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神様のお使い  作者: 泡沫にゃんこ
第一部
24/52

冬の流行

1月後半某日。大寒真っ只中。


もう少しすれば春に向かって徐々に暖かくなっていくのだろうが、如何せん寒すぎてそんなことを考えている余裕はない。



窓の外は一面の雪景色。ヴァロア家のキッチンで、拓也は寒さに震えながら独り鍋を見つめていた。



「…冬将軍本気出し過ぎだろうが…いい加減にしねぇと本気で討ち取りに行くぞ…」



この男なら本当にやりかねないのが恐ろしいところである。



すると料理の味付けなのか、鍋に軽く塩を振る。そして完成したそれを火から上げ、タオルで片方の持ち手をカバーし持ち上げる。さらに食器棚から蓮華、取り皿、さらに色々な物を取り出す。


そのままリビングを出て階段を上る彼は、更に強くなった寒さに身震いした。


時刻は午前10時頃、カレンダーを見ると今日は平日。何故彼が平日に家に居るのかというと…。



「ミシェル、入るぞ~」



「…はぃ…」



家主、ミシェルの部屋のドアを開ければ、ベッドに横たわりだるそうにしている彼女。


声もいつもと比べてかなり違和感がある。



拓也は衰弱している彼女を心配そうに眺め、ベッドサイドのテーブルまで椅子を引っ張ってきて座った。



「…体調はどう?」



「…あまり…良くないです」



「ですよねー」



冬に流行するもの。…そう、風邪である。



彼女も人間故、風邪とは切っても切れない縁にあるのだ。そしてこうしてベッドに横たわることになっている。


するとミシェルは、拓也が持ってきた鍋から放たれる香りに気が付いたのか、拓也の手元を凝視しながら口を開いた。



「なんですか…?それ」



「ん、あぁ。はい、お粥。作ったから食べて」



「…おかゆ?」



「俺の前いた世界で、俺の国の料理。ご飯をより多くの水で炊いた料理だよ。消化が良いから風邪ひいたときとかによく食べるんだ。はい、良かったら食べてみて」



拓也は何処からか取り出した鍋敷きをサイドテーブルに置き、その上にドシッと白粥の入った土鍋を置き、玉杓子でお粥を茶碗によそい、そう説明すると彼女にお粥をよそった茶碗を差し出した。


ミシェルは手渡されるままに茶碗と蓮華を受け取る。


朝から何も食べていなかったからか、手が無意識のうちに動く。




「…熱!」



「当たり前だ。ちゃんと冷ましてから食べなさい」



しかし今の今まで加熱されていた土鍋の中身は激熱。


舌を軽く火傷しそうになる彼女だったが、何とか飲み込んだ。



「!…おいひぃです」



「そうか、それは良かった」



中々の好評に拓也は微笑み、彼女が息を吹きかけ、冷ましながらお粥を食べる光景を嬉しそうに眺めた。


あっという間に一杯目を食べ終わったミシェルは、差し出された水で喉を潤すと、椅子に腰かけている拓也に喋り掛ける。



「別に拓也さんまで休むこと無かったんですよ?学園での勉強だってありますし…」



自分の事を心配してくれるのは嬉しいが、そのせいで学業が疎かになるのはよろしくない。


そう考えたミシェルは、もう遅いがそんなことを言ってみる。



「なぁに、ミシェルを護るのが俺の本業だからな。


職務怠慢よくない」



しかし拓也は全く気にしていない様子でそう返した。


ミシェルは微笑みながらそんなことを言う彼に感謝する。こういう時、人は誰かに近くに居て欲しいものだ。

普段人をあまり寄せ付けないクールなミシェルだってそれは変わらない。



「でもいいんですか?帝の仕事での欠席も考えると、出席日数とか足りますか?」



照れ隠しの為にそんなジョークを飛ばす彼女だったが、予想に反して彼はその発言に顔を真っ青にした。


目をキョロキョロと泳がせ、しばらく黙り込む。



そして何か名案が思いついたのか、手をポンと叩いた。



「帝としての権力を振るえばなんとでもなる!」



それは名案というよりただの模範的な汚職であった。


そんな迷案に、ミシェルは思わず口元を押さえ、声を出して笑う。



「……サイテーですね」



「たまにはズルも許されるだろ」



「拓也さんの場合、たまにではないですね」



そんな他愛もない会話を交わす拓也とミシェル。


ミシェルは差し出されるままに二杯目を受け取り、先程とは違って程よく冷めてきたお粥を口に運ぶ。



「でもいいんですか?私と一緒に居たら風邪がうつりますよ」



一緒に居たいという気持ちをは裏腹に、自分と一緒に居ることで彼に風邪をうつしてしまうことを気にした彼女は、少しだけ伏せ目がちにそう発言する。


しかし拓也にとってその程度の問題どこ吹く風。



「ッハハ!毒物全般効かない俺が風邪なんかに掛かるとでも?」



「……言われてみればそうですね」



そんなことを面白そうに言う拓也を見て、ミシェルは思い出す。


以前学園内で神の襲撃にあった時、背後からグサリとやられた彼。あの後、セラフィムに聞いたところによると、あのナイフには即効性の劇毒が塗られていたという。


しかし彼には全く効果なし。本当にふざけているな…とミシェルは呆れて笑うのだった。




「他に何か手伝えることない?何でも言ってくれ」



「…今のところないですね。お腹もいっぱいになりました」



「そうか、じゃあ何か用があったら呼んでくれ」



親切にそう尋ねた拓也にミシェルはそう返す。


拓也はそっと椅子から立ち上がり、土鍋などを手に持ってドアの方へ向かった。



「あ…」



このままでは彼は下へ行ってしまう。ミシェルは焦ったように思考を巡らせると、拓也がドアノブに手を伸ばしたところに声を掛けた。



「あ、で、でも眠くはないですから……話し相手が欲しいです」



拓也は彼女のその発言に首だけで振り返ると、いつもの様な呑気な微笑みを見せる。



「あいよ~、先に片付けてくるから待ってて」



「…すみません……我が儘を言ってしまって」



「気にするな。



…では語って進ぜよう!私の素晴らしい伝説の数々を!」



彼女の発言にそう返し、ちょっとした冗談もおまけで付けると階段を下りてキッチンの方へ向かって行った。


しばらくすると、片付けを終えた拓也が戻ってくる。



「それじゃあ何から聞きたい?


