冬のヴァロア家
海水浴をした日から数日が過ぎ、12月が終わって現在は1月1日。
この世界でも新年を祝う催しはちゃんとあるらしく、拓也はミシェルに指示を受けながら色々な準備をしていた。
とはいっても年末のイベントは既にすみ、後は年始ということで美味しい物を食べるだけである。
「ミシェル~これでいい?」
食事の準備をする拓也。この国の伝統的なお菓子をミシェルに教わった拓也は手際よく作り上げると、チェックの為ミシェルを呼んだ。
ミシェルは掃除する手を止めてキッチンまで小走りで向かうと、拓也の手元を覗き込み、微笑む。
「完璧です」
「もったいないお言葉…」
伝統的なお菓子、パイを作った拓也は跪きミシェルに頭を下げて見せた。
「これは食後のデザートにでもするとして…お昼ご飯はどうしましょう?」
「俺はなんでもいいよ、リクエストがあれば何でも作るけど」
「……それじゃあ和食なんてどうですか?私も少しなら作れるようになりましたし」
「おっけ~、じゃあ…ほい、エプロン」
拓也はミシェルがいつも使っている水色と白色の可愛らしいエプロンを手渡すと、必要な調理器具を取り出し、いつでも料理が始められるように準備を始めた。
ミシェルもエプロンを身に付け、準備を始める。
・・・・・
「そうそう、そこに包丁を入れて…うん、おっけー」
拓也の監視のもと、料理を開始したミシェル。
本日のメニューはぶりの照り焼き、金平ごぼう、豆腐とわかめの味噌汁、里芋の煮物。
メニューと共に目の前のコルクボードに張り出されているレシピを見ながら調理を進めるミシェルに、拓也はちょくちょくアドバイスをしながら暖かい目で見守っていた。
コンロの方では、既に仕込まれた煮物の鍋がコトコトという音と共に良い匂いをキッチン中に広げる。
「豆腐は掌に乗せて切るんだよ」
「…こうですか?」
「そうそう。あと包丁は落とすだけでいいよ、前後に動かすと怪我するから気を付けて」
「はい」
・・・・・
緊張の一瞬。拓也が味噌汁が注がれた木製の椀を左手に持ち、口に近づける。
その光景を食い入るように見つめるミシェルは、心の底から失敗していないことを祈るのだった。
そうこうしている内にも味噌汁は彼の喉を通過する。
拓也は何度か首を縦に振って頷くと椀を置き、ミシェルにグッドサインを向けた。
「完璧だ、すごい美味しい。もう俺より上手いんじゃない?」
「ふぅ…冗談はやめてください。そんなことはありません」
美味しいと言われ安心したミシェルは、嬉しそうな表情を浮かべると拓也にそう返す。
「いやいや本心だよ。呑み込み早いし…将来はいい嫁さんになるよ」
「…へぇ……そうですか、ありがとうございます」
不意にそんなことを言う拓也に、表情は変えないまま目線だけ逸らして味噌汁を口に運ぶミシェルは、内心で沸き上がる動揺を隠すために何度も何度も自分を落ち着かせる言葉を呟くのだった。
並行して話題を逸らすために、新たな話題を探す彼女だったが、その前に拓也が口を開く。
「あー、そうなると俺もいつまでも居候するわけにはいかないなぁ。ミシェルもいつか結婚するだろうし」
ヘラヘラしながらそんな発言をする拓也に、ミシェルは少し心が痛むのを感じた。
色恋沙汰に正直ではなく、想いを伝えることが苦手な彼女は何も言えずに黙り込んでしまう。
気の利いたジョークの一つでも飛ばせばいいのだろが、それが出来ない。彼女はそんな自分の部分に嫌気が指していた。
「べ、別に出ていく必要は……それに結婚だって…きっとまだずっと先です」
ようやく出た言葉は何の説得力の無い言葉。もっと状況を打開できるような言葉は無かったのかと自分を責めるミシェル。
そんな時、拓也がふざけた調子でとんでもないことを口にした。
「そうだ、もういっそのこと俺と結婚してくれない?」
「……………………………はぁ?」
長い間の後、彼女がまず口にした言葉はその一つの音。
顔はクールな表情のままなので、一見怒っているようにも見えるが今彼女は激しく動揺し、そして照れていた。
拓也もその言葉と表情から、彼女を怒らせてしまったと思い込み、ダラダラと冷や汗を流しながら謝罪の言葉を口にする。
「ご、ごめん!ジョークにしてはタチが悪いよな!反省反省。あ、この照り焼き美味しい」
途中からただの感想だが、それも彼なりに状況の打開を狙ってやったことだろう。
しかし彼女の中で、まだこの話題は続いていた。
「……あれですか?……口説いてるんですか?」
「い、いや、ホントすみません許してください。軽率な発言でした、以後自重します…」
平謝りの拓也を目の前にしたミシェルは、メルというライバルの存在を思い出し、そして一つ閃く。
今ならおちょくられる可能性は薄い。ならば少し…ほんの少しだけ積極的に攻めに出てもいいのではないだろうか?と。
「へ、へぇ…拓也さんは私とけ、…結婚したいんですか?」
「…………………」
ー…おかしい…ミシェルは普段こんな感じじゃない…味醂のせいか!?…いや、熱を通した時点でアルコールは飛んでるはず…なら何故?…ー
信じられないようなものを見る目で絶句する拓也はそんなことを考える。
しかし彼女は別に酔っているわけではない。これは自分の意志に基づいて行っている行動なのだ。
挑発するような笑みを浮かべて見せるミシェル。きっと本人は妖艶な表情を意識しているようだが、残念ながらやり慣れていない表情なので、口角がピクピクと震えている。
なんだか面倒な状況になってきたところで、黙っていた拓也がようやく口を開いた。
「あぁ、そうだけど?」
