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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第二部
41/52

ワクワク!ドキドキ!女だらけのパジャマパーティー(真夏)




夏休み真っ盛り。場所はヴァロア家。時刻は午後の5時を回ったころだろうか……。


家の中では女の子たちの楽しそうな会話が飛び交っていた。



「私の番ですね。えっと……あ、一番所持金の少ないプレイヤーに自分の所持金の4分の1をお金を貸し付けて1ターンごとに貸したお金の5割の利子を受け取る。


ジェシカですね、はいどうぞ」



「いらないよぉぉぉ!!!」



「ジェシカさんまた……悲惨ですわ……」



「ジェシカちゃん………」



楽しそうな会話というのは語弊があった。正確には借金の連鎖の中に落とされたジェシカの泣き声と、それを憐れむ周りのどよめきが説明としては妥当なところだろう。



現在彼女ら4人は、拓也が制作した『逆境無頼人生ゲーム』をプレイ中。


何故かプレイヤー同士のお金のやり取りが黒く染まっているのが特徴のこのボードゲーム。


元々は属性神の中でも特にこの手のゲームに弱いクラーケンをいじめる用のモノである。


そして……性格が似てしまっていることが災いしたのか、今回彼女の代役のような形で全員からフルボッコにされているのが元気っ娘ジェシカというわけだ。



「私の番ですわ……。所持金が一番少ないプレイヤーと肩がぶつかり骨折……したふり。


恐喝して治療費をふんだくる………ですわ」



「いやぁぁぁぁぁぁ!!!」



先程ミシェルに貸し付けられた所持金をすべてふんだくられるジェシカ。


しかしこのゲームはまだ彼女を逃さない。何故ならこのゲームは……所持金が一番少ない者から、限界を超えて搾取する闇の深いゲーム。



次のターンにルーレットを回したセリーが止まったマスは……メルと同じような最下位を恐喝して所持金をふんだくるというものだった。



「む、無理だよ!!だってメルちゃんに全部取られちゃったんだもん!!」



しかし……ジェシカは今メルに全てのお金を奪い取られて所持金がゼロの状態。


涙目になりながらセリーに訴えかけたジェシカ。だが……先ほども言ったようにこのゲームはそんなに甘くない。



「対象者の所持金が0。または極端に少ない場合………臓器を売るか裏社会の仕事に手を付ける……という選択を与えられる」



「臓器売買も十分裏社会的だよぉぉ!!!」





・・・・・



光があれば必ず闇がある。もし彼女らを光とするのならば……”彼ら”はきっと闇の存在。



「開始は標的が浴室へ入ったのと同時。各員、ミッションの失敗は社会的な死亡に繋がると肝に銘じておけ」



「サーイエッサーッ!」



彼女らが女子会なるお泊り会を催したことで、彼らはそれに対抗するため男子会なるもの催し、王都を出で少し進んだ場所にテントを張っていた。



そして、神妙な面持ちで言葉を紡ぐ拓也に向かい合うようにして一列に並んだセラフィム、アルス、ビリー。


元気よく返事をしたセラフィムだったが、すぐさまビリーが吠える。



「何言ってんだよ!!?覗きだって!!!?!?バレたらタダじゃすまないよッ!!!」



そう……彼らは…………ミシェルたちの風呂を覘こうと画策しているのだ。


しかしそこは流石男子組唯一の良心ビリー。


危機として社会倫理を犯そうとしている彼らを説得しようと、この妙な空気をぶち壊すように声を張り上げる。



だが……一度スイッチの入った変態たちは止められない。



「何を言っている、バレなきゃいいんだ」



「絶対バレるから止めてるんだよッ!!!」



この手の変態活動を行い、拓也が実績を得たことは……まず無い。


それを知っているビリーは、成功の可能性はほぼないことを必死に説くが、彼は意味深に笑うだけ。


このままではダメだと、彼は反対派にもう一人の人物を招くことにした。



「アルス君もやめた方がいいと思うよね?」



「え?」



「……え?」




しかし……頼りの彼から帰ってきたのは、何言ってんだコイツ……という冷たい視線と、素っ頓狂な声。


思わず彼の口からこぼれた音をリピートしてしまうビリーだったが……何とか気を持ち直し、改めて問う。



「あ、アルス君も……やめた方がいいと思うよね?」



「え?なんで?」



「………それはこっちのセリフだよ……」






孤立無援。


襲い来る絶望の波。力ずくで止めることなど到底不可能。



「も、もし成功しちゃったら!……ミシェルさんの…は、裸が全員にみられるんだぞ!?それでもいいの!!?」



ならば……ビリーに残されたのは、精神攻撃しかない。



若干頬を染めながらの彼のその発言は少し意外だったのか…神妙な表情を崩して、その代わりに笑みを浮かべる拓也。


非常に不気味だったがビリーは目を逸らすことはせず、じっと見つめ返していた。



すると……拓也は右手の人差し指をピンと立て、三日月のように結んでいた口を開く。



「ミシェルの姿はお前らには見えんように細工するに決まってるだろ」



「あぁ分かってたよ!分かってたよッ!!!」



流石に一年以上彼の弟子をしていると、ツッコミ役も板についている。


間隙開けないその反応の速さは、ツッコミにはうるさい拓也も脱帽だ。




「アルス君は誰が一番ナイスバディーだと思うよ?」



「やっぱりメルさんかな。なんかもう………色々と凄そうで楽しみなんだ。でも個人的にはジェシカさんも気になるんだけど…」



「ホ~ホッホ!ヌシも中々やりよるのぉ!」



教官のように前に立つ拓也は既に頭の中で作戦のシミュレーションを開始しているのか…完全に表情が消え、隣では下世話な会話が繰り広げられる。



「えへ……えへへ………」



「脚ってよくない?」



「個人的には脇の方が……」



そして気が付けば拓也は既に成功までのシミュレーションを完了させたのか涎を垂らしながら緩み切った笑みをその顔に浮かべ、隣の彼らはさらにヒートアップしてしまっている。



最早彼らを止めようとしても徒労に終わるであろうと悟ってしまう。



というかそれ以上にアルスの性癖にドン引きするビリーだった。




「止めよう!止めようよ!止めた方がいいよ!!」



しかし……ビリーは依然反対の姿勢を崩さない。


止めろの三段活用を駆使して彼らに抗議してみる……すると、以外にも一番話を聞いていなさそうだった拓也が彼の方へ振り向いた。



彼はビリーに尋ねる。



「お前は……見たくないのか?」



「ッ!!」



それは……究極の質問だった。



ビリーも男、それも若く盛るこの年代。生の……女性の裸見たくないわけがない。


しかし……欲に流され行き着く先は、性犯罪者という汚名と共に迎える檻の中の生活。



僅か一時の至福か……それとも安定か……。



「どうするんだ……?」



「そ、それは……」



突き付けられる二つの選択肢。


急かすように答えを迫る拓也の気迫に押されながら後退りした彼は、運悪く石に躓いて尻もちをついてしまったが、頭の中で渦巻く思考のせいで痛みを感じている余裕などはない。


躓いたビリーの顔をぐっと覗き込むように質問の答えを催促する拓也は、彼が二つの回答を天秤に掛け悩んでいることを察知するや否や……彼を”こちら側”へ引きずり込む秘策を口にする。



「見たくないのか……セリーの裸を」



「な、なんでセリーさんが出てくるのさ!!」



個人名が出たことで慌ててそう叫ぶビリー。それが狙いだったのかニヤリと口角を吊り上げる拓也はさらに続ける。



「だってお前海でセリーの胸ガン見してたじゃん」



「あ、あれはッ……!」



「へ~、おとなしそうで結構………ビリー君。これは将来が楽しみだな」



「ち、違ッ…」



「皆まで言わなくて大丈夫……男の子は皆お○ぱいが大好きなのさ。


まぁ僕は脇とか首筋とかの方が好きだけど」



「君本当にアルス君かい!?なんかいつもと違うんだけどッ!?」



「え~俺はお○ぱいの次だったら尻かな」



「聞いてないよッ!!!



……ハァ……ハァ………」



走り込みで心肺機能を強化した最強のツッコミ担当のビリーですら息切れしてしまっている。しかしこれは最早仕方のないこと。


彼の手に負えないほどボケ担当たちの頭のネジのぶっ飛び具合が悲惨なことになっているのだから……。





完全にダース単位で頭のネジが行方不明になっている彼ら。


これ以上ツッコんでも体力を無駄に消費するだけである。



「それで?結局どうなんだよ、見たいの?見たくないの?」



「そ、それは……」



そう言ったきり黙って俯いてしまうビリー。


静かな沈黙が流れ始め、風の吹く音だけが静かに草原に響く。



思考を巡らすビリー。



『見る』か『見ない』かとより明確にされた二つの選択肢を天秤に掛け……ひたすらに考える。



そして待つこと約一分。そんな彼を仁王立ちしながら眺めていた拓也は一つ大きく溜息を吐くと、踵を返して歩き始めた。



「わかった、もういい。中途半端な覚悟では痛い目を見るだけだ。


セラフィム、アルス…俺たちだけで行くぞ」



「「了解」」



拓也の動きに連動して二人ともが踵を返し、遠くに臨む王都に向けて歩を進める。


一体覗きに必要な覚悟とは何なのか……普通の心理状態のビリーならばまずそこにツッコんだことだろうが、何分彼は現在通常の心理状態ではない。


故に……覚悟とは何かについて考え始めるのだった。



「僕にいつも足りないもの………それは……覚悟?」




狂い始める思考回路。


瞬時にして切り替わる拓也のテンションに惑わされるのは慣れていたはずのビリーだったが、心理状態のせいで何故かそんな思考に走り出す。


それが拓也の狙いだとも知らずに……。



気が付けば……彼は大地を踏みしめて立ち上がり、彼の背を追っていた。



「どうした?お前は行かないんじゃないのか?」



ニヤニヤとした笑みを浮かべて振り返った拓也が彼にそう問う。


決意の固まった表情をその顔に浮かべたビリーは、拳をギュッと固く握りながら静かに口を開いた。



「見たいさ。だから……僕も行く!」




理性をかなぐり捨てて欲望を丸出しにしたビリーのその瞳は、まるで無邪気な子供のように爛々と輝いていたという……。



そして………



ー……計画通り……ー



拓也は腹の中でケタケタと不気味な笑い声を上げるのだった。




・・・・・



作戦開始から数分後……既にヴァロア家の庭に侵入した拓也たち一向。


普段、頻繁に足を踏み入れているこの場所も、今日に限っては踏み入れた目的がアレなため、独特のアウェー感を感じてしまうビリーと拓也の表情には、緊張の色が伺える。


いや……彼らだけではない。彼らの後ろに続く二人の顔にも同じ緊張の色が浮かんでいた。



「いいか、この作戦でドジを踏むということは……説明するまでもないな?心得ておけ。


流石に今回は俺も本気で行く。お前らも……いいな?」



真剣味を感じさせる拓也のその言葉に一同が無言のまま一度だけゆっくりと頷いて見せる。


全員の覚悟が決まったことを確認した拓也も口角を吊り上げながら一度頷き、露天風呂の方へと歩を進めた。



……その刹那。



『カチ』という機械的な音が、極度の緊張で限界まで研ぎ澄まされた彼らの鼓膜を揺らした。


その音を自分の真下から拾ったビリーは、ふと上を見上げる。



「ッ!!」



映ったものは…巨大な岩。彼女らが仕掛けた……罠だった。


目測の距離にしてそれとの距離はおよそ3メートル。



驚愕の表情を浮かべるビリー。これだけ巨大な岩だ。壊すとなるとそれなりの威力を持った一撃が必要……しかし魔武器を出すには時間がない。拳で破壊できないこともないが……こんなものを打撃で崩壊させれば、まず間違いなくその音で彼女らに存在が気づかれてしまう。




