夢
夢を見ていた。
完璧で陶酔してしまうような夢だった。
少女が微笑んでいる夢。
この夢を見るのは何度目だろう。自問してみる。答えは出ない。
しかし確かなことが一つだけある。夢なんか滅多に見なかった私が毎夜のように夢をみるようになったのは、「彼女」がいなくなってからだということだ。
不思議な少女だった。身長は私よりもずいぶん低いけれど、彼女の身体は均整がとれていたことをよく覚えている。
初めて出会ったのは大学の飲み会だった。私は新入生だった。うまく自己紹介できない私の直後に、同じ新入生であるにもかかわらずスラスラと自分のことを紹介する彼女。大人びて見えた。自己紹介が終わって私から話しかけた時、林絵里という名前を間違えて「林麻里さん?」と言うと「絵里です」と返ってきた。ぶっきらぼうで無愛想な返し方だった。
思わず「ごめんなさい」と言う私。
気圧された私に絵里が質問をした。
「桂子さんはお酒飲める?」
彼女は私の目をまじまじと見て言った。私はまた気圧された。返事に困ってしまった。
「桂子さんはお酒飲める?」
まったく同じトーンで同じ内容の質問を投げかける絵里。機械のように無機質だった。
「えっと、私はお酒は苦手だよ。たぶん二十歳になっても飲めないままだと思う」
私たちはまだ十八歳だった。
「そう。私もお酒は苦手。お酒飲むと夢を見ちゃうの。悪夢」
うんざりしたような顔だった
「悪夢?」
「そう。具体的にどういう内容なのか、っていうのはよくわからないの。夢ってそういうものでしょ? でもとにかく悪い夢なのよ。お酒を一定量飲むとストンと眠ってしまってそこからは最悪の体験。どうしてお酒なんてものがあるのかしら? 今飲んでるのはソフトドリンクだけどね。父が大酒飲みでね。たまに晩酌に付き合わされるの。いつも断ってるんだけどどうしても断れない時があって、その時は悪夢よ。私、お酒って大嫌いよ」
抑揚のある声で絵里が話したのは初めてのことだった。
「私はまだ本格的に飲んだことないからわからない」
「そう。今飲んでるのは?」
「ソフトドリンク」
「なんで飲まないの?」
「まだ二十歳になってないから飲むのを控えてるの」
「飲んだことないの?」
「あるよ。少しだけ」
「どんな味だった?」
「不味かった」
「そう」
矢継ぎ早に質問してくる割に絵里は私の返答にあまり興味がないようだった。
彼女の前に置かれた小皿は空だった。
「何か食べないの?」
不思議に思って私は訊く。
「食べてきちゃったから。あんぱんとサラダ」
「そうなんだ」
「お昼だけどね」
「もう夜だよ」
「でもお腹いっぱい。今日は帰って寝るわ」
「こういうのは嫌い?」
「こういうのって?」
「飲み会とか」
「そんなことないわ。好きよ」
「でも全然楽しそうじゃないから」
「よく言われる」
はじめて絵里が笑った。笑うとえくぼができる。意外だった。
飲み会の間中、絵里は超然としていた。その姿は他のどんな存在よりも自分のことを愛しているように見えた。話しかけてくる男性に対してひどく冷たい口調で対応していた。最後まで何も食べずひたすらドリンクだけを飲んでいた。絵里はテーブルの真ん中に座っていたのだが、絵里だけが孤立していた。他の新入生が集団の中に溶け込もうと必死な中、絵里だけが独りだった。そして絵里はそのことを気にしていなかった。
私と絵里の出会いはありきたりな日常の中の特別な地点にあった。絵里は飲み会の席で目立ってはいたけれど、私と特別仲が良くなるような出来事はなかった。その日私は夢を見なかった。