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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第二部
39/52

夏本番


七月始め……学園が終わり、放課後。


既に夏服になっているというのに、凄まじい日差しはジリジリと肌を焼く。


帰路に着くミシェル、セリーはけだるげな表情を浮かべているのに対して……



「ほぉらほぉら!!止まったらこんがりバーベキューにしちまうぜッ!!」



「危っないなぁッ!!いきなりそんなものどっから取り出すんだよッ!!!」



火炎放射器から灼熱の炎を勢いよくビリーに向かって噴射し、高笑いする拓也。


超反応で神回避してから瞬時に魔武器のグローブを呼び出して装着し、空中の安全圏まで避難して、怒ったように口を開くビリー。



そして案の定爆笑しているジェシカ。



彼らは夏でもお構い無しである。



「まっだまだァァ!!!」



「うわッ!!」



それにしてもビリー。拓也の不意打ちや理不尽な扱いにもかなり慣れてきたようだ。


空中にまで迫る炎を巧みに避け、まだ拓也に叫ぶ余力が残っている。



しかし……こんなクソ暑い中、ミシェルとセリーにとって炎を撒き散らす二人はいい迷惑だろう。



「暑いねぇ……早く帰ってシャワー浴びたい」



「……私もです。あのバカは帰ったら焼きます」



そしてこのクソ暑い中で火責めを選択する辺り、ミシェルはきっとドSなのだろう。


いつもながらの拓也のひどい扱いに思わず苦笑いを零したセリーは、ハンカチで頬を伝う鬱陶しい汗を拭うと、空を自由に飛びまわるビリーを見上げ、ニッコリと可愛らしい笑顔を見せた。



「ビリー君、凄いよね。


ちょっと前までは、あのグローブの扱いもままなってなかったのに……」



「……そうですね」



出来るようにならないといつまで経っても彼の攻撃の餌食になり続けるから、死に物狂いで出来るようになった。


普段の修行を見ているミシェルは、ビリーのグローブの扱い上達の理由を知っていたが……そんな悲しい現実を口にすることはできなかったようで、セリーからそっと視線を逸らす。




「ちょこまかと鬱陶しい羽虫がァァ!!!」



「うぇッ!!」



微笑みを浮かべながらビリー見つめるセリー。


羨望にも似た視線を彼女が彼へ送る中……攻撃が当たらないことで痺れを切らしたのか拓也は一瞬で空中へ移動し、軽く手を払ってビリーを地面に叩き落した。


全く容赦が無い。



・・・・・



「推進力にして空を飛ぶときとはまた扱いが違う。これは高出力の炎を扱う技だ。


だが、ただ炎の出力を上げれば良いだけじゃない。


それを一点に集めて威力をそこへ集中させないと高威力にはならないんだ」




数日前……ようやく拓也に一撃を当てることができたビリー。


攻撃を当てられたら教えると約束していた、必殺の一撃のプロセス説く拓也の言葉を一言も聞き逃さないよう耳を傾ける彼の表情は真剣そのもの。


説明と同時に拳に炎を灯す拓也の表情も、いつもよりは真剣な顔である。




「やり方は教えた、感覚は自分で掴んでみろ」



「う、うん!ありがとう!」



踵を返した彼の背にそう礼の言葉を述べ、早速自分のグローブの感触を確かめて炎を灯す。


思い切り魔力を流し込み、その出力を徐々に高める……



「う~ん……」



が、しかし……ただ炎が大きくなっていくだけ。


この程度では拓也の出現させる炎のように、見た目は小さく、大きな破壊力を実現できていない。



「…………小さくするって…どうすれば………」



溜息を吐き眉を潜めるビリー。


この技の習得にはまだ時間が掛かりそうである。





自らの弟子が猛烈な日差しの下で首を傾げ試行錯誤している中、日陰を求めて彷徨う拓也は、いつの間にかウッドデッキを這いずり、家と屋外を繋ぐ掃き出し窓に手を掛けていた。



「…ッ鍵が掛かってやがる!!」



しかし……内側から施錠されており、家の中へ避難することは叶わない。


彼はこのまま干からびてしまうのか……だが、珍しく神は彼を見放さなかった。



「何をしておるのじゃ…」



「炎天下に放置されたカエルごっこ。お前もやるか?」



涼しげな白のタンクトップを着たリディアは、夏場の救世主的存在であるアイスを片手に、カエルを自称した黒髪のフツメンを見下ろす。



「というかなにお前だけ涼んでんのよ」



「ワシだけじゃないぞい、ミシェルもそこで涼んでおるわ」



「拓也さんもアイス一緒にどうですか?」



「ほう……白のワンピースとはわかってるじゃねぇか………もちろんパンツは白と水色の縞々なんだろうなぁ!!」



「この暑さの中でも相変わらず気持ち悪いですね」



体感気温が十数度下がるような凍てつく視線を送るミシェルの片手にも、涼しげなアイス。


拓也は何とかしてパンツを覗けないかなどとアホなことを考えたが、そんなことをしてアイスがもらえなくなってしまうのはイヤだったので、その計画は後に回すことにして、とりあえず立ち上がって最高の決め顔でミシェルを指差した。



「拓也さんはチョコミントが好物!」



「知ってます」



非常にクールに対応するミシェルはキッチンへと向かい、この世界で言う冷凍庫のようなものを開けて、拓也の好きなチョコミントフレーバーのアイスが大量に詰まった箱を取り出すと、アイスクリームディッシャーで綺麗な球体を作ってそれをコーンに乗せる。



拓也はというと……



「ミシェルの脚……やっぱ最高だな」



「ソナタは一体何フェチなのじゃ……」




幸いそんな発言はミシェルの耳には届いておらず、アイスが顔面に投げつけられるという最悪の事態は避けられるのだった。


深い茶色の粒の混ざったミント色の球体の乗ったコーンを握り、一口。


ソファーに腰掛けるミシェルの足元……床のカーペットの上に腰を下ろし、彼女の脚の隣にもたれながら夏の風物詩に舌鼓を打つ。



一部では歯磨き粉の味と揶揄されるチョコミントだが、この爽快感が堪らない。


それに、これは別に歯磨き粉の味ではなくミントの味なのだ。



「……で、ミシェル。今日のパンツは何色なんだよ」



「答えるわけ無いでしょう、あと気持ち悪いですよ」



「別に教えてくれても良いじゃん……」



「なんで拗ねてるんですか……というか絶対教えませんからね」



あからさまにムスッとして俯く拓也。


ミシェルは一瞬動揺しかけたが、これも彼の作戦であることを瞬時に悟り冷たくそう返す。


すると拓也は、気持ち悪い上目遣いでミシェルを見上げて口を開く。



「ナッシングパンティー?」



「ッな!……そんなわけ無いでしょう……」



「なるほど……少なくとも穿いてはいると……」




心理士もびっくりの誘導からの、名探偵も顔負けの名推理である。



ー……白か……白なんだな!!……-



内心で一人、そんな雄叫びを上げながらアイスを頬張る拓也。


先程からミシェルのワンピースの裾を、捲ろうとこっそり手を這わせているが……ことごとく撃墜。


叩き落とされ続けた彼の手の甲は、赤黒く晴れ上がっている。



痛そうに手を振りながら目尻に涙を浮かべる拓也。


そんな、恋人にすら蔑ろにされる彼。



哀れむような視線を向けるリディアは、心底呆れたといわんばかりの落胆した表情を浮かべて口を開く。



「まったく……悲しい男じゃ」



「何だとこの幼女ッ!!テメェに何が分かるッ!!!お前にミシェルのパンツの何が分かるッ!!?」



同時に彼女の顔に浮かんだのは……嘲笑。



すると、今までおとなしくアイスを舐めていた拓也がいきなり激昂して魂のシャウト。


しかしリディアはブチギレの彼にまったく臆することなく、平然として様子で返した。



「今日は白だということぐらいじゃ」



「やっぱりか」



「っなぁ///」



怒りの表情からいきなり無表情。


自分の予想が当たっていたからだろうが、この表情の変化の早さは気持ちが悪い。



色をばらされたミシェルは、何故かリディアではなく拓也の首を絞める。なんという不条理だろうか……。


しかしまぁ、本人がだんだん幸せそうな表情になっていっているので、恐らくこれで良いのだろう。



しばらくしてミシェルの握力が限界を向かえ、拓也の拘束は解かれる。



何故か若干物足りなさそうな表情を見せた拓也。向かい合うようにしてソファーに腰掛けるリディアはそれに気が付いたが、ツッコんではいけないような気がしたのでそのことについては何も言わなかった。



「それにしても拓也よ、何故ソナタはミシェルに手を出さんのじゃ」



そして次に切り出した話題は、所謂”禁忌”とされるものだった。



一瞬、理解できなかったのかぽかーんとほうけたような表情を浮かべたミシェル。


だが次の瞬間には目を見開き赤面して、なんとも言えない表情を浮かべ、分かりやすいほどに動揺する。



「毎晩、ソナタらが致しておらんか観察しておったんじゃが……どうもそういったことは無いようで少し心配でのぉ…」



「ミシェル、やっぱコイツどっかに捨ててこよう……ッなんでッ!!?」



拓也の頬と鳩尾にめり込むミシェルの拳。不条理である。



閃光の二発がクリーンヒット。動けない拓也。


しかしアイスだけは死守しているのは褒めてあげてもいいだろう。



そして拓也の代わりにミシェルがリディアに詰め寄った。



「だ、だからそういうことは…ッ!!」



だが彼女は極度の羞恥から、それ以上何を言うか頭の中で構成していなかったのだろう。言葉に詰まって更に赤面するが、リディアに拓也のように手を上げることはできないため手を宙で泳がせる。


