酒は飲んでも呑まれるな
5月某日。時刻は土曜の午後8時頃、干乾びたミイラのようになってビリーが帰宅していった後。
キッチンに立ち尽くす拓也は、非常に緊張した面持ちで一つのワインのボトルを凝視していた。
リビングには同じく緊張した面持ちのミシェルがソファーに腰掛けている。
「ミシェル…準備はいいか?」
「…はい……」
一体何が行われようと言うのか…ことの発端はつい先日…
『お酒の味は結構好きなんですけど…弱いから迂闊に飲めないんですよね』
と、ミシェルが拓也に零したのがきっかけ。他愛ない世間話の合間少し漏らしただけの彼女のその言葉を真剣に捉えた拓也は、考え抜いた末、現在に至る
そして彼らは今から何をしようとしているのか…それは簡単。ミシェルが飲める限界値を知るために、拓也の監視の下でミシェルが酒を飲み、彼が限界を見極めようとしているのだ
しかし…一歩間違えれば、両者共に自滅必至。だが彼女が自身の限界値を知っておかねば、悲劇は何度でも繰り返される。
故に拓也とミシェルは今回このような大胆な判断に踏み切ったのだ。
それに…拓也としても、お酒が好きならば、それがいくら少量でも楽しく飲んで欲しい。
「今日使うのはアルコール度数13度の赤ワイン。コップは一杯で200cc入るものを使うぞ」
「あ、あの…拓也さん。もし私が酔って手が付けられなくなったら…これ使ってください」
ボトルとコップを手にリビングへ向かい、テーブルを挟んだ彼女の向かい側に腰掛けた拓也
テーブルの上には他にもメモ帳やら検知器やらメカメカしい物まで準備されていた
きっと傍から見れば、怪しい実験か何かに見えることだろう。
するとミシェルは突然そう言い、自分の影からあるモノを取り出しテーブルの上に静かに置いた。
「ん、なにを………ミシェル、それどこで手に入れた?」
準備を進めながらチラとそちらを一瞥した拓也は…絶句した。
彼女がテーブルの上に並べたのは…手錠、玉口枷、荒縄、目隠し。
ピュアピュアな彼女が何故いきなりそんなハードなものを取り出したのか…あまりの衝撃で卒中しかける拓也だったが、何とか冷静さを取り戻し、入手先を問うた。
「え、えっと…何故か事情を知っていたアルスさんが貸してくれました」
「オッケー、とりあえずこれは絶対に使わないから仕舞っとこう。な?」
とりあえず次の月曜にこの魔道具をアルスに付き返すことを決意した拓也は、それらを素早くテーブルの上から排除する。
それにしてもアルス…いったいどこからそんな情報を仕入れているのか……本当に恐ろしい子だ。
「じゃあ始めようか!まずは一杯目」
コップに注がれるワイン。照明を受けた赤い液体は、木製のテーブルにユラユラとした赤い光を反射させた。
ミシェルは恐る恐る手にとって、コップの端にそっと口を付け、少しだけ口に含んでみる。
刹那、心地よく広がる芳醇な香り。
思わず顔が綻ぶミシェルだが、対面に腰掛けた彼を見て顔を引き攣らせた。
「あ、あの…そんなに見られると……緊張します」
「む…そう言われてもな…」
手それぞれメモ帳とペン。魔武器である銀の片眼鏡を左目に装着し、真剣な表情を浮かべる彼は困ったようにそう返し、しばらく何か考えるような仕草をする。
そして何を思いついたのか素早く魔力を練り上げると、突如としてその姿を消した。
「よし、これで大丈夫。続けてくれ」
「かえってやりづらいです」
光魔法で姿を消した拓也。しかしソファーの彼が座る部分は沈み込み、おまけにそこに居ることも分かってしまっている為ほとんど意味がなかった。
拓也は先程との真剣さはどこへ捨ててきたと聞きたくなる程にめんどくさそうな表情で魔法を解いて姿を表す。
「それなら仕方がない…寛ぎながら観察することにするぜ~」
ぐで~っとソファーに体を預け、片眼鏡を外してメモ帳とペンをテーブルに放り出した拓也。最初からそうすればよかったのではないかと思うミシェルだが、自分の為にこうしてわざわざ時間を割いてくれた彼にそんなことを言えるわけが無い。
なのでとりあえずもう一口ワインを飲んで、一息吐く。
テーブルに、メカメカしい機材と共に並べられたつまみの数々。
何を取ればいいものかと悩んだミシェルは、とりあえず生ハムのようなモノでチーズを包んだ料理を爪楊枝で刺し口に放り込んだ。
流石拓也と言うべきなのか……何を作っても大体美味しい。
目の前の、自分より料理の腕が優れている彼を眺め、彼女は女性としての威厳が削がれたような気分に陥るが、なんとか平然を保ち、たった今気が付いた彼の変化に驚いたように口を開いた。
「そういえば…拓也さんって少し身長伸びました?」
「ミシェルが縮んだんじゃね?」
「まだそんなに年は取ってないつもりですが…」
「う~ん…そうだな……なら図ってみるか」
ちょっとしたジョークでもすかさずジト目を向け、的確に返してくるミシェルに、拓也は感心すると共に少しだけゾクゾクしたのは秘密である。
それはともかく彼はそう発言した後、どこからともなくメジャーを取り出すと、何を始めるのかと奇怪な目で見守るミシェルをよそに床にメジャーを伸ばした。
そして…床に寝転がる。
ミシェルは思った。身長計でも出せばよかったのに…と。
「お~、ミシェルの言った通りじゃん!176cmになってる。2~3cm伸びたよ」
「……私は伸びてません」
「まぁまぁ、ミシェル160cmぴったしだろ?ちょうどいいんじゃない?