「!?」
ミシェルは逸らしていた視線を拓也へ戻す。
俯いているため表情はよく分からないが、少しだけ見えた口角は怪しく吊り上がっていた。
「そうかそうか、結婚してくれるなら話は早い。それで式はいつ挙げる?子どもは何人?」
彼女の思い通りにはならず、拓也はいつもの調子で彼女をからかい始める。ミシェルは読みが甘かったのだ、拓也はこう見えても結構負けず嫌い。
彼女のペースに呑まれることを嫌った結果がこれなのだ。
自分でもちょっと引くようなことも言いながらいきなり畳みかけた拓也は、口を金魚のようにパクパクさせる彼女を満足そうに眺めると、机の下で彼女に気が付かれないように作業をする。そして何やら作っていた一枚の紙を取り出してミシェルによく見えるように突き出した。
「ということで婚姻届け出してくるね」
そう言ったと同時に猛ダッシュで玄関へと向かう。
…しかし。
「ッ魔法陣だと!?バカなこんな速さで作れるわけがッ!!」
進行方向を潰すように展開された魔方陣が拓也の周りを囲む。
あまりの速さに一瞬たじろいた拓也。その隙に全方位を光の魔法陣に囲まれ、身動き一つとれなくなってしまった。
恐る恐る背後へ振り向けば、俯いて表情の良くわからないミシェル。
ただ練り上げられる魔力はどんどん上昇し、周りの魔法陣の数をさらに増やしていた。
「…今すぐそれを捨ててください」
静かな声でそう言うミシェル。拓也には拒否を許さない絶対的な命令のように聞こえるのは仕方のない事なのだ。
何故なら今ここで断れば……どうなるかは彼の経験が教えてくれる。
だから……
「【デス・フレア】」
炎の最上級魔法で塵一つ残さずにソレを燃やし尽くしたのだった。
・・・・・
「ねぇ…やっぱり怒ってる?」
「怒ってません。私が怒る理由もありません」
一件落着し、食事に戻った二人。
しかしミシェルはいつもより表情を消している。
怒らせてしまったかと不安になった拓也はそう尋ねるが、彼女はそれを否定した。
「(私は何をしていたんでしょう………時間が戻るのなら……考えるのは止めましょう…)」
しかし拓也の考えとは違い、ミシェルがこんな状態になっている理由は、ただ自分の行いを悔い、そしてようやく訪れてきた羞恥の感情を隠すためなのである。
無表情で料理を頬張るミシェルを見ながら、ビクビクとしてちびちびとハムスターのようにご飯粒を一粒づつ食べる拓也。
まるで蛇を前にした蛙そのものである。
しかしミシェルもミシェルで、チラチラと拓也の様子を窺っているのだった。
すると突然拓也が椅子から立ち上がる。
「?…どうしたんですか?」
「ちょ、ちょっとお花を摘みに…」
怯えきった様子で目を合わせない拓也。ミシェルは彼を目で追いながら食事を続ける。
背後にあるドアに手を掛け、廊下に出ていく彼をミシェルは、怒らせてしまったか?などと考え、振り向き彼の様子を窺おうとする。
そして思わず固まった。
「……」
スライド式のドアが閉まりきるその一瞬前、少しだけ、しかしはっきりと見えた拓也の表情。
特にその眼。それは普段のモノとは比べ物にならないほど鋭く、殺意を持って”ナニカ”を見据えていた。
「拓也さん?」
心配になり廊下へ飛び出したミシェル。彼が居るはずのトイレをノックしても返事は無い。
では彼は何処へ行ったのか?決まっている。ミシェル意を決して玄関を静か開けると外へ向かった。
一面雪化粧を施された庭。家の中の格好のまま出てきたせいでかなり寒い。ミシェルは体を抱きながら見渡すが、目的の人物は見つからない。
しかしよく耳を澄ませば、何かが呻く様な音が聞こえた。音の発生源は家の裏側。
足音を殺してそちらへ向かうと…居た。
「偵察だな?知ってる情報を話せ。これはお願いじゃない、命令だ」
背中に白い翼を生やした男の天使。
拓也は左手でソイツの口を塞ぎ、右手でナイフを喉に突き付けている。
「!?」
思わず口を手で覆い、後退りしたミシェルは、誤って家の壁に立てかけてあった薪を数本地面に落としてしまった。
ボス、という可愛らしい音を共に、拓也がこちらへ視線を向ける。
「ミシェル、なんで出てきた」
「あ、あの…それは…」
普段は見せない鋭い眼光。ミシェルは緊張し、口籠ってしまう。
「はなッせっ!!」
拓也の視線がミシェルへ向いたため、隙が出来たと思った天使が拓也の顔目がけ、この至近距離で爆発系の魔法陣を展開した。
しかし拓也は視線だけそちらへ向け、冷静にタイミングを見計らうと、ソイツの魔法陣を含んだ手の周りに小さく結界を張った。
「あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁぁ!!!」
小さな空間で炸裂した魔法は、容赦なく手の組織を破壊し痛みとして天使へと伝わった。
悲痛な絶叫を拓也は冷たい表情をしながら眺めると、彼の首を掴み、ミシェルに背を向けて持ち上げる。
「ミシェル、見るな」
真剣な声色で背後の彼女にそう告げると、ナイフを剣へと変形させる。
そして左手をパッと離すと、右手に握った剣を肩口から斜めに走らせた。
両断された天使の体。鮮血を辺りに撒き散らし、拓也と雪を赤に染めると、絶命したのか体の端から光の粒子へと変わり、上空へと昇って行く。
血液も少しずつ光に変わり、同じように昇って行った。
「見るなって……まぁ見ちゃったものは仕方ないか。あんまりこういう汚い部分は見せたくなかったんだけどな」
振り向いた拓也はそれだけ言うと、血払いをして剣を鞘に納め、指輪に戻す。