リディアは彼女の言いたいことがまるで分からないというように首を軽く傾げて更に言葉を続けた。



「気持ち良いぞ?」



「だからァァッ!!」



そういうことじゃない。冷静にそう言いたいのは山々だが、今この状況で冷静でいられるミシェルではない。


リディアの言葉に激しく取り乱すミシェル。無理も無い。


なんとなく拓也がそんなことを言っていたのを聞いたが……こんな幼い外見をした幼女が、色々と自分より経験豊富など………認めたくない。


そして、快楽以上に大切なことがある……そう言いたかったミシェルだったが、経験が無い以上自分の言葉になんの力も無いことに気が付き、閉口するのだった。



「想像してみるんじゃ。愛おしい者の指がツーっと優しく肌を這い回り、濃厚な匂いが鼻腔を擽る。


そして力強くベッドに押し倒され……貪るように唇を奪われ、ゴツゴツとした逞しい手が内股を滑って…」



リディアの言葉。単語の一つ一つ。


ミシェルの脳内で、ほとんど無意識のうちにそれが拓也と…自分に置き換えられる。



自然と早くなる鼓動。そして想像として脳裏に浮かぶ………自分に体を被せるような体勢で見つめてくる拓也。


その彼の顔にはいつものようなニヤケ面は浮かんでおらず、代わりに浮かぶ表情は、一生物としての……雄の表情。



ただの想像だというのに……いつの間にか頭がポーッとし、体の奥底から熱くなっていく感覚が全身を襲い、顔がジワジワと熱くなっていくのがはっきりと分かる。



「首筋を甘噛みされる感覚といったらもう……」



「あーー!!あーーー!!!あぁーーーーー!!!!!」



そして遂に限界に達したのだろう。



クールな表情など完全に忘れた顔を真っ赤に染めたミシェルは耳を塞ぎながらそう叫び、まだ語ろうとするリディアの言葉を遮って、ソファーのクッションに顔から突っ込んだ。



それにしてもこの幼女……瞬く間に拓也とミシェルを無力化してしまうとは末恐ろしい限りである。



すると、ようやく内臓のダメージが抜けたのか拓也がユラリと立ち上がった。



そして……虚ろな目をしながら歩を進め、リビングと廊下を隔てるスライドドアに手を掛ける。



「汗かいたから風呂行ってくる」



逃亡。しかしまぁ……ソファーでクッションに顔を埋めながら絶叫しているミシェルの傍にこれ以上いると、追加攻撃でボーナスが発生しかねないので致し方ないのだろう。



早足でリビングを後にした拓也は脱衣所で服を脱ぎ捨てると、華麗にシャワーを浴び、髪を洗って体を洗い……浴槽へダイブ。



真夏の気温よりも高い温度の湯に浸かる彼は、一つ心地良さそうに溜息を吐くと、頭の上にタオルを乗っけて一言。



「ふぅ~……日本男児たるものやはり熱々の風呂だな」



まだピッチピチの高校生だというのにジジイのような一言。


セラフィム辺りがいたらツッコんでくれただろう。



しかし残念なことに浴室には彼一人。だが、疲れた体を癒してくれる心地よい温度の湯が波打つ音や小さな流水音しかしないこの空間は非常に癒される。



拓也がもう少し大人なら……この空間で、酒を嗜むというのもまた風流だ。





しかし………こんな癒しの場を颯爽とブレイクしに来たのだろうか……脱衣所と浴室を隔てるドアの擦りガラスに、小さな人物のシルエット。



しばらくした後……向こう側の彼女は、勢いよくドアを開け放ちながら浴室にダイナミックな登場をした。



「ワシも入るのじゃ!」



一糸纏わぬ姿でタオルを片手に駆けてくるリディア。


拓也は深く溜息を吐くと、いきなり湯の張った浴槽に飛び込もうとした愚か者を空間魔法で移動させ、シャワーの前に座らせる。



「入る~じゃねぇよ……テメェのせいでミシェルがしばらく目を合わせてくれないコース決定だわ。というか体洗ってから入れ」



「おやおや~?そんな舐め回すような視線でワシを見て……」



妙に体をくねらせながらそんなことをのたまうリディア。



しかし、拓也はそういう性癖の持ち主ではない為、彼女の凹凸の無い体など見てもなんとも思わない。


それどころか鼻で笑う始末である。



「ねぇよ。見るならなんとしてでもミシェルのをみる」



「頼めばええじゃろ」



「挽肉コース決定だろ」



ケタケタと笑いながらそんなことを言う拓也。


しかし……あれ以上あの場にいれば、つい我慢できなくなった拓也がちょっかいを出す。


そうなれば揶揄ではなくそれこそ本当に挽肉にされかねない。



湯に浸かっているはずなのに背筋に感じる冷たいモノ。



拓也は自分自身すら誤魔化すように、無理やり心地良さそうに息を吐き、口元まで湯の中に浸った。



「ふむ……それにしてもやはり風呂はいいの~。


しかし、この国でも湯に浸かるという文化は徐々に浸透してきているようじゃな」



「へ~そうなの」



「うむ、この前ジェシカの家に泊まり行った時にも風呂を見かけたぞ。


聞いたところによると最近設備を整えたらしい」



「いつの間に仲良くなってんのお前ら……」



人種どころか……神とすらもすぐ仲良くなってしまうジェシカのコミュニケーション能力には、流石の拓也も脱帽である。



拓也が呆れ笑いを浮かべている間にリディアは髪と体を洗い終え、飛び込むように湯に飛び込むと、水面をツーッと静かに移動し拓也の隣で落ち着いた。



すると彼女は水面から出ている彼の上腕を興味深そうに見つめ……両の手でガッシリと掴む。



「セクハラで訴えるぞ」



「フツメンの怪しい男と可憐な幼女。世間はどっちの味方につくじゃろうな?」



「まて、フツメンは認めるが怪しいって何だよ。それじゃまるっきり不審者じゃねぇか」



「気が付いておらんのか?四六時中大体ニヤニヤしておるソナタは傍から見れば十分怪しいわ」



「…………嘘乙」



虚ろな目で水面を見つめる拓也は、圧力を変えて握ってくるリディアを振り解こうと腕を振り回す……が、流石は神といったところだろうか。


リディアは拓也の腕をビート板のように持ち、むしろこの状況を楽しんですらいる。



それからしばらく二人の格闘は続いたが、リディアが一向に離してくれる気配がない為結局拓也が根負けし、腕を一本犠牲にすることで、彼はひとまずの安息を手に入れるのだった。




