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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第二部
30/52

喫茶店



四月某日…



「ハァ…」



仲の良い友人で集まって、昼食をとっている最中に、小さく溜息をつく人物が一人。


その音の発生源は、小動物的危うさを醸し出す可愛らしい茶髪のセミロングの少女。



周りにも聞こえたその溜息に、ミシェルが一番早く反応した。



「どうしたんですか?セリーさん」



「っあ…う、ううん!なんでもないの!」



ミシェルのその問いかけに、慌てて手を振ってそういう彼女。


そんなわかりやすい彼女の反応に、周りの面々は何かがあったことを確信した。


しかし…問い詰めるというのもなんとなく気が引ける。




すると今まで軽く聞き流しながら、ミシェルの作った弁当に舌鼓を打っていた拓也が、唐突に口を開いた。



「あー、なんかお母さんが急用で、今週の日曜日に喫茶店を開店できなくなったらしいぞ」



「ほ、鬼灯君!?な、何でそのことを!?」



驚愕に目を見開き、ガタッと席を立つセリー。


その派手な行動のせいで周りの視線を一気に自分へ集めてしまった彼女は、恥ずかしそうに顔を赤らめると、大人しく席に座りなおす。


拓也は先ほどの彼女の質問に答える。



「ロリーに聞いた」



次の瞬間、隣に座っていたビリーが、熱々且つ良い感じにとろみの付いたコーンポタージュを、拓也の太ももへ向かって盛大にぶちまけた。



「ッんあああぁぁぁぁ!!?!?!?!!?」



「ご、ごめん!うっかり手が滑っちゃって…」



皮膚を侵食する熱。とろみのせいで熱さが逃げず、黄色いシミが広がる太ももには激痛が走る。



そして拓也は知っていた。



別に彼が自分に恨みを持ってやったわけじゃない…ましてや、うっかり手を滑らせたなんてことはもっと無い。



そう…この現象はつまり………




「クッソ!!ロリロリ受付嬢の呪いかッ!!」



「あっ…」



そう叫んだ刹那、彼の逆の太ももに、今度は熱々のミネストローネがぶちまけられた。



「ご、ごめんなさい…うっかりしていましたわ」



「あぁ…お前は悪くない…悪いのは全部自称大人幼女だ…」



次の瞬間、彼を熱々の味噌汁が襲ったことは言うまでも無いだろう。




燃え尽きて真っ白になった拓也はとりあえず放置され、セリーの事情徴収が始まった。



「私の家では喫茶店を経営してるの。


いつも日曜は忙しいから、私がお母さんのお手伝いをして店を切り盛りしているんだけど…鬼灯君が言った通り、今週の日曜はお母さんが急用で出かけちゃうんだ…。数人雇っている人も居るんだけど、その人達も用事があって来れないみたいで…お店を開けられないの…」



日曜と言えば…休み。つまりお客さんが多い=収益に繋がる。


何といってもやはりお金は大切だ。



するとそれまで珍しく大人しく聞いていたジェシカが、勢いよく立ち上がる。


そして片目を閉じ、軽くウインクしながら、任せろと言わんばかりに胸をトンと叩いた。



「そういうことなら話は早いよ!私が手伝いに行ってあげる!!」



唖然とするセリー。しかし彼女ならばそう言うだろうと思っていた一同は、やっぱりかといった表情を浮かべる。


すると今度は、普段自己主張の少ないビリーが、以外にも声を上げた。



「ぼ、僕も行く!!絶対行くからッ!!!」



何故か必死そうにそう発言するビリー。そして彼がそう言った意図が読まれたのか…自分を射抜かんばかりに向けられる視線。



ビリーはすかさず送られるその視線から顔を逸らした。



「…」



「っひぃ…」



しかし…隣の”彼”は、そんなことはお構いなしにビリーを見つめ続ける。


その光景はまるで…生者を黄泉へ引きずり込もうとする怨霊そのもの。



「僕も賛成だ。喫茶店のお手伝いなんて…すごくやってみたい」



「わ、私も行きますわ!」



拓也たちがそんな駆け引きを続ける中、アルスとメルも賛成の意を示す。


残ったのはミシェル。



「(今度の休日は…拓也さんを誘ってどこかへ行こうと思ってたんですけど……皆さんも行くみたいですし…



拓也さんがセリーさんを見捨てるわけがありませんし…でも、有名なぬいぐるみのお店が期間限定で……)」



揺れるミシェル。それもそうだ。折角の休日、恋人と過ごしたいというのも当然なのだから。



「じゃあ私は厨房頑張るね!こう見えても料理は結構得意なんだ!!」



「…私も行きます」



ジェシカのその発言を聞き、ミシェルは仕方なく…しかし表情にそれは出さずに決意した。



仕方がない…彼女の店を潰すわけにはいかないのだから。


「で、でも…みんな本当にいいの?」



「あったりまえじゃん!!なんだか楽しそうなことが起こる気がするし!!」



「ぼ、僕も!!」



セリーが申し訳なさそうにそう発言すると、ビリーとジェシカがすぐさまそうフォローした。


拓也は依然としてビリーに穴を開けんばかりに視線を集中させているが、肝心のビリーはその視線からわざとらしく顔を逸らすことで事なきを得ている。



「じゃ、じゃあ…お願いしてもいいかな?」



「あぁ、じゃあ今週の日曜だね?楽しみにしてるよ」



アルスがそう言い終わるのとほぼ同時に、昼休みの終了を告げるチャイムが学園に鳴り響いた。


ビリーはすかさず弁当箱を手に立ち上がる。



「それじゃあ僕は教室に戻るよ!」



そして拓也と一度も目を合わせることなく…彼の視線から逃げるようにSクラスの教室を後にした。


彼の後姿を、見えなくなるまで恨めしそうに追っていた拓也。



彼は、ビリーが廊下へ走り去ったことを確認すると、不気味…且つ凶悪な笑みをその顔に貼り付け、ポツリと呟く…



「ククク…それで逃げたつもりか?」



一同は、彼のその意味の分からない言葉に首を傾げたが、彼の顔からしてまたよからぬ事でも企んでいるのだろうと適当に予想し、その笑みの理由はあえて聞かないでおくことにした。



