと悪いことはある。


過去のことで、更には別の世界での出来事とはいえ…小さな怒りの気泡が沸々と湧き上がってくるミシェルだった。



「そこで拓也さんは周りの目は気にせずに、自分のやるべきことに打ち込み続けるという手段を取りました。これは自分を守る為の手段です。


自分が傷つかないように……自分を守る為にそうしたんでしょう。


当然ですが………失うことが怖いんです。



そして天界に来た拓也さんは、修行に打ち込んで今のような常人離れした力を手に入れました。


本人は気が付いていないようでしたが……私たちの主である創造神様はちゃんと気が付いていたんです。彼が死に物狂いに頑張っているのは、自身の過去への贖罪だと」



ミシェルも拓也から話は聞いている。


二度目の悲劇。祖父母と共にクマに遭遇した時に、拓也は足に怪我をした祖母を見捨てたと本人は言っていた。


彼がそんな自虐的な言い方をしたのも、きっと無力だった自分に対しての罪悪感があったからなのだろう。



「並の人間からはかけ離れた強大な力。それを得た拓也さんには慢心……とはちょっと違うかもしれませんが、そういったものが心のどこかにあったんだと思います。


でも無理もないんです。彼もちゃんとした”人間”なんですから」



思えば、ラファエルの言う通り確かに…拓也が慢心のようなものを匂わせることはあった。


それはミシェルが自身の出生で悩んだ時。


彼は『自分は自分だ』


そういった後、自分の腕をへし折って見せ、更にそれを高速で回復させるという常人ではありえないパフォーマンスをし、彼女に自分がどう見えるかを問うた後…


『俺が人間に見えるならミシェルも人間だ』


僅かな自嘲を表情に浮かべながら……そう言ったのだった。



まるで自分が人間でないとでも言っているかのように…。



だが……彼のその言葉は、のちに彼自身によって訂正されることになる。



「『俺が人間に見えるなら私は人間』……ですか…」



そんな拓也の発言を思い出しながら笑みを浮かべるミシェル。



「『神にでもなったつもりだった』……確かにそうですね…拓也さんは神様じゃありません。とっても優しい……人間です」



明らかに他の人々からは突出した力を持った彼が、過去の自分の考えを恥じ、訂正している光景が頭の中で再生される。


恥ずかしそうに苦笑いしながらそう発言した彼の表情はミシェルの中で色あせることなく残ってい残っているのだった。


確かにラファエルの言う通り。それは慢心だったのかもしれない。



「でも……私は……あの時の拓也さんのあの言葉にすごく救われたんです」



しかし、彼のあの言葉で自分が救われたことには変わりはないのだ。


穏やかに微笑み、水面を見つめるミシェルを見たラファエルは、少しだけ不思議そうな表情を浮かべたが、しばらくすると察しの良い彼女だ。ミシェルのそんな少しだけの言葉の情報量で何があったのかを大体察したのだろう。


ラファエルは優しく微笑みながら何度か頷くと……静かに語りだした。



「人間は成長します。どうやら……拓也さんはまた成長したみたいですね。


ミシェルさん。あなたと生きていく中で」



彼女が言うギラギラしている拓也と言うのは、きっと贖罪に追われ、それを自らの使命だと思い込んで気を張っていた拓也のことなのだろう。


しかし……今の彼は、過去に対しての贖罪ではなく……すべてを背負って生きていくと決めた。


ミシェルを守りたい。ミシェルと一緒に居たい。今の彼の原動力は、自らの欲。


すべてを背負って、潰れそうなら支えてもらって……生きて行くことを決めたのだ。


欲と聞くと悪いイメージが先行しがちだが、それは少し違う。


欲のない人間なんて存在しない。



そして何より……欲がなければ、愛も生まれない。



「ちょっとしたことで笑ったり、ちょっとしたことで泣いたり。


長い間、無意識の贖罪という枷に縛られながら鍛錬に励んでいた拓也さんが本当の意味での”人間”を取り戻せたのは、ミシェルさんとの生活のおかげでしょう。


そして二人は惹かれあって……恋に落ちた。素敵ですね」






こんなちょっとしたことで赤くなって湯に沈みそうになるミシェルに、ラファエルは初心だとニコニコしながら見守る。


そして自分の目的…拓也の擁護とはだいぶかけ離れたことを喋っていたということに今になってから気が付き、自嘲気味な苦笑いをその顔に浮かべた。


すると何やら先程より真っ赤に赤面したミシェルが、湯の中で体育座りをしながら隣のラファエルに向けてポツリと呟いた。



「拓也さんは……男性ですから………やっぱりそういうこと…したいんでしょうか…?」



予想外にもミシェルの方が本題の方へ話を持って行ってくれた。


これは好機とラファエルは大胆…かつ慎重に言葉を選び、動く。



「恋人同士、好きな者同士なんです。したくないっていう人の方が珍しいんじゃないでしょうか?