セラフィムとのガチマッチ、ラファエルとのガチマッチ、じーさんとのガチマッチ。3択でどうぞ」



椅子に腰かけた彼は、そう3択で選択肢を出す。どうやら選ばせてくれるようだ。


それにしてもなぜ3つともガチマッチなのか、そこはかとなく気になるミシェルである。

しかしそんなことを聞いていても進まないので、ミシェルはそのうちから一つを選んだ。



「じゃ、じゃあ…セラフィムさんとので」



「…あれは俺が天界へ拉致られて1000年ぐらい経った頃だったな」



拓也は昔懐かしい思い出を語るように口を開く。


ミシェルは彼の語りに自然に聞き入るように、黙って耳を傾けた。



「当時の俺は、じーさんに『今の君なら向こうの世界の最強を圧倒できるよ!やったね!』的なことを言われて調子に乗っていたんだ。


それで昼食後の腹ごなしのつもりでセラフィムに『かかって来んかいこのザコスケがァ!』的なことを言ったんだ。



結果は…なんとも無残だったよ、俺の完敗だった…後、昼飯の魚の小骨がのどに刺さって痛かったのをはっきりと覚えてる」



「……魚の骨の下りって必要なんですか…」



あまりにしょうもなさすぎる話に、ミシェルは呆れ笑いを浮かべてそう感想を述べる。


しかし拓也は意味有り気に横目で彼女にチラリと視線を送ると、面白そうに口を開く。



「この話には続きがあってな…90兆年程経った頃、俺は1000年頃にされた仕打ちを思い出し、復讐をしようと考えた」



「……それって逆恨みなんじゃ…」




ただ自分が煽り、ボコボコにされただけなのに復讐とは…この男、なかなかのクズである。


しかし彼女のそんなツッコみでは、語り部モードに入った彼は止まらなかった。



「っていってもアイツのデスクの中を脂の乗って美味しそうな秋刀魚でいっぱいにしただけなんだけどね」



「うわぁ…」



かなり陰湿な復讐…というかただの嫌がらせ。


引き出しの中が秋刀魚だらけなんて、想像しただけで気持ちが悪い。



「まぁそのせいでガチマッチになるんだけども」



「…なるほど、拓也さんが10割悪かったって話ですね」



「流石ミシェル。話が早い」



※秋刀魚は拓也とセラフィムが美味しく頂きました。




今の語りを聞き、その他もどうせ似たようなモノなのだろうと予想したミシェルは、自分から話題を切り出すことにした。



「そういえば拓也さんって剣術が得意なんですよね?」



適当に話題を探していると、拓也の指輪が目に入る。


ミシェルはそこから彼の得意なことを連想させそう発言した。



「あ、うん。得意だけど…それがどうかした?」



「いえ…私、剣はそこまで詳しくないので前々から気になってて聞こうと思ってたんです。


拓也さんは何種類かの刃物を使い分けてますが、やっぱりそれぞれに適切な用途ってあるんですよね?」



彼女が尋ねたのは、彼の剣の種類についてのものだった。


確かに何度か彼の戦いを見たことのある彼女。見ただけでも剣、刀、双剣の3種類を使い分けていた。


単純な疑問に首を傾げるミシェルを前に、拓也は指輪を剣に戻す。


更にそれを3つに分裂させ、内二つを刀と長短一対の双剣に変化させた。



「もちろんあるぞ。


まずこれは普通に両刃の剣だな、反りはない。一般に兵士が腰に下げてるやつだ。


これが刀、片刃で反りがある。


最後にこれが双剣。この前は両刃の方を使ったな」



拓也はそれぞれの刃物を鞘から抜き、柄を指の間で挟んで巧みに操り、剣身を見せながらそう説明する。


ミシェルは銀色の輝きを放つ武器たちに、熱があることも忘れて見惚れてしまう。



「刀の繊細な刃は、一振りで敵を両断する。それだけ恐ろしい切れ味があるんだ。反面、その繊細な作り故に刃毀れしやすい。


その点、剣は耐久力に優れる。だから少々刃毀れを起こしても、刀と違って重いから、そのまま叩き斬ることが出来る。


双剣は敵が多いときや、相手より手数を出したいときに有効だ。こんな感じかな?」




「…やっぱり奥が深いんですね……」



しみじみと刃物の奥深さを感じたミシェルは、そんなことを発言し、何度も頷いた。




するといきなり、二人の脳内に直接何者かが語り掛けた。



『おい拓也!この俺が簡単に刃毀れなんてすると思ってんのか!?』



「まぁ今までそんなに固い敵と出くわしてないからな。何とも言えん」



正体はジョニー。拓也の愛剣である。


ミシェルにも聞こえたその声。彼女は3本あるうちのどれが話しているのかが分からず、適当にそちらを向いて会釈をしておいた。



「おまけにお前魔力流せば切れ味上がるからな」



『そうだよ…だからもっと使ってくれよ』



「だってお前軽く魔力流しただけで次元が斬れそうな勢いで強化されるじゃん。人間相手にそんな能力をおいそれと使えるわけねぇだろ」



「……そ、そのままでもすごく斬れるみたいですからいいんじゃないですか?」



『確かにそうだなぁ…』



ミシェルと拓也にそう諭され、ジョニーは大人しくなった。


二人は顔を見合わせながら苦笑いを交わす。



「というかじーさんもかなりハイスペックな武器くれたもんだよな」



『まぁな。感謝して使えよ』



「旅立ちの直前、いきなりだもんなぁ」



『感謝して使えよ』



拓也とジョニーはそんなことを思いだして懐かしそうに語り出す。


片方が要求しかしていないのは、この際無視する拓也である。


二人?のそんな会話を聞いて、ミシェルがある疑問に首を傾げた。



「?…拓也さんはジョニーさんをもらってなかったら、武器はどうするつもりだったんですか?」



純粋に頭に浮かんだその考え。いつも武器を形状変化させて、自分の技を使用する拓也だが、もしその形状変化をする武器であるジョニーが居ないとどんな戦闘スタイルになるのか…ミシェルはそれが気になった。


その質問に答えるべく、拓也は口を開く。



「あぁ、そのことに関してはちゃんと考えてあったぞ。


俺の使う”剣”恥ずかしながら若気の至りで『鬼神の剣』と名付けた技に必要な種類の武器を、ゲートの中にストックしておくつもりだったんだ。


【一ノ型】は刀【三ノ型】は双剣みたいな感じで種類別にね」



しかし答えは案外、単純なものだった。


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『まぁ俺じゃないとお前の剣撃には耐えられないだろうがな!』



「は?出力を抑えれば何とかなりますしぃ。それと俺が一から打って鍛えればお前ほどじゃなくてもある程度の強度の刃物は作れますしぃ!」



「…拓也さん剣も打てるんですね……」



相変わらずの拓也の何でも屋っぷりに呆れ笑いのミシェル。


非常に強い上に、その武器まで自分で制作している光景を想像すると、最早そうするしかないのだ。



「まぁ…確かに全開で戦うとなるとお前の力は必要だ。これからもよろしく頼むぜ」



『あいよ!』



結局、拓也の方が折れてそう発言すると、ジョニーは満足したのか物言わぬ剣に戻った。


ミシェルと拓也は顔を見合わせ、また苦笑いを交わす。



「拓也さん、ジョニーさんと仲いいんですね」



「そうか?ミシェルも結構気に入られてるぞ」



「そうなんですか?」



なんとなくいつもとのジョニーの会話を断片的に思い出してそう言った拓也。


しかしそんなことを思いだしていると、ここ最近ミシェルと話したり、彼女のことを考えただけでジョニーに言われたことも思いだした。


それ故か、彼は思わずミシェルから目を離した。



「…?」



いきなり目を逸らされ、首を傾げたミシェル。


拓也は彼女のそんな仕草を関節視野で確認すると、少しだけ頬を染めた。



「…その刀って武器、すごく綺麗ですね」



「あ、あぁ。そうだろ?俺もそう思う」



拓也はミシェルの発言にそう便乗し、剣を一本の刀にし、鞘に納める。



「一ノ型は抜刀術でな。刀身を鞘に収めた状態から放ち、敵を斬る。


それで倒しきれなくても、二の太刀で止めを刺す。



一対一には非常に強い」



「そ、そうなんですか」



感情を押し殺したようにそう説明を始めた拓也に、ミシェルは戸惑いながらもそう返した。



拓也はその後も数分間、刀についてのうんちくを語り続ける。


切先で斬る、帯刀時は刃を上に向けて腰に差す、峰打ちという技術がある、等々。


その話に興味深そうに耳を傾けるミシェルは、どうやら拓也が動揺して淡々と語っていることには気が付いていないようだ。



「すごいです…拓也さんはそれぞれの特性を理解して使ってたんですね…」



「その辺は相性なんてのは魔法と同じだな。ミシェルも使い分けるだろ?それと同じ」



時間を置いたことでだいぶ動揺が無くなった拓也は、彼女のその発言にそう返し、軽く笑って見せる。


すると突然、意外なことを言いだし、ジョニーを握り彼女に差し出した。



「ミシェル、良かったら持ってみる?」



「え、いいんですか?」



「うん、持つだけなら怪我はしないだろうし」



ミシェルは戸惑いながらもそれを両手で受け取ってみる。



「…結構…重いですね」



「そうか?打刀の重さは1キロ前後のはずだけど…」



「なんだか…こう、ズシッと来ます」



そう発言するミシェルの表情と、深刻な目つきを見た拓也は、彼女が質量以外のモノで重さを感じていると悟った。



魔法と違い、命を奪えば直接その道具として手元に残る。


彼女もきっとそんなことを考え、それを含めた”重さ”を感じているのだ。そして昔の自分と目の前の彼女を照らし合わせ、拓也は思わず微笑み、彼女が震えながら柄と鞘手を掴む手の隣に、そっと自分の手を添えた。