・・・・・



そして日曜。


天気は雲一つ無く、心地よい晴天。絶好の外出日和。さぞかし客足も伸びることだろう。



時刻は7時半。開店まで後30分。



「よし!今日は頑張っちゃうよ!!」



朝が早いのが苦手の遅刻魔…ジェシカは、何故か元気である。



「じゃ、じゃあまずは担当を決めるね?」



「はーい!」



とりあえず、これだけ早く起きられるなら学園に遅刻ギリギリで来るなよと思う一同であった。


セリーは店のマニュアルと思われる紙の束を取り出すと、しばらく考え込む。


そして自分なりに考えた配属を白紙の紙に書き出した。



「えっと…鬼灯君と私とメルさんでキッチン。アルス君とビリー君、ジェシカさんにミシェルさんでホールを頼めるかな?」



セリーのその指示に各自がそれぞれ肯定の反応をする。




「じゃあ更衣室で制服に着替えてくれるかな?もうロッカーの中に準備してあるから」



・・・・・



数分後、ホールに着替えてきた皆が集まる。


ジェシカは滅多に着ることの無い喫茶店の制服にはしゃぎ、メルは胸元が苦しいのかしきりに調節し直している。


ホールの女性陣は、清潔感溢れる白シャツに下と合わせた明るいブラウンの蝶ネクタイ、胸元が大きく開いた明るいブラウンが可愛らしい膝下程度の長さのエプロンワンピース。


アルスの格好は、白シャツに黒の蝶ネクタイ。黒のベストに同じく黒のスラックス。


彼の高身長もあってか、全体的にスラっとした印象を覚えるその格好。


おまけに彼の持ち前の張りぼてスマイルのせいで、最早完全にプロのウェイターにしか見えない。



厨房担当の拓也は、白の長袖コックコートに同じく白のコックパンツ。


その服装に真っ黒のソムリエエプロンを装備し、手には何故か異様に長いコック帽。



「(この店のコック帽ってこんなに長かったっけ…?)」



それを先ほどからセリーが奇妙そうにちらちらと見ているが、当の拓也は誇らしげにその帽子を抱えている。


そして彼女のその視線に気が付くと、渾身のドヤ顔で口を開いた。



「バカめ!コック帽は長ければ長いほど偉いのだ!」



「そうですか、じゃあ拓也さんにはこれで十分ですね」



そう発言した瞬間、拓也の手から叩き落されるコック帽。


いきなりのミシェルのその行動に驚愕し、目を見開いた拓也は、彼女のほうへ勢いよく振り返った。


すると彼女は手に握ったものを彼に差し出す。



「これは…?」



「?…拓也さんは下っ端なんですからこれで十分でしょう?」



「………いやそもそもこれコック帽じゃなくてただの白いベレー帽なんですけど…」



いったいどこから取り出したのかも分からないそのベレー帽。


拓也は彼女の足の下敷きになった自分のコック帽を一瞥すると、仕方なく溜息をついて白いベレー帽を受け取った。



ちなみに厨房担当の女性二人の服装は、拓也とほぼ同じ。


というか先程からメルのコックコートのボタンが弾け飛びそうである。




「…あれ?ビリー君は?」



そしてセリーがようやく気が付いた。


ホールスタッフの一人であるはずのビリーの姿が無いことに。



彼女のその発言に、周りのミシェルたちも辺りをキョロキョロと見回す…しかし彼女の言った通りビリーの姿は見当たらない。



「おかしいね、更衣室には居たはずなんだけど……」



首を傾げながらそう言うアルス。


そして彼が拓也に同意を求めようと、彼の方へ向いたときだった。



「た、拓也君…なんだよ…これ」



男子更衣室の方からビリーが壁を伝うようにして現れた。



彼のその苦しそうな様子に、一同は目を見開く。だが、拓也だけが不気味に微笑んでいた。



彼は笑みを顔に張り付けたままビリーの下へ歩み寄ると、彼の肩にポンと手を置き、口を開く。



「俺の渡したTシャツ…あれ俺が修業時代に使ってた『3倍だァァ!!』Tシャツなのよね。つまり今お前の体に掛かってる重さは、お前の体重の三倍…





やったね!ラッキー!!働きながら修行が出来るよ!!」




鬼畜な笑み。ビリーは思わず泣き出しそうになったが、すんでのところで堪え、彼に向けて三流映画のかませ役のように叫んだ



「べ、別に今日ぐらい!」



「今日ぐらい?甘いな。修行は一日にしてならずだぞ」



そのやり取りを遠巻きに眺めていた彼らは思った。



『こんな時ぐらい休ませてやれよ…』…と。



すると拓也はなにか思い出したのか、人差し指をピンと立てて付け足す。



「ちなみに俺は毎晩のスキンケアと頭皮のケアは欠かさない」



「いや知らないよ!!心底どうでもいいよッ!!」



彼のその意見は、拓也以外のこの場に居る者の総意だろう。



しかし拓也はビリーのその発言が癪に障ったのか、少し不機嫌そうに眉を顰める。



「おいおい…肌…はともかく、頭皮は大切だろ…。



禿げてからじゃ遅いんだよ?ん?街中で後ろ指さされるバーコード頭になりたいの?」



「そ、それは…


というかそんなの関係ないじゃないか!今日は流石に休ませてくれよ!!」



「クックック…やっと本音が出たか。



だがしかし…ちゃんと報酬も受け取っている以上手は抜けん」



「なんだよ報酬って!聞いてないよ!!」



「あれ?言ってなかったっけ。夜、お前から吸い上げた魔力は家の属性神たちが吸収してるんだ」



「初耳だよ!!」



・・・・・



そんなことをしているうちに、時刻は開店時間の8時になった。


拓也は結局、支給されたノーマルなコック帽を被り、キッチンに佇む。


アルスはにこやかに微笑みながらジェシカとミシェルと共にホールで待機。セリーとメルはなにやら打ち合わせ中。


そしてビリーは筋トレしすぎた後のような重苦しい動きでホールとキッチンの間にある柱に縋り付き、今のところなんとか事なきを得ていた。


するとそこへ本日のお客さま第一号が、ドアのベルの音と共に来店する。



「いらっしゃいませ!!」



すぐさま接客へ向かうジェシカ。相手は良い感じに年をとって来たのだなぁ…と一目で分かる優しそうなお婆さん。


彼女は溌剌としたジェシカを眼鏡越しに認識すると、穏やかに微笑んだ。



「あら、今日は可愛らしい店員さんがいらっしゃるのね」



「えへへ~」



「…お一人様でよろしかったでしょうか?」



まるで近所のお婆さんに褒められ照れているように、客にそう言われ何故か頭を掻くジェシカ。


そんな彼女を見かねてアルスがさりげなくフォローに割って入った。


お婆さんはアルスのその問いかけに肯定の反応を示す。



「ではこちらへご案内いたします」



相変わらずのアルス。


甘いマスクにイケメンボイス。そして何より、漂う好青年っぷり。



完全無欠に見える彼。しかし彼は官能小説が大好き…。



ちなみにこのことは、彼と拓也だけの秘密である。



「あ、あのお客さん週に3回は来てくれる常連さんだよ!」



「ほぉ…それじゃあ丁重に持てなさねぇとなぁ……」



そう発言した拓也。



すると彼は指輪を剣に戻し、まな板に切っ先を向けて中段に構えた。



その刹那、彼の頭部を殴打する金属製のトレイ。


『ガン!』という子気味のいい音がキッチンに小さく響く。



「物騒なモノはしまってください」



「ちゅす、恐縮っす」



ふざけたようにそう言う彼からは反省の色が見えない。



ミシェルは先が思いやられる…と内心で呟きながら、やれやれと額に手を置いた。



するとジェシカがキッチンの方へ駆けてきた。どうやらオーダーをとってきたようだ。



「はい!たっくん任せた!!」



「あいよ、任された」



ジェシカから渡された注文伝票の内容を確認する拓也。



「何々…ボロネーゼに春野菜サラダ。食後にコーヒーね」



うんうん…と何度か頷き、拓也は伝票をキッチンの壁に貼り付けた。


そして既に沸かしていた湯の中に、店主こだわりだという生パスタを放り込み、火に掛けたフライパンに某オリーブオイルシェフの如くオリーブオイルを垂らと、次々とソースの材料を放り込む。



何故か非常に手際のよい彼のその動き。



そんな彼をセリーが不思議そうに背後から眺めていると、ジェシカが何故か得意げに口を開いた。



「たっくんの料理の腕前はプロ級だよ!!」



「よせよせ…褒めても前期中間考査の模範解答用紙くらいしか出ないぞ?」



「わーい!」



なんだか危ないことを言っている拓也。


ホールに居るミシェルが冷ややかな視線を送ってくるが、きっと気にしてはいけないのだろう。



「す、すごい!鬼灯君って料理もできるんだね!!」



「天界に居た時にホント色々やらされたからなぁ……人間頑張れば何でも身に付くってはっきり分かるんだね」



そんな他愛もない会話をしている内に、拓也の隣には既に湯から上げられたパスタ…



…をざるに上げて持つメル。



相変わらずの影の薄さに、今の今まで存在に気が付かず思わずビックリした拓也だったが、それを口に出すとどうせ本人が噛みついてくるので黙っていることにした。



「はい、じゃあ盛り付けて…完成。


セリー、そっちはどう?」



「あ、あぁ…うん!出来てるよ!」



「よし!あとは私に任せといて!」



出来上がった料理をジェシカがトレイに乗せ、ホールの方へ向かう。


客はまだあのお婆さん一人。キッチンには…というより、店全体にまだ余裕がある。


すると拓也は何を思ったのか、あらかじめストックしてある生パスタに視線を落とし、虚空を見上げながら誰に言うでもなく呟いた。



「ミシェルのお○ぱいって…アルデンテだよね」



「……は…そ、そうなんだ!」



突如として放たれた下ネタ。しかしセリーは律儀にそう返す。


そして次の瞬間彼の額にフォークが深々と突き刺さった。



「いや…まぁ…触ったこと無いんですけどね」



今しがた作っていたソースのように赤黒い液体が、フォークが突き刺さる傷口からタラタラと流れ出る。



この鋭利な凶器を投擲したのは…もちろんミシェル。



やはり先程の発言がマズかったのか、彼女はジトっとしためで拓也を見つめていた。



「すみません、手が滑りました」



「そんなに起用に手を滑らす奴、俺は今まで生きてきて見たことが無いや♪」



拓也は妙に鬱陶しい動作を付けながらフォークを引き抜いて、シンクの中にそれを置いておく。


セリーはどうやら、先ほどは拓也の言葉に、適当に相槌打っただけのようで、今ようやく会話の内容を把握して赤面していた。



すると拓也は何か思い出したのか、右手で小槌を作って左手の平をポンと叩き、セリーの方へ向き直り口を開く。



「そうだそうだ、前から聞こうと思ってたんだけどさ」



「…あ、うん!なに?」



「ロ…リリーって家でどんな感じなの?」



寸前で呪いを恐れ言い直した拓也。



しかし…一連の言葉の中に『ロリ』という言葉が入っていたからだろうか?