そしてしばらく拓也の腕を触り続けていたリディアは、興味深そうに顔に影を落としながら口を開く。


「ほぉ……非常に上質な筋肉じゃ。


ぜひサンプルとして…この腕一本をワシに売ってはくれんか?」



「一回取り外すとくっつけるのめんどいからやだ」



できないとは言わない辺り恐ろしい。



左腕に纏わりつくリディアが邪魔だが、それ以外は素晴らしく落ち着ける浴室に、拓也はまた深く一息を吐いて浴槽の縁に後頭部を預ける。


湯煙の先にぼんやりと見える天井。


この浴場を作っていたころが非常に懐かしい。



「なるほど……この脱力時の柔らかさ…………」



「そろそろ離せよ」



「イヤじゃ」



「まったく…幼女趣味なんて無いんだ、勘弁してくれよ。俺はもう上がる」



めんどくさそうな表情を浮かべる拓也は、脚に力を入れて湯から上がる。


体の表面を伝う湯。そして当然のように拓也の腕にしがみついたままのリディア。


何気にぶら下がったままの状態を維持する腕力は凄まじい。



拓也はまた一つ溜息を吐くと、諦めたように腕に纏わりつく幼女を携えたまま浴室と脱衣所を繋ぐドアへと向かって歩を進めだした。



その刹那……



「リディアさん、バスタオルは置いておきま………し……………」



浴場のドアが………地獄の門が静かに開かれ、その向こうから……銀髪を揺らす美少女が顔を覗かせ……拓也の姿を確認した後………銅像の如く硬直する。


整理して見よう。



ここは風呂場。当然拓也もリディアも全裸。



湯煙がかろうじてモザイクのような役目を果たしてはいるが、それも微々たるもの。



ミシェルが硬直する一方……一間隔遅れて拓也が局部を残された右の手で隠し、凄まじい勢いで思考を巡らす。



彼女のこの反応からして………恐らく、自分がここにいるとは思っていなかった。



その結論に辿りついた拓也は、恐る恐る隣のリディアに問いかける。



「リディア……お前ミシェルになんて言ってここに来た…?」



「…?普通に風呂入って来ると言ったが?」



「なるほど……」



となれば話は簡単。恐らく拓也がした入浴発言はミシェルの耳に届いていなかったのだ。






しかしこの状況をどう打開したものか……頭を悩ませる、思考を更に巡らす拓也。



だが……徐々に紅く染まって行く彼女の顔色が彼の冷静さを掻き乱す。彼女の羞恥心やらが頂点に達せば………当然無事ではすまないだろう。


迫り来る恐怖をひたすら堪え、なるべく正確に…且つ迅速に思考する拓也。



そして……遂に一つの名案を導き出す。


だがその案は………人間としての常識をかなぐり捨てるモノ。完全なる賭け。



「ふぅ~……スゥ~」



しかし彼は……迷わなかった。



肺の中の空気を全て吐き出し……数秒沈黙。後に大きく……ゆっくり息を吸い込み………



「HAHAHA☆ミシェルっちったら照れ屋さんだなァ♪」



あろうことか局部を隠していた手を離し、腰に両手を仁王立ち。



左腕にはリディアが纏わりついているが、この際そこは問題ではない。



露になる………ソレ。



「ひっ……」



目の前に展開される意味不明な光景。



何故全裸であるというのに恥じらいのはの字すら見せないのか……どうしてそんなに満面の笑みなのか……疑問は尽きない。



思わずそんな素っ頓狂な声が漏れてしまったミシェル。無理も無い。彼女には刺激が強すぎる。


脳内で発生する情報の洪水。処理は追いつかず、ただただ混乱。



同時に体から力が抜け、尻餅をついてしまった。



しかし拓也が捻り出した”名案”が、この程度で終わるはずが無い。



次に彼が取った行動は…………



「でも……僕の息子は少々照れ屋さんでね♂ほぅらこの通り☆俯いちゃってるね♪」



なんと………前進だった。



人類的に見れば小さな一歩。しかし……拓也にとっては………文字通り命運が掛かった大きな一歩。



「ゃ……ぃ…ゃ…………」



あまりの衝撃で四肢の使い方を忘れてしまったのか、わちゃわちゃとした動きで後退りするミシェル。


目を離したくても離せない。



まるでブラックホールのような引力で彼女の視線を独占する拓也は、未だ不気味な笑顔のまま。



馬鹿もここまで拗らせるとむしろ天才的である。





ワンピースから白いパンツがコンニチハしてるが、そんなことを気にしている場合ではないミシェル。


思うように言うことを聞かない四肢を必死に動かし後ずさる彼女。



そして……満面の笑みで更に一歩踏み出す拓也。



まさに混沌……カオスである。



「ゃ……こ………ない……で………」



いつものクールでキリッと引き締まった表情はどこへやら……。



加虐心を掻き立てるような怯えた表情を浮かべるミシェルは、目尻に涙を浮かべながら懇願する……



が、拓也はまた一歩踏み出した。



「ひぃッ!」



それに伴い更に怖がり後ずさるミシェル。



しかし拓也は遠慮せずにまた一歩踏み出すと、腰に手を当てたまま顔だけを突き出し、その顔に浮かぶ不気味な笑みを更に凶悪なものにする。


そして……羞恥と恐怖のあまり奥歯をカチカチと鳴らし、小刻みに震えるミシェルを見つめながら………止めの一言を口にした。



「俺の息子、”ジョン”って言うんだ♪ほぅら”ジョン”ご挨拶は?」



言葉の意味が分からない。果たして目の前の彼は自分と同じ言語を扱う者なのか…?いや……今はそんなことを考えている場合ではないだろう。



ミシェルがその結論に辿りつき、逃げることに専念しようとした……その刹那。



彼はいきなり腰を前へ突き出した。



湯煙を掻き分け……より鮮明に見えるようになった”ブツ”。すると拓也……否、”ジョン”は高く…且つ美しく透き通る声で、硬直する彼女に語りかけた。



「『オッスオッス!オイラは”ジョン”ってんだ、末永くよろしく頼むぜぃ☆とりあえず握手でもどうよ♪』」



「おっ!流石はmy son☆初対面の人にもちゃんと挨拶できたじゃないか♪」



もうヤダ……ミシェルの脳内はそんな諦めの感情に満たされ始める。



全裸だというのに……何も隠すことをせず、満面の笑みで近づいてくる自分の恋人。


おまけに2オクターブは上がったであろう高い声で”ソレ”のアテレコ。



気が付けば……彼女は美しい蒼い瞳を、死んだ魚のように濁らせ俯いていた。



まるで……これ以上………彼の醜い部分は見たくないといわんばかりに………。



「アハハ☆アハハ☆アハハハハ☆♪」



そして何が面白いのか、謎の大爆笑。



気が付けば……体の震えは治まっていた。




「……」



ミシェルは無言のまますっくと立ち上がると……。



「むぅん?どこへ行こうというのかね☆」



いつものように拓也に天誅を下すことなく………脱衣所を出て、廊下をトボトボと歩いて行った。


拓也がそう声を掛けようとも振り向く素振りすら見せずに……



そのまま彼女は二回へ続く階段をゆっくり上がって行き……しばらくした後に聞こえるドアを開閉する音。



「…………」



助かったというのに……彼女に裁かれずにすんだはずなのに……


拓也は声も漏らさず……



「何を泣いておるのじゃ」



泣いていた。



リディアはデリカシーもクソも無く彼にそう尋ねる。



「今回の作戦……本質は………ミシェルに場の主導権を握らせず……”呑む”こと」



涙を流しながらだが拓也は静かにそう語り出す。



「作戦は成功……俺は無傷。


しかし………失ったものはもっと……大きかったようだ」



彼なりに……これが彼なりに考えた”名案”



だが、伴った代償は甚大。



彼の瞳から流れ出る涙が……悲しくそれを物語っていた。



・・・・・



その頃……庭で、炎の高密度に圧縮する練習をするビリー。



コツは拓也から聞いているのだが、イメージ通りには行ってくれない。


ただ炎が大きくなるだけ。先程から進展は無し。



「調子はどうだ、我が弟子バーバリアン」



「…そんな名前じゃないよ………」



そんな所へ、先程とは違うTシャツを華麗に着こなした拓也が現れた。



言葉は『ぶるぅ~』描かれているイラストは、顔面蒼白で非常に暗い表情の男。



何だか気味が悪く、奇怪な表情を浮かべるビリー。


よく見れば、拓也自身の顔色も優れないように見えたが……それは多分気のせいだろうと勝手に納得するのだった。




「全然上手くできないんだ……」



拓也の質問にそう返し、若干表情に影を落としたビリー。


グローブには弱々しく炎が灯っていたが、彼の落ち込みように共鳴するように消え入ってしまう。



すると……何を思ったのか、拓也はニヤリと口角を吊り上げて口を開いた。



「お前はグローブの炎を推進力にすることで、三次元的な動きができる。現状、風魔法でしか空を飛びまわるものがいない。これは非常に大きな強みだ。


また炎の出力を上げることで得られるスピードはかなり高水準といえる。


判断力も……俺との修行のおかげか、とりあえずは実戦レベル」



珍しく彼から出たそんな言葉。


ビリーは静かに耳を傾ける。



すると拓也は軽く握った右の手に橙色の炎を纏わせ、その炎がある程度大きくなったタイミングを見計らうと……



軽く開いていた右の手を握り込んだ。



「なら……そんな”機動力”と”判断力”を持ったお前が……」



その刹那……橙色に揺らめいていた炎は、まるで拓也の拳に纏わり付くように小さくなる。


よく見れば橙色だった炎は、若干真紅に近い色に変色しており、ほとんど揺らめいてすらいない。



「純然たる”破壊力”を手にしたら?」



ビリーはその時ようやく気が付いた。



そして……自分のグローブにもう一度炎を灯す。



出力を徐々に上げ…先程のように大きくなって行く橙の炎。



しかし先程とは違い、彼の表情に暗いものは一切混じってはいなかった。



それどころか……今の彼の顔に浮かぶ表情には、若干の自身すら感じられる。



「ハァァ!!」



そして……遂に成した。



ビリーがグローブに纏うのは、真紅に近い色の炎は、まるで高密度のエネルギーの塊。



拓也はニヤリと笑みを浮かべて炎を纏った拳を振り上げると、それをビリーに向かって振り下ろす。


ビリーも咄嗟に右の拳を突き出す。



二つが衝突した瞬間、恐ろしい衝撃と熱波が当たりに散らばる。



「……どうだ、最高の気分だろ?



さぁ、ちょっと早いが今日はもう帰れ。体はちゃんと休めろよ~」



やがてその勢いは治まり……拓也は、ボロボロに焼け爛れ、妙な方向へへしゃげた自分の腕を興味深そうな目で眺めながらビリーにそう呟くと、踵を返して家のほうへ向かって行ってしまうのだった。



「う、うん…」



手に色濃く残る、成功の感覚。


ビリーは自分の手をぼんやりとながらそんな生返事を返す。



家に向かう自分の師匠の、まるで肩にくっついているだけのようにボロボロになった右腕。


彼のことだから当然手加減してくれたのだろうが……あれだけ強大な彼に手傷を負わすことができた。それもこんな自分が。


ビリーは何だか少し嬉しかった。


慢心……と言ってしまえばそれだけなのだろうが………。



「この技の名前……拓也君、まだ付けてないのかな…」



何だかそれとは少し違うような感覚を噛み締めながら、ビリーは小さくそう呟き空を仰ぎ見ながら帰路に着くのだった。



・・・・・



元通りになった右腕。しかしそんな超人的な肉体とは裏腹に……内心でガクガクと震える拓也。


否、震えているのは内心だけではない。



「……あ、あのーミシェルさん。少しだけでもお話を……」



声…そして体に至るまでがマナーモードよろしく震えていた。


先程の風呂場での粗相を謝罪しようとミシェルの部屋の前まで足を運んで先程から声を掛けてみてはいるのだが……全く返事は無い。



自らが助かる為支払った代償は……大きかった。悔やんでも悔やみきれない。


苦渋をイッキしたかのような表情を浮かべる拓也は溜息を吐きながらそっとドアノブに手を伸ばす。



「……」



が、案の定内側から鍵がかけられていた。



そこまで拒絶されるか……。彼は残念そうにもう一つ溜息を吐くと、無言でピッキングの道具を取り出し……あっという間に…且つ静かに解錠。



「オハヨーゴザイマス」



そして寝起きドッキリの仕掛け人のようなことを小さく呟きながらドアノブを捻り、聖域へ侵入した。


部屋のドアが、キ…と小さな音を立てたからか。ベッドの上の丸く盛り上がったタオルケットがビクッと小さく震えるように動く。




何故かミシェルは部屋の灯りをつけていない。


そのせいで部屋の中は薄暗い。かろうじて窓から差し込む夕日。



そこそこの覚悟を決めてからここに来た拓也は、覚悟を決めるまでに予想以上に時間が掛かっていたのだと内心で自分を嘲笑する。



そして彼は同時にこれから開始する過去最難のミッションを前に、顔を引き締め腹を括った。



「………」



幸いなことにファーストアクションのおかげで彼女の既に居場所は判明している。


それならば……と、拓也は迷うことなくミシェルが篭城しているベッドへ歩みを進めた。



すると…彼が迫ってくる足音が聞こえたからだろうか……。



「っ!!」



もぞもぞと蠢いたタオルケットは、ベッドの上部へ逃げるように張って行く。


しかし逃げ場は無限ではない。


ミシェルはベッドの上部を壁にくっつけるように配置している。



つまり……逃げ場など1メートル程度しかなかったのだ。



「まぁ待てミシェル。話し合おう」



拓也は怯える彼女を前に歩みを進めながら手を伸ばしてそう声を掛ける…が、肝心の彼女はまたビクッとタオルケットごと体を震わせ、壁に縋り付くようにガタガタと震えだす。


そんな自分の恋人の様子に若干ショックを受けた拓也。



ー……拓也さんは強い子…拓也さんは強い子……それとイケメン…ー



しかし彼は強い子。自分にそう言い聞かせながら更にベッドへと歩み寄った。



するとタオルケットの中のミシェルは彼のその動きすらも悟ったのか、激しく蠢きながら新たな逃げ道を探す。




そして……見つけたのは……横の道。



「っ!?」



ベッドの縦の幅より横の幅が短いのは当然。


しかしミシェルは焦りでそれを忘れていたのだろう。慌てて逃げ出し…タオルケットに潜ったままベッドの上から落下。



だが……彼女の体を痛みが襲うことは無かった。


その代わりに、両膝の裏と背を支えられる感覚。そして、タオルケットを通して伝わってくる温もり。


次の瞬間タオルケットの一部が重力に負け、捲れ上がった。



そこから覗くのは……見慣れた顔。



自分が顔を真っ赤にして部屋に引きこもる元凶となった人物。



「俺☆参上!」



「…ぃ…やぁ…///」



ちなみに…書き忘れてたが、拓也さんは現在上半身裸である。




ここで少し考えてみよう。拓也は半裸。そしてミシェルからは体勢的に拓也の胸部から上しか見えない。


おまけにこの何をしでかすか全く分からない雰囲気を漂わせるマジキチスマイル。



「はッ!離し…てぇ!!」



つまり彼女が、彼が全裸だと錯覚してしまうのも仕方ないのである。


暴れるミシェル。しかし純粋な筋力的な問題で拓也は大木のようにビクともしなかった。



「……」



それどころか、彼女が涙目になりながら必死に抵抗するさまを目にし、普段は抑圧されているはずの加虐心を擽り……彼は普段全く見せないサディスティックな笑みを浮かべる。


夕日の色でなんとかぼんやりと見えるそんな彼の表情に、ミシェルは息を詰まらせるような小さな悲鳴をあげ、彼の腕の中で竦みあがった。



「わ、私を………どうする気…です…か…?」



「……どうする思う?」



潤んだ蒼色の瞳で微笑む拓也を見上げ、震える声でそう尋ねる。


すると彼は僅かに目を細ませると……一間隔置いてから、ヌルリと肌を舐める様な声色でそう呟いた。


真剣な彼……とはまた別の一面。


背筋がゾクゾクするような感覚に陥ったミシェルは……全身を包む甘美な熱にボーっとしながら瞳をギュッと瞑り…そしてもう一度開く。



夕焼けの光が薄っすら…ぼんやりとしたオレンジ色に部屋の中を照らし、自分の部屋だというのに別物。まるで現実から隔離されたような幻想的な空間にも感じられる。


その中でも拓也は先程と変わらずに、自分を所謂お姫様抱っこの体勢で持ち上げたままこちらを見下ろし、同じように笑みを浮かべていた。



流れる沈黙。



その間もずっとサディスティックな笑みを浮かべたままじっ…と見つめてくる拓也。


黒い瞳に見つめられるミシェルは頬を紅い色に染めると、トロンとしたサファイアのように美しい蒼色の瞳を恥ずかしそうに逸らしたり……しかし時折彼の視線が気になり、ちらと一瞥して、またその彼の表情と黒い瞳が送る視線に頬を染めて顔を逸らすのだった。




