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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第二部
31/52

鍛錬とは…



「お、終わったァ!!」



言われた回数の逆立ち片手腕立てを終え、巻き藁から転げ落ちるビリー。


その傍らでは相変わらず小説を呼んでいる拓也。彼は相当読書にのめり込んでいるのかビリーがメニューを終えたことにも気が付かずひたすらページを捲っている。



セリーの喫茶店を手伝ってから数日経った平日の夕方。ビリーは依然として筋力トレーニングなどの基礎を行っていた。



「あ、あの…拓也君、終わったんだけど…」



「ちょっと待って、今いいとこだから」



修行より読書が優先かよ…。内心でそんなことをぼやくビリー。


すると、拓也はまるで彼の心境を読んだように大きく溜息を吐いて彼へ視線を送って不満そうに呟く。



「まさか弟子に優雅な読書タイムを邪魔されるとはな……」



「一体どこが優雅なんだよ…」



因みにビリーは知らないが、彼が読んでいる本は官能小説である。


拓也は重い腰を上げると、やる気のない様子でビリーの隣まで歩み寄って、少し面白そうにニヤリと口角を釣り上げ彼に問いかけた。



「まぁそんなことはどうでもいいとして…



なぁビリー、お前はなんで俺の下で強さを求める?」



突然真剣味を増した拓也の声色。普段とはギャップのあり過ぎるその声に慌てて隣へ振り向くビリー。


そんな彼の目に映るのは、巻き藁を睨むように見つめながら手を添え、真剣な表情の拓也。


まるで自分を試しているかのようなその質問に、ビリーは思わず息を呑む。



「そ、それは……」



一体何と答えれば正解なのか…考えるビリー。しかし答えなんて分からない。


そして悩みに悩んだ結果、固まっていないあやふやな意志を口にした。



「いつか僕にも大切な人が出来るかもしれないから…その人を護ってあげられるように…かな?」



恐る恐る口にしたその言葉。果たしてそれは拓也を納得させるモノだったのか?ビリーは心配そうに彼を間接視野に収めて様子を窺う。


すると拓也は考え込むように目を伏せ、眉を顰める。


そしてしばらくして決心が付いたのか、いつも通りのニヤけ面を顔に張り付けながらビリーの方へ振り向いた。



「……まぁ”合格”か…。


いいかビリー。力は断固たる意志の下で自制しなくてはいけない。それができない奴に、力を持つ資格は無い。これだけは覚えておけ」




笑いながらそう言っている拓也。しかしビリーは彼の纏う空気がまだ真剣なモノ…つまりこの言葉にふざけた部分など一切ない事を理解していた。



「そして力は意志の下で成長し、意志は心を鍛えることで成長する…まぁ他にも鍛える方法はあるんだけどね」



「……その方法って何だい?」



少しそう切り出すのが怖かったビリーだが、なんとか拓也にそう尋ねることが出来た。


すると彼は言い渋るように、ん~…と言葉を伸ばしながらそっぽを向く。



「まぁ…なんて言うか……」



少々照れくさそうに頬をポリポリと指で掻きながら彼は、丁度洗濯物を取り込みに来たミシェルを見つけると、ニヤけ面をより一層綻ばせビリーの方へ向き直って口を開く。



「正解を言うわけにもいかないから、一つだけヒントだ…






ソレは自らの内に見つけるモノではなく、外に見つけるモノ。




後は自分で探してみろ」




「…外に?」



聞き返すビリーの頭の上には分かり安く疑問符が浮かび、表情から見てもどうやら理解はしていないようだ。


拓也はそんな彼の様子に苦笑いを零し、感傷に浸るように虚空を見上げると、だらけきったモノからキリッと引き締まった笑みへ表情を一新。



「まぁ焦る必要はない。俺もこの世界に来てから見つけたしな。




よし!お前に、まだあやふやだが意志があることが分かった。今日から”技”の修行を開始する!!」



そして楽しそうに口角を吊り上げて、ビリーに向かってそう高らかに宣言した。



ビリーは拓也のその言葉が信じられないといった表情で固まっている。



しかし、しばらくすると冷水をぶっかけられたかのように飛びあがって拓也に詰め寄った。



「ほ、ほ…本当かい!?ようやく技を教えてくれるの!!?」



「あぁ、まだ不完全だがそこそこ体も強化出来てきたし…まぁ頃合いだろう。


そこでビリー、毎週土曜に教えてた物理学はちゃんと頭に入ってるか?」



「う、うん!大丈夫だよ!!」



そう、彼はこの一年間肉体強化だけをしていたわけではない。


彼の為に組まれたカリキュラムは、



月・火・水・木・金・日:肉体強化


土:肉体強化&物理学



とまぁこんな感じ。


簡潔に説明すれば、土曜に少しだけ勉強をしているということだ。




拓也は彼の返事に満足そうに頷くと、巻き藁の方に向き直り、腰を落として低く構え、右の腕を引いて腰に構える。



「意識するのは力の強さより…力の向きッ!」



その体勢から放たれる鋭い突き。まるで左腕と背中越しに滑車で繋がっているかのように入れ替わり突き出された右の拳は、風を切り、巻き藁に直撃した。


すると巻き藁は、まるで対物ライフルでも撃ち込まれたように、拳が当たった部分から勢いよくへし折れる。



「す、すごい!!」



「今、俺は身体強化無しでお前が現時点で使用できる筋力しか使っていない。だから今のお前でもこれくらいは可能だ」



「そ、そんなの無理だよ!」



「無理じゃない。俺が教えたことをちゃんと理解し、それを扱う技量があればできる」



すると拓也はどこからともなく新しい巻き藁を鷲掴みにしながら持ってくると、それを豪快に地面に突き刺す。


硬い地面にどうやったらあんなに太い木の杭が刺さるのか、ビリーは拓也の体の仕組みが不思議でならない。



「まぁいい、とりあえずやってみろ」



そう催促する拓也の手前、いつまでもこうしてうだうだ言っているわけにはいかない。


ビリーは意を決して巻き藁の前に立つと、拓也がやったように腰を低く落とし、左手で狙いを定め、右の拳を引いて構え…



「ヤァッ!!」



自分なりの渾身の一撃を放った。




「…ん、まぁそこそこ良いパンチだ」



しかし結果は拓也のやって見せたようには行かず…


若干巻き藁に後が付いた程度。ビリーは悔しそうに拳を握りしめ、そして次の瞬間気持ちが落ちてしまったのか目を伏せた。



「やっぱり才能ないのかな…」



「ん~…無くはないんだけど有るとも言い切れない。一言で言えば微妙」



おまけに遠慮のない拓也のその言葉。ビリーは思わず目に輝く滴を浮かべてガクリと膝を折る。



「一年間…頑張ってきたのに……」



そして泣き言を口にし、大きなため息を吐く。



すると拓也は彼の襟首を掴んで持ち上げると、もう一度彼を巻き藁の前に立たせた。



「今のお前の突きは腕に意識を持って行き過ぎ。全然踏ん張れてないから威力が逃げてんだよ。