べっとりと彼の体に付着した血液。それが光になっていく様子を見てミシェルはまだ動揺していたが、何とか口を開くことが出来た。
「き、汚くなんてないです、拓也さんは…」
しかしまた口籠る。
拓也は彼女の優しさに思わず笑みを浮かべると、面白そうに彼女の出方を窺う。
しばらく言葉を選んだミシェルだったが、この状況に合う言葉が見つからなかったのだろう。
「ミシェル!?ダメだって、汚いから…」
拓也の血塗れの手を両手でギュッと握ると、微笑んで見せ、家の表の方へ引っ張る。
「だから汚くないですって。…早く戻って食事を続けましょう。デザートのパイもありますから」
「…いやだから汚いって、血だよ?ブラッドだよ?」
「しつこいですね…これ端の方から消滅してるみたいですし別に残らないから大丈夫でしょう」
「……精神的に…ね?」
「まぁそのことは食べながらでも話しましょう。ついでに色々と聞きたいこともありますから。
…こんなことがいつからあったのかとか」
「…ヒィ!」
・・・・・
結局デザートタイムまで何も聞かれなかった拓也。
甘くておいしいはずのパイすらも、今の彼の舌には消しゴム同様に無味である。
ミシェルは拓也の隣に座り、パイをおいしそうに頬張った。
「それで?前に一緒に背負うって言いましたよね?これは拓也さんだけの問題ではないと思うんです」
「……はい、ホントすみません」
ジト目で前方を見つめながらフォークで次々とパイを口に運ぶミシェルに、拓也は同じく前を見つめながらそう謝罪をする。
それと同時に何故彼女が隣に座ったのかについて疑問に思ったが、とりあえずそれについて思考をすることは後回しにする。
「てっきりもうちょっと信頼されてると思っていたんですけど…」
「本当に申し訳ありませんでした。一つ言い訳を述べるとするならば、ミシェルに精神的な苦痛を与えるのではないかと心配になりまして…」
紅茶のカップを傾け、喉を潤すミシェル。
拓也は何も口にせず、ただただ怯えたように姿勢よく座って謝罪を繰り返し、時折解説も含め、彼女を納得させるべく頭を回転させていた。
「気持ちは嬉しいですが、拓也さんにとって罪である殺し…辛いですよね、それを全部一人で抱え込まないでください。もっと頼って欲しいです。
というか学園祭の時に私のことを『心の底から信用も信頼もする』って言ってましたよね?」
「…………ミシェルってかなり記憶力良かったりする?」
「えぇ、これでも学年5位なので」
かなり前の会話すら正確に引き出され、拓也は何も言えずにただただ閉口した。
ミシェルは再びフォークを手にすると、パイをツンツン突きながら黙り込む。
展開されてしまった非常に居づらい無言空間。
拓也は目をキョロキョロと泳がせ、彼女が喋り出さないかなどと祈ってみる。しかし彼の願い届かず、彼女は黙ったままフォークを操り、一口サイズにパイをカットしていた。
きっと拓也が話し始めるのを待っているのだろう。
このまま沈黙していてもどうにもならないので、拓也は正直に全てを話すことにした。
「敵は偵察。俺がこの世界に来てから月に何度か来ている。最近は来訪の頻度が高くなってて、先月は13回、今月は一日目に早速来やがった。
目的は俺とミシェルの情報の収集。後俺は無理だとしても、隙があればミシェルを殺すつもりだろうな。
さっき爆発系の魔法を選択した理由も、近くに居たミシェルを巻き込めれば…とでも考えてたんだろ」
姿勢よくソファーに座ったままそう語った拓也。
正確な情報の分析で、彼らのやることを見抜いていた彼を、ミシェルはカットしたパイを口に運びながら口には出さず賞賛する。
「捕まえるたびに情報を吐かせようとしたんだが、どいつもこいつも無駄に忠誠心があるせいで誰も口を割らねぇ。
直接脳から記憶を引きずり出してやろうかとも考えたけど、その前に自殺するし……なんにせよ情報が足りなさ過ぎてはっきりとしたことはあまり言えないんだ。
ただ、偵察の頻度を上げてきたってところから見て近々何かが大きく動くんじゃないかと俺は考えてる。
それがもしかしたらミシェルの”力”に関係してるんじゃないかとも思って……」
つらつらと論文でも読むように語る拓也は、このほかにもいくつかの仮定を挙げて、自分の考えを全て彼女に伝えた。
ミシェルは内心で賞賛すると同時に改めて驚愕する。
「(呑気な顔して…相変わらず物凄い洞察力ですね…)」
相手の心理を読み、物事の本質を鋭く見抜き対策を立てる。
しかも一つ二つだけではなく、ありとあらゆる場合を想定し、それに応じた対応策を既に作っているのだ。
いったい彼の頭の中ではどんな思考が行われているのだろうか?と気になったミシェルだったが、生憎それを知るのは彼だけである。
「なるほど、現在の状況は理解できました。
結構大変な状況だったんですね…それなのにワガママ言ってすみません」
紅茶を一口飲み喉を潤したミシェルは、少し申し訳そうな表情を浮かべ、横を向いて拓也の顔を見ると、そう謝罪した。
意外だった彼女のその行動に、拓也は動揺し少しフリーズしてから口を開く。
「いや、この件は俺が悪い。謝るのは、頼るとも背負ってもらうとも言いながら結局口だけだった俺だ。すまない。これからはちゃんと報告しますので………どうかご飯抜きだけは……」
「そんなことしませんよ」
涙目になりながらそう懇願する拓也。先程までのような淡々と語っていた態度はどこへ行ったのだと思いながらミシェルは軽く声を漏らしながら口元を軽く手で覆い微笑むと、リビングのテーブルの下に手を伸ばし、木製の立方体の箱を取り出すと拓也に手渡した。