というか天界であれだけ鍛えたのに~って今更感がすごいんだけど……」
「確かに…100兆年そこに居たって言ってましたけど、別にヨボヨボのお爺さんじゃないですもんね」
「流石創造神、ホント何でもありだよ…というかあんな無茶ばっかして良く無事だったよ、俺」
会話の中に天界という言葉が出たからなのか、昔のことを思い出したかのような面持ちで床に視線を落す拓也。
言うまでもなくその表情は暗い。彼の天界奮闘記はラファエルから良く聞いているので、ミシェルは同情するような哀れみの目を彼に向けた。
そうこうしているうちにミシェルは一杯目を飲み終わった。
若干、気分がいい感じになってきた。しかし彼女がいい気分になっていく程に、拓也の緊張は増して行く。
「じゃ、じゃあ二杯目行ってみようか。無理そうだったらすぐに言うんだぞ!?」
「…はい」
上気した頬。ミシェルはとろんとした目でそう口にし、肯定するが…拓也の緊張は解れない。
「拓也さん…拓也さんは飲まないんですか?」
「う、うん…俺はいいや」
「…そうですか……」
拓也が自分は飲まないと断ると、ミシェルは少しだけ不満そうに頬を膨れさせ、チーズをつまみながらまた一口。
強引になってないところを見ると、まだ理性は残っているようなので恐らく呑まれてはいないようだ。
すると彼女は何を思ったのかコップを握ったままいきなり立ち上がると、比較的しっかりとした足取りで拓也の腰掛けるソファーまで歩みを進める、眼前で戸惑ったように苦笑いと疑問符を浮かべる彼を見下ろす。
「え、えっと…どうしたミシェル?もうダメそう?」
「…………」
そして彼女は無言のまま、戸惑う彼の隣に腰を下ろした。
最早彼女が何をしたいのかがわからない。拓也は頭の上に更に疑問符を増やすと、隣でまたグラスを傾ける彼女に素直に尋ねてみることにした。
「ミシェル…なんで隣に?」
「…イヤですか?」
「いや別に……もう酔ってる?」
「…………少しだけ。それより…このつまみ美味しいですよ。飲めなくても…拓也さんも食べませんか?」
彼女はコップを傾け、酒を飲みながら拓也の口の前に生ハムのようなモノを爪楊枝に刺して持って行き、食べるように催促する。
少々荒いが、あーんの要領で差し出されたそれ。普段彼女がそんなことをしてくれることは滅多に…というか今までそんなことをされた記憶は無い。
故になんだか緊張するが、全然イヤではなく寧ろ嬉しいので、ニヤケそうになる表情を必死に抑えながら、彼女が差し出したそれを直接口で受け取った。
単品で食べても結構美味いと自画自賛して舌鼓を打つ拓也の隣で、ミシェルはつまみと共にさらに飲み進め…あっという間にコップの中を減らして行き、遂に二杯目の最後の一口をコップを思い切り傾け、呷るように飲み干す。
すると彼女は三杯目を注ごうとはせずコップをテーブルの上に置くと、自分からして右隣の彼の肩に頭を預けるようにしてもたれ掛かった。
「……これ以上は…マズそうです。結構酔いました」
「うん、知ってる」
拓也が分かっているようにそう発言する理由は、普段の彼女なら甘えてくるようなことはまずしてこないからだろう。
内心かなりドキドキしている拓也だが、今自分が取り乱すわけには行かないので、何とか平然を装いつつもたれ掛かる隣の彼女を自分の肩と側面で支える。
「とりあえず今は赤ワイン13度を400ccが限界みたいだな。お疲れさん」
「すみません…折角手伝ってもらったのに…少ししか…飲めなくて…」
「別に気にすんな、今回は別にたくさん飲めるようにすることが目的じゃないんだし」
肩にもたれ掛かって目を瞑りながら呟くように小さく謝罪した彼女に、拓也は軽く笑い掛けて肩を枕のようにしている彼女の頭をそっと撫でる。
ぴったりとくっつきながら大人しく撫でられる彼女に、拓也はなんだか少しほっこりした気分になった。
普段彼女の頭を撫でる機会といえば、セクハラまがいの言動をしてから。故に…頭に触れてからコンマ数秒で強烈な肘打ちかショートアッパー。リバーブロー、もしくは魔法類で反撃される。まぁ悪いのは彼なのだが…。
すると彼女は気持ちよさそうに薄く目を開き、自分の頭の上に置かれる彼の手に触れると、興味深そうに呟く。
「手、大きいですね」
「そう?まぁミシェルよりは大きいか」
「それに…やっぱり凄くゴツゴツしてます」
「あぁ、まぁそれは仕方ないわな」
見やすいように彼女の前に手を降ろした拓也。彼女はその手を触りながら笑みを浮かべた。
一日たりとも休まず剣を振るい続け、肉刺が何度も出来ては潰れ…それを何百、何千、何万回…繰り返し、すっかり硬くなった皮膚。
若干、恐ろしくも見えるその手…
「私はこの手、大好きですよ」
しかし…ミシェルは、いつも自分を護ってくれるこの逞しい手が…大好きだった。
「え、ミシェルって手フェチなの?」
そしてそこそこ良かった雰囲気を見事にブレイク。これにはミシェルもイラッとしてジト目で隣の彼を睨むように見つめる。
が、彼はそれを予期していたので軽く顔を逸らすことでその視線を回避した。
いつもながらの彼のそんな言動に、彼女は小さく溜息を付く。
「手フェチじゃないです」
「あぁそっか、匂いフェチだったな」
「…」
間隙開けない素晴らしい速度での返し。確かに彼女はこれまでにも何回かそのような傾向があるような発言をしたことがあった。それは彼女も薄っすらと覚えている。
しかし、だからといってこの雰囲気の中でそれは無いだろう…しかも二度も続けて。
なんだか腹が立ったミシェルは、とりあえず彼の鳩尾にいつものように肘を鋭く減り込ませた。
だが酔っているせいか、結構良い手応えだと思う自分の感覚とは異なって、普段通りの威力は実現できていなかったようだ。
腹立たしいことに、彼はヘラヘラと笑っている。
「まぁまぁそう怒んないで」
「……分かってるなら一々そう言うこと言わないでくださいよ」
「ハハハ、俺っちシャイなもんで」
そう、彼も彼女とこうしてぴったりとくっついている状態は、結構緊張するし、恥ずかしいのだ。
別に彼女をおちょくる為にやっているのではなく、言ってみればただの照れ隠し。
彼女も彼のそんな部分はちゃんと理解している。だが理解していても、妥協するつもりは無い。彼が積極的でないなら、自分が積極的になれば良い。
ミシェルは自分の中である種の決意をすると、酒の影響とは別に頬を少しだけ紅く染めながらソファーの上をゴソゴソと移動し、股を広げて深く座る彼の脚の間に腰を下ろした。
そして彼の体の前面に自分の背中を預けてもたれ掛かる。
「ちょうど良い椅子ですね」
虚勢でも張るようにツンとした口調でそう口にするミシェル。
酒が入っているということが口実になると踏んで、行動に踏み切った彼女だったが…いざやってみると、恐ろしく恥ずかしい。
真っ赤になった顔が彼に見えないように彼女は少し俯いた。
「ヤダ…ミシェルちゃんったら大胆」
そして…相変わらずのニヤケ面でそう返す拓也。
平然を装っている彼だが、内心は色々と大変なことになっているのは言うまでもないだろう。
しかしはずかしいのは当然彼ばかりではない。大胆に行動に踏みきったまでは良かったのだが、彼の温もりや匂いが直に伝わるこの体勢は相当はずかしい。
背を向けているため顔は見られていないことが幸だろう。
しかし…確かに照れくさくはずかしいが……同時に、心の中を満たす幸福感。
そんな満たされた気分にゆったりと浸りながらミシェルは頬を染め、微笑を浮かべて背中を預ける彼に聞こえるようにだが、ごく小さく呟いた。