「これは確かに殺人兵器だ」



彼女の隣に置いた手を引き、刀身を半分ほど露出させる。


白銀の輝きを見せたそれは、ミシェルの目を奪うのには十分だった。



「だけど使い手次第で存在意義は変わる。


俺は少なくとも殺しの為だけに使っているつもりはない」




穏やかにそう言う拓也。


その優しい声色に、気が付けばミシェルの手の震えはいつの間にか止まっていた。



そして彼女もまた、穏やかな表情を浮かべる。



「確かに。こんなに綺麗なモノが、人殺しの為だけに存在しているわけありませんよね」



すると一振りの刀は一瞬淡く光ると、伸びるように彼女の手の中から抜け、拓也の指に巻き付き指輪に戻った。



「さぁ、じゃあ次は何の話をしよう?」



「そうですね……」



彼が話題を変えようとそう切り出すが、彼女には特に話すことが思い浮かばない。


顎に手を置き首を傾げて考えてみるが、こうして何を話すかと意識してしまうと逆に何も出て来ないのだ。



彼女がそうして頭を悩ませていると、その思考を遮るように拓也が口を開く。



「悪いミシェル、どうやら招いてもいない客がやって来ちゃったみたい」



そういう彼の手の中には、また刀の形状に戻ったジョニー。


また敵の偵察が来たのだろうと彼女も察し、心配そうに顔を顰めた。



「そう…ですか。気を付けてくださいね」



「あぁ、心配すんな」



そんな彼女を気遣ってか、彼はいつものビリビリとした緊張感とは違い、穏やかな雰囲気を纏いながらそう言い、ゆったりした動作で椅子から腰を上げる。


そのままふらりと刀を左手に持ち、ドアを開けて彼女の部屋から出ていった。


後に続くはずの足音がしない所から察するに、空間移動を使用したのだろう。



「…あなたは強いですけど……それでも心配はしますよ…」



独りになった部屋の中でそう呟き、起こしていた上半身をベッドに投げる。


いくら強いといっても…いくら相手が天使であっても…自分の大切な人が危ないことをするのは、心配なのだ。


拓也は否定するが、自分が狙われているせいで彼が危険な目に合う。


ミシェルはそんな自分の不甲斐なさに悔しくなって、シーツを掴みながら歯を噛みしめた。



「…私が…拓也さんと一緒に戦えるぐらい強ければ…迷惑を掛けることも…」




「はいそこーそういうこと言わない」



「た、拓也さん!?なんで!?」



「いや、もう終わったから戻ってきたんだけれども…」



居ないと思っていたはずの人物がいつの間にか部屋に居たことに、ミシェルは驚いて声を上げる。


拓也は始めは威勢よく発言したはいいのだが、彼女にそんな反応をされて思わず尻すぼみするのだった。


「というか別にミシェルのせいじゃないって言ってるだろ?」



戻ってきた拓也は彼女のそんな自虐的な部分に呆れたように笑うと、先程座っていた椅子にもう一度腰かけながらそう発言する。


しかしミシェルが感じている自身の無力感は相当なもののようで、彼にそう励まされても、彼女はまだ顔を顰めている。



「…でも……」



「でもじゃない。それが俺の仕事であってここに居られる理由だ。


…だから…それを無くさないでくれ」



少し寂しそうな表情と消え入りそうな声でそう言った拓也。


彼のそんな様子から、ミシェルはあることを思いつく。


声に出してそれを確かめたい彼女だったが、どうにも恥ずかしくて口が思うように動かない。


そこで、ベッドに横になったまま、口元を毛布で隠しながら口を開いた。



「…拓也さん、もし…ですけど、私を護る必要が無くなったら拓也さんはどうするんですか?」



「…え……」



拓也に見えている彼女の表情はいつもと何ら変わらないクールなモノ。


そんな表情で、突拍子もなくそう尋ねてきた彼女に、拓也はこの状況で最適な答えを考え始めた。


しかし思うようにいい考えは出て来ない。それは彼が今は隠しておきたいある想いが、根底に存在しているからであろう。



「…わからない」



だからそう返すしかなかった。


確かに彼をここに送り込んだのはじーさん。彼の指示があれば、自分はどこか違う場所へでも派遣されるのだろう。などと考えた結果だ。


その曖昧な答えにミシェルも心なしか不満そうな表情をしている。


ベッドで横になり、毛布で口元を覆った彼女の宝石のように美しい蒼く、大きな瞳でじーっと見つめられる拓也は、次に何を発言すればいいのかがまるでわからない。


ただ彼女が不満なのはなんとなく察している。



「…だけど俺は…ここに居たい」



だから、自分の根底に隠したその想いのほんの一部を曝け出し、彼女にそう伝えた。


ミシェルは彼のその答えをどう思ったのか、目のすぐ下まで毛布を上げて隠す。


より一層表情が読めなくなった拓也は、困惑しながら首をさらに傾げる。



「あ、あの…ミシェルさん……?」



そう喋り掛けてみるが、彼女は蒼い目をこちらに向けたまま動かない。


ただでさえ表情の変化が読み取りにくい彼女だ。こうなってしまうと、最早何を考えているのかが全く分からない。


時折瞬きをする彼女との間に生まれる沈黙。拓也は彼女の長い睫を眺めながら、彼女が何か発言するのを待つことにした。



時計の秒針の音が、静まり返った室内に響く。



そして5分ほど経った頃だろうか?



「私も…拓也さんにはここに居てもらいたいです」



沈黙を貫いていたミシェルがそう発言した。


拓也はようやく彼女が口を開いてくれたことにそっと安堵し、胸を撫で下ろす。



「拓也さんが居てくれると家事が楽ですから」



「俺は家政婦か何かか…」



「…それに…一緒に居ると色々面白いですし」



「そりゃ身近に打ち放題のサンドバッグがあれば面白いでしょうね」




彼女のその発言を逃す手はないと、拓也は相槌を打って場を和ませようと尽力した。


そのおかげもあってか、彼女の目元が少し緩む。



「拓也さんが悪いことの方が多いでしょう」



「失礼な…俺は洗濯をしてあげようと…」



「ハァ……下着…自分の物は自分でやるので大丈夫といつも言っていますよね?というかいつも絶対に目のつかない場所に隠してあるのにどうやって見つけるんですか?」



頭を抱えながらそう拓也に問い掛けるミシェル。彼がサンドバッグになる原因の大半がこれである。


それにしてもミシェルは良く許していると思う。普通なら良くても吊し上げられ、晒され、サンドバッグにされた後、社会的に死亡。その後には縛り上げて川流しが妥当な所…しかし彼女はサンドバッグだけで許してくれているのだ。随分と良心的である。



しかしいつもならこの話題を出した時点で、もっと刺々しく拓也を責めたてるはずなのだが、今日は風邪の影響か随分と元気がない。


拓也は彼女のそんな問いに、何故か誇らしげに返す。



「いいかミシェル?隠せば隠すほど、その場所には違和感が生まれる。俺たち狩人【ハンター】はそれを見つけ出す…それだけさ」



言っていることはなんとなくカッコいいが、ただの下着泥棒である。


そんな彼をジト目で見つめると、彼女は溜息を吐いて目を瞑る。



「何がそんなにいいんですか…汚いだけじゃないですか……ホント…止めてくださいよ」



彼女の心の底からの叫び。


過去に盗まれ過ぎて着る下着が無くなったラファエルの心情に、とても同感するミシェルだった。



「安心しろ、俺がミシェルのパンツorブラと言って取り出す物の7割は俺の私物だ」



「…え、そうなんですか?」



拓也の突然のその発言に、ミシェルは素っ頓狂な声を上げる。


それもそうだろう。今までずっと盗まれ続けてきたと思っていた下着の7割が、自分のものではなかったのだから。



「あぁ、いつもミシェルが俺ごとパンツをレーザー照射でファイヤーしちゃうから、ミシェルのパンツの残量を減らすのは忍びなくてな…」



「…そう思うなら盗まないでくださいよ…」



「クックック…俺はこの通りエンターテイナー。俺が下着泥棒をやらなくなったらこの家の面白みが5割減だぜ」



最早この男には何を言っても無駄なのだろうと悟るミシェルだった。


しかし、とりあえず彼が場所を把握しているということが分かったので、下着を隠す場所を変えることを決意する。


すると拓也は、溜息交じりに文句有り気に口を開いた。



「ったく…男一人でランジェリーショップに入るこっちの身にもなって欲しいもんだね」



「…うわぁ」



「…ちょっとやめて!ガチで引かないで!!冗談だから!ちゃんと自分で作ってるから!!」



「いや、それも十分きもちわるいです!」


あまりにもぶっ飛びすぎている彼の行動に、流石のミシェルも声を荒げる。


しかしその無理が祟ったのか、彼女は激しくせき込むこととなった。



「あ、ご、ごめん!ちょっとふざけ過ぎた」



「…いえ、大丈夫です」



慌てたように椅子から立ち上がる拓也をミシェルは片方の手で制してそう言う。

自分の配慮が欠けていたせいでこうなったことに拓也は落ち込み、目を伏せて謝罪した。



「のど飴…食べる?」



「いえ、今は要りません。



すみません、少し眠りますね。なんだか眠くなってきました」



そう言うミシェルは、手で隠しながら小さく欠伸をして毛布をキュッと握る。


自分の体温ですっかり暖かくなったベッドの中で、欠伸に合わせて伸びをする。心なしか冷たいベッドの端から足を遠ざけ、膝を少し曲げて拓也に背を向けるように寝返りを打った。



「…俺って出ていった方がいい?」



拓也は自分が居ることで彼女の睡眠の邪魔をしていしまうことを気にしてそう発言する。


ミシェルはその発言に、律儀にもう一度寝返りを打って彼の方を向くと、クールながらも優しい笑みを浮かべた。



「静かにしていられるなら居てくれても構いませんよ」



「畏まった!」



いつもの調子でそう言う彼に、ミシェルは寝返りを打って背を向ける。そして彼には聞こえないよう、心の中で小さく呟いた。



「(………拓也さんが居てくれると…嬉しいですから)」



当然、その言葉は彼の耳に届くことはなく彼女の中に押し込められる。


いつかはちゃんと言葉にしてこう言うことを言いたい。そう考えながら瞼を閉じるミシェルだった。




「……………………………………」



そして彼女の背後。


じっと黙り込んで椅子に座り、物言わぬ像と化した拓也。


見事なまでの固まりっぷりである。


しばらくすると彼女は静かに寝息を立てて、眠りの中に落ちて行った。


緩やかに上下する布団を眺めながら、拓也は眠ったばかりの彼女を起こさないように静かに呟く。



「…無警戒だな」



自分が信頼されているから、目の前でもこうして油断しきった姿を見せてくれるのだろうと少し嬉しくなると同時に、それは男として見られていないのではないのかという考えにも至った拓也は結構落ち込むのだった。


