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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第二部
43/52

学園生活




「早くしてください、夏休み明け早々遅刻は嫌ですよ?」



「俺は毎日が休日の精神で生きている。一緒に自宅の警備でもしようぜ?」



「そうですか。では留守番よろしくお願いします」



夏休みが遂に終わりを告げ、しばらくぶりの登校。


玄関まで来ているというのにそんなことを言って登校を拒否している拓也にミシェルは冷たくそう言い放つと、一人玄関を開けて行ってしまった。


拓也は慌てて靴を履いて彼女を追いかけて玄関から飛び出すと、しっかりと施錠して彼女の背中を追う。



「あれ、結局来るんですか」



「まったく……本当は一緒に来て欲しかったくせに~キャピ☆」



「ハァ?」



「ジト目……ンギモッチィィィ!!!」



流石は拓也。朝から全くの加減なくフルスロットルである。



それにしてもミシェルの拓也に対する扱いも慣れたものだ。そんな気色悪いことを叫びながら自分の体を抱く彼を完全に無視し、早足に先へ行ってしまうのだった。



しばらくは淡い期待を込めてそんなエキセントリックなモーションを続けていた拓也だったが……誰からのツッコミも得られなかったのが堪えたのか、またミシェルの背を走って追う。



「やめろミシェル、無視は俺に効く」



「知ってます」



「そ、そんな俺のウィークポイントを進んで突いてくるなんて………ンギモッチィィィッバハマァァ!!?」



「うっさいです」



刹那……彼の鳩尾を打ち抜く肘。


意味不明すぎる悲鳴と共に口から朝食をマーライオンしそうになった拓也だったが、何とか堪えて涙目で腹部を摩りながらミシェルの隣を黙って大人しく歩き始めた。



それにしても彼の飼い慣らされっぷりは失笑モノである。



「この前脱衣所にあったミシェルのパンツ見つけたんだ。あ、水色のやつね、縞々の


それでダイレクトにそのまま楽しむかデトックスウォーターにして抽出して楽しむか迷った挙句……」



「………」



しかし拓也の心は折れてなどいなかった。


呆れ顔のミシェルは深く溜息を一つ吐くと、得意げに喋っている彼の左前腕をそっと右手で掴む。


次の瞬間、拓也の腕はおかしな方向へへしゃげた。



「チョッギップリイイイイイイイイイイイイイィィィィィィィィィ!!!!!」



心は簡単に折れなくても骨は案外簡単に折れるのである。



へし折れた腕を涙目で摩る拓也。毎度のことだが懲りない彼の脳みそにはきっと学習能力的なものはないのだろう。


そんなやり取りを数回繰り返しながらようやく見えてきた学園。



すると、見慣れた茶髪を緩い三つ編みにした少女が二人の視界に入った。



「おっすセリー」



「拓也君、ミシェルさんも!おはよう~



拓也君腕どうしたの…?」



「あぁ大丈夫、ただの複雑骨折だ」



「そ、そうなの……」



青く晴れ上がった彼の腕を眺めて奇妙な顔をしたセリー。


全然大丈夫そうではなかったが……そんなことを考えているうちにいつの間にか彼の腕は元通りになっていた。



しかし彼のそんな面を一々気にしていては身が持たないので、とりあえずスルーして生徒用の玄関の方へ歩を進める。



「セリー課題終わった?」



「終わったよ。ちょっと大変だったけどね~」



「奇遇だな、俺も終わってる」



「それが当たり前です」



他愛もない会話をしながら歩みを進める拓也たち。



ミシェルは当然だと…そう言ったが……彼らのいつもの面々の中で、それが当たり前ではない人間が一人いる。



「ジェシカがいるじゃん」



「あぁ………そうでした……」



長期休暇の度に泣き付かれることを思い出したミシェルは、頭痛に襲われたのか額にそっと手をやりながら靴箱を開けた。



するとその刹那……中から大量の手紙が雪崩のように地面に落ちる。



「なんですかコレ…」



「だから今日は休んでほしかったんだよ……」



その一つ一つ……例外なく彼女への思いを告げる手紙。



普段は拓也の根回しとジェシカの巧みな誘導によって彼女へこういった手紙を差し出したりする輩はとりあえず十数人なのだが……。



長期休暇を挟むことによって拓也たちの働きの効力が薄まり、こんなことになってしまう。


去年もひどいモノだった。



ミシェルと拓也、セリーはそれらを協力して拾い集めて拓也が手にしていた一つの袋に纏めると……



「じゃあ燃やしてくるッ!」



「バカですか、待ちなさい」



瞬時に踵を返して来た道をフルダッシュで逃げようとした拓也だったが、ミシェルに足を掛けられて顔面から石畳にスライディング。


手の中の袋も結局ミシェルに取り上げられた。





手にした袋の重さと目の前で俯せに倒れる彼に深く溜息を吐くと、まるで悪さをした子供を説教するかのように口を開く。



「出し手の気持ちも考えてください。読みもせずに燃やすのは少し可哀想です。


選別してから直接お断りしますから」



「せ、選別……?」



「会って欲しいと明確に記載してあるモノですね。申し訳ないですけどコレ全部に直接会っていたら時間が足りませんから」



「あ、あぁ、そういえば去年もそうだったよね……」



二年生の夏休み明け初日。


学年問わず、放課後ミシェルの下に並んだ生徒たち。



その長蛇の列は果たして何十メートルあったのかは定かではないが、とりあえず全員がお断りされたのは言うまでもない。


それにしても拓也という恋人がいると知りながら、どうして周りは彼女へのアプローチを止めないのだろうか?



きっとそれは彼女のルックスは言わずもがな、意図せずだがそんな冷たい表情を見せながらも何か困っていると優しくしてくれる彼女の性格的なモノも大きいのだろう。



「だってこの数は絶対去年断られたやつもいるよね!?どうしてさ!!どうして俺が彼氏ってわかってんのにアイツらこんなことしてくんの!!?


俺がフツメンだからか!!?フツメンの俺からならミシェルと盗ることぐらい造作もないってかッ!!?



よし分かった、そいつら全員俺の前に並ばせろ。1人ずつ断罪してやる。


さぁ………テメェの罪を数えろォォォォォォォォッ!!!」



ちなみに去年……激昂して暴れ狂う拓也を抑え込むのに四大天使と熾天使が駆り出されという事態に陥ったのだが……どうやら今年もそうなりそうだ……。


ミシェルは放課後、本意ではないがセラフィムを呼び出すことを決意する。




「まったく……だからちゃんと断ってきますから大丈夫ですってば」



でも彼のそんな態度は、嫉妬されているような感じもして……なんだか少しだけ嬉しいミシェルなのであった。



非常にブルーになった拓也を引きずりながら教室へ向かうミシェル。


彼は一見一般人と変わらない肉体をしているが、最後まで筋肉がたっぷりなので鉛の塊でも引きずっているかのように重い。


そしてやっとのことで辿りついた教室には……ミシェルが目を疑うような光景が広がっていた。



「……珍しいですねジェシカ、あなたが遅刻ギリギリじゃないなんて」



何故か……数人しかいない教室の中には、毎日滑り込みセーフで教室に入室してくるジェシカがポツンと自分の席に腰かけている。


その呼びかけでミシェルの存在に気が付いたジェシカは、ギギギ…と、まるで油の切れた機械のような動作で首を入口の方へ向けて……いつもの無邪気なモノとはかけ離れた………非常に不気味でぎこちない笑みをその顔に浮かべた。