「………たまには…甘えても良いじゃないですか」
非常に珍しい彼女のそんな言葉。拓也も思わず耳を疑ったが聞き間違いではない。
だが次の瞬間には彼の表情は驚きのそれから、綻んだ嬉しそうなものに変化していた。
そして彼女のその言葉に答えるように、フリーにしていた両腕を彼女のお腹に回して軽く抱きしめる。
「あぁ…たまにと言わず、いつでも甘えてくれていいよ」
超ヘタレの彼が起こしたそんな行動に、ミシェルは驚きを隠せずに思わず目を見開いて軽く振り返った。
彼女の視界の隅に映るのは…いつものニヤケではなく、非常に穏やかで柔らかな笑みを浮かべる彼。
ー…やっべぇ!ミシェルの髪からシャンプーの良い香りが!!うおおおおおお待てぇぇ俺のジュニアァァァッ!!まだ”時”ではないぞぉぉぉぉッ!!!…ー
しかし…残念なことに一見釈迦のような表情の大半は、身の内で荒ぶるナニカを抑える為である。
すると彼女はそんな穏やか(大嘘)な表情から、彼も自分と同じように安らいでいるのだろうと感じ、そのまま首を戻して前を向くと、冗談めかして少しだけ怒ったように口を開いた。
「でも…拓也さんがいつも余計なこと言うから…その……あ、甘えられないんですよ?分かってます?」
「ハハハ、俺っちシャイだからね」
「………」
「分かった分かった。これからは善処するよ」
無言の圧力に負けた彼が諦めたようにそう言うと、ミシェルは満足そうに頷きながらその顔に笑顔を浮かべるのだった。
すると彼女はお酒も入っていることもあって、大方眠気が襲ってきたのだろう。
彼女は優しく抱き締められたまま、スヤスヤと可愛らしく寝息を立て始めた。
ニコリと穏やかな笑みを浮かべる拓也は…
呆れたような視線をキッチンに立つ彼女に向けた。
「あらあら、寝ちゃいましたねぇ」
「そうだなぁ…って言いたい所なんだけどまず言わせろ。どこから入ってきた」
「うふふ~」
笑いながらリビングへ歩みを進める彼女…四大天使の一人のラファエル。
彼女が片手に構えるカメラを見つけて、パパラッチめ…と内心で毒づく拓也だが、それを口にすることはしない。
身動きが自由に取れない今、挑発するようなことを言えば何をされるか分かったものではないからである。
「笑って誤魔化すなよ。で、何の用だ?」
「ラブコメの波動を感じたので写真に収めに来ました」
ニコニコときれいな笑みを浮かべながらパシャリ。
とりあえず一眼レフはこの世界ではオーバーテクノロジーなので持ち込んでくれるなと言ってやりたい。
しかし彼女の勢いはまだ留まる所を知らない。
次に彼女が目を付けたのは彼らのその体勢。ニヤニヤと楽しそうに笑みを浮かべると、ワザとらしく体を捻って口元を手で隠す。
「なんです?その体勢…背面○位ですか?」
「…ミシェルが寝てて本当に良かった。
というかセラフィムの奴はどうした、いつもならあいつが先に来てお前が遅れてくるのに……」
「あぁ…セラフィムさんでしたら、ガブリエルの監視の下大量に溜まった書類を片付けてますよ」
彼女の口調では、仕事を監視されているとしか聞こえないが、実際はおそらく石抱きのようなことをさせられているに違いがない。というか絶対させられている。
以前セラフィムの脛に付いていた鉄格子のような生々しい傷のことを忘れていない拓也は間違いないとそう確信し、彼の無事を心の底から祈るのだった。
すると彼女は咳払いを一つ吐き軽かった雰囲気を払拭すると、今までとは一変した真剣な表情を覗かせた。
「まぁ冗談はさておき…最近、向こうに動きはありますか?」
「………知ってると思うが襲撃は無い。偵察は、頻度こそ減ったがたまに来るぞ」
「そうですか………申し訳ないのですがこちらも新しい情報はありません」
いきなり真剣な話になって戸惑った拓也だがすぐさま適応し、若干声のトーンを下げてそう返すと、ラファエルも自分が出来る報告を述べる。
最近は随分と減った天使の偵察。
きっかけはあの事件…オーディンとの戦いで拓也が勝利を収めた事。
おまけに拓也が、まだ余力があるように演技したおかげで相手も下手なことは出来ないのだろう。その証拠に神が直々に襲撃してくるということはあの事件以来一切無いのだ。
だが…拓也は深刻そうに目を伏せると、今後の策について思考を巡らせて…深く溜息を吐いた。
「やれやれ……ど~すっかねぇ」
しかし…実際の実力はごく僅差で、なんとか拓也が粘り勝っただけ。次に大規模な襲撃があれば、前回よ遥かに多くの戦力でやって来ることは間違いない。
そうなれば…勝算は……非常に低い。
渋い顔をする拓也を見たラファエルは、彼の心情を悟ったのか申し訳なさそうに口を開いた。
「すみません、拓也さんばかりに重圧を掛けてしまって…」
四大天使と言っても単独で神相手に勝利を収めることは難しい。
それこそ『熾天使』メタトロン…もといセラフィムが本来の自分のスペックで、低級神と辛うじて互角。”レーヴァテイン”を持ってようやく単独相手に勝利でき、複数を相手にもそこそこ戦える戦闘力。
天使の最高位ですらこうなのだから、彼以外の天使では神に勝つことすら難しいのは言うまでも無い。
「まぁこればかりはしょうがない。俺ももっとがんばるからそんな気にすんな」
別に強がりではない。実際、前回より強力で大量の敵が押し寄せて来ても…対処する方法が無いわけではないのだから。
「ぅ…ん?」
すると…彼らの会話が少しうるさかったのか、拓也に持たれて寝息を立てていたミシェルが目を擦り、重たい瞼を開いた。
「眠っちゃってましたか……あ、ラファエルさん」
「こんばんは、お邪魔してます」
視界に映ったのは、いつの間にか来訪したと思われるラファエル。
いつものように綺麗な彼女。そんな彼女の口からR-18な発言が飛び出すなどミシェルは夢にも思わないだろうと内心で思った拓也は、軽く笑いを漏らす。
その次の瞬間…ミシェルの動きがピタリと止まる。
しかしそれも一瞬。次の瞬間彼女は自分が今、どういう体勢なのかをすばやく確認すると、慌ててソファーから飛び上がった。
「こ、これはその…っ!」
ラファエルは彼女のそのある意味奇妙な行動の理由すぐに理解した。
多分くっついてイチャイチャしている所と見られて相当恥ずかしいのだろう…と。
おまけに彼女は顔を真っ赤に上気させることで、自分でラファエルのその仮説の裏付けを作ってしまっていた。
「別に恥ずかしがることは無いですよ。拓也さんとミシェルさんは恋人同士なんですからその程度のスキンシップがあっても全然いいと思います。
………ただ個人的にもっとディープなモノを期待したい…」
最初は擁護だった彼女の発言も、ニヤニヤとイヤラシイ笑みを浮かべて最後にボソッと呟いたその言葉で全部台無し。
いい加減黙って欲しい拓也だったが、恐らく言っても聞かないどころか逆に面白がって火に油…どころか火にガソリンをぶちまけるに等しい被害が容易に想像できるため、あえて何も発言はせず、ふだんのミシェルが自分にするような冷たい視線を、妄想がノンストップで自分の世界へトリップしてしまった残念な天使に向けておいた。
・・・・・
翌日日曜、時刻は昼食を終えた午後1時。
いつものようにランニングや筋トレ、ストレッチなどの基礎トレーニングを終えたビリーは、拓也を相手に素手での組み手をしていた。
相変わらず身のこなしが軽い彼はビリーの攻撃などまるで止まっていると嘲笑うように余裕で回避し続け、生まれた大きな隙を見逃さず鋭いローキックを放つ。