既に……詰み。




「(ごめんよ拓也君……こんな……こんな……)」



自分ではどうすることもできない。そんな無力感に苛まれるビリーは、侵入者である自分をすり潰さんと迫る巨岩を見つめたままその場所に棒立ち。


自分の不注意で招いたこの状況を打開できない自らへの罰の為に、この一撃を食らおうとしているビリーだったが、共に一つの目標を達成せんと誓い合った仲間は彼を見捨てはしなかった。



「…ぇ?」



それは本当に一瞬の出来事。彼が目で見ている映像をビデオカメラで撮ったものに例えるならば、それは僅か一フレームに収まるか収まらないかの出来事………その刹那の間に無数の銀色の筋が走ったかと思うと、その次の瞬間には巨大な岩は姿を消していた。


小さく素っ頓狂な声を上げてその光景を見つめるビリーが視線を地上に戻すと、そこに映ったのは白銀の輝きを放つ一振りの刀を握る拓也の姿。





「大丈夫かビリー」



片足に体重を乗せながら、刀の背を肩にのっけて笑みを浮かべながら彼のそう尋ねる拓也。


自分の体に痛みは全く無い。ビリーは首を縦に振ってその質問に返事するとともに、最早聞くまでもないだろうが一応聞いてみる。



「う、うん……今の拓也君がやったのかい?」



「あぁ、原子レベルまでバラバラにしといた」



「嘘だろ……」



今の一瞬で……それも無音でこれほど素早く。最早人間業の領域ではない。


遠回しに称賛の言葉を零すビリー。


これほどのことをすんなりとやられてしまうと、自分が強くなったわけでもないのに、どうしてか誇らしく感じてしまう。



拓也は呆然としたまま自分を見つめるビリーにおどけたような笑顔を見せると、刀身を静かに鞘に納めながら口を開いた。



「言ったろ?今回は俺も本気だって。



セラフィム、どうだ?」



しかしそんな表情をすぐに真剣なモノに戻した彼は、何やらビリーの足元で作業しているセラフィムの名を呼んでそう問い掛けた。



「大丈夫。このトラップの発動で向こう側にこちらの存在が伝わる仕組みじゃなかった。


だが……」



「あぁ……やっぱり奴らが関わってやがるな………」



・・・・・



同刻……ヴァロア家脱衣所。



「じぇ、ジェシカさん!?胸を揉まないでくださいましッ!!!」



「え~いいじゃん減るモンじゃないんだし~!」



脱衣所で服を脱いだメルの胸を揉みし抱く全裸のジェシカ。


巨乳に余程のヘイトが溜まっているのだろうか、その手付きは完全におっさんのそれである。



そして……彼女らの傍で服を脱ぐ比較的長身の美女とロリっ子。


その二人の背には…………純白の美しい4枚2対の翼。



「私たちもご一緒してよかったのでしょうか?」



「ね~」



「家主のミシェルが良いって言ったんだしいいでしょ!!多分!!」



まぁ事の発端は来訪した二人をジェシカがお泊り会に引き込んだせいなのだが……まぁミシェルが許したのだから別にいいのだろう。



それに自然に海で一緒に遊んでいたことから伺えるように、彼女たちはたまに顔を合わせたりお茶をしたりするので、セリーやメルたちともそこそこ親しい。


「ほ~ら!中でミシェルたちが待ってるよ~!!」



「だ、だから揉まないでください~!!」



「ぐへへ…」



その手付き(ry




結局ジェシカに手ぶらをされたまま浴室の方へ消えていったメル。


脱衣所に残された天使二名はそんな二人の背中を見送って浴室のドアをそっと閉じる。



次の瞬間、彼女らの顔には既に笑みはなく、代わりに浮かんでいるのは険しい表情。



「……ガブリエルは来ると思いますか?」



「”奴ら”のことだし……まぁ統計的に考えてまず間違いなく来るでしょ~」



ちなみに天界の超紳士二名は既に覗き未遂の前科は1000000犯を超えている。


その度にただでは済まないお仕置きを受けているはずなのだが……彼らはそれでも隙あらばラファエルやガブリエルの風呂を覗きに行こうとするのだ。それがまるで使命とでも言うかのような凛々しい表情で。



顎に手を当てながら若干俯いて思考を巡らすラファエル。



「ですよね……外には凶悪な罠を無数に仕掛けておきましたが………」



「最高位の天使、熾天使と…本気を出せば我らの主ですら手を焼く存在よ?本気で来られたらまず無理でしょ~」



ガブリエルの考えに賛同するように首を縦に振るラファエル。彼女らには申し訳ないが、彼らは既に本気になってしまっていた……。


そして……彼女らが対策を論じている間にも、恐らく着々とこちらへ近づいて来ているのだろう。



「……特にこの二人が変態活動に勤しむ時の集中力は気色悪いほど高いですからね……もっと違うことに力を使えと言いたいんですが……」



「そんなの今に始まったことじゃないわよ~。私の授業だって何度抜け出されたことか……」



「そういえば…ちょっと目を離すと本人とはかけ離れた超イケメンな人形と入れ替わってたりしましたねぇ……」



「しかも追いかけずに待ってたらなんか自分から帰ってくるし……ホント意味分かんないわよ~!」



「あの時確か怒ったガブリエルが身代わりの人形の顔をズタズタに引き裂いてて『俺の国宝的イケメンフェイスが~…』とか叫びながら拓也さん号泣してましたよね」



「そうそう、おまけに最早別人だろって指摘したらもっと泣き喚きだすわで………ホントあの頃は大変だったわ~」



数度の言葉のやり取りの間に、対策会議がただの思い出話に変わってしまっているが……残念ながらこの場にツッコミ役はいない。


故に誰もこの流れを断ち切れないのだ。



・・・・・



「魔力感圧感知システムか……解除。


一体いくつ仕掛けてあるんだこれ……」



額に浮かぶ汗を拭いながらそう呟く拓也。


壁沿いに歩き、ようやく露天風呂の壁が見えてきた辺り……しかしここまで到達するのに既に無数のトラップを解除している彼ら。


急がなければ、例えバレずに無傷で目的地点まで到達したとしても、鑑賞の時間が無くなってしまう。



「仕方ない……少々強引だが………」



これは慎重さも必要だが……それ以上に時間との勝負。


そう呟いた拓也は、左目に銀の片眼鏡を装着する。



彼の魔武器の能力は……物質の構成を読み解き、それを原子レベルでバラバラにする解除式を作り上げる能力。


魔力を通したレンズの向こう側は、大量の魔法陣で最早地雷原と化していたが、その全ての構成を読み解き、無効化できてしまう拓也には関係ない。


ニヤリと口角を吊り上げた彼は静かに口を開いた。



「『一掃スイープ)』の時間だ」



彼の手の中には無数の小さな魔法陣。中にはかなり複雑な魔法陣の解除式もあるのだが、ここまで小型化できるのは彼の技量あってのことだろう。

その一つ一つは彼の手から離れ、一切の迷いなく一直線に移動を始める。



ビリーやアルスからすればただ小さな魔法陣が地面から少し離れた場所に浮かんでいるだけに見えるのだろうが、拓也とセラフィムは違う。


彼らには魔力トラップの全てが”視えている”。



「解除っと……」



そしてそれらはゆっくりと地面に吸い込まれるように消滅。


同時に拓也の口からポツリと零れるその言葉……ビリーとアルスは、トラップがすべて解除されたことを察して安堵の息を吐いた。



「流石だな拓也……もう魔力トラップはないみたいだぜ」



「あぁ……だが気をつけろ、相手はラファエルとガブリエルだ。何をしてくるかわからん。


それにさっきからちょくちょく物理的なトラップが仕掛けられてた」



「この先にも少しあるみたいだな……それが本命って可能性も……よし、油断せず行こう…」



真剣な面持ちでこそこそと打ち合わせをする二人。なぜこのような技能や知識を全力で覗きに使うのか……きっと常人には理解できないのだろう……というかしたくもないだろう。






拓也のおかけで大よその障害は消え去った。


闇に紛れ、静かに……且つ匍匐前進でスピーディーに移動する彼ら。形容するならばそう…ゴキブリ。



「もう一息だ……ビリー、アルス……もう少しで……」



「き、緊張してきたよ……」



「桃源郷はもう…すぐそこだ……」



隠しきれていない興奮は表情に現れる。拓也は自分と同じ場所へ上り詰めて来ている彼らを微笑ましい表情で見つめると、まるで永遠のライバルでも見るような挑戦的な眼光を宿した瞳で、目の前の最後の壁を見つめる……。