そのまま沈黙が流れ……数分。


遂に耐えられなくなったのか、ミシェルが頬を染めたままポツリと呟いた。



「無理やり……する…気……ですか?」



僅かに睨みつけられながらそう問い掛けられた拓也は虚を突かれた微妙な表情を浮かべ、首を傾げる。


そして少々遊びすぎていたことによって彼女がなにやら勘違いしているのだと悟り、いつものような呑気な笑みを顔に貼り付け直すと、そっと彼女をベッドの上に下ろした。



「…?」



彼のそんな行動に、頭の上に疑問符を浮かべるミシェル。


すると拓也は混乱している彼女から数歩下がり脚を折って正座すると……彼女に向かって深々と頭を垂れ…。



「スィヤッセンしたァァァァ!!!」



叫んだ。



心の底からの謝罪。しかしミシェルは彼のその言動を気にする前に、彼がちゃんと下を穿いていたことに安堵し、そっと胸を撫で下ろすのだった。



そして目尻に浮かぶ涙をこっそり拭うと、その顔にいつも通りの引き締まった冷たさを感じるクールな表情を復活させ、目の前で土下座中の彼を腕を組んで見下ろし、冷たく……さながら大魔王の如く口を開く。



「一体”何に対して”謝っているんですか?」



「ちゅす、全てっす」



「…全てとは?」



「ちゅす、風呂場での粗相と部屋に勝手に侵入したことについてっす」



それにしても……まだ赤い彼女の頬。


しかし…幸いなことに彼は頭を垂れているので見られることはないだろう。



「その二つに関しては許します。それに私もいきなりお風呂場のドアを開けたのはマズかったです。ごめんなさい。




ですが……………他には?」



素直に謝罪しに来た彼。本来ならばこれで許しても良いのだが……ミシェルはまだある部分への謝罪が”足りない”。


僅かな笑みが浮かびながらも恐ろしいモノをその裏に潜ませながら……彼に向かってそう口を呟いた。



ー…え、えぇ!?……どの部分!?……ー



拓也は床と見つめあいながらパニックに陥っている。




「え…えっと……半裸で部屋に入ったこと…とか…?」



「…!……まぁそれに近いです」



いきなり顔を上げた拓也。ミシェルは慌てて自分の顔を片手で覆って隠す。


どうやら顔の色ばかりはそんなに早く元通りにはなっていないのだろう。当てた手の甲からじんわりと頬の熱が伝わってくる。



「ミシェルに意地悪したこと…?」



「……それも違います」



それにしても……銀髪の美少女がムキムキの細マッチョを従えているこの絵はかなり奇妙だ。


傍から見たらきっと拓也は彼女の使い魔的な何かに映るに違いない。



いつまで経っても答えに辿りつかない拓也。


するとミシェルの方が痺れを切らし、正座でじっとしている拓也に向け……ほんの僅かな声でぼそぼそと呟く。



「……うと……した……ですか……」



「……ん~と………もうちょっと大きい声で言ってもらえるとありがたいかな~思ったり……」



しかし流石にそんな小さな声量では拓也の耳に届かなかったのだろう。


彼は困ったように頬を人差し指で掻きながらそう尋ね返した。



するとミシェルは……もう一度、拓也に抱き上げられていたときのような涙目で可愛らしい表情で拓也を睨むように見つめると、半ば叫ぶような声量で繰り返した。



「だ、だって!無理やり襲おうとしたじゃないですか!!」



ー…おいおい…MA☆JI☆KA☆YO☆…-



最早ふざけるしかない。しかしこの状況で表にそれを持ち出せばボロボロのバラバラにされかねない拓也は、内心だけで声高らかにそう叫ぶ。


そして同時に、同じ状況にいてもここまでの認識のズレが生じる人間の頭脳に何だかやるせない気持ちが溢れかえって溜息を吐きそうになった…が、そんなことをしている時間が勿体無い。



今優先するべきなのは…



「み、ミシェル誤解だって!!俺の言動を最初から振り返って見れば間違いに気が付ける!!」



ミシェルの誤解を解くこと。



「鍵をかけてたのに解錠して半裸で部屋に進入してきて、抱き上げながらいやらしい目で見てきたじゃないですか!


それにどうする気かって聞いたら……あんな目で…///」



「待て!半裸で進入したのも事実。ミシェルが可愛くてちょっとイジメたくなったのも事実だけどそんな気は無かったんだ!」



「可愛いとかやめてくださいッ!!」








何故か鳩尾を蹴り上げられる拓也。しかし彼は…ここで倒れるわけには行かないという意思の下に踏ん張り、いつものように悶絶しない。



ミシェルは羞恥から彼の意識を早く落とそうと更にもう一発鳩尾に爪先をめり込ませる……が、彼はビクともしなかった。


それどころか内臓を護る分厚い装甲版のせいで、自分の爪先の方が痛くなる始末である。



「お、落ち着けってミシェル!ホントだよ!そんな気は無かったんだってば!!」



「ぜ、絶対嘘です!!あの目は絶対にそういうことしようとしてた目でしたもんッ!!」



滅多に聞けない彼女のそんな語尾。拓也は嬉しそうに顔を綻ばせる。


この際も彼女の攻撃の嵐は拓也の鳩尾を捕らえ続ける……が、ミシェル成分を充填した拓也にとってはこの程度むしろご褒美。







そしてこの不毛な争いが十分近く続いた頃だろうか……



「だ、だから……違うんだって……」



「絶対……絶対嘘です…」



お互いにスタミナが底を尽き始めていた。


一体どうすれば終焉を迎えることができるのだろうか……考える拓也。



「ハァ…ハァ……」



鳩尾の周辺は内出血で赤黒く晴れ上がり、襲い繰る鈍痛のせいで額には脂汗。


このまま戦えば後数分も持たない。そんなことは分かりきっていた。



現状を維持したところで押し負ける。それならば………………やらずに後悔するより……やって後悔する方が良いのではないだろうか?



「ミシェル、お前が信じてくれないなら……俺はここでこのジーンズとパンツを脱ぎ捨てる」



「ッ!?」



そして彼は、風呂場での一件があるというのにもかかわらず、性懲りも無くまたもや賭けに出た。


驚愕の表情を浮かべたミシェルは、聴き間違えでもしたのではないかと自分の耳を疑い、羞恥やら何やらが入り混じった表情を浮かべる。



「それからお前をベッドに押し倒して『自☆主☆規☆制』する。


あぁ、ロープと口玉枷も準備してるからハードな『自☆主☆規☆制』もできるな。それからもちろん『自☆主☆規☆制』もだろ?



まぁでも……ミシェルはこれから晩御飯作んないといけないし、そっちを優先するなら俺も『自☆主☆規☆制』とか『自☆主☆規☆制』は止めてそっち手伝うけど……」



「晩御飯にしましょう!!さぁ腕によりをかけて作りますよ!!」



やったぜ。



拓也は内心でそう呟いた。




・・・・・


「え~、健全な……」



夏休み前の終業式。


クソ暑い中全校生徒が体育館に集められる為、人口密度が異常。


むせ返るような熱気が館内に立ち込め、そろそろ倒れる人が出てきてもなんらおかしくない。



「……ぁ………あぁ」



その証拠にジェシカに至っては白目を剥いて天を仰いでいる。



「学園長のありがたい話って絶対いつも長いよね?


そこんとこビリーどう思うの」



「なんで君がここにいるんだよ……」



「光魔法で俺の席のとこに【身代わり(スケープゴート)】残してきた。ちなみに現在も俺様の天才的な光魔法と音魔法でお前にしか俺の姿も声も聞こえていない。


つまり傍から見たらお前はひとりでになんか呟いてる痛い人にしか見えないわけだ」



「……帰れよ……」



しかしこんな中でもビリーと拓也は元気である。


まぁ拓也は言わずもがなだが……ビリーが元気な理由は、夏季に入っても炎を垂れ流しながら空を飛んだりしているからだろう。



「えぇーいけず~構ってよーリバーブロー打っちゃうよ~?」



「後にしてよ…」



「ふん!もういいもん!!セリーのとこ行ってくるから!!!」



「止めてあげなよ……」



ビリーの小さな呟きに対する返事は無かった。


恐らく彼は既にセリーの所へ向かったのだろう。



「…」



試しに彼女へ視線を向けて見れば……



セリーは笑いを必死に堪えるような表情している。


プルプルと小動物のように小刻みに震え、真一文字に閉じられた口は今にも笑い声を漏らしてしまいそう。



ビリーは内心で彼女に手を合わせ、視線を前に戻した。



「以上で~」



気が付けば式が終了する挨拶。



起立、礼。そして各自がバラバラに解散。






教室へ帰る途中、ミシェルが何もない空間に向けて鋭く放った拳が何かを捉えた気がしたが、多分気のせいだろう。




・・・・・



「「アハハ☆アハハ☆アハハハハ☆」」



息ピッタリに笑いながら街中を闊歩する拓也とジェシカ。


毎度の如く街に繰り出した一行は、特に行く当ても無くとりあえず通りを進んで行く。



数メートル先のバカ二人にヤレヤレといった表情を向けるミシェル。


安定の張りぼて100%の微笑みを浮かべるアルスに、相変わらず存在感の薄いメル。



「拓也君たち元気だね……」



「こんなに暑いのに……流石だね」



そして最後尾を行くビリーとセリー。



服の中に3倍だァァ!!Tシャツを着込んでいるビリーだが、修行の成果が出てきているのか顔色はほとんど変わっていない。


顔に薄っすらと浮かぶ汗は、多分この暑さのせいだろう。



「さぁ!とりあえず甘いものでも食べに行くよ!!」



「イェア!!」



どうやら先頭が目的を決めたようだ。


心なしか二人の足取りは軽くなったように感じ、向かっている方向も決まったように感じる。



「ここは先日オープンしたばかりなんだよ!おすすめはモンブラン!!」



「しかし!私はあえてシュークリームを頼もうじゃないかァ!」



そしてそのまま歩き続けること数分、拓也とジェシカは軽快にそんなやり取りをかわすと、店のドアを開けて颯爽と店内へ消えて行ってしまった。


ミシェルやビリーたちもその後に続き、ドアを開ける。



ドアの上部に備え付けられた入店を知らせる可愛らしい鈴か小さく綺麗な音を鳴らし、その音で店員がこちらを注視。



「あぁ、先に入店した彼らと同席でお願いします」


「かしこまりました」



アルスが店員相手に手早くやり取りを済ませ、各自が適当な場所に腰掛ける。



何故か綺麗に男女で向かい合うようにして分かれた彼らは、テーブルの上に広げられたメニューを覗き込み、各々の注文する品を決め、店員を呼び注文。


そしてしばらくの談笑タイムに入った。



「ていうか学園長の話ってホント長いよね~……魂抜けそうになったよ~」



「ジェシカさんはじっとしてられないタイプだもんね」



「あー、アルス馬鹿にしてるな~?」



「してないよ。してない」



不自然に繰り返されるそんな言葉。ジェシカはしばらくアルスを見つめ続けていたが、表情を全く変えない彼が面白かったのか突然爆笑して、唐突に始まったにらめっこは終了するのだった。