「ぅぐッ!?」
彼が狙ったのは左足の脛。じわじわと鈍い痛みが襲い、ビリーは小さく呻いたが、ただ痛かっただけで普段のトレーニングの成果もあってか大したダメージではなかった。
すぐさま体勢を立て直し、目の前でステップを踏む拓也に飛び掛る。
「へぇ…中々いい動きするようになってきたじゃんか」
「そ、そうかな…」
「隙有りッ!!」
珍しく彼に褒められたことで気を緩め、笑みを浮かべたビリーにバカめ!と言わんばかりに放たれる鋭いローキック。
狙いは……左足の脛。
先程の蹴りの痛みもまだ引いていない内に、新たな鈍い痛みが脛を襲う。
拓也がバックステップを踏んで距離を取ると、ビリーは少し怒ったように声を荒げた。
「ひ、卑怯だぞッ!!」
皆さんにも十分に理解していただけると思うだろうが、脛は蹴られると…非常に痛い。
階段でズルッと足を滑らせてその角でそこを打とうものなら、次の瞬間襲い来るであろう激痛を予期して恐怖と諦めが入り混じった感情で頭の中が溢れ返る程だ…
「おいおいおい、その発言はナンセンスだな。
戦いに卑怯もクソもねぇんだよ。勝利こそが全てやでぇ…」
それを分かって彼は意図的に攻撃したのだろう。その顔に貼り付けられているニヤケ面が証拠だ。
「そうかい…じゃあ僕だってッ!!」
若干イライラしてきたビリー。とりあえず一発でも当てて気を晴らそうと再び距離を詰めて突きや蹴りを組み合わせて拓也に襲い掛かる…が、やはり攻撃は当たらない。
そうしているうちに、無意識のうちに大振りになった彼の拳の一撃を拓也は軽く回避すると…もう一度、閃光の如き鋭いローキックを放った。
「痛ってェェッ!!!」
狙いは……もちろん左足の脛。
「もぉぉ!!いい加減にしてよッ!!」
繰り返される地味な攻撃に流石に怒ったビリーは攻撃の手は止めずに声を荒げた。
すると、彼のその発言に溜息を吐いて見せる拓也。
次の瞬間、ビリーが突き出す手を掴むと、その腕を思い切り引っ張って彼の体を手繰り寄せ、鳩尾に強烈な膝蹴りを放った。
「…う゛ぅ…」
強烈な吐き気に思わず前のめりに倒れそうになるビリー。その刹那、そんな彼の脇腹に凄まじい衝撃が走る。
踏ん張ることもままならずそのまま横へ吹っ飛ぶビリー。
「戦闘中に喋るとは随分と余裕だな」
彼の脇腹を蹴り飛ばした拓也は、割と真剣な表情を垣間見せてそう呟く。
彼は、腹を押さえて地面に蹲るビリーの下まで歩を進めると、軽く屈んで彼の顔を覗き込んだ。
「いいか?組み手の最中は俺のことを敵だと思って…殺す気で掛かって来い」
「そ、そんな…殺す気でなんて…」
「確かにお前はまだ生死を賭けた戦いを経験して無いからな…」
顔を伏せるビリー。
まぁ、いきなり友人にそんな事を言われれば当然の反応だろう。
そんな彼に、拓也は表情では笑いつつも、黒い瞳の奥には真剣な光を宿して口を開く。
「お前が強さを求める理由は…いつか出来る大切な人を護りたいから。違うか?」
「……違わないよ」
その会話は彼のよく覚えている。
技の修行に入る前、彼に問われた質問にそう返したのだ。
すると拓也は彼のその返答を聞くと、立ち上がって彼に背を向け、腕を組みながら落ち着いた様子で彼に問い掛ける。
「それならいつか…敵と大切な人との間に立って戦うときがあるかもしれない。
その状況で…敵の前に立ち塞がった自分が死ぬということが何を意味するか…分かってる?」
ちらりと覗く彼の表情は、ビリーが滅多に目にする事が無い、ふざけなどが一切混じっていない真剣なものだった。
ビリーは思考を巡らす。が、その問いの答えは別段難しいものではなかった。
非常に単純明快。
「……大切な人を…」
「分かったな。
難しいと思うが…護る為…後悔しない為に、もっと強く…殺す気で打って来い。
実戦での甘さは命取りだ」
神などという強大な敵と戦う彼。言われてみれば、戦っている時の彼は普段とは全くの別人と思えるほどに雰囲気がガラッと変わる。
それは…きっと彼が譲れないモノを護る為、己の中の甘さを捨てた姿なのだろう。
ビリーは深く頷きながら地面に手をついて立ち上がると…
「分かったよ、言われた通り…殺す気で行くからね?」
最初に習った強力で鋭い突きを、自らの師でありこれを教えてくれた拓也の顔のど真ん中に、一切の容赦無く思い切り放った。
しかし…案の定、軽く拳を掴まれ止められてしまう。
拓也は彼のその決意の篭ったその言葉から、先程とは比べ物にならないほど強い意思を感じとり、楽しそうにニヤリと笑みを浮かべると……
お返しと言わんばかりに彼の顔面に、自分の拳を叩き込んだ。
「それと…これから俺はお前にも結構強烈なの打ち込んでくから。光魔法で治療すれば何とでもなるし。
お前も俺を殺す気で打って来るんだから…お互い様だよね~」
「…あぁ……そうだねッ!!」
思わずよろめいたビリーだったが、何とか踏み止まると…眼前の拓也を打ち倒さんと飛び掛った。
・・・・・
時間は流れ、午後三時。
「…ビリーさん…無事だと良いんですが……」
家の中で魔法の勉強をしていたミシェルは、なにやら先程まで爆発や叫び声でうるさかった庭の方が急に静かになったのを不気味に思い、玄関へ向かって廊下を歩いていた。
活字を読みすぎたせいか、若干疲れた目頭を押さえ、玄関に到着した彼女は靴に履き替え、玄関を開け…
…目の前に広がったバイオレンスな光景に唖然とした。
「馬と羊が~♪
衝突した~♪」
可愛らしい(笑)裏声で何やら楽しそうに歌う拓也。若干…いや、かなり気持ち悪いと思ったミシェルだったが、まぁ…そこまでは普段の奇行の範疇。
しかし問題は、その彼が…白目を向いたクラスメイトに馬乗りになり、且つノリノリでリズムに乗って拳を振り下ろしているという所。
最早、邪教の儀式的なモノにしか見えない。
・・・・・
翌日月曜。久しぶりに皆で街へ繰り出そうという事になった一同は、まだ人がごった返しているであろうエルサイド通りは避け、そこから数本外れた道を歩いていた。
しかし別にここも人が少ないわけではなく、展開された店などでそれなりの活気がある。
ちなみにビリーは修行の為、シャツの下に3倍だァァ!!Tシャツを着させられているのは言うまでも無い。
だが彼も一度これを着てだいぶ耐性が出来たのか、苦しそうに表情を歪めながらも足並みを乱さず皆に付いて来ていた。
「ねぇねぇ!何する何する!?」
「僕は何でもいいよ」
「まぁジェシカのことですし…どうせ甘いものが食べられるところへ連れて行くつもりでしょう」
「えっへへ~!当たりだよ!!」
相変わらず太陽のような笑顔を浮かべ、無駄に大きい動作で先頭を歩くジェシカ。
予想通り過ぎる彼女のその思考に、ミシェルは少しだけ呆れたように溜息を吐いたが、そんな彼女も彼女で楽しそうである。
すると…集団の一番後ろを並んで歩く一組の男女。その内の男…黒髪のフツメンが、隣の金髪ロングの巨乳美少女にそっと小さく問い掛けた。
「なぁメル。巨乳の人は乳輪も大きいってホント?」
「………なッ!!?」
「ヘブライッ!!?!?」
一瞬、その質問があまりにも下品なものだった為、顔を真っ赤に染めたメルだったが、次の瞬間には驚愕に声を上げながらも的確に彼の顔面に裏拳を叩き込む辺り…流石エルサイド国の王女である。
神速のその一撃を回避できず直撃してしまった拓也は、強打された鼻から血をダラダラと流しながらも、してやったりと笑みを浮かべた。
「その反応…やはりそうみたいだなッ!!