それに体重移動がなってない。前方へ拳を突きだす動作に、体の動きも前方へ向けることで威力は更に増す」



そして彼の姿勢に自ら手を加え、出来ていないところは指摘する。





「ほい、それでもう一回突いてみろ」



「う、うん…」



そしてもう一度放たれる突き。先程よりは鋭さを増したようにも思われる。


しかし、まだその突きでは巻き藁を破壊するまでには至らなかった。


出来なかったことに、ビリーは分かりやすく落ち込む。 



「はいはい、一度や二度の失敗で諦めない。繰り返せば出来るようになるから、力の大きさだけじゃなくてちゃんと向きも意識してやること。おーけー?」



「う、うん!頑張ってみるよ!」



拓也はそんな彼をそう励ますと、ミシェルの元へ駆けて行く。きっと取り込むのを手伝いに行ったのだろう。


ビリーは一人、真剣な表情で巻き藁に向かい、もう一度突きを放った。



・・・・・



その夜、じっくりと風呂で体を温めた拓也は、まだ若干湿った髪にタオルを掛けながらリビングへ繋がるスライドドアを開けた。


ソファーには、ミシェルの姿。拓也より先に風呂に入っていた彼女の髪はもう完全に乾ききり、シャンプーの香りをふんわりと放っている。


すると彼女は拓也の姿に気がつき、立ち上がりながら口を開く。



「あ、拓也さん。何か飲みますか?」



「いや、そんなに喉渇いてないし別にいいよ」



ミシェルの隣に腰を下ろす拓也。


彼としては、そんなことより何故彼女は風呂から上がったのに寝巻きに着替えていないのかという点が非常に気がかりである。


恐らく彼女の考えとしては、拓也に寝巻き姿を見られるのが少し恥ずかしいのだろう。そこで彼女は風呂から上がると、室内用のルームウェアに着替える。


しかし彼女のそのルームウェアにも結構可愛らしいものが多く、拓也は悩殺寸前だ。


だが自分のそんな劣情を出して彼女に引かれることを恐れた拓也は、自分自身を冷静にするためにとりあえず口を開く。




「いやぁ、ミシェルの残り湯最高だった。夜景と外の風があいまッでェッ!!?!?」



いったい何を考えてそんなことを口走ったのか…案の定彼の鳩尾にミシェルの肘がめり込んだ。


温かい湯に使っていたせいでリラックスし、筋肉が緩んで、ダメージがもろに通った拓也の内臓は悲痛な大絶叫。


するとミシェルはクールな表情のまま、してやったりといわんばかりに拓也に喋り掛ける



「残念でしたね、私は今日室内風呂の方に入りました」



「じゃあ何で殴ったの?鳩尾に肘って超痛いんだからね!?」




目に涙を浮かべて必死に訴える拓也。しかしミシェルは聞く耳持たず、口を手で覆いながら小さく欠伸をして眠そうに目を擦る。


そしてすっくと立ち上がり、廊下へ出るドアへ向かって歩きながら拓也に向かって口を開いた。



「じゃあ私は先に休みますね、お休みなさい」



「………お、おう…お休み」



彼女はそう残すと、ぴしゃりとドア閉じる。拓也はドアの向こうにいる彼女に向けてそう返すと、続けて聞こえてくる階段を上る足音に、ぼんやりと耳を傾けていた。



彼女と交際を開始して、もう1年を過ぎた。しかし彼女の性知識の無さと認識。そして拓也の妙な消極性のせいで、そういう営みはもちろんのこと、あれからキスすらもしていなければ、彼女と出かけた時でも手すら殆ど握れない始末。


拓也は一人きりになったリビングで自嘲気味な笑いを零して、自分自身に呆れたように呟く。



「営みの方は仕方ないけど……キスすら出来ないって…俺ヘタレすぎるだろ……」



もちろん彼女のことは大好き。故に他人にでも余裕で惚気られるし、ミシェル本人に対しても態度や言葉ではどれだけだって積極的になれる。


しかしいざ行動に移そうとすると…緊張で体が固まってしまうのだ。



「……あぁダメだ!!まず俺にそんな甘い空気が似合わないんだよッ!!」



どうやってそういうムードに持って行こうかなどと考えていた拓也だが、どうやらいい案は浮かばなかったようで、頭を抱え、ミシェルに聞こえないようにそう小さく喚く。



すると…




「おやおや、なにやらお困りのようですねぇ…」



「ですねぇ…」



聞きなれた二人の声が、拓也の鼓膜を揺らした。


そして思わず声に出してしまっていた自分自身に、しまった…と言わんばかりに目を瞑る。



そう…彼らは人のこういった話題が好物の……悪魔。



「出やがったな…堕天使共め……」



深く溜息を吐きながら、彼らに向かって呆れたと言わんばかりの表情の拓也。


そう呟く彼の両隣にはいつの間にか、6枚3対の翼を持った金髪イケメンと、4枚2対の金髪美女が座っていた。



「おいおい、俺たち…友達だろ?」



「ふふふ~、何やら面白そうなことを呟いていたので来ちゃいました」



熾天使セラフィム、四大天使ラファエル…降臨。



拓也は心底めんどくさそうにソファーの背もたれに背を預け天を仰ぐと、無駄を承知で口を開いてみる。



「頼むから帰ってくれよ~」



「嫌」


「嫌です」



結果はやはり変わらず…それにしてもこの二人、即答。


最早、人の恋路を弄りまわすことは、彼らにとって揺るぎない義務に近いナニカなのだろう。



すると二人のうちの一人、ラファエルは、どこからともなく一冊の絵本を取り出すとそれを拓也に見えるように差し出した。


見るからに有害図書…いや、有害図書を超越したその本を手に、ラファエルは意気揚々と申し出る。



「事情は分かりました。では私が直々にミシェルさんに性教育をしてきましょう。幸い教材もここにあります。


これで拓也さん達の性活もバッチリですね」



「うん、何言ってんの?それと教材ってそれのこと?なんかもう表紙からヤバい感じしかしないのは俺の気のせいかな?」



「安心しろ拓也。その本には一般的な恋人のあり方。


そしてお前が悩んでたデートでの手の繋ぎ方から初めての《見せられないよ☆》まで何でも分かるように記載されてる。


おまけに《見せられないよ☆》や《見せられないよ☆》の仕方。それと《見せられないよ☆》するための《見せられないよ☆》の正しい方法も記載されている」



「俺は一体どこに安心すればいいの!?こんなもんミシェルに見せたら俺がネギトロのようなモノにされるだろうがッ!!


テメェらの脳ミソが常識からベイルアウトしてんのは十分理解したからとりあえず帰れッ!!」



帰れ。そう懇願する拓也。しかし彼らはそんなことを言っても聞きはしない。


早くもツッコみすぎで喉が疲れてきたのは言うまでもないだろう。



するとラファエルは面白そうに笑みを浮かべ、少しだけまともそうな雰囲気に戻して拓也に問い掛ける。



「でも…ミシェルさんといいムードになれないことで悩んでいるのは事実ですよね?」



「………まぁそうだけどさ……」




「こういうのはお互いの認識が大切です。まず子○りという行為が、夫婦の間だけにしか必要無いモノというミシェルさんの認識を改めさせる必要がありますね。まだする気が無くてもです。