ミシェルさんはとても魅力的ですし……きっと拓也さんはしたいと思っていると思いますよ」



ぎゅーっと自分の両足を抱え込み、モジモジと指や足を動かしながら羞恥を紛らわそうとするミシェルだったが……中々どうして。発散するよりも早く、羞恥の感情が無数の気泡となって心の中を埋め尽くしてしまう。


だが同時に情けなくもあった。



「私……彼女としてダメですね…。


ジェシカから借りた小説でのおかげで…少しは男女の関係とかも分かってるんです。


自惚れかもしれませんけど…きっと拓也さん……我慢しているんですよね……」



理解はしている。理解はしていても……自分から行こうとすると……どうしても羞恥心がストップを掛けてしまう。


チャンスを逃し、後になってああすればよかったと後悔する。そんなことが結構ある。


もう少しだけ積極的になれればと、一体どれだけ思ったことだろうか…。



「確かに我慢はしていると思いますが……ミシェルさんがダメな彼女ということはないです。拓也さんはミシェルさんのことをちゃんと理解していますよ。


だから…あなたの準備ができるまで待っているんです」



自分は男性ではないから、彼が一体どういう心境かは分からないミシェルだったが……待ってくれているという知っている事実を改めて言葉にして聞くと、何とも言えない…嬉しいような申し訳ないような気持ちに陥るのだった。




まぁ…関係が進展しないのは確かにミシェルが基本的に消極的だというのも理由の一つなのだが、実際には拓也がチキンすぎるというのが主要因である。


考えてもみて欲しい。


ミシェルは不定期だが、拓也に歩み寄ろうと様々な手段を講じてみたり、天使たちの悪魔の囁きに唆されたり。


思えばファーストキスもミシェルの方からだった。



しかし、対して拓也が一体何をした?



手を握るだけで平常心を取り乱し、ミシェルにキスした欲しいとせがまれ、その言葉の本質をちゃんと理解しながらも…キスを落とした場所は頬。


チキンハートもここまで拗らせると非常に厄介。


ミシェルはこうして自分を責めているが……実際の所、悪いのは大体拓也と言うことで話が付いてしまうのだ。



「でも…歩み寄ろうとする心がけはとてもいいと思いますよ。



それから少しアドバイスをしておくと…」



「アドバイスですか?」



「は、はい、アドバイスです」



若干食い気味に聞き返してきたミシェルの蒼い瞳に宿るのは、期待と興奮。


その雰囲気に瞬時に押されたラファエルは、彼女の気迫に少しだけ仰け反ると、また右手の人差し指をピンと立ててから語りだす。



「前にガブリエルも言っていたんですけど、キスにしてもエッチにしても…要は最初の一回だけ頑張って、こちらから誘えばいいんです」



ミシェルの精神状態が回復してきたと察した彼女の口から飛び出したのは…夏休みのパジャマパーティーの時にガブリエルがポロっと口にしたテクニックだった。


実際の作戦は失敗に終わってしまったが、結果的には拓也が頬にキスをしてくれたという、ミシェルとしてはそこそこの成果を得られたあの出来事。



「拓也さんは重度のチキンです。クソヘタレです。だから積極的にミシェルさんに手を出してこないんです。


ならば、こちらから仕掛ける他ないでしょう?」



「そ、そうなんですか…?」



「あのヘタレはミシェルさんに手を出さない理由として、あなたが準備ができていないということを挙げています。


だからミシェルさんが行動を起こしてしまえば、拓也さんを縛っている理由は無くなります。


自分から仕掛ける分、勇気必要ですが…一度だけ頑張れば、次からはきっと拓也さんの方から積極的に来てくれると思いますよ」



回復したと見るが早いか巧みな話術で誑かす。まさに悪魔である。




・・・・・



「まぁ別にそれくらいだったら謝ってからちゃんと説明すれば許してもらえるし、分かってもらえるんじゃない?」



「でも……」



「はいもうめんどくさい。とっとと行きなさい、仕事の邪魔よ」



一通り拓也の話を聞き終えて、今起きていることの一部始終を把握したリリーは、めんどくさそうに溜息を吐くと、カウンターに項垂れながらオレンジジュースをチビチビと飲んでいる拓也にそう吐き捨てた。