そしておまえ自身が巨乳である…即ち……お前の乳輪も大k…」
「うるさいですわッ!!」
「エッゲェッ!!」
思い切り下ネタを展開し、メルまで巻き込もうとそう口にしようとした拓也だったが…すぐさま彼が何を言おうとしているのかを察したメルは、左足をダン!と地面に思い切り踏み込んで沈み込み、十分に力を溜めると、強力なリバーブローを彼の肝臓辺りに全力で打ち込み、暴露を阻止することに成功した。
「アカンて……リバーブローはアカンて……」
「あなたがそんなことを言うのが悪いんでしょうッ!!」
膝を折って吐きそうなる拓也を眼下に、胸元を手で覆って隠しながら、赤面しつつもキッと睨み付けるメル。
それにしても街頭で暴力沙汰が起こったのに誰も見向きをしない…さすがステルス王女、どうやら彼女は自分と関わった人間の影も薄くするという特異能力も持っているようだ。
「……皆さんは?」
「うん、お前が俺に強烈なのお見舞いしてくれてた間に、止まった気が付かず先に行っちゃったね。
流石ステルス王女」
どうやら一緒に行動していたジェシカたちですら彼らが揉めていることに気が付かず、先に行ってしまったようだ。
その証拠に、辺りを見回しても彼女たちの姿は見えない。
「ど、どうしましょう…!?」
「どうするも何も…探すしかないよねぇ」
拓也は含みのある不気味な笑みを顔に貼り付け、周りに自分たちが注視されていないことを確認すると…
「ちょ、ちょっと!何をするのですか!!」
「うるせぇ、じっとしてろ」
メルの襟を引っ掴んで、空間魔法を発動させその場から姿を消した。
・・・・・
「ッキャア!」
「…っと」
着地に失敗して軽く尻餅をつくメル。拓也はその隣にスタッと軽く着地した。
景色からして…飛んだ先は、何やら先程まで通っていた通りの脇に立ち並ぶ店や民家の屋根の上。
なぜ彼がいきなりこんなことを始めたのか…疑問符を浮かべて首を傾げるメル。
「おー、予想通り」
すると拓也はいきなりそんな声を上げながら、地上のある一転へ視線を送った。
メルもその視線の先を辿る。
「君たちどこ行くの~?暇なら一緒に遊ばない?」
「もちろん女の子たちだけでいいよ~」
ジェシカたちが、チャラチャラした男二人に絡まれていた。
「あ、あなたは一体何を考えているのですか!?早く助けませんと…」
取り乱してそう発言したメルは、今すぐ彼女らに加勢しようと屋根の縁に手を掛ける。
しかし拓也がそれを手で制し、止めた。
「まぁ待て」
反論しようと隣へ振り向くメルだったが…彼のその表情から、彼が何の考えも無くこんなことをしているのではないと悟って、開きかけた口を噤んだ。
彼が何故止めるのか…理由はよく分からないが、きっと彼のことだ。先程の『予想通り』という発言から読み取れるように、あちらがああなる状況を意図的に作り出したことにも何か考えがあるのだろう。
それにあちらの面々も中々に豪華な面子だ。
アルスは自然な動きでジェシカたち女性陣を素早く自分の後ろへ控えさせ、二人の男を相手に一歩も引かずいつもながらのニッコリとした笑みを浮かべ、ビリーも少し表情が強張ってはいるが、使命感が沸いたのだろう。
アルスと共に前へ出て、自らが盾となることを選んでいた。
そして…
「うわ…やっべぇ、ミシェルがイライラしてる…」
「ですわ…」
彼らの後ろで、無意識のうちに尋常ではないレベルのプレッシャーを放っているミシェル。
普段の経験から拓也は、彼女を怒らせるとどれだけ恐ろしいことになるかを重々承知している為、あそこまで露骨にキレかけている彼女を前にしても気が付かずヘラヘラと笑っている心底おめでたい頭の彼らを鼻で笑った。
笑っている。笑ってはいるが…どこか真剣味を感じる彼の横顔。
「あなた…何か企んでいますわね?」
すると笑みは浮かべたままだが、拓也は少しだけ声のトーンを落とすと、隣の彼女がしてきた問いに返答した。
「お前の予想通り…俺だって別にただ面白そうだからってこんなことしてる訳じゃない。
というかそんなこと巻き込む皆に申し訳なくて出来ん。だが…そろそろ経験しておいたほうが良いと思うんだ」
「……ビリーさんのことですの?」
「…敵意を持った者を前にすると…思いの外緊張で足が竦む。
こういうのは場数だから…早いうちに克服しといた方が良いからな」
彼が否定しないということは、たぶん彼女の質問の答えはイエスなのだろう。
しかし、彼女の中でもう一つの疑問が浮かんだ。
メルはそれを隠すでもなく首を傾げると、隣の彼に尋ねてみる。
「では何故私はあなたと一緒にここにいるのでしょう?」
「俺が離脱したのは…アイツは俺が天界で修行してたことも知ってるから、俺が傍にいたら万が一の時は保険があると心の隅で思っちゃうから。
お前を連れてきたのは頭数を減らす為。学生でもあんまりゾロゾロいたら声掛けないだろ?」
まぁ…保険と言うと、ミシェルも該当してしまう気がするがこの際気にしてはいけない。
「すまない、僕たちは暇じゃないんだ。先を急ぐから失礼するよ」
「別に男は行ってもいいよ、用があるのは女の子たちだけだから」
「ハハ、聞こえていなかったのかい?”僕たち”は暇じゃないと言ったんだ、彼女たちも含まれているに決まっているじゃないか」
ニッコリとした笑顔を貼り付けながら、睨み付けてくる明るい茶髪の男と言葉を交わすアルス。
数回言葉のやり取りをしただけなのに、口論での勝敗は既に見えている。
するともう一人の金髪の男が、ビリーの脇を抜け、ビリーの背後に控えていたセリーに声を賭けた。
「君、超タイプだわ!一緒においでよ」
「……!」
すると、彼女の返答も待たずに彼は彼女に手を伸ばした。
それを視認したミシェルはすぐさま魔力を練り上げ光の魔方陣を展開。金髪の顔面に照準を定めるが…それが放たれることは無かった。
「や、止めなよ!嫌がってるだろ!?」
何故なら…セリーに伸ばされた手は、ビリーが掴んでいたからである。
セリーが驚いたような視線をビリーに向ける。
そんな彼、ビリーは、やはり行動を起こすのには緊張したのか、顔は強張り声も少し上ずっている。おまけに拓也に着させられているTシャツの影響もあって上手く力のコントロールが出来ない。
彼に邪魔をされた金髪は、眉を顰めてあからさまに彼を威嚇しながら口を開いた。
「は?なにおまッ痛ってぇ!ば、離せよ!!」
しかしそんな高圧的な態度も一瞬。力のコントロールが上手くできなかったせいで、ビリーはうっかり結構本気で握ってしまっていたようだ。
手首がメシメシと圧迫されて行く痛みに耐えられなかった金髪は、情けない声を上げて逆の手を振り回し、何とかビリーの拘束から逃れると、キッと彼を睨み付けて、アルスと対峙する茶髪の仲間と軽く目配せをする。
「気が変わった、女の子の前に…まずはお前をぶっ殺す」
金髪はそう発言すると、ビリーの手首を掴んで引っ張った。戸惑うビリー。しかしすぐ後ろには茶髪の男。
ビリーはそのまま裏路地の方へ引きずられて行ってしまうのだった。
セリーは取り乱しながら隣のミシェルに縋った。
「た、大変だよ!ビリー君が!!ミシェルちゃん、助けてあげられないかな!?」
「いえ、少し待ってください。何か変です」
「あぁ、ミシェルさんもやっぱりそう思うかい?」
すると、ミシェルとアルスは何かの状況がおかしいことに感付いたようである。
セリーは、自分を護ろうとして裏路地に拉致されたビリーのことが心配で取り乱し、それどころではないが、そんな彼女の肩をジェシカが軽く叩いた。
「大丈夫大丈夫!ビリーってたっくんに鍛えられてるんでしょ?」
「そうだけど…」
「それなら大丈夫だよ!だってたっくんが『アイツは耐久力は結構高い。なんせ俺の鳩尾、肝臓、顎のコンビネーションブローを食らっても何とか立ってた』って言ってたし!」
「それって大丈夫なのかな…」
そして流石ジェシカ。全然フォローになっていない。
彼女の発言に戸惑いながら返すセリー。その顔には心配そうな表情が浮かんでいた。
するとそんな中、何かに感付いていたミシェルとアルスはある結論を導き出す。