「よぉ……5年ぶりだな」



「待っていたぜ…この時を」



そう続けるセラフィムの顔にも、拓也と同様の表情。


天界時代最後の覗き……結果は言うまでもなく彼らの惨敗。



今回はそのリベンジも兼ての挑戦……彼らはチャレンジャー。


圧倒的な高さに感じる壁を見つめる二人だったが、その表情には臆したような色は微塵も浮かんでおらず、むしろ自信と興奮に満ちていた。


一体その自信はどこから来るのか……前科の数だけ失敗し、その度に凄さを増すお仕置きを受けてきたというのに……。



「見せてやる……無限の可能性を秘めた人間の力を…ビリー、アルス…共に行こう……」



拓也は……どうやら自分とその弟子…アルスという人間の力を信じ、この場に臨んでいるようだ。


だが、彼の笑みの理由はそれだけではない。



「セラフィム、もちろんお前も頼りにしてるぜ?」



「………あぁ、任せろ兄弟」



天界にいた頃……共に(覗きの)技術を切磋琢磨し合い、(覗きの)知識を共有し合ってきた彼もまた…拓也の大切な相棒。


屈託のない笑みを浮かべた拓也に、彼もまた笑顔で返す。




しかし…………その彼の笑みの中に、ほんの僅かな闇が紛れていたことに拓也は気が付けていなかった……。



「(クックック……)」



腰から下げているバッグにそっと手を滑り込ませたセラフィムは、中に入っているある”ブツ”を摩りながら心の中でだけ飛び切り邪悪に笑い声を上げた。


そして真摯に壁に向き合う拓也の横顔を、必死に笑いを堪えながら見つめる。



「(この神器…『ハデスの兜』を被れば姿も気配も消すことができる……もし見つかっても……



これがあれば俺だけは確実に逃げられるぜぇぇぇッ!!!)」



これはガチクズである。





「じゃあ……いくぞ……『破壊の指』」



拓也の指を取り巻く破壊属性の魔力。まさか初めての破壊魔法の登場がこんな形になろうとはだれが予想していただろうか……。


破壊の魔力は込めた魔力の分だけ対象の物質を消滅させる。



拓也が指を突き立てた露天風呂の壁は、嵐のような透明に近い破壊の魔力が触れた傍から音もなく消滅し、あっという間に人数分の覗き穴が完成。



4人はその顔を見合わせて、ニヤリと例外なく気持ち悪い笑みを浮かべた。



「いざ……桃源郷へ…!」



小さく呟く拓也の掛け声で全員がそれはもう見事なまでの素早さで壁の覗き穴に目を押し付ける。


湯煙でボンヤリとしかわからない浴室の中……しかしその中には確実に蠢く数人の人影。



「くっそ見えねぇ……拓也、風魔法で何とかしてくれ」



「バカか、そんなことしたら一瞬でバレる」



「クソ無能が」



「なんだとおいこら」



目的が達成されそうになった途端にこれだ。まったく醜いものである。



「「「「ッ!!」」」」



しかしそんな時……神風が吹いた。



彼らの思いが天に通じてしまったのか、ひと際強い風が浴場の中に吹く。


そして……露天風呂の中の光景が露わになった。



見えてくるであろう男性にはない魅力の柔肌を予想してか、鼻の中に鉄の匂いを感じる一同……。



「「「「………」」」」



だが……彼らの視界に映るのは………



「え~ミシェルめっちゃ形綺麗じゃ~ん」



「うるさいですね……」



おっさんのような手つきでミシェルに迫るジェシカと、彼女に一定の距離を取りながら後ずさるミシェル。



「ラファエルさん!何か綺麗になる秘訣とかあるんですか!?」



「う~ん……とりあえず肌と髪のケアは欠かしませんね。ガブリエルはどうしてます?」



「ラファエルとおんなじかな?」



天使二人にその美貌の秘訣を尋ねるセリー。



「む、胸が苦しいですわ……」



そして………”体に巻いた白いバスタオル”を押し上げる胸が苦しいのか、しきりに胸元を弄るメル。



「「oh shitッ!!!」」



彼女らは禁忌を犯していた。



先ほどまでのニヤニヤした表情はどこへやら……一瞬にして苦虫を噛み潰したような表情になった拓也とセラフィムは、悔しさからか壁を拳で軽く叩いてそう漏らす。




それが……最大級のミスになってしまうとも知らずに……。



拓也とセラフィムが感じる、いくら軽く叩いたにしても少なすぎる反発。


そしてギ…ギギ…という何か軋むような不自然な音。



「「「「ッ!!」」」」



壁が……前のめりに倒れ始めていた。




目を見開く一同。逃げなければ……頭ではそう分かっていても、焦りと…この後襲い来る恐怖のせいで体が動かない…。



ー……クソッ!超紳士の俺たちが壁に張り付くと分かってやがったんだ……きっかけは俺たちが小突いたからかもしれんが………壁に細工されていたんだ……ー



倒れていく壁を呆然と眺めながら頭の中ではそんな思考を巡らす拓也。


この後のシミュレートも完璧。数秒後にこの壁が地面と同化すると同時に、この壁の倒壊に注目した彼女らの視線が全てこちらへ集まる。


そして冷ややかな視線を全身に浴びた後は……血祭必至。



あぁ、ダメだ。拓也ですら諦める中……



まだ一人だけ諦めていない奴がいた。いや、正確には覗きは諦めているのだが……。



「(やっぱこうなったかッ!おっしゃ逃げるぜッ!!)」



自らの保身……『ハデスの兜』という神器を持ってきているセラフィムにはまだ逃亡という選択肢が存在したのである。



壁が倒れきってしまう前に…と、自分のバッグに手を突っ込むセラフィム。


天使にあってはならないような相当の悪い顔をしているのは最早言うまでもない。




「……ッ!!??!?」



だが…一人だけ助かろうなどと画策した彼には既に天罰が下っていた。


ハデスの兜が……バッグの中のどこにもないのである。



そしてそうこうしているうちに……壁は地面と同化した。



恐る恐る顔を上げるセラフィム。



視線の先には……バスタオルに身を包んだ女性が6人。爆笑するジェシカとおろおろするセリーを除いたその内の4名は、まるで養豚所の豚を見るような目で屈んだ体勢の彼らを見下ろしている。



「は~……やっぱり来ましたね。毎度毎度ホント予想通り……」



「天界時代から何も変わってないね~二人とも」



「拓也さんこれはどういうことですか?納得のいく説明をしてくれないと引き裂きます」



「キモイですわ」



「黙れ爆乳Iカップが。垂れるぞ」



「なッ!!」



この状況でもメルに対する煽りだけは忘れない。これが拓也である。




しかし……この場において彼らは罪人。



「オウフッ!!」



スコ-ンという子気味良い音と共に拓也の額に深々と突き刺さる氷の針。


針と言っても数十センチの長さのあるそれは、人を容易に殺め得るものだろう。だが……それを放ったミシェルも、彼にとっては大した脅威ではないとしっかり理解できているゆえの行動なのだ。



「痛ってぇぇぇ!!ウォォォッ!!!?」



しかし致命傷にならないことと痛みを感じないということは別である故に、激痛にのたうち回る拓也。


しかしミシェルは全くの慈悲を感じさせない冷たく冷え切った表情のまま転がるごみクズの元まで歩み寄ると、チョロチョロと動き回る彼の頭部を足でガンッ!と思い切り踏みつけた。



石の床のせいで……頭の中にダイレクトに響く衝撃。軽い脳震盪を引き起こした拓也はピタリと動きを止める。



「私は説明をしろと言ったんです。次こそ引き裂きます」



「待って引き裂くってなに?」



「文字通りです」



頭上から降り注ぐ冷たい声。拓也は歯をカチカチと震わせながら、眼球だけを動かして彼女の表情を伺おうとした……が、あいにくのこの体勢のせいで太もも辺りまでしか視界が動かない。



「流石ミシェル、吸い付きたい素晴らしい太ももをしてますな!」



許してやってほしい……彼は馬鹿なのだ。



・・・・・



先程の発言から数分後……頭部が石の床に深くめり込むほどに強く踏み抜かれたのち、天使たちによって八つ裂きの刑が執行されたが……流石の拓也の体の強度。


四肢を千切るには至らず、結局セリーを除く女性(ジェシカは面白がり参加)の集団のリンチを受け、現在は正座するセラフィムとビリーの横に血まみれになって転がっている。



「さて……次はセラフィムさんですね。石打ち刑、火刑、電気椅子。どれがいいですか?」



「セラフィムさんね……それ全部生命刑だったと思うの……」



次に矛先が向いたのはやはりセラフィム。


整った顔を涙でぐちゃぐちゃにして、今にも消え入りそうな声でそう訴えるが断罪者たちは全く聞く耳を持たない。


平たく言えば生命刑とは死刑のことだが……まぁ彼なら首を落とそうが爆破しようがなんら問題ないだろう。



「分かりました。じゃあとりあえずフルコースですね。ガブリエル、準備を」



「了解~」





・・・・・



血まみれの物体が二つに増え……残りは……



「さて、可愛らしい子羊さんが残ってしまいましたね……」



「どうするのラファエル。このバカ二人と同じようにやったら大変なことになるよ~?」



目の前に迫る圧倒的な恐怖にガチガチと打楽器のように奥歯を打ち鳴らすビリー。


もう一人…自分と同じ立場の人間がいるはずなのに、何故か全員の視線が全て自分へ向いている…。



そんな違和感に気が付いたビリーが辺りを見回してみると……。



「あ、あ…アルス君は!!?」



アルスの姿がどこにもなかった。


人智を超越した天使二人から一体どうやって逃げ果せたのか……相変わらず謎多き人物である。



「な、なんで僕だけ……」



一人だけ逃走に成功したアルスを羨ましく思いながら涙を流すビリー。


まさに蛇に睨まれた蛙……美人揃いの彼女らも、今に限っては悪魔にしか見えない。



「ごめん……なさい………」



彼は覗きに来たことを……心の底から悔い、後悔するのだった…。



恐怖で真っ青になった顔をスッと伏せると、口から自然に謝罪の言葉が漏れた。


意図せず漏れ出たのは本心。小さく消え入るような声だったが、確かに彼は謝罪の言葉を口にする。


するとその次の瞬間……興味深そうにその様子を眺めていたガブリエルの口角が吊り上がった。



「ねぇラファエル、どうやらこの子本気で後悔してるみたいだよ~」



「そのようですね……まぁ初犯ですし……」



少し考えるような仕草を見せたラファエルは、しばらくして何か思いついたのか閃いた表情をすると、彼にゆっくりと歩み寄って彼の額の前に手をやった。



パチ。額に走る僅かな衝撃と痛み。



「じゃあ私は…今日はこれで許します。でも…もうこんな事やっちゃダメですからね?」



悪魔が…天使に見えた瞬間だった……。



唖然とするビリーの額に次々とデコピンを打っていく女性たち。


あっという間に全員が打ち終わった後の彼女たちの顔に浮かぶのは、まるで子供の悪戯を許すような苦笑いにも似た表情。



「まぁ…そうですね。どうせ拓也さんに上手いこと乗せられたんでしょう」



「クズですわね」



「まぁ私は別にいいや~!」



「わ、私も!!」



悪魔にすら見えていた彼女らが……今では慈悲深い女神に見えてくビリーであった。





「「ふざけるなぁァァァァァァッ!!!!!!」」



しかしそんなことをしてしまえば……先に処刑された二人が黙っているわけがない…。


拓也、セラフィム…復活。



露骨に嫌そうな顔をするラファエルガブリエル、ミシェルにメル。



「まだ逝ってませんでしたか…」



「大人しく逝ってた方が身の為なのにね~」



臨戦態勢の天使二人。魔法陣を背後に大量に展開する。その数およそ1000。


しかし……本気になった変態は………強い。



「同じ罪を犯しても処罰のレベルが違う……



こんな世の中でいいのかッ!!?」



いつの間にか拓也が装着していた銀の片眼鏡。一瞬にして組み上げた解除式を魔法陣にして飛ばし、彼女らの作ったすべての魔法陣を解除。



「この世の中は腐ってやがる……」



顔を歪めながら呟くセラフィム……そして拓也が激昂したような大声で大演説を開始した。



「風呂を覗くことが犯罪なんてことは分かってるッ!!だけど紳士である以上やるしかないッ!!



これは俺たちに与えられた使命…俺たちがやるしかない……ッ!!



他の者にできたか!?ここまでやれたか!?この先できるか!?