そういう根本から考えを変えないと。




…ですからこの教材で!」



「それは止めろ、マジで」




しかし彼女の化けの皮は十数秒と持たなかった。




嬉々として教材…もとい有害図書EXをぐいぐいと押し付けてくるラファエル。


最初こそ鬱陶しそうにしていた拓也だったが、最早抵抗する気力すらないのか、彼女のなすがままに静かにそれを受け取った。



すると彼が有害図書EXを受け取ったことで何を勘違いしたのかラファエルが意外そうに口を開く。



「あ、拓也さんの方から性教育してくれるんですか?」



「ほほぅ…これはまた実技が多そうな性教育だな…」



「黙れ堕天使共、これはミシェルの目に届かない場所で迅速かつ正確に廃棄させてもらう」




「無駄ですよ、既に数百冊印刷してあります」



「…なんでそんな無駄な所は抜かり無いのお前ら………」



頭を抱える拓也。その傍らでは『天使ですから!』と誇り高そうにのたまっているラファエル。


自分は人のペースを乱す方の人間だと思っていた拓也だが…彼らのような常軌を逸した事をしてくる奴らには、彼ですらどうしてもペースを乱されてしまうようだ。



するとセラフィムは少しだけ穏やかな表情を作ると、絶賛頭痛中の拓也に優しく語り掛ける。




「まぁまぁ拓也、俺たちはお前の恋路を心配してるんだぜ?」




「じゃあ余計な手出しをせずに大人しくしてろ」




「…………変化が無い恋路なんて見てても面白くないだろっ!!?」




「お前らがちょっかい出すと核融合並の変化しか起きねぇんだよッ!!というかもうちょっと本性出さずにいられなかったの!!?」




謎の逆ギレからの超理論展開。拓也も負けじと声を張り上げ対抗。



そしてこの二人。完全に声量というモノを考えていなかった。




「…うるさいですね、何の騒ぎ……あ、ラファエルさんにセラフィムさん。どうされたんですか?」



彼らの騒ぎのせいで、家主ミシェルが登場。


「あらミシェルさん、起こしてしまいましたか?」



「いえ、まだ着替えてもいませんし……下が騒がしかったので降りて来てみたんです。何か御用でしたか?」




そんな会話を交わすミシェルとラファエル。


拓也はすぐさまラファエルの有害図書EXを自分の背に隠し、ミシェルの師かに映らないように気を配りながらこの場からの離脱図る。



しかし…この悪魔どもがそれを見逃してくれるわけがない。



セラフィムは、そーっと壁伝いに移動していた拓也を発見し、悪魔のように口角を釣り上げて口を開いた。



「ん?拓也、お前今何隠した?」



「ッ!テメ……」



ワザとらしくすっ呆け、ミシェルの注意を拓也に向けさせる。するとミシェルはセラフィムの読み通り拓也の方へ振り向き、彼の不自然な位置と動きに首を傾げて口を開いた。




「?…拓也さん?そんなところで何をやっているんですか?」



「な、何でもないよ!ただ月が綺麗だな~って思ってさ!」



「……今日は新月ですけど」



「あ、あるぇぇ!!?じゃあ僕が見てたのはUFOなのかな!?」



「……」



選択する言葉を間違えれば…THE END,まるでマインスイーパーのような状況に陥っている拓也。


そして彼はことごとく地雷の部分のみを踏み抜いて、彼女の中に不信感を募らせていた。



結果として現在、彼女はジト目で彼を見つめている。



「何故両手を後ろにしてるんです?セラフィムさんの言った通り何か隠しているんですか?」



「違う!…いや…違くないけど…」



「へぇ…じゃあ何か隠しているんですね」



彼女はそう言い、拓也の前まで歩み寄る。



身長差のせいでミシェルが少し彼を見上げるような姿勢。彼女は依然としてジト目で彼を見つめたまま口を開いた。



「見せてください」



「絶対ダメ」



こんなモザイク無しで直接的な表現しかされていない暗黒物質(意味深)が表紙を飾った有害図書を見せられるわけがない。



彼女の精神状態を考えての拓也のその発言だったのだが…


彼のその発言は、彼女の中の不信感をさらに煽る結果になってしまった。




「じゃあ…実力行使です」



「っちょ!待ってッ!!」



拓也に見せる気が無いことを悟ったミシェルは、力づくで彼が背後に隠したものを奪いに掛かる。


彼の肩を掴み、腕を背後に伸ばしたミシェル。拓也は彼女がそんな強引な手段を選択したことに若干驚いて目を見開きながらも、彼女の精神衛生状態維持の為、負けじと彼女の手が届かないところまで有害図書EXを持った腕を伸ばし、死守を開始した。



すると…流石は拓也。長年の鍛錬により養われた尋常ならざる体幹は、ミシェルの腕力ではビクともしない。


まるで大岩に力を込めているような感覚。ミシェルは彼がこんなに真剣なことに、思わず少し動揺して声を荒げた。



「ちょ、ちょっと!何でそんなに本気なんですか!?」



「ダメなものはダメなんだ!!分かってくれミシェル!!」



肩に置いた手を必死に前後に揺らし、拓也のバランスを崩そうと試みる。しかしまるで深く根の張った大木のように微動だにしない。



その光景を傍から見守るセラフィムとラファエルは、楽しそうに口角を吊り上げる。



「うふふ…仲、良いですね」



「だよなぁ…」



そして何故か拓也に聞こえないようにしている会話は結構まとも。先程はどうやら拓也をからかって遊んだりしていたようだが…こうして普通の部分も持ち合わせている分たちが悪い。

おまけにその内容がヘビーすぎるのだ。


すると、不意にセラフィムが口を開く。



「よし、流石に拓也が相手じゃミシェルちゃんに勝ち目が無いし…少し手助けするか」



ニヤリと不気味な笑みを再びその顔に貼り付け…



「足元を失礼」



「ッ!!なにしやがるッ!!?」



拓也の片足に、結構な威力の脚払いを掛けた。



地面から弾かれるように離れた片方の脚、拓也はそんな不意の攻撃を予期していなかったようで、後ろ向きにぐらりとバランスを崩す。



しかしそこは拓也。すぐに片方の足でバランスを取り直し、持ち直す。



「あっ…」



だが、彼が持ち直したはいいが……彼のバランスを崩そうと奮闘していたミシェルはどうやらそんな超反応をすることは出来なかったようだ。


力が伝わるはずの拓也がバランスを崩したせいで、彼女もバランスを崩し……



ー…あ、ダメだ…-




拓也を巻き込んで床へダイブした。





彼女の下敷きになる拓也。彼は倒れるその刹那、咄嗟に本を自らの背に隠し床へ倒れんでいた。

そのおかげで彼女には見られていない。


拓也はとりあえずほっと一息吐く。



しかし状況は依然として宜しくない。



「さ、さぁ!もう逃げられませんよ!!」



胸の上に両手を置いて、上半身を押さえつけるように力を加えてくるミシェル。


そんな彼女の頬は羞恥からか鮮やかな紅色に染まり、隠れていない動揺から引きつったしたり顔を浮かべると、まるで照れ隠しでもするように、声を張ってそう口にした。



だが…別に逃げられないことも無い。力で無理やりに抜け出すことも出来るし、空間移動で逃げることも可能。



しかし…拓也が、彼女に対して実力行使をすることが出来るだろうか?いや、出来ない。


それにこの場は逃げ果せたとしても、彼の帰る場所はここ。


故に空間魔法で逃げたところで意味は無い。



それならどうするべきか……



ー…嫌だ…そんなことしたら絶対サンドバック君にされる……-



その方法を拓也は知っていた。だがそれを行うことを渋っている。



何故だろうか?…簡単。



実力行使は不可能、逃げても無駄。それならば残される手段は……




「ハァ…分かったよ、俺の根負けだ」



大きく溜息を吐く拓也。ミシェルは安どの表情を浮かべると、彼の上から退いて立ち上がる。


その傍らには、意外そうな顔の天使二人。拓也は彼らが”感づいていない”ことをそっと確認し、内心でほくそ笑み、これから目の前の彼女にリンチにされる覚悟を決めて腹を括った。