呪いはコンロから滑り落ちたフライパンが、脚の小指を強打する形で発動してしまうのだった。



だが前日に比べればまだマシな方である。



セリーも拓也が大して痛がっていないことを確認すると、彼の質問に答える。



「う~ん…お姉ちゃんは基本的に休日は家でのんびりしているか、外に出かけるよ。その度にお土産っていってお菓子買って着てくれるんだぁ」



「あぁ~、そういえば甘いもの好きだもんな」




この世界に来た当初。


早速彼女の地雷を踏み、ケーキをプレゼントして機嫌を取ったことを思いだす。



まぁ、結局あの時は天誅を下された後に渡したため、大して意味はなかったのだが……


今となってはそれもいい思い出である。





「ねぇねぇたっくん!なんかお客さんが呼んでるよ!」



すると今までホールにいたジェシカが駆けてきて、いつもながらの笑顔でそう発言した。



そんな突然のお客様からの呼び出しに、拓也はセリーと顔を見合わせる。



「なんかやらかしたかな…」



真っ青になってガクガク震え始めた拓也。彼に釣られてセリーも不安から、小刻みに震え始めた。


しかし呼ばれている以上ここでこうしている訳にも行かない。


拓也は心なしか重たく感じる足を引きずりながらお客様が待つホールに向かった。



「このパスタを作ったのはあなたかしら?」



「はい、私がお作り致しました」



先程までのにこやかなお婆さんはどこへやら…


今拓也の目の前には、真剣な表情で眼鏡をずらして自分の顔をまじまじと見つめてくる圧迫面接官のような魔女。



「あなたも見ない顔ね…」



「申し訳ございません、本日はどうしても従業員が足りず、私は今日だけ当店で調理を担当している者です。


何か至らぬ点がございましたでしょうか?」



下手に出まくって、平謝りをする準備は万端の拓也。


ほかの面々はいったい何が始まるのだろうと被害が少なそうな場所から遠巻きに眺めている。



すると…怒られるのだと思っていた拓也の予想と反して、お婆さんは優しい笑みをもう一度顔に浮かべると、慌てて顔の前で手を振った。



「あぁ違う、違うのよ!むしろ逆」



「…逆…と言われますと?」



「えぇ、ここまで美味しいボロネーゼは食べたことがないわ。うちのシェフたちでもここまで美味しくは作れないでしょう」



まさかの賞賛。


拓也は安心したような困惑したような表情を浮かべて沈黙してしまう。



「ほ、鬼灯君すごいね…」



「言ったでしょ!たっくんは料理の腕前もプロ級だって!!」



こそこそとそんな会話を繰り広げるギャラリー。



するとお婆さんは、ポーチの中からおもむろに皮の小銭入れのようなものを取り出すと、そこからなにやら一枚の名刺を取り出し、拓也に手渡した。



「あなたさえ宜しかったら、うちで働かない?