椅子に腰かけたまま両肘を膝に置いて頭を抱える彼は、何かに気が付いて彼女の部屋をそっと出る。


階段を静かに下り、玄関を開ける。



「よぉ、なんか用か?」



「いや、ミシェルちゃんが風邪ひいたって聞いたから見舞いに来た」



そこに居たのは、白銀の雪景色を背景に、6枚3対の白い翼を綺麗に背中に畳んだ天使。


彼…セラフィムをよく知る拓也は、情報と行動が早い彼に苦笑いを浮かべながらも、とりあえず家の中へ招き入れた。



すると彼は、家に上がる前に手にしていた紙袋を拓也に手渡す。



「ほい、悩んだ末にゼリーを持って来てみた」



「おぉ、サンキューな」



拓也はそれをありがたく受け取る。


するとセラフィムは、入ってきた背後のドアを親指で差しながら、面白をうに口を開く。



「久しぶりに手合せして見ないか?」



「バカか、ミシェルが寝てる。絶対にダメだ」



バーサーカーのような笑みを浮かべそう発言した彼を、拓也は全く相手にせず無理だと返す。


セラフィムは断られたことにむくれてつまんなそうに口を尖らせた。



「…ちぇ~」



「なんだよ、いきなりどうしたんだ」



「…お前が居なくなって天界で相手になる奴が居ないんだよ」



「あぁ…なるほどね。



まぁやるにしてもまた今度だ。今日は無理」



「はいはい、分かりましたよーっと」



そう返事をしながら、拓也を追い越しリビングへ向かうと柔らかいソファーに頭から突っ込んだ。


拓也はそんな彼の行動を横目に、キッチンへ向かって湯を火に掛ける。


「というか見舞いって言ってもちゃんとラファエルに許可とってんの?」



「…いやぁ…使い魔として主を心配するのは当然ですよ」



「許可、とってないんだな…」



見るからに怯えて周りを気にし始めるセラフィム。カチカチと奥歯を鳴らす彼に向けて、拓也は呆れたようにそう発言し、二人分のティーカップと茶葉を用意し始めた。


その間もセラフィムは頻りに辺りを警戒し、ラファエルの接近を探知している。が、まだその痕跡は無いようで、しばらくすると落ち着きを取り戻す。



「それで最近天界はどうよ?」



「ん、あぁ…まぁ特に変わったことはないな」



「そっかー」



手早く準備した紅茶を差し出しながらそう返し、自分はセラフィムの向かいのソファーに腰かける。



「お前の方こそどうなのよ」



「これといって気になることはないけど…まぁ強いて言うと、最近偵察の頻度が高いってことが気になる。ついさっきも来たからな」



先程、瞬殺した偵察の天使のことを思いだしながら拓也はそう語る。


ミシェルの体調が優れないからいち早く彼女の下へ戻るため、今回は情報を聞き出そうとはせず斬り捨てた。



ー…それに…どうせ拷問掛ける前に自殺しやがるからなぁ…ー



拓也は、偵察のそんな無駄な忠誠心に心底苛立ちながら舌打ちすると、気持ちの乱れを紛らわすように紅茶を呷る。



「なるほどね…それは近々なんかあるかもなぁ」



「あぁ、俺もそう思って一応警戒してんだけどな…まだ何も起こらない。


まぁ考えすぎるのも良くない。今出来る最善を尽くしたら、後はその”ナニカ”が起こったら全力で事に当たる。それでいいんだよ~」



「ハハ、まぁそうだなー」



ヘラヘラしながらそんなことを言う拓也に、セラフィムも笑いながら適当に返した。



「それで?俺のマスターの容体はどうなんだ?」



「あぁ、今のところ熱は37.7℃。扁桃腺が少し腫れてるみたいで声が少しおかしい。

とりあえず家にあった常備薬を飲ませてお粥食べさせて、今は寝てる」



「そっかー、見舞いに来たのに顔も見れないとは…これいかに」



セラフィムは残念そうにソファーにもたれ掛り、両手をソファーに掛ける。


拓也は眼前でくつろぎまくっている彼を眺めて、もう一度カップを傾けて苦笑いを浮かべて口を開いた。



「しかたないだろ、風邪ひいたときくらい変態の相手は休ませてやれ」



「いやそれお前もだろ」



「だからここに居るんだろうが」



「あぁなるほど把握」



流れるような一連のこのやり取り。ジェシカがこの場に居れば、間違いなく腹筋が崩壊しているだろう。


すると突然セラフィムが懐かしそうに語り出す。



「…変態…か。…昔は俺たちもバカやったよなぁ」



拓也もそれに乗っかり、虚空を見上げ、微笑を浮かべながらそれらしい思い出の引き出しを開けた。



「あぁ…ラファエルの下着、ありったけ盗んだっけ」



「そうそう、二人でこっそり忍び込んでさ…。確かいい感じによれた黒のセクシーなパンツ。どっちのモノにするかで喧嘩したっけ」



「ハッハ、そうそう!それ確か俺がじゃんけんで負けたんだよな!」



「あ、お前もやっぱり結構覚えてる!?」



こんなバカな話で盛り上がれるのは、人間も天使も関係ない。そこに”漢”という共通点さえあればいいのだ。


それにしてもやっていることは余裕でアウトである。



「それで…確か、俺がふざけてラファエルのパンツとブラとパンツマスクを装着したところで発見されたんだよな…」



悔しそうにそう発言するセラフィムは力強く拳を握りしめて自分の太ももを思い切り叩いた。


拓也もその話を聞いて思い出したのか、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて口を開く。



「確か俺はブラを装着、そしてパンツマスクを装着する寸前で見つかったんだっけか…あの後は」


「止めろ拓也。思い出すだけで恐ろしい」


「…あぁ、そうだな。このことは俺たちの記憶の奥底に仕舞い込んでおこう」



彼らが制裁をくらったのは、最早言うまでもないだろう。



「へぇ、随分と懐かしい話をしているようですね。私も混ぜてもらってもいいですか?」



そして…またもや彼らにそれは訪れた。


聞き覚えのあり過ぎるその声。拓也とセラフィムは全身から嫌な汗が噴き出すのを明確に感じ取り、音の発生源へ視線を向ける。



ソレはキッチンに居た。手元では何やら鋭利な刃物を、更に砥石で研いでいる。




「……拓也、マズいぞ…」



「…言われるまでもない、分かってる…」




「うふふ~、なんだか思い出したらまた腹が立ってきました。だからもう一度制裁を加えますね。思い返すとあの時はやり足りなかったとも思いますから」



大天使ラファエル…降臨。


手元で不気味な輝きを放つ細身のナイフ。その薄い刃は、人の皮膚程度ならバッサリとイケそうである。



「や、やり足りないって…俺たちこれでも結構反省しているんだぜ?」



「反省している人が何故そのことを掘り返して得意げに語るんですか?同窓会で昔はバカやってたなぁとか言ってる冴えないおっさんみたいでしたよ?」



「…グッハぁ!!」



「せ、セラフィム!」




まずは精神攻撃。果敢にも先陣を切ったセラフィムだったが、目据わったラファエルの相手にはならず、たったの数秒で撃沈。


苦しそうに胸を押さえる彼に駆け寄る拓也は、キッと鋭い視線をラファエルに向けた。



「よくも…よくもセラフィムを…」



「それに拓也さんもよくあんなことできましたよねぇ…


いっつもボロボロになって帰ってくるあなたを看病していたのは誰ですか?

お腹を空かせたあなたに食事を振舞ったのは誰ですか?

行き詰って思いつめたあなたを励ましてあげたのは誰ですか?