「間違いなく拓也さんの仕業ですね」
「そうだね。さっきから拓也の姿が見えないし、何よりこの状況でも助けに来なかった。そしてビリーは拓也の弟子だし…」
「仕業とは人聞きの悪い…確かに皆を巻き込んだのは謝るけどさ…」
いきなり背後から聞こえる聞き覚えのある声。
慌てて振り返ったセリーの視界に映ったのは、いつもながらににやけて呑気な表情の拓也とその後ろに立つメル。
大方予想していた他の面々も彼を視界に収めると、視線だけで状況の説明を彼に求める。
拓也は少し口角を吊り上げると、先程メルにしたように、この場の全員に状況の説明をした。
「え、じゃああの人たちは鬼灯君が仕向けたんじゃないの?」
「うん、あれは野生の不良だぞ」
セリーは彼にそう尋ね、答えを聞いて驚愕した。
あれが彼の差し金ではないのなら、それに連れられて裏路地へ向かったビリーは普通に喧嘩を売られたという事。
しかも二対一。幾ら修行の一環だとしても、数的不利である以上恐らく危ないだろう。
「ビリー君…大丈夫かな…」
心配で表情を歪めるセリー。すると拓也はそんな彼女の表情から心境を読み取ったのか、その不安を払拭するようにニコリと笑みを浮かべると、裏路地の方へ歩を進めながら口を開いた。
「もう勝負が付いたみたいだな、行こうか」
不適に笑いながら先頭を行く拓也の後を追う一同。
薄暗い裏路地に入り、奥の曲がり角を曲がり完全に通りからは見えない場所。そこで皆の視界に広がったのは…
地に伏せる茶髪と金髪の二人の姿と、それを眼下に収め、プルプル小刻みに震えながら立ち尽くすビリーの姿だった。
すると彼はこちらに気が付いて、呆然とした表情で拓也を見つめる。
「うん、無事そうで何よりだ」
「た、拓也君…」
まるで信じられないといったような彼のその表情。
きっと、ここまで呆気なく終わるとは思ってもいなかったのだろう。
そんな彼にセリーが一歩前へ出て向き合うと、少しだけ涙が溜まって潤んだ瞳を向けて、申し訳なさそうな表情を浮かべながら口を開いた。
「ご、ごめんねビリー君、私が絡まれたせいで…。でも…護ってくれてありがとう。凄く嬉しかった」
「そ、そんな…護っただなんて………」
「それにビリー君ってすっごい強いんだね!知らなかった!」
照れくさそうに頬を指で掻き、そっぽを向いて頬を染めるビリー。彼は自分が誰かの役に立てたことが嬉しかったが、そんな感情をひけらかすのは多分気が引けたのだろう。
するといつの間にか拓也の隣まで移動していたジェシカが、肘で軽く彼を小突きながらニヤニヤとした笑みを浮かべて、隣の拓也にしか聞こえないように小さく呟いた。
「たっくんやるねぇ~。もしかしてここまで予想通りだったり?」
「へっへっへ、当たり前じゃないっすか…」
とりあえずこの二人は、ミシェルが会話を傍受してジトッとした目を背後から向けているのに早く気が付いたほうがいいと思う。
ビリーは褒められていることが恥ずかしいのか、照れくさそうに頬を掻きながら更に続けた。
「僕にもよく分からないんだけど、なんだか…体の重さがいきなり消えたって言うか…」
「あぁ、それは…これを取り除いたからだな」
そう言いながら拓也が掲げるのは、前面に3倍だァァ!!と太字で書かれた白いTシャツ。
彼の、消えたと感じていた重さは精神的なものではなく、物理的なものだった。
「まぁ何にせよ良くやったよ。というわけでビリー、修行続行な」
拓也がそう発言した次の瞬間、また襲いかかる大きな負荷。
発言からしても、彼の手の中からシャツが消えたことからしても、空間魔法でアレをもう一度着させられたという事はすぐに分かった。
一仕事終えた後に休憩もくれないのか…ビリーは心が折れそうになったが…何とか踏ん張って一歩踏み出し、幾分か強くなった眼光を拓也に向ける。
「わ、分かってるよ…このぐらい平気さ」
「お、言うようになったじゃん。じゃあこの5倍だァァ!!Tシャツとトレードしない?」
「…なんかお腹空いたから早く行こう!!」
しかしそんな頼もしい面構えも、拓也が新たなシャツを出すまでだった。
体に多大な負荷をかけているのにもかかわらずいきなり駆け出すと、ニヤニヤとした笑みを浮かべる拓也の脇を通り抜け、一人先に通りのほうへ戻って行ってしまった。
拓也はゆっくりと踵を返しながら一言。
「ビリー君、さっき学園でお昼…食べたばっかりでしょ?」
皆が心の中で、アンタの特性Tシャツのせいだろうとツッコんだのは言うまでも無い。
・・・・・
数分後…
「ここってこんなにいっぱい屋台あったっけ!?」
「ちょ、ちょっとジェシカ!あまり走り回らないでください!」
通りを歩いて見つけた街の一角。前からよく出店が出ているのは知ってはいたが、何故か今日は沢山の出店と人でひしめき合い、祭りか何かのような風景がそこには広がっていた。
そして案の定、興奮して走り回るジェシカ。面白そうな場所を発見した好奇心その物の彼女は、当初の甘いものを食べられる場所に連れて行くという目的は完全に忘れているようだ。そしていつものようにそんな彼女を追うミシェル。
他の一同は先行した彼女たちの通っていった道を、辿るようにしてゆっくりと後を追った。
「私も知りませんでしたわ…街の一角にこんな活気のある場所があったなんて…」
「おいおい駄王女、そんなんで王女名乗っていいと思ってんの?おごッ!?」
「黙りなさいッ!!不敬罪で牢にぶち込みますわよッ!!」
速攻で喧嘩を吹っかけて首を絞められ白目を剥く。ちなみにこれもいつも通り。
まぁこの国では国王があんなんである為、不敬罪など機能していないに等しいのだが…そんなことは今はどうでもいい。
とりあえずジェシカはここで遊ぶと決めてしまったようなので、とりあえず他の面々はこの一体を散策してみることにし、各自がバラバラに散って歩いて行った。
「何か食べようかな…」
一人、特に動くでもなく近くのベンチに腰を下ろしたビリーはそう呟き、出店の数々をぼんやりと見回してみた。
軽食、甘味、氷菓。さまざまな種類の店が視界に入る…が、如何せん着せられているシャツのせいで進んで動く気にはなれない。
このまま休憩していようか…そんなことを考えて、背もたれに体を預けたそんな時…
「ビリー君お腹空いてるんでしょ?ハイこれ、さっきのお礼」
いつの間にか隣に立っていたセリーが隣に腰掛けながら、穏やかな笑顔を浮かべて、ビリーにまだ湯気が立っている熱々のホットドッグを差し出した。
「え…いや、そんなお礼なんて!」
「いいのいいの。もう買っちゃったし食べて」
「……それじゃあ…ありがとう。いただきます」
せっかく厚意で買ってきてくれたモノを断るのは失礼。そう考えたビリーは一度は断ったそれを快く受け取り、食膳の挨拶をして頬張る。
適度に空腹だった胃が満たされて行く感覚を味わい、彼はいつかの喫茶店の手伝いをした日のように、静かに涙を零した。
・・・・・
一方、拓也。
ミシェルとジェシカを完全に見失い、彼はとりあえず適当に歩きながら、一人になるのが嫌だったのか自分に付いて来たメルにいきなり問い掛けた。
「そういえばメル、お前って綿菓子好き?」
「?…えぇ、好きですわ」
「そう、じゃああれでいいか」
彼はきっとすぐ目の前の綿菓子屋の屋台を見てそんな話題を振ってきたのだろう。特に悪意の無い様子だったのでメルは普通にそう返すと、拓也は早足にその屋台まで歩を進め、購入するのか店主に硬貨を数枚手渡した。
しばらくして戻ってきた彼。
「……そんなに買ってどうするつもりですの?」
その手に握られていたのは六本もの綿菓子。明らかに一人で食べる目的ではないだろう。
メルは呆れたようにそう言って、その内の一本を頬張る彼に向かって溜息を吐く。
…すると彼は……
「ほれ、食えよ。ビリーの修行に付き合わせたお詫びとお礼だ」
残った五本の内の一本を…彼女の顔面に押し付けた。
刹那…完全に動きが停止するメル。しかしそれも一瞬。次の瞬間、拓也から見て右に大きく沈むと…全身を勢い良く突き上げ、加速された左の拳は彼の顎を的確に捉える。