「怒らない?」



「何を隠していたかによります」



「……分かった、俺も覚悟を決めよう」



ジト目のミシェル。拓也はゴクリと喉を鳴らし…計画を実行に移した。


その刹那、驚愕に目を見開く天使二名。そしてその表情は次の瞬間苦渋の感情を映すものに変わり、彼らは恨めしそうに拓也を睨む。



そしてミシェルは、彼の手の中の”ブツ”を確認すると、絶対零度の凍てつく視線を拓也に向け、体内で魔力を練り上げながら彼に向かって口を開いた。



「…拓也さん…………覚悟は出来てるんですよね?」



「…あぁ…俺が悪いのは分かっている。だが……悪いと分かりながらも…俺はこの魅惑の布の誘惑に負けてしまった……」




そう…残された手段は……空間移動で本を移動させ、空いた手の中に女性物のパンツを握りしめるという紳士的な行動だけだった。


それによって彼女は思う。彼が、自分から受けるお仕置きが嫌で、今までコレを隠していたのだろうと。



詰まる所、彼はあたかも自分が今まで下着を隠していたと彼女に思い込ませることで”アレ”がミシェルの目に入るのを未然に防いだのだ。




「…水、氷、風、土…光。どれがいいですか?」



「じゃあグーパンチで」



「光ですね分かりました」



しかし彼女はもちろんそんなことに気が付いていない。少しふざけた彼の言葉を一蹴りすると、自分で使用する属性を決めて魔力を光属性に変換し始める。


無慈悲にも…選択した魔法はレーザー系。それを確認した拓也は、計画が成功したことなのか、それとも最早諦めなのか、うっすらと笑みを浮かべて眼前の彼女をまっすぐ見つめる。


その彼女の視線はまるで家畜を見るように冷たく…鋭く拓也に突き刺さった。



「…お手柔らかに…ね?」



目の前に展開された光の魔法陣。拓也は怯えきった小動物のように声を震わせながら涙目で可愛らしくミシェルにそう懇願するが…



「イヤです」



彼女はそれをバッサリ一刀両断すると、大量の魔力を魔法陣に注ぎ込み、魔法を発動させた。



真っ白になる視界、走る痛み、薄れて行く意識…。




そして追い込まれ、既に諦めに似たような感情を抱いた拓也はふと思う思う…



ー…あれ?これって珍しく俺が悪くないヤツじゃね?…-



きっと今まで彼がこんなに理不尽な理由でリンチにされることはなかっただろう。


だがしかし…何故か腹は立っていない拓也だった。






その理由はきっと、しっかりと彼女を大人の世界(意味深)から守ることが出来たからだろう。




・・・・・



翌日…



「ヤァッ!!」



ガッ!という鈍い音が庭に響く。その音を発生させた張本人…ビリーは、自分なりの渾身の突きでもビクともしない目の前の巻き藁を視界に収め、悔しそうに歯をかみ締める。


その光景をすぐ傍で眺めていた拓也は、悔しそうな表情の彼に笑いながら歩み寄ると、まるで友人にでもするかのように彼の前の巻き藁を軽く小突いた。


すると巻き藁は綺麗にへし折れる。




「だからこうだって」



「出来るかァァッ!!!それに何でそんなふざけた体勢で打った突きで巻き藁がこんな風になるんだよ!!やっぱり結局は力じゃないか!!」



「馬鹿野郎、俺は前に見せた時と同じだけの力しか使っていないぞ」



ヤレヤレと息を吐き、めんどくさそうにそう説明する拓也。その傍らでビリーは喚いているが、彼はどうでもよさそうに適当に流して説明を続ける。



「だから…何度も力の向きを意識しろっつってんだろ。別に空中で突けって難題を言っている訳じゃないんだ。お前は何のために地面に足を付いている?」



「それは…踏ん張るためだよ」



「だよな、でもお前は巻き藁から返ってくる力…反作用を脚で吸収し、地面に流してしまっている。だから威力が出ないんだ。


体重移動を使って返ってきた力をちゃんと押し込め。はいもう一回」



そう言いながら新たな巻き藁をセットする拓也。


そして彼は、頑張れ~と言い残し、ウッドデッキに戻って小説を手にして読書に没頭し始めてしまうのだった。



ビリーはまた大きな溜息を吐くと、悲観的な色を瞳に浮かべ、拓也に聞こえないようにそっと呟く。



「そんな簡単に言われたって……」



しかしそんなことを言っていたって事態は一向に進展しない。


彼はもう一度、今度は小さく溜息を吐いて巻き藁に向き直って突き始めた。




ー…まだ要領を掴んでないな……-



そんな彼の後姿を、小説など読まず、まるで分析するようにまじまじと眺める拓也は内心で苦笑いしながらそんなことを呟く。



「拓也さん、ここが少し分からないんですが……」



「ん?あぁミシェル。どれどれ?」



すると、家の中で魔法の勉強をしていたミシェルが、資料を片手に掃きだし窓から現れた。





それにしても、昨日あんなことがあったというのに彼女は一通り暴れるだけで許してくれた。


まさに聖女である。




「あ~これね、これは魔力を同時に二種類のそれぞれの属性へ変化させ、同じ魔法陣に組み込むってことだ」



「…結構難しいですね……」



「そうか?ミシェルなら簡単に出来ると思うぞ」



そう言いながら手に魔方陣を展開した拓也。その魔方陣は半分が光で半分が闇。


どうやら光と闇が融合した魔法ようだ。



ミシェルはそんな大変なことをあっさりやってのける拓也に対し、て感心しているが、同時に呆れたような笑みを浮かべる。



「ホント…何でも出来ますね」



「まぁ俺っち天才ですから」



「……ウザイです」



ウザったい笑みを浮かべて調子に乗ったようになめた態度を取る拓也。



そんな彼に対して口ではそう罵っているミシェルだが、彼女は誰よりも知っている。


本人はほとんど口にはしないが、ラファエルやセラフィムから聞いている。

彼が現在に至るまでは、どんなに過酷な道だったかを。



それこそ死んでもなんらおかしくないような修行を受けていた彼。


しかし今となってはそれは美談。だが、彼は絶対に自分が積み上げてきた努力を人にひけらかすことは無く、ただふざけた態度で自惚れたようにそう口にするだけ。



そんな所もまた、彼女が彼を好きな理由だった。



するとそんなことを考えていたらどうやら顔が綻んでいたようだ。拓也が不思議そうにミシェルの顔を見上ている。



「どうした?珍しく笑顔なんて浮かべちゃって…」



「なんです?私が笑顔じゃダメなんですか?」



「そんなこと無いさ。クールな表情も良いけど、ミシェルは笑顔のほうが可愛いよ」



「…………そんなこと言ってもなにも出ませんよ」



彼にそう褒められ、顔をふいと横へ逸らし、取り繕ったようにそう口にし髪の毛を指で弄るミシェル。


しかし、絹糸のような銀髪の隙間から、真っ赤に上気したほうがチラチラと窺えることから察するに、どうやらかなり照れているようだ。




「そ、そんなことより!ビリーさんの調子はどうなんですか!?」



そして彼女はいつものように、羞恥の感情を押し殺し、話題を変えて誤魔化す。


素直になれないミシェル。彼女はそんな自分を情けないと内心で罵り、小さく溜息を吐いて自嘲気味な笑みを浮かべた。



一方、拓也は彼女のそんな小さな変化に気が付いたが、追求すると恐らく彼女が不機嫌になるだろうと予想し、あえて何も言わずに質問に答えることにするのだった。



「…まぁここだけの話なんだけど……アイツ、実はもう巻き藁を折るだけの突きは打ててるんだ」



庭で巻き藁を突いているビリーには聞こえないよう、細心の注意を払って口にされたその言葉。


ミシェルは明かされた驚愕の事実に目を見開くが、次の瞬間呆れたように額に手をやって遅い来る頭痛に頭を悩ませ、彼の何をしたかが大体分かった彼女は恐る恐る口を開く。



「ということは…まさか……強化を?」



「うん、魔力で巻き藁自体を強化してるんだよね」



「何故そんなことを……」



「てへ☆アイツなんか飲み込むの俺より早いからちょっとした嫌がらせ的なモノかな☆」



「最低ですね」



無駄にキャピキャピした動作で人間のクズのようなことを口走った拓也に加減の一切無い毒を吐きかけるミシェル。


そんな辛辣な彼女の言葉に拓也はワザとらしく泣いて見せるが…残念。ミシェルに嘘泣きは通用しない。



「それで?本当のところ理由は何ですか?」



そして先程の発言は嘘だったともすぐに理解されている。


拓也は詰まらなさそうに口を尖らせると、理由を聞きたそうに首をかしげる彼女のために口を開いた。



「簡単だよ、精神面を鍛えるためさ。


出来ないからって諦めるような奴には育てるつもりは無いからな。



でも…まぁ、今のところ出来ない出来ない言いながらもちゃんと頑張ってるし…そのうち出来るようになるだろ。


魔力強化も、アイツが最高効率で突きを打てば折れるようには設定してあるし」



「…なるほど、そういうことだったんですか」



ミシェルは納得したように数回頷いた。




・・・・・



ビリーが技の修行に入ってからおよそ一週間。


未だに巻き藁をへし折れていないビリーは、なんとも言えない表情をその顔に張り付け、今日も今日とて巻き藁を突く。


一体どれだけこれに拳をぶつけたのだろうか?