そんな恩人とも言うべき私に…あんな仕打ちを……。



……しかもフツメン」



「ッグッハァァァ!!?!」



「ッ!!拓也!おいしっかりしろ!拓也ァ!!」



正論正論&正論。ラファエルの言っていることは全てが正しい。


故に二人は反論できずに、血反吐を吐いて悶え苦しむのである。



「……ぢぐじょう゛……なん゛で…なん゛で今フツメンが関係あるんだよ゛ォ゛ォ゛…」



しかしこの男、そんな正論より、フツメン扱いの方がよっぽど堪えているようだ。


・・・・・


それから数分後、静かに執り行われた刑の執行。



「ふぅ、とりあえず今日はこれでお終いにしておきましょう」



彼女の足元には、とても形容し難い状態となったモノが転がっていた。


息も絶え絶えに地に伏せる拓也とセラフィムは、とりあえず今日は。その言葉から、まだ続くのだという恐怖に支配される。



「……拓也…俺もう天使辞めたい…」



「…あぁ、お前は一回堕天した方がいいと思う…」



この状態でもそんな冗談が言いあえる辺り、やはり大したダメージは無いのだろう。


ラファエルはそんな考えに行きついて、溜息を吐くとともに、セラフィムの襟を掴む。



「では私達は仕事があるのでこれで失礼します。お見舞いの品はテーブルの上に置いておきましたので、ミシェルさんによろしくお伝えください」



「…うぃっす」



「では…」



そう残すと、ラファエルは襟を掴まれてなお暴れるセラフィムの延髄に膝蹴りを打ち込み黙らせる。


そして軽く一礼をして淡い光と共に天界へ戻って行った。



彼女が返ったことを確認すると、拓也はゆらりと立ち上がり乱れた服を正す。その体は、先程まで重症だったはずなのに、いつの間にか傷は消え失せ、痣すら無くなっている。



「あー、痛かったぁ…」



呑気なそんな声色には似合わない、尋常ではないレベルの再生能力。


修行の賜物だなぁ…と呑気なことを考えながら、彼はすっかり治った体をソファーに投げた。


それと同時に、腹の虫が大絶叫をする。



「…そういえば俺何も食べてないんだった」



朝からミシェルの看病に奔走し、拓也はすっかり自分の事を忘れていた。


意識すると感じる確かな空腹感。それに突き動かされるようにキッチンへ向かった彼は、自分の分の料理を作り始めた。


・・・・・



時刻は昼の12時30分。学園では、拓也とミシェル抜きの日常が送られていた。


それぞれが弁当を持ってSクラスの教室に集まって、いつも通り昼食が始まる。



「…あれ?鬼灯君は休みなの?」



「ホントだ!…ミシェルさんもいないね」



ビリーがそう呟くと、セリーもそれに気が付いて、同時にミシェルが欠席ということにも気が付いた。


ジェシカはいつものテンションでアルスを引っ張って席に着かせ、自分も席に着き皆にも据わるように催促する。



「朝たっくんからミシェルが風邪ひいたって聞いてるよ!」



「最近流行っているらしいですわね」



「僕たちも気を付けないといけないね」



ジェシカの発言に、メルとアルスがそう相槌を打って各自が弁当に手を付け始めた。


そんな中でジェシカが一人で楽しそうに呟く。



「…きっとたっくんが看病してるんだろうなぁ……フフフ…すっごい面白そう」



恐らく本人は独り言のつもりなのだろうが、普通に周りに聞こえている。


すると、セリーが少しだけマズそうな顔をした。


メルと拓也の間に起きた出来事を知っているこの場のメンバー。当の本人は気にしていないようだが、それでも周りはやはり少し気を使ってしまうのだ。


しかしメルはセリーの予想と反し、彼女のそんな表情に気が付くと、屈託のない優しい笑みを浮かべて見せる。



「別に私に気を使う必要はありませんわ。もう解決したことです」



「メルちゃん…なんか垢ぬけたね…」



「そ、そうですか?」



セリーに純粋にそう褒められ、メルは少し照れながら髪を弄る。


その笑顔を見て皆は確信する。どうやら本当に気にしてはいないのだと。


あえてその話題に触れないようにしていたジェシカやアルス。ビリーもこれでようやく、勝手に感じていた重荷が無くなるのであった。


・・・・・



時間は流れて現在時刻は午後6時。



「あちゃ~…大丈夫?」



「…平気…です」



ヴァロア家。


真っ赤に上気した顔のミシェルを覗き込みながら拓也がそう尋ねると、彼女は憔悴しきった様子で強がりを言った。


参ったという表情で、彼が手にする水銀計は39.5℃という、人間ではかなりの高熱が示されている。


口では強がりを言っているものの、やはりミシェルは相当しんどいのか、何を言う訳でもなく虚ろな目で天井を見つめている。



「…ちょっと待ってろ、すぐに薬を作る」



そんな彼女の様子見た拓也は、真剣な表情を浮かべてそう言い椅子から立ち上がった。



ー普通の風邪なら俺が作る必要はないと思ってたけど…これはちょっと熱が高すぎるな…ー



冷静にそんな思考を巡らせて、薬のレシピを頭の中で構想する。



「…ま、…まって…ください」



すると、ドアに向かう彼の背後から弱々しくミシェルが声を掛けた。



「どうした?何か欲しいものでもある?」



「い…え、拓也…さんが…作った薬は…使う訳には…行き…ません」



彼女は意外なことを言った。


彼が作った薬を飲めば、風邪が一発で治ることは分かりきっている。さらにはついでに魔法防御力とかも上がりそうなモノを作れてしまうだろう。彼にはそれだけの知識が有り、経験もあるのだから。しかし彼女はそれを拒んだ。


拓也はミシェルのそんな理解しがたい発言に、戸惑う様に首を傾げる。



「…なんで?」



「だって…普段、魔法を使いたがらない…拓也さんですから。……きっと…普通に…暮らしていきたいんですよね?


昔住んでいた…世界の技術や…常識を外れた魔法。そんなモノは使わずに…皆みたいに、普通の生活を…送りたいと思っているって…思ったんです」



「…いや…別に…」



確かに今まで深く考えたことはなかった。


ただなんとなく周りの友人たちと違い、なんだかインチキをしているような感覚があったから、日常生活から乱用することを避けてきた。


しかし今ミシェルに言われたことは、なんだか妙にすっぽりと腹の中に納まった感覚がある拓也は、とりあえず言葉を濁して紛らわす。



「…確か…薬箱の中に……普通の風邪薬が、入っていますから…それを… お願いします」



「…でも…俺が作った方が…」



そんな分かりきったことを言おうとした拓也だったが、寸でのところで留まった。



「…大丈夫…ですから」



ベッドで横になる彼女の穏やかな微笑みを見て。



彼の様々な人間離れした部分を知っているミシェルだからこそ、こう言う。強大な力を持つ代わりに、時々虚しくなるのだ。


同じ人間だが、明らかに突出している能力。自分の事を、ジェシカたちと同じ、人間だ。そう言っていた拓也。

大別すれば確かに人間だが、細かく見れば、周りとは比較にならないほど優れている。


彼作った薬を飲めば自分はすぐに楽になるだろう。だが、彼は過大な能力を使うことは好まない。なぜなら…日常くらいは、周りの皆と同じように、普通の人間として生活していたいから。


しばらく困ったように目を瞑って考え込む拓也だったが、彼女が折れなさそうだと分かると、大きくため息を吐いた。



「あー…分かった分かった。でも40℃超えたら流石に飲んでもらうからな」



「…ふふ、わかりました」



クールなモノとはまた違う、子どものようなその笑顔。滅多に見せないそんな表情に、拓也は慌てて目を逸らしてドアノブに手を掛け、ガチャリと捻る。


それと同時に名を呼んだ。



「クラーケン、イスラフェル」



「呼んだ~!?」



「…お、お呼びでしょうか?」



「悪いな、実は今日も戦闘じゃない」



「アッハハ~!気にしないで~」



呼び出されたのは水と音の属性神。魔力は既に送り込まれ、その姿は本来の姿である。


ミシェルは彼のそんな突然の行動の意味が分からず首を傾げた。



「ミシェルが風邪で今日風呂入れないと思うから、濡れタオルとかで体拭いてあげて。髪の毛は…クラーケン。水の属性神なら水を操るのは自由自在だよな?」



「あったりまえよ!」



「よし、じゃあ髪の部分だけにウォーターロック掛けてシャンプーな。イスラフェルは着換えを頼んだ」



「任せて!」



「畏まりました」



きっとミシェルに配慮したのだろう。女性の属性神しか呼んでいない。


二人の属性神は頼もしく拓也の頼みを承諾して、事に取り掛かる。



「え…で、でも…そんなの……申し訳ないです」



「な~に言ってんのよミシェルちゃん!アタシ達、一緒にお茶する仲でしょ?」



申し訳ないというミシェル。しかしクラーケンもイスラフェルも、そんなこと気にしていないというように笑った。


拓也は面白そうに口角を釣り上げ口を開く。



「これは別に魔法とかじゃないから。まぁ…友人に看病を頼んだ的なあれだ。別に俺が特別な力を使ったわけじゃないからセーフ」



どうやら言い訳もちゃんと用意していたようだ。得意げにそう語り、ニヤリと微笑む。


するとクラーケンに続いて、イスラフェルもフォローするために口を開く。



「そうです、お気になさらないでくださいミシェルさん。あなたはマスターの大切nッムグ!」



とんでもないことを口走りそうになったイスラフェルは、背後から手を伸ばした拓也に慌てて口を塞がれた。


熱のせいでよく聞き取れなかったミシェルだったが、イスラフェルの背後から覗く、彼のギロッとした血走った目を見て、風邪とは別に、背筋にゾクッとするものを感じるのだった。



「ご、ごめんなさいマスター…」



「…あぁ。まぁ気を付けておいてくれ」



それがミシェルへの対応の事なのか、はたまた別のことなのか。属性神二名は感付いたが、当のミシェルはその違いに気が付いてはいないようで、首を傾げている。



「…じゃあ俺は晩御飯作ってくるから。よろしく頼んだ」



拓也はイスラフェルの失言を誤魔化すかのように、そそくさと部屋から退場した。


するとクラーケンがニコニコしながら口角を吊り上げ、小悪魔的な笑みを見せて口を開く。



「いやぁ。マスターって結構可愛いところあるよねぇ」



「く、クラーケンさん!?そんなことを言ってはダメです!」



「アッハハ~、アンタはお堅いねぇ~」



そんなことより、クラーケン。


彼女はそんな踊り子のような恰好で寒くないのだろうか?