まるでハンマーでの一撃でも食らったかのような衝撃。顎が上へ弾け飛び、脳が揺れたせいか、拓也は膝を折って彼女の前に跪いた。
「ばか…な…ガゼルパンチ…だと?」
「あなたは…本当に懲りないようですわね…」
それにしても、視界が塞がっている状態でここまで正確無比な強打。
彼女はもう王女辞めてボクサーか何かに転職したほうがいいと思う拓也だった。
メルは顔や髪に付着した繊維質な綿菓子を鬱陶しそうに取り除くと、眼下で口をあけて虫の息の彼の顔面に更に膝蹴りで追い討ちを掛ける。
「これで許しますわ」
「なんで綿菓子でソフトタッチしただけなのにハードブローとニーキック食らわなあかんねん…」
そして膝蹴りの時、一瞬パンツが見えたが多分言ってはいけない。そんなことをすれば次は首を持っていかれることになるだろう。確実に。
とりあえず心の奥底にしまっておき、立ち上がる。
「まぁそんなわけで…またなんかあったら力貸してくれ」
「……私に出来ることでしたら」
・・・・・
「拓也君…それ何………」
セリーと楽しく談笑していた所に突如として現れた拓也。目を点にするビリーとセリーの前に悠然と立ち、綿菓子を頬張る彼。
「何って…愛弟子の君がお腹空いたって言ってたからさッ!!屋台で売ってたもの色々組み合わせて超スタミナバーガー作ってきてあげたよッ!!食べてッ!!!」
そして…彼が綿菓子とは反対の手に持つのは……直径35センチ程はありそうな巨大バーガー。
サンドされた中身は…様々な物を組み合わせすぎて最早形容してはいけないレベル。
ビリーは思った。何故自分ばかりに災厄が降りかかるのだろう…と。
それにセリーからもらったホットドッグでもうお腹は一杯。というかせっかく幸福に満たされている胃をこんなゲテモノで上書きしたくない。
しかし拓也があまりにもしつこく押し付けてくるので断ることが出来ず、結局受け取ってしまうのだった。
包み紙を間に挟んで、ズシリと腿の上に掛かる食べ物とは思えないほどの重さ。
「あ、セリーにはこれあげる。怖い思いさせたお詫びと、付き合ってくれたお礼」
「ぼ、僕もそっちがいい!!」
「おいおい…空腹で今にも倒れそうな愛弟子に、腹の足しにもならない綿菓子なんかあげられるわけないじゃないか……君は遠慮せずそのテラバーガーを食べていてくれ」
そんな名前が付いていたのか…などと感心している場合ではない。
ちなみにこのテラバーガーとは…簡単に言ってしまえば、メガマ○クを超越したナニカである。
「じゃあそういうことで!!」
そしてその場を颯爽と後にする拓也。最早追っても無駄だと判断したビリーは辛そうに視線を落とした。
必然的に視界に入ってしまう…腿の上に鎮座するテラバーガー。
匂いは悪くない。むしろ好い匂いとも言えるだろう。しかし…規格外のそのサイズ。悲しいことに常識の範疇をゆうに突破してしまった分厚いバンズにサンドされた中身からは何やら深い茶色のソースがどろりと垂れ、非常に食欲をそそらせない。
「ビリー君…私も手伝うよ」
「いや……巻き込むわけにはいかないよ。僕が何とかする」
立て続けに起こる不幸。そんな彼を不憫に思ったのか、セリーが気を使うようにそう発言した。
しかしビリーはそれを首を振って断ると、自分の顔以上に大きいハンバーガーを勇ましく両手で鷲掴みにすると…
「いただきますッ!!」
まるで飢えた狼のような凄まじい勢いで、掴んだバーガーに食い付いた。
・・・・・
「楽しかった!!また行こうね!!」
「…いいですけど次は走り回らないでください。疲れます」
「アッハハ~!ミシェルったら運動不足!?」
結局あの場所でジェシカの気が済むまで遊び続け、気が付けばもう日が傾いていた。
他の面々とはその場で解散して、現在は家が同じ方面の者たちで帰路についていた。ちなみにジェシカが率いるのは、ミシェル、拓也、ビリー、セリーの5人。
すると、青い顔をしたビリーが、隣でヘラヘラとした笑みを浮かべている拓也に声を掛けた。
「あれ…なんで見た目がアレなのに美味しいの?」
「見た目がアレって何だ。というかお前…一人で完食したの?馬鹿なの?」
「だって君がそう言ったんじゃないか!!」
「へーそっだったっけー」
許容量限界の胃。これ以上喋るとリバースしてしまいそうだ。
それに追求しても、風に舞う木の葉のようにヒラヒラと逃げる彼のそんな対応に、ビリーは最早怒る気力は沸かず、頭を垂れて溜息を吐く
というか彼は現在、早く帰ってこの忌々しいシャツを脱いで休みたいという気持ちで一杯なのだ。
するとそんな時…先頭のジェシカが、不意に軽やかな歩みを止めた。
視界の端で先程から跳ねるように歩いていた彼女がいきなり歩を止めたことに何事かと思い顔を上げたビリー。
そして…彼は顔を上げたことを後悔するのだった。
「いた!あいつだッ!!」
「へへ…」
数時間前に伸した金髪茶髪…再来。
ビリーの拳を顔面に食らっていたのか金髪は顔にガーゼのような物を張り、茶髪は倒れたときに擦り剥いたのか、手にガーゼと絆創膏。
そんな彼らは顔を上げたビリーの顔を確認するなり、半ばそう叫ぶようにして声を張り上げると、何やらゾロゾロと増えた仲間にちらと目配せをしてニヤニヤとイヤらしい笑みを浮かべる。
苦笑いのジェシカ。怯えたような表情を浮かべるセリー。そんな彼女と金髪の視界から彼女を隠すように自然に体を入れ、緊張に顔を強張らせるビリー
そして…昼の彼らの言動を知っている為、案の定既に敵対心剥き出しのミシェルは既に魔力を練り始め、臨戦態勢である
拓也は非常におっかない自分の恋人を冷や汗を浮かべながら一瞥すると、ニヤニヤとした笑みを浮かべる彼らを前に…
「クックック…」
何の意図も無いが、とりあえず不敵に笑っておいた。
「オイテメェッ!!何がおかしいッ!!」
そして案の定食いつかれた。
別に何を考えるでもなく起こした行動のため、いきなりそう言われ一瞬ビクッと体を震わせた拓也。
そして漏れなく周りの連中の視線は彼へ集まる。やってしまった…そう思うまでに時間は要らなかった。
目を瞑って顎に手を当て、クールに沈黙しているように見える彼…しかし内心パニックに陥っているのは言うまでもないだろう。
ゆっくりと目を開け…まず視界に映ったのは……ミシェルの心底呆れたような視線。
ー…ミシェル…なんだよその目は…相変わらず頼りねぇとでも思ってるのか?………-
何故だか拓也は、その自分を見縊っているかのようなその視線を受けると…自身の中で長い間埋まっていた対抗心というものに火を点いたのをハッキリと感じた。
すると…彼は突如として悠然と歩きだし、先頭のジェシカの脇を抜け、金髪たちの集団たちの目の前へ躍り出る。
「私の弟子が何か粗相でも致しましたかな?」
いつもではあり得ないほどにキリッと目元を吊り上げ、懇親のキメ顔。
しかし普段の彼を知るものが気持ち悪がるだけで、相手はこれといった反応を見せず彼の問いに声を荒げて答えた。
「そこのガキに借りがあるんだよッ!どけッ!!」
「あー…すまんが、彼は今、少しの衝撃で酸属性のブレスを吐いてしまう」
「ブレス…?人間がそんなことできるわけねぇだろうがッ!!ふざけてんのか!!?」
拓也がふざけているとでも思ったのだろう。いや、実際ふざけているのだが…。
金髪は拓也の胸倉を掴んで、彼を前後にグラグラと揺らす。
一頻り拓也に憂さを晴らし終わると、彼は拓也の胸倉から放るように手を離し、ビリーをギロッと鋭く睨み付けると、彼に向かって歩を進め…ようとしたが、肩を何者かに緩く握られたため足を止め、後ろを振り向き、自分の動きを止めた拓也をビリーより更にきつく睨み付けた。
「いや、だからブレス吐かれるから止めときなって」
「部外者は黙ってろ、俺の気がすまねぇ」
「俺、こいつの師匠だから部外者じゃないんだよね」
師匠…その言葉を聞き、金髪は何か思いついたのか、イヤらしく表情を歪めた。
そして拓也をビシッと指差すと、思い切りメンチを切りながらある提案をする。