「オ…オアヨウゥ……」



「……はい……おはよう…ございます……」



不気味さを感じさせる声。一体どうしてしまったんだと首を傾げたミシェルだったが、彼女の机の上に散りばめられたノートやプリントの数々を見て……察する。


しかしにわかには自分のその思考を信じられず、片手に引きずっていた拓也を投げ捨て小走りで彼女の下へ近寄った。



「ま、まさか……課題を全部やったんですか!!?」



「…ウン」



何故片言になっているのかは分からないが…その口から紡がれたのは肯定。


もしそれが本当ならば、大きな進歩。少し興奮したミシェルは、虚ろな目をして虚空を見上げるジェシカの肩を掴んで再度問う。



「全部一人でやったんですか!!?」



「…イェア」



再度彼女の口から零れるのは肯定。


その表情にも微かに笑みが宿っているかのように思える。やってやったぜと言わんばかりの笑みが……。



「凄いじゃないですか!!やっぱりジェシカはやればできる子なんです!!!」



「…ドウヨ」



フッとそんな言葉を零したジェシカを抱きしめるミシェル。その様子はまるで姉妹である。




ミシェルとジェシカが戯れている中……教室に入ってこようとする新たな影があった。


金髪を……今日はポニーテールにしている髪型。一貫性の無い王女。


そのせいもあってか大体の人間は彼女の存在に気が付くことができない不可視の王女。


彼女は教室へ入るなり、足元に転がるフツメンへチラと視線を向けて一言。



「あら、何か目障りなモノが足元に転がってますわ」



「え、誰?乳で顔が見えないんだけど。あとパンツ見えてんぞ、何それシミ?漏らしてんじゃねーぞ」



しかしそんなことをされれば数十倍にして返すのが拓也流。


だが……次の瞬間そんな自分の発言は、数百倍になって顔面に返ってきた。



「は、ハァ!!?ふざけんなですわッ!!!!染みなんてないですッ!!!!!」



「いやマジだって………キタネェ」



「聞こえていますわァァァァァッ!!!!」



1hit 2hit……凄まじい轟音でビートが刻まれ、拓也の顔面はそれはそれは見るも無残なフツメンに変わり果てたのだった。



拓也の態度に怒ってしまったのかメルは最後にお馬さんよろしくな後ろ蹴りを拓也の側頭部に叩き込み、自分の席に座ってしまった。


教室入り口近くまで弾き飛ばされた拓也は、その顔にどことなく笑みを浮かべながら教室のドアに背を預けてハードボイルドな風を装っているが……生憎顔がハードボイルドには程遠いため、ただの中二病にしか見えない。



「あれ、拓也じゃないか。朝からそんなとこで流血してどうしたんだい?」



「気にするな、これは俺の背負った”罪”だ」



続いて入室してきたアルスに向かってククク…と笑いながらそう口を開いた拓也。


カッコよく言ってはいるが、実際に不敬罪という罪に該当するので全く笑い事じゃないのだが……。



まぁメルはなんだかんだで優しいので許してくれるだろう。



・・・・・



「で~、たっくんなんで拗ねてんのよ~!」



「やかましい、分かってるくせに~!」



ホームルームが終わって授業が始まると、少しの空間を開けて隣の席に座っているジェシカが突如話しかけてきた。


課題の提出やらなんやらで、どうやら本日は授業自体はそこまで進まないようだ。


それを見越したジェシカは既に楽しむ道へと走ったのだろう。


まぁそんなことばかりしているからあとで授業についていけずに大変な目に遭うのだが……真面目に課題をこなしたのだから今日ぐらいは許してやってもいいのかもしれない。



「やっぱり夏休み挟むと私たちの働きの効力も薄まっちゃうね~。


ちらっと手紙の中見たけど、頭を冷やして考えました…ってフレーズ見て爆笑しちゃった~」



「あのクソ暑い中でどう頭冷やしたんだろうな~」



「もー安心しなってたっくん!ミシェルはアンタにベタ惚れだからさ~!!」



「うん、それは知ってるんだけどね?」



「うわー惚気だー!!」



ワザとらしく机に倒れ込みもだえるジェシカ。しかしそんなことをしようともミシェルならばともかく拓也は全く狼狽えない。


それにしても……朝の様子から見てどう考えても徹夜しているのに、この元気の良さは何なのだろうか……。



「それでそれで~?