そんなことが気になって、思わずソワソワしてしまうミシェルだった


「はーい!じゃあイスラフェルは着換えをお願い!アタシはとりあえずシャンプーから始めるよ!


…って、マスターにいつも使ってるシャンプー借りて来ないと!」



元気よく手を上げたかと思えば、今度は可愛らしく自分の頭を小突き、部屋から飛び出していってしまった。


どこかジェシカに似た雰囲気を纏うクラーケンに、ミシェルは今日会えなかった親友の面影を重ねて少し微笑む。



「…あ、あの…とりあえず体を起こしますね」



一応イスラフェルもミシェルとは面識があるが、一対一だとどうしても緊張してしまうようだ。


少々おどおどしながらベッドに横になっているミシェルの背に手を回すと、ゆっくりと彼女の上半身だけを起こさせる。



「…ごめん…なさい。迷惑を…」



「いえいえ、本当に気にしないでください。ミシェルさんにはいつも美味しいお茶とお菓子をご馳走になっていますから」



「…」



そのお菓子。だいたいは拓也が作っているなんて、口が裂けても言えないと思うミシェルだった。


イスラフェルはミシェルの寝間着のボタンを一つ一つ丁寧に外しはじめる。ボタンが外れるたびに広がって行く肌色の面積。そして最後のボタンを外して、上着を脱がせる。


露わになった上半身。しかし…



「…ミシェルさん…寝る時にブラジャーは苦しくないですか?」



奇妙そうにそう発言したイスラフェル。ナイトブラならいざ知らず、今彼女が身に付けているのは普通のモノ。


するとミシェルは熱とは関係なしに、顔を真っ赤に染めた。



「こ、これは…!…その…なん…というか……拓也ひゃんの前で…はしたない姿を見せるのは!」



「わ、わかりましたから落ち着いてください!とりあえず就寝用のモノはありますか?」



「…あの……クローゼットの…引き出しの中」



ただ拓也の前でそんな姿は見せたくない。そう考え、朝から付けていたのをすっかり忘れていたのだ。


イスラフェルにそう宥められたミシェルは、羞恥の感情から目を伏せて、下着を仕舞っているクローゼットの中の方を指差す。


「はーい!洗面器とシャンプーとコンディショナーとフッカフカのタオル貰ってきたよ~!」



そこへダイナミックにドアを蹴破って帰還したのはクラーケン。


両手には大量の荷物が抱えられている。



「ワァオ!ミシェルちゃんセックシィ~!」



「…か、…からかわないで…くだ…さい」



「アッハハ、ごめんごめん!」



いじられたミシェルは拗ねたようにそう返す。クラーケンは笑いながら謝罪し、彼女の傍に歩み寄る。


サイドテーブルの上に荷物を置いて両手をフリーにすると、洗面器の中に湯を発生させる。


そして怪しく眼を光らせると、上半身に残された最後の砦をその見事な手捌きによって攫って行った。



「…ふ、C+ね」



「ッな///」



半裸になったミシェルの胸部をガン見しながらそう評価を下し、満足そうに少し声を上げて笑うと、持ってきていた洗濯ものを入れる籠の中にそれを入れた。


いつもならもう少し怒るはずのミシェルだが、風邪のせいで元気が出無いようで、一瞬だけ羞恥の色に頬を染めた後、諦め気味に溜息を吐いて見せる。


その間濡れタオルを作成していたイスラフェルは、ミシェルの下に戻ってくると、首元から彼女の体を拭い始めた。



「本当はウィスパーさんが居るともっと綺麗な状態にしてくれるんですけれど…」



「い、いえ……とても…気持ちいい…です。……ありがとう…ございます」



美術品さながらの身体を拭いながら、自虐的な発言をするイスラフェルに、ミシェルは慌ててそれを弁解して笑顔を見せる。


するとクラーケンが何も無い空間で軽く手を振るう。するとどこからとなく発生した湯が、ミシェルの頭皮と髪の部分だけに纏わりついた。



「じゃあ私はシャンプーからね!


あ!これ別に魔法とかじゃないからマスターの意に反してないよ!」



属性神は自身の属性の加護を得られる。トールならどこでも落雷発生装置というようにだ。



それからミシェルは二人にされるがままになる。


体を拭き、髪を洗い…色々されている内に、気が付けば数十分が経過していた。



「…ありがとう…ござい…ました」



「これくらいぜんぜーん気にしないで!いっつも美味しいお菓子とかもらってるしね!」



そのお菓子。だいたいは拓(ry


なんとなく申し訳ない気持ちになりながらも、寝間着の前のボタンを自力で何とか留める。



「それにしてもミシェルさん、綺麗な身体していますね。絹みたいな肌でビックリしました」



「…そ、そんな……こと」



「あー確かに!」



そしていつものように談笑が始まった。といっても笑っているのは属性神二名だけで、ミシェルは結構しんどそうな表情である。



「というかマスターよく我慢できるよね」



「く、クラーケンさん!マスターに怒られちゃいますよ!」



会話は更にヒートアップし、遂にクラーケンがそんなことを口走った。

それを戸惑いながらも咎めるイスラフェル。


ミシェルは、頭がぼーっとしてきて話を聞いているどころではなかった。



「ホントホント、温厚なマスターもそろそろブチぎれちゃうよコンチクショー。

貴様も蝋人形にしてやろうか」



そしてそこへ、足音も無く拓也が登場。クラーケンが開けっ放しにしていたドアからゆらりと出現した彼は、不気味な声色で口角を釣り上げている。



「ま、マスター!いつからそこに…」



「ついさっきー」



しかし拓也も、クラーケンのそんな性格はもう熟知しているのか、諦めたように笑いながら、哀愁が漂う溜息を遠慮なしに思い切り吐いた。



「そんな見限ったような溜息は止めてよマスター!」



「イヤー、コレカラモタヨリニシテルゾー」



「嘘だ!絶対嘘だ!!」



漫才のようなやり取りを交わす二人。その光景をオロオロとして手出しできずに見守るイスラフェル。



「ハハ、冗談だ冗談。ありがとな、とりあえず今はもう手伝って欲しいことはないから帰ってくれていいぞ」



彼は属性神たちにそう指示を出していると、その背後でミシェルは再びベッドに横になり、天井を見上げた。


思ったより元気がないミシェルを見ると、拓也は少し心配そうな表情を浮かべて、クラーケンとイスラフェルの脇を抜けて、サイドテーブルに、持ってきたものを置く。



「一応晩御飯作ったけど…食べる?」


拓也が持ってきたのはミシェルの夕食。


今まで下に居て上がってこなかったのは、これを作っていたからだろう。


心配そうにミシェルに声を掛ける拓也を背後から面白そうに眺めるクラーケンは、少しだけ声を押さえて笑うと手を上げた。



「じゃあマスター!アタシたちはこれで失礼するね!またいつでも呼んで!」



「あ、では私も失礼します」



「ん、あぁ。ホントありがとな、助かった。またなんかあったら呼ぶよ」



短くそうやり取りをした後、クラーケンとイスラフェルは帰って行った。


ミシェルの方に視線を戻す拓也。悪化している彼女の容体。拓也はすぐに水銀計を彼女に差し出す。



「あ…りがとう…ござ…います」



彼女はそれを寝間着の隙間から差し入れ脇に挟む。


それから特に会話をすることも無く過ぎる時間。およそ5分経過した辺りでミシェルは水銀計を取り出した。


彼女は自分の体温を確認して、その高さのあまり溜息を吐こうとするが、誤って咳をしてしまう。


それでもまだ大丈夫な範囲だったので、それが拓也に見えるように腕を伸ばした。



「39.8℃…ミシェル、やっぱり…」



先程の提案をもう一度しようとしているであろう拓也。しかしミシェルは彼の言葉を遮るように、首を横に振った。



ー…確かにミシェルに言われた通り俺は日常を皆みたいに過ごしたい…って思ってる。さっき気が付かされただけだけど…。


でもこれは明らかにヤバい。緊急事態だし…俺の作った薬飲んでくれると嬉しいんだけど…ー



自分は彼女の為なら…そう納得している拓也は、彼女がそこまで強がる必要はあるのだろうか?と頭を悩ませる。


さらに、そこまで気を使わせてしまった自分も情けない。



「…わかったよ。…晩御飯、食べられる?」



「折角…拓也さんが…作ってくれたんです。もちろん、…食べます」



しかし彼女の意志は固いようだ。心の中で彼女が折れてくれるのを望みながらも、彼は彼女の意志に沿うことにした。



「なにを…作ってくれたん…ですか?」



頑張って上半身を起こそうとするミシェル。だが上手く力が入らないのか、中々起き上がれない。


拓也はすかさず彼女の背に手を回し、綿の入ったもっこもこのチャンチャンコを羽織らせて、ベッドのヘッドボードにクッションを置いて彼女をそこへもたれさせた。


そんな拓也の完璧な対応に、ミシェルは辛いならも少し微笑む。



「えっと…ほうれん草と小松菜のお粥。カブとジャガイモとキャベツとネギとブロッコリーのクリームシチュー。バナナ入れたヨーグルト。他にリクエストがあれば何でも作るよ」