「なにこれ?」
突然渡された謎の立方体に、疑問符を浮かべてそれを観察する拓也。そしてそれが箱であると言うことに気が付くと同時に、ミシェルが喋り掛ける。
「この前のクリスマスというイベントでプレゼントを貰ったので、それのお返しです」
「マジで!?ありがとう!開けていい!?」
「え、えぇ。いいですよ」
女性から贈られた初めてのプレゼントということでテンションがいきなりMAXになった拓也は、若干挙動不審になりながらも木の箱を開け、慎重に中身を取り出した。
両掌で大事そうに支え、それが何かを確認した拓也は目を丸くする。
「……懐中時計じゃん!!いいの!?俺があげた鏡なんて安物だぞ!?これ絶対高いだろ!!なんかもう老舗のオーラが!!」
ミシェルが拓也に贈ったものは銀の懐中時計。カバーの部分には剣をモチーフにした装飾が施され、そのシンプルに纏まったデザインは、かなりの良品という風格を醸し出す。
実はこの世界では、懐中時計は高価な代物なのだ。
科学があまり進んでいないこの世界。時計を持ち運びできるサイズまで縮小するというのは、相当な腕を持つ職人が時間をかけて作るしかないのだ。
「まぁ結構いい値段しましたけど、拓也さんは色々と忙しいですから正確に時間を把握できた方がいいんじゃないかと思ってこれにしました」
嬉々として懐中時計を開けたり閉めたりを繰り返す拓也。
ミシェルは彼のその様子を見て、喜んでくれてよかったとそっと胸を撫で下ろす。
「…どうしよう…劣化防止魔法掛けて額縁に飾ろうかな……いや、それだったらいっそ金庫の中にでも…」
舞い上がり過ぎて最早本来の用途を忘れ、そんなことを計画し始めた彼に、ミシェルは苦笑いを浮かべて口を開く。
「せ、折角なので使ってくれると嬉しいです」
「………………わかった、ありがとう一生大事にするよ!」
そう発言するまでに開いた謎の間が気になったミシェルだったが、考えるだけ無駄だと判断し、思考を切り替える。
「絶対何かお返しするから!」
「い、いえ!別にいいですよ、普段のお礼も兼ねた品ですから」
ぶっちゃけ時計が無くても正確な時間が分かる拓也だが、プレゼントをもらったということが相当嬉しいのだ。
子どものようにはしゃいで、時計を眺めて微笑んでいる。
あまりに彼が喜んでいるせいか、ミシェルは少し恥ずかしくなり紅茶のカップを口に付けることでそれを悟られないようにした。
・・・・・
時間は流れ、お昼過ぎ。
剣術の稽古をつけられているミシェルは、いつものように拓也を相手に向かい木剣を振るっていた。
短い期間でかなり上達した彼女は、身体強化を施して拓也へ襲い掛かる。
コンパクトな振りで拓也を体勢を崩し、止めのひと振りを首筋目がけて振り下ろす。
「うん、もうかなり強くなったな。剣術の方は接近されたことを想定した対処としてはもう十分だろう。
後は得意な魔法を専攻するといい」
そのひと振りを涼しい顔で受け止めながらそう言う拓也。ミシェルは冬だというのに汗だくになっている。
「ハァ…ハァ……今までありがとうございました」
拓也はタオルを手渡すと、しばらく考え込むような仕草をして、彼女に一つ提案をした。
「…そうだ、ミシェルさえよければ魔法も教えるけど…どうする
」
「…いいんですか?」
「なぁに、今まで剣術教えてた時間が魔法に変わるだけだよ」
・・・・・
「じゃあまず魔力とは何かという所から始めるよー」
「よろしくお願いします」
シャワーを浴びて、着替えたミシェルはリビングのソファーに座りながら拓也の話に集中する。
拓也はゲートから大量の書類と、黒板に貼るような大きな紙を丸めたものを数本取り出し、書類の方をミシェルに渡し、筒状の紙をテーブルの上に広げた。
そこに描かれていたのは表と簡単な解説。
「はい、まず魔力とは何かから説明する。
手元の書類にも書いてある通り、魔力は体の中では属性無しの状態。『無属性』の状態だ。こんな感じね?」
始まった講義を、ミシェルは聞き逃さないように手元の書類と机に広げられた表を見ながら、拓也の解説を真剣に聞く。
拓也は掌に無属性の魔力を放出し、集めると解説を続けた。
「人間はこの無属性の魔力を変質させ、火属性や水属性などの魔力にして扱う。
この世界では、保有する魔力属性は先天的なものだと言われているが、この考えは当たらずとも遠からず。
遺伝などで決まる保有属性というやつは、実はただ無属性の魔力をその属性に変質させやすいというだけなんだ。
つまり訓練すれば、火、水、土、雷、風、光、闇、音、空間、破壊。誰でもこれらの全属性が扱えるようになる」
拓也は掌の上に全属性の球体を作り出すと、ミシェルに見えるように回転させて見せた。
ミシェルは興味深そうに頷く。
「なるほど、理解できました」
「よし、次からちょっと難しくなるぞ。
魔力は個人個人で違う。
例えば、俺の魔力を『魔力A』とするならば、ミシェルの魔力は『魔力B』
んで『魔力A』は俺しか使えないように作られていて、『魔力B』はミシェルにしか使えないように作られている。つまり他人が他人の魔力を扱うことは不可能ってことだ」
無言で頷くミシェル。どうやらちゃんと理解しているようだ。
拓也はそこまで説明し終えると、テーブルに広げていた一枚の紙を丸め、新しい方の紙筒を広げる。
「次に大気を漂う魔力について。
ミシェルが『ライトニングスピア』を放ったとしよう。この時、ライトニングスピアを動かしているのは当然『魔力B』だ。
でも敵に命中して消失したら?