そっちの進行はどうなのさ~?キスぐらいしたの~?」



「っふ…」



「何その意味ありげな笑い方~!!ちょっと聞かせてよ~!!!」



「聞いて驚くな…………なんと俺はミシェルの額にキスをした」



「なーんだおでこか~……」



あのお泊りの日にミシェルを唆して嗾けたジェシカは、予想以上のことは起きていなかったとつまらなさそうに溜息を吐いて見せた。



すると拓也は彼女のそんな心境を読み取ったのか……ニヤリと口角を吊り上げてとあるカードを切った。



「でもミシェルは唇にしてきてくれたぞ」



「嘘ォォッ!!」



「おいミルシー、うるさいぞ」



「すみませ~ん!!!」




大声を出し過ぎたせいで教科担任からそんな注意がジェシカに飛び、彼女はテヘヘ…と頭を掻きながら小さくなる。


拓也は彼女のそんな反応が満足いくものだったのか、頬杖を突きながらニヤニヤとした笑みをその顔に浮かべた。



「え、うっそ、マジで…?ミシェルから…?」



「マジマジ。でも舌入れようとしたら…」



「ダウト」



「何故分かった」



「たっくんにそんな度胸はない」



「悔しいが正解だ」



名探偵も顔負けな名推理を見せたジェシカは誇らしげにその何もない胸を張る。


失笑を零した拓也は地獄に落ちるべきだろう。



「へ~でも意外だな~」



「俺もびっくりした。思わずこのイケメンの仮面が剥がれ落ちるところだった」



さっきの仕返しと言わんばかりに嘲笑するジェシカ。


しかしイケメンの仮面というのは嘘だが、彼のおどけるような態度とニヤケた表情で作ったが照れ隠しが崩れかけたのは事実。


本人もあの時の事を思い出しているのか、ほんの少しだけいつもとは違う綺麗な笑顔を浮かべた。



するとジェシカは、拓也のその発言から連想させてなにやら面白いことを思いついたのか……笑いを堪えんながら拓也に向かって口を開く。



「これは夜を共にする日も近いんじゃないですかねぇ……」



「心配するな、この前ベッドまでお姫様抱っこで運んで行ったら世紀末覇者顔負けの連打を全身に浴びたから」



「アッハッハッハ!!!」



「うるさいぞーミルシー」



「すみませ~ん!!」



爆笑したジェシカに再度教師から飛ぶ注意。


クラスメイトが笑う中、ジェシカはまた謝罪を口にして席で小さくなった。



拓也はまた頬杖を突きながらしてやったりと言わんばかりにニヤニヤとした笑みをその顔に浮かべる。



「でもさ~、たっくんホント凄いよね」



「ん、なにが?」



「ミシェルみたいな美少女と恋人同士で、尚且つ一緒に住んでるのに手を出さないなんてさ~。


私だったら速攻で襲っちゃうよ~!!」



「なるほど、女の子が好きだったのか……まさかミシェルを…?」



「違うし盗らないよ~!」



危うくジェシカにレズ疑惑が掛けられる所であった……。



自分が標的にされているというのにもかかわらず、面白いことには反応してしまう彼女は

教師の目につかないように声を殺して一頻り笑うと、拓也と会話していて遅れた分ノートを取り始める。


拓也も彼女が真面目にノートを取り始めたことを確認すると、自分も彼女の後に続く。



するとその次の瞬間、真面目にノートをとっていた彼女の頬に、消しカスのようなモノが多段ヒット。


何事かとそちらへ振り向くと……



圧倒的画力で描かれた拓也の変顔と、それと全く同じ拓也自身の変顔が視界いっぱいに映った。



「ブフォッ!!」



「うっせーぞミルシーッ!!何回言わすんだッ!!」



「ちょ、待って先生!私悪くない!!たっくんが笑わせてきたんだもん!!」



自分は悪くないと隣の席の拓也を指さし無実を証明しようとするジェシカだったが……


しかし相手は拓也。



当然のようにノートの上の落書きは消え、ハイセンスな自画像の代わりにノートに浮かぶのは黒板とまるっきり同じ文字や図。



「何言ってんだ、鬼灯なら真面目にノートとってるだろ。真剣に勉強してる者の邪魔はするなよ」



「なッ……たっくん卑怯だよ!!!」



「え、なになに?俺っち真剣に勉強してたからわかんないコイツ何言ってんの?」



彼のせいで彼女はクラス全体の嘲笑の的と化す。


依然として無罪を証明しようと席から立ち上がって身振り手振りを交えて訴えかけるジェシカだったが、生憎物的証拠が何もないため、彼女の敗訴は決定的だった……。


彼女は拓也の暇つぶしの犠牲となったのだ……。



涙ぐみながら椅子に腰をおろしたジェシカ。その表情は闇に落ちたかのようにも思われる程に暗い。


拓也は誇らしげに鬱陶しい笑みを向けてくるが……次の瞬間、拓也のその表情は崩れ落ちる。



「童○のくせに………」



「んだとこらァァァァァァ!!!」



「うるせぇぞ鬼灯ィィィィィッ!!!!!」



「あ、はい、さーせん」



ジェシカは計画通りと言わんばかりにニヤリと口角を吊り上げた。




今度は拓也がクラスメイト達の嘲笑の的となる。


拓也は最初にジェシカがやったように頭を掻きながら照れたように謝罪して自分の席で小さくなった。



「やってくれたなジェシカ……」



「おかえしだもーん」



「もう止めようぜジェシカ。憎しみの連鎖はどこかで断ち切らないといけないんだから……」



突如として真面目な顔をした拓也は何を考えたのか、妙に達観したような表情をその顔に浮かべると、まだ交戦態勢を取っていたジェシカに向けてそう呟いた。


そんな彼の様子を見ていると、何故か心が安らぎ、覆わず頷いてしまう。



すると拓也はニコリと綺麗に微笑んで、感謝するというように『ありがとう…』と口を動かした。



「はい、じゃあミルシー。これ答えてみろ」



「え、え…ちょ、ちょっと待ってね!」



そんな絶妙なタイミングでジェシカに回答を迫る教師。


慌ててノートを持って立ち上がったジェシカだったが……拓也とのやり取りのせいでまだ書けていない。


絶体絶命……そんな時だった。



「答えは85.4だ……」



隣から聞こえる救世主メシアの声。


周りには聞こえない程度の声量で、ジェシカだけに伝えられる秘密の暗号。



「たっくん……!」



さっきはごめん!酷いことして……陥れてごめん!


内心での彼への謝罪は尽きない。




しかし……今は彼がくれたチャンスを無駄にしないことが優先。



彼女はビシッと教師を指さしながら渾身のドヤ顔で口を開いた。



「答えは85.4だよ!」



刹那、静まり返る教室。



だがそんなのも束の間。その次の瞬間、教室には笑いが沸き起こった。



心底呆れたような表情の教師は、額に手をやりながらジェシカに語り掛ける。



「……ミルシー……俺の担当教科は何だ、言ってみろ」



「え、歴史でしょ?やだ―何言ってんの?」



「お前は数学でもやってんのか?」



「……………………あっ」



キッと拓也を睨み付けるジェシカが……最高にむかつく笑顔が返ってくる。



「鬼灯、答えてみろ」



「ハッハーッ!答えはCカップだァァ!!」



「テメェは授業中に何読んでんだよ、没収な。あと廊下に立ってろ」



なんだか許してもいいと思うジェシカだった。




・・・・・



「お前マジでバカだろ」



「うるせぇ、教科書が偶然鞄の中の雑誌にすり替わってたんだよ」



「どっちにしろ持ってきたのは自分じゃねーか……サイコーだぜお前」



授業終了後、男子のクラスメイトは拓也を英雄として迎え入れていた。



それを遠巻きに見守るのはジェシカ、ミシェル、メルの三人。


爆笑するジェシカを除いた二人は、賞賛される彼に蔑みの視線を向けている。



「あのバカは何してるんですか……」



「最低ですわね…」



「いやぁ~、流石たっくんだよ~」



溜息交じりにそう呟いたミシェル。


するとジェシカは何か面白いことを思いついたのか、口元を隠して笑いを呑み込むと、妙に真剣な表情を作ってミシェルに喋り掛ける。



「でもさミシェル。真剣な話なんだけど……」



「…な、何ですか急に」



いつもはふざけて馬鹿笑いしているジェシカのそんな声のトーンと表情に、ミシェルも少し動揺してそう返した。


しかしそれはジェシカの作戦。彼女はまんまと嵌ってしまったに過ぎない。



ジェシカはイヤらしくも少しだけ言おうかどうか迷った仕草を見せた後に、周りには聞こえないように静かに口を開いた。



「変な意味で言うんじゃないんだけどさ………たっくん………実際かなりムラムラしてると思うんだよね」



「…………………は、はぁ……」



いつもならば照れて怒るくらいの反応しか見せないミシェルだったが……あまりにもジェシカが真剣な様子でそう言うので、そんな対応は出来なかった。


突如として始まったそんな話題に、メルは戸惑っている。



「恥ずかしいとは思うけどさ……もう1年と数カ月でしょ?


お節介だってのは分かってるんだけど……個人的にはもっとなんかあってもいいと思うんだよね~」



確かに自分が二人を見守って笑っていたいというのもあるが……流石に拓也が可哀想と思ったのも事実。


天界で修業して並大抵の精神力ではないことは分かっているが、彼も歴とした男の子。


こんなにも綺麗で可愛らしい恋人と同棲していて……溜まっていないわけがない。



ジェシカはその辺りに理解があるつもりだった。



「やっぱり………そうですよね………男性ですもんね……」




ミシェルもどうやらその辺りは思うところがあったのだろう。


目に見えて落ち込むと…少しだけ頬を染めながら小さくそう呟き、床沿いに視線を這わせてじっと拓也の方を見つめた。


脳内のスクリーンに浮かび上がるのは、溌剌と笑っている彼は全然違う……自分を押し倒す想像上の彼の姿。


ミシェルは熱くなった頬に両手を当てて黙り込んでしまった。



ジェシカがよく貸してくれる恋愛小説……や、官能小説のおかげでそういったことへの知識はついて来た。


しかし……頭で分かっていても、実際に行動するとなるとどうしても思い通りに行かない。



まぁ理由としては彼が普通じゃないからなども挙げられるのだが……自分に勇気がないのも事実。



「拓也さん……絶対……そういうこと我慢しているんですよね……………」



「あったりまえじゃ~ん。世間一般で最も性欲が強いって言われてる高校生だよ?


おまけにこんなにも可愛くてきれいな恋人と同棲してるんだし……実際たっくんの忍耐力ってすごいと思うよ。ねぇメルちゃん」



「わ、私ですか?


………ま、まぁ………確かに男性はそういった欲求が強いことは知っていますが………」



急にジェシカにそう振られ、赤くなって戸惑ったメルは自分の意見を明確にすることはせずにゴニョゴニョと口籠りながら言葉を終える。


ミシェルに至っては既に耳まで赤くなっており、続けて手の攻撃は既に危険なレベルにまで達していた。


幼いころからミシェルと共に育ち、彼女の修正や行動パターンは大よそすべて把握しているジェシカは……こんな状態のミシェルを突っついて被害を被るなどという危険な橋を渡るほどバカではない。