鍛錬を続けた彼の拳は皮が破け、何度も出血を繰り返し、あざ黒く変色していた。



しかしこれをやる他ない。故にビリーは巻き藁に拳を叩きつける。



「…」



その光景を黙って見つめている拓也。彼の表情は、珍しく真剣味を帯びた静かなモノ。それも何故か少しだけ不機嫌そうに見えるモノだった。



すると、彼が巻き藁を突き続ける規則的な音がBGMのように流れ続けている、そんな静かな空間で、遂にソレは起こる。



『メシィッ!!』という耳に障る音と共に…



「や…やったよ!!」



巻き藁が真っ二つにへし折れた。



感嘆の声を張り上げるビリー。拓也は浮かべていた真剣な表情を消し去り、いつものニヤケたような呑気な表情をその顔に張り付け、ウッドデッキから重い腰をよっこらせ…と上げる。



「ったく…ようやくか。木の一本もすぐに折れないって、お前ホント…センスねぇわ」



「な、何だよ!そんなこと言われても仕方ないじゃないか!!」



ヤレヤレ…と、出来の悪い弟子を弄る師匠のような態度をとる拓也に歯向かってそう声を荒げるビリー。



そしてビリー越しにこちらの会話を耳を傾けていたミシェルが、拓也を非常に冷ややかな目で見つめてくるが…拓也はバツの悪そうに彼女の視線から自分のそれをフッと外すと、口笛を吹いて誤魔化すのだった。




「つ、次は何をするんだい!?」



「お、急にやる気出てきた?」



きっと一つ出来ることが増えて昂っているのだろう。


それは拓也にもよく分かる。




すると拓也は次に何をしようかと、顎に指を当てて目を瞑って思考を巡らすと、何か思いついたのか目を見開き、拳を構えた。




「よし、じゃあ次は………これだ!」




一歩、前へ踏み出し…天へと突き上げられる拳。刹那、鳴り響く破裂音。


ソニックブーム。物体…この音は拓也の拳に押された大気が集中・圧縮された空気の壁をぶち抜いた音。



そしてビリーの目に止まらなぬ速さで突き上げられたその拳の先…エルサイド王国の遥か上空には…


中央が大きな円形にくり抜かれた雲が、悠然と浮かんでいた。




「出来るかァァァァッ!!!!」



ナイスツッコミ…内心でグッドサインを出す拓也。



彼のやったことは簡単。ただ威力が高いだけのアッパー。


神速で突き上げられた拳が発生させた衝撃波等々が雲をぶち抜いたというだけの簡単なお話だ。



そしてビリーが出来ないと発言した彼に向かって、非常にむかつく態度をとりながら口を開く。



「え?出来ないの?…ざっこ」



「できるわけないだろ!?出来る方がおかしいんだよッ!!」



「そんなこと言われても…俺の中ではこれが普通だし…」



そう発言しながら何度もビリーに向かってパンチを繰り出す拓也。触れてもいないはずなのにとんでもない衝撃が顔を襲い、ビリーは思わず吹き飛んだ。



「とまぁそんなことは当然冗談だが…次ねぇ……とりあえずこれで力の伝え方が分かったはずだから、今度はいろんな体勢でもそれを使えるようにするか」



「う、うん、わかったよ!どうすればいい!?」



ようやく新しいことが出来る。口にこそしていないが表情に分かりやすく出ているビリー。



すると拓也は、まるで彼のそんな純粋な期待を嘲笑い、踏みにじるかの如き邪悪な笑みを浮かべ、ゆーっくりと彼に近づき…彼の額に”軽く”デコピンを放った。


一応言っておくが、この”軽く”というのは拓也の持つ独自の基準である。



「いッッたァ!!!」



つまり物凄く痛いのだ。



しかしそうして地面に寝転がっていたのも束の間、すぐさま何やらビリリと本能を襲う”ナニカ”を感じ取り、すぐさま起き上がって後ろへ飛ぶビリー。


次の瞬間彼の目に映ったのは、不気味に口角を吊り上げ、何故かファイティングポーズの拓也の姿。



「次は…自由組手だ」



「ちょ、ちょっと待ってよ!!拓也君と僕じゃ組み手にならないじゃないか!!」



「安心しろ多分手加減はするだろ」



「多分って何!?」



「まぁ~三回に一回ぐらいに真剣なパンチを打つ的な意味じゃね?」



「そんなの当たったら僕無事じゃ済まないと思うんだけど!?」




妙にリズムに乗ってきた拓也は軽くステップを踏み、シャドーボクシングをしながらそう口にする。


ビリーは、このままでは自分のみが危ないことを察し、焦ってなんとかしようと思考を巡らすが、眼前の彼はやる気満々。


最早逃げ道は無いようだ。



自衛のために仕方なく構えるビリー。


そしてその次の瞬間、目の前の彼が地面を勢いよく踏み切り、懐に飛び込んできた。



「黄金のォォ!!右ィィッ!!!」



「あっぶね!!」



引き絞っていた拳がとんでもない速度で放たれたが…ビリーはそれを辛くも回避し、なんとか後ろへ距離をとることに成功。


だが…



「甘ァァいッ!!!」



「ッぐぇ!」



拓也は回避された次の瞬間、前に出していた足でもう一度地面を蹴り飛ぶように加速すると、すぐさま懐に潜り込んで強烈な一撃をビリーの鳩尾に叩き込んだ。


襲い来る吐き気と激痛に、思わず膝を折るビリー。



拓也はそんな彼の元に歩み寄ると、眼前で跪く彼を見下ろし、挑発するような態度で口を開いた。



「おいおい、鳩尾に一撃もらったくらいでどうしたよ?」



「い…威力が……おかしいんだよ……」



「バカを言ってはいかんなぁ…これぐらいのパンチを打つ輩は世界にごろごろいるぞ」



なんでいきなり世界クラスの相手のパンチを繰り出すのだ…そう言いたかったビリーだが、今は呼吸することもままならない。


こんなこと実戦でやっていてはいい的だが、今は訓練中。なのでゆっくりと深呼吸し、目を瞑って落ち着きを取り戻すことに力を尽くした。



拓也は彼がそうしているうちは手を出すつもりは無いのか、腕を組んでビリーの前に堂々と立ち尽くしている。


すると彼は何を思いついたのか、どこからともなく一冊の小さなメモ帳サイズの本を取り出す。



「えーなになに?この情報書によると…彼の一年生のときのあだ名はサンドバッグ、雑兵、どこでもウォレット等々学園での地位ッふぇ!!?」



朗読する彼の足元を襲うビリーの脚払い。


そんな彼の本気の一撃に、拓也も思わずよろめいて、情けない声を出しながら後頭部を地面に打ち付けた。


しかしビリーの猛攻はまだ終わらない。


仰向けで地面に倒れる拓也に馬乗りになってマウントポジションを取ると、彼から習ったように力を無駄にしない突きを彼の顔面向けて打ち込みまくった。


だが流石拓也、一撃たりとも当たらず、首から上だけの動きで回避し続けている…キモイ。



そしてビリーは攻撃が当たらないことに苛立ったのか、精一杯彼を弱々しく睨みつけながら文句を言うように叫ぶ。



「それ僕のことじゃないかッ!!」








当たらない…しかし拳は止めない。それは怒りからだろうか?


