2話「捨て子」
先ほどまで居た店の前に少女と共に立つ。店はまだ明るいし、客の声が聞こえてくる。
だからまだ入って良い筈なのだが、クライシスは入れないで居た。翌々考えてみたらお世話になった師匠にこれ以上お世話になって良いのか疑問に思ったからだ。
「……なぁ、腹減ってないか……?」
少女は相変わらず、無言だ。さっきから話しかけても何も答えてはくれない。
ただ、道が暗かった時は良くはわからなかったが、町に入って、明るくなってから改めて少女を見ると、彼女は、すべてを飲み込んでしまうような綺麗な青色の髪をしており、目も青眼をしていた。
顔は整っており、何処かの国に姫様なのかと思ってしまうほどの気品があった。
「……返事は無しか……」
この質問だけは返事をして欲しかった。自分から入る勇気が無かったので、【入る理由】を作りたかったからだ。彼女が空腹だと言ったらすぐ入るつもりだった。
「仕方ない……」
心の中で決心を決め、扉に手をかける。いつもは軽く感じる扉が今日は鉄の扉でも開けているのかと思うぐらい重い。
「いらっしゃい。今日もう店じ…おお、なんだ。クライシスじゃないか。どうした?」
いつもの様に店に入るとバーンが出迎えてくれた。バーンはこんな時間に来るのが珍しいためか、驚いた顔をしていた。
「師匠…少し、この子に何か食べさせてやって欲しいんだ」
クライシスの後ろに隠れていた少女は少しだけ首を出してバーンの様子を伺っていた。
「…そりゃ、かまわねぇが…その子は…?」
「それが、良くわからなくて…たぶん、捨てられた子だと思うけど…さっきそこで拾ってきたんだ」
「拾ってきたって、お前な……まぁ、良い。座って待ってな。今日はもう店仕舞いなんだ。まずは店を閉める。締め終わった後にゆっくり事情を聞かせてくれ」
ロジャーは他の客のお会計を済ませると、客は店から出て行った。店の中はバーン、クライシスと少女の三人だけとなった。
「他の従業員は?」
「今日はもう帰らせた。あまり客もいなかったからな……ここ最近不景気なのか客が少なくなってきたから構わん……お前も何か飲むか?」
「いや、俺は水だけで良い」
バーンが厨房の奥へと消えていくと、クライシスは溜息をついて近くの椅子へと座る。
少女もクライシスの前の椅子へと座り、座ってから一度、店の中を見渡し、その後、クライシスの顔を見て子供らしい笑顔を見せた。
「はぁ……」
それを見て、さらにクライシスは溜息をついてしまう。
どうして、こんな面倒なことに首を突っ込んでしまったのだろうと後悔までしている。本当ならもう宿舎に帰り、今頃気持ち良く寝ている時間帯なはずなのに。
「なぁ、もう一度聞く、君の名前は?何処から来た?両親は?」
「………」
やっぱり返事はこない。ただ、少女はいつも笑顔のままでこちらを見てくれば、何か言ってきた。
それはクライシスの知らない言語で、何を言っているのかが、全くわからない。
「お前、何言って……」
「お待たせ」
バーンが店の奥から出てくると、テーブルにクライシスが先ほど食べた物と同じスパゲティが置かれる。
「たーんと、お食べ、嬢ちゃん」
「……」
じーっと、スパゲティを見る少女。
「…………」
フォークを持ち、恐る恐るスパゲティを口に運ぶ。
「……!?」
目の前の物が食べ物で、美味しいことがわかった刹那、凄い勢いでスパゲティを食べ始めた。
「全く、野良猫でも見ているような気持ちだ」
「そう言うなクライシス。お前も最初はこうだったぞ」
「それを言わないでくれ」
「ははは……さて、どうするんだ。クライシス、これから」
クライシスは水の入ったコップを手に取ると、一口飲んでから深く溜息をついた。
「どうするんだろう……たぶん捨てられた子だからな」
「警備兵に頼んでも良いが……お前もこの国の孤児がどうなるかぐらいは知っているはずだろ」
この国には警備兵と言う役職がある。その役職は警察の様な組織だ。
その警備兵は盗難や、強盗、殺人などが起きた時に動く組織だが、この様に孤児の子を引き受けてくれる組織でもある。表上、何処か引き渡す家庭を探してくれることにはなっているものの、実際はその孤児を国の為に強制的に労働させ、更には労働すら使えない子たちは売却。もはや、警備兵自体が腐っていると言っても良い。
しかし、貴族達の後ろ盾がある為、国民がどれだけ訴えても取り消されてしまう。いや、取り消されるぐらいならまだマシだ。酷い時は抗議を行った人物が侮辱罪に問われて、拉致監禁、更には拷問まで行われると言う始末で手がつけられない。
「わかってるよ。あいつらに引き渡すぐらいならこの子の為にも、この子を殺してあげたほうがマシだ」
「おい、クライシス、そんなこと冗談でも子供の前で言うな」
きっと、少女は何を言っているのかわからないのだろう。スパゲティを食べ終わった後、こちらに首を傾げて見て来る。
バーンが口元にケチャップを付いている少女の口元をタオルで拭く。少女はきょとんとした表情をしていた。
「はぁ、すまん。言い過ぎた」
「とりあえず、クライシス、明日、大事な任務があるんだろう?」
「あぁ、ちょいと野暮用がな」
「なら今日は帰れ。この嬢ちゃんは俺が預かっておく」
「良いのか?」
「良いも、何も、騎士団の寮に連れて行くわけにもいかんだろう」
「すまない……師匠」
「いいてことよ。困った時は親を頼れ。それが息子の特権ってやつさ。俺もこの嬢ちゃんの身元を調べてみる。なぁに、飲み屋ってのは、いろんな情報が集る場所だ。それなりに情報が集るだろうさ。クライシスも自分の特権を有効に使って調べてくれよ」
ウォール騎士団に入っている者は、全員、軍の階級で言うと大尉以上の権限が与えられている。
クライシスは実力的には少佐クラスなのだが、年齢が年齢だけに、まだ大尉止まりだ。大尉クラスの階級になれば、情報操作などのいろんな無理が聞くことが出来る。しかし、クライシスは自分の階級の特権を使ったことが無い、否、使いたがらない。
何故か、使ったら自分が自分じゃなくなる気がしたからだ。使ってしまったらもう、いつもの自分に戻れない。
根拠の無い思考だが、彼はそう信じこんでいる。
「あ……あぁ……わかった。俺も調べてみる。それじゃ、明日に……また」
「おう。まぁ、お前だから大丈夫だと思うけどな……死ぬんじゃないぞ」
席から立ち上がり、ゆっくりと頷くクライシス。
バーンから視線を少女に移した。
「…………」
何も言ってはこなかったが――もっとも言ってきたとして理解は出来ないが――にっこりと微笑んできた。
クライシスもぎこちない笑みで返し、店の外に出た。
「そう言えば、最近笑ってなかったな……」
自分が最後にいつ笑ったのかと記憶を遡っても思い出すことが出来ない。
「……………」
夜道を歩きながら無言で再び笑みを作ってみる。
「馬鹿らしい」
その笑みは長続きはせずにいつもの無表情に戻り、いつも通りにいつもの歩調で慣れている道を戻っていった。