「こちら、先に紅茶になります」



そんなことをしている内に店員がトレーに人数分のグラスに冷たく冷やされた紅茶を注いでテーブルを訪れた。


やはりこの暑さの影響か、さすがに熱い紅茶を頼む者は一人もいない。


店側もそれが分かっているから、幾分か準備が早いのだろう。



「たっくんガムシロップ取って~」



「クックック……貴様のようなお子ちゃまはマドラーでもしゃぶってるんだな!」



「わーい!ありがとミシェル~」



決め顔でふざける拓也。しかし彼の向かいに座るミシェルが無言でジェシカや他の面々にガムシロップを容器から取り出して配りだす。


眉間を人差し指で押すような仕草で天を仰ぐ拓也は……



「……」



彼らに気が付かれないようにそっと元の姿勢に戻るのだった。


なんとも惨めである。



「痛ッ!」



そして憂さ晴らしなのか、隣に座るビリーの脚をテーブルの下で踏み抜く。


そんな理不尽な攻撃に、ビリーはなにやら抗議の声を上げているが、拓也はそんなものどこ吹く風と紅茶をストローで吸い上げている。



「お待たせいたしました」



そうこうしている内に今度は注文しておいたスイーツが到着。


途端にキラキラと輝きだすジェシカの瞳。



ちなみに拓也以外は全員ジェシカのおすすめのモンブランである。



とぐろを巻いた茶色のマロンクリーム。そしてその頂に乗っかるテラテラとした魅力的な光沢を持つ栗。


流石はよく甘い物の食べ歩きをしているジェシカがおすすめする一品である。



「どうしましょう……とても美味しそうですけれど………カロリーが」



「それだけデカイ脂肪の塊胸くっつけてるくせに今更何言ってんだ、揉むぞ」



「な、なんですってッ!!?」



「聞こえなかったか?ならもう一度……なんて……冗談冗談。冗談っすよ……ハハ……」



拓也が途中で何かに驚いたようにビクッと体を震わせ、冷や汗をダラダラと流しながら言葉を途中で途切らせて黙り込んだ理由は……彼の対面に座る彼女が全ての理由なのだろう。




目の前に鎮座する大魔王。痛むスネ。



「あー、お、おいしそー」



拓也は視線を明後日の方向へ逸らしながら、左手でシュークリームを掴んで頬張った。


程よい甘さが口の中に広がり、それはまるで鎮痛剤の役割でも果たしているかのように、今しがた思い切り蹴られたスネの痛みが引いて行く。


甘いものが好きな彼にとって、甘味を食すときは至福のひと時。



目を薄めながらシュークリームに舌鼓を打つ拓也は、気が付けば完全に痛みを忘れていた。



「おいしいね!流石ジェシカちゃん、本当にいろんなお店知ってるんだ」



「まぁ私程になると三食甘い物でも大丈夫だからね!」



「太りますよ…」



「……あぁ……どうしましょう………おいしいですわ……」



そして男性陣の向かい側で、ワイワイ騒ぎ出す女性たち。


やはり彼女らは甘いものが好きなのだろう。落ち着いた様子でフォークを動かすビリーとはやはりどこか違って見える。



すると、黙々とモンブランを崩していたビリーは、アルスが紅茶のストローを口に入れたまま静かに対面の彼女らを相変わらずの笑顔で眺めていることに気が付き、口の中の物を飲み込んだ後、彼に問い掛けてみた。



「アルス君全然食べてないけど…甘いもの嫌いだっけ?」



「あぁ…いや、好きだよ」



アルスはビリーにそう問い掛けられ、思い出したかのようにそう口にすると、フォークを手にしてようやくモンブランに手をつけ始める。


そんな彼の様子に首を傾げたビリーだったが、まぁ彼にも色々あるのだろうと適当に結論付け、ストローで紅茶を啜った。



そして皆が順調に食べ勧めていた時。


いち早く食べ終わっていた拓也が、何か企んでいるような表情を浮かべ、皆に向けて口を開く。



「でさ~……夏休み、何する?」



「はいはい!!海!海は絶対行きたいよね!!」



「あぁ、いいね。海なら一緒にバーベキューとかもできそうだしね」



「それに波に水着が攫われるというハプニングも期待できる」



ニヤケながら拓也がそう発言したその刹那…鈍い痛みがスネを襲う。


しかし……鎮痛剤の甘味は既に尽きた。



彼は……静かにテーブルに沈みこむ。



「……」



そして彼のその発言に……沈黙しながらも、心の中でひたすら賛同の声を上げている青髪がいることを、拓也以外の面々は知る由もない。





トラブルメーカーが黙り込んだおかげで、話は若干円滑に進み始める。するとジェシカはまた何か思いついたようだ。


閃いたように両の手を打ち合わせると、キラッキラと瞳を輝かせながら口を開く。



「あ~、それからパジャマパーティーもやりたいよね!一晩語り明かそうよ!」



皆もまんざらではない表情で頷いたり各自でリアクション。



「お、楽しそうだな。俺も参加で」



「たっくんはたちダメ~!女の子だけでやるんだから!!」



「……ッチ」



「拓也君……凄い顔してるよ……」



弟子にそうツッコまれる拓也の表情は、形容しがたいなんとも恐ろしいもの。


しかし対面のミシェルは最早慣れているのかそれを目にしても怖がりすらせず、ただスネに爪先での一撃。


彼はまた物言わぬ屍に戻った。



鈍く痛むスネ。拓也は彼女からの理不尽な仕打ちに若干涙目になってくる。


そんな時…店の中に響く、客の入店を知らせる小さな鈴の音。



ふとそちらへ視線をやった拓也………



「………」



彼は次の瞬間、言葉を失った。



入店してきたのは…20代後半かと思われる見た目の茶髪のポニーテールの綺麗な女性。


その女性に文字通り視線が釘付けになる拓也は、ジェシカたちの会話の内容など全く聞こえていない。



すると、拓也がガン見していたことで”彼女”の方もこちらに気が付いたのだろう。


本人は可愛いと思っているのかは知らないが、年甲斐にも無くハッとした表情を浮かべて開いた口を手で覆うようにして軽く隠しながらこちらへ小走りで近づいてきた。



そして彼女は拓也の隣まで歩を進めると、笑顔で馴れ馴れしく彼の肩を叩きながら口を開く。



「へ~、めっずらしいこともあるもんだ!まさか街で剣t…むぅ!!」



咄嗟に国家機密を洩らしそうになった彼女の口を手で覆い、無理やり言葉を終わらせる。



「むぅ~!!」



拓也が口と同時に鼻まで塞いでしまっているせいか彼女は苦しそうにもがいて彼の手を剥がそうと口を塞ぐ手を両手で掴む……が、如何せん拓也の握力が強すぎてピクリとも動かない。


すると拓也はしばらく額に手をやるような仕草をした後、深く溜息を吐きながら彼女の口を塞いだ手を離し、深呼吸する彼女に諭すように口を開いた。



「お前何してんのよ……」



「ふっふっふ……甘い物巡りだよ!」




すると…拓也の斜め左に座っていたジェシカが、失礼にも茶髪の女性を指差しながら声を上げる。



「あっ!よく会うお姉さん!」



「むむ!そういう君はよく会う少女ちゃんではないか!」



茶髪の女性も気軽にそう返す。拓也はまた溜息を吐いた。



「よく会うって……甘い物巡りをしてるとよく会うって言っていた方ですか?ジェシカ」



「うん!」



元気よく頷くジェシカ。そして彼女の隣でプルプルと軽く震え始めるメル。


すると茶髪の彼女は拓也の向かいに腰掛けているミシェルの姿に気が付き、元気に手をぶんぶんと振りながら口を開いた。



「あ、ミシェルちゃんいるじゃん!ヤッホー久しぶり~!」



「…え……えっと……どこかでお会いしたことがありましたか?」



いきなり見知らぬ女性から話しかけられたミシェルは、その顔に困惑の色を浮かべながらそう返す。


茶髪の女性はミシェルの返答に対して、ぽかーんとした表情を浮かべて呆けていたが、

しばらくして、何か納得したように手を打ち合わせる。



そう……彼女の正体は……



「私だよ!!私!ちょっと前に一緒に仕事したじゃん!」



「え………」



王国の最高戦力…帝の一人。



「も、もしかして…」



「あ、思い出したって顔だねぇ!そう!”地帝”のお姉さんだよ!!」



シェリル=パラメキアである。



それにしても……国家機密をこうも簡単に口に出してしまう辺り、彼女はどうやらアホのようだ。


拓也が張った音を遮断する結界のおかげでこのテーブル付近にいるものにしか聞こえてはいないが……本当に気をつけてもらいたい。


現にメルが鯉のように口をパクパクと開閉させており、焦りを全く隠せていない。



「…」



「…!」



拓也はそんな彼女を安心させるかのように右手の親指をグッと上げ、グッドサインを作って動揺するメルに見せ付けるように突き出す。


すると彼女も、拓也が何とかしてくれたのだと察し、ホッと胸を撫で下ろした。




「本名はシェリルだよ!シェリル=パラメキア!よろしくね!」



元気よくそう名乗ると、シェリルはテーブルを回りながら全員と握手して行く。


このコミュ力の高さはジェシカに勝るとも劣らない。


しかし……



「アルスです」



「お、いい男じゃないの~ちょっと拓也君紹介しなさいよ~!」



「年齢差は約10歳だ。諦めろB☆B☆A☆」



「お姉さん…そんなの気にしないよ!」



「アルスが気にするだろ。やめろ、アルスの肩を掴むな!俺の話を聞け!!」



彼女は男日照り状態。故のこの積極性。


容姿はかなり良いのに……非常に残念である。



「ねぇ!とりあえずディナーからどう!?」



物凄い勢いでアルスに迫るシェリル。



彼女のその顔には狂気にも似た色が浮かぶ……きっとこんなものを見たら子供は泣き叫び、凶悪犯罪者も今までの罪を洗いざらい吐きながら懺悔するに違いない。


だがしかし……オランウータン顔負けの握力でギリギリと方を握りつぶされそうになりながらそんな表情を真正面で見つめるアルスは、嫌な顔一つせずに……彼女に微笑みを向けた。