物事にはすべて引き時というものがある。ジェシカはそれをしっかりと把握していた……。



「でもさ!やっぱり二人のペースってのもあるし」


「おっすミシェル、元気してる?今日のお弁当ッバァ!!!?」



撃ち抜かれる鳩尾。漏れる悲鳴に崩れ落ちる膝。


誰も悪くない……今回ばかりは拓也も悪くない。


タイミングが最悪だっただけなのだ……。






・・・・・


その頃……ヴァロア宅。


当然のようにピッキングで解錠し、家の中へ侵入する影が一人。


背中に6枚3対の羽を携えた金髪のイケメン。この男…名をセラフィムという。天界の超紳士で、拓也の親友。



「拓也とミシェルちゃんは学園か……じゃあ拓也の部屋にでも置いておくかな」



片手にぶら下げた紙袋を持ち上げて苦笑いを零した彼は……階段を上り、拓也の部屋のドアを開けた。


ちなみに住居侵入は立派な犯罪。3年以下の懲役か10万円以下の罰金、またはその両方が科せられるので、良い子の皆は真似しないようにしよう。


拓也の部屋に侵入し……ぶら下げていた紙袋からとある”ブツ”を取り出してサイドテーブルの上に置いた。


コト…コト……ブツを置いた数だけ小気味良い音が静かな部屋に響く。



「拓也……お前は本当に頑張ってるよ。


だからこれは俺からのせめてもの気持ちだ……心して使ってくれ……」



心の底から拓也を気遣うように……優しい笑みを浮かべたセラフィムは、自分の行いを善行だと信じて疑わずにその部屋から姿を消した。


彼のこの行動が……拓也をさらに窮地に追い込み、とんでもない頭痛の種になるとも知らずに。



そしてもう一つ。ちゃんと施錠して帰れ。



・・・・・



「鬼灯~、元気出せよ~」



「うるせぇ……お前らには分からんよ、フツメンの苦悩が……」



「おん、分かんねぇわ」



「なんだとモブ顔この野郎、表出ろや」



「誰がモブ顔じゃ、上等だ。腕相撲で勝負しろや」



「お、楽しそうじゃん俺も参加する!!」


「俺も俺も!」



3時間目が終了し、クラスメイト達に慰められる拓也。


ミシェルを他の男たちに狙われてあからさまに落ち込んで机に突っ伏している拓也を見かねて声を掛けてきてくれたのだろうが……何故か喧嘩に発展。周りを巻き込んで腕相撲大会が開催されるのだった。






しかし腕相撲大会とは名ばかり。



「ファイ!!」



「にぎぃぃぃぃぃ!!!」


「うおぉぉぉぉぉ!!!」



全力で力を込めているように見えるが……


実際には机の下でお互いの脛を蹴り合って怯ませ合うというなんとも醜くも美しい攻防が行われているのだった。


だがモブ男子と拓也の腕力差は歴然。名もなきモブは凄まじい回転を続けるネジに固定されたかのように回転して吹っ飛び、机や椅子を巻き込みながら教室の端まで転がる。


脛と腕……というか全身に重傷を負い、彼は意識の綱を手放した。



「流石は我が校の腕相撲の現役チャンプ。その実力は衰えを知らないぜ……」



腕相撲というよりは嫌がらせの試合だったような気がしないでもないが……多分気にしてはいけないのだろう。


その光景を遠巻きに見守る女子三人。ミシェル、ジェシカ、メル。今回はそれに加えてアルスもいた。



「拓也楽しそうだね」



「アルスは混ざらないの~?」



「ハハハ、冗談じゃない。あんなの素手で魔獣の群れの相手をするより危険だよ」



ご尤もである。


しかしジェシカはアルスが拓也に挑むところを見て見たいのだろう。なんとか彼が拓也に挑戦するように仕向けたい…。


だが…彼のハリボテスマイルは何を考えているのかが全く分からない。



「男の子でしょ~頑張って来なよ~!


あ、そうだ!もしアルスがたっくんに勝てたらほっぺにチューしたげる!!」



ケタケタ笑いながら冗談交じりに言ったのだろう。


だが……予想外なことが起こった。



「魅力的な提案だね。それじゃあ行ってこようかな」



「……えぇ!!?」



驚きの声を上げるジェシカをよそに、アルスはレフリーのようなことをしている生徒に交渉をし……拓也の向かいに腰を下ろした。


ミシェルやメルの目から見ても彼のその反応は意外だったのだろう。二人ともその顔に同じように驚きの表情を浮かべている。




「ねぇ見た!?私の大人の魅力がアルスを突き動かしたよ!!」



「正直驚きですね……」


「同じくですわ……」



驚きながらも精一杯作った渾身のドヤ顔を二人に向けて、誇らしそうに胸を張るジェシカ。


ミシェルもメルもとりあえず彼女は眼中に無く、拓也と手を握り合ったアルスの背を奇妙な表情で眺めていた。


まさか彼が……それがまず第一の感想。



いつもその言動の真意が読めない彼だが……流石にジェシカの挑発に乗るとは彼女たちも思っていなかった。



「お手柔らかに頼むよ」



「対戦相手としてそっちに座ったからには手加減はしないぜ……全力で行くぜアルス」



ニコニコとしたハリボテスマイルを振りまいて拓也の手を握るアルスと、溜まりに溜まったイケメンへのヘイトを隠すことなく表情に表わして鬼の形相の拓也。


レフリーが高々と掲げたその手を振り下ろしたその刹那……男同士の闘いは始まった。



「おぉぉ!!やっぱ鬼灯強えぇぇ!!!!」


「でもクランバニアも負けてないぞ!」


「ホントだ!!スタートで持ってかれただけで耐えてるぜっ!!」



ゴッ!!っという凄まじい衝撃と共に軋む机。


二人を中心に吹きだした闘気のような衝撃波は、周りのモブたちを教室の端まで吹き飛ばす。



しかし……やはり純粋な力比べでは拓也の郷に軍配が上がるのだろう。


ジワジワとアルスの手の甲が机に近づいていた。



「ハハハ、やっぱり強いね拓也。想像以上だよ」



「何その第一形態の魔王みたいなセリフ……だがもうチェックメイトだ」



「それはどうかな?」



「なんだと…?」



既にアルスの手の甲と机の距離は十センチ程度。一体彼にどんな策が残されているというのだろうか……。


だが不敵に笑う彼が嘘を吐いているとは思えない。拓也の表情に緊張が走った。




背筋にピリッと走る不吉な予感。


漂う不穏な空気。


拓也の額から一筋の汗が伝う。


一体彼は何をするつもりだ……拭えない不安が拓也を包み……彼の腕に込められた力はすっかり抜けてしまっていた。


それによって余裕を取り戻したアルスは、更に凶悪に微笑んでみせる。



「拓也、僕は今日偶然見てしまったんだ。ミシェルさんが……ラブレターの一つを見てふんわりと微笑んだのを」



「なん……だと?」



その瞬間、拓也の顔から表情が抜け落ちた。


おまけに口の端から血が足らりと流れるのを見る当たり……こうかはばつぐんだ!


静かに呟いたせいで遠くから見守るミシェルたちには彼らのやり取りが知られておらず、外部からの助けはない。



「ばか…な……バカな……」



彼女が微笑んだ理由は何だ?もしかして自分は……捨てられてしまうのではないだろうか?そんな考えが脳内を奔走し、思考が全く纏まらない。


だが、拓也はふと思い出す。ミシェルが極……極稀に口にする愛の言葉を。



「いや…………ミシェルは……ミシェルはそんなことしない!!ミシェルは俺を裏切らない!!!」



今まで彼女が口にしたそれの一回一回を脳内でリピート再生し続けて……彼は復活した。


アルスと組まれる腕には力が戻り…また徐々にアルスが押され始める。



しかし……アルスは全く焦っていなかった。それどころか、その顔に浮かぶのは……先程のような不気味で凶悪な笑み。



「それはどうかな?拓也、こう考えてみよう。


人間は間違いを犯す生き物だ。君だってそれは例外じゃないだろう?