この住所に私の経営するレストランがあるの。もしその気になったらいつでも訪ねて来て頂戴。歓迎するわ」



握らされるように半ば強引に渡された名刺。



「は、はぁ……考えさせてもらいます…」




拓也はとりあえずそう返しておいた。





そして一礼し、お婆さんの熱い視線を背に受けながらキッチンの方へ戻る。



「なんか…名刺もらった……」



「さ、さすがだね鬼灯君!!」



「いや…俺まだ学生なんだけどね…」



貰った名刺を胸ポケットにしまいこみ、拓也はめんどくさそうに溜息をつく。


それもそうだ。今彼は、帝、学生、ミシェルとビリーに稽古を付け、ギルド員としても働いている。


これ以上仕事が増えると流石の彼でも分身の術を使わざるを得なくなってしまうのだ。



「いらっしゃいませ」



そんなことを考えていると、次なる客が来店。


すぐさま接客に向かったアルスの背を眺めながら、キッチン担当の者は気を引き締めて、調理の準備を開始した。



「セリー!若鶏のホットサンドセットお願い!」



「は、はい!」




今日の営業は、まだ始まったばかりだ。




・・・・・



開店から3時間。現在時刻は午前11時。


まだ若干お昼時ではない筈なのに、何故か店は普段の日曜のピークよりもたくさんの客で込み合っていた。



その理由は…



「キャー!こっちむいてー!!」



「うわぁぁ!!可愛いぃぃ!!!」



女性の耳を劈くような黄色い歓声。


野郎の野太い声。



彼ら彼女らの視線は…




「ハハハ、いらっしゃいませ」



「……なんでこんなことに…」




アルスとミシェルに向けられていた。



適当にあしらっているアルスに対し、ミシェルは面倒そうに額に手をやる。しかし彼女も流石に客の前では露骨に嫌そうな顔はせずに、引きつりながらも微笑を持続している。



「メルちゃん!ホットコーヒー10お願い!!」


「わ、分かりましたわ!」



そして客が押し寄せている影響でキッチンはとんでもなく慌しくなっていた。



「ミシェルにそれ以上近づいた奴は地獄の終点行きにしてやるからな…」



拓也はキャベツを千切りにしながら、ホールでミシェルを目で追う野郎どもを静かに睨み付けてブツブツと恐ろしいことを呟いている。


しかし皆ミシェルに見とれすぎているのか、誰も彼に気が付いていない。



「馬鹿なことを言っていないで手を動かしなさい!手を!!」



「あん?動いてますけど?見ろこの残像すら見える速さ…ちなみに現在振り下ろしの速度は1200km/hですぜお○ぱい」




次の瞬間、彼の後頭部をマッハ5の拳が捉えた。




だが拓也はその程度では倒れない。


そして彼は、彼女の心配をしていると同時に、とても癪に障っていることがあった。


彼はその現場へ視線をやって、業務と共に現在進行形修行中の弟子を妬むように睨み付ける。



「え、えっと…サンドイッチとパスタのセットをお二つと、アイスコーヒーがお二つで宜しいでしょうか?」


「アハハ!この子可愛い~」


「君どこに住んでるの?学生かな?」



拓也の視線の先にはOL風の女性客二人組みに絡まれるビリーの姿。



緊張と共に、体にかかるいつもの三倍の重さのせいもあって顔は若干引きつっている。


我慢しているのだがどうしても抑えられない。


ビリーとしては、一刻も早く客の目の無い所へ駆け出したかったが、接客中のためそれが出来ない。しかもこうして絡まれた。泣きたい気分だろう。


…しかし…拓也はそんな彼の心境は考えずにただただ羨ましそうに視線を送った。


そしてやり場のないわだかまりを自身の作業にぶつける。



「そんなバカなァァァァァァァッ!!!何故だッ!!何故俺と同じフツメンであるはずのアイツがァァァァァァッ!!?!?!!!?」



「おぉ!見ろよ!厨房の兄ちゃんもすげぇぞ!!」


「なんだありゃ!高速すぎて手が見えねぇぜ!!」



キャベツ一玉が0.数秒で細い糸のような完璧な千切りに変わる。いや、千ではすまないかも知れない。


最早パフォーマンスの域まで達したその妙技は、客の視線を釘付けにした。


拓也の右隣には大量の千切りの山。いったいそこまで大量生産して何に使うのかと聞きたい。




「…でもアイツはなんか…普通だな、顔」



「…あぁ」



そしてボソボソと聞こえてくるそんなやり取りの内容。


彼らはちゃんと聞こえないように声量を調節しているつもりなのだろうが…そこは拓也だ。ばっちり聞こえている。


おまけにそうやって本人に聞こえないようにこそこそと言うという事は…それは偽りのない本心。



「…ッフ」



そんな彼らの言葉に豆腐メンタルを激しく抉られた拓也。彼は最後の一玉になったキャベツの千切りを高速で終えると…


鼻で笑うようにそう息を零し、目からキラキラと輝くモノを流しながら厨房の床に倒れこむのだった。



そんな時だった。



「こんにちは~…って見て見ろよあれ!」



「おぉ…すっげぇ………ねぇ、君メッチャ可愛いね!何歳?」



「仕事何時に上がるの?終わったら俺たちと遊びにいこーよ!」



来店した金髪ツンツン頭三人組に、ミシェルが絡まれた。



ぶっちゃけこんなことは珍しくはない。彼女が街中を歩いて居れば大抵こんな感じのイベントが一度は発生する。


まぁその都度しっかりと断り、しつこいようならば実力行使をする彼女だが…。



「はぁ…」



現在彼女は店員。来店したということで一応客ということになる彼らに失礼になるような発言はするべきではないのだろう。


しかし彼女の口から漏れたのは溜息にも似た適当な相槌。


そう、何度もこういった経験があるミシェルには、一目で分かる。



彼らはハッキリと言っても食い下がって鬱陶しい連中だと。




一方、厨房では……




「ごめんセリー、まな板まで切っちゃった」



「あ、アハハ…うん…気にしないで……」




自分の彼女が見た目からして頭の弱そうな奴らに絡まれているのをやはり発見している拓也。

何故か彼の扱うまな板は、中央部分からバッサリと真っ二つに切り裂かれていた。


セリーは思う。




「(うちの包丁ってこんなに切れ味良かったっけ……)」




明らかに殺気立っている拓也。


普段の彼からは想像もできないようなピリピリとした雰囲気に、セリーとメルは顔を合わせて何事かと首を傾げ、彼が真っ黒な瞳を向ける先へ二人はそちらへ視線を向けた。



そして見つける。彼がこれほどまでに殺気立っている理由を……。




「ねぇねぇ~この後どうなの?」



「…申し訳ありませんが、この後も予定がありますので……」



「えぇ~いいじゃんちょっとだけだよ!!」



案の定断っても食い下がってくる彼ら。


ミシェルは、何故彼らには人の都合を考えることすらできないのだろうか…と理解できない彼らの思考回路に頭痛を覚えて、気が付かれないように小さく溜息を吐いた。



これ以上相手をしている時間も、気力もミシェルには無い。


考えるミシェル。本当にこういったバカ共の相手をするのは疲れる。


そこで彼女は少しだけ浮かべていた微笑を完全に消し去り、クールな表情を顔に張り付けた。


そして少し自意識過剰と取られるかもしれないが、一番効果のあるであろうカードをきる。



「私には恋人がいるのでそういったお誘いは受けません」



ハッキリとそう声に出したミシェル。


すると…やはり仕事そっちのけで彼女のこのやり取りを傍聴していたジェシカは、壁の影で目を輝かせて楽しそうにしている。



異性からの誘いを断る時、この方法は恐らく一番効果的だろう。



しかしミシェルはこの方法をあまり使ったことが無かった。


照れくさい?…確かに彼女の性格上、その問題もあるだろう。



だが…それは主要因ではない。





では主要因とは何かというと………




「えへ…えへへ~」




この発言を拓也に聞かれると、何故か彼が異常に嬉しそうにするからである。



現にキッチンの彼はミシェルにチラチラと視線を送り、目が合うと恥ずかしそうに俯いて、人差し指で頬をポリポリと掻いたり、帽子の位置を微調整したりと何やら照れ隠しで忙しそうだ。



そんな彼の行動を目にしていると、そう発言した自分が恥ずかしくなってくる。


結局ミシェルも、クールな表情のまま少し頬を朱に染めるのだった。




「え~…でもさ!その彼氏より絶対俺たちの方が良いって!!」



「そうそう!絶対楽しいよ!!」



「だよな~!俺たちこう見えても結構強いんだぜ?きっと君の彼氏よりも強いぜ?筋肉だって…」




一体何を根拠に言っているのだろうか?そして最後の一人に関しては、いったいどうしてそうなったという程に完全に論点がズレている。



強まる頭痛。これだからこういう輩は嫌いなのだ…ミシェルはそう内心で零し、拓也がどうにかしてくれないだろうかとキッチンの方へ振り返リ…そして思わず固まった。




「ハァァ…」



「…」



キッチンには、上半身裸で腰に両拳を引き、全身の筋肉を緊張させた状態で仁王立ちする拓也の姿。


一応言っておくと、彼は首から下は超絶イケメン。


どうやら筋肉が~強さが~という金髪の発言に対する彼なりの抵抗なのだろう。しかしミシェル以外に気が付かれていないのが残念である。



「ほ、鬼灯君…ちょっと落ち着いたほうが…」



彼の近くにいるセリーが、優しく拓也をそう諭す。


しかし拓也は彼女のその言葉に全く聞く耳を持たず、完全にダークサイドのドス黒いオーラを纏い、ミシェルのほうを凝視している。



「では私は仕事があるのでこれで失礼します」



すると彼らの視線の先のミシェルはそうキッパリと言い放ち、銀色の髪を揺らして踵を返した。


とりあえずホッとするセリー。ふと隣へ目をやれば、拓也の表情には安堵からか薄い微笑が浮かび、ドス黒いオーラも幾分か減少している。



だが…彼らはそうハッキリと言われてもまだ諦めなかった。




「ちょ…待ってよ!」



完全に自分たちに背を向けたミシェルに対して、声を張ってそう静止を呼びかける。しかしミシェルはもう時間の無駄だと悟っているのか、その声に何の反応も示さず、ホールに向かって歩き続けた。



「ま、待って!!」



すると…彼らは自分たちの静止の呼びかけに応じない彼女をなんとか引きとめようと、あろうことか彼女の腕を掴もうと手を伸ばす。



だが拓也がその動きを見逃しているわけがない。



「汝、禁忌を犯す者なり」



肩がピクリと動いた段階から彼の動きを予測していた拓也は、遂に抑えきれなくなった殺気を微量漏らす。


そしていつの間にか腰に下げていた刀の鍔を左手の親指で押し、スッ…と静かに刀身の根元を鞘から覗かせた。



「ッ!!?」



殺気を当てられた金髪の連中は、血色の良かった顔を真っ青にし、背中に氷を突っ込まれたような感覚に襲われ、思わず震え上がる。


しかし…急に驚かすようなことをしたからだろうか…。



ミシェルへ伸びる金髪の手は、更に勢いを増した。




しまったと目を見開いた拓也。金髪の手がミシェルに触れるまであと1秒もない。


拓也は、使いたくは無かったが…仕方ないと腹を括る。そして魔力を練り上げた。



変換した属性は…空間。



そして彼が遂に魔法を発動し、彼女の元へ飛ぼうとするその刹那…



「…え……は、ハァァ!!?」



ミシェルに伸ばされていた金髪の腕の肘から先が、一瞬で氷の塊の中に閉じ込められた。



「ギルドの方が非番だったから来て見れば…



うちの店員に粗相をするような客は要らないわ。不愉快よ、とっとと失せなさい」



そう発言した人物は、店の入り口の場所にいた。


腰まである長い茶髪をポニーテールにし、スッと伸ばした右手には、水の魔方陣が展開され、鋭い眼光で金髪3人組を睨み付けている。




「お、お姉ちゃん!?」



ギルド『漆黒の終焉』の受付嬢にして、拓也にとって最大の天敵。



彼女はミシェルに粗相をしようとした輩の全身を、続けざまに氷の中に埋め込むと、残った二人も氷の中に捕らえてしまった。


拓也は幾度にも渡る彼女との”闘い”の歴史の中で植えつけられた”恐怖”から、。恐れ戦きポロッとマズイことを口走る。



「ば、バカな…ロリー…だと?」



「誰がロリーじゃ」



大魔王リリー=ランス…登場。



失言をした彼の頭部は瞬く間に水の球体で覆われ、体には数十の氷の矢が突き刺さる。



…拓也だけは氷漬けではなく、窒息させに来ているあたり流石だ。




「セリー、どう?ちゃんと仕事は出来てる?」



「う、うん!皆が手伝ってくれてるおかげで!!」



「そう、よかった」



姉妹の微笑ましいやり取り。しかしその傍らには黒髪のフツメンが酸素を求めて悶え苦しみ、さらに傷口から血を滲ませながら床を転げ回るというバイオレンスな光景。


しかし誰も助けようとはせず忙しく歩き回っている…あぁ、なんという世界だ。



するとリリーはわざとらしく拓也を踏みつけ女子更衣室へ移動し、しばらくすると制服姿でまた拓也を踏みつけながら出てくる。



「私も手伝うわ、見た感じ忙しいみたいだし」



自らそう言い出した彼女はキッチンへ移動し、コンロにフライパンを置きオーダーを確認して料理を開始した。



「え、いいの?お姉ちゃん今日は食べ歩き行くって行ってたのに…」



「別にいいわよ、少しだけど食べ歩きも出来たし…それに…」



彼女はそう言葉を途切れさせると、自分の足元まで転がってきたモノを思い切り蹴り飛ばし、顔に掛けてあった水魔法を解いて眼下で白目を剥いている拓也に料理を続けながら声を掛ける。



