祈りの舞
大きな広場に出ると、たくさんの人々の賑わう声が聞こえた。
少年も少女も、老人も。男も女も、みんな。そこに差はなく。みな一様に、喜びを顔に浮かべる。
浮かれて。こらえきれない熱気が、みなの身体からわき出る。一瞬、腰がひけた。自分の熱が彼らに吸収されていくのがわかる。場違いだと、頭の中で声が響く。
「ほら、行こっ」
左手から、広場の熱気に負けないくらいの温かさが、ぐぅっと僕の身体に染み渡る。
近くに行けば、ただの祭りではないことがすぐにわかった。
広場の至る所におかれている食べ物の数々。熱々で皿から溢れんばかりの丸焼きのチキンと、様々な野菜が湯気を上げている。
香しい匂いが鼻腔をくすぐり、口の中に知らず知らず唾液が溜まった。
ほかにも串ものや唐揚げ、フルーツのケーキや高く盛られた混ぜご飯もある。
「すごいな……」
「……そうだね」
軽快でリズミカルな音楽がいっそう雰囲気を盛り上げていた。
曲に合わせて踊る者、目を瞑り静かに耳を傾ける者。
皆思い思いに祭りを楽しみ、その祈りを捧げる。
「あたしたちも楽しもっ!」
「僕はいいよ……」
僕のおなかが鳴った。騒がしい中でも、隣にいたヒカリには聞こえていたようだ。
「食べ物、無料だよ?」
「…………ちょっとだけ」
「ふふっ。ちょっとだけ、ね」
ヒカリとともに食事をした。
香辛料の効いた熱々の肉に遠慮なくかぶりつく。口の中に広がる辛さと、レモンの酸っぱさが肉の味を際立たせた。
「すごい、……おいしい」
「気合いが入ってるのがわかるね」
これほどの料理を作るのに、どれだけ時間がかかるのか。手間を惜しまず、ていねいに焼かれていた。
無我夢中で食べ続けていた。これほどおいしい食事はいつぶりだろうか。
僕はこれまで食に気を使ったことはなく、いつも簡単なパンや雑炊だ。
だからこれほど凝った料理に舌がうなり、胃がより欲した。
気づいたら、高く盛られた一皿をきれいに平らげていた。
「そんなにお腹すいてたの?」
ヒカリがやや笑みをひきつらせて僕をみる。
「おいしくて、つい……」
なんだか急に自分が卑しく見えて、恥ずかしくなった。
「だったら! あたしが料理を作りにいこうか?」
腕をぐるぐると回しそんなことをいう。
「あたしの料理は絶品だよ?」
「自分で言うんだな」
「あははっ。じゃあセイが言ってよ!」
本当に楽しそうにヒカリは笑う。
「嘘は苦手だ」
顔をしかめて、僕はヒカリをまっすぐ見つめる。
「あたしも嘘は言わないっ。だから今日から修行して絶品にしてくるよ」
「……まだ絶品じゃなかったんだ」
どこかこそばゆさを感じつつも、僕らはともに笑った。
誰でもない、ヒカリとの会話だと思った。七年前は泣きじゃくり、僕の後ろを追っていたはずのヒカリ。
随分変わってしまったけど。それでもやはり、ヒカリらしいと思った。
人を気遣い、優しいところが。一緒にいるだけで心地良い。
遙かに大きくなってしまった僕らでも、変わってないところが見られてうれしくなる。
この居心地の良い時間がずっと続けばいいと、そう思った。
「…………踊らない?」
ヒカリが手を差し出す。
「僕はあまりうまくない」
「あたしも男の人と踊ったことはないなぁ」
「……それよりも、君が踊るところをみたい」
彼女はよく、僕に踊りを披露してくれた。
「じゃあちょっと、光の精に祈りの舞を捧げようかな」
ふふっと微笑みヒカリはいたずらっぽく僕をみる。
「ヒカリのセイ? 僕はいつから君の物になったんだ?」
「セイのヒカリでもかまわないけど?」
「…………」
ちょっと想像してみて、……恥ずかしくなった。
「あ、セイ顔赤いよ」
「そ、そっちだって!」
「うそっ」
途端にヒカリの顔がほんのり朱色に染まる。
「じ、じゃあ、見ててね」
赤くなった頬を隠すように、ヒカリは僕の前へと進み出た。
ーー妖精がふわりと飛んだ。
まったく重力を感じさせないステップだった。
まるでヒカリの為に作られた曲のように音が跳ね、彼女が飛ぶ。
彼女が曲に合わせて踊っているのか、曲が彼女の為に奏でられているのか。
それすらもわからなくなる。ただ自然と、ヒカリが踊る。
踊りというよりは、夜空の光のようだ。とも思った。
まだ昼間だというのに、彼女のいる空間だけぽっかりと黒い。そしてその長い黒髪から時折現れては消えるヒカリの弾む足。
まるで、夜空に浮かび上がり脈動を繰り返す光のように思えた。
……あの夢でみた、銀色の光のよう。ギンが僕を殺した、あのきれいな夜。
「すごいなー! ねぇちゃんっ」
気づいたら人だかりができていた。みんなヒカリを見て、口々に絶賛する。
「お嬢ちゃんが踊ってくれたりゃ、三日後の【光の夜】も安心だなぁ」
酔っているのだろう。若干呂律の回らない口調で、真っ赤な顔のおじさんが僕の背中をバシバシと叩いた。とても楽しそうに。とても居心地の良さそうな、雰囲気だった。みな、笑って。楽しそうに。
「そんな……、あたしなんてまだまだですよ。でも、ありがとうございます!」
踊り終わり、ヒカリがぺこりとお辞儀をすると一際大きな拍手が鳴り響いた。
「じゃあ、失礼しますっ」
ヒカリが僕の手を握って、走り出す。彼女の手は僕でもわかるくらいドクドクと脈打ち、震えていた。
「……ヒカリ?」
ようやく人気のない場所にたどり着き、立ち止まる。
ヒカリは顔を上げずに、ずっと俯いていた。
何か、……あったのだろうか。
「あー、緊張した!」
ガバッと勢いよく顔を上げるヒカリ。その顔は清々しく、満足気だった。
「あんな人前で踊ったの初めてだったから、びっくりしたよー」
「なんだ……。大丈夫そうだね」
てっきり大変な出来事が起きたのかと思った。どんな大変な出来事なのかと言われれば、僕は何の想像もできないのだけれど。それだけ、僕は混乱していた。ヒカリが、いつものヒカリではないように見えたのだ。ライオンに怯える、子鹿のように。彼女の手は震えていて。どうしようもない僕は、かける声も見つからずただぎゅっと。ぎゅっと、彼女の手を握ることしかできなかった。
「全然、……大丈夫じゃない」
「えっ……?」
ヒカリが僕のことを見つめていた。
透き通るような翡翠の瞳が、ゆるゆると揺れ続ける。
「すごく怖かった。あたしは、別にみんなに見てほしい訳じゃないの。ただセイだけに……」
繋がった手から、震えが伝わる。
脈打つ鼓動が、彼女の物なのか、僕の物なのか。
……わからなくなる。
ドクドク。ドクドク。
と。
尻すぼみになってどんどん聞こえなくなるヒカリの言葉。
その意味はわかっていたつもりだったが。
僕は……。