じゃあ……どんな形であってもミシェルさんが浮気しないとは……限らないんじゃないかな?」



「ぐッ!……で、でもミシェルは…!」



アルスの言葉に還すセリフが見つからず、拓也は言葉を詰まらせて苦い表情を浮かべて黙り込んだ。


また手に入る力が弱まり、拓也がアルスに押され始める。


目に見えて弱っている拓也。だがアルスはまだまだ止まらない。


精神攻撃は基本と言わんばかりに次々と拓也に棘のある言葉を全力で投げつける。


「考えてみようよ拓也。君が普段からミシェルさんに行っている変態行為の数々を。


デトックスウォーター、変態仮面、マシュマロetc………


上げていけばきりがない。一体どうしてミシェルさんが愛想を尽かさないなんて思えるのかな?」





青くなって行く拓也。それに伴ってさらに凶悪さを増すアルスの表情。



「ほら拓也、見てみなよ……ミシェルさんが君を見る目を」


「あ……ぁ?」



アルスに言われた通り、向こう側のミシェルに視界のピントを合わせた拓也は…絶望した。


彼女の視線は……非常に冷たく鋭い……まるで自分を軽蔑しているかのようなそれ。



「今日彼女に告白する男の中に……もし好条件の人がいたら………君は捨てられるだろうね、ゴミのように」



気が付けば全身から力が抜け落ち……勝負は決していた。



「おぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」



絶対王者の敗北。新たな王の誕生にクラス中が一気に沸いた。


前王者を椅子から引きずり下ろし、新たな王者のアルスに全員が詰め寄って勝利を称えるが、アルスはクールにそれを回避すると……人ごみを抜けてジェシカの前に姿を現す。



「勝ったよ」



「…アルスすっごい!!どうやったの!!?」



「精神攻撃をちょっとね」



勝利の報酬として彼にキスしなくてはならないのにジェシカのテンションは依然として変化しない。


アルスはジェシカの問いに笑いながらそう返す。



そして少々の間沈黙が生まれたが、ジェシカがアルスの首身腕を回して絡みつくことでそれは終わりを告げる。



「約束だもんね~!はい!」



「ん、確かに受け取ったよ」



軽くアルスの頬に唇で触れたジェシカ。一瞬頬が赤くなったような気がしたが多分気のせいだろう。


アルスも別段取り乱す様子を見せずにそう返す。



二人のそんなやり取りを間近で見ていたミシェルは、自分の貞操観念がいかに固いモノだったのかを思い知らされるのだった。


するとアルスが若干放心状態のミシェルに歩み寄る。



「ミシェルさん」



「………ぁ、はい。なんですか?」



「アフターケアよろしく」



アルスがチラと一瞥した場所には……クラスメイトに存在を忘れられ、ボロ雑巾の踏みつけられ足蹴にされる拓也の姿。


彼の様子がおかしいことは……一目見れば分かった。






・・・・・


結局あの後休み時間の残り時間の関係で拓也のアフターケアをすることができなかったミシェルは、4時間目の授業が進んでいく中、落ち込む拓也をチラチラと見ている事しかできなかった。


彼の隣の席のジェシカもそんな彼の様子を察してか、それともほかの理由があったのか黙りこくったまま結局彼に喋りかけることはなく……チャイムと共に教師が起立と礼の合図を掛けて授業が終わってしまう。


非常にブルーな横顔をして教室を出ようとする拓也を教科書やノートを机の上に放り出したまま追いかけようとするミシェルだが……教室を出ようとしたその瞬間目の前に障害物が現れた。



「拓也さ…」



「ミシェルさん!放課後まで待てませんでした!!僕と付き」



「あ、ごめんなさいお断りします」



きっと彼は朝靴箱にラブレターを入れた一人なのだろう。


こんなドライブスルーのようにフラれるとは思っていなかったと言わんばかりに棒立ちの彼の脇を抜けて廊下へ出たミシェルは辺りを見回して拓也を探すが……今の少々の時間のロスで彼の姿は既にそこにはない。



「もう……どこ行ったんですか………………ッ!!」



そんな時……廊下を行く人だかりの中に見える見覚えのある黒髪。


ミシェル迷うことなくその人だかりに向かって走り出したが………



「ミシェルさん!」


「待ちきれませんでした!!」



数人のフライング男子生徒に囲まれてしまった。


彼らの思惑としては……大勢が来て自分がオーケーされる確率の下がる放課後より、僅かでも可能性があるのならば先に…ということなのだろうが……生憎可能性は0である。


当然のように全員がお断りされる。


ミシェルが急いでいたということもあってか、雑になってしまったその対応で………マゾに目覚めたものがいたとかいなかったとか。





とりあえず囲んできた男たちを全員やり過ごし、拓也が流れて行った方へかけるミシェル。


あの様子だと……何やら心に深く傷を負っているようだと予想した彼女の心は不安と心配でいっぱいだった。


それらの負の感情に歪む表情を手で軽く叩き、気合を入れてミシェルは走った。



「きっと食堂の方へ行ったはず……」



人の流れから拓也の行く先を予想し、食堂前に到着するミシェル。


ガラス戸越しに中を覗いてみるが……拓也のような人物は見当たらない。


肩を落として溜息を吐くミシェル。すると…そんな彼女に後ろから冷たい声が掛かった。



「邪魔だ」



慌てて振り返れば……アンチ平民貴族ボーイ。光帝の弟のアシュバル君が立っていた。


いつものことだが不機嫌そうに眉間にシワを寄せる彼。何故クラスで孤立しないのかが不思議なところである。



「ごめんなさい………来る途中に拓也さんを見てませんか?」



「拓也…?あぁ、鬼灯のことか。そこの倉庫の裏に入って行ったな」



「ホントですか!?ありがとうございます!!