そうだ……お前らの風呂を覗けるのは…………俺たちしかいない……」



「犯罪だと自覚してるならそれで大丈夫です。ぶっ飛ばすんでそこに直ってください」



しかし流石はいつも彼の謎の行動をしっかりと対処しているミシェル。


一切の迷いなく放たれた氷の針は、彼の体をサボテンのように変化させ、彼女が杖を一振りすると彼は冷たく硬い氷の中に閉じ込められた。


セラフィムもいつの間にか光の鎖に繋がれ跪かされ、体の至る所に光

の槍が突き刺さっている。



「それじゃあまで元気なようなので第2ラウンド行きましょうか」



「私もちょっと本気出しちゃうね~」



本気を出した変態も………裁く側の人間には勝てない。


そう……露出狂やロリコンが警察には逆らえないように……これが真理なのだ……。




この後……彼らの大絶叫が王都に木霊したのは最早言うまでもないだろう。



・・・・・



断罪した彼らを許す代わりに豪勢な夕食を作らせそれらに舌鼓を打った後、寝間着に着替え大勢が寝られるように床にも布団を引いたミシェルの寝室へ移動した彼女ら。


当然、現在は男子禁制のヴァロア家。


自主的に退場したビリー以外の変態二名は夜空にホームランされ、現在は一時の平穏が訪れている。



「よっしゃ~!じゃあお泊り会のビッグイベント!!恋バナ大会だぁぁ~!!!」



「ハァ……ジェシカ、飛び回ると布団が乱れます」



跳ねまわってテンションマックスのジェシカをそうたしなめるミシェル。


それにしても……世界を跨いでも年頃の女子がこういった話題が大好きなのは変わらないようだ。



床に引いた布団に寝転がるジェシカに続き、他の面々も腰を下ろしたり寝転んだりして円を描く。



何気にラファエルとガブリエルも参加しているが、”この年増”などとは絶対に言ってはいけない。非常に長生きの彼女らでも心はいつまでも乙女なのだから(拓也談)。



「じゃあ最初はセリーちゃんだよ!ぶっちゃけ好きな人とかいるの~!?」



「えぇ、わ、私!?」



ジェシカの最初の標的になってしまったのはどうやらセリー。


面白いように戸惑うセリーを見てジェシカは何か企んでいるような笑みをその顔に浮かべて、逃げられないように彼女の肩をガッシリと両手で掴んだ。


そして何かとてつもなく脅迫的なものが含まれたニッコリとした笑顔を彼女に向けて口を開く。



「い・る・の?」



「え、えっと……」



笑顔のはずなのに恐ろしい迫力。


たじろぎながら後ずさろうとするセリーだったが、予想以上の力が肩に掛かっており身動きが取れない。


するとジェシカはさらにニッコリとした悪魔的笑顔を作ると……少しだけ首を傾げて見せる。



「い・る・よ・ね?」



疑問形でありながら最早疑問形ではない。彼女は確信をもってこの問いを投げかけている。



「そ、そうなのですか?」



「へぇ~、いいですねぇ~!」


「気になる気になる~!」



ジェシカの醸し出すそんな空気に流されるメルもセリーに詰め寄ってそう問う。


そしてやはり……天使二人は既にノリノリである。





周りを仲間に引き込まれた……逃げられない。


というか逃げたところでそれは彼女の問に肯定したも同然。ジェシカが放ったたったの一言で既に詰みの状態。


普段はお世辞にも賢いとは言えない彼女がなぜ恋愛方面と進級テストになると恐ろしいまでの才知を発揮してくるのだろうか……。



そんな疑問を胸に抱えながらも、セリーは大人しく口を割る。それしか選択肢がなかったのだ……。



「き、気になってる人なら……」



「やっぱり~!」



「だ、誰ですの!?」



周りを味方につけたジェシカはベッドに腰を下ろし、まるで時の覇権を握った皇帝のようにジェシカを上から見下ろす。


力の差を痛感したセリーだった。



「ビリー…君」



シン…と静まり返る部屋の中。しかしそれも一瞬。


次の瞬間にはジェシカが狂ったように…いや、狂って黄色い悲鳴を上げ、それに釣られるようにしてメルや天使たちもはしゃぎ出す。


最早この部屋の中でまともなのは既にミシェルだけだった。



「どんなところが好きになったんですのッ!?」



「だ、だから気になってるだけで……」



「とっとと落としましょう、セリーさんなら行けます」



「男なんてお○ぱいがあれば余裕よ余裕……ハァ」



反論すら許されずない言葉攻め。


弁解をしようとしても圧倒的物量の前にセリーの声はかき消され、メルが呑まれたせいでこの場にはミシェルだけしかいなくなってしまったツッコミ要員。


しかしそのミシェルが目の前で荒ぶる彼女ら止めることは不可能だと判断しツッコミを既に放棄しているため……檻から解き放たれた猛獣たちは、震える草食動物を弄ぶ。



そしてガブリエルが巨乳を妬むような発言をしたが、間違ってもこれにツッコんではいけない。


海では貧乳にも需要があると言い、開き直っていたように見える彼女だが、実際のところ……貧乳であるが故に虐げられ、巨乳の影を歩んできた彼女の溜まりに溜まった巨乳へのヘイトは並大抵ではない。


この間のあの発言は、同じ境遇に立たされたジェシカを鼓舞し、新たな生き方へ導くために先見者としての精一杯の強がりを見せたに過ぎないのだから…。





「え~、どんなところに惚れちゃったのよ~このこの~!!」



「だ、だから気になってるだけだって……!」



「何がきっかけで気になりだしたのですか!?」



ジェシカがセリーを煽るように口を開くと、案の定セリーはそれに反論しようと立ち上がる。


しかしジェシカに続いて口を開いたメルの訂正によって彼女が反論する部分はなくなってしまった。


意図していないというのに素晴らしい連係プレーである。



「え、えっと……強くなるのに凄く一生懸命なとことか…


自分の不始末の責任は自分で取るって言って二人組の怖い人たちにも向かって行ったし……」



きっとあの赤髪と青髪の大男二人組のことを言っているのだろう。元はと言えば拓也のせいのような気もするが……まぁこの際そんなことはどうでもいい。


目を爛々と輝かせながら首を縦に振ったりして相槌を打つジェシカとメルと天使二人。


ミシェルも遠巻きにだが興味深そうに耳を傾けている。


セリーはそんな彼女らに囲まれながら緊張したような顔をして固まりかけたが、ここで止まってもどうせ背中を押されるだけと、勇気を振り絞って言葉を続けた。



「それに……いつか変な男の人たちに絡まれたときあったでしょ…?


あの時……ビリー君、震えながらだったけど助けてくれた時にちょっと……ちょっとだけドキッとしちゃって…た……」




「うわああああぁぁぁ!!!うわぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!」



「ジェシカ、うるさいです」



「ですわ………ですわ………」



「メルさん……」



どうやらあまりに甘酸っぱい彼女の発言に、ジェシカとメルは人間の言葉を失ってしまったようである。


しかし意味不明な発言をするメルを憐れむような目で見つめるミシェルも、他人の色恋の話を聞くのはやはり新鮮なのか……その顔には普段の彼女には見られない色がうかがえる。



「も、もう私はいいでしょ!?つ、次行こうよ!!」



面白いほどに頬を赤く染めていくセリー。


しかし……本人がそう言い続ける限り……そして何より、ジェシカがまだ興味を抱いている時点で、この質問攻めが終わることはないのだ……。




「そういえば……セリーさん、休みの日に差し入れをもってよく家に来ますもんね。


なるほど……あれはビリーさんに会いに来てたんですか」



「ちょ、ちょっとミシェルちゃん!!?」



ポンと手を叩いたかと思えば……何食わぬ顔でミシェルが爆弾を投下。


慌てたように彼女に詰め寄りセリーだが……時すでに遅し。


彼女の背後では、悪魔たちが三日月のようにパックリと口を割り、不気味な笑い声を上げている。



「へぇ~……」



「ですわ………」



「案外積極的なんですねぇ~……」



「お○ぱいあるし余裕よ~………」



セリーが悪魔たちから解放されたのは、小一時間経過した後だったという…。



・・・・・




「ヤバい……ダメージが足に来てやがる………」



「あれだけの拷問の後に晩飯まで作らされたんだ……でもこれだけで済んでよかったぜ………」



平原に設営したベースキャンプに何とか到着した拓也とセラフィム。


そこでは、先に返されていたビリーと何故かあの状況から一人だけ逃げ延びていたアルスが夕食の準備をしていた。



まずキレたのは拓也。鬼の形相で自らの弟子に歩み寄る。




「おいビリーこの野郎、何で俺たちがこき使われてたのにお前だけお咎めがデコピンだけなんだおい!」



「し、知らないよ……初犯だからじゃないかな…?」



「そうかそうか、じゃあ俺が罰してやる。そこに直れ」



「な、ちょッ!刀なんて抜くなよ!!…ッうわ!!」



余程彼が憎いのだろうか……いつの間にか手にしていた刀を鞘から抜き放つと、問答無用と言わんばかりに斬りかかった……が、流石に普段から彼の修行を受けているだけのことはある。


口では焦ったようにそう言っているビリーだが、容易くかわし、両手に抱えた食器の一枚も落とさない。



「『鬼神の剣』…≪一ノ型・二式≫…………」



「やめろぉぉ!!それは絶対かわせないからッ!!!!」



ムスッとした表情の拓也。きっとかわされたことが悔しかったのだろう……腰を落として納刀し、柄にそっと指を掛ける。


しかしビリーの必至の制止のおかげもあって、彼がそれを放つことはなかった。





すると彼らの帰還に気が付いたアルスが準備を中断し、テントの中に潜り込む。


そしてあるものを手にしたままセラフィムに声を掛けた。



「セラフィムさん、これ…ありがとございました。おかげで逃げ切れましたよ」



「ッ!!ハデスの…兜………だと?」



セラフィムは純粋に驚愕していた。


熾天使という最高位の天使である自分に気付かれず、バッグの中にあったそこそこ大きいこの神器をスるなど……至難の業のはず。


しかし……目の前でニッコリ張りぼて100%の彼は、容易にそれをやって見せた。


これは軽く恐怖である。



「一体どうやって……」



「?…普通にお借りしただけですが……」



「おいおい……マジかよ……」



ここまで単純な方法で……且つ鮮やかにやられてしまうと、いくらそれが罪になる行いでも称賛を送りたくなってくる。


セラフィムは既に、彼のせいで自分が捕まってしまったことなどどうでもよくなってきているのだった。



・・・・・



「…………」



小一時間の質問攻めの末……セリーは撃沈。


その顔に生気は宿っておらず、この様子ならば三途の川らに転がっていても全く違和感がないだろう。



「セリーちゃんはもうダメか……じゃあ次はミシェルだね!!」



「なんでそうなるんですか……」



まるで今までは格下の相手でもしていたとでもいうような表情でダウンしたセリーに一瞥くれたジェシカは、すぐにその顔に嬉々とした好奇心をよみがえらせると、次のターゲットをロックオン。


ミシェルはこうなることが予想できていたのか……ため息交じりにそう呟き、彼女を突き放すための言葉を放つ。



「何も言いませんから」



「え~、ミシェルのいけず~!」



視線を逸らし、巧みな動きでジェシカから距離を取り始めるミシェル。


しかし……ジェシカは臆することなく立ち上がると、ミシェルが座ったまま苦労して稼いだ距離を一歩で詰める。




ミシェルの肩をガッシリと掴んで目を合わせようと彼女の顔の前に自分の顔を持って行こうとするジェシカ。


しかしミシェルも一度ジェシカにペースを持っていかれると流されるということは今までの経験で痛いほどわかっているので、口を真一文字に噤んだままそれを巧みにかわし続ける。



するとジェシカは諦めたように一つ溜息を吐くと、ミシェルの肩から手を放し自分の定位置に座り直した。



「まぁいいや~……というかミシェルってさ、たっくんと喧嘩とかしないの?」



「……喧嘩…ですか?」



「だってさ~、一緒に暮らしてたら不満の一つや二つあるんじゃないの?」



一瞬諦めたかのように思われたジェシカだったが、彼女の口から飛び出したのはミシェルと拓也の関係を探るような質問。


しかし……ミシェルが想像していたよりもずっとライトなそんな世間話にも似たような質問のせいか……ミシェルは既に応答の姿勢をとっていた。



「そういえば……喧嘩なんてしたことないですね…。


強いて言えば拓也さんが下着を盗んだりするので動けなくなるまで制裁を加えるだけです」



「それが喧嘩の範疇に入らないのが驚きですわ……」



ボソッとそう零すメルの意見は尤もだろう。


ジェシカとラファエル、ガブリエルはその返答を聞いて興味深そうに何度か頷いてみせる。


そしてラファエルが、皆の頭の中に浮かんだであろう新たな疑問を代表して口に出した。



「意見の食い違いでの喧嘩とかって経験ないんですか?」



「はい、ないですね。



そう言われてよくよく思い出してみると……拓也さんが私に合わせてくれるのが多いと思います」



「あーわかる。アイツってそんな感じだわ~」



迷わず即答するミシェル。そしてその理由を自分なりに解説すると、ガブリエルが天界時代の彼の様子を思い出したのかそんな相槌を打つ。



「そうなんです。


いつも私ばかりが大切にされてる気がして……拓也さんだって、もうちょっとワガママも言ってくれて良いんですけどね」



目を静かに伏せながらそんなことを呟く彼女の顔に浮かぶ表情は微笑。


角度的な問題で見えないが、もし彼女の瞳を覗き込んだならば、きっと穏やかな色が浮かんでいるに違いない。





そして……自然に惚気始めているミシェル。



「(計画通り…)」



ジェシカに誘導されているとも知らずに……。




「本当にいつもあの人にいろんなモノをもらってばかりで……私も何かしてあげなくちゃいけないと思うんですけど………何をすればいいんでしょうか……」



喋りながらだんだん表情を暗い方へ落としていくミシェル。


普段は彼に辛辣な態度をとる彼女も、やはり心の底ではちゃんと想っているのだ。


しかし、いつも与えられてばかりで、自分が彼に何をしてあげているのだろうか……。


たまに抱くそんな疑問ふと口にすると、目を伏せたまま黙り込んでしまった。



すると……ラファエルが口元の笑みを手で隠しながら口を開く。



「私、ミシェルさんがお留守の時…たまに拓也さんと二人で話すんですよ。


そこで聞かされるのは大体惚気話なんです。そして絶対に話の途中で今のミシェルさんと同じ話題を出して暗くなるんですよね~『いっつもミシェルに与えられてばかりだよぉ~』って感じで」



拓也の声帯模写までしてのラファエルのその発言。


するとやはりミシェルがピクリと肩を揺らして反応を見せ、伏せた瞳をゆっくりと上げてラファエルの顔をマジマジと見つめた。



「そ、そうなんですか……?」



「はい。まぁそこで慰めるとウザいくらいに調子に乗るので相槌を打つだけなんですけどね」



ラファエルが鬱陶しそうに顔を顰める。


なんとなく彼女が遭遇した情景が脳内で再生されるジェシカとガブリエルだった。



「だから……気にする必要はそんなにないと思いますよ?