実はここで『魔力B』は『魔力´』へと変質し、大気へ飛散する。
そう、この『魔力´』が大気中に漂う魔力だ。この『魔力´』は普通使うことが出来ない。
でもそれをエネルギーにして生きている生物がいる。分かるか?」
「精霊ですね」
「正解。実はうまくやれば人間も『魔力´』を利用できる……が、今はあまり関係ないから飛ばそう。
最後に魔力量。これには先天的なモノもあるが、魔力を限界まで放出して、回復。これを繰り返していれば必然的に上がる。
まぁ魔力に関しての話はこのぐらいかな。他に教え忘れたことがあったらまた教えるよ。詳しくは渡した書類見てくれ」
そこまで話し終えると、一息吐いて紙筒をゲートの中に仕舞う。
ミシェルはきっと彼に教わらなければ一生知らずに終わっていたであろう新たな知識をなんとしても自分のものにしようと、今彼が語っていたことを書類のぶんと照らし合わせている。
「そうなんですね……今まで知りもしなかった事をやっぱり拓也さんはすごいですね」
「別に凄くないぞ。あれだけ時間があればそりゃあ分かってくるさ」
時間とは、天界に居た時のことを言っているのだろう。ミシェルもそれを察して苦笑いを浮かべてみる。
理解の早い彼女は、今教えられたことのほぼ全てを既に頭の中にインプットしていた。
「じゃあまずは無属性の魔力を出す練習からな。頑張って」
拓也はそう言い立ち上がると、どっとソファーに体を預け、テーブルの下から小説を取り出す。
さしずめ一仕事終えた後の一服なのだろう。彼女が無属性を出せるまで本でも読もうと思い、行動に移したその矢先。
「あぁ、それならもう出来るようになりましたよ」
慌てて体を起こし、目を見開いてミシェルを注視する拓也。
そのの視線の先には、掌で無属性の魔力を球状に圧縮し乱回転させたミシェルの姿があった。
「………………それっていつ頃から?」
「魔闘大会の後ですね。拓也さんが使ってたのを見て練習したら出来るようになりました」
「なにそれ天才過ぎコワい」
ーおまけにメイヴィスより形に密度、回転まで綺麗だし…一体俺が苦労してた時間はなんなんだよチクショウが!!-
メイヴィス並…いや、魔法に関してはメイヴィスを凌ぐミシェルのセンスに驚愕し、開いた口が塞がらない拓也は、引く攣った笑みを浮かべ人差し指を上へピンと立てる。
「よ、よし!じゃあ次は属性についてだな!!
さっき説明した通り、魔力は自分の制御下から離れると『魔力´』へと変質する。
これを属性に変質させた状態で考える。一つポイントとして、大気中には無属性の魔力は存在しない」
淡々とそう話しながら冷静さを取り戻し、新たに紙を机に広げる。
そこでミシェルが資料を見つめながら口を開いた。
「ということは光の魔力を使った場合、制御下を離れた光の魔力は『光の魔力´』となるわけですか?」
「…せ、正解だ!ハッハーやるじゃないの!!」
「でもそうなると無属性の魔力を使用したときがどうなるかですよね……
一つ仮説を立てると……他の属性の魔力´へ変質するとかですか?」
「な、何故わかるんだ!?」
「え、えっと………体内で他の魔力へ変質する無属性魔力ですから、大気中でも同じような反応をするんじゃないかな…と」
「……正解だ」
ー…やっぱり……やっぱりこの世にはセンスというものがあるんだ…ー
「よし…いま教えたことは覚えといてね…うん、大事だから」
「…何でそんなにテンション下がってるんですか?」
「……気にするな」
自分が長い年月をかけて培ってきたことをいとも容易くこなして見せたミシェル。
おまけに魔法全般に対する知識と理解力、そして考察力がずば抜けている彼女を見て、嬉しいような悔しいような拓也だった。
「まぁ細かいところで教える所を上げるときりがないから……いよいよ【精霊語】(エレメントワード)について教えるか……
と思ったけど」
拓也はそこまで言ってニヤリと口角を釣り上げる。
ミシェルはその彼の仕草を首を傾げて聞き、次の言葉を待つ。
「ヒントだけ教える。だから自分で考えてみるといい」
「…ヒント…ですか?」
「あぁ、ヒントは…『森羅万象』。それと【精霊語】というワードにも注目するといいかもね~」
彼女が知っていないという優越感からかニヤニヤとウザったい笑みを浮かべながらそう発言する。
ミシェルは顎を指で弄りながら思考を巡らせ始めた。
「森羅万象…つまりありとあらゆる全てということですか……」
早くも糸口を掴んだ彼女だが、拓也はそこまで掴まれることは想定の内なのかまだ余裕の笑みを浮かべてソファーでふんぞり返っている。
しばらくその体勢で考え続けたミシェルだったが、やはりこの問題は難しいのか眉間に軽くしわを寄せるとう~んと唸り、額に手を置いた。
「ん~、じゃあ頑張っちゃってね~!」
ウザい。素直にそう思うミシェルだが、早く目の前の問題を解きたいのか無視して思考を続ける。
特にリアクションが無いことで詰まらなさそうな顔をした拓也は、小説『賢者への道3』。いつの間にか拓也の愛読書になったこのシリーズ。
彼が読み続けているということで、ミシェルは内容が非常に気になったがとりあえず目先の課題に没頭することにした。
・・・・・
「んぁ……」
「あ、おはようございます」
「あれ、寝ちゃってたか。すまんな」
顔の上に光をさえぎるために広げておかれた小説を閉じながら謝罪を口にする拓也。
ミシェルは目線を下げたまま作業を止めずにそう挨拶をした。
「いえ、なんだか疲れてるみたいでしたししょうがないですよ」