封じておきたい忌まわしい記憶を呼び覚まされた彼の怒りは、激しく燃え盛り、物理攻撃となって拓也を襲う。



「どこでそんな情報手に入れてきたんだよ!!」



対する拓也は自分に向かって唸りを上げる拳をひょいひょい交わしながら人差し指をピンと立てて口を開く。



「どこも何も…お前が走り込みとかのココを離れる修行してる間って結構暇でさぁ…学園の中で部活とか残って勉強してた奴らでお前のこと知ってる奴らに聞き込みして回ってたんだよね」



「何でそんな無駄な時間の使い方してるんだよッ!!」



「別に無駄じゃないだろ?こうしてお前のやる気も引き出せたみたいだし」



そう発言しながらケタケタ笑い声を上げる拓也。彼が面白がっていることは一目瞭然。



「まぁこれ以上いろんな秘密を白日の下に晒されたくないなら…俺の口が動く隙を与えないことだな。


あそこでミシェルも見てることだし。それと、一応言っておくとミシェルは案外口を滑らせるぞ」



彼がちらりと視線を流す先には、ウッドデッキにちょこんと腰掛けてこちらを眺めているミシェルの姿。


肯定も否定の言葉も口にせず、ほとんど動かない彼女のその表情に、ビリーは拓也の言った通りになるのではと若干の恐怖を覚えた彼は、顔から血の気が引くのがはっきりと感じ取ることができた。



が、しかし…彼女の些細な表情の変化もちゃんと読み取れる人物ならば、今、彼女が若干バツの悪そうな顔をしたのは見逃していないだろう。



「なーミシェル」



「…うるさいです。というかたまに姿が見えないと思ったらそんなことをしてたんですか…相変わらず気持ち悪いですね」



「相変わらずって何だよ!」



「そのままの意味です」



「違うから!弟子の為の情報収集だからッ!!」



そして彼女がそんな表情をしたことで、ニヤッと口角を吊り上げた拓也がすかさずそうからかって…結果、いつものように毒を吐かれるのだった。




そしてそうしている間も断続的に放たれているビリーの突きだが…やはり一撃もヒットしない。


すると…どうやら拓也もずっとこの状況を続けているつもりは無いようで…



「というかお前いつまで乗っかってんだよ、とっとと離れろ」



「う、うわぁぁぁぁぁぁ!!」



右の拳で突いてきたビリーの腕をガシリと力強く掴み、力をこめて持ち上げると、彼を家とは反対の方向へぶん投げた。


まるでボールのように何度も地面と衝突し、土の上に茂る芝を抉りながらビリーは体をうまく使いながらその勢いをなんとか落として停止する。



そして完全に停止して、立ち上がろうとしたときだった。



全身を襲うとてつもない悪寒。思わず全身の毛を逆立てるようにビクリと身震いした彼は、本能のままにバックステップを踏んで後ろへ飛ぶ。



すると次の瞬間、ほんの数秒前まで自分の居た位置に半径2メートル程のクレーターが形成されていた。


そのクレーターの中央に拳を突き立てているのは…



「おぉっと、回避できてよかったな。どうやら今のが三回に一回のパンチだったみたいだよ」



やはりこの人物…恐ろしい。手加減はしてくれているのだろうが、こんな超威力のパンチ…もし当たれば挽肉化は不可避だろう。



戦慄するビリー。拓也は彼のその眼前に立ち塞がり、両手を大きく広げいあつするような姿勢を作るといつもの表情を顔に貼り付けて楽しそうに口を開いた。



「安心してくれ、君がどんな怪我をしようとちゃんと直してあげるから。



そう…例え臓器の一つや二つが潰れたり、四肢がもげたりしても…ね」



それが指し示す答え…それは今から”そういうこと”が起こり得るということ。



「い、イヤだああああああああああああああッ!!!!!」



「イイィィィイイヤッヒィィィィイイイ!!ヒァウィィゴオオオオオオオオオオオオオオオオオオ!!!!!」



その日、奇声を放ちながら王都内を高速で駆け抜ける赤い帽子のスーパーな不審者を見かけたという通報が後を絶たなかったのはのは言うまでもない。





・・・・・



「う…うぅ…もう…ダメ………」



時間は流れ、現在時刻は午後6時50分。



ヴァロア宅の庭には、虫の息で泣き言を口にするビリーの姿があった。



地面に倒れ込んだ彼は、全身のあちこちを擦り剥き、顔面が某アンパン野郎のように腫れ上がっている。そんな重傷な彼とは対照的に、傍らに立たずむ拓也は涼しい顔で息一つ乱していない。



ビリーはそんな彼の表情を見上げながら、妙に冴えた意識の中でれっきとした”差”を感じているのだった。



すると拓也はどこからともなく愛用のローブを取り出し、漆黒の布をバサリと風に靡かせながらそれを羽織ると、首の後ろに手をやってフードを引っ張り目深に被って、口元をニヤリと吊り上げながら口を開く。



「んじゃ俺はこれから帝の定例会なんで~。



ミシェル、悪いけど後任せていい?」



「分かりました、任せてください」




「んじゃそういうことで~。ビリー、今日はここまでだ。しっかり休めとけよ~」




そう言い残すと拓也は地を蹴り、勢いよく跳躍すると、すっかり暗くなった空に吸い込まれるように、黒いスクリーンの中へその姿を消した。


多分、帝の定例会とやらで少し急いでいるのだろう。



彼が飛び去って行った空をぼんやりと見上げながら、ビリーはポツリと呟く。



「あれだけ走り回ったのに…何であんなに元気なんだよ……」




「まぁ…拓也さんですからね…。さぁ、こっちに座ってください。治療しますから」




ミシェルは彼の独り言にそう返すと、少々呆れた笑みを浮かべて彼と同じ方向を見つめていた。



そして拓也に任されたので手に光魔法を展開し、彼にウッドデッキに座るように促すと、魔方陣から放たれる柔らかい光をビリーにそっと当てる。



「こんなに傷だらけにして…あのバカは一体何をしたんですか……」



「あ、アハハ…王都中を走り回りながら………色んな場所で…格闘してたんだ……屋根の上とか…それになんだか拓也君…奇声をあげながら打ってくるし……」



「あの…バカは………」




予想通り…拓也の行動は常軌を逸している。


激しく頭を襲う頭痛にミシェルは深く溜息を吐いて、やれやれと額に手をやるのだった。




そんな会話を交わしている間にもみるみる塞がっていく傷。


光の特性…治癒。言い方を変えれば活性。



何もしなかった場合とは比べ物にならない速度で表皮細胞が分裂し、傷口を覆って行く。しかしこれだけの効果を発揮できるのは、単純に治療をしているミシェルの腕がとても良いという部分も大きく影響しているのだろう。