ミシェルさんが気が付いていないだけで、あなたも拓也さんにいろいろなものを与えているんですから」



「……そう……ですか……」



また顔を伏せるミシェル。



しかし……先ほどとは違い、力不足は勘違いだったという安堵と、彼が自分をそんな風に思ってくれているという嬉しさから、その顔には非常に穏やかな表情が浮かんでいた。



すると、ミシェルが俯いていて気が付けないことを確認したラファエルが、ジェシカとガブリエルにチラッと目配せ…。


ラファエルからの暗の指示を受けたジェシカとガブリエルは彼女に向かって一つ頷くと、今度はお互いの顔を見合わせる。



そして……まるで言葉でも交わして意思の疎通をし合ったかのように、同時に口角を吊り上げた。





「それでさ~ミシェルちゃん。アイツと一つ屋根の下に住んでいるわけだけど……ぶっちゃけいい雰囲気になったりしないの?」



「ッ……!!」



「ですわッ!!」



ガブリエルが切り出したその問い。ミシェルはビクッと肩を大きく震わせると、目に見えるほどに赤面して行く。


その問いは……以前ジェシカがしていた。


お互いが持つ情報がしっかりと共有されていなかったが故のミス。


このまま行けばミシェルは極度の羞恥で取り乱し、いろいろと探りを入れて情報を得るどころではなくなってしまう……。



そしてついでに、先程からメルが人間の言葉を失っている気がするが多分気にしてはいけない。



「なッ…え、えっと…///」



案の定ミシェルは言葉に詰まった。唇は言葉を失ったかのように小刻みに震え、それは次第に全身へ。


もうダメか……そう思われたその時……ガブリエルは口角を不気味に吊り上げる、両掌を合わせて可愛らしく謝罪のポーズを作ってミシェルに見せた。



「あ~、ゴメンゴメン!いきなりすぎたよね~。


じゃあキスとかは日常的にしてるの~?」



「え…ぇ……えっと…き、キスですか?」



「うん、キスキス。行ってらっしゃいのキスとか」



「ない…です……」



質問のハードルがガクッと下がったからか……先ほどまで爆発寸前だったミシェルも結構すんなりと落ち着きを取り戻し、ありのままを答える。



「「……ッ!!」」



その光景を眺めていたジェシカとラファエルは……驚嘆していた。



ガブリエルが今使ったのは……心理学を応用した交渉術。



最初に断られる前提で大きな要求を仕掛け、その後に本当の目的だった小さな目的を通す。


ドア・イン・ザ・フェイスと呼ばれるテクニック。



「へ~、そうなんだ~」



チラと横目で二人を見るガブリエルの瞳は……『見たか』とでも言わんばかりである。


流石は天界で修行していた拓也に語学、数学、歴史etc……そして雑学まで、ありとあらゆる知識を詰め込みまくった教育係だ。





しかしガブリエルはまだまだ止まらない。


ミシェルの方へ向けなおしたその瞳の奥には……貪欲なイタズラ心が宿っている。



「ミシェルちゃんはしたいって思わないの~?」



「わ、私ですか!?」



「うん。だって彼女じゃん」



「そ、それは…………したい……ですけど…………」



潤んだ瞳をガブリエルから逸らし、照れたように頬を赤く染めてそう呟くミシェル。


ガブリエルはミシェルが見ていないのをいいことに、ニヤニヤとしたいたずらな笑みを隠さずラファエルとジェシカに向けた。


それは……『もっと引き出してやる…』暗示だと彼女らはすぐに気が付き、固唾を呑んでその行く末を見守ることにしたのだった。



「恥ずかしいのよね?」



「…………はい」



「もしかしてだけど………この前のドッジボールに率先して参加したのって何か理由があったんじゃない?」



「!!」



この間のドッジボール。最後まで残っていた者には拓也が何か一つ願いを叶えてくれるという特権のようなものが付いて来ていた。


そして……いつだったら周りに巻き込まれて仕方なく参加するミシェルが、何故かあの時は自分から拓也が発言を曲げないように彼本人にその特権の確認をし、自分が一番に参加していたのだ。



ガブリエルはそれを見逃してはいなかったのである……。



「ミシェルちゃんは……もし残ってたらアイツにどんなことをしてもらおうとしてたの?」



答えは既に分かっているガブリエル。しかしあえてそれは自分からは口にしない。


もし自分が言ってしまえば、心の準備のできていない彼女はあまりの羞恥に暴走を起こす危険がある。


そして何より本人の口から言わせた方が面白い。そう判断したからである。



「え、えっと……い、言わなくちゃ……ダメ…ですか?」



「言いたくないなら別に無理にとは言わないけど……」



大嘘である。


ガブリエルは、言葉巧みにミシェルが言わないという選択肢を選ぶ事態を避けるために、彼女の罪悪感を擽るような誘導の仕方をしていた…。


おまけに……ミシェルと拓也の関係に興味のあるラファエルやメル、ジェシカ。そして復活したセリーは、ガブリエルの後ろからじっとミシェルの方を見つめている。


周りを取り込み、利用する。それすらもガブリエルの計画通り…。





恐ろしいまでの知略である。




そして……周りの視線の圧迫感に負けたミシェルは静かに語り出す……。あの時の自分の行動の真意を。



「なんでも……一つお願いを聞いてくれるって……言ったので………頼んだら……き、きッ……キスしてくれないかなぁ…って………思いまして…………」



顔を真っ赤にしながらそう言葉を紡ぐミシェル。今にも顔から煙が噴き出しそうな上に、極度の羞恥心からか目の中がなんだかグルグルと渦を巻いている。このまま意識を失わないか心配になってくる。


ジェシカとメルは両手を口に当てて叫び声を押し殺し、ラファエルとガブリエルも二人ほどではないがその顔に満足げな笑みを浮かべた。



「へぇ~そうだったんだー。全然知らなかったよ~」



またしても大嘘を吐くガブリエル。その理由は、更にミシェルを弄り倒しながら情報を引き出し、事態を面白い方向へ持っていくことにあるのだろう。見た目は幼女なのに恐ろしい天使である。



「でも……負けちゃいました…」



「そうだねぇ…。でもアイツはああいう催しが大好きだからまたそんな機会ぐらいいくらでもあるでしょ」



落ち込むミシェルの肩を軽く叩きながら笑みを浮かべるガブリエル。


その笑顔の裏にとんでもない巨悪が渦巻いているも知らず……ミシェルはその笑みを信用してしまったのだろう。



「そう…ですよね……」



一度の失敗で随分と落ち込んでしまっていた過去の自分を嘲るような苦い笑みを浮かべながらそう返す彼女。


肩を叩くガブリエルも、彼女のその発言を肯定するかのように一つ大きく頷き、一層笑みを強めて見せるのだった。



すると……ガブリエルはラファエルとジェシカとメルにそっと目配せをした。


恐らく攻め込むという合図。


それを敏感に感じ取った3人は、彼女がこれからするであろう全ての言動を是認するという御触れを出すかのように神妙な面持ちで頷き返した。



ガブリエルは3人の期待を一手に引き受け……既に赤面して、少しでも言葉を誤れば暴走を始めそうなミシェルに声を掛ける。



「それに……そんな機会待たなくても、恥ずかしいかもしれないけど、同棲してるんだから……いっそのことミシェルちゃんから仕掛けちゃってのも……アリなんだよ?」





次の瞬間……大天使二人が来てから涼しく快適になった部屋の中の温度が上がったかのような錯覚に陥る一同。


原因はやはりミシェル。ただでさえ赤かった顔を、ゆでだこのように真っ赤に変色させ、小刻みにワナワナと震え始めた彼女。



「そ……ひょ…れは……///」



いや……比喩ではなく恐らく実際に数度温度が上昇している。



言葉を間違えた……せっかくここまでこれたのに…ここで終わってしまうのだろうか?


そんな思考が脳裏に浮かび、苦い表情を顔に浮かべて歯を食いしばるジェシカとメル。



ガブリエルはそんな中、言葉を続けた。



「分かってる分かってる。確かに恥ずかしいかもしれないわ……”最初”はね」



「………最…初……………?」



ガブリエルが強調してはなった”最初”という言葉。そしてそれを自らの口でもリピートするミシェル。


その疑問形の返答を耳にしたその次の瞬間……ミシェルをこの状態に誘導したガブリエル本人と、彼女をよく知るラファエルは……




「そう……最初は…ね?」



勝利を確信したような表情をその顔に浮かべるのだった……。



「じゃあミシェルちゃん、想像してみてね?」



今度はミシェルに返答する隙を与えずそう前置いたガブリエルは、赤みを帯びながらも、明らかに興味があるように自分の方を見つめてくるミシェルを視界に収め、仮面の内から零れそうになる笑いを必死に堪えながら口を開く。



「ミシェルちゃんが頑張ってアイツに……さり気なく軽くチュって感じでもいいから一度キスしたとすると……アイツは、そんなミシェルちゃんの健気な頑張りを無駄にはできない性格…。


それにアイツだってミシェルちゃんともっとイチャイチャしたいはず……だから……ミシェルちゃんからしてきたとなれば……自分からしてもいいんだ~ってなるわ。


だから……一度だけ頑張っちゃえば……」



ニヤリ……口角を吊り上げてそう言葉を終わらせたガブリエル。


天界時代から拓也を知る彼女が提案したそのプラン。確かに…説得力がある。



すると……ミシェルはガブリエルがあえて言わなかった結果の部分を、自ら口にした。


まるで答え合わせでもするかのように…。



「拓也さんの方から………してきてくれるように……………?」



ガブリエルは笑みを浮かべたまま……一度だけ深く頷いた。




・・・・・


翌日…。



「はい、じゃあペナルティ。逆立ちダッシュ王都一周な」



「うぅ……」



いつものように修行中。


組手の結果、ビリーは案の定ぼっこぼこ。


おまけに逆立ちで王都一周を命じられるという悲惨な言いつけをされたが、逆らってもどうせ無駄だということは分かっているため、大人しく逆立ちをしてこの場から立ち去った。