「あなたのように綺麗な女性からのお誘いを断るのは非常に心苦しいのですが……私には既に心に決めた恋人がいますので、遠慮させていただきます。


あなたにも良い出会いが訪れることを願っていますよ」



「むぅ~そっかー…彼女いるんじゃダメだよねェ~…」



流石アルス。シェリルを除く一同が心の中で呟いた言葉はこの一言。



しかし…彼女にも、人の男を取るのはいけないという倫理観があったのには、普段の彼女の様子を知る拓也とメルは純粋に驚いていた。



「彼女とは将来結婚するつもりなんです」



「へぇ~そりゃめでたいねぇ!」



それにしても、ここまで嘘湯水のように嘘を垂れ流すことができるアルスの頭の回転の速さには驚かされるばかりだ。



バンバンと肩を叩きながらアルスに向かってそう言うシェリル。がこういう些細な言動がおっさんくさいのも、彼女に恋人ができない原因の一つでもあるのだろう。





「んじゃ~ま、お姉さんはスイーツタイムを楽しんでくるから!!


剣帝!いい男居たら絶対紹介しなさいよ!?」



「へいへ~い」



そして結局適当な世間話をした後、嵐のように去っていくシェリル。


最早災害である。



拓也たちは席を立ち、会計を済ませて外へ出た。



「暑いね……」



セリーのその言葉は、この日差しの下に居る者の総意だろう。


そしてまた行く当ても無く適当に歩いていると……ビリーは拓也のある変化に気が付いた。



「…どうしたんだい?」



「……いや、なんでもないぞ」



何か笑いを堪えるようなその表情に、首を傾げるビリー。


その刹那…街中の人ごみが広がっていた視界が……



「ッ!!」



果てしなく広い荒野に変化していた。



真っ先に動いたのはミシェル。急速に大量の魔力を練り上げ、既に一人だけ臨戦態勢に入っている。流石はSSSランカーだ。



遅れてビリー、アルスが身構え、更に遅れてメルとセリーにジェシカが異常を感じ取ってその顔に驚愕の表情を浮かべる。



「空間属性持ち……は居ないみたいだな」



ポツリと呟く拓也。



彼の視線の先には……フルプレートの鎧を纏った二人の大男。



しかし何故か彼らはヘルムを被ってはおらず、その顔にはニタニタとしたイヤらしい表情が浮かんでいた。



「へへ、よく分かったな」



そのうちの一人。赤い髪を揺らす男が、拓也のその呟きに返答する。



「”空間属性持ち”はレアだからな。ここで刈られるのを危惧したんだろ」



「刈られる…?俺たち兄弟を殺れるとでも?」



次に口を開いたのは青髪の男。どうやら二人は兄弟のようだ。


拓也はミシェルの肩を後ろから軽く引く。彼のその行動が意味することをすぐに理解した彼女は大人しく杖を収め、数歩下がってジェシカの隣へ。


すると前に躍り出た拓也は、十数メートル離れた場所でヘラヘラと笑みを浮かべながら立つ彼らにいつもの笑みを向けつつ、真っ直ぐ見据え……今から起こることは確定事項であると言わんばかりに口を開いた。



「殺すさ。



まぁ……大人しくするなら三食労働付きの鉄格子が可愛いお部屋に案内してやるぞ」








拓也のその発言に、分かりやすい怒りの表情を浮かべる大男二人。


ビリーは彼らのその恐ろしい表情に、若干腰が引けていたが…拓也は全く動じない。



すると…赤髪の大男が、拓也をギロッと鋭く睨み付ける。



「王国最強だかなんだか知らねェが……あまり調子に乗ってると痛い目見るぞ」



それを聞いた拓也の背後の一同は驚愕した。


暗殺者などに狙われないようにと、その正体は極秘とされているはずの帝。


その正体が、なぜ彼らにバレているのだ…と。



「じゃあ……相手が誰だか知った上で喧嘩売って来たってことでいいんだな?」



しかし拓也は全く焦ってなどいなかった。それどころかその表情には余裕すら感じて取れる。



「あ、あなたは……正体がバレてしまっているのですよ!?」



彼の身を案じているのだろう。少し強気だが、メルのその表情には彼を危惧する色が浮かぶ。


拓也は振り向いて、そんな彼女にいつも通りの笑みを見せる。



「狙われるってことだし、いずれ正体は割れてただろ。それが遅いか早いかの違いさ。


つー……アイツら隠密してるつもりだったんだろうけど下手すぎだろ。お前らのファミリー大丈夫か?」



「なッ!!」


「き、気が付いてたのか!?」



それもそうだろう。彼は天界育ちなのだから。



拓也の発言の内容からして、恐らく彼らは、剣帝に殺害予告を送りつけたマフィアの手のモノなのだろう。


ビリーの顔に緊張と動揺が浮かぶ。



「あの程度ならうちの王女の方が上手く隠れるぞ」



「なッなんですってッ!!」



そして彼の後頭部に直撃する石。今しがた心配していた相手にこの仕打ち……流石は王女である。



ジェシカに羽交い絞めされるステルス王女はさておき……二人の大男と拓也との間で続く睨み合い。


戦いの火蓋は今にも切って落とされそうだ。



「どうした、来ないのか?」



いつも通りのニヤケ面でそう声を掛ける拓也。



彼らもやはり口ではああ言ったものの……王国最強や鬼神と謳われる、圧倒的な人物に挑むのは怖いのだろう。



拓也は拓也で自分から仕掛けるつもりは無いのか、腕を組んだまま動かない。





するとこの沈黙の中……震える声で小さく呟きながら……



「…僕が……相手をする」



ニヤける拓也の肩に手を置いて……その影から”元いじめられっ子”が大男2人を睨みつける。






「ちょ、ちょっとなに言ってるのビリー君!!危ないよ!!!」



魔武器であるグローブを装着し、前を静かに見据えるビリーにそう叫ぶセリー。


しかし彼は彼女の呼びかけに見向きもせず、更に言葉を続けた。



「元はと言えば僕のせいでもあるんだ……もう逃げない」



気弱な彼とは思えない程の決意がこもったその言葉。


皆が息を呑んで見守る中……拓也は振り向かずに眼前の敵を見つめたまま静かに口を開く。



「言っとくが相手はそこそこ強い。幾ら俺が鍛えてるからって、戦えば……例え勝てたとしてもタダじゃ済まんぞ。


それに……わざわざ殺害予告を自分に向けさせた俺の苦労を無駄にする気か?」



その口から出たのは、警告と、徒労に終わらせるつもりかという言葉。



だがビリーはいつものように悩む様子も見せず、彼の問いにキッパリと自分の意思のまま答えた。



「ごめん。だけど……護ってもらってばかりはイヤなんだ。




だって……僕は…護る為に強くなるんだから」



ようやく振り向いた拓也。そしてその黒い瞳に、弟子の表情を写すと……静かに不敵に微笑みながら敵に背を向け、ビリーの方へ向き直った。


そんな様子の彼に少々戸惑って今浮かべていた表情を崩すビリーは、彼が何かしてくるのではないかと危うく一歩下がりそうになったが、済んでのところで堪え、力強く両の足で地面をしっかりと踏みしめる。



「例えお前が死に掛けても絶対に俺は手は出さない……それが俺の師匠としてのやり方だ。



それでもやるか?」



「当たり前さ」



そう返す彼の表情には、一片の迷いすら無かった。



拓也はまた不敵な笑みを浮かべ、満足そうに鼻で笑い……




「死んだら骨は拾ってやる。最悪を想定して最善を尽くせ」



小さくそう残すと、鋭い眼光で眼前の大男二人を見据えるビリーの脇を通り抜けて、背後のミシェルたちの集団に合流した。


するとまずセリーが物凄い剣幕で拓也に詰め寄り、彼の胸を両の拳で叩く。


必死になったその顔は、敵に向かって行ったビリーを心配しているのか不安から泣きそうに歪んでいる。



「ほ、鬼灯君!なんで止めてくれなかったの!?」



「あれじゃあ俺が言っても聞きはしないぞ。



それに……臆病なアイツが腹を括ったんだ。まぁ見ててやれ」




取り乱すセリーをそう諭しながら軽く手を振り、ミシェルたちの周りを空間魔法の結界で囲む。


同時に音魔法で彼らの会話がよく聞こえるようにもして、地面にどっしりと腰を下ろした。



「なんだ、剣帝が引っ込んじまったじゃねぇか」



「お前たちの相手は……僕だ」



「ハッ、笑わせるな。テメェと戦う理由なんざねぇんだよ、大人しく引っ込んでろ」



青髪の意外なその発言。風貌からして触れるもの皆傷つけるというような思考を持っているのかと思えば、そうでもないようだ。



しかし、彼のそんな言葉にも全く怖気付かずに静かに彼らを見つめるビリー。


すると、赤髪の方がビリーの顔をマジマジと見つめると…何かに気が付いたのか、その表情をどす黒い邪悪な笑みに変えた。



「おい待て……コイツはあれだろ。あのド底辺を伸したってガキじゃねぇか?」



「……あぁ、言われて見ればそうだな」



お互いに顔を見合わせ、赤髪の浮かべた表情は青髪にも伝染する。


そして彼らは既に屈強に鍛え上げられた肉体を更に魔力で強化し、大きく固そうな拳を打ち合わせながらビリーに向けて口を開いた。



「それなら理由は十分だなぁ。ぶっ殺し確定!」



ビリーも腰を落として構え、肌をピリピリと痺れさせるような緊張感をヒシヒシと感じながらも自らを鼓舞するように……



その拳に炎を灯した。



「ッ!!」



先に飛び出したのはビリー。


拳に灯していた炎を全開に近い出力で背後へ噴射すると、立っていた場所に凄まじい粉塵を巻き上げながら一瞬での超加速。


常人には彼が一瞬にして姿を消したようにすら見えるこの動き。どうやらマフィアの戦闘員である彼らにとっても、それは尋常ではない速さだったようで、彼らの表情は驚愕で強張り、目は信じられないというように見開かれていた。