「じゃあテメェがソイツの代わりになるか?」
その提案、彼は案外自信満々に口にした。
昼、自分が伸された相手の師匠だといっているのにもかかわらず。
それは拓也の体格が一見普通だったから、少し身長の高い自分の方が有利とでも思ったのか。
それともこれだけの人数で囲んでしまえば、強さなど関係ないとでも考えているのだろうか。
拓也は嘲笑し、彼も自信満々にその問いに対する答えを口にする。
「構わんよ。
で、俺を相手に何をするつもりかな?」
「決まってるだろ?俺”たち”と喧嘩だ」
「ほぉ、大いに結構」
拓也の正体を知るものは、二次災害を避けようと距離を取る。
そんな彼らの姿が金髪の目には仲間を置いて逃げようとする臆病者に見えたのか、彼は目の前の拓也を嘲笑った。
「おいおい、お前の弟子とやらとお友達が逃げ出したぜ?」
「…すまんが……そこに落ちている小枝を拾ってもらってもいいかい?」
しかし拓也はそんなことどこ吹く風。いきなり彼の足元に落ちている10センチほどの細い小枝を指差して、彼にそれを拾ってくれと口を開く。
流石に意味不明なその注文に、首を傾げる金髪。
「あ…小枝?…こんなものなんに使うんだ?」
しかし素直な彼は、勝ち目の無い戦いに挑もうとしている目の前の青年が何故か欲している枝を拾うため腰を曲げて手にとって、それを拓也に手渡した。
満足そうにその小枝を見つめる拓也。
一見奇妙にも見える彼の行動だったが…金髪は、木の枝という命の無いモノに対する行為の筈なのに…どこか彼のその行為に引き込まれるように見入っていた。
すると拓也はその木の小枝を軽く空へ投げるようにして放つと…
「どっせぇぇぇいッ!!!」
「ッ…………!!!」
見事にそちらへ視線を誘導された金髪の股間に、渾身の蹴りを打ち込んだ。
声にならない悲鳴を上げる金髪。刹那、彼は糸の切れた操り人形のように地面に力なく崩れ落ちた。
そして拓也の顔に貼り付けられているのは…してやったりというこれまでに見たことも無いほどに凶悪なニヤケ面。
クズだ…と皆が思ったのは言うまでも無い。
男として何か大切なもの(物理)を失った金髪を、信じられないようなものを見たと言わんばかりに見つめる茶髪とその他大勢。
この男は危険だ…彼らに戦慄が走る。
※金的はマジで危ないから冗談でも冗談でなくても良い子でも悪い子でも大人でも子供でも絶対にやってはいけない。マジで。
暫しの硬直が続く。しかし金髪の片割れ、茶髪が拓也を睨み付けて勢い良く駆け出し、その静硬直を破った。
身体強化をフルに掻け、友を葬った(生きてます)敵を打ち砕かんが為に拳を後ろへ引き絞り…
「じゃ~んけ~んッ!?」
しかしその流れを断ち切るかのように大声で咆哮した拓也。
この聞き覚えのあるフレーズ。子供の頃から慣れ親しんだ遊び。何かを決めるときに使った手段。茶髪の体には、じゃんけんというものが染み付いていた。
故に…
「え、えっと…パー!」
最早条件反射。突然のじゃんけんの開始に動揺した茶髪だったが、加速を止めて急停止し、何とか持ち直して自分の出す手を決めてそれを突き出した。
「グゥゥゥゥゥッ!!!!」
対する拓也は後出し。その時点で反則。しかし彼の常識すらも打ち砕く黄金の右は、目の前に突き出された茶髪の平手をぶち抜き、その先にあるそこそこ整った顔面に深々と突き刺さった。
しかし黄金の右の威力はそれだけで収まらず、茶髪はへその辺りを軸にして、空中で見事に数回転。
じゃんけん…この場にいる皆は思う。
じゃんけんとは…肉体競技ではなかったはずだ…。なのに何故…彼はあんなにも勝ち誇った顔をしているのだろう…と。
すると…今しがた中々セコイことをして倒した茶髪を眼下に見下ろし、厳しい表情を浮かべる拓也。
「じゃん拳。そう、拳。つまり…拳を勝負に持ち出さなかった時点で、貴様の敗北は確定していたのだ」
展開される謎の超理論。
そんな彼を前に、敵も向おうにも一人で襲い掛かれば何をされるかわからない恐怖からか、誰も飛び出そうとはしない。
ミシェルは、加速する頭痛に、思わず額を押さえた。
「さて…次はどいつだ?」
ユラリと振り返って残りの不良達を見つめる拓也。
その顔には不敵な笑みが浮かび、挑発するように手をクイクイと招いているが…誰も動かない。
しばらく続く硬直状態。すると、拓也は数的有利なのに全然攻めて来る気配の無い相手に向かって、一つ鼻で笑い飛ばすと、凶悪な笑みを浮かべてどこからともなく荒縄を取り出し、続いていた沈黙を破るように駆け出した。
「来ないなら…こっちから行くぜェェッ!!」
・・・・・
数分後。
「ふぅ、これでしばらくは悪さなんてしないだろ」
夕暮れの街の一角。爆笑して地面を転がってヒイヒイ言っているジェシカ。
舗装された道に転がる金髪と茶髪。彼らが笑い所ではない。
では彼女が何故笑っているのか。その答えは、辺りを見回せばすぐに見つかる。
「拓也君…やりすぎなんじゃ……」
笑いを堪えるビリーの視界の先に”ソレ”はあった。
「ん、そうか?」
最後の一人をギュッときつく縛り終えると、拓也は周りを見回して、自分の行いがどれほどのモノかを確認した。
拓也の周囲には…全員漏れなく縛られた不良君たち。おまけに全員パン一で玉口枷を加えさせられ、目隠しをされている。
ある者はエビ反りで縛られて看板に吊るされ、ある者は両肘と両膝で四つん這いになるよう縛られ、玉口枷の代わりにリンゴを咥えさせられ、またある者は外灯の支柱に、所謂M字開脚した状態で縛り付けられていた。
平和な王国の王都内の筈なのに、これでは最早ハードでバイオレンスな大人の国(意味深)にしか見えない。
「やっぱり…こいつらも仲間外れはイヤだよな」
するとおもむろにそう発言した拓也は、地面に転がる二人も手早く服を剥いでM字開脚に縛り上げ、道のど真ん中に転がした。
背中を預けあって道の真ん中に魔除けの人形の如く鎮座する彼ら。
拓也はソレを満足そうに眺めると、踵を返してミシェルの方へ振り返った。
「さて、終わったし帰ろうぜ」
拓也がそう言いながら一歩踏み出すと……ミシェルは、彼から離れるように一歩後ずさりした。
「え…ミシェル…?」
彼女は何故自分から遠ざかるような動きを見せたのか…まるでわからないというような表情を浮かべて拓也は、また一歩踏み出す。
そして…彼女も彼の前進に応じて一歩後退した。
「ッ!?」
すると彼は…大好きな彼女に避けられたのが相当堪えたのだろう。戸惑いから加減を忘れ、一瞬にして距離を詰めると彼女の肩に両手を置いて半ばパニックを起こしながら口を開いた。
「み、ミシェル!?どうして逃げるんだよ!!」
「は、離してください!!」
身動ぎして逃れようとするミシェル。無理もない。目の前であれだけ気持ちの悪いモノを見せられたのだ。
彼女からの拒絶とも取れるその言動。拓也顔からはいつもの余裕の表情は消え失せ、代わりに浮かぶのは…絶望の色。
ミシェルはショックを受けたおかげで力の緩んだ拓也の拘束から抜け出すと、結構な距離を取って腕で身を抱き、拓也のことを横目でちらちらと見ながら警戒し始めた。
膝を折り、ショックで口を開けたまま無言で大粒の涙を流す拓也。
するとそんな彼に、ジェシカが軽やかな足取りで近寄ると、絶賛絶望中の彼にそっと耳打ちする。
「ごめんよ~たっくん。恋人の関係について緩くミシェルに教えてあげようと思ってこの前からちょくちょく恋愛小説貸してたんだけど…
最近、間違えてSM色の強い官能小説貸しちゃったみたいなんだ…」
「アルスと言いお前と言い……なんで…なんで………」
しかし拓也に彼女を攻めることは出来なかった。同じ…立った今発覚したことだが、官能小説愛好者として……同士の失態を追及など出来なかったのだ。
故に…彼に残された道は……
「み、ミシェル待ってくれ!違う!!俺は……俺は…縛るのはそんなに好きじゃないッ!!どっちかと言えば縛られるほうが好きなんだッ!!」
違う、そうじゃない。だが…そう思ったときには既に遅く、遠くからでも分かる程に彼女の顔は青ざめていた。