しかし拓也も別に嫌がらせをしているというわけではない。



「さて…っと……」



もちろん彼のトレーニングのためという理由もある……が、今回の大きい理由はそれではない………。



その理由は……家の中からジッとこちらを見つめてくる。視線であった。



ー…めっちゃ見られてるな………ー



宝石のように蒼く美しい瞳の持ち主は、掃き出し窓の向こう側…リビングのカーテンに半身を隠しながら、拓也の様子をジッと伺っている。



「……」



その様子は明らかに異常。


ビリーをこの場から遠ざけたのは、いつもと様子の違うミシェルが万が一何かよからぬことをしないとも言い切れないからだ。



いつもならば……ミシェルにジッと見つめられるなんて滅多にない。


嬉しいと言えば嬉しい…。しかし、拓也はその長い修行によって身に着けたシックスセンスで……その視線の中に…どこか狂気じみたものが混ざっているのを感じ取ってしまってた。



ゆっくりと振り返る拓也……しかし、それと同時に姿を隠すミシェル。


その様子はまるで警戒しながらも、興味深そうにこちらの様子を伺っう猫のようである。



「……一体何なんだ……………」



彼女のその姿を若干に可愛いと思ってしまう拓也だったが……意味不明な彼女のその行動には、同時に恐怖すら感じる。



昨日のことを怒っているのなら、いっそのこと好きなだけぶん殴ってほしいと思う拓也であった。





事件はすぐに解決するに限る。


ビリーも払い、引きこもって出てこないリディアを除くと現在この場にはミシェルと拓也の二人だけ。



「行くか……」



拓也は勇気を振り絞り、自分の頬を叩くと……踵を返して家の方へ歩を進めた。



玄関の戸手に手を掛けて……引く。



いつもと何ら変わらないはずのこのドアも……気分のせいか重く感じてしまう拓也だったが、自分を奮い立たせ、何とか家の中へ侵入する。



「……」



シン……と静まり返っている家の中。


しかしどこからか………見られているのはしっかりと感じ取れた。



自分の住んでいる家のはずなのに何故か感じる奇妙な感覚と、わずかながらの恐怖。


足を踏み入れた拓也は、さながらホラーゲームの中に迷い込んでしまってしまったような感覚を感じているのだった。



そして彼は見つけてしまう……。



「ひぃ!!」



情けない声を上げた彼の視線の先…階段の上には……。



「み、ミシェル……な、何か用か!?」



「……」



銀髪を揺らすミシェル…。やはり先ほどと同じように蒼い瞳でジッとこちらへ向けている彼女は、彼に気が付かれたと知るや否や…またもやスッと姿を消してしまうのだった。


流れる冷や汗…僅かだった恐怖も………膨れ上がって混じり気のない恐怖に変わり、膨れ上がる。


なぜ彼女は呼びかけに答えないのか。なぜ一定の距離を保っているのか。


明らかに様子がおかしい。恐らく今朝、キャンプから自分が帰って来てから。



本人に問いただすのが一番早いのだろうが……それはいささか危険である。



ー……どういうことだ………考えろ……ミシェルの様子がおかしい理由を……ー



ならば彼女の思考回路を予想し、リンクさせ……彼女が辿り着いた結論に、自分も辿り着くしかない…。



ー…ミシェルは昨日お泊り会をしていた……。



そこには……天使二人に加え、ジェシカもいた………


俺に対するこの対応の変化……何かよからぬことでも吹き込まれたか……?…ー



流石は拓也……真剣になればそこそこの思考能力を見せてくれる。




・・・・・



しかし……彼は天才(大嘘)であるが故に気が付いてしまう。


もし自分がこのまま思考を続け、彼女の導き出した結論に至ったとしても……恐らくだが今の彼女の状態を解消へ導くには、まず間違いなく自分自身があの状態の彼女に遅かれ早かれ接触しなければいけないということを。



「行くしかねぇ……」



だが彼は……既にそう決断を下していた。


全ては大好きな彼女を守るため……自分が勇気を出さなくてどうするのだと。


自分の両頬を掌で叩き、喝を入れると……彼は禁断の領域への入り口……階段に足を掛けた。



「……」



いつになく静かな家の中。普段なら何ら気にならない会談がきしむ音すらも、息を殺しながら一段一段…踏みしめながら二階の床を踏む彼。


とても通常の精神状態ではいられない…拓也の耳には僅かに床が軋む音すらも不気味な悪魔の囁きにすら聞こえてきてしまう始末だった。



しかし彼は歩みを止めない。一直線に歩を進めた彼は、あっという間にミシェルの私室の前に辿り着いた。



「ッ!!?」



そこで彼は……自分の背に視線が刺さっていることにようやく気が付いた。


何とも言えない感覚に慌てて振り向くと……半開きになった自分の部屋のドアが視界に入る。



「マジでなんなんですかミシェルっち………」



視界が切り替わるその寸前に部屋の中へ消えていった銀色の残像。


恐らくそれは間違いなくミシェル。きっと拓也の部屋のドアを半開きにし、そこに半身を隠して様子伺っていたのだろう。



それにしても……ほんの僅かな間だったが、拓也ですら彼女の存在に気付けなかった……。



これは最早恐怖だ。



どこぞのステルスお○ぱいならばいざ知らず、まさかミシェルがあれほどの隠密を披露してくるとは……軽く戦慄する拓也だった。



「でも……もう逃げ場はないぜ……」



しかし彼女が個室に逃げ込んだおかげで、逃げ場は無くなった。



極度の緊張からか…ゴクリと喉を鳴らした拓也は、足音を消して接近し、半開きのドアのドアノブに手を掛ける。



なるべく音を出さないように慎重にドアを開き……そーっと中を覗き見る。


しかし、その段階で開けた視界の中にはミシェルの姿はどこにもなかった。


気配すらも……どうやら上手く隠している。



ー……ミシェル…一体どうしたってんだ……ー



彼女のそんな成長に感心すると同時に、なぜ外敵に使うはずの技能を恋人である自分に使ってくるのだ…と落ち込みを隠せない拓也だった。


しかしそうも言っていられない。



ため息を噛み殺した拓也は、もう一度その表情を引き締め直し……自分の部屋だというのに圧倒的なアウェー感を感じる、魔境のような場所と化した空間へ足を踏み入れた。


抜き足差し足……完全な無音。



低い体勢で壁を這うように移動し、自分の部屋の角まで移動した拓也。


しかしミシェルの姿はやはり見当たらない。この場所からの死角はそれこそベッドの向こう側くらいのもの…。


それなら、ここにいればもしミシェルがこちらへ飛び出してきて脱走を図っても、十分捕獲できる距離。



「ふぅ……」



拓也はとりあえず気が付かれないように小さく一息吐いて、ベッドの向こう側に潜んでいるであろうミシェルの出方を待つことにした。





一分…二分………時間は流れる。



お互いが物音ひとつ……呼吸の音すら相手に悟らせず、実に五分が経とうとしていた。



拓也はともかく、特殊な訓練を受けておらず、基本的になんでもレーザーをぶっ放して解決するような脳筋ミシェルがまさかここまで隠密ができるとは誰が思っていただろうか?


才能とは本当に恐ろしい。



このままでは埒が明かないと…先に痺れを切らして動き出したのは拓也だった。



ー……ベッドの向こう側にいるのなら……死角に入ったまま距離を詰めて………ー



音を立てないように慎重に…かつ迅速にベッドに向けて歩を進めるその姿は、まさにアサシン。


あっという間にベッドに近づいた拓也は、一度息を軽く吐き、整えて集中しなおすと、左の手を軽くベッドの上に置き……



「捕まえたぞミシェル!!!」



シーツの上を滑るように向こう側へ移動しながら、勝利宣言を声高らか叫ぶ。





「ッ!!?」



しかし……ベッドのこちらにも、ミシェルの姿はなかった。



驚愕の表情を浮かべる拓也。今更、浅はかだった自分の行動を悔やんでもしても遅い。


これだけ大きな行動をとったのだ、まだどこかに潜んでいるミシェルに自分の居場所を晒してしまった……。



そして拓也はようやく気が付いた…………またもや自身の背中に視線が刺さっていることに……。



「ミシェルッ!!?」



慌てて振り向くが…遅すぎた。


開け放たれたクローゼットの扉が、余力で僅かに揺れている。恐らくここに潜んでいたのだろう。


そして慌てて階段を駆け下りる音と、それから数秒後に乱暴に玄関が開く音が拓也の鼓膜を揺らす。



まるで……今までそこそこ懐いていた猫に避けられ、一目散に逃げられるような苦痛…。


猫好きの拓也には耐えがたいモノであった。



彼の中で謎の憤りにも悲しみにも似た感情で気持ちが昂り、荒ぶる感情の波は彼の許容できる範囲の器を満たし、そして溢れた。



「ミシェルめ……何のつもりかは知らんが…許さん。



ぜってぇ捕まえてモフモフしてやるぞコラァァァァァ!!!」



踵を返し、階段を駆け下り、玄関を飛び出して逃走したミシェルの後を追うように疾走を開始した拓也。これだけ素早い動きだが、靴を履くのだけは忘れていないのは流石である。


それにしても彼のこの発言からわかるのは、怒りや悲しみの感情とはまた違う別のめんどくさいベクトルで感情が噴き出してしまったということぐらいだろう。



彼女が走り去った方向だけを頼りに駆け出した拓也。その速度は既にF1並の超速。

腕を振り、足を上げる。フォームが非常に整っているのが妙に気持ち悪い。




かくして……拓也がミシェルを追いかけるという、新しい形の鬼ごっこが始まるのだった。




・・・・・



「待てやぁァァァァァァッ!!!」



林の中を疾走する二つの影。


その二つの間……前方を行く人物から、追走する人物に容赦なくレーザーや氷槍、石礫などが弾幕のように放たれるが、彼…拓也は人間離れした動きで木々までもを足場に使って神回避を続けながら前方のミシェルを捕まえようと林の中を飛び回る。


逃げるという行動に移っている時点で、後を追う拓也はすべて後手に回ってしまうはずなのだが……。


彼はそのアドバンテージをずば抜けた身体能力と技能とで補っていた。


その重力を無視した動きに、帝を除き国内最強クラスのミシェルですら攻撃を全く当てられない。


天界育ちのハイスッペクさは異常である。



「止まれッ!!止まらんと首筋を舐め回すぞッ!!」



心なしかミシェルの走るスピードが上昇した気がするが、それは多分気のせいではない。


しかし振り向かずに魔法を扱っているにもかかわらず、大体の照準が拓也にしっかりとあっている辺り彼女も彼女で十分化け物クラスだ。



「フハハハハハ!!ミシェル!お前と俺とでは基本性能が違いすぎるぜェェェェ!!!」



だが二人の間は徐々に狭まる。彼女の速度が上がったのにもかかわらず……つまり拓也がそれ以上に加速してきている。


チラリと背後を振り返るミシェル。拓也の姿はもう数メートルに迫っていた。



「捕獲ぅぅ!!!」



手を伸ばしてくる拓也……このままでは捕まってしまう。


この緊張感の中、妙に冴えていた彼女の頭脳が導き出した答えは……。



「ッ!!ウボォァァ!!!!??!?」



速度を一気に0に落とし……しゃがんでアルマジロのように丸くなるという、鬼ごっこにおいての禁じ手だった。


全力疾走していた拓也はいきなり出現した障害物(可愛い)思い切り躓いてしまう……彼女を蹴り飛ばしてしまわないようにと咄嗟に思考を巡らした彼は、障害物(美しい)への接触は最小限に抑え、自ら前方へ飛ぶ。



「モルスァッ!!!」



そして彼は……前方にそびえ立っていた、人間に直すと壮年程度の樹木に背中から叩き付けられ、気持ち悪い悲鳴を上げた後、夏にしてはいい具合にヒンヤリと冷たい地面に沈みこんだ。