そしてビリーが飛び出した先に立つ目標は……青髪のフルプレートの大男。


低空を滑るように飛行する彼は……何だか奇妙なくらいに落ち着いた頭の中で一人呟く。



「(今……僕ができる最善。



出し惜しみはできない……今がチャンスだ!)」



高速で青髪へと接近するビリーの瞳に決意の炎が宿ると同時に……

彼の推進力となっている右拳の橙色の炎が……真紅に近い色の炎へ変化した。


ほとんど揺らめかずに彼の右拳にまとわり付く真紅の炎。


推進力を左手のみにした影響で、僅かに落ちるビリーのスピード。



「ッん!!」



その僅かな減速のおかげで青髪はかろうじて脚に力を込めることに成功する。


筋肉の収縮を利用し、背後へ飛び退くべく重心を後ろへ傾ける……



青髪が回避行動を取り始めたことをいち早く察したビリー。



「逃がさないッ!!」



叫ぶようにして放ったその言葉に比例するようにして、爆発的に出力を上げる左の拳の炎。


ロケットエンジンの如く噴射されるオレンジの炎……しかし……コントロールできなければ意味はない。それどころか、大きな隙を生んでしまう上に、この最大の好機を潰すことになってしまう。




だが……ビリーには確かな自信があった。




・・・・・



『ハァ…ハァ……。拓也君…ありがとう、助かったよ』



『…気にするな……とりあえず今日はその炎をコントロールすることを目標にしよう…』


・・・・・



『何するんだよ拓也君!!痛いじゃないかッ!!』



『うるせぇ!!こんだけ時間やったんだ、空を飛ぶくらい当然モノにしてるんだろうな!!?』


・・・・・



『ちょこまかと鬱陶しい羽虫がァァ!!!』



『うぇッ!!』



・・・・・



短い期間だったが、非人道的とも取れる拓也との特訓のおかげで炎を扱って空を飛びまわることに関して、彼は最早王国の中でも随一なのである。



ブレることなく真っ直ぐ……一発の弾丸のように青髪へ飛来するビリーは……真紅の炎を纏う右の拳を引き絞った。



目標との距離……後一メートル弱。




必殺の一撃……しかしこれはまだ名も無き技。作った本人である拓也が名付けていないのだ。



だから……ビリーはこの技を会得した後、妙に愛着が湧いてしまって自分なりこの一撃に名を付けてみることにした。



しかし付けると言っても、洒落た名前なんて彼には付けられなかったようだ。





技の名は単純明快。純粋な力。




「『強打』ッ!!」



真っ赤に燃えるビリーの拳が青髪のプレートの腹部に着弾したその刹那………




光沢を持つプレートがグニャリと歪み……ビリーの右の拳に圧縮されていた炎が一気に炸裂した。



「ッう゛!あぁ゛!!?」



凄まじい爆風と、金属を容易く融解させるほどの熱。


青髪は体が千切れそうになる衝撃に身を晒され低く唸った後、地面を削りながら遥か後方へ吹き飛ぶ。


同時に傍に立っていた赤髪も、踏ん張りきれずに吹き飛ばされ、近くの岩に叩き付けれられ、崩壊した岩の中に姿を消した。



ニヤリ…結界の中で拓也の口角が釣り上がる。



「スマッシュ……ねぇ。まぁ悪くないネーミングだ」



爆発の中心点……ビリーが立つ場所はその衝撃波と熱の凄まじさを物語るように、クレーターのように窪んでしまっている。



「まずは…一人!」



相手が油断している隙に、自身の最強の一撃を完璧なタイミングで叩き込む。


あの一撃の直撃を食らった青髪は恐らく戦闘不能。



ならば残るのは……崩壊した大岩の方を振り返るビリー。


それとほぼ同時に、赤髪を下敷きにしていた小石の山が爆竹のように爆散した。



弾け飛んだ岩の下には、オレンジの炎が蛇の舌のようにチロチロと見て取れる。


ビリーは真剣な表情を更に緩みの無いものにしてとりあえず相手の出方を伺うことにした。



「随分とナメたマネをしてくれるなぁクソガキが……」



真っ赤な髪を逆立たせ、顔には明確な怒りの表情。


肩に付いた細かい砂を叩き落としながら彼は大きく一歩を踏み出す。



ビリーは、自身に向かってゆっくりだが接近してくる彼を油断無く視界の中心に見据え、いつでも対応できるように腰を落として構えて同時に魔力を流す準備もしておく。



「……」



そして二人の距離が十メートル程に近づいたとき……状況は動き出す。



「【エクスプロージョン】ッ!!」



瞬時に腕を突き出して掌の前に魔法陣を詠唱破棄で構築する赤髪。



「ッ!」



選択されたのは爆破系の魔法。ビリーはすぐさま掌を地面へ向け、グローブの炎を前へ噴射して急速に上昇。


一感覚空けて大きめの火球が今までビリーの居た場所に着弾し、一気に膨れ上がって巨大な炎のドームを形成した。



「なんて威力だ……」



学生が使うものとは比にならないその威力。


ビリーは……今、自分が命のやり取りをしているのだということを改めて実感し、ゴクリと喉を鳴らす。



「チッ…あのガキ…ちょこまかと羽虫みてぇに飛び回りやがって……


【炎の弾丸】!!」



ギロリと上空のビリーを睨み付け、魔法陣を両掌の前に展開。


魔法名を唱えると……左の掌前に展開した炎の魔方陣から、無数の細かい火の玉が魔方陣の前に出現し……



それらが次々とビリーに向けて発射された。



「ッ!」



刹那、炎を横へ噴射して回避行動に入ったビリーの左頬に走る、まるで針で刺したかのような鋭い痛み。


威力はさほど高くないが……凄まじい速度に、回避しきれていなかったようだ。



同時に焼かれた傷口からは血は流れず、ズキズキとする痛みだけが肌に残る。



「(次の手は……ッ!!)」



回避しながら作戦を練り始めるビリー。しかし相手は、彼にそんなことをさせる隙を与えるものかといわんばかりに、炎の弾丸を打ち出し続ける。


そのせいで中々頭が回ってくれない。



「熱ッ!!」



なんとか頭を回転させようと、狭い弾丸の間を縫いながら思考をめぐらせようとするビリー。


しかし……ただでさえこれだけ濃い弾幕の中、それは得策ではなかった。


次々と着弾し始める炎の弾丸……それぞれの威力は高くないが、蓄積すればそれは立派なダメージとして体を蝕む。



この状況で自分が取れる最善……。



「それならッ!!」



難しいことができないのなら、簡単なことをすればいい。



ビリーは青髪へ接近したときにやったように、炎を最大出力に近い強さで横へ噴射した。



「ッなぁ!!?」



膨れ上がった膨大なオレンジの炎の推進力で、赤髪の視界からビリーの姿が残像のようにブレ、消える。


しかし赤髪はまだ冷静だった。



彼は炎を推進力に移動する。それならば、火の先が伸びた方向と、逆の方向が……



「【エクスプロージョン】ッ!!」



彼のいる方向。



視線をそちらへと向けるよりも先に右へ伸ばしきった手の先の魔方陣から放たれるバスケットボール程の大きさの火球。



そちらへ振り返ると同時に『ドォォォンッ!!』という爆音と共に形成される、炎と土煙の混ざった半球。


視界の中に、炎を撒き散らしながら鬱陶しく飛び回る羽虫の姿はどこにもない。



遅れて爆風と熱が全身に叩き付けられ……それらは赤髪に、勝利の確信を生ませるのだった。




「ヘッヘ…木っ端微塵かよ、つまんねぇな」



イヤらしい笑みを浮かべ、腰に片手を当てながら巻き上がる爆炎を眺める赤髪。


天高く上る炎を見上げる彼の顔には、勝利を確信した色が浮かぶ。



しかし……



「………ッ!」



その表情は長くは続かなかった。


次に彼の顔に浮かんだのは…一瞬疑念を抱いた表情。そしてその表情も次の瞬間には戦慄の色に変化する。



気が付けば……一刻も早くこの場を離れようと体が勝手に動いていた。



刹那……ゴッ!!という音と共に空を斬る真紅の炎を纏った、握りこぶしの形の黒いグローブ。



遅れて視界に入るのは……渾身の一撃がかわされたことが悔しいのか、苦い表情のビリー。




木っ端微塵に吹き飛んだと思っていた彼は……全くの無傷。



つまり彼が予測して火球を放って大爆発を起こし、吹き飛ばした地点には……既にビリーはいなかったことになる。



「野郎ぉッ!!」



読み違えた自分に苛立ったのか……赤髪はそう雄叫びを上げながら右の拳を握り、一撃を外して若干前傾になって隙が出来ていたビリーの鳩尾に叩き込んだ。



「うぐぅッ!!?」



凄まじい衝撃と、全身を麻痺させるような鈍い痛み。呼吸が止まりそうになるその一撃は、体が天高く打ち上がりそうになる程強烈。


思わずそんな悲鳴を小さく口から零したビリー。



内臓が口から飛び出そうな最悪の気分。



しかし……彼の闘志はこの程度では消えない。



何故なら………彼はこんなゴリゴリマッチョよりよっぽど恐ろしいパンチを繰り出してくる超人細マッチョを知っているからだ。



「これくらい……拓也君の突きの方が痛いんだよォォッ!!!」



腹部を抉る拳を両手で掴み、素早く自身の体を腕の力と体幹で持ち上げ赤髪の太い腕に、蛇のように素早く足を絡ませる。


そして更に一瞬だけ掌を外へ向け、勢い良く炎を噴射して自分もろとも赤髪を地面に仰向けに倒すと……



「おッれろぉぉぉ!!!」



「おおおぉぉぉ!!?!」



その体勢のまま全力で力を込め……赤髪の腕をへし折りに掛かった。




「離せェェこのガキッ!!!」



もちろん赤髪も無抵抗なわけがない。


肘と肩の関節を固められ骨が軋む痛みにジタバタともがき、開いている左の手で右の腕に絡みつくビリーを殴りつける。



しかし……彼は歯を食いしばりながらその抵抗に耐え、ただ力を込め続ける。



何度殴りつけても断固として離す様子のない彼。赤髪は……ギリリッとはを噛み締めると……。



「離せって言ってんだッよォ!!」



「なッ!!?」



体ごと無理やり右腕を浮かせる。


かなりの激痛が伴っているはずなのに、その行動を選択した彼は……



「ッらぁ死ねェッ!!」



右腕もろとも固い地面にビリーを叩き付けた。



「ッカ……ぁ?」



全身を襲う痛みと衝撃。


しかし彼はそれだけでは終わってくれない。



「【バーンナックル】ッ!!!」



素早く魔法を発動させ、左手に炎を纏わせ更にビリーを殴りつける。


その打撃は顔面には届かないが、必要に胴を打たれ続け、ビリーのスタミナは見る見るうちに削られて行く。


だが……腕に掛けられる力だけは一向に衰えない。



これでもダメか……内心で舌打ちをして腹を立てる赤髪は……あろうことか、固定された右腕を無理やり持ち上げ……また地面に叩きつけ始めた。


何度も…何度も……何度も。



「しつけぇガキだなァ畜生がよぉぉッ!!!」



こめかみにピキリと青筋を立てながら動物のように咆哮する赤髪。


しかし……彼の表情にも最早余裕はない。



格下だと見限っていた相手がここまでやるとは…夢にも思っていなかっただろう。


流れる冷や汗は……自身が敗北する恐怖故だろうか…?