自分たちが出る幕はないと悟ったガブリエルにウリエルは、変装した状態で周囲の酒飲みたちに紛れている。



「だってそうじゃない、別にそれを使うつもりはなかったけど部屋に勝手に置かれてたんでしょ?なら逃げずにちゃんとそう説明すればいいのよ」



「だってミシェル……めっちゃ怒ってたし…」



「それはアンタがちゃんと説明せずに逃げたからでしょうが」



「……確かにそうだけどさ……」



「ならやることは一つでしょうが。男ならグチグチ言ってないで行動しなさい」



サバサバとした全く遠慮のない物言いで泣きながらカウンターに伏せる拓也を追い込んで行くリリー。


彼女のそんな対応も……少々きつく言わないと行動をしない拓也の性格を熟知してのモノだった。



その証拠に、拓也の口からは小声で『そうだよな~…』やら『ちゃんと話さなきゃだよな~…』やらといった、前向きな言葉が零れ始めている。


普段は争いが絶えない二人の間柄だが、こういった時にはお互いの特性を両者が把握していることは何かと非常に便利である。



「凄…い……拓也の扱い……分かって…る……」



「そうね……素直に凄いわ…」



外野から見守る天使二名は彼女の方を眺めながらそんなことを呟く。


しかし……未だに席を立とうとはしない彼をチラと一瞥したリリーは、また溜息を吐くと、彼を気遣っているのかそれとも本心で言っているのか……五分五分の何とも言えない表情で彼に喋りかける。



「ったく、アンタってめんどくさいわね」



「……悪かったな」



「ほらそういうとこ」



「………」






周りから見れば拓也がボロクソに言われているように見えない。


いや、というかその通りなのだが……リリーの場合はこのように同情する様子は見せずに、淡々と正論を述べるということが彼女の持ちうる最高の治療薬だった。



「納得できないなら自分から動くしかないのよ、妥協するなら別にそうしてればいいと思うけれど」



「……それは嫌だ」



リリーがグラスを磨くては止めずに、視線だけを拓也に向けながらそう吐き捨てると、彼はユックリと顔を起こして自分の意思を口にした。



「なら早く行く」



「……だよな……はぁ…」



拓也はグラスの中の飲み物を一気に飲み干すと、家でブチギレているであろうミシェルの形相を勝手に想像し、ブルーな表情を浮かべる。


そしてそれらに続いて、ボッコボコにされる自分の姿も容易に想像できてしまい、青を通り越した色に顔が変色している彼であった。



だが……リリーの言う通り、自分が行動を起こさなければ状況は一向に変わらないというのは間違っていない。


むしろ時間が経てば経つほど……彼女の怒りが増幅していくかもしれない。



「ご馳走様、お代は置いとくぞ」



「はいはい、せいぜい頑張りなさい」



ヒラヒラと手を適当に手を振りながら決心を固めた拓也の背中を見送るリリーは、彼が出口に到着するまで待たずにグラス磨きに集中し直した。



ガブリエルとウリエルは、純粋に驚いていた。



「アイツをああも簡単に……凄いわね……」



「凄……い…」



ミシェル関係でボロボロになった拓也のメンタルを、ある程度の所まで簡単に持ち直させてしまった。


気分が落ちている拓也の精神状態を持ち直させるのは、鉄を熱して剣を作る程にめんどくさいのはガブリエルたちが身をもって知っている。


それを……まるでケツを蹴り上げるような乱暴で大胆なやり方で回復させてしまうとは…正直言って恐れ入った二人だった。




あまり気が向かないが、仕方がない。自分が悪いのだから……ミシェルにちゃんと謝って許してもらわなければいけない。


そんな意識に突き動かされるようにフラフラとギルドの出口に向かって歩く拓也が、ドアノブに手を掛けようとしたその時……。



「おうふッ!!」



ゴン!という衝撃音と共に彼の視界は一瞬歪み、気が付いたら天井を眺めるような形になっていた。


いきなり何がどうしたんだといったような表情で固まった拓也が、思考に夢中になってボーっとしていると……続けて後頭部を衝撃と鈍痛が襲う。



「ふぇぇ痛いよぉ…」



頭を押さえながら幼女のように小さく悲鳴を上げる拓也に、向こう側からドアを開けたであろう張本人が慌てた様子で駆け寄る。



「ご、ごめんなさいちょっと急いでて……」



どうやらぼーっとしていたせいでドアの命中を喰らった様子の拓也。その証拠に、顔の中心の鼻から滝のように鼻血が溢れだしている。


明らかに重症な様子に、一瞬顔を青ざめさせた銀髪を揺らす女性……ミシェルだったが、頭を抱えて地面を転げまわっている人物が誰であるかを確認すると、別の意味で驚いた表情を見せた。