……いつもお弁当ですよね、今日は学食なんですか?」



「関係ないだろう。



………偶然昼食を忘れただけだ」



一言余計だったりするがなんだかんだでこうして答えてくれたりするあたり可愛い奴である。


アシュバルに一礼して食堂と倉庫の間を通る。



「確かここって……拓也さんとビリーさんが初めて会った場所ですよね」



すると彼女のそんな発言に共鳴するように、奥の木箱がガタ!と音を立てて激しく揺れた。


人が入れるほどの大きさ。怪しい。


足音を殺して木箱に接近したミシェルは、木箱の蓋にそっと手を掛け……一気にとりあえず。



「……何してるんですか…こんなところで」



予想通り……中には拓也が体育座りで鎮座していた。


しかし拓也はミシェルのその問い掛けに答えることなく、パタンと体を底面に倒してもぞもぞといじけたような仕草を見せる。


とりあえずは彼を発見できたミシェルは安堵の息を吐いて胸を撫で下ろすのだった。


だが彼をこのまま放置するわけにもいかない。ミシェルは苦笑いを浮かべて優しく彼に尋ねた。



「何があったんですか?話してみてください」



「…………」



しかし……拓也はかなり落ち込んでしまっているのか、ミシェルのその呼びかけに答えようとはせず、暗い表情のまま。


どうしたものかと顎に指を当てて思考を巡らせたミシェルは……



「うぉッ!?」



よりにもよって一番ワイルドな木箱を投げ飛ばすという選択をするのだった。


突拍子もない彼女のその行動に驚く拓也は、身体強化の力が加わった投擲によって木箱の中から投げ出されて、路地のさらに奥へと転がっていく。


流石ミシェル。魔力関係はお手の物だ。



彼女は驚愕の表情を浮かべて路地の奥の方で固まっている拓也にカツカツと歩み寄ると、膝を折ってしゃがんで彼の顔を覗き込む。



「何があったんですか?話してみてください」



「ぇ…ぁ……あの……」



表情は別に怒ってはいないが……迫力がヤバい。


9月に入って暑さは厳しくなくなったはずなのに……拓也の額には汗が滲んでいた。



彼に同じ質問を投げかけるミシェルだが…拓也は分かっていた。



これは答えないとマズいヤツだと。



震える唇を必死に操り、拓也は言葉を紡いだ。



「え、えっと…ですね……ミシェルさんがラブレターの一枚を見て微笑んでいたという情報が入ってですね……


それに普段の変態行為の数々……捨てられるって思っちゃってですね……」



「あぁ、あれですか。


手紙の一つで笑ったのは、文章構成がひどいって意味で思わず笑ってしまっただけです。


あなたのそういう言動がイヤならとっくに家から追い出してます。


拓也さんのそういう部分もちゃんと好きですから安心してください」



深刻そうな表情でそう語る拓也とは対照的に、ケロッとした様子でつらつらと言葉を並べるミシェル。


唖然として彼女を見つめる拓也。ミシェルは顔色一つ変えずに踵を返す。



「早く戻りますよ、お腹すきました」



「お、おうよ!!」



拓也復活。


まぁもとより受けていたダメージが比較的少なかったというのもあるが、流石ミシェルと言ったとこだろう。



「ミシェルって俺の紳士的活動は認めてくれてるの?」



「度が過ぎなければです。まぁ妥協しているといった方がいいですか。


あまりにもおふざけが過ぎたら……分かっていますね?」



「ちゅす、恐縮っす」



拓也には見えていない彼女の頬が僅かに朱の色に染まっていたのは言うまでもない。





・・・・・



帰りのショートホームルームも終わり……放課後。


控えているイベント消化を考えると頭が痛いのか、一つ小さく溜息を吐いたミシェルはカバンを持って席から立つ。


そして見てしまった。謎の黒く大きいケースを背負って……誰よりも早く教室を出ていく拓也の姿を。



「……」



あんなモノ…朝は持っていなかった。絶対に何かするつもりだ。


歪んではいるがミシェルの中の拓也に対しての絶対的な信頼である。



だが止めようにも自分はこれから用事がある為、ついていくことはできない。


故に……ミシェルがこの場合頼るのは……。



「メルさん、拓也さんの様子がおかしいので見張っていてもらってもいいですか?絶対に何かするつもりです」



最強のステルサーの名をほしいままにしたメルである。


廊下に出ようとしたところを呼び止められた彼女は、ミシェルが視線を向ける先の黒髪の男の背を眺める。



彼でも探知が不能な不可視の王女である彼女は、彼の抑止力として非常に効果的なのだ。



まぁ…ビリーやセリーだと上手く口車に乗せられ、ジェシカやアルスだと便乗し始める危険性がある為メルを選ぶしか選択肢がないのも事実である。



「…分かりましたわ。しっかり見張っておきます」



形式的にだが自分たち王族に仕えていることになっている帝…拓也。


メルとしても彼が粗相をやらかして問題になるような事態は非常に避けておきたいのだろう。


快諾すると…その次の瞬間にはミシェルの視界からメルは消えていた。メルはただ普通に拓也の後を追っていっただけなのに……。



「凄いですね……私も頑張って隠密を練習しないと…」



誰かミシェルにツッコミを入れてやってくれ。




・・・・・


数分後の屋上。


黒いサングラスを掛けて妙にハードボイルドな雰囲気を醸し出し、金属製の柵から冷たく光る銃口を校舎裏の方へ向ける人物が一人。



「優秀なスナイパーの条件。



一つ、忍耐強くあること。


一つ、一撃で確実に仕留めること。


一つ、居場所を悟られないこと。これが一番重要だ…」



多分独り言のつもりなのだろうが……残念。


意気揚々と高倍率のスコープを覗く拓也の首筋には、既に大鎌の刃が突き付けられていた。


というか一番重要な項目を早速守れていない辺り多分彼は優秀なスナイパーではないのだろう。



「ミシェルさんに言われて後を追ってみれば……案の定ですか。


一応聞いてみます。何をしているんですの?」



背後からいきなり聞こえてきたメルの声にビクッと体を震わせた拓也。やはり彼は彼女の存在に気が付いていなかったようだ。


しかし何の強がりなのか……拓也はまるでそこにいるのは知っていたとでも言うかのように不敵に笑って見せる。



「見てわからねぇか?女子更衣室を覗いてるんだよ」



「なッ!!あなたは何をしているんですの!!?」



「え、だから女子更衣室を覗いてるって言ってんじゃん」



「そうではありません!!今すぐやめなさい!!!」



魔武器の窯を上段に振り上げたメルを恐れた拓也は泣く泣く銃から手を放して両手を上にして降参の意を提示した。


すると普段から拓也にはきつい当たりを見せるメルも無抵抗な彼を断罪するのは気が引けたようで、振り上げた得物を下ろす。



「それ……なんですの?


銃みたいですけれど……」



拓也から外した視線が次に向かったのは拓也が今まで構えていた銃。


この世界にも一応銃はある。拓也が前にいた世界のように高性能なものはないが、マスケット銃程度のモノならば存在しているのだ。



「L96○1だ。俺の前いた世界の狙撃銃だな」



「へぇ~……って何また覗いてるんですの!!?」



「シー!ちょっと黙ってろ、来た」



何故か真剣な声色で静かにするようにそう促す拓也。


なんだか自分が悪いような気分に陥ったメルはむくれて少しほおを膨らませながら拓也が銃口を向けている射線を辿った。





辿った先に見えてきたのは……銀髪の少女と男子生徒の姿。


距離が離れていてよく見えないが、恐らく銀髪の女性はミシェルだろう。



次の瞬間メルは悟った。



拓也が手にしている銃器。彼は先程狙撃と言った。


つまり……それが意味することは一つ。



「や、止めなさい!!そんなことをしたらミシェルさんが悲しみます!!」



「安心しろ、一瞬だ」



「そういう問題じゃ…ありませんッ!」



刹那、拓也の頭頂部に深々と突き刺さるかまの一番尖った部分。


真っ赤な液体が噴き出し、屋上の床を赤く染めて行く。



しかし拓也は忍耐強く…と小さく呟いたまま銃から離れない。


何度も何度も…今度は棒状の部分で彼をタコ殴りにし始めるメルだが、拓也は全く動じずにスコープを覗き続けた。


だが流石にやられ続けて鬱陶しくなってきたのか、一つ溜息を吐いて返り血少々頬に浴びてバーサーカーのような容姿になったメルに喋りかける。



「安心しろって、装填してあるのはペイント弾だしミシェルに触ろうとしない限り撃つつもりはないから」



「…でも当たったら痛いんじゃないですの?」



「当たり前だろ、初速は秒速900m以上だぞ」



「ダメじゃないですか!!そんなことは絶対に許しません!」



メルが断固として揺るがないという決意を見せたその時だった。


パン!!という乾いた銃声が彼女の鼓膜を揺らす。


驚きを隠せない様子のメルの視界に飛び込んでくるのは、コッキングして排莢し次の射撃に備える拓也の姿。


すると拓也は背後に立つメルが驚愕していることに気が付いたのか……スコープから目を離し、最高の笑みとグッドサインをしながら口を開いた



「head shot」



「うわぁぁ!!!」



餌食になった生徒は一体…。慌てて柵の所まで駆け寄って乗り出すようにして哀れな男子生徒の安否を確認するが……。


メルの瞳に映ったのは、ショッキングピンクに頭部を染められ、地面に倒れ込む男子生徒の姿だった。



「何を……何をしているんですかぁぁぁぁ!!」


「え、だってアイツお断りされたのに去って行くミシェルの手を掴もうとしたんだもん」



胸ぐらをつかんで引き起こし、グワングワン揺らすメルに拓也はそう反論して自分の行動の正当性を説こうとするが……興奮状態のメルの耳には彼の声は届いていないようである。