掃き出し窓から見える外は既に薄暗い、時計は6時半を示している。
結構眠ってしまっていたことにショックを受けた拓也はソファーから腰を上げエプロンを手に取った。
「ミシェル、晩御飯何食べたい?」
「…え、あ…すみません!もうそんな時間ですか、すぐに準備しますね!」
「いやいいよ、俺が作るからそっちやってな」
愛用の黒いエプロンを巻きながらにこやかにそう言って見せる拓也はキッチンには行って準備を始めた。
ミシェルは自分の仕事をやらなくてはいけないという使命感があったが、彼がそう言ってくれているということとで、机の上の資料に視線を落とす。
「じゃ、じゃあ…お願いします」
何より自分が、こちらをやっていたいという願望で、結局拓也に任せることにしたミシェルは、再び机に向き直り思考を巡らせ、思いつく仮定を全て書きだしていく。
拓也は彼女がそちらの作業に没頭している姿を楽しそうに見つめると、調理を始めた。
ー…お昼の味噌汁と煮物が残ってるしそれも食べちゃおう。ということは和食だな…ー
・・・・・
「いただきま~す」
「いただきます」
結局メニューは3品目追加し、味噌汁、焼きサバ、エリンギとパプリカのソテー、ほうれん草のお浸し、煮物。そして白ライスである。
ミシェルも流石に晩御飯ということで作業を中止し、ダイニングテーブルに着いた。
「…相変わらず料理上手ですね。羨ましいです」
「いやいや、ミシェルも相当なもんだろ。数回教えただけで和食もほぼ作れるようになるし」
そう言ったきり、お腹が空いていたのか黙々と食べるミシェル。拓也はそんな彼女を満足そうに笑顔で見つめていた。
「どうだった?俺が寝てる間に何か掴んだ?」
彼女が先程呟いていて、何かを掴んだことは知っていた拓也だがあえてそう尋ねてみる。
ミシェルはその問いかけに目を机に落とし、口を開く。
「森羅万象…つまり全てということ。そこまでは分かりました。前に拓也さんが『魔法の開発が容易になる』って言っていた所から考えるに、恐らく魔法を構成する要素の一つ。
まだまだ根拠の薄い仮説ですけど、だいたいこんな感じですね」
「ふ~ん、まぁ中々いい線行ってるんじゃない」
彼女の返答にヘラヘラしながらそう返す拓也。しかし内心は驚愕していた。
ー…本当に何者だよミシェルの奴……いくらなんでも早すぎる…ー
とんでもない速さで正解へと着実に近づく彼女。純粋に、驚かずにはいられなかった。
そんな動揺する彼に、ミシェルが喋り掛ける。
「あの…魔法関係で気になったんですけど、拓也さんって…やっぱり究極魔法使えたりします?」
「ん、あぁ。使えるよ」
「そうですか……そうですよね」
横へ目をやり卑屈に笑うミシェル。拓也は彼女の意図を容易に掴み、軽く笑い掛ける。
「よし、じゃあ【精霊語】について分かったら一つ教えるよ。光の究極魔法」
「本当ですかッ!?」
「うん、ホントホント。というか【精霊語】についての知識があれば新しく作れると思うぞ」
「分かりました、頑張ります!」
ー…どうしよう…俺が超えられる日もそう遠くないかも………ー
にこやかな表情で、あまり表情には出てないが嬉しそうなミシェルを眺める拓也。
今、自分が彼女の師になり、かつて自分の師の一人であったセラフィムが感じていたこと、思っていたであろうことを今度は自分が感じているのだった。
・・・・・
翌日。
ミシェルは昨日の続きで、精霊語とは何かを探る作業に没頭していた。
左手に展開した光の魔法陣をまじまじと見つめ思考に浸る彼女を、遠巻きに眺める拓也は、その光景を静かに見守る。
「……~…?……」
時折独り言のようなことを漏らしながら、展開する魔方陣を消し、別の魔法の魔法陣を展開。
右手の手元に置いた紙にそれら二つの魔法陣をスケッチすると、それを灯りにかざし首を傾げる。
ー…そういえば俺もあんな時代があったな。セラフィムの野郎に1週間以内に【精霊語】(エレメントワード)について調べて、それがなんなのかをを解説できるようにしろって言われて、死に物狂いでじーさんの書庫漁ったっけ…ー
昔の自分と、今目の前に居るミシェルを照らし合わせ、そんな昔のいい思い出を脳内で再生させた拓也。
ー…そんで確か……じーさんの書庫で見つけた関連する本に書かれていたのは…ー
「……森羅万象。…こんな感じで後世に伝わっていくのか」
ミシェルは別に拓也の後世の存在という訳ではないが、なんとなく感じた時代の流れというものを小さく口に出し意味有り気に微笑むと、彼女を休憩にでも誘おうかと考え、紅茶を入れるためにダイニングテーブルから離れた。
キッチンに立ち、お湯を火に掛け、引き出しから茶葉を取り出す。
しばらく待ち、お湯がもうすぐで沸騰という時だった。
「分かりました!!」
リビングのソファーで首を傾げていたミシェルが、勢いよく立ち上がりそう叫ぶ。
拓也はもう乾いた笑いしか出なかった。彼女が導き出した答えを見たわけでも聞いたわけでもないが、何故か直感的に彼女は正解を手にしたことを悟ってしまったのだ。
自分が一週間必死に調べ上げ、タイムリミットギリギリでようやくたどり着いた正解に、彼女は時間にして24時間程度。丸一日でたどり着いてしまった。
「…マジかよ」
次の瞬間彼の口からこぼれたのは、そんな驚愕と呆れの言葉だった。
小鍋の中の水が沸騰し、ブクブクと大きな泡を立てて湯気を立てる。
拓也は慌てて火を止め、駆け寄ってきたミシェルの手元の資料を覗き込んだ。
「【精霊語】とは恐らくどんな魔法を発動するかを決定付ける要素ですね!