そして打撃を打ち込まれ続け…地面に叩き付けられ続け……相当なダメージを追っているはずのビリーだったが……



彼の咆哮に対抗するように……余分な体力の消耗になるとも考えずに自分の意思を叫びに乗せた。



「絶対……絶対に離すもんかぁぁぁッ!!!」



その刹那…ミシミシ……ゴキッ……と、赤髪の腕に面する腕、脚、胴体が感じとる鈍い音。



「あああぁぁぁぁぁ!!!?!?」



間隙空けずに、先程のものとは比べ物にならない程に情けない赤髪の咆哮が荒野に木霊した。





その絶叫の後……ビキビキッ!と青筋を浮かび上がらせた赤髪は、左の拳を固く握り、右腕に巻きついているビリーに向かって振り下ろす。


勝利の為の小さな目標の達成で生まれた僅かな油断。



「うッ!?」



なんとか左腕一本で軌道は逸らし、致命傷は避けたが……防御に使った左腕の前腕が、赤髪の拳の炎に焼かれ、且つ殺しきれなかったダメージで痺れていた。


自分のそんな甘いところに苦い表情をしながら一端距離を取るビリー。



「大丈夫……折れてはいない……」



左腕をチラと一瞥すると…内出血を起こしているのか、普段はベージュの肌が青紫色に変色し、微妙に晴れ上がってはいるが……骨は折れていない。


小さくそう零すと……ユラリと立ち上がった赤髪の方へ視線を戻す。



「このガキ……高が腕一本へし折ったくらいで調子に乗るなよ……」



ビリーの視界の中心に映る赤髪の瞳に宿る闘志は……まだ消えていない。


それどころか……格下だと持っていたビリーにここまでやられたからか、今までより、より一層…強く燃やしていた。



ゴクリと喉を鳴らすビリー。



「負けるもんか……」



彼は自分を奮い立たせるように小さくそう呟くと……掌を後方へ向け、炎を噴射して一気に加速した。


あまりのその速度に、伸びるように視界が変化する。


そしてその中心のターゲットに辿りつくまでに一秒も掛からなかった。


右の拳を引き絞り……炎を推進力で生み出された前向きの運動エネルギーにプラスするように……最高のタイミングで拳を突き出す。


ゴッ!っと、空気を切るような音と共に、赤髪の腹部に拳が突き進む。



「ッ!」



しかしその拳が彼の腹を抉ることは無かった。


おまけにビリーのその拳に対する赤髪のお返しは……ビリーの顔面に突き刺さっていた。



「ぅ……あぁ……」



ボトボトと塊のように地面に落ち、赤い染みを作るビリーの血液。


血の匂いが充満する鼻腔と口の中。



純粋すぎる…あまりにも残酷な体格の違い…”リーチ”。






動きが止まる。刹那……一歩、踏み込む赤髪から放たれる左の拳。


砲弾の如き威力を持つその拳は……怯んだビリーの鳩尾にめり込んだ。



この短い間での二発。おまけに両方ともモロに食らった。



「ッハハ!もう終いかぁ!?」



ボキボキにへし折れた右腕の痛みも忘れ、眼前で俯くビリーを笑う赤髪。


しかし……彼は次の瞬間、ようやく異常に気が付く。



「………まだ…だ」



呻くようにそう呟く彼が……鳩尾を抉った左腕を掴んでいる。



瀕死の人間とは思えないほどの力が加わる左腕。赤髪は眼前のビリーのその表情を垣間見、思わず背筋が凍りつくような感覚に襲われ、慌てて握られている腕を振り解こうと力を込める。



しかし……自分より一回りも二回り細い腕なのに……まるで化け物に握られているかのように全く振り解ける気配がない。



その顔に、奇妙な笑みを浮かべるビリーは……右の拳に橙色の炎を灯し、俯いていた顔を少しだけ上げ、下から睨むように赤髪の顔を覗いて……橙の炎を小さく圧縮し……その色を真紅に変色させた。



「次は外さない」



そう呟いて右の拳を、矢のように後ろへギリギリ…と引き絞る。



照準が自分に向く圧倒的な恐怖。赤髪の顔から余裕は完全に消え去り、その代わりに浮かんだのは……恐怖。



ビリーに対する闘志は消え行く蝋燭のように小さくなり……早く逃げたいという思考で頭の中が埋め尽くされる。


我武者羅に腕を振るう…が、拘束は解けない。



そして……決着の一撃は放たれた。



「【強打】ッ!!」



プレートに着弾する……ビリーの必殺の一撃。


視認すらままならない速度の拳に搭載された弾頭は、着弾と同時に金属の鎧を触れた場所から瞬く間に融解。


ある程度進んだ後に……圧縮されたその火力を一気に炸裂させた。



巻き上がる土煙……響く轟音。


それらが全て消え失せた頃……爆発の中心点に立っていたのは……



茶髪の少年だった。



両手に装着したグローブには、ユラユラと小さく橙色の炎が揺れる。



そしてそれが徐々に小さくなって行き、やがて完全に消える頃……。



一度ふらっと体を揺らしたビリーは、バランスを崩し……尻餅を付いた。



「か……勝った…」



湧き上がる勝利の感覚。


そうポツリと呟いた彼は、目の前でうつ伏せに倒れこむ赤髪の姿をマジマジと見つめてホッと一息を吐く。



すると、少し離れた場所から彼より若干明るい茶髪を揺らす少女が真っ先に駆け寄ってきた。



「ビリー君!大丈夫!?」



肩で息をしながらそう問うセリー。


しかし……炎の弾丸の小さな火傷や打撲の痕。口の端には垂れた血の痕が微かに残り、左腕は青紫色に腫れあがっている。


全然大丈夫ではない。



セリーはその大きな瞳にジワッと涙を浮かべる。



「あ、う、うん!この程度全然大丈夫だから!」




ビリーはそんな彼女を宥めるように強がって腫れ上がった左腕を振ってみせる…が、やはり痛いものは痛い。


激痛に表情が歪み、それを見た彼女は更に泣きそうな表情になった。



動揺を隠せないビリー。こうなると痛みより、彼女を泣かせてしまうという申し訳ない気持ちが勝ってしまう。



すると次の瞬間……ビリーの体を淡い光が包んだ。



「ったく……あの程度のカス共相手にどんだけ手間取ってんだか……」




「あ、拓也君……ありがとう」



まるで時間を戻しているように、見る見るうちに塞がる傷。左腕の腫れもすぐに引き、痛みも取れる。


相変わらずの腕前になんとなく感心してしまうビリーだった。




手っ取り早くビリーの治療を終わらせた拓也は、辺りをぐるりと見回して、手から闇の細い糸を出現させ……それを赤髪と青髪に巻きつける。


そして軽く手で引っ張ると、彼の足元に簀巻きになった大男二人が引き寄せられた。



拓也は自分の足元で白目を剥く二人に視線を落とし、楽しそうに笑顔を浮かべると、ビリーに向かって口を開く。



「しかしまぁ……最初の一撃で一人退場させたのは良い判断だったな。


あれやってなきゃ袋叩きになって今頃お前死んでたぞ」



「…あ…アハハ……」



思わず乾いた笑いが出てしまう。


しかし…本当に判断を誤らなくてよかった…と、ビリーは心底思うのだった。



「ビリー君…体は大丈夫……なの?」



「うん、拓也君が治してくれたからね!もう全然痛くないよ」



「そっかぁ…よかった……。



それにしても……すっごいカッコよかったよビリー君!


ビュン!って飛んだりバン!ってぶっ飛ばしたり!」



若干興奮気味にそう語るセリー。


ジェスチャーを交えながら楽しそうに語る彼女に、ビリーは少し恥ずかしそうに髪を掻く。



「そ、そんなことないよ~」



「ううん!カッコよかった!」



若干天然の入っているセリー。ビリーが照れていることに気が付いていない…。


思ったことを素直に口に出し、ビリーを褒めちぎる。



みるみる赤くなるビリーを、周りは楽しそうに眺めていると……拓也が一歩踏み出し、彼に問い掛けた。



「さてビリー君。晴れて君も僕と同じくマフィアに狙われる身になったわけだが……今の心境をどうぞ」



彼の手から出る糸に縛られる大男たち。彼らのような刺客が、これからも自分の前に現れる。


確かに怖くないといえば嘘になる。



しかし………もう覚悟はできた。



「頑張って撃退するさ…」



「あ、そっすか。



ちなみにお前の周辺人物も命の危機に晒してるわけだから、その辺もしっかり護れよ」



「………あっ」



現実はそんなに甘くは無かった。





「ど、どうしよう…」



「頑張って護れ」



真っ青になって急におどおどし始めるビリー。その様子に、先程までの勇ましさなど欠片もない。


拓也はそんな様子の自分の弟子を鼻で笑うと……静かに呟いた。



「そのために強くなったんだろ?」



自分が強さを求めた理由。


自分の周りの人たちを巻き込んでしまった。それならば…護れば良い。ビリーは拳を握り込んで、拓也を見上げながら立ち上がった。



「……そうだね。


そのためにはもっと強くならなくちゃ……」



「………ハハッ、その意気だ。



じゃあ他の奴らは俺が空間魔法で送り届ける。ビリー、お前は走って帰って来い。もちろん魔力強化はなしな」



「……分かった」



いつものように文句を垂れることなく拓也が指を指したほうへ走り出すビリー。


徐々に小さくなって行く彼の背中。


それを眺める一同。



「ぐ…ククク……アッハッハッハ!!」



すると……突如拓也が吹き出した。


彼の奇行はいつものことだが、何故このタイミングでいきなり吹き出したのか……常人には理解ができないだろう。



「いきなり何なんですか……」



仕方なく…彼らを代表したミシェルが拓也にそう尋ねた。


すると彼は腹を抱えて笑いながら……彼女の問いに答える。



「ハァ…ハァ……あっち……王都と逆方向なのに……」



クズだ。この場にいる全員がそう思ったのは最早言うまでもないだろう…。



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