しかし当然キレているのはメルだけではない。



「ッエン!!」


「キャァ!!」



刹那、グラグラと揺れている拓也の頭部に突き刺さる氷の矢。


驚いて柵の方へ拓也を投げ捨てたメルが見たのは……拓也が狙った男子生徒の傍らで、氷の魔方陣を展開しているミシェルの姿。



何故だろう。この距離で表情は全く分からないのに彼女がブチギレているのはすぐに悟ってしまうメルだった。



「申し訳ありません…ミシェルさん……」



別に彼女はメルに怒っているわけではいなかったのだが、この距離からでもはっきりと伝わる迫力と、彼の狙撃を阻止できなかった自分に無力さを感じたのだろう。


とりあえず頭から綺麗な枝を生やして気を失った拓也の顔面を思いきり蹴り飛ばしておく。


なんだか人体からしてはいけない音がした気がしたが……気のせいということにしておこう。



「これでしばらく目を覚ますことはないでしょう……」



平和で学生たちが青春を謳歌しなくてはいけないはずの学園の屋上が…明らかに屋上が殺人現場のようになってしまっている…。


メルは、白目を剥いて真っ赤な水溜りに沈む拓也にそう言い残し踵を返した。


だが……フェニックス(変態)は何度でも蘇る……。



「ステンバーイ……ステンバーイ………」



「!?」



突如としてメルの鼓膜を揺らしたのは、今しがた深い闇の中へと強制的に叩き落したはずの者の声。


慌てて振り向いて周りを見回してみれば……今度は逆側の柵の隙間から銃口を覗かせる黒髪の狙撃手の姿。



「こ、こら、待ちなさい!!」



「GOッ!!!」



冷や汗を一気に顔に浮かべたメルは瞬時に体を反転させてコンクリートの床を蹴って加速。しかし……気づくのが遅すぎたのだ……。


彼女の手が彼に到達する前に……無情にも引き金は引かれた。



乾いた銃声と鼻に付く火薬の匂い。



そして視界に飛び込むのは最高にムカつくドヤ顔。



ちなみに数秒後、彼の額に氷の矢が追加されるのは最早言うまでもないだろう。



・・・・・


結局あの後もミシェルに対面する男どもに鉛弾…もといペイント弾を撃ち込み続けた拓也。


それに比例して彼の頭部に生える氷の矢は増量していき……すべてが終了したころには、彼はサボテンのような状態になっていた。



「まったく、ミシェルちゃんってばお転婆なんだから!」



「それは違うと思いますわ…」



とりあえずその格好で廊下を歩かれると彼が人外だとバレてしまうので、メルは一本一本丁寧に彼の頭を貫通させて氷の矢を撤去。


教室練に戻る頃には、すっかり彼の顔はいつも通りのフツメンに戻っていましたとさ。



そしてミシェルが待っているであろう玄関へたどり着く二人。



そこにはやはりミシェルがいた。



「……」



「ッエン!!」



無言で放たれる無数の氷の針で拓也の顔面はまるで鍼灸で設けているかのような状態になるが……彼はどこか心地よそうだ。


多分いい感じにツボに入ったのだろう。



「それで私は許します」


「流石ミシェルっちマジ寛大、女神。一生ついてくっす」



へへへ…と調子よく笑いって手でゴマを擦りながらミシェルににじり寄る拓也の姿は悲しいことにそのルックスも相まって不審者そのもの。


ミシェルはツンとした様子で踵を返すと、校門へ向かって歩き始めた。



拓也もメルも彼女の後を追う。


すると……ミシェルの背中から漂う不機嫌なオーラを察知したメルが、彼女に気づかれないようにこっそりと拓也に耳打ちをする。



「あなた……ミシェルさんが不機嫌ですわよ…!


大人しく謝っておいた方がいいのではないですか…!?」



「分かってる……だがな………あの状態のミシェルは少しでも俺がふざけるとな…挽き肉になりかねない」



「あなたがふざけなければいいだけではないですか…!!」



冷や汗をツーっと伝わせながら真剣そうな表情でそういう拓也にメルはすかさずツッコミを入れた。




しかし拓也もやはりマズいとは思っているのであろう。


まったくふざけた様子などは見せずに、ただ彼女の背を刺すような視線を送る彼の脳内は、どう言い訳をしてそう言い逃れれば助かるのか?という思考のみで満たされていた。



「み、ミシェル……あれだよほら……ラリアット」



マジで意味が分からない。彼の脳みそはアリさんレベルのようである。


しかしミシェルの代わりにメルが彼の頭をバレーボールよろしくぶっ叩き、地面に叩き落とす。



「ば、バカなんですかあなた……!!?