いろんな種類の魔法陣を展開して観察した記録がこれです、外の二重線の円の間のこの文字。私には読めませんが、きっとこれが【精霊語】。数種類の魔法陣を見てみたんですが、同じ形のものもあれば、違うものが含まれている場合もありました。しかしその文字の組み合わせが、魔法陣の種類を変えると、全て違ったんです!
ですからこれが【精霊語】だとするならば、【精霊語】とは魔法の動きや性質などを決める要素だというこのに気が付きました」
スケッチした魔方陣の絵を数枚キッチンに広げ、拓也にそう説明して見せるミシェル。
その目は生き生きと輝いており、ここまで辿り着いたということがよほど嬉しいということを感じさせる。
僅か1日で【精霊語】(エレメントワード)の正解に辿り着くという、想定を遥かに超えていた彼女の魔法センスに拓也は参ったと言わんばかりに口を開いた。
「ハハハ、正解。ヒントなんて必要なかったみたいだな。
その通り。【精霊語】とは魔法を構成する要素の中でも最重要な、命令を与えるモノだ。
これが無ければ、ただ魔力を放出しているのと同じ。つまり、これがないと魔法は扱えないということだ」
沸騰したお湯を少し冷まし、紅茶に適した温度にしている間に拓也はそう補足説明を加える。
お湯から立ち上る湯気を見て、大よその温度を見切ると、紅茶をセットしていたポットに静かにそそいだ。
「ちなみに俺が出したヒント『森羅万象』これは、すべてが【精霊語】になるということだったんだ」
「全て?それはつまり…」
「本当にすべて。説明が難しいから、その魔法に付加させたい動きなどでも【精霊語】でコントロールできるというって覚えていてくれ」
口頭で説明すると、拓也は掌に火の魔法陣を展開する。
「火の魔法陣に【発火】の精霊語を付ける。そして火の魔力を流して魔法を起動すると…」
次の瞬間、一瞬だけ掌から炎が立ち上った。
ミシェルはその様子を見てポツリと口を開く。
「ただ火が出ただけですね」
「そう、【発火】の精霊語しか付けてないから一瞬で消えたんだ。
だけどこれに【継続】って精霊語を付け加えると…」
すると、魔力を流し魔法陣を起動する拓也の掌に、ユラユラと燃える炎が現れる。
その炎は先程のように消えることなく、拓也の魔力を糧に燃え続けた。
「はい、これが炎の最下級魔法である『ファイア』だな。
詠唱というのはこの精霊語を連想させるためのモノなんだ。精霊語というモノの存在を知らないこの世界の住人が魔法を使う手段として生み出したんだろう。
それで慣れてくるとその詠唱は必要性が薄れてくる。そこから詠唱破棄、無詠唱に繋がるって訳だ」
「なるほど…奥が深いですね。これがあれば確かに目的に合う色々な魔法も作れそうです」
「更に精霊語を足していく。さっきの魔法陣に【球体化】【炸裂】【熱波】などなど付け加えていくと…。
はい完成、お馴染み『エクスプロージョン』」
先程まで掌で揺らめいていた炎は、急激に膨張し球体へと変化する。
目を輝かせその火球を見つめるミシェルを微笑みながら眺める拓也は、魔方陣を消し、紅茶を二人分のカップに注いでそのうち一つを彼女へ差し出した。
「じゃあ約束のご褒美タイム。光の究極魔法だったよな?」
「その前に一ついいですか?」
「なんでも申してみよ」
「魔法陣の必要性とは一体何ですか?」
「…必要性…うむ、魔法陣が無くても魔法は発動できる。理由は体内にで【精霊語】など魔方陣を形成するものが、術式として組まれているからだ。
この場においての術式とは、展開すると魔法陣になるもののことを指す。数学かよ!って感じだよな。
まぁ細かい説明を省くと、魔力が最も効率のいい形で魔法に成るようにするのが魔方陣。こう考えてくれ。
無駄が無くなり、魔力を無駄なく、より多く伝えられる。それによって、威力、速さが上昇し、最短ルートを通るため発動に必要な消費魔力も減る」
拓也のその解説で魔法陣について理解したミシェルは納得のいった表情で頷く。
拓也も彼女が理解できたということを察し、次の話題を口にした。
「じゃあ究極魔法だけど…単体攻撃特化か複数攻撃特化どっちのタイプがいい?