「街中でうちの店がすごい噂になってたけど…アンタ何したの?」



「世界の幼女100選を読んでた。あ、お前も載ってたよ」



そして彼は男子更衣室のほうへ連行されて行く…



その姿はまるで、ドナドナされて行く子牛のようだった…。





すると男子更衣室から聞こえ始める拳が肉を叩き、骨を砕く音と、拓也の呻き声。


繰り広げられる惨劇。しかしジェシカは笑い、ミシェルは無関心でアルスはいつもながらのスマイル。ビリーは人の心配をしている場合ではない。


よって気に掛けてくれているのはセリーとメルの二人くらいだろう。


しかしメルはコーヒーの量産が忙しいらしく、拓也が連れ去られたことに気が付いていないのだった。


そしてしばらくするとリリーだけが戻ってくる。



「ハァ…なんでアイツは……」



彼女の服の端に何か赤いモノが付着しているのを薄っすらと見えた気がしたセリーは思わず震え上がる。


彼女にはどうやら刺激が強すぎたようだ。



・・・・・



「リリー、それ追加」



「分かってるわ。アンタも追加来てるわよ」




あの惨劇から数分後、拓也とリリーは並んで料理中。相変わらず客の波は切れず店は大盛況。



リリーはとりあえず一暴れすれば落ち着きをこうして取り戻す。



ー…まぁ暴れてるときが辛くて仕方ないんだけど…大体は俺の失言がトリガーになってるし仕方がないか…ー



内心でそう呟いた拓也は黙々と料理を続け、大量に追加の品を作り続ける。


リリーも彼に勝るとも劣らない速さで自分の担当の品を量産していた。



「来てる分はこれで最後っと…」



「あら、アンタも終わったの」



とりあえず二人はオーダーの来ていた分を作り終え、束の間の休憩に入る。


しかし別に休憩時間なわけではないのでこの場を離れるわけにも行かない二人は、ボーっとしながらただ立ち尽くす。



するとリリーが唐突に口を開いた。



「ねぇ、なんでアンタさっきすぐにミシェルちゃん助けに行かなかったの?」



「…別に………ミシェルならあの程度一人で大丈夫だし…俺が出る必要はないかなぁ~的な…」



彼女のその問いを聞いた拓也は何故か少しの間黙り込み、まるで言い訳をするようにそう言った。


彼のそんな発言を不審に思ったりリーは、首を傾げる。



そして彼の表情の変化と発言。ミシェルと金髪の会話の内容を良く思い出してみた。


すると徐々に見えてくる彼の考え。リリーは自分が辿り着いたその答えを包み隠さず彼に放つ。



「アンタ…もしかして、自分が出てって彼氏だってバレた時にミシェルちゃんに恥を掻かせるって考えてた?」



「……」




流石大人(幼女)どうやら図星のようである。



きっと彼は自分がフツメンであることを分かっているため、美少女であるミシェルが自分を選んだということでバカにされないように…とでも考えていたのだろう。


リリーはふと顔を上げて拓也を見上げる。



「しょうがないだろ…俺イケメンじゃないし……」



彼女の視線の先には、明らかに表情が暗くなった拓也。俯いていることで合う瞳はいつものように黒いが、今は何か別の黒さも宿っていた。


彼はちゃんと分かっている。自分の恋人と自分のルックスが、同じ次元にないことを。


フツメンの自分に対して、ミシェルは、街を歩けば皆が振り返りほどの美少女。


釣り合っていない。そう言うとミシェルはきっと怒るが、周りから見ている連中が彼らが恋人同士だと知れば、感想は間違いなくこれだろう。



「(あー…これめんどくさいやつだわ)」



拓也のその表情を見てすぐさまそう判断したリリー。


彼女はキッチンからホールを見回して、彼がこうなった時も特効薬であるミシェルを探す…が…



「セリー、客も一段落付いたしリリーも来たし…ピークになる前に昼休憩とってくるわ…」



「う、うんいいよ!行ってらっしゃい」



彼は肩を落としながらセリーにそう許可を取ると、ミシェルが来るより先に休憩をとって店から出て行ってしまった。


拓也の哀愁漂う背中を見送るセリーとリリー。


するとどうやらセリーも彼の様子がおかしいことに薄々気が付いているのか、オドオドしてリリーのほうに駆けて来る。



「お、お姉ちゃん…鬼灯君どうしたの?」



「あー…図星を突いたらああなった」



めんどくさそうに頭を掻きながらそう言うリリー。


彼女はミシェルと拓也に少し申し訳ないことをしたと内心で思いながら溜息をついた。



「アイツ…甘いものとか好きかな?それで機嫌が直るんならいいんだけど…」



「鬼灯君は甘いもの大好きだよ!」



「そう…じゃあ戻ってきたら買ってきたケーキでもあげることにするわ。


…それとも店に連れて行ったほうが良い?」



「どっちでもいいんじゃないかな?」



普段は些細なことで小競り合いばかりしている拓也とリリー。二人は仲が悪いようで、実は結構仲がいいのだ。






するとそこにミシェルがやってきた。


彼女はキッチンに拓也の姿が無かったことに首を傾げると、近くにいたリリーたちに声を掻ける。



「あれ…拓也さんは?」



「…ごめんミシェルちゃん。私が痛い所突いちゃったみたいで休憩とって街へ行っちゃった」



申し訳なさそうにそう謝罪するリリー。ミシェルは少し心配そうに眉を潜めながらも、すぐ苦笑いを向けて口を開く。



「いえいえ、拓也さんがリリーさんとの言い合い程度でそこまで落ち込むわけがありませんし、きっと何か他の要因がありますから気にしなくていいですよ。


それに…あの人はあれでもしっかりしています。休憩時間が終わる前には戻って来ますから店の方は問題無いです」



まぁその要因というのは彼女のことなのだが…それを知らないミシェルはそうリリーのフォローに回った。



一瞬本当に戻ってくるのか?と疑問を抱いたリリーとセリーだったが、彼女の言うことならば間違いないと確信する。



「落ち込んでるときの拓也さんはどこを探しても見つかりません。あの人は自分の沈んでる姿を見せないんです。


今、街へ探しに出ても確実に見つかりませんよ」



困ったように…しかしどこか嬉しそうな笑顔を浮かべながらミシェルがそう続ける。


いつもは口数もそれほど多くなく、クールな印象を覚える彼女だが、拓也の見ていないところで彼の話をするときは決まって饒舌になり、このなんとも言えない幸せそうな笑顔を浮かべるのだ。



「まぁ…帰ってきてもまだ落ち込んでるようなら、何発か頬を叩けば元通りです」



軽く声を上げて笑いながら言葉をそう締め括り、彼女はシンクの隣にある水気を拭き取って放置されていた食器を、キッチンの棚の中へ戻し始める。


すると…今まで黙ってミシェルの話を聞いていたセリーが特に考えもせず、思ったことをそのまま口に出した。



「ミシェルちゃんって…本当に鬼灯君のこと好きなんだね」



「…なっ///」



次の瞬間、煙が出そうなほどに赤面したミシェル。そして羞恥の感情のせいで力の抜けた手の中から、皿がスルリと滑り落ちた。


重力に従って落下したそれは、ガシャン!という大きな音と共に辺りに鋭利なガラスの破片を撒き散らす。



「ご、ごめんなさい!」



「う、うん大丈夫だよ!怪我してない?」





割れた皿はすぐさまリリーが片付ける。流石は受付嬢というところか。



ミシェルは身を抱くように腕を組み、右の手で銀色の絹糸のような髪を弄り赤面して俯いている。


そして先程のセリーの言葉に返答するように、本当に小さく…静かに呟いた。



「そりゃ…まぁ……大好き…ですけど///」



独りでにそう呟き、より一層顔を真っ赤に染める。


彼女はきっと誰にも聞こえないように呟いたつもりなのだろうが残念。リリーにもセリーにも聞こえていた。


いつもはクールな彼女がこうしてモジモジしながら髪を弄る光景。その姿は同性であるリリーやセリーですら可愛いなぁ…と思ってしまう。


そんな普段とは違う、加虐心を擽るような彼女の仕草。しかし彼女らはそこに触れると、羞恥に襲われる彼女によって今度は店のキッチンが吹き飛ぶのではないかと恐れ、あえてその事は口にしなかった。