さかさまになった視界。林の緑の中に吸い込まれ、遠ざかって行くミシェルの背中。


鈍痛が走る背中を摩りながらゆっくりと体を起こした拓也は、木々の間に消えていった彼女の方をじっと見つめ、体に付着した落ち葉や土を軽く叩いて落とすと……一つだけ小さく息を吐き、不気味な笑みを浮かべて呟く。



「わかった……俺もちょっと本気出すわ……」



刹那…彼の姿が一瞬だけブレ、落ち葉や乾燥した土が煙のように舞い上がる。


吹き抜ける風で木々や草々が一際強く騒めくと…拓也は既にその場から姿を消していた。



「ハァ…ハァ……」



身体強化を掛けて全力で林の中を疾走するミシェル。彼女もさっきの禁じ手で拓也とはだいぶ距離をとれたと思ったのだろう。


しかし相手は天界育ちのクレイジーボーイ。油断はできない。



だから彼女は一切の加減なく、全力で走り続けた。


そして……ある程度逃げたところで振り向く。



「追って……来ていない……!」



少なくとも彼女の視界には拓也の姿は映らなかった。


全力で回していた足の回転を徐々に緩め、走りから歩きへ移行するミシェル。


いつの間にか目の前は林の終わり。向こう側には城壁に囲まれた王都が見える。



彼から逃げている間に王都の周りの林の中を一周して来てしまったようだ。



「なんとか…逃げられたみたいですね……」



逃げ回っていたせいでしばらく忘れていた暑さが体を襲い、思い出したように汗がじっとりと肌を湿らせる。


ミシェルは暑さにうだるような表情を浮かべると、手の甲で軽く頬に触れて汗を拭う。ハンカチをポケットに入れていなかったことが非常に悔やまれる。



「……ッ!」



逃げ切れたということで少し気が抜けたのだろう。足の裏に走る鋭い痛みに顔を顰めたミシェルは、近くの気に背を預け、自分の足の裏を確認してみた。


すると…先ほど感じた痛みの原因の小さく鋭利な木の枝が、皮膚から抜け、ポロリと地面に落ちる。



「靴……履くの忘れちゃいましたね……」



一感覚開けて小さな傷口から赤色の血が球体状に膨らんだ。




「靴も履かずに家飛び出して林の中ダッシュって……ジェシカか」



すると、痛みに顔を顰めて視線を自分の足に落としていたミシェルの視界に、白いハンカチを持った逞しい手が割り込んだ。


同時に鼓膜を揺らす聞きなれた声。しかし今は彼女を動揺させて赤面させる声。



「た、拓也っさッ!!?」



逞しい手はハンカチを優しくミシェルの傷口に触れさせると、当然の彼の登場で驚いて体勢を崩した彼女の背に素早く逆の手を回すと、いつの間にか地面に引いていた大きめのシートの上に彼女を座らせる。


いつの間に追いつかれていたのだろうか……。ミシェルは混乱する頭の片隅でそんなことを考えた。



「い、いつから……」



「先に林抜けて待ってたんだ」



「そ、そうですか……」



早急に手当ての準備を始める彼の、珍しく真剣な横顔を眺めていると、先ほど彼を眺めながら考えていたことを思い出してしまい、顔が熱を帯び始める。


しかし…もうこうなっては逃走は不可能。それにきっと、飛び出したところですぐ彼につかまってしまう。


ミシェルは拓也の表情からそんなことを読み取ると、フイッと顔を彼から逸らして視線を地面に固定した。


そして会話が無くなり、沈黙が始まったこの空気をどうにかするために、視線は彼から外したまま小さく言葉を漏らす。



「ごめんなさい……」



それは謝罪の言葉だった。自分でも怪しいと思うくらいの妙な行動をして彼に不信感を抱かせ、結果として自分がけがをしてまた彼に迷惑をかけてしまった。


消毒が染みる痛みは、きっとそんな自分に対する罰なのだろうと…ミシェルは顔を顰める。



「別に…ミシェルがたまにおかしいのは今に始まったことじゃないからいいけどさ……。なんでまたずっと俺のこと監視してたのよ?」



「………」



彼のその問いに、ミシェルは答えることができずに俯くだけ。


すると拓也はその顔に若干の暗い部分を浮かび上がらせると、いつもより低いトーンで小さく彼女に問い掛けた。



「俺、もしかして……なんか怒らせるようなことしちゃったかな?」



顔を上げたミシェルの目に移ったのは、凄くしょんぼりした表情を浮かべながら手当てを進める拓也の横顔だった。





「そ、そういういうわけじゃ……」



曖昧な答えを口にしても、拓也の顔色は一向に良くならない。


それどころか、ミシェルが何かを隠しているとその発言から悟り、より落ち込んでいく一方である。



「だとしたら……ゴメン……ホントゴメン……」



王国最強と呼ばれる猛者のくせに、ミシェル関係にはめっぽう弱い拓也であった…。


大体いつでもバカみたいに笑っている彼のこんな顔を見せられると……どうしても罪悪感が沸き起こってしまうミシェル。


しかし同時に、普段の彼の完全無欠っぷりを見ている彼女なので、少しのダメージでこんな風に落ち込んでしまう彼を見ていると、申し訳なくも思いながら少しだけ…面白いと思ってしまうという自分もどこかにいた。



そうこうしているうちに拓也はミシェルの傷の手当てを終え、仕上げに雑菌が入らないように絆創膏を張り終えると、彼女の前にしゃがんだ。



「はい、乗って」



「……じ、自分で歩けますよ……」



「裸足じゃん。遠慮するな」



落ち込みながらも自分のことを気遣ってくれる拓也。



ミシェルは彼に顔を見られていないからか、その喜びを隠さずに顔に浮かべて……小さく礼と謝罪を述べながら、彼の背にもたれ掛かるようにして体を預ける。


拓也は彼女を背に乗せたまま軽々と立ち上がると……林を抜けた先の王都を目指して歩き出す。


揺れのほとんどないその乗り心地は高級リムジンのそれである。



「……」


「……」



両者共に何も喋らず流れる沈黙。


差し込む太陽の熱よりも、彼と体が密着していることによる発熱が尋常ではないレベルに達しているミシェルであった。


そのせいで……じっとりと体が汗ばんできてしまっている。



「…………」



それが拓也にバレてしまわないか……そのせいでまた別の意味の汗を浮かべるミシェルであった。








そのまま沈黙が続くこと数分。前方の城壁が大きくなっていくのと比例するように、ミシェルの中の羞恥心も大きくなって行く。


しかし考えてみれば、この体勢のおかげで拓也と顔を向け合わずに済んでいる。そう考えると、膨れ上がった羞恥心も少しはマシになってきた。



「……ごめんなさい」



風の吹き抜ける音だけがする草原の中で、ミシェルが小さくそう零す。


拓也は歩を進めながらその顔に僅かな笑みを浮かべて横顔を見せるように振り返ると、申し訳なさそうに俯く背中の彼女に返答した。



「いいよ、なんか理由があるんだろうし」



無理に明るい表情で放たれたその言葉。恐らくミシェルでなくても、彼が強がっていることは容易く分かってしまうだろう。


それほどに彼が受けているダメージは甚大のようだ。



自分勝手な理由で申し訳ないが……自分が彼をずっと監視するように見つめていた理由を、彼に打ち明けてしまうのは非常に恥ずかしいミシェル。


それ以上拓也は何も言わずに、また視線を前方に戻してしまった。



またもや訪れる沈黙の時間。


体はこんなにも密着しているのに、心の距離はどんどん開いて行ってしまうような……悲しい感覚。



そんな感覚が辛かったのか……気が付くと、ミシェルは肩を通して拓也の前面に回した腕で、絡みつくツタのように彼の体を抱きしめてしまっていた。



「……ッ!!」



彼女のその行動のせいで……拓也の背中に押し付けられる、彼女の胸の二つの果実。


思わず背中から伝わるその柔らかな感覚のせいで元気になってしまいそうになる自分の息子に、必死に収まれと念じつつ平然を装う拓也。



自分の中に湧き上がる劣情を何とか押さえつけようとする彼の表情は、スライドショーのように凄まじい勢いでコロコロと変化を繰り返す。


この調子ならば怪盗百面相になれる日も近そうである。



「ごめんなさい……でも、少し事情があってですね…」



「あ、うぅん!!?そうだよね知ってた!!」



どうやら彼が取り乱している間に…背中で俯いていたミシェルは覚悟を決めたようだ。


しかし……やはり拭い去れない不安と羞恥の感情から、その蒼く美しい瞳は潤み、端正な顔は赤みを帯びている。




「拓也さんが………その……そういうこと……………全然してくれないから………」



背中で小さくそう呟くミシェル。しかし、生憎拓也は自分自身との闘いでそれどころではない。


するとミシェルは彼の無言を、自分の発言の催促だと勘違いしてしまったのか……真っ赤に赤面しながら、昨日のお泊り会での出来事と、今日の自分の行動について語り出した。



「き、昨日……ガブリエルさんに言われたんです……。



拓也さんから……き、キスとかッ!!全然して来てくれないなら自分からすればいいって…!!


だ、だから………だから今日は、拓也さんの隙を伺ってたんですけど………



拓也さん…私が見てることに気がついちゃうし………終いには追いかけてくるし………」



「え、あ、ごめん。味噌の話だっけ?」



極限まで高まった羞恥心を抑え込んで発言をしたミシェルの顔は先ほどにもまして…今にも煙が噴き出しそうな勢いで赤面し始め、蒼い瞳は不安げに潤む。



しかし彼は…彼女の声がしたからとりあえず何か返さなくては…という思考の元、先ほどの話題とは全く関係のない意味不明な返しで即答してしまった…。



次の瞬間から、彼の背や延髄に怒涛の勢いで炸裂する肘や膝。案の定ミシェルは激昂していた。



「ファイッ!!?」



謎の叫び声を上げる拓也の背面に容赦なく無数の致命打が打ち込まれるが、彼はミシェルを背負っているからだろうか……歯を食いしばりながら必死に踏ん張って、倒れるまいと体制を維持する。



きっと彼は荒ぶる自分の悪魔的な部分を抑え込むのに必死だったのだろう………しかしどう考えてもこれはない。それによりにもよって全く関係のない大豆製品……彼の知能レベルが知れた瞬間であった。



「最低ですッ!もういいです下ろしてくださいッ!!!」



「待ってッ落ち着いてミシェル!!もう一回!もう一回言ってくれればちゃんと返すから!!!」



「絶ッッ対イヤですッ!!」



「おッふぅ!!!」



常人ならばとっくに意識は途切れ、生命の危機に瀕していてもおかしくはない彼女の攻撃。


しかし天界育ちはそんなにやわではない。



「痛いッ!痛いミシェルッ!ゴメン!俺が悪かったから延髄に肘連打はやめて!!」



意識が途切れないということは、この地獄のような苦しみを味わい続けるということ。


『天界育ちの弱点…拷問に弱い』




「ハァ…ハァ……」



体力の限界まで打撃を打ち続けたミシェル。上気するその顔の赤みは、暑さによるものなのか、それとも…まだ羞恥心によるものなのか。



「ヤバい……視界がグラつく……」



しかしそんな恐ろしい打撃を受け続けていた拓也は……ミシェルをおんぶしたまま、まだ立っていた。


蓄積された脳へのダメージのせいか、眼球が勝手に小刻みな運動を始めてしまっているが…まぁ彼は屈強なので大丈夫だろう。



「お、おろして……ください……」



なけなしの体力を振り絞り、彼の背を突き放しながら精一杯の強がった表情をその顔に浮かべてそう声を発するが、彼は息を荒げながらも首を横に振って、再度城壁の方へ歩き出す。