前者だと威力、後者だと手数に特化するぜ」
「それじゃあ………前者の単体攻撃特化で」
「やだミシェルちゃんったら脳筋」
「……余計なお世話です」
そんな彼の冗談に不機嫌そうにそっぽを向いたミシェル。
拓也はへらへらといつものように笑いながらゲートに手を突っ込むと、一冊の本を取り出し、彼女に手渡した。
えんじ色のハードカバーの分厚い本。表紙にはまだ何も書かれておらず、真ん中辺りを開いても、ページは白紙。
ミシェルふぁ疑問符を浮かべていると、拓也がページを捲り、最初のページを開く。
そこには光の究極魔法に関する知識が記されていた。
魔法の解説、使用する【精霊語】。全てが事細かに記されている。
なんとなくパラパラとページを進めるミシェル。文字と図が書き込まれているページは20ページ後半程まで続いていた。
しかしそれ以降は白紙である。
「それミシェル用の魔法書にでもするといいよ。今記されているのは光の究極魔法、単体攻撃特化バージョンだ。ご褒美だし俺がまとめといた」
「…なんですかそれ、私が威力の方を選ぶと分かってたんですか?」
「当たり前じゃん。ミシェル脳k……はい、すみません謝罪しますのでそのそこそこ熱めのお湯の入った鍋を手に取らないでください」
この謝罪に切り返す速さ、最早慣れたものだ。
「というか一つの魔法で20ページ強って……流石に一筋縄ではいきませんね」
「まぁ究極魔法だしね、普通に撃っても地形変わっちゃうレベルだからね」
ヘラヘラと笑いながらそんなことを言う拓也。
「まぁとりあえずそれ見ながらやってみな、分かんなかったら教えるから」
「はい、ありがとうございます。大切にしますね」
微笑んで、受け取った魔法書をギュッと抱くミシェル。
拓也は満足げに大きく頷き、二階へと駆け上がって行った。しばらくすると、ズシ…ズシ、となにやら重たい足音が一階へと戻ってくる。
その足音の主の拓也はスライドドアを足で器用に開け、リビングに入場した。
「それじゃあ並行して『精霊語』を教えますね~。まぁ新しい言語を覚えるとでも思って頑張って~」
…両手いっぱいに、精霊語の資料を抱えて……
天井まで届きそうな量の本や書類の山。それを抱える拓也はふらふらとした足取りでテーブルに近づき、それをドサッと机に置く。
思わず言葉を失っていたミシェルは、積み上げられた資料の山を眺めて口を開いた。
「……どのくらい掛かるんでしょうか…」
ポツリと呟くようにそう言ったミシェルに、拓也はにっこりとハリボテ100%の笑みを顔面にくっ付け、今にもフリーズしそうな彼女に向けて口を開く。
「それは…ミシェルの頑張り次第かなぁ」
何故かその笑顔に底知れぬ恐怖を感じたミシェルだった。
・・・・・
時刻は8時ちょっと前。
外は既に真っ暗で、カーテンを閉めていない掃き出し窓のから漏れる光が、地面に積もった雪を照らし神秘的な光景を作り出している。
きっと外はとても寒いのだろうが、室内は暖炉のおかげで非常に快適、強いて言えば加湿をしたいというぐらいだろうか。
「じゃあ今日はここまでだな。お疲れさん」
「………あ…ありがとうございました…」
リビングの壁際に即席で作られたデスクに突っ伏したミシェルは、遠い目をしながらそう呟く。
拓也は隣の丸椅子から立ち上がると、外の眺め欠伸を一つしてキッチンへと向かった。
彼がキッチンへ向かったのを見ると、ミシェルは油の切れたロボットのように首を曲げ、拓也の方を見る。
すると、疲れ切った表情で拓也に笑い掛けた。
「あ、あぁ…そろそろ晩御飯ですもんね。すみません、私がやります」
「満身創痍な人をこれ以上追い込むようなマネは俺にはできん。だから大人しく休んでてくれ」
流石の拓也もこれだけ疲れている彼女をこれ以上働かせるという酷な仕打ちは出来ないようだ。
椅子から立ち上がろうとするミシェルを手で制し、そう説得を試みる。
「いえ…それは私の仕事です。ですから私がやります…」
しかしその制止を振り切って立ち上がり、キッチンへと歩みを進めたミシェルは料理器具を準備しはじめた。
フライパンを手に、少しふらつきながらキッチンを歩く。拓也はそんな彼女からフライパンをひょいと取り上げると、一つの提案を口にした。
「じゃあ手伝うよ、それなら問題ないだろ?あくまで俺はアシスタントだ」
「…でも」
朝も、平日の弁当も作っている拓也。そんな彼に晩御飯まで作ってもらうのは申し訳ない。
ミシェルはそう考え、目を伏せる。
折角の好意を無駄にするのも悪い、そんなことも考え視線を上げれば、ドヤ顔でフライパンを手にする拓也。
「…ハァ、わかりました。甘えさせてもらいます」
自分が不甲斐ないといった様子でそう言うミシェル。
彼女は自分の中でその不甲斐なさを感じる一方、彼はやはり優しいということを再度認識した。
「よろしい。あ、でもどうせ甘えるならベッドの中で…」
「それ以上喋るなら喋れないように舌を焼きます」
「ふぇぇ~、ミシェルちゃん当たりがキツイよォォ」
そして彼は、いつもの如くこうしてふざけ始める。
最早慣れたこんなやり取り。ミシェルも鋭く返し、拓也はその返事に怯える。
そんないつものやり取りに、彼女は少しだけ微笑むのだった。