・・・・・



約40分後。



「…」



キッチンには、黙々と料理し続ける拓也の姿。


手際はとてもいい。しかしその表情は何処か憂鬱…且つ暗い。



そんな彼の表情を見たミシェルは、リリーから彼がこうなった理由の詳細は聞いていないが、一目見て彼がおかしいというのは分かる。



出来れば今すぐ引きずって人目の無いところへ連れていって事情徴収から矯正を下かったミシェルだが…。



「(お昼時のピークですね…しばらくは何もできません…)」



生憎、店はお昼時のせいで大混雑。


彼女は気が付いていないが、自分とアルスが物凄く客寄せ効果があるということもあって店の中はおろか、外まで行列が出来ている始末…。



ミシェルは忙しくテーブルを片付けながら拓也の方を眺め、内心でそんなことを呟いた。



「(…何があったかリリーさんから聞いておけばよかったですね……やっぱり少し心配です)」



口ではああ言ったが、やはり心配。


そしてふと気が付けば、ボーっと彼の方を眺めているだけで自分の仕事に身が入っていない。



ミシェルは溜息を吐いて、仕事をきちんとするため、気持ちを入れ直した。





・・・・・



結局その後も客は途切れず時間は流れ続け、気がつけばすでに午後4時30分。


流石にこの時間になると客の数も減り、従業員にも余裕が生まれてくる。



「(どうやって話を切り出せば……)」



そしてミシェルは未だ動いていなかった。


客の姿もまばらになり始め、手の空く時間も結構できたが、拓也の放つ憂鬱なオーラが、彼女の話しかけに行こうという決心を鈍らせているのである。


おまけに、他の面々はお互いをカバーし合いながら休憩を取っているがミシェルはまだ休憩を取っていない。

しかし彼女は自分の休憩より、彼がああなった理由の方が気になっていた。



するとそんな彼女にセリーがキッチンから声を掻けた。



「ミシェルちゃん、休憩取ってきなよ。朝からずっと働いてくれてるし、お客さんも落ち着いてきたからさ」



セリーの隣にいるリリーも自分の妹の提案に賛成なのか頷く。


それにしてもこの身長差。姉妹なのに何故だろうか…。



ミシェルはそんな光景を眺め、リリーに気づかれないようにそっと笑みを浮かべた。


しかし彼女は、落ち込んでいる拓也を何とかしないといけない。


ミシェルはそう思い、セリーの提案を躊躇うように眉を潜めて首を横に振る。



するとセリーの隣のリリーは彼女がそう答えるのが分かっていたかのようにニヤリと口角を吊り上げると、さらに隣にいる彼に喋り掛けた。



「ついでにアンタも行って来なさい。さっき40分で戻ってきたけど、うちの休憩は1時間以上だから」



「……そうなの…じゃあ行って来るわ」



彼女の口から知らされたその事実に拓也は少しの沈黙の後にそう返し、エプロンを外す。


そしてそのままフラフラと歩き出したかと思うと、ミシェルの脇を通り抜け、街へ向かうべく店のドアに手を掻けた。



マズイ…。慌ててキッチンから飛び出すリリー。



「ちょ、ちょっと。どこ行くのよ?」



「…どこって……休憩しに行くんだけど…」



「別に街へ行かなくてもこの店の中にも休憩室はあるわよ?」



「……そう…じゃあそうするわ」



明らかに暗い。近くで拓也がリリーと喋っているのを聞いていたミシェルはそう確信する。


彼はリリーが示した方向へ向かって歩いて行く。


するとリリーは彼が見えなくなると、ミシェルに向かって口を開いた。



「ミシェルちゃん、後は任せるわ」




少し申し訳なさそうにそう言うリリー。


彼女が何をしたかは知らないが、彼女が悪意をもって彼がああなったわけではないとちゃんと分かっているミシェルは、彼女を攻めることはせず、代わりに優しい微笑みを向けた。



「任せて置いてください。私、拓也さんの彼女ですから」



どこか誇らしくそう発言したミシェルは、踵を返し拓也の向かった休憩室へ向かって行く。


リリーはお願いする意味も込めて、その頼もしい背中を見送るように軽く手を振った。



・・・・・


長机とパイプ椅子が並べられた休憩室。


そこには一言も発さない二人の人物がそれぞれ椅子に腰を下ろしていた。


幸いリリーがきっかけを作ってくれたおかげで、ミシェルは今こうして拓也と二人きり。

思い切って彼の隣に座った彼女だが、会話は全く無い。



しかし…虚空を見上げて剥製のようになっている拓也から会話を切り出してくることはきっと無いだろう。それはミシェルもなんとなく察している。


だから…



「拓也さん。昼頃からなんだか様子がおかしいみたいですけど何があったんですか?」



彼女の方から切り出した。それも牽制も無しでいきなりのド直球。


何故いつもは彼の前で自分の本心を隠したり出来ているのに、こんな時にはそれが出来ないのだろうか…と、ミシェルは自分の要領の悪さに、発言した後思わず額を押さえた。


拓也はいきなりの核心を突くその質問にピクリと反応する。そして虚空を見上げたまま、彼女に目を合わせることなく口を開く。



「手に油が跳ねてやる気無くなっただけだ」



「いや、絶対嘘ですよね」



「ホントホントー」



彼がふざけ、彼女が的確にツッコむ。いつものようなやり取り。


こうして話しているとなんだかいつもと変わらない彼のように思えるが、そうではないとミシェルは気づいている。



「(声にも少し元気が無いですし、表情も少し暗い…おまけに目を合わせてこない…絶対に落ち込んでますね…コレ)」



彼女は誰よりも拓也のことを知っていると自負している。


だからそう断言することが出来た。


しかし落ち込んでいることは分かるが、流石に詳細な理由までは分からない。



ミシェルは解決のため、それを聞き出すべく、脳内で発言する言葉の吟味を始めた。




しかしこういうときに限って良い言葉が浮かばない。


ふと気がつけば流れる沈黙。先程までの会話は完全に終了し、拓也も虚空を見上げたまま動かない。


ミシェルは自分の不甲斐なさから大きな溜息を附くと、仕方なくいつものように口を開いた。



「嘘ですね、見れば分かりますよ?」



ジトッとした目で拓也を隣から見上げ、静かにそう言い放つ。


何故こんな強い当たり方しか出来ないのだろう?自分でもわけが分からないミシェルはまた溜息を吐いて目を伏せた。


そして、ポツリと呟く。



「…ごめんなさい……こんな事しか言えなくて…」



それは謝罪。別に彼女は何も悪くない。しかしそれは彼女として的確な言葉を見つけられなかったという自責の念からの発言だろう。


するとそんな彼女の様子を間接視野に収め、耳を傾けていた拓也が、虚空を見上げたまま彼女を気遣うように右手だけを彼女の頭の上にポンと置く。



「気にするな、ミシェルは何も悪くない」



彼のその優しい声を聞き、驚いたように顔を上げるミシェル。しかし彼女の想像とは裏腹に、目に映るのは先程と変わらない拓也の表情。


機嫌が直ったことを少し期待したミシェルだったが、どうやら違ったようだ。



「でも…どう見てもおかしいですよ……いつもの拓也さんじゃありません…」



「…そうか?」



少しムスッとしたような表情でミシェルが指摘すると、拓也は僅かだが口角を吊り上げながらそう返す。


彼の僅かなその変化。しかしそれはミシェルにとっては大きいモノ。



すると彼女は一度、気を引き締めるために深呼吸をして呼吸を整える。そして自分なりに覚悟を決めると、最初と同じようなことを彼にもう一度尋ねた。



「…本当に…何があったんですか?」



彼女の問いかけに、拓也は時が止まったかのように沈黙する。


最早彼が何か自分に隠しているということは間違いない。ミシェルは確信した。


最初のやり取りとは明らかに違う…彼も彼女も、顔に浮かべているのは真剣な表情


しかし彼は中々口を開こうとはしない。


彼のその行動は、ミシェルの中で彼女の感情を昂らせてゆく。


そしてその感情は、怒りなどというもではなく…



「私にも…言えませんか?」



悲しみだった。


目を伏せ、そう呟いたミシェル。


彼女の表情は暗く、彼に信頼されていないという不安からか重苦しい。



クールな彼女。普段のその表情などはほとんど変わってはいないが拓也には分かる。普通の人が見ればその区別はつけにくいだろうが、彼には彼女が今、シュン…と落ち込んだことにすぐ気がつく。


いつもならほとんど見せることの無いその弱気でナヨナヨしたミシェルのその表情。


拓也はちらりと彼女を一瞥すると、諦めたように溜息を吐いた。



ー…ホント…ミシェルには弱いな…俺…ー



そしてやれやれと、苦笑いを浮かべながら口を開く。



「…怒らない?」



まずは保険を掛けるためにそう発言する拓也。


理由は簡単。今時分が落ち込んでいる理由を彼女に話せば、きっと怒ると思ったからだ。



ミシェルは拓也のその言葉に、声は発さず首を縦に振ることで肯定の意を示す。


すると拓也はまるで説教されているときのようなバツの悪い表情で、ミシェルが座る右側とは逆のほうの地面へ視線を向けてようやく話し始めた。



「いや…俺ってフツメンだから、他人がさ…ミシェルが俺なんかと付き合っているって知ったら、きっとミシェルがバカにされるって思って…怖くって…


ごめん…昼にすぐ助けに入らなかったのも……それが怖くてなんだ…ホントごめん」



話しているうちに拓也の表情はどんどん暗くなって行き、終いには俯きながら消え入りそうな声でそう言った。



そして、ミシェルは彼が今まで落ち込んでいた理由を知ると「



「はぁ?そんなことで落ち込んでたんですか?」



拍子抜けしたようにそう口にして安堵に胸をそっと撫で下ろし、心配して損したと言わんばかりに大きな溜息を吐くと、拓也をジトッとした目で見つめながら呆れたように口を開く。