「…って……拓也さん!!ちょっと大丈夫ですかッ!!?」



「いやいやミシェルちゃん。たった今大丈夫じゃなくなったんだけど……」



「ご、ごめんなさい……」



リリーが冷静にツッコむが、ミシェルはとりあえず謝っておくことしかできなかった。



「お、なんだなんだ夫婦喧嘩か~!?」



「流血沙汰って…やり過ぎだぞ~ミシェルちゃん!!」



「う、うっさいです!!違いますからッ!!!!」



ミシェルのことを昔から知っているギルド員の飲んだくれがそんなヤジを飛ばしてからかうと、拓也との仲をからかわれる内容だったためか、いつもならばクールな対応を見せる彼女も、珍しく人前で赤面しながら少々乱暴な口調でそう返し、転がる拓也を引きずってギルドの外へと慌てて出て行ってしまうのだった。



片手にした拓也を石畳の上で容赦なく引きずるミシェルは、もし周りに人がいたのならば悪魔として映るのだろうが……当の本人には全く悪気がないということは分かっておいていただきたい。


ただ羞恥に駆られているだけなのである。


それからどれだけ引きずられたことだろうか……ようやくミシェルがその足を止めた。



いきなり顔面に強打を喰らったかと思えば、市中引き回しを喰らって……流石に動揺している拓也は、無言のままようやく解放された首をもたげ、倒れたままミシェルの顔を見上げる。


すると……拓也のそんな視線に気が付いたミシェルは、ふいっと上気した顔を逸らした。



「急に……ごめんなさい……。


謝っておかないとって……思って…」



「あ…謝る…?」



彼女が一体何に対して謝ろうとしているのか……まったくわからない拓也は、そう尋ね返して首を傾げて見せると、ミシェルは彼のその問いを肯定するように首を一つ縦に振る。



「い、いやミシェルが謝ることなんて…!!


逆に謝らなくちゃいけないのは俺の方で……」



彼が落ち込んだ様子でそう発言するやいなや……ミシェルは目を瞑ってその首を激しく横に振って違うと言葉ない表現をして見せた。



「拓也さんは……悪くありません…。



ラファエルさんと話して…色々、考えてみたんです」



よりによって何であんな悪魔と……全身を包む嫌な予感に、思わず表情を引きつらせる拓也。


無理もない。今まで彼女によって……どらだけミシェルによろしくない過激な知識が刷り込まれようとしてきたか…。



「ラファエルさんは…それぞれのペースで、無理する必要はないって……言ってましたけど…


やっぱり拓也さんは我慢してくれてるんですよね…?」



以外にラファエルがまともなことを言っていた。それが拓也の抱いた第一の感想。


そして時間を追って彼女の言葉を理解して……。



「ほ…ほわぁッ!!?」



非常に動揺し、取り乱してしまうのであった。




「だ、だって……拓也さんだって男性ですし……私もちゃんとわかったんです……」



「え、い、いや…その………………」



一体どう返せば正解なのだろうか…思考回路が焼き付きそうな錯覚に陥る拓也。


いくら考えても考えても……冷静さを失った思考回路では、的確な返答を選択するなどということはできはしなかった。


震える唇で彼が紡いだのは……



「…確かに我慢してるってとこもあるけど………」



偽りのない真実だった。


彼のその返答に、自分でもその言葉が返ってくるとある程度察してはいてもやはり恥ずかしかったのだろう。ミシェルは逸らした顔を伏せて、少々の沈黙に入る。


そんな彼女にどんな言葉を掛ければいいのか……分からない拓也もまた沈黙してしまう。


その沈黙が数十秒続いた後に……ミシェルが座り込む拓也の手を優しく両手で包み込むようにして持ち上げると、彼女自身も膝を折り、彼の前に屈む。


そして……何を考えたのか、握ったその拓也の手を……自分の胸の上。

鎖骨の間辺りに自ら触れさせた。



見る見るうちに赤面した拓也。あからさまに動揺している。



「ちょ、ちょっと待ってなにゃにしてんにょッ!!?」



「拓也さんに触られるの……嫌いじゃない………むしろ…好きなんです」



赤面しながらも言葉を紡ぐミシェルに対し、果たして人間の動きなのかというレベルの動きで、全身で動揺を体現する拓也。



「でも……どうしてもその先を考えると……その…恥ずかしくて………いつもいつも拓也さんに当たっちゃって……」



掌から伝わってくる彼女の体温。


優しく包まれる手。



どうしてか…羞恥で乱れた心が、氷見に水を掛けたかのように落ち着いてしまう。



「本当にごめんなさい……」



朱に染まった彼女の顔にも、申し訳なさそうな色が浮かんだ。





文字通り手に取るようにわかるミシェルの鼓動。


速く、強くなって行く掌に伝わる振動から、彼女がどれほどまでに緊張しているのかは容易に分かってしまう。



しかし彼も男の子。一体彼女がそのような心境でこのような行動を起こしたかを考える前に……掌の下の部分を中心に触れる柔らかなおぱーいの感触にどうしても煩悩を掻き立てられて、よからぬ考えが頭の中を過る。