なんでそんな意味不明なことを言うんですの……!!?」



「いや、ついいつもの癖で……」



「そんなんだからいつもミシェルさんに冷たく当たられるんですわよ……!!?」



「それはそれで…イイッ///」



「うわぁ…」



真夏のアスファルトの上に放置された生ごみを見る目でメルに見られているのだが……生憎本人は身を捩って全く気が付いていない。


残念なフツメンなんて、世の女性たちからしたら需要なんて一切ないだろう。



「メルさん、放っておいてもらって構いませんよ。


無視するのが一番効きますから」



「あ、そ、そうでしたわ……」



「……///」



まだ身を捩り続ける拓也を捨て置いて、ミシェルとメルは帰路を急ぐ。


メルが後ろに置いてきた拓也を気にする中、ミシェルは一切迷うことなく歩き続けた。


そして曲がり角を曲がり、拓也の姿が完全に見えなくなる。



「……///」



しかし奴は彼女らの進行方向に……現れた。


ターゲットを瞬間移動を駆使してつき纏う最悪の変態の完成である。



だがミシェルも負けてはいない。突然の変態の登場で戸惑うメルにだけ聞こえる程度の声量で呟いた。



「目を合わせないでください、憑かれます」



「……まるで悪霊ですわね……」



2度目も完全に無視された拓也だが…やはり彼も負けていない。



「…ッ!」



また次の曲がり角を曲がった先にも……彼はいた。


おまけにどうしてか……何故かネクタイを外している。それもかなり色っぽく。


とりあえずメルは素直に謝罪する気が彼にはないと悟るのだった。



しかしミシェルは全く意に介さず、ボタンに手を掛け始めた変態を完全に無視して歩みを進め、メルもそれに続く。



そして先程と同じように曲がり角を曲がると……。



「……」



やはり彼は居た。


今度はシャツの全面のボタンがすべて外されており、板チョコのようにバッキバキの腹筋と、胸筋の谷間がチラリズムしている。


口に咥えたネクタイは、色気を出す為のモノなのだろうが……生憎イケメンではないため全く効果がない。


それどころか気持ち悪い始末。周りに人が少ないのがせめてもの救いだ。



しかしやはりミシェルは完全に無視して己の帰路を突き進む。



そしてその次の曲がり角を曲がると……やはりいた。



「ッ///」



しかし…今度の格好は上のシャツを脱ぎ捨てて上半身は裸。


その肉体美を遺憾なく披露し、最高に腹の立つドヤ顔でミシェルの前に立ち塞がっていた。



だが……ミシェルの歩みは止まらない。


一歩一歩、全く迷いを見せずに…道を塞ぐ拓也に向かって一直線に突き進む。


まるで彼がそこにいないとでも言うように。



「ちょ、ちょっとミシェルさん…!」



このままではあの変質者に自分からぶつかりに行ってしまう。


歩みを止めないミシェルにメルがそう制止を掛けたが、彼女は全くその歩みを止めようとはしなかった。



しかしメルはその次の瞬間知ることになる。


ミシェルが一体何を考え……その行動をとったのかを。



「筋肉ゥゥァァァァァッ!!!」



「な、しまッ!!!」



突如として聞こえた声。怯えたように声を上げた拓也のそんな言葉も途中で途切れた。


何度か聞いたことがあるその声と共に聞こえてきたバサッバサッ!!という凄まじい翼が羽ばたく音と、地面に叩き付けられた風が辺りに広がりミシェルとメルの髪を靡かせる。



それらが収まった頃……上空を見上げてると……4枚2対の白い翼を広げた金髪の美女と、彼女の拉致された変質者。



「み、ミシェルさん…あれって」



「ラファエルさんです。拓也さんが筋肉を露出するとああやって現れるんです」



拓也が普段肌を露出することがない理由が判明した瞬間だった…。




・・・・・



メルと別れ、一人で帰路を急いでいたミシェルはようやく家の前に辿りついていた。


カバンの中から家の鍵を取り出し、ふと顔を上げてみると。玄関前にボロ雑巾のようになった拓也を発見する。



「何してるんですか?」



「ようやく解放されたよ……」



上着はすべて奪われてしまったようで、ただいま彼は上半身裸。


表情も心なしかげっそりとやつれてしまっているような気がする。



「外で服なんて脱ぐからですよ」



「ほう…家の中々脱いでもいいと?」



「ふざけてないで早く入ってください。閉めますよ」



ドアを閉めるような動作を見せながらそう言うと…彼は慌てて隙間から滑り込むようにして家の中へ入る。


迷うことなくリビングへ向かってソファーに俯せに倒れ込んだ拓也にミシェルが喋りかけた。



「着替え取ってきます。クローゼットの中ですよね?」



「頼んだ……俺はここまでのようだ……」



仕方ないなぁと溜息を吐くミシェル。


階段を上がり、自分の部屋の隣…拓也の部屋のドアノブに手を掛ける。


自分の部屋とは違った雰囲気。


大好きな彼の匂いが濃くなったその部屋。ミシェルは少し頬を赤らめて彼がいつも寝ているベッドの方へ視線を送った。



あそこへ飛び込み、毛布に包まれば……一体どれだけ心地よいことだろうか。



「……って…何考えてるんですか、私は……」



危うく拓也サイドに墜ちかけた自分を厳しく律し、いつも通りの冷たくクールな表情の仮面を張り付け気を持ち直す。


すると…そんなミシェルの目にとあるモノが止まった。



「……なんですかね…これ」



拓也のベッドの隣…サイドテーブルの上に3つおかれた壺のような形状をした物体。


ミシェルはそれに吸い寄せられるように歩み寄り、興味深そうにじろじろとそれらを眺めながら呟いた。


一つは赤と銀の縞々。一つは白と銀の縞々。一つは黒と赤の縞々。


模様は違えど、形はすべて同じ。少しおしゃれなインテリアにも見えないこともないそれら。



察しの良い人はもう分かったことだろう。



そう………言わずと知れたモテない男の味方。


T○○G○である。




「……こっちの世界のモノではないですよね」



それがアダルトなグッズだとは露知らず、ミシェルは軽く指先でそれらを突いたり軽く触ってみたり随分と興味津々だ。


おまけに妙に手にフィットする形状。


次第にミシェルの手付きは大胆になって行き、片手に赤色基調のそれを持った彼女は、片方の端にこの壺のようなものを一周回っている窪みのような線を発見する。



「これって……蓋ですかね?」



だが…この部屋に置かれているということは、この謎の物体は拓也の所有物。


少し触るくらいなら彼も怒りはしないだろうが、元あった形状を変えてしまうのはよろしくないのだろう。


そんな理性に基づく考えがミシェルの好奇心を押さえつけた……そんな時だった。



「どうしたミシェル~、服の場所分かんなかったか~?」



服を取りに行っただけの彼女の戻りがあまりに遅いことが気がかりに思ったのか、下のソファーでグロッキーになっていたはずの拓也がやってきた。


これはいいタイミングで来たと言わんばかりの表情のミシェルは、赤と銀の縞々の壺を手にしたまま拓也の方へ振り返る。



「拓也さん、これってなんですか?」



「……………………………」



刹那。文字通り拓也の動きが完全に停止した。



始まった沈黙。ミシェルは拓也の世界の文化に触れられるかもしれないと珍しく目を静かに輝かせて拓也の返答を待っているが…拓也は口を開くことができなかった。


というよりもまず理解できなかった。何故こんな物が自分の部屋にあるのか?



しかし彼の脳は導き出す。今、重きを置いて解決するべきなのはそこではない。


まず解決しなくてはいけないのは……



「拓也さん?」



いかにしてミシェルを騙し…自分はもとより、彼女へのダメージを減らせるか。


拓也は分かっている。自惚れるわけではないが、彼女が自分のことを好いていてくれていることを。


彼女は彼女なりに頑張って、彼女なりのペースで歩み寄ろうと頑張っていることを。



ー…このアダルトグッズが持つ真意を悟られでもしたら……ミシェルは俺の恋人として絶対に傷つく…。


絶対に自分を責めてしまう……それだけは避けなくては……ー




漢の闘いが……今、ここに始まろうとしていた。




だが……先手を打ったのはミシェルだった。



「……なにをそんなに動揺してるんですか?」



向けられる疑いの視線。


それはあまりにも沈黙し過ぎたがための嫌疑。後悔したがもう遅い。


過ぎてしまったことは仕方がない。


今しなくてはいけないのは後悔ではなく……最善の一手を打ち、この最悪の状況を打開すること。



相手はミシェル。当然半端な嘘は通用しない。


しっかりと筋が一本通り、根拠がある嘘でなければいけない…。



沈黙が長く続けば続くほど彼女の中に募る疑いは増して行く。故に考えている時間もあまりない。



ー…頭を使え……どうすればミシェルが納得する嘘を吐くことができる……ー



まさに崖っぷちに追いやられた拓也の脳は、持てる全ての知識をフルで活用し……遂に導き出した。


この絶体絶命の状況を打破することのできる…誰も傷つかない優しい虚偽を。



ミシェルが尋ねかけてきてからおよそ5秒が経過……。



拓也は…一つ大きく溜息を吐き、参ったというような苦笑いをその顔に浮かべ…口を開く。



「ミシェルには…いつも世話になってばかりだからさ……。


セラフィムに頼んで俺が元居た世界から持ってきてもらったんだ、その花瓶」



「花瓶…?」



自分の知っている花瓶とは、材質や重さが違う。


首を傾げて今一度手の中のオ○ホを眺めるミシェルは、遂に…白いプラスチック製の蓋を開けてしまった。


蓋に付着していたヌルヌルとした透明の液体がヌトーっと糸を引き、重力の影響を受けて逆放物線を描く。


ミシェルは慌ててそれの口の向きを上へ向け、空中を糸のように漂う粘度の高い液体を蓋の方ですくい、床が汚れることは何とか阻止するのだった。


思わず肝を冷やした拓也だったが…すんでのところで何とか仮面は維持したまま続ける。



「あぁ、向こうでも近年開発されたばかりの商品なんだけどな。


ミシェルは俺が昔プレゼントした花、好きになってくれたじゃん。


だから……最高の花瓶をプレゼントしようと思って取り寄せたんだけど…………渡す前に見つかっちゃったみたいでちょっと残念だ」



演じた。


少し照れたように頬を染め、指先でポリポリと掻いて視線を逸らす。


表情、仕草、気配に至るまで……すべて完璧に演じた。



先程の数秒の沈黙も……この演技で、恋人へのプレゼントを渡す本人に見つけられてしまって照れていたという時間へと変化させてしまっていた。



これが天界育ちの本気。



しかし……優しい嘘と言えども嘘は嘘。


心のどこかに後ろめたい罪悪感が生まれるのには変わりがない。


目的としてはミシェルを傷つけない為と自分自身に綺麗事を吐いたが……もし真実を語っていたとすれば…十中八九自分は無事では済まない。


保身の為ではないとは……言い切れない。



「そんな……わざわざありがとうございます…!!」



「いいってことよ」



ー…やめろミシェル…そんなキラキラした目で俺を見ないでくれ……ー



そんな自分へ彼女から向けられるのは、感謝と喜びの視線。


茨に締め付けられるようにして痛んでいた拓也の良心は、さらに強く締めあげられるようにしてギリギリとその痛みを増した。



「花瓶ってことは……ここにお花を入れるんですか?



「せや」



「なんだかヌルヌルしてますね。周りはプニプニしてて……中にイボイボがあります」



「それらすべてが花の為に開発された技術なんだぜ。あっちの世界は魔法がない代わりに科学が発達している。


ミシェルにも見せてあげたいよ」



哀愁漂う表情をその顔に宿し、遠い目をする拓也。


遠い昔を思い出し、懐かしんでいるような様子の彼だが……内心は凄まじい罪悪感と…微かな達成感で満たされていた。



彼に騙されているとも知らずに、この3つのブツは彼からのプレゼントだと信じ込み、滅多に見せることのない心底嬉しそうな笑みを浮かべ、その綺麗で美しく可愛らしい笑みと共に大事そうにそれを抱きしめる。


そんな彼女を目の当たりにし、拓也の心はさらに強く締め付けられるように痛むのだった。

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