「バカなんですか?私は周りから自分がどう思われようが気になんてしません。拓也さんの良さは私が誰よりも理解していますから。


というか…もし次にそんなことで落ち込んでたら怒りますよ?」



「で、でも…ミシェルが周りに悪く言われるのは嫌なんだよ!」



「それは私も同じですよ。ですから外見だけで拓也さんを悪く言うバカが居たら私が怒ります」



ジト目で見つめながらそう発言する彼女。


拓也は少し呆気に取られたような表情で黙り込んでしまった。




そして理解する。自分はなんだか結構しょうもない理由落ち込んでいたのだと。


彼女はこうして、自分がどういわれようと気にしないと言ってくれる。そして自分のことを悪く言ったら怒るとも言っている。


拓也は少し笑みを零した。


自分がどう言われようと気にはしないが、自分が彼女のことを悪く言われると嫌なように、彼女も同じくそう思ってくれている。



ー…考えてることは同じか…-



すると拓也が笑っていることに気がついたミシェルが、首を傾げて口を開く。



「なに笑ってるんですか?」



「いや…おかげで元気出たよ、ありがとう」



「…そうですか」



素直にそう言われ、ミシェルは拓也から少し視線を外して照れくさそうに頬を赤く染めた。


彼女はそれで羞恥を隠しているつもりなのだろうが、拓也は普通に気がついている。


自分から視線を外した彼女を微笑ましく見つめながら、やれやれと楽しそうに一息吐いて立ち上がる。



「ミシェル、朝から働きっぱなしだからお腹空いてるだろ?何か食べたいもんある?キッチン借りて作ってくるけど」



「…それなら私も一緒に行きます」



「…別に休んでてくれて構わないぞ?すぐに出来るし…」



「いいんです」



別に一人で大丈夫なのに、理由を言わずに付いて来るミシェルに、拓也は疑問符を浮かべて休憩室と店を繋ぐドアに手を掛ける。


一方、ミシェルは彼の後ろでまた照れたように頬を少し朱に染めていた。



照れくさいから口にはしないが、その理由は簡単。少しでも長く、彼と一緒に居たいのだ。


・・・・・



「も、もう…だめ…」



軋む骨、悲鳴を上げる全身の筋肉。無理も無い。彼は朝から自分の体重の3倍の負荷を掛けて仕事に望んでいるのだから。


ホールから裏に下がってきたビリーは、客に見えないようにカウンターの裏側で膝を折り、冷たい床にうつ伏せに倒れ込む。



しかしその行動はマズかった。



「ッ!!」



押し潰される肺。中の空気が搾り出されるように口から排出され、途端に全身を酸欠の状態に追い込んだ。


このままではマズイ…そう判断したビリーは残った力を振り絞り、なんとかカウンターに背を預けることに成功する。



「なんでこんなことに…」



そしてそのままの体勢でポツリと呟いた。




まぁその理由は彼が拓也に弟子入りしたからなのだが…。


今の彼は、そんなことを冷静に考えていられる状態ではない。



ビリーは深く溜息を吐くと、現在に至る経緯を振り返り、体育座りをしてさらに顔を脚に埋めてその目に薄っすらと涙を浮かべる。


するとそんな時だった。



「あの…ビリー君」



聞きなれた声が頭上から掛かった。


ビリーは忌々しいシャツのせいで重くなっている首をゆっくりと上げ、その人物を視界に収める。


目の前に立つのはセリー。少し眉を潜めながら、両手を後ろで組んで彼に声を掛けている。



現在彼は仕事中。休憩中では断じてない。つまりこうして休んでいる訳にはいかないのだ。彼女がこうして怒るのも無理は無い。


ビリーはすぐに膝に手をついて、力を込めて立ち上がる。



「ご、ごめん…すぐに戻るよ…」



すると彼の予想と反して、彼女は彼がどうやら勘違いしているようだと理解し、慌てて首を横に振って口を開く。



「ち、ちがうよ!…ハイこれ、疲れてるでしょ?良かったら食べてね」



そして今まで背後に隠していたモノをビリーに差し出し、にっこりと穏やかに微笑んだ。


ビリーは驚いたように目を丸くし、確認のため呟く。



「これは…僕に…?」



「うん!仕事と一緒に修行もしてるから、きっとお腹空かしてるって思ったの」



彼女が差し出した皿の上には、綺麗に並べられたカツサンド。きっと元気が出るようにと気を使った、彼女のチョイスだろう。


地獄のような特訓の中に突如として訪れたそんな優しさ。ビリーは思わず感極まって涙を零した。



「こんな……ありがとう……」



「び、ビリー君!?大丈夫!?泣かないで!?」



「ごめん……優しさに触れたのが久しぶりすぎて……いただきます」



いったい普段、どんな特訓をしているのだと恐ろしいモノを想像するセリー。


ビリーは手の甲で涙を拭いながらセリーから皿を受け取り、カツサンドを一つ口に運ぶ。


普通のカツサンドのはずなのに…全身にもう一度力が漲ってくるような感覚が全身を襲う。これが優しさの味なのか…ビリーはそんなことを思い、また大粒の涙を流した。




「はい、飲み物はここに置いておくから。


それじゃあ、私は戻るね。無理はしちゃダメだよ?」



そう言い残し、セリーはキッチンの方へ戻って行く。


ビリーは彼女のその後姿をぼんやりと眺め、彼女のこういった優しさに、笑みを零す。



「いい人だなぁ…」



貰ったカツサンドをもう一口齧り、舌鼓を打ちながらしみじみとそう呟く。



「惚れたか?」



すると突然また聞きなれた声が隣から掛かった。


思わず飛び上がり、慌ててそちらへ振り向くビリー。次の瞬間彼の視界に映ったのは、ニヤけながら屈む拓也の姿。


ビリーは彼のおちょくるようなその質問に、少し取り乱しながら返す。



「そ、そんなんじゃないよ!…ただ、いい人だなぁ…って思っただけさ」



「うん、まぁそんなことはどうでもいいんだけどね」



「じゃあ聞くなよ!」



肩透かしを食らったビリーは半ば叫ぶように拓也にそう言うが、彼は全く意に介していない。


彼のその様子には、背後に立つミシェルも呆れたような表情だ。



すると拓也は突然ニッコリと不気味な笑顔をその顔に貼り付けると、カウンターを背に座る彼の肩にポンと手を置いて、静かに語りかける。



「それよりビリー君、僕がいつ休憩なんてしていいと言ったんだい?」



「…………そ、それは!」



「あぁ、もちろん補食は構わないよ?存分に取ってくれて結構。しかし座って休憩…うむ、ではこの『5倍だァァ!!』Tシャツに着替えてもら……」



極限の緊張でスローになる視界。その中でビリーは間違いなく見た。


拓也がどこからともなく取り出した白いTシャツ。その前面には、大きく『5倍だァァ!!』と書かれている。


現在着ているのは3倍。つまりアレを着れば自分の体に掛かる負荷は5倍になるということ。


そう…彼には最早悩んでいる時間など無かったのだ。



「ハイ休憩終わりッ!!よっしゃ働くぞ!!」



ビリーはやけくそにそう叫び自らを鼓舞すると、セリーにもらったカツサンドを全部口の中へ放り込み、涙を流しながらホールのほうへ駆けて行った。


その後姿をニッコリとした表情で見送る拓也。



「うん、元気があって大変宜しい」



彼の背後でそのやり取りを眺めていたミシェルは、ビリーの境遇を哀れみ目を瞑って、内心で彼の無事を祈るのだった。





・・・・・


そしてようやく終業時間。時刻は午後8時。


もう店内が込んでいた時の面影は無く、どこかもの寂しい。


現在は従業員だけが店内に残り、閉店作業を進めている。



流石に12時間働き、疲れているのか、皆の顔にも疲労の色が浮かんでいる。ビリーに至っては今すぐにでも白骨化しそうだ。


しかし…



「アッハハハ!見てミシェル!!」



何故か元気なジェシカ。彼女は皿を片付けながらミシェルに話しかけ、なにやら楽しそうに話している。良くそんな元気が残っているなと周りの面々は呆れ笑いを浮かべた。


おまけに、テーブルを拭いて回っているアルスもよく見ればずっと張りぼてスマイルのまま。


この二人は全く異なる人種のようで、本当は結構似ているのかもしれない。



すると店の中を見回し、状況を確認したセリーが口を開いた。



「皆…今日は本当にありがとう、おかげですごく助かっちゃったよ。


後はもう片付けだけだし、皆は帰ってゆっくり休んで」



そう言いながらニッコリ穏やかに微笑む。


ジェシカはまだ全然大丈夫!…的なことを発言しようとしたが、周りがかなり疲れていることを察して何も言わなかった。


そしてセリーはリリーから何かを受け取り、それを皆に配る。



「封筒…ですの?」



「うん!お母さんから預かったの。少ないけど、お給料だって」



「そ、そんな…友達のお手伝いで来ただけなのに、受け取れないよ!」