しばらくは抵抗を続けたミシェルだが、拓也が譲らないとみると流石に諦めたのか、また彼の背に体を預けて腕を肩から前面に回した。



「……」



「……」



また始まってしまった沈黙。いつもは別に苦でもない沈黙も、今回のように二人の間で問題が発生してしまっている場合はやはり話は別。


それを裏付けるように、拓也もミシェルもその顔に何とも言えない渋い表情を浮かべていた。



そのまま時間が流れること数分。拓也の視界の中で徐々に大きくなって行く王都の城壁。


すると……やはり拓也が先にこの沈黙に耐えられなくなり、背後のミシェルに向けてやや遠慮気味に口を開いた。




「み、ミシェル……あと一回だけ言ってくれない?」



「…………」



こう下手に出られては、流石のミシェルも容赦なく切り捨てることができない。


しかし、彼に求められるまま、もう一度言ってしまうのは……非常に恥ずかしい。



またもや沈黙が流れる。


別にミシェルが無視しているわけではない。むしろ彼女が返答に迷い、戸惑っているからだろう。



だが拓也は彼女を怒らせてしまったと思い焦っているのだろう。彼女が二つの返答を天秤に掛けて揺らいでいるとは知らずに、自らの内に湧く焦りに身を任せて、彼女に追い打ちをかけた。



「ミシェル…お願い」



「……ッ!!」



いつもは二言目には必ずと言っていいほどふざけてくるそんな彼が……ここまでしおらしい態度で素直にそう言われてしまうと…。



ミシェルは面食らったように目を見開き、息が止まってしまったように口を噤んだ。





恥ずかしい。


しかしそう懇願する彼の願いを無碍にするわけにもいかない。


しばらくの間黙り込んで、彼の大きく逞しい背中に体を…首筋に頬をピタリとくっ付けた彼女は、その体勢のまま消え入りそうな程に小さな声で呟く。



「拓也さんに……キス…して欲しいんです……」



「……!!?」



羞恥と不安を押し殺して精一杯彼に伝えたミシェル。


耳元で囁かれるようにしてそう言われた拓也は驚いたような嬉しいような表情を浮かべながら、コイのように口をパクパクとさせてパニックに陥っている。


無理もない。いつもは二言目に冷たい言葉を放ち、魔法を放ってくる彼女から、こんなにも女の子らしい言葉が聞けたのだから。



「ッ!」



「ッちょ!ミシェル待てッ!」



すると、二人の間に生まれた微妙な空気に耐えられなくなってしまったのか、遂にミシェルは拓也の背中を蹴るようにして抜け出すと、脱兎の如く城壁に向かって走り出した。


横を抜ける際にチラリと覗けた彼女の横顔はやはり真っ赤に赤面し、極度の羞恥から逃れようと目はギュッと瞑られていたその表情に見惚れてしまっていた拓也は一歩遅れて彼女を追って走り出す。



「ミシェル待て!裸足で走るなッ!転んだら危ないだろッ!」



陸上選手も真っ青なフォームで草原を疾走する拓也の前方のミシェル

。明らかに身体強化を施してあるスピードで石ころやらが転がっている草原を走っていては、また足を怪我してしまう。


そんな拓也の心配をよそに、見る見るうちに加速していくミシェル。



流石は王国トップクラスの実力者……特に魔力の扱いに秀でる彼女の才覚もあって、その速度は拓也の目から見ても十分に早い部類に入る。



しかし…現在、圧倒的に冷静さを欠いている状態の彼女。



「ッ!」



「あぁもうッ!」



何もないところでいきなり躓くと、さながら何かに撥ね飛ばされたかのように前傾姿勢のまま、頭から地面に向かう形で吹っ飛んだ。



言わんこっちゃない。煩わしそうにそう叫んだ拓也はひと際強く地面を踏み切り一気に加速。



「きゃっ!」



危うく転倒しそうになったミシェルの背と膝裏に手を回し、見事にその腕の中に収める。


お姫様抱っこの様な形になってしまった。



拓也の脳裏に蘇る血塗られた古い記憶…。



「顎は突き上げるなよ!?」



「な、殴りませんよ!!」






あれはまだミシェルと出会ったばかりの頃…。



「ミシェル前科あるからな!?」



「い、いつの話してるんですか!!」



ギルド員を狙った誘拐犯に攫われた彼女を助けた時も、恥ずかしがって腕の中から降りた彼女が薬の影響でふらつき、颯爽と駆け付け抱きとめた拓也だったが……羞恥に駆られた彼女の一撃を顎にもらうという痛い記憶。


更にその後、拓也の過失もあったとはいえ、強力なボディーブローを散々打ち込まれた。



あの頃は…まさかこんな美少女と自分が恋人同士になるなどとは、拓也も想像もしていなかっただろう。



「あ、あの時は……恥ずかしかったんですもん……」



「俺は怖かったよ……」



自分の腕の中で真っ赤に赤面する彼女。


サラサラの絹糸の様な銀髪に、サファイアのように美しい瞳。



そんな彼女から、キスをして欲しいなんて可愛らしいことを聞けるなんて思っていなかった拓也は、笑みを隠しきれない。



すると拓也のその笑顔から何を悟ったのか……



「ッ!!」



「ッんぅッ!!?」



ミシェルは眼前の拓也の顎を、その自慢の拳で突き上げた。



脳が揺れ……ふらつく拓也。その隙に彼の腕の中から逃れたミシェルは、またもや逃走を図った。


一心不乱に城壁へ向かって走りだす。



「二度までも……これは許されない」



しかし……その行動は拓也の逆鱗(笑)に触れてしまった。


僅かに沈み込み、地を蹴った拓也はあっという間にミシェルの背後に姿を現す。



「ッ!!?」



それに気が付いたミシェルはチラと後ろを振り返る。視界に映ったのは、目を見開いてこちらへ手を伸ばす拓也の姿。


驚きながらも対応するべく体を反転させたミシェルだったが、当然拓也の方が速い。



「しまッ!」



気が付けば背後は城壁。



眼前に迫った拓也の表情に、若干の恐怖に似た感情すら感じるミシェル。


次の瞬間、彼女の顔のすぐ隣の城壁に……ガッ!!という豪快な音と共に拓也の手が手首まで突き刺さった。



「逃がさない…」



斬新な壁ドンである。




瞳の中に若干の暗さを含んで見下ろすようにして覗き込む拓也。


そんな彼の非常にレアな彼の表情に鼓動の高鳴りが抑えられず、顔に血が上って赤面するミシェル。


いつもの彼ならここでぶん殴るなりなんなりして脱出しているだろうが……上からじっと見つめてくるこの黒い瞳を見ていると、金縛りにあったかのように体が固まって動かなかった。



「……ミシェル」



「ひ、ひゃいッ!?」



「痛かった」



「…え、え……えっと……ご、ごめんなさい……?」



何故か疑問形でそう返すミシェル。


拓也は無言のまま、変わらず深淵の様な黒い瞳で彼女を見つめ続けている。


それはまるで彼女の出方を伺っているようにも見えた。



「…あ、ぁ……あ、あの………」



仰け反るように拓也を見上げ、逃げ場は既に無くなっているのに何とか逃げようと足を前に突っ張るように踏ん張るが……


背後は城壁。逃げ場を無くし、ナヨナヨした様子の彼女を拓也はその体を使って覆い、呑むかのようにしてさらに追いこんだ。



「……」


「……」



そのまま無言が続く数十秒。


目をパチパチさせながら赤面するミシェルと、そんな彼女を壁際に追い込み無表情の拓也。


傍から見たら間違いなく拓也が逮捕のコースだろう。



そして沈黙が一分に達しようとしていた頃……拓也が動く。



「ッた、拓也ひゃん!!?」



言葉は何も発さず、無言のままミシェルの顔に自分の顔をゆっくりと寄せ始める。


驚愕の表情を浮かべるミシェルは目を見開いてそう声を荒げたが、拓也は全く意に介さない。


顔を背けようとした彼女の顎に空いていた手でそっと触れ、少々強引に自分の方へ向けさせると、少しだけその顔に笑みを浮かべて見せた。



「にゃ、にゃにを…ッ///」



ゆでだこのように顔を真っ赤に染め、震える声で彼にそう問うミシェル。


しかし返答はない。代わりに視界に浮かぶ彼の顔が徐々に大きくなって行く。


頭の中で様々な思考が巡る。自分が彼にした発言……そしていま彼がとっている行動。どう考えてもこれは………辿り着く一つの結論。


自分が導いたその予想は……甘く脳髄を焼くような刺激的な行為。




ミシェルはギュッと固く目を瞑る。



既に拓也は彼女の顎に添えた手に力を籠めてはいなかった。




目を閉じたせいで、より明白に聞こえる自らの鼓動。


リミッターが外れてしまっているかのように爆音を鳴らす心臓は、更に大きくなっていく。



顎に触れる彼の硬い手。


視界が遮断され、敏感になる残された彼を感じる部分…聴覚、嗅覚、触覚。


今にも爆発しそうな鼓動の音の中でも、少し耳を澄ませば感じ取ることができる彼の息遣い。


僅かに香る、大好きな彼の匂い。


顎に触れる硬い皮膚で包まれた指。



目を瞑ったまま”その時”を待ち続けるミシェルはのその表情は、いつも彼に向けている冷たいそれとは似ても似つかない乙女の表情。



それはミシェル自身も何となく分かっていた。故に同時に、今自分のこんな表情を間近で見ている彼は、一体何を思っているだろうか…?


そんなことを考え、彼女はまた顔を熱くするのだった。



すると、瞼の裏に映る影が徐々に濃くなって行き………。



ミシェルの頬に、柔らかい感触が落とされた。



「…クックック……!これで満足かミシェル!!」



「え…えぇ、えぇ!あ、はい!!」



いつも通り……そう振る舞おうと口調だけはいつも通りの拓也だが、耳が真っ赤。珍しく照れている。


ミシェルはミシェルで隠すこともなく首から上をすべて真っ赤に染め、照れ隠しなのか何なのか元気よく返事を口にして拓也をまっすぐ見つめ返した。



しかし現在…彼女の瞳は現世を映してはいない。彼女の視界の中に広がるのは、色とりどりの花が乱れ咲く夢の世界。


何もない空間に不規則な謎の軌跡を描く彼女の腕は、行き場のないこの激情をどう表現しようかと迷った末の結果だろうか?



「さ、さぁ、帰るぞ。まぁ…ほら、乗って」



そう言って彼女に背を向けてしゃがむ拓也。彼女から死角になったその顔には、何とも言えない表情が浮かぶ。


ミシェルは溢れる気持ちを抑えることができなかったのか、飛び込むようにして彼の背に飛び、しがみつく。



二人が交際を始めてから、一年と数か月。


頬に軽くキスをするだけでここまで激しく取り乱す男女は、きっと世界中を探しても中々に稀であろう。




拓也の背中で僅かな振動に揺られるミシェルは、今にもショートしそうな頭の中を必死に制御し、取り乱さないように努める。



ー……よく頑張った俺。向こう十年分の勇気は振り絞った…ー



拓也も拓也で、どうやら脳内では彼女と同じようなことをしているようだ。



「……」



するとミシェルは突然その顔に何か思いふけるような表情を浮かべたかと思うと、そっと自分の唇に指をやる。



「(どうして………こっちに…してくれなかったんでしょうか……?)」



そして…自分の心の中でだけ、そっとそう呟いた。



彼女が抱いたその疑問の答えは、拓也の今の表情を伺えばすぐに分かることだが……背中に抱えられた彼女には知る術はない。



しかし、彼らにとってはこの程度でも十分すぎる前進であったのだった。


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