そして彼女はビリーの全身の治療を終えると、彼の体を眺めながら申し訳なさそうに口を開いた。



「少し傷跡が残ってしまってますね…ごめんなさい。まだ拓也さんのように上手くはいかないみたいです」



「い、いや全然すごいよ!!ありがとう!!」



「そう言ってもらえると嬉しいです」



するとミシェルはビリーにも分かるほどハッキリと微笑みを浮かべ、そんな発言をする。彼はそんな希少価値すらある彼女のそんな微笑みに思わず無意識のうちに見惚れてしまっているのだった。



まるで陶器のような肌に、絹糸のような銀髪。そして宝石をそのまま埋め込んだのかと錯覚する程に綺麗な色を宿す蒼色の瞳。


そんな彼女は、普段は大体無表情。正確にはちゃんと表情が変化しているらしいが、変化の幅が狭すぎて、それに気がつけるのは付き合いが長いジェシカと、一緒に住んでいる拓也だけ。


そんな彼女が、ハッキリと分かるように微笑んだのだ。


いくら友人の恋人と分かっていても、見惚れるなというほうが無理がある。


まるでこの世のものとは思えない美しさと可愛さ。夢の中にでも迷い込んだのかと錯覚するビリーだった。




しかし…彼は次の瞬間、現実へ引き戻される。




「ビリーよ、あまりじろじろと見てくれるな。ミシェルが困惑してる。




あと眺めるのはいいけど、手を出したら………去勢すっからな」



「ヒィィィッ!!」




背後からヌルリと全身を舐め回すような濃密な恐怖。本能が警鐘を最大音量で鳴らし、一瞬にして背筋が凍る。


ビリーは思わずウッドデッキから転げ落ち、自分の座って居た辺りに視線を向ける。



するとビリーが口を開くよりも先に、呆れたようにミシェルが口を開いた。



「何してるんですか拓也さん」



「ビリーがミシェルをいやらしい目で見てたから心配で心配で…」



「み、見てないよ!!?」



「へぇ…じゃあ普段拓也さんがいやらしい目で見てくるのも何とかしてくれませんか?」



「イヤだ」



断固拒否する拓也。めんどくさそうに溜息を吐き、額に手をやるミシェル。



その傍らでことの成り行きを見守る、無実の罪を着せられかけている

ビリー。



もちろんそんなつもりは無かったのだが…内心でそんなことを呟くビリーだが、拓也が止まる気配は無い。



するとミシェルもめんどくさくなることを確信したようで、また一つ大きな溜息を吐いた。


そして長引かせるのもイヤなので、彼に対して抜群の効果を誇るカードを切る。



「ビリーさんはそんな人じゃないです。まだ言うようなら今日の晩御飯を石に変えますよ?」



「やだなー、ビリー君どうやら誤解だったようだ謝罪するよ。


じゃあ僕はこれからお仕事なんでー」




彼に対しての抜群の効果を誇るカード…それは食事。


拓也は彼女の作る食事をいつも楽しみにしている。それ故に抜きにされるのは厳しいものがあるのだろう。



証拠に彼は自らの非をあっさりと認めると、逃げるようにそう言い残しその場から跡形も無く消え去った。恐らく空間魔法を使ったのだろう。



「み、ミシェルさん凄いね……」



「そうですか?」



彼女にとってこの程度朝飯前。約2年間、彼の奇行を目の当たりにしてきた集大成とも言えるだろう。


脅威を難なく撃退した彼女は、風に吹かれ頬に掛かった髪をピンと弾き、拓也が向かったであろう王城の方に、ちらりと視線を送り、ビリーには分からないように微笑むのだった。




・・・・・



現在時刻は午後6時59分。場所は王城の会議室。



その部屋の中央に位置する円卓に腰掛けているのは…




「さて…後は『剣帝」だけだね」



エルサイド国国王『ローデウス=エム=エルサイド』



たくましい白い髭、威厳のある顔つき…そして禿げ上がった頭部。


中央が刈り取られたかのような髪型は、さながら落ち武者である。



「剣帝が一番最後なんて珍しいね~」



「まぁアイツまだ学生だからな。なんだかんだ結構忙しいんじゃね?」



「ガハハハハ!!酒が足りねぇぞッ!!」



「アンタはちょっとは禁酒しな」



そんな彼を囲むのは、この7人の集団だけで一国を落とせるとも言われ、その言葉にそぐわない飛び抜けた戦闘能力を持つエルサイド王国の最高戦力…『帝』。



しかし大体のメンバーが自由奔放なのが玉に傷である。





「光帝…アンタまたやるつもりなのかい?」



「当たり前だ、僕はやられたらキッチリやり返す主義でね」



呆れたようにそう訪ねる水帝。比較的常識人の彼女は、個々の色が強すぎる帝の中でもまとめ役的な存在。


そんな彼女の視線の先には、金属製のトレイに数個のシュークリームを乗せた光帝。


彼は、拓也から受けた屈辱を果たさんが為、定例会のたびにこうして何かしらの復讐を試みているが……



「あっぶね~ぎりぎりセーフ」



「隙ありッ!!」



遅刻ギリギリで慌てて入室してきた剣帝…拓也目掛けて、フルの身体強化を駆けて床を蹴った光帝。


そして拓也の顔面目掛けて振りかぶられるトレイ。このままいけば拓也の顔面は確実にクリームで大洪水状態になるだろう。



しかし…如何せん相手が悪すぎる。




「お~いつも悪いな光帝。ありがたく頂くわ」



「…ッチ」



低く舌打ちを漏らす光帝。彼の手の中に既にトレイは無く、肝心の標的の拓也はいつの間にか回った彼の背後で既に自分の席に着き、シュークリームに齧り付いていた。



「わ~いっつも差し入れありがとね~」



おまけに何故か王と他の帝たちにも一つずつ配られている。それにしても人数分ちゃんと用意している辺り、光帝も中々可愛らしいところがある。


流石にここまでやられては光帝は何も言えず、結局大人しく席に着くと、ようやく全員がこの場に揃った。



「はい、定例会始めるね~。それじゃあ水帝からお願い」



「はい」




そして帝の定例会が始まる。




・・・・・




約一時間後、定例会は終了し、王は忙しいのかそそくさと退室。



拓也は他の帝たちがぼんやりとしている中、席を立ちドアに手を伸ばす。



「お~剣帝、ちょっとストップ」



「ん、なに?」



何故か雷帝に呼び止められた拓也は、そちらへ振り返り、そう尋ねる。


すると彼は、驚きの提案を口にした。



「俺たちって一応正体隠さなくちゃじゃん?でもさ、同僚ぐらいには明かしてもいいと思うんだよね~」



「あ、そう……まぁ俺と光帝は既に正体バレてるけどね」



いきなりのそんな提案だったが、拓也は別段驚くことは無く、1年生のときの学園祭のことを思い出し、苦笑いを浮かべながらそう返す。



帝はその強さ故、正体がバレれば暗殺などの危険に晒される場合がある。まぁ彼らを暗殺できるものなど果たしているのかすら怪しいが、一応国の決めたことなので、帝は帝として活動している間はフード付きローブの着用が必須。