「いえ…これだけあれば…十分…です。すみません…けれど、スプーンをもらえますか?…」



「あぁ、持ってきてるよ」



いつもは箸で食事をするミシェルだが、風邪をひいて指先の細かい動きが出来ないため、スプーンを要求する。


それを見越してすでに用意していた拓也は、彼女にそれを差し出す。



「…いただきます………っあ…」



食事を始めようとそう挨拶をし、スプーンを食器に向かわせる。


が、相当風が辛いのだろう。上手く扱えずに、スプーンをシーツの上に落としてしまった。



「あ、あれ?…上手く…力が、入りませんね」



脳の指示通りに動かない体に違和感を感じながら、拓也に心配をかけないよう、冗談めかして精一杯笑う。


彼女はシーツの上に落としたスプーンに手を伸ばす。しかし、高熱で遠近感と焦点がずれ、見当違いの場所に指を着地させる結果となった。


何度かそれを繰り返すミシェル。


その光景を眺めていた拓也は、何か思いついたのか少しだけ目を見開く。だが次の瞬間、何やら恥ずかしそうに部屋の隅に目をやった。



「…ごめんなさい……折角、作って…いただい…たんですけど……この有様じゃ…食べられ…ません」



しばらく奮闘していたミシェルだったが、掴んでも手からすり抜けてしまうスプーンに悲しげに視線を落としながら諦めてそう言った。


すると、部屋の隅へ視線をやっていた拓也は、意を決し口を開く。



「……じゃ、じゃあ……あの……俺で良ければ食べさせようか?」



ミシェルは耳を疑った。


熱で遂に頭がおかしくなってしまったのかと。


そんな自分に都合のいいことが起こるわけがないと自分に言い聞かせた結果、幻聴と思い込むことにするのだった。



「あ、あの…ミシェル?聞こえてなかった?」



「…っ!」



ミシェルが何もリアクションを起こさなかったため、拓也はそう言い、首を傾げる。その頬はほのかに赤い。


彼にそう聞かれミシェルはようやく幻聴ではないのだと確信した。


風邪のせいとは別の意味で顔が上気し、彼の顔を直視できない。



「え、えぇ…じゃあ……お願い…しても、いい…ですか?」



「…分かった、何食べたい?」



伏せ目がちにそうお願いし、自分の膝のあたりを見つめるミシェル。顔が赤い理由は熱で誤魔化せられるだろうが、今の彼女はそこまで冷静ではなかった。


拓也も少々照れながらスプーンを手に取ると、ミシェルにそう尋ねる。



「な、なんでも!…ゴホ、ゴホッ」



「大丈夫!?」



すると、少し声を張り過ぎたのか突然ミシェルが体を前に折って咳き込んだ。


拓也は慌ててスプーンを盆の上に捨て置き、彼女の体を支えて背を摩ってあげる。ミシェルはその彼の手の感触を背に感じながら、落ち着いて呼吸を整える。


拓也は、とりあえず彼女が落ち着いたことにホッと胸を撫で下ろし、とりあえずスプーンにほうれん草と小松菜の粥を掬い取った。



「はい、口に合うかは分かんないけど」



それをはい、あーん♪の要領でスプーンを差し出した拓也。両者共に想像以上の恥ずかしさに悶えるが、それを表情に出さないよう必死に堪えた。

そのままミシェルは羞恥を鎮め、心の準備をするために固まった。


こうして流れる時間。彼女が早く食べないせいで、現在進行形でアクションを起こし続けている拓也は更なる羞恥に襲われる羽目になっている。


そして数十秒が経過し。するとようやく覚悟が決まったのか、ミシェルは視線を拓也の瞳…までとは行かないが、顎のあたりまで戻して口を開いた。



「…いただきます」



そう食前の挨拶をし、差し出されたスプーンの窪んだ部分を口内に納める。


自分で操作していない食器の感覚に非常に違和感があるが、なんとか普通を装って呑み込んだ。



「おい…しい……です」


本当は味なんてよくわからない。だがミシェルは少しでも自分の中の羞恥を紛らわすためにそう言って、俯いたまま微笑んで見せる。


拓也はよかった…と言いながら次の料理をスプーンに乗せて運んだ。


彼の表情をミシェルは見ていないが、きっといつも通り別にそういった感情は無く親切でやってくれているのだろうと予想して、喜んでいる自分が惨めになると同時に、少し悲しくなる。



「…そうか…おいしいか……そっか」



しかし拓也もまた同じ。彼女が視線をこちらへ向けていないのが幸いと内心で安堵し、今の内におかしなくらいに上気した顔を元に戻そうと奮闘していた。



・・・・・



一方、同刻ミルシー家。



「この感じ…間違いない!どこかでラブコメが展開されているッ!!?」



人間離れしたセンサー。ラブコメ探知センサーMk-Ⅱを積んだジェシカは、拓也とミシェルの家の方を向いて咆哮する。どうやら感付いているようだ。


最早、このレベルまで行くと尊敬に値する。



・・・・・



「ごちそうさまでした。……ありがとう…ございます」



食事を終えたミシェル。食器類を盆にのせ片付け始めた拓也に、彼女はそう礼を言った。


拓也は盆の方に視線を落としたまま口を開く。



「うん、別に気にすんな。お互いさまさ」



何故さっきから目をあまり合わせてくれないのだろうと気になるミシェルだが、わざわざ聞くまでもない事なので呑み込んで黙っておく。


拓也は全てを片付け終えると、水差しでコップに水を注ぎ、薬包紙に包まれた粉薬と、いくつかの錠剤を取り出して彼女に差し出した。



「はい、薬。家に置いてあった常備薬から効果のあるやつ持ってきたから。もし飲めなかったらまた上がってくるからその時に言ってくれ」



「は、はい!一人で…大丈夫です」



そう提案した拓也。しかし別の意味でもお腹いっぱいのミシェルは全然大丈夫と言うように両手でコップを掴んで見せる。



「(これ以上あんなに恥ずかしいこと…///)」



そんな必死に空元気を振りまく彼女に、拓也はようやく目を合わせて微笑んだ。



「分かったけど……両手でコップ持ってたら薬飲めないぞ」



「あ、あぁ!…そう……ですね」



ミシェルはそう指摘され、慌てて、熱で上気しながらもクールな表情を保ったまま片手に持ちなおす。




そして拓也の見ている前で普通を装いながら粉薬と錠剤を口に含み、水で流し込む。


彼はそれをドア付近から眺めて確認すると、にこやかに頷いて部屋から出ていった。


一人きりになった部屋で先程の出来事を思い出し、速く…そして大きくなる鼓動を感じるミシェル。



「…心臓が…ダメになると…思い…ました……」



横座りの状態から、ベッドへ、へなへなと骨が抜かれたような動きで横になる。


自分としては非常にうれしい出来事。まさか食べさせてくれるなんて思っても居なかったミシェルは、嬉しさと恥ずかしさのあまり笑みと赤面が止まらない。


それと同時に、食べさせてもらっている時に、変な顔をしていなかっただろうか?などと考え、ミシェルはシーツをキュッと掴みながら悶えた。



「…あぁ………あぁッ///」



風邪でしんどいはずの体も、心なしか軽い。



・・・・・



「……」



一方、一階ではキッチンで拓也が洗い物をしていた。


真冬なのに冷水を触らなくてはいけないという非常に億劫なこの作業を、彼は黙々と続ける。



ー…ミシェル…なんだか妙に色っぽかったな…ー



彼もまた先程の出来事のことを考えていた。


しかし自分のそんな考えに、拓也はすぐに首を横向きに勢いよく降ってその考えを消し去り、追い打ちとして冷たく濡れた手で自分の頬を叩く。



「…病人に劣情を抱くとかどうかしてるぞ、俺……」



彼は膨大な年月修行をしてきた人物。もちろん常に冷静を保てるように精神トレーニングもしてきたが、彼も超人である以前に一人の男子。仕方ないといえば仕方のない事なのだろう。ましてやミシェルの容姿は非常に整っているからなおさらである。