彼女は真剣な話をしてくれているのにと、自分が恥ずかしいと言うように目を伏せた拓也。



「俺ってやっぱり最低だわ…」



口から自然にそんな言葉が零れる。


それは情けない自分に対しての言葉だということは……きっとミシェルにも何となく分かったのだろう。


拓也の手を握るミシェルの手に力がこもる。



柔らかく…ギュッと握り締められた手。思わず顔を上げた拓也の視界に映ったのは、サファイヤのように美しく透き通った瞳にうっすらと涙を浮かべるミシェルの今にも起りそうで泣きそうな顔。


彼女のその表情を視界に移した途端……脳内を汚染していたピンクの波が、スーッと引いていくのが自分でも分かる拓也。


数秒の沈黙の後……ミシェルが拓也の手を握りしめたかと思うと、普段の落ち着いていてクールな口調とは打って変わり、叫ぶように拓也に向かって語りかけた。



「拓也さんは男性なんだから仕方ないんです!!そういう…ちょ、ちょっとエッチな事とか考えてても全然おかしくありません!!」



「ちょ、み、ミシェル声大きい…ッ!!」



「あ……ご、ごめんなさい……!」



遠くの人がこちらへ振り返っているのを発見した拓也が慌ててミシェルにそう呼びかける。人通りがまぁまぁ少なかったのがせめてもの救いだ。



「だから拓也さんはおかしくないんです……」



「わ、分かったから……一旦家戻ろ?ね?」



流石に外でこんなやり取りをするのはお互いにとっていい選択とは言えない。


拓也はミシェルがコクリと頷くのを確認すると、自分たちを注視している者がいないことを確認し……空間魔法を発動させてミシェルと共に自宅へ飛んだ。



・・・・・


とりあえずリビングへ飛んだ拓也とミシェル。


お互い向かい合うようにしてソファーに腰を下ろした二人だったが、お互いに何も喋りだすことはせずにしばらくの間沈黙が続いたが……少しだけ勇気を出した拓也が口を開くことでその沈黙は終わりを告げた。



「ミシェルがそうやって歩み寄ってくれてきてすっごい嬉しい……だから……俺はいつまででも待ってるからさ………その……なんて言えばいいんだコレ……」



自分では喋る言葉を頭の中で作っていてそれを朗読しているつもりでも、じっと自分を見つめてくる彼女の瞳を見つめ返しながら喋っていると、まるで金縛りに掛かってしまったかのように体が硬くなってしまい……終いには舌も回らなくなってきてしまう。


自問自答のようなことを口にしながら発言を止めた拓也。彼の頬には、自分が言おうとしていた言葉の決定的な部分を改めて思い出してしまったが故の朱が浮かび上がった。



またもや流れ始めた沈黙。先程とは違い、拓也がそれを破る気配はない。



すると……今度は、赤面した彼を見つめていたミシェルが口を開いた。



「私も………その………頑張ります……ね?」



「お、おう!!じゃ、じゃあもうこの話は終わりなッ!!」



羞恥心が限界に達していた拓也は、好機と見るやいなや両手を打ち合わせながらそう言葉を放ち、無理やりこの話題を終わらせようとした。


だが、ミシェルの方もあまりこの話題が長引くのは個人的にも好まなかったのだろう。俯き加減で顔の色を必死に隠そうとする彼女も彼のその発言に一度だけ首を縦に振り肯定の意を示す。



「さ、さて……我が愛弟子ビリー君はいずこへ~……」



それはあからさまな逃げだったが……それでいい。


時には逃げることも大切で、彼らには彼らのペースがある。


ゆっくりと進展していけばいいのだ。



リビングを後にして玄関のドアに手を掛けた拓也と、ソファーに腰かけたミシェル。


二人の顔に、羞恥に染まりながらも…満足そうな笑みが浮かんでいたのは言うまでもない。




「すまんな拓也、燃やしちゃった」



「……少しは手加減してやれよ……」



玄関を開けた先にいたセラフィム。彼の片手には何やら黒い塊。


拓也は呆れたように溜息を一つ吐くと、彼から黒い塊を引き取ってそう呟くのだった。




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