しかし、王族は彼らの正体を知る権利があり、帝たち自身も、自分たちの信頼している者には正体を明かして良いことになっている。



だから別にここで正体をバラし合っても、別に規則を破るということにはならない。



脳内で適当にそんなことを考えた拓也は、まぁ特に断る理由も無いので、首を縦に振った。



「いいよー、俺もお前らの正体とか結構気になるし」



「…剣帝は…………多分既に…私たちの正体を……知ってる」



「や、やだな闇帝…知らないって……ホントダヨー」



皆は確信した…自分の正体は、拓也には確実にバレていると。



「よし!じゃあ今から酒宴だ!!酒を持ってこいッ!!盛大に脱いでやるぜぇッ!!!」



「汚いから止めな。ぶっとばすよ」



「そうだな~ここでは無理だろうから街行くか?一回帰って9時くらいにどっか集合でどう?晩飯でも食いながらさ」



「私はいいよー!」



「ワシもいいぞ、今日は久々に調子がいい」



「ハハハ!爺が行くなら俺が行かないわけにはいかねぇぞ!!酒が美味い店がいい!!」



一人盛り上がる炎帝。脱ぐとは恐らくローブのことだろうが、すぐさま水帝の冷たいツッコミに襲われて弁解の余地は無くなった。



炎帝の代わりに意見を出す雷帝…そしてそれに便乗する地帝、風帝、炎帝。



しかし…



「あぁ悪い、俺は無理だわ」



「ん、なんか用事か?」



意外にも拓也が乗ってこなかった。


雷帝は首を傾げ、その理由を尋ねる。すると彼は、何を当たり前のことを聞いているんだといわんばかりに口を開く。



「いや、多分もう晩御飯できてるし」



彼のその一言で帝たちは彼が言いたいことを理解し、思わずニヤける。地帝が一人だけ悔しそうに歯を食いしばるが今はきっと触れてはいけないのだろう。



「あぁそっか、じゃあ来週の金曜とかどうだ?」



「事前に予定を組んでくれれば大丈夫だ。じゃあ来週な」



拓也はそう残すと若干の微笑みを顔に浮かべ、会議室を後にする。




彼の中で何よりも優先なのは、ミシェルとの時間なのだ。




・・・・・



時間は少しだけ流れ、現在時刻は午後8時10分。



帝の定例会を終え、食事の約束を取り付けたられた後、拓也は住民に迷惑が掛からない程度にダッシュして街中を走り抜け、気が付けば既に家の前に居た。


走っている途中、人目の無い辺りで脱いで手の中で畳んでおいたローブの中から家の合鍵を取り出すと、鍵穴に差し込んで捻り、施錠を解除して声を少し張りながら家の中へ上がった。



「ただいま~……おかえり~」



屋外と比べて、温度的にも感覚的にも温かく感じる家の中。


彼が何か一人で会話をしているのは見逃してあげて欲しい。



そして少し意識を集中すれば、鼻を擽る良い匂い。拓也はまるで明かりに釣られる羽虫のようにリビングのドアを開ける。


するとそこにはいつものように晩御飯を作っているミシェルの姿。



「お帰りなさい。晩御飯、ちょうどできましたよ」



「当ててやろう、今日は肉じゃが」



「…犬以上の嗅覚ですね………」



鍋の中に菜箸を突っ込んだまま呆れ顔のミシェルはそんなことを言って拓也を軽く罵倒。


しかし彼女のそんな発言で一々落ち込む拓也ではない。なぜならっ拓也にとってミシェルからの罵倒なんて、ご褒美以外の何物でもないのだから…


その証拠に拓也はだらしなく表情を緩め、身を捩って気持ち悪いことを口走る。



「ミシェルに犬扱いされる……アァ、いいッ///」



「気持ち悪い……気色悪いですよ」



「なんでわざわざ言い直したの?気持ち悪いより気色悪いの方が傷つくんだよ?」



「じゃあそう言われるような発言をしなければいいんです。



それよりもうすぐ出来ます、お皿出してもらえますか?」



「あ、はい」



そして案の定冷たい視線を浴びる結果に終わった。



潔くミシェルの指示に従う拓也は、彼女の隣で盛り付けようの皿を持って待機中。



ー…クックック…所詮俺はミシェルの従順な僕…ー



内心で自嘲気味にそう呟く拓也は、隣の彼女に視線を落とす。



大体なんでも飲み込みの早い彼女。週に1回教えている和食も、こうして慣れた手つきでこなしてしまう。


そんな彼女の成長の早さにどこか寂しさすら感じる拓也。


彼女は隣で彼がそんな理由から哀愁を感じているなどとはいざ知らず、小皿にお玉で煮汁を取って一口。そして軽く頷ずいて火を止めるのだった。




作った料理は二人分を丁寧に盛り付け、ダイニングテーブルに運ぶ。


二人は席に着いて手を合わせる。



「いただきま~す」



「はい、どうぞ」



拓也は、まず帰ってきたときに彼女が作っていた肉じゃがを一口。


繊細な味が口の中での解け、思わず顔に笑みが浮かぶ。


彼のそんな表情の変化をテーブルの向こう側から観察していたミシェルは、ホッとしたように胸を撫で下ろした。



「おいしい」



「…そうですか」



彼が素直にそう褒めても、ミシェルはほんの少しだけ照れたように頬を染め、視線を彼からそっと逸らしてしまう。


彼女は、またもや素直ではない自分のこういう部分に小さく溜息を吐いた。



その後も適当な会話が断続的に続き、食事を食べ進める二人。



そしてしばらくすると、ミシェルが拓也の表情になにやら曇りが伺えるのに気が付いた。


彼女はそんな些細な異変が非常に気になり、思わず彼に尋ねる。



「…どうかしたんですか?」



「ん、いや…大したことじゃない。



…ビリーのことなんだけどさ……」




最初は適当にはぐらかそうとした拓也。しかし彼女が自分を射抜かんばかりに見つめていることに気が付き、それは無理だと悟って正直に語りだした。



「アイツが強くなろうとする理由は分かったけど…まだ”足りない”って思うんだよね…」



「…気持ちが足りてないってことですか?」



「うん、それに近いと思う。現にアイツは…必死さが感じられない部分がある。


それがいつか…取り返しの付かない後悔にならないといいが……。



ハァ…何かアイツが必死になる”モノ”は無いかねぇ…」



少し疲れたような笑顔でケタケタ笑いながらそう説明した拓也。


しかしミシェルには彼の求める答えを見つけることは出来ない。何故ならそれは、ビリーにしか分からないことなのだから。



「あの…」



「ん?」



「…拓也さんにもあるんですか?必死なるモノって」



だから話の話題を少しだけ逸らすことにした。まぁ彼女の好奇心ゆえの質問でもあるのだが…。



拓也は彼女にそう尋ねられ、些か呆気にとられた表情をその顔に浮かべると、何の恥ずかしげも無く口を開いた。



「ミシェルだけど?」



「……………………は、はぁ!?///」




すると彼女の中で色々と限界を超えたのか、分かりやすく取り乱し思い切り赤面するミシェル。


拓也はいきなり彼女が声を荒げたことにビクリと震えながら驚いて、思わず箸をテーブルの上に落としてしまった。

そしてゆっくり視線を上げれば、視界に入るのは赤面したミシェル。


拓也はそこまで来てようやく自分の発言がマズかったのだと気が付く。



「な、なんでそういうことを簡単にッ///」



「何でも何も…命掛けて護ってんだ。そりゃ文字通り必死だろう」



「ですからそういうことじゃなくて…あぁもう///ごちそうさまでした!!」



彼女は羞恥のあまりそう叫ぶように言うと、慌てて食器をシンクに突っ込んで、逃げるようにお風呂へ向かって行ってしまった。


その光景を眺める拓也。別に嘘を吐いたわけではないのに何故か怒られたような自分。


非常にやるせない。




ちなみに余談だが、拓也が意図的に取り乱させようとしても彼女が取り乱すことは滅多に無い。


それはきっと、こうした会話の中でポツリと何気なく零れる企みの無い彼の本心が、彼女の羞恥を駆り立てているのだろう。



それにしても喋り相手のいなくなってしまった拓也。


彼は一人取り残された食卓で、真顔でたくあんをポリポリと齧りながら呟く。



「俺もまだまだ修行が足りんな…」



その発言は恐らく、彼女の扱いに対して…という意味なのだろうか?


だが分かることは、その言葉の真意を知るのは彼ただ一人である。


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