「いいんだよビリー君、これは働いてくれたことに対する対価なんだから」



セリーにそう説得されてもビリーはどこか納得していない様子。


すると、彼の隣にいた拓也が口を開いた。



「ビリー、わざわざこうして用意してくれているんだ。快く受け取らないとロ…セリーのお母さんにも失礼だろう」



「おい、今なんて言おうとした」



「ナンデモナイヨー」



彼のその言葉に、目を伏せて悩むビリー。


次の瞬間、隣の拓也の頭が水に覆われたがとりあえず気にしてはいけない。



「うん、じゃあいただくよ。ありがとう」



「それはこっちの台詞だよ!皆、今日は本当にありがとう!」



そんな心温まるやり取りが繰り広げられる中、拓也だけが酷い目にあっていたのは言うまでもないだろう。



・・・・・


「それにしても…今日は結構楽しかったな」



日が沈み、暗くなった街道を一定の感覚で立つ外灯がぼんやりと照らす。


人通りも昼間より格段に少なくなり、視界に入る人もほぼいない。


人が住む街中だというのに、まるで息をしていないように感じるその通りは、どこか幻想的な雰囲気に包まれていた。



ミシェルは彼が放った何気ない一その感想に、自分の思ったことを率直に述べる。




「しょうもない理由で落ち込んでた人がよく言いますね」



「まぁ…そのおかげでミシェルがあんなに僕のことを想ってくれてることも分かったし///」



「…」



「なんでッ!!?」



ワザとらしく頬を赤らめながらクネクネと鬱陶しい動きをする拓也の腹部にめり込むミシェルの肘。


それは照れ隠しなのだろうか?しかしあまりにもハードすぎる。


拓也は、ワケが分からないよ…と言いながら涙を浮かべ、しかしそれでも彼女の隣を歩く。



「それで…ミシェルたん、これってどこ向かってるん?」



「なんですかその呼び方、止めてください」



「分かった。止めるからそんな汚物を見る目で俺を見ないで」



そして彼らは帰路に着いているわけではなかった。


なにやら彼女に行きたい場所があるようで、拓也はそれに同行しているのである。



「…少しだけ気になるお店があるんです」



しかしなんとなく分かっている。きっともうその店は撤退していると。


なにせ今日限定で王国にやって来る、かなり有名なぬいぐるみの専門販売店なのだから。


若干ブルーになるミシェル。それでも彼女が足を進める理由は、やはり楽しみだったからだろう。


「…」


だがやはり…彼女の予想通り、店が展開されるはずの広場は、いつも通りの光景。つまりもう店は終わってしまったということだ。


分かってはいたが、やはり少しショック。ミシェルは拓也に気が付かれないように小さく溜息を吐くと、踵を返して家の方へ向かって歩き始めた。



「やっぱりいいです、帰りましょう」



「ん?いいの?」



「えぇ、明日は学園ですし早く帰らないといけません…。晩御飯何がいいですか?」



「なんでもいいよ~」



「…そういうのが一番困るんですよ?」



確かにショックだが…ミシェルは拓也とそんな何気ないやり取りに思わず笑みを零すと、少しだけだが元気が出てきた気がした。




「なぁ、ミシェル」



「なんですか?」



すると拓也が突然ミシェルに声を掛ける。


隣へ振り向き、首を傾げたミシェルの瞳に映るのは何故かニヤけている拓也の顔。


そして拓也はミシェルを挑発するように口を開く。



「クールなミシェルでも、ぬいぐるみが好きなんて可愛らしい部分があるなんてちょっと驚いたぞ」



「…なんのことですか?」



「またまたぁ~」



惚けるミシェル。しかし拓也は、もう自分のこの言葉が真実だと確信しているのか、口ではしらばくれられてもそのニヤけ面を止めようとしなかった。


ミシェルは拓也のその追及から逃れようと歩調を速める。しかし拓也はぴったりと隣に付いて来る。



「別に隠すこと無いだろ?恥ずかしいことじゃないんだし」



「…だから別にぬいぐるみなんて好きじゃないですってば」



口ではそう言っている彼女。しかし彼女の部屋に入る機会が何度か会った拓也は知っている。


一見執務室のように整頓され、無駄の無いように見える彼女の部屋。


だが、その部屋の中の所々にぬいぐるみが飾られていることを。


しかし彼女は自分のぬいぐるみ好きを認めようとはしない。



すると拓也は一層楽しそうに口角を吊り上げ、彼女のその信念をへし折るべく、あるものを取り出した。



「そうかぁ…せっかく今日限定で王国に来る有名なぬいぐるみ専門店の黒猫のぬいぐるみ…買っておいたんだけどなぁ…」



その刹那、今までぬいぐるみなんて興味が無いと言っていた彼女が、まるで獲物を見据える猫のように蒼い瞳を輝かせ、拓也の腕の中の黒猫を凝視する。



ー…ミシェルがここまで目を輝かせるのも珍しいな…可愛い…-



内心でそう呟き、鼻の中に鉄の香りが充満するのを明確に感じ取る拓也は、もう一押ししようと口を開こうとする。


…と、その時だった。




「ごめんなさい、本当は大好きです」



「認めるの早いな…はい、どうぞ」



今までの苦労はなんだったのか…彼女はすんなりと認めると、苦笑いの拓也から渡されたぬいぐるみをギュッと腕の中で抱きしめる。






どうやら本当に欲しかった物のようで、堪らなく嬉しそうな笑みを垂れ流すミシェル。


…の隣でマーライオンの如く鼻血を垂れ流す拓也。


仕方がない。滅多に見ることの出来ない、ミシェルのこんな無邪気な姿を見てしまっているのだから。



「い、いつの間に買って来たんですか?」



「昼に落ち込んでただろ?それで休憩取ったついでに行ってきたんだ。


人ごみに流されながらなんとかゲットしてきた」



「そ、そうなんですか…わざわざありがとうございます。


ちょっと待っててくださいね……」



渾身のグッドサインでそう言う拓也。とりあえず鼻血を止めてからにしろとツッコミたいミシェルだったが、とりあえずこの場では踏み止まり、代金を払うべく片手でポーチの中を探る。


拓也は彼女のそんな律儀な部分に苦笑いを浮かべると、手でそっと制す。


「代金なんて取るわけないだろ、プレゼントだよ」



「で、でも…」



「こんな時くらいカッコ付けさせてくれ」



「……分かりました。ありがたく頂きます」



まぁ鼻血を垂れ流している時点で格好なんて付いていないのだが、それを言ってしまうのは少々酷だろう。


するとミシェルは黒猫のぬいぐるみを抱きしめながら、感心したというように拓也に問いかけた。



「それにしても…よく欲しかった種類まで分かりましたね」



「ん、あぁ…ミシェルの部屋に置いてあった広告見たんだけどさ、この商品に丸が打ってあったからこれかなぁって」



「……ちょっと待ってください…勝手に私の部屋に入ったんですか?」



「………………ナ、ナンノコトカナー」



絶対零度に変化するミシェルの視線。


先程までの明るかった無邪気な瞳はどこへやら…今の彼女の瞳は暗く、ジットリと湿っている。


マズイ…とすぐさま自分の発言を後悔した拓也だったがもう遅い。時間が戻らないのだから…。



ー…ちょっとした好奇心(R-18)で不法侵入したなんて口が裂けても言えない……うわぁ…ミシェルめっちゃこっち見てる……ー



顔を逸らしていても感じる視線。


冷たく冷ややかな彼女の視線は、拓也の頬に突き刺さる。


なんとか逃げ道は無いだろうか?


精一杯天才的頭脳をフル回転させる拓也。しかしありとあらゆるシミュレーションの結果、どの選択をしても結果は強力なリバーブローを喰らうの一択。


ー…クックック…年貢の納め時ってやつか…-



最早逃げ場は無い。拓也は諦めたように内心でそう呟くと、腹部から力を抜いた。


恐らく最後は潔く制裁を受けようという彼の心構えだろう。



「ハァ…まぁいいですよ、今回は許します」



しかし彼の予想は大きく外れ、彼女は溜息を吐いただけで物理攻撃は仕掛けてこなかった。


彼の天才的頭脳とはいったい何だったのだろうか…。



「流石ミシェルたん、寛大なお心遣いに感謝いたします」



「ぶっ飛ばしますよ?」



「クックック…私の体重は100kg超、大して君の体重は約50kg…おぉっと!物理的に考えて君が僕をぶっ飛ばすなんて不可n……とまぁ粋なジョークはここまでにしておこう、うん」



体重の話題を出しただろうか?ミシェルが魔力を練り上げ始めたことを感じ取った拓也は、早口で言葉を締めくくる。


いつもながらに饒舌な彼。そんな彼に呆れたように付き合う彼女。


ミシェルは大きく溜息を吐きながらも、彼と過ごすそんな日常に、えも言われぬ充実感を感じているのだった。


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