だが拓也は、根底にある真面目さ故に、一片すら残さぬように自分の思考から振り払ったのだった。


まるで自分の雑念も食器の汚れと共に洗い流しているようである。


・・・・・



「……ぅ…ん…?」



瞼にボンヤリと浮かぶ光。頬に触れるのは、ベッドの中より冷たい空気。


ぬくぬくと暖かな毛布の中、徐々に覚醒してくる意識をハッキリと感じ取り、目を開く。


少し寝癖の付いた銀髪を揺らして、上半身を起こすミシェル。目の前には椅子に座ったまま目を瞑った拓也の姿。きっと眠っているのだろう。



「…ずっと付いていてくれたんですね…拓也さん…」



目の前の青年に向けて感謝の言葉を述べる。彼女はすんなりと声が出たことに驚き、自分の喉辺りを押さえてみた。するとまず気づくのは喉の痛みがない事。


それに簡単に起きれた時点で気付くべきだったが、体のダルさもほとんど無い。



そこで拓也も目が覚めたのか、瞼を開いて黒い瞳を露わにした。



「…ん…おぉ、ミシェル。おはよう」



「おはようございます」



ミシェルは左の手を体を支えるために。拓也は右の手を、警戒の為か剣を握るために使っている。


それではお互い、使用していない方の手は何に使われているのだろうか?



「…あの、拓也さん。……この手は…なんですか?」



「………決して…決して変な気持ちがあったわけじゃない。実はこれには深い事情があってだね…」



ミシェルは右の手で拓也の左の手の親指を握るように掴み、拓也は左の手で、そのミシェルの手を包むように握られていた。


突然のことで混乱して首を傾げて見せたミシェル。彼女は彼のゴツゴツとした固い手を離さないままそう尋ねる。拓也も動揺を隠せずに狼狽しながらも、彼女とつながれた手は離さないまま弁解を述べる。



「こ、これはですね…俺がここで座ってたら、ミシェルがいきなり寝ぼけながら親指を掴んできてですね……。


当然手は毛布から出てたから、冷えると良くないと思いまして…現在に至ります……」



「…あ、あぁ。そうだったんですか。気を使わせてしまってすみません」



いつものミシェルならば、羞恥から慌てて振り払っているはずなのだが、今は寝起きで思考回路がおかしくなっているのか、ただそう礼を述べただけだった。


これには拓也も安心したような拍子抜けしたような表情である。



するとミシェルはおもむろに、拓也の手の中から自分の手をスルリと抜いてサイドテーブルにあった水銀計に手を伸ばした。


それを脇に差し込み、測り終わるまで待つ。



「だ、だいぶ調子戻ったみたいだな。顔色良いじゃん」



軽く動揺しながらそう発言した拓也。


ミシェルは彼に向けてクールに微笑んだ。



「はい、拓也さんのおかげです。本当にありがとうございました」



そう礼を述べて、軽く頭を下げる。


拓也は面食らったように面白く狼狽え、軽く頭をかいて唸り声で返した。


それからしばらくの沈黙の後、ミシェルは体温計を引き抜く。



「37.4℃。もう大丈夫ですね」



「でもまだちょっとあるな…」



すっかり全快、そんな風に言ったミシェルだが、拓也はまだ微熱が残っていることを知って顔を顰めた。


彼女は水銀計を元の場所に戻して、ゆっくりとベッドから下りてスリッパに足を通した。



「じゃあ今日は学園に行かないと…」



「!?ダメだって!まだ熱あるじゃん!!」



「え…でも、昨日は休んでいますし…」



「人間の体はそこまで都合よくないの!昨日使った体力を取り戻すには今日十分な休息を取らないといけないんだ!」



ミシェルのそんな無茶をする部分に、拓也は慌てて説得に入る。すると彼女は彼のそんな勢いに押されたのか狼狽えた。


そして指を顎において考え込むような仕草を見せてから口を開く。



「…分かりました。では今日は休むことにします」



どうやら彼女は拓也の言う通り休むことにしたようだ。ベッドに腰掛けてそう言う。


すると拓也は安心した様に息を付いた。



ー…ミシェルってたまに脳筋染みたこと言いだすよな…でもまぁ休んでくれるみたいで良かった…ー



「でも!拓也さんはちゃんと行かないとだめですからね!」



「………………はい」



「なんですかその間は…」



学校へ行くのがめんどくさいのか、……それとも彼女のみを案じてなのか。


億劫そうに椅子から腰を上げると、ドアの方へ向かって歩き出す。



「…クラーケン、ウィスパー」



呟くように使い魔の名を呼び、同時に魔力を送り込む。


突如として登場した踊り子の服装の美女と、白の燕尾服に仮面とハットの紳士に軽く会釈するミシェルだが、呼び出した意味が分からず軽く首を傾げた。




「お呼びでしょうか、マスター」



「ヤッホー!昨日ぶりだねマスター!」



如何なる状況においても主に対してに礼儀を払うウィスパー。対してクラーケンは砕けた口調でそう挨拶をした。


その時少しばかりウィスパーがクラーケンを睨んだ気がしたのは恐らく気のせいだろう。



「クラーケン。マスターに対してその態度はどういうことだ」



…どうやら気のせいではなかったようだ。


拓也はそんな二人の様子をマズいと感じ取って、すぐさまカバーする為口を開く。



「あー、いいのいいのウィスパー。どうせならお前ももっとフランクに話しかけてくれていいのよ?」



「…いえ、そんな無礼なことは……それよりマスター。今回のご用件は?」



「お、そうそう。俺学園行かないといけないから、ミシェルと一緒に居て欲しいんだ。まだ病み上がり…というか微熱があるから…頼めないかなぁ…と思って…すまんな、また戦いじゃないんだ…」



申し訳なさそうに属性神に謝罪する拓也。その姿からは主である者の風格は感じられないが、ミシェルは思う。



「(きっと…こんな人柄が、属性神の皆さんに好かれているんでしょうね)」



使い魔といえど、知性はある。つまり気に入らなかったやつとは誓約はしないし、誓約を破棄されることもある。最悪の場合後ろからグサーてな感じで闇討ちされることもあるようだ。


しかし何度も属性神たちとお茶をしているミシェルはなんとなく分かっている。彼らが拓也を信頼して力を貸していることを。



命令という言葉は冗談でしか使わず、彼らと対等に関わる彼。当然のことのように思えるが、そこがまた彼女が彼に惹かれる理由でもあった。



「それじゃあ頼んだ。あ、俺の部屋にある飴とかは自由に食べてね!」



「やったー!」



「畏まりました」



そんなことをミシェルが考えている間に拓也は用件を伝え、クラーケンとウィスパーに頭を下げていた。


ミシェルはそんな彼の様子を微笑みながら眺める。



するとウィスパーがと突然、声色も変えずんでもないことを口走った。



「マスターの奥様はこの私がお守り致します」



「だから!この前それは誤解だって言っただろ!!」



声を張って、怒ったような焦ったような雰囲気でウィスパーにそう言う拓也。

しかしウィスパーの誤解はまだ解けていないのか、彼は首を傾げるだけだった。



「あぁもう!じゃあ後は頼んだからな!」



「お任せください」



そう言って部屋を出ていった拓也。ミシェルは心なしか、ふと見えたその横顔が赤いように見えたが、首を傾げただけで特に気に止めず、立ち上がって部屋のカーテンを開ける。



「どうやら雪は止んだみたいですね。気持ちいいほど晴れてます」



遮るものが無くなって、眩しいほどの朝日が窓から差し込んだ。


ミシェルは軽く手で光を遮りながら、晴れ渡った晴天の空を見上げてニッコリと微笑む。



「ミシェルさん。これを羽織ってください。また体調を崩されては、マスターに合わせる顔がありません」



そんな彼女の背後から声を掛けたウィスパー。彼の手には、昨日拓也が掛けてくれたちゃんちゃんこ。


ミシェルは会釈しながらそれを受け取って、言われた通りに羽織る。


どうやら拓也が選択して乾かしておいてくれたようだ。ふわりと香る柔軟剤の匂い。


ミシェルはその香りを目を瞑ってゆっくりと鼻から吸い込み、深呼吸した。



「…今日も一日、頑張りましょう」



そして自分を鼓舞するように頬を軽く叩いてそう小さく零し、彼女の日常は今日も幕を開ける。











ちなみに拓也が登校した後、よくよく考えればかなり大胆なことをしていた。と、ミシェルが羞恥に悶えるのはまた別のお話。







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